商法総則・商行為法において、本格的な理論書とよべるもの、このところ殆ど見かけないです。
大塚英明ほか 商法総則・商行為法 第3版(有斐閣2019)
たとえば「匿名組合」などを思い浮かべてもらえればいいと思いますが、実務でフル活用されている制度があるわけです。
なので「実務本」はあれこれ出回っているものの、「理論的基礎」をしっかり固められる理論書というのが直近で見当たらない。
もちろん個別論文レベルでは出ているのでしょうが、それら実務おもねり系ではなく、学術的に一つの体系としてまとめ上げられたものがないということ。
私が直近で読んだのは、商法総論・総則に関する関俊彦先生のものが最後。
関俊彦「商法総論総則」(有斐閣2006)
なお、江頭憲治郎先生の「商取引法」は別格。
言わずもがなのお供え本。
江頭憲治郎「商取引法 第8版」(弘文堂2018)
供え本(法学体系書編)
○
条文・判例なぞり系の「概説書」ばかりが出版されていて。
本書も共著の教科書なので、類書同様なぞり系かと思いつつ、目を通してみたところ。
大塚英明先生の執筆箇所だけが、やたらと論述が深くて視野が広い。
【大塚先生執筆箇所】
第1編 商法をかたちづくる概念 general remarks
第1章 商人、商行為そして企業
第5章 商業登記
第9章 商業登記と外観主義
第5編 商法が掲げる伝統的営業 general remarks
第6編 企業活動への資金提供−投資
たとえば商業登記の積極的効力に関する悪意擬制説と異次元説の対立について、(「第三者おじさん」の変なイラストを挟みつつ)それぞれの論理展開を非常に丁寧に解説されています。
論理飛躍することなく、ひとつひとつ順を追った説明になっている。
ここの論述は、当該論点にかぎらず、条文からスタートして判例や学説の論理構造を内在的に理解・分析する方法として、とても参考になると思います。
○
他方で、他の執筆者の執筆箇所は、まあ類書よりは多少わかりやすいかな、くらいの印象で、基本はなぞり系。
この記述のノリの不揃い感の発生原因を邪推するに、大塚先生が自分が書きたい箇所だけを文字数気にせず書いて、他の執筆者は余った紙幅で残りの項目を書かざるをえなくなった、と考えると、そうなるのかなあと。
あ、あくまで邪推です。
○
ところで、本書の記述で気になるところが。
商事売買における売主の自助売却権(商法524条)に関する記述。
本書 P.221
「もっとも、商法の自助売却権も、その行使の前提として、売主は履行の提供をして相手を遅滞に付する必要があるし、競売によることが要求されるため任意処分ができず、競売前に催告を要し、競売の代金も弁済期の到来した売買代金にしか充当することができないなどの点で、売主の立場からは機動性を欠いている。そこで、当事者間の特約として、売主による催告を不要とするとか、代金の弁済期が未到来でも買主の期限の利益を喪失させて代金の支払に充当することを可能とするなどの定めが置かれることがある。」
この記述自体がおかしいというのではなく、この文章どこかで読んだことがあるなあ、と思って。
江頭前掲書 P.27
「しかし、商法524条の自助売却権も、その行使の前提として、売主は常に履行の提供をして相手方を遅滞に付す必要があるばかりでなく、競売によることが要求されるため任意処分ができず、しかも競売前に催告を要し、また、競売の代価も弁済期の到来した売買代金にしか充当できない(買主が当然に期限の利益を喪失するわけのものではない)等の点において、売主の立場からすれば機動性を欠いている。そこで、当事者間の特約として、売主による催告を不要とする、競売によらず任意処分の方法によることを可能とする、代金の弁済期が未到来でも買主の期限の利益を喪失させて代金支払に充当することを可能とする等の定めがなされることがある。」
こちら、江頭先生の『商取引法』の記述。
ものすごく似ていますよね。ベタ打ちしたらIMEが学習してくれて、後の記述が楽に入力できたくらい。
もちろん、条文引き写し系の記述ならば必然的に似ざるをえないでしょう。
が、この記述は、条文をなぞったその先の任意の特約に関するものです。
それがここまで似ますかね、という話。
第五百二十四条(売主による目的物の供託及び競売)
1 商人間の売買において、買主がその目的物の受領を拒み、又はこれを受領することができないときは、売主は、その物を供託し、又は相当の期間を定めて催告をした後に競売に付することができる。この場合において、売主がその物を供託し、又は競売に付したときは、遅滞なく、買主に対してその旨の通知を発しなければならない。
2 損傷その他の事由による価格の低落のおそれがある物は、前項の催告をしないで競売に付することができる。
3 前二項の規定により売買の目的物を競売に付したときは、売主は、その代価を供託しなければならない。ただし、その代価の全部又は一部を代金に充当することを妨げない。
どちらが先かは版を遡らなければならないでしょうし(初版自体は江頭先生のほうがはるか前)、実はオリジナルが両書とは別にあるのかもしれません。この2書だけしか確認していないので、他書も同じような記述になっているのかもしれませんし。
が、論述の運びがそっくりでちょっとした表現だけイジっているのが、どうもね。
たまたまこの箇所に気づいたというだけで網羅的にチェックしたわけではないので、他の箇所がどうかは未確認。
どこかの大学内でしか出回らない講義レジュメ、ではない一般書籍同士ですので、何らかの申し合わせはあるのかもしれませんけども。
2020年12月28日
大塚英明ほか「商法総則・商行為法 第3版」(有斐閣2019)
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| 会社法・商法
2020年12月21日
アレオレ租税法 〜立案者意思は立法者意思か?
