2019年06月24日

「リーガルマインドとは何か?」

田中成明 現代法理学(有斐閣2011)



 あえてかぎ括弧書き。

 ブログタイトルにものっけておきながら、「リーガルマインドとは何か?」ということについて、今まではっきりと書いてきませんでした。

 用語だけなら誰でも知っているものでしょうし、各人各様いろんな定義がなされています。

 私のなかでもなんとなくこういうものだろうな、というイメージはあったものの、しっくりくる説明というものに、今まで出会えていなかったもので。

 で、ふと読んだ田中成明先生の『現代法理学』の中に、リーガルマインドの「特徴」という表現の仕方で、列挙されているものがありました(511頁)。

 これが私が思うところの実感に近かったので、引用させていただきます。


 リーガルマインドの特徴

1 問題発見能力
 紛争や意見の対立に直面した場合、錯綜した事情・状況を整理して、そのなかから法的に何が問題となるのか、問題を発見する能力

2 法的分析能力
 法的に関連のある重要な事実・争点とそうでないものと区別し、法的に分析する能力

3 適正手続感覚・問題解決能力
 関係者の言い分を公平に聴き、適正な手続をふんで、妥当な解決案を考え出す能力

4 法的推論・議論・理論構成能力
 適切な理由に基づく合理的な推論・議論によって、きちんとした法的理論構成を行う能力

5 正義・衡平感覚
 正義・衡平・人権・自由・平等などの法的な価値を尊重する感覚

6 バランス感覚
 全体的状況をふまえて各論拠を比較衡量しバランスのとれた的確な判断をする能力

7 社会的説明・説得能力
 思考や判断の理由・過程・結論などを、関係者や社会一般に向けて説明し説得する能力


 上記「特徴」によって、法的思考が問題になる場面を包括的に捉えられているなあ、と感じました。


 ちなみに、よくありがちな説明だと、すぐに「法的三段論法」云々に飛びつきがちなところ。
 なんですが、それは単なる「お作法」であって、それ自体には何の「マインド」も無いのではないかと。
 そういったものも含めて、どう使うか、のほうの問題。



 以下、本筋ではないですが。

 実定法上の根拠があるわけでもないのに、

  「○○とは××である。」

とかっていきなり定義付けされるの、あまり説得力を感じないです。
 しかも、そのあとに続く論点に関する記述で、

  「○○とは××であるから、△△と解すべきである。」

とか、その定義から一直線に結論導かれると、なんだかなあと。
 まずは、その定義をどうやって組み立てたかを説明してほしい。

 というか、そういう場合って、定義が先に出来上がっているわけではないはず。
 個々の論点を妥当に解決する解釈論というのを積み重ねていって、その結果定義が出来上がるんだと思う。

 その過程をすっ飛ばしていきなり定義から入られると、まあ理解しにくいですよね。


 話は戻って、上記のように、リーガルマインドの「定義」としてではなく、「特徴」という言い方をしてくれると、納得感があるわけです。

 表現の違いだけなのかもしれませんが、そういった記述の仕方から、誠実さを強く感じる。

2019年06月17日

野村美明『新・ケースで学ぶ国際私法』(法律文化社2020)

※以下は、2014年刊の(第2版)の書評です。

 これまでこのブログでは、理想の教科書を求めてウロウロ彷徨ってきています。

 それは税法に限らず、法学分野において何か決定的な形のものがないだろうかと。

【理想の教科書を求める旅(一例)】
税法思考が身につく、理想の教科書を求めて 〜終わりなき旅
後藤巻則「契約法講義」(弘文堂2017)
井田良「講義刑法学・総論 第2版」(有斐閣2018)

 今回のこの本は、《形式》はかなり求めているものに近かったです。



 野村美明 新・ケースで学ぶ国際私法 (法律文化社2020)


