田村善之先生の論文集。
田村善之「知財の理論」(有斐閣2019)
例によって、私が知的財産法の学術論文にまで手を出す必要性は全くありません。
ではあるのですが、頭のいい人の鮮やかな分析をなぞることで、頭の中をクリアにしよう、という例の所作として。
【例の所作】
井田良「犯罪論の現在と目的的行為論」(成文堂1996)
白石忠志「技術と競争の法的構造」(有斐閣1994)
○
本当は、こちらの教科書で済ませたいところ。
田村 善之「知的財産法 第5版」(有斐閣2010)
が、残念ながら2010年の第5版で改訂がストップしてしまっています。
さすがにそろそろ第6版がでるはずだ、と正座待機してはや数年。
ということで、最新刊である論文集を読むことに。
○
内容的には、特許法、著作権法の章を含めて総論的な記述がメインとなっています。
第1章 知的財産法総論
1 知的財産法政策学の試み
2 知的財産法学の新たな潮流──プロセス志向の知的財産法学の展望
3 「知的財産」はいかなる意味において「財産」か──「知的創作物」という発想の陥穽
4 競争政策と「民法」
第2章 特許法
1 プロ・イノヴェイションのための特許制度のmuddling through
2 知財高裁大合議の運用と最高裁との関係に関する制度論的考察
第3章 著作権法
1 日本の著作権法のリフォーム論──デジタル化時代・インターネット時代の「構造的課題」の克服に向けて
2 著作物の利用行為に対する規律手段の選択──続・日本の著作権法のリフォーム論
3 著作権法の体系書の構成について
第4章 知的財産法学の将来
知的財産法学の課題〜旅の途中〜
ので、個別論点に関する前提知識が薄めでも、どうにか読むことができるのではないかと。
もちろん、ちゃんと理解できるかどうかは別として。
かつての論文集の、特に「第2章 知的財産法総論」が文字通りの「総論」を正面から論じたものでした。
田村善之「市場・自由・知的財産」(有斐閣2004)
そこから比べると、さらにいろんな道具概念が導入されていました(muddling through、フォーカルポイント、メタファ、少数派バイアスなどなど)。
2010年出版の教科書を読んだきり、個別の論文を追いかけていなかった身からすると、盛り沢山で消化不良。
とはいえ、2周目を読んだところで語れることが増える気もしないので、「読んだよ」という記事だけ残しておきます。
○
ただ、「自然権論」について、みんながそれで納得するなら否定はしないよ(超意訳)、的な主張がでてきたのは、ちょっとびっくり。
「インセンティブ論」とは相容れないものだと思っていたので。
望ましい立法を実現するためなら、清濁併せ呑むというか呉越同舟というか、それでも構わない、ということですかね。
これ、おそらくですけど、文字通りの起草者意思とか立法者意思を絶対視すべきでない、という田村先生流の立法/司法理解が前提にあるように思えます。
立法で自然権論が紛れ込んでしまったとしても、司法の段階で余裕で追い出せるだろう、という目論見。
あの、これはあくまで私の下衆の勘繰りにすぎません。
○
私が個人的にとても共感したのが次のような箇所。
平井宜雄先生の『債権総論』の教科書の構成を参考に自分の教科書を書いた(442頁)とか、新堂幸司先生の既判力の正当化根拠からの争点効の導き方に「インテグリティとしての法」を見出した(482頁)みたいな、余所の法領域での議論を参照しているところ。
もちろん、両先生とも私の思考によく馴染んでいる、というのもあります。
新堂幸司「新民事訴訟法 第6版」(弘文堂2019) 〜付・民事訴訟法と税理士
平井宜雄「債権各論I上 契約総論」(弘文堂2008)
それにとどまらず、このブログでは、税法の議論をするのにあちこちの法領域から「考え方」をお借りしてくることが多いです(前田手形理論を税法の議論に持ち込むとか、かなりの我田引水っぷり)。
その源流が田村先生にあったんだなあと再発見。
なお、税法で「他の法分野からお借りする」というと「借用概念論」が想起されるかもしれません。
が、全く全然関係ないです(あえての重言)。
私にとっての借用概念論は、「いかがわしい野郎だな」くらいの認識です。
一緒にしないで。
【借用概念論について】
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その11)
○
知的財産法の論文を読んだ、ということで、もう少し知的財産法について理解を深めよう、という方向にはならず。
むしろ、同書に引用されていた下記の本、大昔に一度読んだきりだったので、あらためて再読してみようと思いました。
森村進「財産権の理論 (法哲学叢書)」(弘文堂1995)
松浦好治「法と比喩 (法哲学叢書) 」(弘文堂1992)
森村先生の本、「税制」についても題材にしていて、今ならちゃんと理解できそうな気がする。
○
教科書は長らく改訂されていないものの、下記のような本が出版されています。
田村善之ほか プラクティス知的財産法1特許法(信山社2020)
田村善之ほか プラクティス知的財産法2著作権法(信山社2020)
どちらかというと(知財の)実務家寄りのようなので、益々税理士実務から遠ざかることに。
これを読む(心の)余裕ができるかどうか。
2020年06月29日
田村善之「知財の理論」(有斐閣2019)
posted by ウロ at 11:02| Comment(0)
| 知的財産法
2020年06月22日
新堂幸司「新民事訴訟法 第6版」(弘文堂2019) 〜付・民事訴訟法と税理士
横書きで1072頁というなかなかのボリューム。
同書にかぎらず、民事訴訟法の教科書は年々分厚くなっていってますが、ついに1000頁超え。
新堂幸司「新民事訴訟法 第6版」(弘文堂2019)
税理士であっても「国税通則法114条⇒行政事件訴訟法7条⇒民事訴訟法」ルートがあるので、民事訴訟法についてもちゃんと勉強しておくべきところ。
「訴訟」を視野に入れないにしても、事実認定や要件事実の「考え方」などは、調査対応レベルでも役立つわけで。
下記記事を書いていて、あらためてちゃんと勉強しないとなあと。
思ったので、読んでみることに。
二段の推定と契約の成立と印紙税法 〜印紙税法における実体法と手続法の交錯
○
民事訴訟法におよそ興味がなかったわけではなく、たとえば次のような本は、面白いと思ってしばしば読んでいたり。
他分野と比較して、相対的に疎かになっていただけです。
井上治典・高橋宏志「エキサイティング民事訴訟法」 (有斐閣1993)
新堂幸司「特別講義 民事訴訟法」(有斐閣1988)
○
なお、そのうち「刑事訴訟法」の波もくると思います。
が、今のところ懐古主義的に、団藤重光先生の体系書を読んだきりですが。
団藤重光『法学の基礎』(有斐閣2007)
この、法分野の選り好み、私の場合は、その分野が好きとか得意とかそういうこちら側の特性ではなく、面白い書き手がいるかどうかにかかっています。
「知的財産法」における田村善之先生の本や「独占禁止法」における白石忠志先生の本がそういう位置づけ。
こういう書き手の方が一人いるだけで、その分野の明るさが全然違う。
田村善之「知財の理論」(有斐閣2019)
白石忠志「独禁法講義 第9版」(有斐閣2020)
白石忠志「技術と競争の法的構造」(有斐閣1994)
例の税法入門書も、今となってはさんざんイジり倒しているところですが、私が税法の勉強を始める入口としてはとてもよかったはずなんです。
【しつこいイジり】
三木義一「よくわかる税法入門 第14版」(有斐閣2020)
平井宜雄「債権各論I上 契約総論」(弘文堂2008)
田中二郎「租税法(第3版)」(有斐閣1990)
税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)
窪田充見「家族法 第4版」(有斐閣2019)
横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)
浅妻章如「ホームラン・ボールを拾って売ったら二回課税されるのか」(中央経済社2020)
○
分厚い民事訴訟法の教科書群を目の当たりにして思うこと。
誰が書いても同じになる「純手続」的な記述については、それこそ「基本書」として1冊出しておけばいいんじゃないんですかね。
しかも、学者による条文引き写しな記述では無味乾燥で理解しにくいので、実際の運用を知っている実務家が記述すると。
これによって、学者のほうは論点に集中して教科書を書けばいいことになります。
そうすれば、教科書間の重複した記述を省くこともできますし。
ただし、あくまでも「純」手続であるし、手続について一切書いてはいけないということでもないです。
共有化できる部分はそちらにおまかせしたほうが便利でしょ、というだけで。
法改正のたびに逐一改訂するのも減らせますし。
改訂の口実が減るのは困るということですか。