本ブログは、あれやこれやを論じている風で、基本的には同じところをグルグルしているのが実相です。
グルグルしながらでも、少しづつ上昇していると信じたいところ。
先日の「家なき子特例」の一連の記事も、当初は同特例の制度趣旨を論じていたはずが、最終的には「文言解釈/趣旨解釈」「納税者の予測可能性」「借用概念/固有概念」といった、本ブログでお馴染みのネタ(いつものやつ)につながっていきました。
僕たちは!出戻り保護要件です!! 〜家なき子特例の趣旨探訪1
ぼくたちは出戻り保護ができない。 〜家なき子特例の趣旨探訪2
あの日見た特例の趣旨を僕達はまだ知らない。 〜家なき子特例の趣旨探訪3(完)
からくりサーカス租税法 〜文言解釈VS趣旨解釈、そして借用概念論へ
記事を書きながら過去記事を読み返してみたりするのですが、その中で若干違和感のある記述が。
金子宏・中里実「租税法と民法」(有斐閣2018)
「全面的にそのとおりだなあ、とは思うのですが、前田達明先生の「法解釈論」に関する論文を最近読んだばかりの私からすると、その解釈のスタートは「立法者意思」だ、とされていないのがやや残念(註に「議会の意図」という文言があるので、そこにそういった意味合いを見出すことができるかもしれませんが)。」
法解釈において立法者意思からスタートすべき、といった物言いをしています。
が、他方で下記の記事だと、それとは逆方向っぽいことを言っています。
ぼくたちは出戻り保護ができない。 〜家なき子特例の趣旨探訪2
「立案担当者が開陳する見解、というのも必ずしもあてにならない。
たとえば民法415条但書の帰責事由について、契約(=合意)を重視するか取引上の社会通念も重視するか、すでに解釈割れてますからね。改正したばっかりだというのに。
それを外野が云々するならともかく、立法に関与した人の中でも争われているという。
民法第四百十五条(債務不履行による損害賠償)
債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
そうすると、やはり出来上がった文言をベースに解釈するしかないでしょう。
この場合だと、文言上優先劣後の関係をつけているわけではないのだから、どちらも重視すべきと解釈すると。」
これは、無意識のうちに改説したってことなのか。
と思ったのですが、この違いは《仮想/現実モデル》で説明ができそうなので、以下、言い訳を重ねてみます。
なお、『租税法と民法』を含めた一連の書籍群、例によって「マケプレのクレプラ」(アマゾンマーケットプレイスのクレイジープライス)になっていますね。
さすがにこうなってしまったら、誰も買わないよなあ。
○
後者の記述で想定していた意思の主体は、国会議員ではなく立案担当者です。
そこでは、立案担当者執筆にかかる改正本の記述を、そのまま立法趣旨・立法者意思として理解することに対する、強い違和感があったわけです。
こう書いてみて気づくことは、
・立案趣旨 ≒立案者意思(立案担当者の意思)
・立法趣旨 ≒立法者意思(国会(議員)の意思)
のふたつは、別概念として明確に区別しておかなければならないということです。
そして、区別をした上で、
・立案趣旨を立法趣旨とみてよいか。
・その立案趣旨=立法趣旨を法解釈において重視すべきか。
と段階を踏んで検討すべきなのでしょう。
このような区別は、もしかしたら一般的な見方ではないのかもしれません。
が、本稿の主題上区別せざるをえないので、以下では、用語の使い分けをしていきます。
なお、ここで「=」ではなく「≒」としているのは、式の左辺を「客観」・右辺を「主観」として区別しておく必要があるからです。
立案者・立法者のつもり(主観)が条文に反映されていないのであれば、その主観は法解釈において重視すべきでない、となるはずです。
明らかに「立法の過誤」だというならば、話は別でしょうが。
○
この区別を前提に、立案趣旨を立法趣旨として理解してよい「条件」をあげるとしたら、次のようなものになるかと思います(以下これを《仮想モデル》といいます)。
【仮想】
・立案者は1人
・その立案者の意思が過誤なくそのまま条文案に投影されている
・国会でもその意思が立案趣旨として明瞭に説明されている
・国会では何らの反対もなく可決
このような条件が綺麗に整っている場合であれば、立案趣旨=立法趣旨といえるでしょうし、それをそのまま法解釈に使うべきなのでしょう(もしかして、極めてマイナーな制度であれば、今でもこんなノリで成立しているのかも)。
他方で、現実にはすんなり一気通貫で通過するわけではない。
【現実】
・立案者は多数
・立案者間での合意形成のため、条文案は妥協の産物となる
・国会では立案者のうちの一部の人が趣旨説明を行う
・国会で条文の修正が行われる
と、このように、各段階で様々なノイズが入る。
「ノイズ」とは言いましたが、意識高い系の立案担当者が『あの法律、俺が作ったんだぜ!』と我が物顔でドヤるための条件にとって、にすぎません。
むしろ、このような立法過程こそが「議会制」の本来のあり方であって、《仮想モデル》にはある種の優成思想あるいはエリート主義を感じざるをえません。
「国民にわかりやすく」などといった立法目的を掲げながら難解な条文を積み上げている人たちの、いかにも考えそうなことよ。
○
《仮想モデル》の条件がきちんと整っている場合であれば、法解釈において立案趣旨=立法趣旨を重視するのは当然、ということになるでしょう。
が、現実には、立案者が示す見解であっても、それがそのまま実際の制度に反映されるとは限りません。
他の立案者や国会議員の意思が混ざり込む、あるいは誰の意図とも異なる条文ができあがる、ということがあるわけです(立案者・立法者と条文(案)作成者が異なる場合)。
ア 立案者意思 ≠ 他の立案者意思
イ 立案者意思 ≠ 立法者意思
ウ 立案者意思 ≠ 立案趣旨
エ 立法者意思 ≠ 立法趣旨
(さらに、これらに条文(案)ともズレるパターンが加わります)
「国民にわかりやすく」といいながら難解な条文案を積み上げる所作、ここでいうウに相当すると思います。
もしかして、立案者のつもりとしては本気でそう思っていたのかもしれませんが、実際の条文(案)をみるかぎり、およそそのような親切心が読み取れるような仕上がりにはなっていない。