 というのも、(広義の)国際私法ってざっくりいうと、

・抵触法 総論
・抵触法 各論(財産法、家族法)
・国際民事手続法

と分野が分かれています。
 で、これら分野を1冊でカバーしている本もあるのですが、それぞれ別々の章に分けられて検討されているのが一般的。

 が、この本では、各論の議論をベースにしつつ、その中に総論や手続法の問題を溶け込ませています。
 しかも、それらが具体的なケースに沿って解説されています。

 この形式なら、かなり理解がしやすいだろうなと、感じました。


 ただ、最初にわざわざ《形式》は、という留保をつけました。

 というのも、あくまで個人的な問題ですが、国際私法に関しては、(両極端ながら)石黒一憲先生や道垣内正人先生のような、極めて特徴的な本から入ってしまいました。



 石黒 一憲  国際私法 (新法学ライブラリ) 新世社2007
 道垣内正人 ポイント国際私法 総論 第2版 有斐閣2007
 道垣内正人 ポイント国際私法 各論 第2版 有斐閣2014

 ので、この本のような、
  ・論点についての裁判例・学説を並べて優劣を論ずる
  ・それら説から事例へのあてはめをする
という、よくある普通の記述の仕方が、どうしても退屈に感じてしまいました。

 や、あくまで個人的な問題ですよ。


 あと、ここ最近「判例」というものに関する本をよく読んでいました。

判例の機能的考察(タイトル倒れ)

 そのせいか、この本が、地裁・家裁や高裁やらの判決まで、最高裁判決と区別することなく、無遠慮に「判例」と呼んでいることに対して、違和感がどうしても拭えない。
 しかも、長々と判決文を引用しているのに、「事実」の部分は一筆書き程度の要約したものしか書いていないのがほとんど。

 「学生は判例を一般化しがち」
 「判例は事実との関係で理解すべき」

なんて学生に対する苦言は、こういう(よくありがちな)教科書の記述を改めてからいうべきだと思うんですけど。
posted by ウロ at 09:25| Comment(0) | 国際私法

2019年06月10日

白石忠志「技術と競争の法的構造」(有斐閣1994)

 この本、扱っている論点としては、知的財産権の排他的利用(ライセンスの拒絶)が、どのような場合に競争の観点から問題となるか、というものです。

 法解釈論的には、独禁法21条が主たる対象、ということには一応なります。

私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 第21条
 この法律の規定は、著作権法、特許法、実用新案法、意匠法又は商標法による権利の行使と認められる行為にはこれを適用しない。




白石忠志 技術と競争の法的構造 有斐閣1994

 で、例によって、私個人の業務には関わりがないのですが、頭のいい人の鮮やかな分析を読むのは面白いよね、ということで読んでみました。

【身の丈に合わない研究書を読む所作について】
法学研究書考 〜部門別損益分析論


 この手の研究書、私の能力が追いつかないこともあって、註を読み飛ばしてしまいがちなところ。
 が、ちらっと目に入った註の記述で気になるところを見つけてしまい、註もしっかり読まざるを得ないことに。

 本文の内容については、門外漢の私が評価できるものではないです。
 ということで、註の中でいいなと思った記述を引用したうえで、気に入ったフレーズを摘示させていただきます。

【これらと同じノリ】
ホッブズ『リヴァイアサン』 〜彼の設定厨。
金子宏・中里実『租税法と民法』(有斐閣2018)
ミシェル・トロペール(南野森訳)「リアリズムの法解釈理論」(勁草書房2013)



10頁
 筆者の感覚では、独禁法をめぐる制作を論じる者の多くは、自らが信じる「私家版独禁法像」に基づいて自説を展開しているにすぎず、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」の条文すら丹念に読んだことがないのではないかと思われる。

⇒私家版独禁法像

22頁
 結局この点は、「本来的行使」を適用除外としながら、「本来的行使」であっても行為者に「独占の意図、目的」があれば独禁法を適用可能とする独自の見解を根拠づけるための場当たり的論理にすぎないということであろう。

⇒場当たり的論理

23頁
 ○○は、知的財産権の濫用は権利の社会的経済的目的に照らして判断されるもので、すべての競争抑圧的な行為を濫用と性格づけることはできないとするが、根拠を明示しない独自の解釈論であるにすぎない。

⇒根拠を明示しない独自の解釈論

24頁
 旧不競法6条の削除は、政策の変化を意味しているのではなく、同条所掲の知的財産法の権利行使を絶対視する者が二度と出ないようにするための措置であるということであろう。

⇒二度と出ないようにするための措置

37頁
 以上の論述からわかるように、「独禁法」なる語は、競争的規整の象徴として用いられる場合と、独禁法という法律そのものを指す語(公取委の縄張りを表す語)として用いられる場合とがある。この区別を明確に認識しないまま「☆☆と独禁法」なる問題のたて方をすることが、同床にいて異夢を見るさまざまな論者による複雑怪奇な議論の混乱を招いていることは想像に難くないであろう。