法学研究書考 〜部門別損益分析論
○
実際、今回の新堂先生の本も、全頁読むのではなく、純手続的な記述はどんどん飛ばしながら読みました。
ちなみにこの、純手続的な記述を省いて書いた、といえるのが高橋宏志先生の重点講義。
高橋宏志「重点講義民事訴訟法(上) 第2版補訂版」(有斐閣2013)
高橋宏志「重点講義民事訴訟法(下) 第2版補訂版」(有斐閣2014)
が、上860頁・下876頁となっており、これはこれで特殊例。
○
肝心の本書の中身。
本書のもっとも特徴的な点だと私が思うところ。
論点の記述をする場合に、普通の本だといきなり判例・学説を並べるところから始まりがち。
が、本書では、その論点で考慮すべき要素を広く拾い上げる、ということをしています。
初学者にとっては特に、これを自力で拾い上げるのが難しいところです。
それを頭出ししてくれているので、その後の判例・学説の比較する際も、どの見解が何をどれだけ重視しているのか、といった見取り図が作りやすくなります。
「利益衡量」とかいいながら、自分の支持したい結論に不適合な利益を無視する、みたいなヤラセ感満載な論証が許されなくなります。
明示されてしまっている以上、なぜそれを無視・軽視してよいのかの説明をしなければ、説得力がなくなります。
あれこれ見解が出されているけども、結局は新堂先生が拾い上げた要素のどれを重視するかの違いにすぎない、ということが見えてきたり。
これもいわゆる「釈迦の手のひら」案件ですね。
【釈迦の手のひら論文】
井田良「犯罪論の現在と目的的行為論」(成文堂1996)
○
なお、民事訴訟法の教科書で、個人的なオススメは以下の本でした。
谷口安平「口述 民事訴訟法」 (成文堂1987)
林屋礼二「新民事訴訟法概要 第2版」(有斐閣2004)
「でした」なのは、谷口先生の本は平成8年改正前のままで絶版、林屋先生の本はオンデマンド入りで高額化。
お気軽に入手できないものになってしまいました。
今どきな教科書はさっぱりフォローしておりません(不勉強)。
趣味の音楽鑑賞でも、昔の作曲者・指揮者しかフォローしないのと同じ傾向。
音楽と私
一応、入門書でオススメは中野先生のもの。
中野貞一郎「民事裁判入門 第3版補訂版」(有斐閣2012)
中野貞一郎「民事執行・保全入門 補訂版」(有斐閣2013)
こちらも中野先生がお亡くなりになってしまったので、今後の改訂がどうなるか。
同書にかぎらず、民事訴訟法の教科書は年々分厚くなっていってますが、ついに1000頁超え。
新堂幸司「新民事訴訟法 第6版」(弘文堂2019)
税理士であっても「国税通則法114条⇒行政事件訴訟法7条⇒民事訴訟法」ルートがあるので、民事訴訟法についてもちゃんと勉強しておくべきところ。
「訴訟」を視野に入れないにしても、事実認定や要件事実の「考え方」などは、調査対応レベルでも役立つわけで。
下記記事を書いていて、あらためてちゃんと勉強しないとなあと。
思ったので、読んでみることに。
二段の推定と契約の成立と印紙税法 〜印紙税法における実体法と手続法の交錯
○
民事訴訟法におよそ興味がなかったわけではなく、たとえば次のような本は、面白いと思ってしばしば読んでいたり。
他分野と比較して、相対的に疎かになっていただけです。
井上治典・高橋宏志「エキサイティング民事訴訟法」 (有斐閣1993)
新堂幸司「特別講義 民事訴訟法」(有斐閣1988)
○
なお、そのうち「刑事訴訟法」の波もくると思います。
が、今のところ懐古主義的に、団藤重光先生の体系書を読んだきりですが。
団藤重光『法学の基礎』(有斐閣2007)
この、法分野の選り好み、私の場合は、その分野が好きとか得意とかそういうこちら側の特性ではなく、面白い書き手がいるかどうかにかかっています。
「知的財産法」における田村善之先生の本や「独占禁止法」における白石忠志先生の本がそういう位置づけ。
こういう書き手の方が一人いるだけで、その分野の明るさが全然違う。
田村善之「知財の理論」(有斐閣2019)
白石忠志「独禁法講義 第9版」(有斐閣2020)
白石忠志「技術と競争の法的構造」(有斐閣1994)
例の税法入門書も、今となってはさんざんイジり倒しているところですが、私が税法の勉強を始める入口としてはとてもよかったはずなんです。
【しつこいイジり】
三木義一「よくわかる税法入門 第14版」(有斐閣2020)
平井宜雄「債権各論I上 契約総論」(弘文堂2008)
田中二郎「租税法(第3版)」(有斐閣1990)
税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)
窪田充見「家族法 第4版」(有斐閣2019)
横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)
浅妻章如「ホームラン・ボールを拾って売ったら二回課税されるのか」(中央経済社2020)
○
分厚い民事訴訟法の教科書群を目の当たりにして思うこと。
誰が書いても同じになる「純手続」的な記述については、それこそ「基本書」として1冊出しておけばいいんじゃないんですかね。
しかも、学者による条文引き写しな記述では無味乾燥で理解しにくいので、実際の運用を知っている実務家が記述すると。
これによって、学者のほうは論点に集中して教科書を書けばいいことになります。
そうすれば、教科書間の重複した記述を省くこともできますし。
ただし、あくまでも「純」手続であるし、手続について一切書いてはいけないということでもないです。
共有化できる部分はそちらにおまかせしたほうが便利でしょ、というだけで。
法改正のたびに逐一改訂するのも減らせますし。
改訂の口実が減るのは困るということですか。
法学研究書考 〜部門別損益分析論
○
実際、今回の新堂先生の本も、全頁読むのではなく、純手続的な記述はどんどん飛ばしながら読みました。
ちなみにこの、純手続的な記述を省いて書いた、といえるのが高橋宏志先生の重点講義。
高橋宏志「重点講義民事訴訟法(上) 第2版補訂版」(有斐閣2013)
高橋宏志「重点講義民事訴訟法(下) 第2版補訂版」(有斐閣2014)
が、上860頁・下876頁となっており、これはこれで特殊例。
○
肝心の本書の中身。
本書のもっとも特徴的な点だと私が思うところ。
論点の記述をする場合に、普通の本だといきなり判例・学説を並べるところから始まりがち。
が、本書では、その論点で考慮すべき要素を広く拾い上げる、ということをしています。
初学者にとっては特に、これを自力で拾い上げるのが難しいところです。
それを頭出ししてくれているので、その後の判例・学説の比較する際も、どの見解が何をどれだけ重視しているのか、といった見取り図が作りやすくなります。
「利益衡量」とかいいながら、自分の支持したい結論に不適合な利益を無視する、みたいなヤラセ感満載な論証が許されなくなります。
明示されてしまっている以上、なぜそれを無視・軽視してよいのかの説明をしなければ、説得力がなくなります。
あれこれ見解が出されているけども、結局は新堂先生が拾い上げた要素のどれを重視するかの違いにすぎない、ということが見えてきたり。
これもいわゆる「釈迦の手のひら」案件ですね。
【釈迦の手のひら論文】
井田良「犯罪論の現在と目的的行為論」(成文堂1996)
○
なお、民事訴訟法の教科書で、個人的なオススメは以下の本でした。
谷口安平「口述 民事訴訟法」 (成文堂1987)
林屋礼二「新民事訴訟法概要 第2版」(有斐閣2004)
「でした」なのは、谷口先生の本は平成8年改正前のままで絶版、林屋先生の本はオンデマンド入りで高額化。
お気軽に入手できないものになってしまいました。
今どきな教科書はさっぱりフォローしておりません(不勉強)。
趣味の音楽鑑賞でも、昔の作曲者・指揮者しかフォローしないのと同じ傾向。
音楽と私
一応、入門書でオススメは中野先生のもの。
中野貞一郎「民事裁判入門 第3版補訂版」(有斐閣2012)
中野貞一郎「民事執行・保全入門 補訂版」(有斐閣2013)
こちらも中野先生がお亡くなりになってしまったので、今後の改訂がどうなるか。
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| 民事訴訟法
2020年06月15日
内田貴「民法3(第4版)債権総論・担保物権」(東京大学出版会2020)
2017年民法改正(債権関係)の総本山。
同改正を反映した教科書はすでにあれこれ出ているところ、満を持して登場(ジャケが完全に春日狙い)。
内田貴「民法3(第4版)債権総論・担保物権」(東京大学出版会2020)
http://www.utp.or.jp/special/CivilLawIII/
最近の気になる本
下記記事でネタにした本は、当初何気なく読んでしまいツッコミが出遅れました。
後藤巻則「契約法講義」(弘文堂2017)
ので、今回は同じ鉄は踏まじと、初めからツッコむ気満々で読み始め。