私が、意思・主観重視の法解釈論に与しない理由はこのあたりにあります。
口先ではいくらでも綺麗事を言うことはできます。が、条文(案)には隠しようのない本音がダダ漏れ。
法解釈においてはあくまでも条文から読み取れる客観を重視すべきであって、主観はあくまでも客観を解釈するための一資料という位置づけに甘んじさせるべき。
立案者の見解だからといって、他の見解と比べて当然に優先的な採用がなされるものでもない。
特に、できあがった条文と矛盾するような見解なら、なおさら。
横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)
○
以上を踏まえて、前述の記述を整合的に説明するならば、次のようになります。
当初の記事では、(立案者云々にかかわらず)「立法者意思」が明確で条文とも整合する場合を想定して同意思を法解釈のスタートにすべきと書いた、これに対して、適格要件や家なき子特例の記事では、これら実際の制度・条文に「立案者意思」(事業・従業者引継、出戻り保護)が反映されていないことから、「立案者意思」は重視すべきでないと書いた、と。
もちろん、常に立案者意思を軽視してよいのではなく、出来上がり方が《仮想モデル》に近いものであるのならば、立案者意思を重視すべきということになるのでしょう。
○
ここで、私が《立法回路》としてイメージするモデルを図解しておきます(あくまでモデルです)。

一番下の立案者意思から条文を読み解くの、迂路ってんなあって感じですよね。
立案担当者の解説本というのも、この回路を経てきたことを踏まえた記述になっているのならばいいのです。
ではなく、立案者意思を前面に押し出した解説となっているとすると、それは違うんじゃないのと思うわけです。
「国民にわかりやすく」なんて大義名分も、最初にこの回路に電気を通すスターターとして使われるだけで、そのあとはこの回路を通ることがない。にもかかわらず、出来上がった後に「国民のために改正したんです。」とか言って改正理由のお題目として再度引っ張り出されがち。
一番上と下だけ本物で、あとの中身が新聞紙な札束みたいなものよ。
○
《言い訳の数だけ法解釈が上手くなれるよ》とは、皮相的な見方ではありますが、少なくとも今回は、どうにか整合的に説明できないかと考えたことで、うまい筋道が見つかる結果となりました。
間違いだと思ったら素直に認めることも大事ですが、他方で、すぐに白旗あげるのではなく、どうにか辻褄合わせられないか足掻いてみることも同じくらい大事、みたいですね。
グルグルしながらでも、少しづつ上昇していると信じたいところ。
先日の「家なき子特例」の一連の記事も、当初は同特例の制度趣旨を論じていたはずが、最終的には「文言解釈/趣旨解釈」「納税者の予測可能性」「借用概念/固有概念」といった、本ブログでお馴染みのネタ(いつものやつ)につながっていきました。
僕たちは!出戻り保護要件です!! 〜家なき子特例の趣旨探訪1
ぼくたちは出戻り保護ができない。 〜家なき子特例の趣旨探訪2
あの日見た特例の趣旨を僕達はまだ知らない。 〜家なき子特例の趣旨探訪3(完)
からくりサーカス租税法 〜文言解釈VS趣旨解釈、そして借用概念論へ
記事を書きながら過去記事を読み返してみたりするのですが、その中で若干違和感のある記述が。
金子宏・中里実「租税法と民法」(有斐閣2018)
「全面的にそのとおりだなあ、とは思うのですが、前田達明先生の「法解釈論」に関する論文を最近読んだばかりの私からすると、その解釈のスタートは「立法者意思」だ、とされていないのがやや残念(註に「議会の意図」という文言があるので、そこにそういった意味合いを見出すことができるかもしれませんが)。」
法解釈において立法者意思からスタートすべき、といった物言いをしています。
が、他方で下記の記事だと、それとは逆方向っぽいことを言っています。
ぼくたちは出戻り保護ができない。 〜家なき子特例の趣旨探訪2
「立案担当者が開陳する見解、というのも必ずしもあてにならない。
たとえば民法415条但書の帰責事由について、契約(=合意)を重視するか取引上の社会通念も重視するか、すでに解釈割れてますからね。改正したばっかりだというのに。
それを外野が云々するならともかく、立法に関与した人の中でも争われているという。
民法第四百十五条(債務不履行による損害賠償)
債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
そうすると、やはり出来上がった文言をベースに解釈するしかないでしょう。
この場合だと、文言上優先劣後の関係をつけているわけではないのだから、どちらも重視すべきと解釈すると。」
これは、無意識のうちに改説したってことなのか。
と思ったのですが、この違いは《仮想/現実モデル》で説明ができそうなので、以下、言い訳を重ねてみます。
なお、『租税法と民法』を含めた一連の書籍群、例によって「マケプレのクレプラ」(アマゾンマーケットプレイスのクレイジープライス)になっていますね。
さすがにこうなってしまったら、誰も買わないよなあ。
○
後者の記述で想定していた意思の主体は、国会議員ではなく立案担当者です。
そこでは、立案担当者執筆にかかる改正本の記述を、そのまま立法趣旨・立法者意思として理解することに対する、強い違和感があったわけです。
こう書いてみて気づくことは、
・立案趣旨 ≒立案者意思(立案担当者の意思)
・立法趣旨 ≒立法者意思(国会(議員)の意思)
のふたつは、別概念として明確に区別しておかなければならないということです。
そして、区別をした上で、
・立案趣旨を立法趣旨とみてよいか。
・その立案趣旨=立法趣旨を法解釈において重視すべきか。
と段階を踏んで検討すべきなのでしょう。
このような区別は、もしかしたら一般的な見方ではないのかもしれません。
が、本稿の主題上区別せざるをえないので、以下では、用語の使い分けをしていきます。
なお、ここで「=」ではなく「≒」としているのは、式の左辺を「客観」・右辺を「主観」として区別しておく必要があるからです。