⇒同床にいて異夢を見るさまざまな論者による複雑怪奇な議論の混乱

46頁
 経済法研究者の多くが、第二章第一節第一款で見たように排他権神聖視の傾向をとりながら、本章に示した規整の傾向に特に異論を唱えていないのも、複数の事業者による排他的利用の場合には当該論者の頭の中での排他権の神聖度が低減するからであるのかもしれない。

⇒論者の頭の中での排他権の神聖度が低減する

84頁
 essential facility理論の日本語訳としてはさまざまなものが考えられるが、辞書的直訳である「不可欠な施設」という訳が適切でない以上、いかなる訳語をひねり出してもそれは当該論者独自の訳とならざるを得ない。訳語の見本市を開いても仕方がないので、本書ではあえて訳を付さないことにする。

⇒訳語の見本市を開いても仕方がない

114頁
 なお、これらの概念の名称は文献によってさまざまであり、混乱している。同じ概念を違う名称で呼んだり、違う概念を同じ名称で呼んだりすることが少なくない。

⇒同じ概念を違う名称で呼んだり、違う概念を同じ名称で呼んだり

122頁
 これらの論考においては「技術革新の効率性」なる語が用いられている。この語は本来、将来における経済的厚生を指すにすぎず、どのような場合にそれが増大するかについては中立的な色彩をもっているはずであるが、実際には、現時点での競争がそれを増大させるという論者の信念が注入されていることが少なくないことに注意する必要がある。

⇒論者の信念が注入されている

159頁
 なお、競争者被害型抱き合わせについて「自由な競争の侵害」の観点から「公正競争阻害性」を想起することに批判的な主張も根強く、最近では○○がそのような主張をおこなっている。このような反応があることは白石〔註(341)〕においてすでに予測済みのことであり、したがって○○への返答としては白石〔註(341)〕をもってすれば足りるのであるが、その論法があまりにも予測どおりの典型的な反応であるだけに、ここで簡単に検討しておくことがむしろ後学のためになろう。

⇒あまりにも予測どおりの典型的な反応

166頁
 この種の主張に対する常套的反論として、かりに競争者排除が成功して独占状態が形成されても、そのときに新規参入や再参入が起こるから問題はない、というものがある。

⇒常套的反論

166頁
 略奪的価格設定の場合でも、参入障壁がまったくないとすることは非現実的な空理空論に近いであろう。

⇒非現実的な空理空論

166頁
 第四章第五節では、経済的厚生最大化論に対する外在的反論と内在的反論とを分けて紹介したが、本文のように見ると、外在的に反論しても、内在的に反論しても、結論はほぼ変わらないということになる。いずれにしても結論が同じとなるということについては、偶然であるというよりも、むしろそのことがこの解釈の正統性を増幅させていると理解するのがよいのではないかと思われる。

⇒正統性を増幅させている

167頁
 なお、「有効な牽制力ある競争者」の有無を価格・品質の支配の有無に結びつける考え方は、八幡富士事件同意審決で明確に示されたが、これに対しては批判が多い。しかし、この批判は、批判者の主観においてどのように考えられているかはともかく、これを冷静に検討するなら、「有効な牽制力ある競争者」という一般論への批判であるというよりは、その一般論の当該事案へのあてはめへの批判であるにすぎないと理解できるのではないかと思われる。

⇒冷静に検討するなら

177頁
 ともあれ、ここで問題とするべきは、○○に垣間見える思考枠組み、つまり、「競争秩序維持」とは異なる「政策」なるものを脇に追いやり、臭いものには蓋をしたうえで、あくまで「競争秩序維持」を全面に押し出そうとする思考枠組みであろう(この種の思考枠組みは、本章第二章で取り上げた独善的な「悪しき独禁法中心主義」と根底でつながっているものと思われる)。しかし、公取委が決して取り上げないという事案が定型的に存在するなら、そのような「政策」を「競争秩序維持」に加味し、違反の範囲を縮小して提示するのが経済法研究者の責務ではないのであろうか。決して取り上げられない事案を含んだままで基準の明確性を標榜することに、どれほどの意味があろうか。