が、それほどの取っ掛かりもなく読了。
「債権者代位権、債務名義いらないのがメリット」みたいな記述に対するツッコミ程度のことは、もう上記記事で出尽くしてしまっています。
ならではのツッコミ、というのがありませんでした。
○
とにかく沢山のことが書いてあって、特に金融絡みでの今どきな制度の使われ方の解説などは、他書にない特徴だと思います(カタカナ用語が沢山でてくるやつ)。
が、記述の「構造化」がされておらず、最初から最後まで平地をひたすら転戦していくようなイメージ。
【民法構造化の極地】
山本敬三「民法講義1(第3版) 総則」(有斐閣2011)
山本敬三「民法講義4-1 契約」(有斐閣2005)
(※改訂が待たれる)
オープンワールドゲームとかいいながら、予算がないので見渡す限り全面平地です(フェアリーバース)、とか言われたら退屈するでしょ。
【良いオープンワールドゲーム例】
ゼルダの伝説 BREATH OF THE WILD(任天堂2017)
どこまでいっても個々の制度の説明に徹していて、総論チックな記述はおそらく意図的に排除しているように感じます。
他方で、内田先生の著書には、下記のようなアメリカ契約思想を日本の契約に持ち込もう的なものもあったりします。
ので、教科書はあくまで教科書だ、ということで本書は内田先生ご自身の法学教育観を徹底した記述になっているのだと推測。
内田貴 契約の再生(弘文堂1990)
内田貴 契約の時代(岩波書店2000)
なお、第4版では「実務に役立つことをも視野に入れて執筆することを心がけた」とはしがきに書いてありました。
が、私にはどのあたりがその心がけの成果なのかが読み取れませんでした。
これは、私が学者本に期待する「実務に役立つ」というものが下記記事のようなものだから、という個人的な事情からでしょう。
森田宏樹『契約責任の帰責構造』(有斐閣2002) 〜印紙税法における「結果債務・手段債務論」の活用
実務に「直接」役立たせたいなら『〜の法務・税務』みたいな本を読めばすむわけで。
わざわざ遠回りな学者本を読むのは、視線を数段階上に引き上げてくれることを期待しているからです。
まあ、このへんは私の読み込み不足のせいなんでしょう。
という感じで、私としては、この本を基本書ポジションに据えて通読するのではなく、他の教科書でよくわからなかった箇所だけつまみ食い的に読んでみる、という使い方がよいように思います。
体系っぽさが弱いおかげで、そういうつまみ食い的な読み方が許されることになっている。
○
債権総論の中の履行確保の手段の部分と担保物権を「金融取引法」としてまとめている、というのが本書の特徴の一つのようにも思えます。
が、おそらく普通の教科書としても使えるようにするためでしょうか、一冊にまとめたというくらいで、内容的に一体として論じられているわけでもないです(重たいから、てことで分解して使っても支障がないと思われる)。
これに対して、執行法や倒産法まで視野に入れて一体として論じているのが森田修先生の本。
森田修「債権回収法講義(第2版)」(東京大学出版会2011)
(※改訂が待たれる)
森田先生の本は一定程度の基礎知識があったほうが読みやすいので、森田先生の本の副読本ポジションとしてなら、うまくはまる気がします。
森田先生の本が改正対応していない今なら、改正部分の確認もできますし。
○
なお、「事例形式でわかりやすい」ように一見思えますが、事例で説明しているのってほぼほぼ判例がある論点ばかりです。
潮見佳男先生の教科書が、なんでもかんでも事例で書いてあるのとは違う。
潮見佳男「プラクティス民法 債権総論(第5版補訂)」(信山社2020)
潮見佳男「詳解 相続法」(弘文堂2018)
たとえば、「保証」の改正のところとか、あれこれ細かい要件が条文に書き込まれました。
そこで、これら改正がどういう状況を想定して規定されたのか、とかを具体例で理解したいわけです。
が、そういう箇所は条文引き写しで終わってしまっていたり。
「判例の明文化」系の改正は従前の記述の延長で理解すれば済むわけで、「新設」系の改正こそ、しっかり事例で説明してほしい。
○
なお、このブログでは、(実務家のくせに)判例中心の学習法に対しては、どちらかというと批判的なスタンスを示してきました。
それは、判例から判例に渡っていく学習法だと、そこから漏れる穴ができるから、というところにあります。
あるいは、まずは「通常事例思考」をしっかり身につけるべきだろうと。
【通常事例思考】
内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)
米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)
「定期同額給与」のパンドラ(やめときゃよかった)
判例がないから重要でないか、というと必ずしもそうではない。
ですし、判例が無いせいで誰も正面から論じている人がいなくって、参考になるような文献が皆無ということが起こるわけです。
このブログでやっていることは、そういった穴をほじくって、あとは頭のいい人たちの議論にお任せする、というのを期待しているということです。
同改正を反映した教科書はすでにあれこれ出ているところ、満を持して登場(ジャケが完全に春日狙い)。
内田貴「民法3(第4版)債権総論・担保物権」(東京大学出版会2020)
http://www.utp.or.jp/special/CivilLawIII/
最近の気になる本
下記記事でネタにした本は、当初何気なく読んでしまいツッコミが出遅れました。
後藤巻則「契約法講義」(弘文堂2017)
ので、今回は同じ鉄は踏まじと、初めからツッコむ気満々で読み始め。
が、それほどの取っ掛かりもなく読了。
「債権者代位権、債務名義いらないのがメリット」みたいな記述に対するツッコミ程度のことは、もう上記記事で出尽くしてしまっています。
ならではのツッコミ、というのがありませんでした。
○
とにかく沢山のことが書いてあって、特に金融絡みでの今どきな制度の使われ方の解説などは、他書にない特徴だと思います(カタカナ用語が沢山でてくるやつ)。
が、記述の「構造化」がされておらず、最初から最後まで平地をひたすら転戦していくようなイメージ。
【民法構造化の極地】
山本敬三「民法講義1(第3版) 総則」(有斐閣2011)
山本敬三「民法講義4-1 契約」(有斐閣2005)
(※改訂が待たれる)
オープンワールドゲームとかいいながら、予算がないので見渡す限り全面平地です(フェアリーバース)、とか言われたら退屈するでしょ。
【良いオープンワールドゲーム例】
ゼルダの伝説 BREATH OF THE WILD(任天堂2017)
どこまでいっても個々の制度の説明に徹していて、総論チックな記述はおそらく意図的に排除しているように感じます。
他方で、内田先生の著書には、下記のようなアメリカ契約思想を日本の契約に持ち込もう的なものもあったりします。
ので、教科書はあくまで教科書だ、ということで本書は内田先生ご自身の法学教育観を徹底した記述になっているのだと推測。
内田貴 契約の再生(弘文堂1990)
内田貴 契約の時代(岩波書店2000)
なお、第4版では「実務に役立つことをも視野に入れて執筆することを心がけた」とはしがきに書いてありました。
が、私にはどのあたりがその心がけの成果なのかが読み取れませんでした。
これは、私が学者本に期待する「実務に役立つ」というものが下記記事のようなものだから、という個人的な事情からでしょう。
森田宏樹『契約責任の帰責構造』(有斐閣2002) 〜印紙税法における「結果債務・手段債務論」の活用
実務に「直接」役立たせたいなら『〜の法務・税務』みたいな本を読めばすむわけで。
わざわざ遠回りな学者本を読むのは、視線を数段階上に引き上げてくれることを期待しているからです。
まあ、このへんは私の読み込み不足のせいなんでしょう。
という感じで、私としては、この本を基本書ポジションに据えて通読するのではなく、他の教科書でよくわからなかった箇所だけつまみ食い的に読んでみる、という使い方がよいように思います。
体系っぽさが弱いおかげで、そういうつまみ食い的な読み方が許されることになっている。
○
債権総論の中の履行確保の手段の部分と担保物権を「金融取引法」としてまとめている、というのが本書の特徴の一つのようにも思えます。
が、おそらく普通の教科書としても使えるようにするためでしょうか、一冊にまとめたというくらいで、内容的に一体として論じられているわけでもないです(重たいから、てことで分解して使っても支障がないと思われる)。
これに対して、執行法や倒産法まで視野に入れて一体として論じているのが森田修先生の本。
森田修「債権回収法講義(第2版)」(東京大学出版会2011)
(※改訂が待たれる)
森田先生の本は一定程度の基礎知識があったほうが読みやすいので、森田先生の本の副読本ポジションとしてなら、うまくはまる気がします。