立案者・立法者のつもり(主観)が条文に反映されていないのであれば、その主観は法解釈において重視すべきでない、となるはずです。
明らかに「立法の過誤」だというならば、話は別でしょうが。
○
この区別を前提に、立案趣旨を立法趣旨として理解してよい「条件」をあげるとしたら、次のようなものになるかと思います(以下これを《仮想モデル》といいます)。
【仮想】
・立案者は1人
・その立案者の意思が過誤なくそのまま条文案に投影されている
・国会でもその意思が立案趣旨として明瞭に説明されている
・国会では何らの反対もなく可決
このような条件が綺麗に整っている場合であれば、立案趣旨=立法趣旨といえるでしょうし、それをそのまま法解釈に使うべきなのでしょう(もしかして、極めてマイナーな制度であれば、今でもこんなノリで成立しているのかも)。
他方で、現実にはすんなり一気通貫で通過するわけではない。
【現実】
・立案者は多数
・立案者間での合意形成のため、条文案は妥協の産物となる
・国会では立案者のうちの一部の人が趣旨説明を行う
・国会で条文の修正が行われる
と、このように、各段階で様々なノイズが入る。
「ノイズ」とは言いましたが、意識高い系の立案担当者が『あの法律、俺が作ったんだぜ!』と我が物顔でドヤるための条件にとって、にすぎません。
むしろ、このような立法過程こそが「議会制」の本来のあり方であって、《仮想モデル》にはある種の優成思想あるいはエリート主義を感じざるをえません。
「国民にわかりやすく」などといった立法目的を掲げながら難解な条文を積み上げている人たちの、いかにも考えそうなことよ。
○
《仮想モデル》の条件がきちんと整っている場合であれば、法解釈において立案趣旨=立法趣旨を重視するのは当然、ということになるでしょう。
が、現実には、立案者が示す見解であっても、それがそのまま実際の制度に反映されるとは限りません。
他の立案者や国会議員の意思が混ざり込む、あるいは誰の意図とも異なる条文ができあがる、ということがあるわけです(立案者・立法者と条文(案)作成者が異なる場合)。
ア 立案者意思 ≠ 他の立案者意思
イ 立案者意思 ≠ 立法者意思
ウ 立案者意思 ≠ 立案趣旨
エ 立法者意思 ≠ 立法趣旨
(さらに、これらに条文(案)ともズレるパターンが加わります)
「国民にわかりやすく」といいながら難解な条文案を積み上げる所作、ここでいうウに相当すると思います。
もしかして、立案者のつもりとしては本気でそう思っていたのかもしれませんが、実際の条文(案)をみるかぎり、およそそのような親切心が読み取れるような仕上がりにはなっていない。
私が、意思・主観重視の法解釈論に与しない理由はこのあたりにあります。
口先ではいくらでも綺麗事を言うことはできます。が、条文(案)には隠しようのない本音がダダ漏れ。
法解釈においてはあくまでも条文から読み取れる客観を重視すべきであって、主観はあくまでも客観を解釈するための一資料という位置づけに甘んじさせるべき。
立案者の見解だからといって、他の見解と比べて当然に優先的な採用がなされるものでもない。
特に、できあがった条文と矛盾するような見解なら、なおさら。
横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)
○
以上を踏まえて、前述の記述を整合的に説明するならば、次のようになります。
当初の記事では、(立案者云々にかかわらず)「立法者意思」が明確で条文とも整合する場合を想定して同意思を法解釈のスタートにすべきと書いた、これに対して、適格要件や家なき子特例の記事では、これら実際の制度・条文に「立案者意思」(事業・従業者引継、出戻り保護)が反映されていないことから、「立案者意思」は重視すべきでないと書いた、と。
もちろん、常に立案者意思を軽視してよいのではなく、出来上がり方が《仮想モデル》に近いものであるのならば、立案者意思を重視すべきということになるのでしょう。
○
ここで、私が《立法回路》としてイメージするモデルを図解しておきます(あくまでモデルです)。

一番下の立案者意思から条文を読み解くの、迂路ってんなあって感じですよね。
立案担当者の解説本というのも、この回路を経てきたことを踏まえた記述になっているのならばいいのです。
ではなく、立案者意思を前面に押し出した解説となっているとすると、それは違うんじゃないのと思うわけです。
「国民にわかりやすく」なんて大義名分も、最初にこの回路に電気を通すスターターとして使われるだけで、そのあとはこの回路を通ることがない。にもかかわらず、出来上がった後に「国民のために改正したんです。」とか言って改正理由のお題目として再度引っ張り出されがち。
一番上と下だけ本物で、あとの中身が新聞紙な札束みたいなものよ。
○
《言い訳の数だけ法解釈が上手くなれるよ》とは、皮相的な見方ではありますが、少なくとも今回は、どうにか整合的に説明できないかと考えたことで、うまい筋道が見つかる結果となりました。
間違いだと思ったら素直に認めることも大事ですが、他方で、すぐに白旗あげるのではなく、どうにか辻褄合わせられないか足掻いてみることも同じくらい大事、みたいですね。
タグ:立法者意思
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| 日常系税務リーガルマインド
2020年12月14日
からくりサーカス租税法 〜文言解釈VS趣旨解釈、そして借用概念論へ
さて、前回までで小規模宅地の特例第三期三部作は終了しました。
【小規模宅地の特例(家なき子特例) 第三期三部作】
僕たちは!出戻り保護要件です!! 〜家なき子特例の趣旨探訪1
ぼくたちは出戻り保護ができない。 〜家なき子特例の趣旨探訪2
あの日見た特例の趣旨を僕達はまだ知らない。 〜家なき子特例の趣旨探訪3(完)
そこでは、同特例の趣旨が、どう頑張っても「出戻り保護」にはならないことまでは分かりました。
では一体何を保護しようとしているのか、というと結局分からずじまい。
それはともかく、これら記事の裏テーマたる《文言解釈 VS 趣旨解釈》、次にネタにするとしたら、例のTPR事件の最高裁判決が出されたときになる予定です。