⇒脇に追いやり、臭いものには蓋をしたうえで

177頁
 「競争の実質的制限」ないし「公共の利益に反して」のレベルでの違反範囲の縮小に対する右のような過剰反応は、「公正競争阻害性」のレベルでの縮小解釈に特に異論が出ないことと顕著な対照をなしており、「競争の実質的制限」ないし「公共の利益に反して」に関する激しい論争の落とし物であると位置づけることができよう(いわば、論争参加者の「意地」)。この事態を見るとき、論争に参加した世代と論争が昔話にすぎない世代との間に断層があるとの指摘がますます説得的となる。

⇒激しい論争の落とし物
⇒論争参加者の「意地」

182頁
 「独禁法違反行為の私法的効力」と呼ばれる論点において有効説や折衷説が唱えられてきたことには、註(395)で見たような経済法研究者の非現実的解釈態度があずかる部分も少なからずあるのではないかと思われる。すなわち、独禁法違反(ないし下請法違反)か否かの判断基準が現実離れしているため、民事裁判官が本能的にそれを受け付けなかった例が、ないとはいえないであろう。

⇒非現実的解釈態度


 なんか悪口批判部分ばかり抽出してる気がしますが、表現が秀逸、と思ってしまったもので。

 このブログでも、イジり系の記事が結構ありますが、こういった洗練された表現を使いこなせるようになれたらいいなと。

 なお、この本、とても面白いと思うものの、オンデマンド版になってボリュームとお値段が相当アンバランスな状態に(マケプレのクレプラよりはまともですが)。なので、万人にお薦めしにくいところ。
 もちろん、本の価値をボリュームで図るな!と個人的に思うものの、それを無闇にひとに薦められるとかというと、さすがにねえ。

 ので、「読む」のは全力でお薦めしつつ、「買う」のは一度読んでめちゃくちゃ気に入ったら、でいいのかなと。
 が、読むにしても普通の図書館にはないであろうことが難点。


 ということで、まずは教科書から買ってみたらどうでしょう。
 教科書なので、さすがにここまでのエスプリの効いたフレーズはありませんが。



白石忠志「独禁法講義 第9版」(有斐閣2020)

 体系書と事例集もあるので独学体制も盤石。



白石忠志「独占禁止法 第3版」(有斐閣2016)
白石忠志「独禁法事例集」(有斐閣2017)
posted by ウロ at 11:03| Comment(0) | 法律書マニアクス

2019年06月03日

判例の機能的考察(タイトル倒れ)

 松澤伸先生の著書を読んで、そして記事を書いて、さて実務へ戻ろう、と思ったんです。
 私も実務家なわけですし、そもそも刑法学に深入りする必要はないはずで。

松澤伸「機能主義刑法学の理論―デンマーク刑法学の思想」(信山社2001)

 が、そもそも「判例」ってなんだろうか、という思いが、急にぶり返してきてしまいまして。
 通り一遍の説明きいても、わかったようなわからないような。


 ということで、以下のような本を読んでみよう、ということになりました。
 でもまあ、税理士としても、当然税務判例を使う必要があるわけで、これはセーフでしょう。




中野次雄ほか 判例とその読み方 (有斐閣2009)
池田眞朗ほか 判例学習のAtoZ (有斐閣2010)
藤田宙靖 最高裁回想録 学者判事の七年半 (有斐閣2012)
藤田宙靖 裁判と法律学 「最高裁回想録」補遺 (有斐閣2016)
奥田昌道 紛争解決と規範創造 最高裁判所で学んだこと,感じたこと (有斐閣2009)


 まだまだ、道半ばなので、現状思ったことなどをメモ。
 念のため、上記本に書いてあることでは決してなくって、むしろ書かれていることに対して疑問に思ったことがメイン。


 「学生は判例を一般化しがち」みたいな記述をしばしばみかけるが、それどう考えても教える側の問題。
 「判例は○○説をとっている」とか、平気で教科書に書くじゃん。
 しかも、最高裁と地裁、高裁を並列的に書いたりしてるものもあるし。
 判決・判例・裁判例とか、明確なポリシーに基づいて言葉の使い分けをしているのか、怪しいのもあるし。


 実定法上「判例」というのは、あくまでも、上告理由(刑事訴訟法405条)、上告受理事由(民事訴訟法318条)としてでてくるにすぎない。
 抽象的な「判例」なる概念が存在するわけではない。