森田先生の本が改正対応していない今なら、改正部分の確認もできますし。
○
なお、「事例形式でわかりやすい」ように一見思えますが、事例で説明しているのってほぼほぼ判例がある論点ばかりです。
潮見佳男先生の教科書が、なんでもかんでも事例で書いてあるのとは違う。
潮見佳男「プラクティス民法 債権総論(第5版補訂)」(信山社2020)
潮見佳男「詳解 相続法」(弘文堂2018)
たとえば、「保証」の改正のところとか、あれこれ細かい要件が条文に書き込まれました。
そこで、これら改正がどういう状況を想定して規定されたのか、とかを具体例で理解したいわけです。
が、そういう箇所は条文引き写しで終わってしまっていたり。
「判例の明文化」系の改正は従前の記述の延長で理解すれば済むわけで、「新設」系の改正こそ、しっかり事例で説明してほしい。
○
なお、このブログでは、(実務家のくせに)判例中心の学習法に対しては、どちらかというと批判的なスタンスを示してきました。
それは、判例から判例に渡っていく学習法だと、そこから漏れる穴ができるから、というところにあります。
あるいは、まずは「通常事例思考」をしっかり身につけるべきだろうと。
【通常事例思考】
内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)
米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)
「定期同額給与」のパンドラ(やめときゃよかった)
判例がないから重要でないか、というと必ずしもそうではない。
ですし、判例が無いせいで誰も正面から論じている人がいなくって、参考になるような文献が皆無ということが起こるわけです。
このブログでやっていることは、そういった穴をほじくって、あとは頭のいい人たちの議論にお任せする、というのを期待しているということです。
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| 民法
2020年06月08日
酒井克彦「プログレッシブ税務会計論」(中央経済社2018)
法律書界隈では、異常なまでの遅筆者がいる一方で、異常なまでの多産者もいらっしゃいます。
前者のせいなのかどうか分かりませんが、先々の刊行計画というのが表に出てきません。
おかげ様で、改訂直前に旧版を掴まされたりとか。
【直近の掴まされ例】
最近の気になる本
とにかく教科書と小型六法さえ売れてくれればそれ以外はお構いなし、ということですか。
【邪推の極み】
法学研究書考 〜部門別損益分析論
私のようなマニアどもは、出版社にどんなにぞんざいに扱われても、勝手に買ってくれますし。
【さすがにキッツいわあ】
近藤光男「商法総則・商行為法 第8版」(有斐閣2019)
○
他方で、後者の代表が宇賀克也先生。
宇賀克也先生(Amazon.co.jp)
最高裁判事になられて滞るかと思いきや、なぜか普通に出版が続いています。
解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決
そして租税法だと、本書著者の酒井克彦先生が当代随一。
にもかかわらず、今まで当ブログで扱うネタとは交わりませんでした。
満を持してご登場。
酒井克彦 プログレッシブ税務会計論1(第2版) 法人税法と会計諸原則
酒井克彦 プログレッシブ税務会計論2(第2版) 収益・費用と益金・損金
酒井克彦 プログレッシブ税務会計論3 公正処理基準
○
では、さっそく余談から。
最近、というわけでもないのでしょうが、税理士さんの中には、
・税理士×○○
・税理士なのに税理士業務以外の仕事が多い。
・税理士らしくないと言われる。
のように、「税理士業務だけやる」ということに、どこか否定的なニュアンスを含んだ発言をされる方がいます。
各人どのように働くかは自由であり、かつ、どのように発言するかも当然自由なわけですが、そのような人たちが、それでも税理士を名乗るのは何故なのだろうか、と思わないでもない(否定しているのではなく、単純に疑問なだけです)。
○
私自身は、税理士の「本懐」は次のようなところにあると思っております。
1 租税に関する法令を熟知していること
2 租税に関する通達など行政規則に通暁していること
3 租税に関する判例・学説を熟知していて、租税に関する通達など行政規則による租税法令の解釈を、租税に関する判例・学説による租税法令の解釈が否定する可能性ないし蓋然性を判断する能力を有すること
4 租税法令の解釈・適用にあたって、制度上選択の可能性がある場合に、より合理的な選択をすることができる能力を有していること
5 自己固有の租税法令の解釈というべきものを有していること
6 租税の実務に豊かな経験を持ち精通していること
7 これらの能力を活用して、委嘱者に、真正にして適法な納税義務の過不足ない実現をめざしてこれに到達するために必要な資料・情報を提供し、それに資する助言を行う能力を有すること
これは、新井隆一先生が、税理士の善管注意義務として求められる能力、という趣旨で掲げているものです。
あるべき税理士
上記記事、当事務所&当ブログ開設直後に書いた記事です(登録時研修のやつや)。
初期の頃こそ、ブログの方針が定まっていませんでした。
が、いつの間にか、ここに掲げられた能力を磨くための修練、というのがこのブログを書く目的のひとつになっていました。
3年越しの伏線回収的な。
そして、どれだけ修練を重ねようとも、全く終わる気がしないこの道。
「税理士業務以外の」ということをおっしゃる方々は、このあたり一体どこまで突き詰めているのだろうかと。
私の乏しい能力では、他所の業務に浮気している暇がないんですけども。
なおここまで、税理士法の第1条と第2条第1項を重視しつつ(特に第1条)、同法第2条第2項はあくまで「付随」するものにすぎない、ことを意識しながら書いています。
「本懐」と言ったのは、そういう意識からの。
税理士法
第一条(税理士の使命)
税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において、申告納税制度の理念にそつて、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図ることを使命とする。
第二条(税理士の業務)
1 税理士は、他人の求めに応じ、租税(印紙税、登録免許税、関税、法定外普通税(地方税法(昭和二十五年法律第二百二十六号)第十条の四第二項に規定する道府県法定外普通税及び市町村法定外普通税をいう。)、法定外目的税(同項に規定する法定外目的税をいう。)その他の政令で定めるものを除く。第四十九条の二第二項第十号を除き、以下同じ。)に関し、次に掲げる事務を行うことを業とする。
一 税務代理
二 税務書類の作成
三 税務相談
2 税理士は、前項に規定する業務(以下「税理士業務」という。)のほか、税理士の名称を用いて、他人の求めに応じ、税理士業務に付随して、財務書類の作成、会計帳簿の記帳の代行その他財務に関する事務を業として行うことができる。ただし、他の法律においてその事務を業として行うことが制限されている事項については、この限りでない。
まあ、この手のこだわり、アナクロニズムとして淘汰される運命にあるのでしょう。
○
という感じで、このブログ、ひいては私の税理士業務は、税法の解釈・適用をメインディッシュとして取り組んでいるところ。
そのせいで、親和性が高いはずの「会計」分野すら、必要なかぎりでの勉強に留まっている始末。
なんですが、法人税法第22条第4項というものがあり、ここから「会計原則」が流れ込んできやがります。
「税法じゃねえから知らねえよ!」と無視を決め込んでいられない。
法を重視するがゆえに、法に書かれると弱い。
法人税法 第二十二条
1 内国法人の各事業年度の所得の金額は、当該事業年度の益金の額から当該事業年度の損金の額を控除した金額とする。
2 内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の益金の額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、資産の販売、有償又は無償による資産の譲渡又は役務の提供、無償による資産の譲受けその他の取引で資本等取引以外のものに係る当該事業年度の収益の額とする。
3 内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の損金の額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、次に掲げる額とする。
一 当該事業年度の収益に係る売上原価、完成工事原価その他これらに準ずる原価の額
二 前号に掲げるもののほか、当該事業年度の販売費、一般管理費その他の費用(償却費以外の費用で当該事業年度終了の日までに債務の確定しないものを除く。)の額