横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)
以下は、いずれくるそのときまでの、《幕間》の地ならし・露払い記事です(不受理となったら泣く)。
○
上記高裁は趣旨(と彼らが思うもの)重視の解釈をとったわけですが、最高裁が趣旨をとるか文言をとるかは正直予測がつきにくい。
下記の最高裁が割と予測しやすかったのとは対照的。
解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決
こちらの事件は、高裁の文言解釈(という名の司法権放棄)がアレ(ストレンジ・エキセントリック・ビザール)すぎるのと、所得税法の当該文言がシンプルだったため、最高裁は趣旨解釈を採用したわけです。
他方で、TPR事件については、私自身は文言を重視すべきだと思うものの、正直どちらに転んでもおかしくない。
第三小法廷とは別の小法廷に係属したとして、「直近で趣旨解釈をとった判決があるから今回もそれにあわせる」みたいな判決がでる可能性も十分ありうる。
不正確なのは承知な上で、それぞれの解釈と結論を図式化すると、
最高裁令和2年3月24日判決
文言解釈 納税者有利 ←高裁
趣旨解釈 納税者不利 ←最高裁 《私見》
TPR事件
文言解釈 納税者有利 《私見》
趣旨解釈 納税者不利 ←高裁
となります。
文言解釈/趣旨解釈と当該納税者の有利/不利が連動しているようにみえますが、これはたまたま。
ですし、文言解釈なら予測可能性があって趣旨解釈は予測可能性がない、などということでもおよそないです。
通説的な見解は、あたかも文言解釈なら予測可能性があるかのような物言いをするのですが、「お前税法条文読んだこと無いのかよ」と言いたくなる。
【納税者の予測可能性(気のせい)】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)
むしろ趣旨から説明してもらったほうがすんなり理解できることが多い。
前者事件で最高裁が譲渡所得の趣旨から株式の時価の算定方法を導いているの、非常に説得力がありますよね。
(ので、複雑な要件によって居住保護・事業保護ではない何かを(も)保護しようとする「小規模宅地等の特例」、趣旨から各要件を説明できないのが相当に俗悪。)
○
この、どちらに転ぶか予測がつかない根本的な原因、文言解釈をとるのか趣旨解釈をとるのかの使い分けの《指針》が何も示されていないところにあります。
文言重視の判決書と趣旨重視の判決書を両方作成しておいて、当日くじ引きで選ぶ、とかでもご立派な判決を言い渡すことは可能。
文言重視の判決書
・文言によれば○○
・この点、趣旨からすると××
・しかし××は文言から離れすぎ
・ので○○と解釈すべき
趣旨重視の判決書
・文言によれば○○
・しかし、趣旨からすると××
・○○だと結論がよろしくない
・ので××と解釈すべき
同じ材料使っても、全く逆の結論を導けてしまう。
これでは、《自分が採用したい結論が文言どおりなら文言解釈をとる、文言から出てこなければ趣旨解釈をとる》といったように、結論にあわせて融通無碍に使い分けがされているようにみえてしまう。
あるときは、「解釈の限界を超えている」とかいって文言解釈どまりにしておきながら、またあるときには、「文言はこうだが本来の意味はこっちだ」みたいに文言からでは導けない意味内容を趣旨から導き出したり。
こんな具合なゆえに、従来型の法解釈学はお気軽にディスられがち。
太田勝造「AI時代の法学入門 学際的アプローチ」(弘文堂2020)
事案が違う、といえばそのとおりではあるのですが、その使い分けをもたらす違いは一体何なのか。
税法分野でも「納税者の予測可能性の観点から、原則は文言解釈だが例外的に趣旨解釈」などと言われたりしますが、その原則と例外はどうやって使い分けるというのか。
文字通り「納税者が予測できるかどうか」で判定するのだとしたら、納税者には難しすぎるということで、大部分の租税法規は文言も趣旨も採用できずに解釈不能、となってしまうでしょうよ。
○
話はやや脱線しますが、法分野における「原則例外モデル」、私にはとても胡散臭くみえる。
というのも、「原則例外モデル」の実態をみるかぎり、《本来は「例外」のほうを前面に立たせたいが正面切ってそれを主張するのは憚られるため、身奇麗な「原則」を傀儡として表に立たせている》だけにみえるからです。
※ただし、近時は「要件書き込み」によって文言が趣旨の操り糸を断ち切りまくっているのは記事にしたとおり。
「要件書き込み」は趣旨解釈を駆逐する。〜小規模宅地等の特例を素材に
分かりやすい例で、契約の成立・効力を判定する際に「公序良俗」(信義則でも)をどこに位置づけるか、で考えてみましょう(通説的には効力要件なので、以下そういう書き方をします)。
通常の説明の仕方は、合意の一致からはじまって諸々検討した後に、例外的に公序良俗に違反していないかを検討するかのように書かれることが多いです。
が、公序良俗チェックは、こっそりバックグラウンドで粛々と実施されているのが実情。
表立って問題になることが少ないから、例外的に考慮しているように見えるだけで。
もし「契約の成立・効力判定フローチャート」を作るとしたら、最初のほうの分岐に位置づけるべきでしょう。
あれやこれや細かい要件を散々検討した後に、「公序良俗違反だから無効ね」とひっくり返すのでは無駄が多すぎますよね
ので、プログラム上は最初に組み込むのがスマート。
確かに現象としては例外則っぽくみえます。
が、実相は決してそうではなく、契約の「大前提」「土俵」「基礎条件」などとして位置づけるのが望ましいポジションどりでしょう。
(なお、これはあくまで実体法レベルの話であって、主張立証責任の分配とは別問題)
○
そうはいっても、公序良俗については単に置き場所の問題なので実害はあまりありません。
別に、公序良俗を表に出すことに後ろめたさがあるわけではない。
問題は、税法解釈において《文言解釈が原則、趣旨解釈は例外》と位置づけること。
最終的に文言通り解釈したからといって、最初から趣旨をガン無視して文言だけで突っ走っているわけではない。「文言どおり解釈するから安心してね」と言っておきながら、裏では密かに趣旨チェックを走らせているわけです。