 そうすると、実定法上の記述としては、
  ・判決Aがでた時点では、それが判例であるかどうかは確定しない
  ・後の判決Bで、上告理由・上告受理事由として認められてはじめて、
   判決Aが判例だったことに確定する
という言い方が、正確な表現になりそう。
 そうはいっても、実務家としては、判決Aが出た時点でその射程範囲を検討する必要に迫られる。

 実定法上、判例がそういうものなのだとしたら、一般に出回っている『判例集』といったタイトルの書籍は、不正確な表現。
 後の判決で判例扱いされたものだけが正式な判例であって、まだどの判決にも引用されていないものは、「判例になりうるもの」という言い方をしたほうがいいのでは。

 もちろん、判決Aが出た時点でそれが「判例」であることは確定しており、判決Bはそれを確認しただけ、という見方できる。
 が、そうはいっても、どの判決にも引用されていない時点では、判例としての内実は不十分なものであって、判決B、C、D〜と関連する判決が積み重なっていくことで、密度が詰まっていくものではないかと。


 判例に対する一般的な見方としては、
 ・日本は、英米のような「判例法主義」ではなく独仏のような「制定法主義」である
 ・判例は「法源」ではない
 ・判例には「事実上の」拘束力はあるが「法的な」拘束力はない
というところ。

 が、上記のとおり、実定法上、上告・上告受理制度の中に判例違反が組み込まれている。
 のだから、ナントカ主義のような抽象的な物言いではなく、実定法上の制度に沿った説明をすべきではないのか。


 判決を結論命題と理由付け命題に区別し、判例となるのは結論命題だけで、理由付け命題は判例ではないという見解がある。
 しかし、最高裁判決の中には、理由付け命題も判例として扱っているものがある。

 そうすると、この区分は最高裁の実態とは一致していない。
 少なくとも、最高裁自身が、判決を出す際に、ここまでは結論命題だから判例、ここからは理由付け命題だから判例じゃない、などと明言したことはない。

 ただし、「最高裁」といっても、あくまでもその時々の裁判体が、これは判例として使う、これは事案が違う、などと個別に判断していった結果の集積にすぎない。
 ので、最高裁が判例をどのように捉えているかを一般論として抽出するのは、永遠に不可能かもしれない。

 実務家としては、結論命題とか理由付け命題とかにかかわらず、最高裁判決の記述すべてが判例になりうるものだ、と把握しておいた上で、
 ア 記述が抽象的な場合
   射程範囲は広い
   ただし、相応しくない事案が増えるに従って、規範が精緻化していく余地あり。
 イ 記述が具体的な場合
   射程範囲は狭い
   ピッタリの事案にはその規範を使わざるをえない
   それ以外の事案には、事案が似てるといって使うか、事案が違うといって使わないか
   どちらもありうる
と捉えておけばいいのでは。

 イメージとしては、
  ア 攻撃力は低いが射程が広い装備・魔法・スキル
と 
  イ 攻撃力は高いが射程が短い装備・魔法・スキル
をそれぞれ思い入れのあるゲームで思い浮かべてもらえれば、いいと思う。

 より精緻に分析するのであれば、
  ・攻撃力
  ・射程範囲
だけでなく、 
  ・重量
  ・サイズ
  ・連射速度
  ・弾速
  ・装填数
  ・再装填速度
なども数値化してみよう(GUNでの比喩例)。


 以上、さしあたり思ったことを整理してみました。
 が、これ以上すすんでも、おそらくドツボに嵌りかけて、どこかで途中下車すると思う。

【税務によせた判例理論の検討】
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)

【参考条文】
憲法 第七十六条
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

刑事訴訟法 第四百五条
 高等裁判所がした第一審又は第二審の判決に対しては、左の事由があることを理由として上告の申立をすることができる。
二 最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと。

民事訴訟法 第三百十八条(上告受理の申立て)
1 上告をすべき裁判所が最高裁判所である場合には、最高裁判所は、原判決に最高裁判所の判例(これがない場合にあっては、大審院又は上告裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所の判例)と相反する判断がある事件その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件について、申立てにより、決定で、上告審として事件を受理することができる。

裁判所法 第四条(上級審の裁判の拘束力)
 上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する。
posted by ウロ at 12:07| Comment(0) | 基礎法学