三 当該事業年度の損失の額で資本等取引以外の取引に係るもの
4 第二項に規定する当該事業年度の収益の額及び前項各号に掲げる額は、別段の定めがあるものを除き、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従つて計算されるものとする。
5 第二項又は第三項に規定する資本等取引とは、法人の資本金等の額の増加又は減少を生ずる取引並びに法人が行う利益又は剰余金の分配(資産の流動化に関する法律第百十五条第一項(中間配当)に規定する金銭の分配を含む。)及び残余財産の分配又は引渡しをいう。
もちろん、ただ書かれてあるとおりに従うわけではないです。
受け入れる法の側で一定の解釈を施す必要があります。
ということで、会計にも正面から取り組まざるをえないのですが、税法と会計の絡み具合をしっかり分析した本というのが見当たらなくって。
と思っていたら、酒井先生のこの本が思いっきりそういう本でした。
○
しかし『税務会計』という名称、どうにも気に入らない。
そのせいで、この手のタイトルの本、今まで手に取るのを敬遠していたような。
なぜかといえば、そこに「法」が入っていないから。
「税務」というと、あくまでも税の「実務」のことであって「法」の要素は正面に出てこない、という印象を受けます。
法解釈論など知らなくても、通達とタックスアンサーでどうにか凌げる範囲の。
世の中の『○○の税務』というタイトルの本のほとんどは、まさにそういう感じ。
法解釈論を展開しているものなんて、ほとんど見かけない(数少ない例外的な存在が、酒井先生の一連の著書)。
しかし、この領域でやるべきことは、あくまでも「法解釈」として会計原則がどこまで法人税法に組み込まれるかを検討するものであるはずです。
にもかかわらず、「法」という文字が入っていないのはなぜなのか。
また、はしがきに「カレーパンの法則」(カレーパンはパンであってカレーでない)について書かれています。
その顰みに倣うならば、「税務会計は会計であって税務でない」ということになってしまうのではないか。
税務を会計で包みこんでカラッと油で揚げた、みたいな。
いやいや主役は「税務」、より正確にいえば「税法」だろうと。
いくら税法の課税要件が民法に準拠していたり、民法からの「借用概念」を多用しているからといって、その状態を「税務民法」なんていう奴はいませんよね(ものすごい税の格が下がった感じを受ける)。
なぜ「会計」だけが、税法ジャックをかましているのか。
【借用概念論の実態】
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その11)
とはいえ、じゃあどういう名称がいいのかと言われても、私もさしあたり思いつきません。
○
誤解されそうなので念のため言っておきますが、「通達+タックスアンサー」で済む世界、そう侮れるものではない。
専門家でない人でも容易に理解できるということや、調査官と共通言語で話せるということ、かなり大きなメリットです。
これに対して、納税者の権利を保護するためだとかいうことで、「租税法律主義」「課税要件明確主義」といったお題目を唱えておきながら、素人には容易に理解しがたい難解な条文はお構いなしだったり、あるいは、難解な法解釈論を展開したり、などといった態度には共感しがたいものがあります。
そこはかとなく感じる、マリー・アントワネット感。
「納税者の予測可能性を高めたいなら、法律に細かく書き込めばいいじゃない」的な(ただし史実とは異なる)。
いつものアレ、リンク貼っておきますね。
これを見ても貴殿は「予測可能性高まってるぅ〜!」て言い続けられるのかと。
租税特別措置法69条の4(小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例)
【小規模宅地等の特例イジり】
パラドキシカル同居 〜或いは税務シュレディンガーの○○
イタチ、巻き込み。 〜家なき子特例の平成30年改正
ヤバイ同居 〜続・家なき子特例の平成30年改正
そんなことをするよりも、通達やタックスアンサーを充実させることで、「通常事例」として解決できる範囲を広げることのほうが、(実在の)納税者の予測可能性に資することになるはず。
【納税者の予測可能性】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)
私が、このブログで税法の「法解釈論」を展開する一方で、「日常系税務」という括りも大事にしているのは、そういったメリットも重視すべき、と考えるからです。
で、この範囲では解決できないものにかぎり、「紛争系税務」としてガチで争う方向へと進むと。
下記記事でも書きましたが、「裁判規範」の反映としてではない、独自の「行為規範」を定立すべき、という構想がここに繋がってきます。
税法・民法における行為規範と裁判規範(その2)
【規範二分論】
・日常系税務:行為規範
通達、タックスアンサー、FAQなどが主役
・紛争系税務:裁判規範
法律、政令、省令などが主役
こうやって見取り図を書いてみると、「通達を文言解釈」して法律の解釈をするなどといった例の高裁判決のヘンテコさが際立ちますよね。
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
「通達を文言解釈」することに意味があるとしたら、通達を信頼して行動した納税者を保護することにあるはずです(信頼の原則)。
およそ、法律の解釈に繋がることはありえない。
○
なお、最初に書いた「税理士業務以外の〜」の人というのが、税理士業務をここでいう「日常系税務」の範囲におさめておき、余力で他の業務をやる、という方針だというのならば、なるほどそういうことですね、と合点がいきます。
「紛争系税務」なんて、そういうの好きな奴がやっててくれればいいと。
【いろんなハイブリッドもの】
税法×税務
日常系税務×紛争系税務
行為規範×裁判規範
通常事例×異常事例
事前×事後
実質×形式
客観×主観
税理士業務×それ以外の業務
カレー×パン
他人にあれこれ言っておきながら、私自身も「税法」と「税務」の二兎を追っている、ということになりますね。
○
さて、いつもどおり余談が長引いたところで、本題である本書について。
とりあえず、今回は「T 法人税法と会計諸原則」のみご紹介。
「会計原則」について会計学側の見解を紹介した後に、それぞれの会計原則が法人税法にどのように取り込まれる(または取り込まれない)かについて、丁寧な分析がなされています。
概説書レベルだと、「法人税法の趣旨にあわせて取り込まれる」程度の記述で済まされがちなところ。
それを、それぞれの会計原則ごとの違いにあわせて、個別の分析がなされています。
こういう税と会計の両方に手を出した本、通常だとどちらかに偏りがち。
なところ、本書では両側面ともにしっかりとアプローチされています。
その上で、法人税法第22条第4項を中心とした「法解釈論」が展開されていると。
いわゆる「短期前払費用」の特例を、会計原則(重要性の原則)を踏まえつつ法解釈論として正面から扱ったり。
法人税基本通達2−2−14 (短期の前払費用)
前払費用(一定の契約に基づき継続的に役務の提供を受けるために支出した費用のうち当該事業年度終了の時においてまだ提供を受けていない役務に対応するものをいう。以下2−2−14において同じ。)の額は、当該事業年度の損金の額に算入されないのであるが、法人が、前払費用の額でその支払った日から1年以内に提供を受ける役務に係るものを支払った場合において、その支払った額に相当する金額を継続してその支払った日の属する事業年度の損金の額に算入しているときは、これを認める。
(注) 例えば借入金を預金、有価証券等に運用する場合のその借入金に係る支払利子のように、収益の計上と対応させる必要があるものについては、後段の取扱いの適用はないものとする。
私も、倒産防前納の損金算入についてイジりを入れたことがありますが、これはあくまで措置法プロパーの問題として。
会計原則なんて何も気にしていませんでした。
まあ、損金経理や継続適用は全く関係なく、明細書添付の有無で損金算入できるかどうかが決まるなんて、会計原則ガン無視にもほどがありますけども。
みんな大好き!倒産防。 〜措置法解釈手習い
しかも、短期前払費用の特例については、突っ込みを入れるのを避けるというビビりっぷり。
や、これは「日常系税務」の世界観が壊れないようにしたかったからです(言い訳)。
○
分析の中には、裁判例の紹介もいくつか出てきます。
裁判所が法人税法と会計原則との関係をどのように論じているのかと。
が、私の見立てだと、裁判所がこの問題についてきちんと論理建てて論じているようには思えません。
各事案ごとに、収まりの良い結論がでるような立論どまりにみえる。