「当社は○○の目的でしか個人情報を利用しません」と言っておきながら、あれやこれやの分析にデータ活用しているような話。
文言が原則だといいながら「常に」税法の趣旨チェックを行なっているのだとしたら、優越とまではいえないにしても、趣旨と文言を同格扱いしているということでしょう。
のに、いかにも文言重視なフリをするのは、それこそ「予測可能性」を害すること甚だしい。
だったら初めから、《文言と同時に趣旨も考慮するよ》と説明しておくべきでしょう。
○
これと同じ問題構造なのが「借用概念」。
こちらも、「原則は私法準拠だが例外的に税法独自に解釈する」などと「原則例外モデル」で説明がされます。
が、結果として私法準拠で解釈しているからといって、税法の趣旨を全く無視して結論を導いているわけではないです。
その場合でも税法の趣旨から問題がないかは、常にチェックがかかっている。
表向きは私法に従順なように見せかけておきながら、裏では「必ず」税法によるチェックをかけている。
だったら、初めから《税法の趣旨により解釈するが、私法解釈も税法の趣旨に反しないかぎり取り入れます》と説明すべきでしょう。
【借用概念イリュージョン】
金子宏・中里実「租税法と民法」(有斐閣2018)
○
では、文言解釈と趣旨解釈をどのように使い分けるべきなのか。
極めて断片的ですが、これまでの記事で書いてきたことからすると、たとえば次のような指針が考えられるのでは(ついでに借用概念も絡めてみます)。
・文言通りに理解し、文言から読み取れない場合に趣旨で充填する。
・趣旨で充填するにしても、個別の条文とそぐわない趣旨は持ち込まない。
(ダメな例:家なき子特例に出戻り保護、完全支配関係の適格要件に事業・従業者引継)
・明らかに私法準拠な法概念(親族など)は私法の理解に従う。
・それ以外の概念は税法の趣旨により解釈。私法解釈はあくまでも参照用として。
・どうしても文言に反する趣旨解釈(反制定法解釈)をせざるをえない場合は、徹底的に丁寧な説明をする。
もちろん、これに尽きるというものではないです。
ですし、これは絶対ルールではなく、文言/趣旨、私法/税法の使い分けの安定性・信頼性を高めるためのものです。法解釈の「本質」などというものでは、およそない。
表向きは「文言解釈が原則だから予測可能性あり」などと言っておきながら、アトランダムに趣旨解釈を混ぜ込ませるのではなく、文言解釈/趣旨解釈を一定のルールに従って運用することこそが法的安定性・予測可能性を高めることに繋がるはずです。
以上、タイトルには、煽り気味に「文言解釈 VS 趣旨解釈」などと書きましたが、決して対立概念ではなく、用法用量を守って正しく使い分けをしましょう、というのが本記事の結論。
【小規模宅地の特例(家なき子特例) 第三期三部作】
僕たちは!出戻り保護要件です!! 〜家なき子特例の趣旨探訪1
ぼくたちは出戻り保護ができない。 〜家なき子特例の趣旨探訪2
あの日見た特例の趣旨を僕達はまだ知らない。 〜家なき子特例の趣旨探訪3(完)
そこでは、同特例の趣旨が、どう頑張っても「出戻り保護」にはならないことまでは分かりました。
では一体何を保護しようとしているのか、というと結局分からずじまい。
それはともかく、これら記事の裏テーマたる《文言解釈 VS 趣旨解釈》、次にネタにするとしたら、例のTPR事件の最高裁判決が出されたときになる予定です。
横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)
以下は、いずれくるそのときまでの、《幕間》の地ならし・露払い記事です(不受理となったら泣く)。
○
上記高裁は趣旨(と彼らが思うもの)重視の解釈をとったわけですが、最高裁が趣旨をとるか文言をとるかは正直予測がつきにくい。
下記の最高裁が割と予測しやすかったのとは対照的。
解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決
こちらの事件は、高裁の文言解釈(という名の司法権放棄)がアレ(ストレンジ・エキセントリック・ビザール)すぎるのと、所得税法の当該文言がシンプルだったため、最高裁は趣旨解釈を採用したわけです。
他方で、TPR事件については、私自身は文言を重視すべきだと思うものの、正直どちらに転んでもおかしくない。
第三小法廷とは別の小法廷に係属したとして、「直近で趣旨解釈をとった判決があるから今回もそれにあわせる」みたいな判決がでる可能性も十分ありうる。
不正確なのは承知な上で、それぞれの解釈と結論を図式化すると、
最高裁令和2年3月24日判決
文言解釈 納税者有利 ←高裁
趣旨解釈 納税者不利 ←最高裁 《私見》
TPR事件
文言解釈 納税者有利 《私見》
趣旨解釈 納税者不利 ←高裁
となります。
文言解釈/趣旨解釈と当該納税者の有利/不利が連動しているようにみえますが、これはたまたま。
ですし、文言解釈なら予測可能性があって趣旨解釈は予測可能性がない、などということでもおよそないです。
通説的な見解は、あたかも文言解釈なら予測可能性があるかのような物言いをするのですが、「お前税法条文読んだこと無いのかよ」と言いたくなる。
【納税者の予測可能性(気のせい)】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)
むしろ趣旨から説明してもらったほうがすんなり理解できることが多い。
前者事件で最高裁が譲渡所得の趣旨から株式の時価の算定方法を導いているの、非常に説得力がありますよね。
(ので、複雑な要件によって居住保護・事業保護ではない何かを(も)保護しようとする「小規模宅地等の特例」、趣旨から各要件を説明できないのが相当に俗悪。)
○
この、どちらに転ぶか予測がつかない根本的な原因、文言解釈をとるのか趣旨解釈をとるのかの使い分けの《指針》が何も示されていないところにあります。
文言重視の判決書と趣旨重視の判決書を両方作成しておいて、当日くじ引きで選ぶ、とかでもご立派な判決を言い渡すことは可能。
文言重視の判決書
・文言によれば○○
・この点、趣旨からすると××
・しかし××は文言から離れすぎ
・ので○○と解釈すべき
趣旨重視の判決書