そのような、事案に必要なかぎりでの判断に留めるのが裁判所の本来の役割、といえば、それはそのとおりではあります。
が、他の領域ではしばしば見られる威勢のいい解釈論が「法人税法×会計原則」の領域では抑え気味な気が。
【判例理論について】
判例の機能的考察(タイトル倒れ)
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)
それはひとり裁判所が悪いのではなく、租税法学説が十分な理論展開をしていないからだとは思います。
裁判所が安心して乗っかれるようなスタンダード・セオリーが存在しない。
「スタンダード」というのは、論文レベルではなく教科書レベルでも出てくるような理論ということ。
本書タイトルの「税務会計」の部分について論難しましたが、その前の「プログレッシブ」というのも、一応気になる(「累進課税会計論」かよ、というのではなく)。
プログレッシブの前段階としての「税法×会計」のスタンダードというものがそもそも存在するのか、という疑問。
○
以上、勇み足であれこれ言ってますが、ここは他の領域にも増して勉強不足なところ。
なので、全くの見当違いが多々含まれているはず。
より勉強を進めた上で、「すみません、私の認識違いでした」の訂正記事を出させていただくことになるでしょう(予言)。
前者のせいなのかどうか分かりませんが、先々の刊行計画というのが表に出てきません。
おかげ様で、改訂直前に旧版を掴まされたりとか。
【直近の掴まされ例】
最近の気になる本
とにかく教科書と小型六法さえ売れてくれればそれ以外はお構いなし、ということですか。
【邪推の極み】
法学研究書考 〜部門別損益分析論
私のようなマニアどもは、出版社にどんなにぞんざいに扱われても、勝手に買ってくれますし。
【さすがにキッツいわあ】
近藤光男「商法総則・商行為法 第8版」(有斐閣2019)
○
他方で、後者の代表が宇賀克也先生。
宇賀克也先生(Amazon.co.jp)
最高裁判事になられて滞るかと思いきや、なぜか普通に出版が続いています。
解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決
そして租税法だと、本書著者の酒井克彦先生が当代随一。
にもかかわらず、今まで当ブログで扱うネタとは交わりませんでした。
満を持してご登場。
酒井克彦 プログレッシブ税務会計論1(第2版) 法人税法と会計諸原則
酒井克彦 プログレッシブ税務会計論2(第2版) 収益・費用と益金・損金
酒井克彦 プログレッシブ税務会計論3 公正処理基準
○
では、さっそく余談から。
最近、というわけでもないのでしょうが、税理士さんの中には、
・税理士×○○
・税理士なのに税理士業務以外の仕事が多い。
・税理士らしくないと言われる。
のように、「税理士業務だけやる」ということに、どこか否定的なニュアンスを含んだ発言をされる方がいます。
各人どのように働くかは自由であり、かつ、どのように発言するかも当然自由なわけですが、そのような人たちが、それでも税理士を名乗るのは何故なのだろうか、と思わないでもない(否定しているのではなく、単純に疑問なだけです)。
○
私自身は、税理士の「本懐」は次のようなところにあると思っております。
1 租税に関する法令を熟知していること
2 租税に関する通達など行政規則に通暁していること
3 租税に関する判例・学説を熟知していて、租税に関する通達など行政規則による租税法令の解釈を、租税に関する判例・学説による租税法令の解釈が否定する可能性ないし蓋然性を判断する能力を有すること
4 租税法令の解釈・適用にあたって、制度上選択の可能性がある場合に、より合理的な選択をすることができる能力を有していること
5 自己固有の租税法令の解釈というべきものを有していること
6 租税の実務に豊かな経験を持ち精通していること
7 これらの能力を活用して、委嘱者に、真正にして適法な納税義務の過不足ない実現をめざしてこれに到達するために必要な資料・情報を提供し、それに資する助言を行う能力を有すること
これは、新井隆一先生が、税理士の善管注意義務として求められる能力、という趣旨で掲げているものです。
あるべき税理士
上記記事、当事務所&当ブログ開設直後に書いた記事です(登録時研修のやつや)。
初期の頃こそ、ブログの方針が定まっていませんでした。
が、いつの間にか、ここに掲げられた能力を磨くための修練、というのがこのブログを書く目的のひとつになっていました。
3年越しの伏線回収的な。
そして、どれだけ修練を重ねようとも、全く終わる気がしないこの道。
「税理士業務以外の」ということをおっしゃる方々は、このあたり一体どこまで突き詰めているのだろうかと。
私の乏しい能力では、他所の業務に浮気している暇がないんですけども。
なおここまで、税理士法の第1条と第2条第1項を重視しつつ(特に第1条)、同法第2条第2項はあくまで「付随」するものにすぎない、ことを意識しながら書いています。
「本懐」と言ったのは、そういう意識からの。
税理士法
第一条(税理士の使命)
税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において、申告納税制度の理念にそつて、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図ることを使命とする。
第二条(税理士の業務)
1 税理士は、他人の求めに応じ、租税(印紙税、登録免許税、関税、法定外普通税(地方税法(昭和二十五年法律第二百二十六号)第十条の四第二項に規定する道府県法定外普通税及び市町村法定外普通税をいう。)、法定外目的税(同項に規定する法定外目的税をいう。)その他の政令で定めるものを除く。第四十九条の二第二項第十号を除き、以下同じ。)に関し、次に掲げる事務を行うことを業とする。
一 税務代理
二 税務書類の作成
三 税務相談
2 税理士は、前項に規定する業務(以下「税理士業務」という。)のほか、税理士の名称を用いて、他人の求めに応じ、税理士業務に付随して、財務書類の作成、会計帳簿の記帳の代行その他財務に関する事務を業として行うことができる。ただし、他の法律においてその事務を業として行うことが制限されている事項については、この限りでない。
まあ、この手のこだわり、アナクロニズムとして淘汰される運命にあるのでしょう。
○
という感じで、このブログ、ひいては私の税理士業務は、税法の解釈・適用をメインディッシュとして取り組んでいるところ。
そのせいで、親和性が高いはずの「会計」分野すら、必要なかぎりでの勉強に留まっている始末。
なんですが、法人税法第22条第4項というものがあり、ここから「会計原則」が流れ込んできやがります。
「税法じゃねえから知らねえよ!」と無視を決め込んでいられない。
法を重視するがゆえに、法に書かれると弱い。
法人税法 第二十二条
1 内国法人の各事業年度の所得の金額は、当該事業年度の益金の額から当該事業年度の損金の額を控除した金額とする。
2 内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の益金の額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、資産の販売、有償又は無償による資産の譲渡又は役務の提供、無償による資産の譲受けその他の取引で資本等取引以外のものに係る当該事業年度の収益の額とする。
3 内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の損金の額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、次に掲げる額とする。
一 当該事業年度の収益に係る売上原価、完成工事原価その他これらに準ずる原価の額
二 前号に掲げるもののほか、当該事業年度の販売費、一般管理費その他の費用(償却費以外の費用で当該事業年度終了の日までに債務の確定しないものを除く。)の額
三 当該事業年度の損失の額で資本等取引以外の取引に係るもの
4 第二項に規定する当該事業年度の収益の額及び前項各号に掲げる額は、別段の定めがあるものを除き、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従つて計算されるものとする。
5 第二項又は第三項に規定する資本等取引とは、法人の資本金等の額の増加又は減少を生ずる取引並びに法人が行う利益又は剰余金の分配(資産の流動化に関する法律第百十五条第一項(中間配当)に規定する金銭の分配を含む。)及び残余財産の分配又は引渡しをいう。
もちろん、ただ書かれてあるとおりに従うわけではないです。
受け入れる法の側で一定の解釈を施す必要があります。
ということで、会計にも正面から取り組まざるをえないのですが、税法と会計の絡み具合をしっかり分析した本というのが見当たらなくって。