・文言によれば○○
・しかし、趣旨からすると××
・○○だと結論がよろしくない
・ので××と解釈すべき
同じ材料使っても、全く逆の結論を導けてしまう。
これでは、《自分が採用したい結論が文言どおりなら文言解釈をとる、文言から出てこなければ趣旨解釈をとる》といったように、結論にあわせて融通無碍に使い分けがされているようにみえてしまう。
あるときは、「解釈の限界を超えている」とかいって文言解釈どまりにしておきながら、またあるときには、「文言はこうだが本来の意味はこっちだ」みたいに文言からでは導けない意味内容を趣旨から導き出したり。
こんな具合なゆえに、従来型の法解釈学はお気軽にディスられがち。
太田勝造「AI時代の法学入門 学際的アプローチ」(弘文堂2020)
事案が違う、といえばそのとおりではあるのですが、その使い分けをもたらす違いは一体何なのか。
税法分野でも「納税者の予測可能性の観点から、原則は文言解釈だが例外的に趣旨解釈」などと言われたりしますが、その原則と例外はどうやって使い分けるというのか。
文字通り「納税者が予測できるかどうか」で判定するのだとしたら、納税者には難しすぎるということで、大部分の租税法規は文言も趣旨も採用できずに解釈不能、となってしまうでしょうよ。
○
話はやや脱線しますが、法分野における「原則例外モデル」、私にはとても胡散臭くみえる。
というのも、「原則例外モデル」の実態をみるかぎり、《本来は「例外」のほうを前面に立たせたいが正面切ってそれを主張するのは憚られるため、身奇麗な「原則」を傀儡として表に立たせている》だけにみえるからです。
※ただし、近時は「要件書き込み」によって文言が趣旨の操り糸を断ち切りまくっているのは記事にしたとおり。
「要件書き込み」は趣旨解釈を駆逐する。〜小規模宅地等の特例を素材に
分かりやすい例で、契約の成立・効力を判定する際に「公序良俗」(信義則でも)をどこに位置づけるか、で考えてみましょう(通説的には効力要件なので、以下そういう書き方をします)。
通常の説明の仕方は、合意の一致からはじまって諸々検討した後に、例外的に公序良俗に違反していないかを検討するかのように書かれることが多いです。
が、公序良俗チェックは、こっそりバックグラウンドで粛々と実施されているのが実情。
表立って問題になることが少ないから、例外的に考慮しているように見えるだけで。
もし「契約の成立・効力判定フローチャート」を作るとしたら、最初のほうの分岐に位置づけるべきでしょう。
あれやこれや細かい要件を散々検討した後に、「公序良俗違反だから無効ね」とひっくり返すのでは無駄が多すぎますよね
ので、プログラム上は最初に組み込むのがスマート。
確かに現象としては例外則っぽくみえます。
が、実相は決してそうではなく、契約の「大前提」「土俵」「基礎条件」などとして位置づけるのが望ましいポジションどりでしょう。
(なお、これはあくまで実体法レベルの話であって、主張立証責任の分配とは別問題)
○
そうはいっても、公序良俗については単に置き場所の問題なので実害はあまりありません。
別に、公序良俗を表に出すことに後ろめたさがあるわけではない。
問題は、税法解釈において《文言解釈が原則、趣旨解釈は例外》と位置づけること。
最終的に文言通り解釈したからといって、最初から趣旨をガン無視して文言だけで突っ走っているわけではない。「文言どおり解釈するから安心してね」と言っておきながら、裏では密かに趣旨チェックを走らせているわけです。
「当社は○○の目的でしか個人情報を利用しません」と言っておきながら、あれやこれやの分析にデータ活用しているような話。
文言が原則だといいながら「常に」税法の趣旨チェックを行なっているのだとしたら、優越とまではいえないにしても、趣旨と文言を同格扱いしているということでしょう。
のに、いかにも文言重視なフリをするのは、それこそ「予測可能性」を害すること甚だしい。
だったら初めから、《文言と同時に趣旨も考慮するよ》と説明しておくべきでしょう。
○
これと同じ問題構造なのが「借用概念」。
こちらも、「原則は私法準拠だが例外的に税法独自に解釈する」などと「原則例外モデル」で説明がされます。
が、結果として私法準拠で解釈しているからといって、税法の趣旨を全く無視して結論を導いているわけではないです。
その場合でも税法の趣旨から問題がないかは、常にチェックがかかっている。
表向きは私法に従順なように見せかけておきながら、裏では「必ず」税法によるチェックをかけている。
だったら、初めから《税法の趣旨により解釈するが、私法解釈も税法の趣旨に反しないかぎり取り入れます》と説明すべきでしょう。
【借用概念イリュージョン】
金子宏・中里実「租税法と民法」(有斐閣2018)
○
では、文言解釈と趣旨解釈をどのように使い分けるべきなのか。
極めて断片的ですが、これまでの記事で書いてきたことからすると、たとえば次のような指針が考えられるのでは(ついでに借用概念も絡めてみます)。
・文言通りに理解し、文言から読み取れない場合に趣旨で充填する。
・趣旨で充填するにしても、個別の条文とそぐわない趣旨は持ち込まない。
(ダメな例:家なき子特例に出戻り保護、完全支配関係の適格要件に事業・従業者引継)
・明らかに私法準拠な法概念(親族など)は私法の理解に従う。
・それ以外の概念は税法の趣旨により解釈。私法解釈はあくまでも参照用として。
・どうしても文言に反する趣旨解釈(反制定法解釈)をせざるをえない場合は、徹底的に丁寧な説明をする。
もちろん、これに尽きるというものではないです。
ですし、これは絶対ルールではなく、文言/趣旨、私法/税法の使い分けの安定性・信頼性を高めるためのものです。法解釈の「本質」などというものでは、およそない。
表向きは「文言解釈が原則だから予測可能性あり」などと言っておきながら、アトランダムに趣旨解釈を混ぜ込ませるのではなく、文言解釈/趣旨解釈を一定のルールに従って運用することこそが法的安定性・予測可能性を高めることに繋がるはずです。
以上、タイトルには、煽り気味に「文言解釈 VS 趣旨解釈」などと書きましたが、決して対立概念ではなく、用法用量を守って正しく使い分けをしましょう、というのが本記事の結論。