と思っていたら、酒井先生のこの本が思いっきりそういう本でした。
○
しかし『税務会計』という名称、どうにも気に入らない。
そのせいで、この手のタイトルの本、今まで手に取るのを敬遠していたような。
なぜかといえば、そこに「法」が入っていないから。
「税務」というと、あくまでも税の「実務」のことであって「法」の要素は正面に出てこない、という印象を受けます。
法解釈論など知らなくても、通達とタックスアンサーでどうにか凌げる範囲の。
世の中の『○○の税務』というタイトルの本のほとんどは、まさにそういう感じ。
法解釈論を展開しているものなんて、ほとんど見かけない(数少ない例外的な存在が、酒井先生の一連の著書)。
しかし、この領域でやるべきことは、あくまでも「法解釈」として会計原則がどこまで法人税法に組み込まれるかを検討するものであるはずです。
にもかかわらず、「法」という文字が入っていないのはなぜなのか。
また、はしがきに「カレーパンの法則」(カレーパンはパンであってカレーでない)について書かれています。
その顰みに倣うならば、「税務会計は会計であって税務でない」ということになってしまうのではないか。
税務を会計で包みこんでカラッと油で揚げた、みたいな。
いやいや主役は「税務」、より正確にいえば「税法」だろうと。
いくら税法の課税要件が民法に準拠していたり、民法からの「借用概念」を多用しているからといって、その状態を「税務民法」なんていう奴はいませんよね(ものすごい税の格が下がった感じを受ける)。
なぜ「会計」だけが、税法ジャックをかましているのか。
【借用概念論の実態】
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その11)
とはいえ、じゃあどういう名称がいいのかと言われても、私もさしあたり思いつきません。
○
誤解されそうなので念のため言っておきますが、「通達+タックスアンサー」で済む世界、そう侮れるものではない。
専門家でない人でも容易に理解できるということや、調査官と共通言語で話せるということ、かなり大きなメリットです。
これに対して、納税者の権利を保護するためだとかいうことで、「租税法律主義」「課税要件明確主義」といったお題目を唱えておきながら、素人には容易に理解しがたい難解な条文はお構いなしだったり、あるいは、難解な法解釈論を展開したり、などといった態度には共感しがたいものがあります。
そこはかとなく感じる、マリー・アントワネット感。
「納税者の予測可能性を高めたいなら、法律に細かく書き込めばいいじゃない」的な(ただし史実とは異なる)。
いつものアレ、リンク貼っておきますね。
これを見ても貴殿は「予測可能性高まってるぅ〜!」て言い続けられるのかと。
租税特別措置法69条の4(小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例)
【小規模宅地等の特例イジり】
パラドキシカル同居 〜或いは税務シュレディンガーの○○
イタチ、巻き込み。 〜家なき子特例の平成30年改正
ヤバイ同居 〜続・家なき子特例の平成30年改正
そんなことをするよりも、通達やタックスアンサーを充実させることで、「通常事例」として解決できる範囲を広げることのほうが、(実在の)納税者の予測可能性に資することになるはず。
【納税者の予測可能性】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)
私が、このブログで税法の「法解釈論」を展開する一方で、「日常系税務」という括りも大事にしているのは、そういったメリットも重視すべき、と考えるからです。
で、この範囲では解決できないものにかぎり、「紛争系税務」としてガチで争う方向へと進むと。
下記記事でも書きましたが、「裁判規範」の反映としてではない、独自の「行為規範」を定立すべき、という構想がここに繋がってきます。
税法・民法における行為規範と裁判規範(その2)
【規範二分論】
・日常系税務:行為規範
通達、タックスアンサー、FAQなどが主役
・紛争系税務:裁判規範
法律、政令、省令などが主役
こうやって見取り図を書いてみると、「通達を文言解釈」して法律の解釈をするなどといった例の高裁判決のヘンテコさが際立ちますよね。
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
「通達を文言解釈」することに意味があるとしたら、通達を信頼して行動した納税者を保護することにあるはずです(信頼の原則)。
およそ、法律の解釈に繋がることはありえない。
○
なお、最初に書いた「税理士業務以外の〜」の人というのが、税理士業務をここでいう「日常系税務」の範囲におさめておき、余力で他の業務をやる、という方針だというのならば、なるほどそういうことですね、と合点がいきます。
「紛争系税務」なんて、そういうの好きな奴がやっててくれればいいと。
【いろんなハイブリッドもの】
税法×税務
日常系税務×紛争系税務
行為規範×裁判規範
通常事例×異常事例
事前×事後
実質×形式
客観×主観
税理士業務×それ以外の業務
カレー×パン
他人にあれこれ言っておきながら、私自身も「税法」と「税務」の二兎を追っている、ということになりますね。
○
さて、いつもどおり余談が長引いたところで、本題である本書について。
とりあえず、今回は「T 法人税法と会計諸原則」のみご紹介。
「会計原則」について会計学側の見解を紹介した後に、それぞれの会計原則が法人税法にどのように取り込まれる(または取り込まれない)かについて、丁寧な分析がなされています。
概説書レベルだと、「法人税法の趣旨にあわせて取り込まれる」程度の記述で済まされがちなところ。
それを、それぞれの会計原則ごとの違いにあわせて、個別の分析がなされています。
こういう税と会計の両方に手を出した本、通常だとどちらかに偏りがち。
なところ、本書では両側面ともにしっかりとアプローチされています。
その上で、法人税法第22条第4項を中心とした「法解釈論」が展開されていると。
いわゆる「短期前払費用」の特例を、会計原則(重要性の原則)を踏まえつつ法解釈論として正面から扱ったり。
法人税基本通達2−2−14 (短期の前払費用)
前払費用(一定の契約に基づき継続的に役務の提供を受けるために支出した費用のうち当該事業年度終了の時においてまだ提供を受けていない役務に対応するものをいう。以下2−2−14において同じ。)の額は、当該事業年度の損金の額に算入されないのであるが、法人が、前払費用の額でその支払った日から1年以内に提供を受ける役務に係るものを支払った場合において、その支払った額に相当する金額を継続してその支払った日の属する事業年度の損金の額に算入しているときは、これを認める。
(注) 例えば借入金を預金、有価証券等に運用する場合のその借入金に係る支払利子のように、収益の計上と対応させる必要があるものについては、後段の取扱いの適用はないものとする。
私も、倒産防前納の損金算入についてイジりを入れたことがありますが、これはあくまで措置法プロパーの問題として。
会計原則なんて何も気にしていませんでした。
まあ、損金経理や継続適用は全く関係なく、明細書添付の有無で損金算入できるかどうかが決まるなんて、会計原則ガン無視にもほどがありますけども。
みんな大好き!倒産防。 〜措置法解釈手習い
しかも、短期前払費用の特例については、突っ込みを入れるのを避けるというビビりっぷり。
や、これは「日常系税務」の世界観が壊れないようにしたかったからです(言い訳)。
○
分析の中には、裁判例の紹介もいくつか出てきます。
裁判所が法人税法と会計原則との関係をどのように論じているのかと。
が、私の見立てだと、裁判所がこの問題についてきちんと論理建てて論じているようには思えません。
各事案ごとに、収まりの良い結論がでるような立論どまりにみえる。
そのような、事案に必要なかぎりでの判断に留めるのが裁判所の本来の役割、といえば、それはそのとおりではあります。
が、他の領域ではしばしば見られる威勢のいい解釈論が「法人税法×会計原則」の領域では抑え気味な気が。
【判例理論について】
判例の機能的考察(タイトル倒れ)
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)
それはひとり裁判所が悪いのではなく、租税法学説が十分な理論展開をしていないからだとは思います。
裁判所が安心して乗っかれるようなスタンダード・セオリーが存在しない。
「スタンダード」というのは、論文レベルではなく教科書レベルでも出てくるような理論ということ。
本書タイトルの「税務会計」の部分について論難しましたが、その前の「プログレッシブ」というのも、一応気になる(「累進課税会計論」かよ、というのではなく)。
プログレッシブの前段階としての「税法×会計」のスタンダードというものがそもそも存在するのか、という疑問。
○
以上、勇み足であれこれ言ってますが、ここは他の領域にも増して勉強不足なところ。
なので、全くの見当違いが多々含まれているはず。
より勉強を進めた上で、「すみません、私の認識違いでした」の訂正記事を出させていただくことになるでしょう(予言)。
posted by ウロ at 09:11| Comment(0)
| 租税法の教科書
2020年06月01日
おかわり契約の成立と印紙税法(法人法がこちらをみている)
井田良先生の論文集の紹介記事を印紙税法の記事で挟むという無礼。
大変申し訳有りません。
○
ただし今回は前の記事の目地埋め程度の内容。
納税義務者論を「法人」に展開したらどうなるか、の確認作業です。
【印紙税法における納税義務者論】
続々・契約の成立と印紙税法(代理法がこちらをみている)
最終話後の番外編のイメージでお読みいただければ。
○
まずは通達の確認から。
印紙税法基本通達
第42条(作成者の意義)
法に規定する「作成者」とは、次に掲げる区分に応じ、それぞれ次に掲げる者をいう。
(1) 法人、人格のない社団若しくは財団(以下この号において「法人等」という。)の役員(人格のない社団又は財団にあっては、代表者又は管理人をいう。)又は法人等若しくは人の従業者がその法人等又は人の業務又は財産に関し、役員又は従業者の名義で作成する課税文書 当該法人等又は人
(2) (1)以外の課税文書 当該課税文書に記載された作成名義人
【納税義務者ルール(通達)】
A 原則は書面上の作成名義人
B 法人の役員・従業者名義 ⇒法人
Bルールにより、役員・従業者がその者の名義で作成しても法人自身が作成者になると。
(各種団体等を含みますが、以下の検討は「法人」に限定します。また、従業者は従業員といいかえます。)
契約書が権限の範囲内で作成された「通常事例」で考えるかぎりは、このルールでおかしくないでしょう。
任意代理の場合に代理人課税となっていて、スタートからいきなり躓いたのとは大違い。
○
さて、ここからが考えるのしんどいなあという領域。
法人の場合、文書作成者となりうるのが、
・代表者
・その他の役員
・従業者
と分かれます。
ただ、権限内/外で一元化できると思うので、特に区別することなく検討します。
では、これらの人が権限外で契約書を作成したらどうなるか。
任意代理の場合は、無権限の場合に本人課税はおかしいのでは、と書きました。
これに対し、法人の場合はどうか。
無権限とはいっても、法人との間には「雇用関係」なり「委任関係」があって、全くの無関係ではありません。
このことからすると、法人課税となってもおかしくない。
この点、参考になりそうなのが「重加算税」の裁判例・裁決例。
そこでは、代表権のない者による行為であっても、「相応の地位・権限」がある場合は法人自身の行為と「同視」できる(から法人による仮装・隠蔽と評価できる)と判断されています。
印紙税法上も同じように、行為者に相応の地位・権限がある場合に課税となるか。
あるいは、役員・従業員でありさえすれば相応の地位・権限は不要か。
逆に、契約締結にかかる具体的な権限まで必要かどうか。
【法人が印紙税法上の納税義務者となるために必要な文書作成者の権限】
A その法人の役員・従業員でありさえすればいい
B 相応の地位・権限が必要
C その契約を締結する具体的な権限が必要
AとCは、いずれも結論は極端ながら基準としては明確です。
これに対し、Bは間をとった見解の宿命として、そこでいう「相応の」をどう判断するかという、明確な答えのない問題とお付き合いしなければなりません。
法には何の手がかりもないわけで、租税法規の「明確性」の観点からはおもいっきり問題があるでしょう。
が、重加算税の課否などという際どい事案でも用いられている基準であることからすると、印紙税法(ごとき)に導入されてもおかしくない。
○
このあたり、通達レベルでいうと「法人の役員・従業者が」「その法人の業務又は財産に関し」の読み方にかかってきます。
「法人の業務」とあって「その者の法人における業務」となっていないことからすると、CはもちろんBも要求されていないように思えます。
ただし、剥き出しのAまではいっておらず、「法人の業務に関する」という限定はしていると。
とはいえ、除外されるのは、業務に関しない私的な行為などに限られるのでしょう。
○
これはあくまで通達レベルでの話であって、このような解釈が印紙税法レベルで許されるかは当然検討すべきところです。
が、残念ながら法には何らの手がかりもない。
納税義務者論(法人法)を専門とする印紙税法学者の皆さんによる、下位規範の定立にかかっておりますので、その旨よろしくお願いいたします。
大変申し訳有りません。
○
ただし今回は前の記事の目地埋め程度の内容。
納税義務者論を「法人」に展開したらどうなるか、の確認作業です。
【印紙税法における納税義務者論】
続々・契約の成立と印紙税法(代理法がこちらをみている)
最終話後の番外編のイメージでお読みいただければ。
○
まずは通達の確認から。
印紙税法基本通達
第42条(作成者の意義)
法に規定する「作成者」とは、次に掲げる区分に応じ、それぞれ次に掲げる者をいう。
(1) 法人、人格のない社団若しくは財団(以下この号において「法人等」という。)の役員(人格のない社団又は財団にあっては、代表者又は管理人をいう。)又は法人等若しくは人の従業者がその法人等又は人の業務又は財産に関し、役員又は従業者の名義で作成する課税文書 当該法人等又は人
(2) (1)以外の課税文書 当該課税文書に記載された作成名義人
【納税義務者ルール(通達)】
A 原則は書面上の作成名義人
B 法人の役員・従業者名義 ⇒法人
Bルールにより、役員・従業者がその者の名義で作成しても法人自身が作成者になると。
(各種団体等を含みますが、以下の検討は「法人」に限定します。また、従業者は従業員といいかえます。)
契約書が権限の範囲内で作成された「通常事例」で考えるかぎりは、このルールでおかしくないでしょう。
任意代理の場合に代理人課税となっていて、スタートからいきなり躓いたのとは大違い。
○
さて、ここからが考えるのしんどいなあという領域。
法人の場合、文書作成者となりうるのが、
・代表者
・その他の役員
・従業者
と分かれます。
ただ、権限内/外で一元化できると思うので、特に区別することなく検討します。
では、これらの人が権限外で契約書を作成したらどうなるか。
任意代理の場合は、無権限の場合に本人課税はおかしいのでは、と書きました。
これに対し、法人の場合はどうか。
無権限とはいっても、法人との間には「雇用関係」なり「委任関係」があって、全くの無関係ではありません。
このことからすると、法人課税となってもおかしくない。
この点、参考になりそうなのが「重加算税」の裁判例・裁決例。
そこでは、代表権のない者による行為であっても、「相応の地位・権限」がある場合は法人自身の行為と「同視」できる(から法人による仮装・隠蔽と評価できる)と判断されています。
印紙税法上も同じように、行為者に相応の地位・権限がある場合に課税となるか。
あるいは、役員・従業員でありさえすれば相応の地位・権限は不要か。
逆に、契約締結にかかる具体的な権限まで必要かどうか。
【法人が印紙税法上の納税義務者となるために必要な文書作成者の権限】
A その法人の役員・従業員でありさえすればいい
B 相応の地位・権限が必要
C その契約を締結する具体的な権限が必要
AとCは、いずれも結論は極端ながら基準としては明確です。
これに対し、Bは間をとった見解の宿命として、そこでいう「相応の」をどう判断するかという、明確な答えのない問題とお付き合いしなければなりません。
法には何の手がかりもないわけで、租税法規の「明確性」の観点からはおもいっきり問題があるでしょう。
が、重加算税の課否などという際どい事案でも用いられている基準であることからすると、印紙税法(ごとき)に導入されてもおかしくない。
○
このあたり、通達レベルでいうと「法人の役員・従業者が」「その法人の業務又は財産に関し」の読み方にかかってきます。
「法人の業務」とあって「その者の法人における業務」となっていないことからすると、CはもちろんBも要求されていないように思えます。
ただし、剥き出しのAまではいっておらず、「法人の業務に関する」という限定はしていると。
とはいえ、除外されるのは、業務に関しない私的な行為などに限られるのでしょう。
○
これはあくまで通達レベルでの話であって、このような解釈が印紙税法レベルで許されるかは当然検討すべきところです。
が、残念ながら法には何らの手がかりもない。
納税義務者論(法人法)を専門とする印紙税法学者の皆さんによる、下位規範の定立にかかっておりますので、その旨よろしくお願いいたします。
posted by ウロ at 00:00| Comment(0)
| 印紙税法