posted by ウロ at 11:59| Comment(0)
| 日常系税務リーガルマインド
2020年12月07日
あの日見た特例の趣旨を僕達はまだ知らない。 〜家なき子特例の趣旨探訪3(完)
前回までの記事で、「家なき子特例」の各要件から立法趣旨が抽出できるか、ということを検討してきました(真面目に表現するとそうなる)。
そういう個別要件のあれやこれやを検討しながらも、頭の中ではうっすら別のことを思い浮かべていました。
今回は、それを表に出して一連の記事のまとめとします。
【小規模宅地等の特例】
パラドキシカル同居 〜或いは税務シュレディンガーの○○
イタチ、巻き込み。 〜家なき子特例の平成30年改正
ヤバイ同居 〜続・家なき子特例の平成30年改正
関場修 山口暁弘「小規模宅地等の評価減の実務 第4版」(中央経済社2018)
タックスアンサーの中の譲歩と抵抗 〜小規模宅地等の特例を素材に
「要件書き込み」は趣旨解釈を駆逐する。〜小規模宅地等の特例を素材に
オーバーホール租税法・序論 〜小規模宅地等の特例を素材に
白井一馬「小規模宅地等の特例」(中央経済社2020)
僕たちは!出戻り保護要件です!! 〜家なき子特例の趣旨探訪1
ぼくたちは出戻り保護ができない。 〜家なき子特例の趣旨探訪2
【条文】
租税特別措置法69条の4
租税特別措置法施行令40条の2
【タックスアンサー】
No.4124 相続した事業の用や居住の用の宅地等の価額の特例(小規模宅地等の特例)
【家なき子の取得者要件】
(原則要件)
1 被相続人に配偶者・同居法定相続人がいない
2−1 相続前の3年間に
ア 自分と自分の配偶者
イ 三親等内の親族
ウ 特別の関係がある法人
の持ち家に住んでいない
2−2 相続開始時に住んでいる家を過去所有したことがない
3 相続から申告期限まで継続保有
(除外要件)
2−1 「相続開始直前に被相続人の居住の用に供されていた家屋」は除く
○
前回までで展開したこと、法における「趣旨解釈」と「要件書き込み」の相剋の一局面だったりします。
牧歌的な草食系の趣旨の世界を、脳筋な肉食系の要件書き込みが蹂躙するさま。
発生史的にどちらが先に発生したかは私には知見がありませんが、現状をみるかぎり、要件書き込みが「攻め」で趣旨が「受け」といってよいでしょう。
【法における攻めと受け】
小林秀之「破産から新民法がみえる」(日本評論社 2018)
私法の一般法とかいってふんぞり返っているわりに、隙だらけ。〜契約の成立と印紙税法
本特例でも、形式要件増し増しによって、もはや出戻り保護という趣旨が維持できていない。
美容整形を繰り返した結果クリーチャー化した、みたいな話。
○
さらに焦点を引いて話を壮大にすると、「自然法主義」と「法実証主義」という英霊同士の抗争を背後に観測することができます。
《法の本質》としてどちらが正しいか、などということは私には語り得ないところです。
が、少なくとも税法世界では「法実証主義」ベースに考えるべきなんでしょう。
それこそが、みんな大好き「租税法律主義」「租税法規の明確性」「納税者の予測可能性」に資するはずですよね。
「自然法」の出番があるとしても、あまりにも租税正義に反するといった極限的な場面にかぎられるでしょう。
立法担当者ちゃんが、みんなの予測可能性を高めてあげるために頑張って形式要件を集めてくれたのだから、今さら実質がよかったとか言わないであげて。
実質論を展開するのは、余った実質要件のところだけにしておきましょうね。
なお、税法とは違い「民法」では、かつては条文がゆるめで趣旨解釈の活動範囲が広めだった、のに、こちらも近時の改正により「要件書き込み系」が徐々に侵略しつつある、というのが私の見立て(大平原に着々と高層ビルが建設されていくイメージ)。
○
個別論点にはあまり触れたくないのですが、ちょっと気になるのでさわりだけ。
「実質論」を展開する余地がある箇所として問題となりうるのが、「所有」要件。
要件2−1、2−2、3にでてくるやつです。
要件3のほうは、遺産分割なりで相続していればいいんだろうな、と思います。
厄介なのが要件2−1と2−2。
「所有」と聞いて、我々がまず頭に思い浮かべるのは「登記」を持っている(登記名義人である)ことですよね。で、通常は所有権の所在と登記名義は一致するから特に問題はない。
問題はズレがあるとき。
【名義と実質がずれる例(アトランダム)】
・売った(買った)けど登記移転していない
・割賦、リース
・所有権留保
・仮登記担保
・譲渡担保
・信託の受託者と受益者
・匿名組合の営業者と組合員
これらの場合に、どちらが「所有」していることになるのか。
登記はあくまで「対抗要件」にすぎません。「国税庁に特例適用を対抗するために登記が必要」(対抗関係)などという関係は、ここでは存在しない。
ので、実質判定でよさそうなんですが、その実質とやらは上記例ではそれぞれどうなるのか。
ここでもし、要件2−1、2−2の趣旨が明確ならば「その趣旨からすればこういう基準で判定すべきだ」などと趣旨解釈できたのでしょう。
が、すでに検討したとおりこれら規定の趣旨は謎なまま。趣旨解釈を展開できるだけの中身がない。
○
こういう場面こそ、まさに通達に決め打ちしておいてもらいたいところ。
のに、通達の、かゆいところに手が届かない感がもどかしい。
法改正が頻繁すぎて、通達の目地埋めが追いついていないのでしょうか。
「いろんな同居」のcルールもそうですが、法令とのカップリングがうまく噛み合っていないように思える。
【古き良き、牧歌的な通達世界】
渡辺淑夫 通達のこころ (中央経済社2019)
上記書籍で展開されているような、法令と通達とのきれいな役割分担は、現代型税法のもとでもはや存続しえないのかもしれない。
同書は、過去制定の通達語りで一冊の読み物として完成されています。
他方で現代型税法では、法令側の規律領域が歪なせいで、通達の規律領域もその影響を受けて歪にならざるをえません。結果、今どきの通達を題材にしても読み物として面白みがなくなってしまう気がします。
再三掲載している「いろんな同居」ですが、そもそもの話として、法律・政令・通達を横並びのルールとして書けてしまうの、おかしいんですよね。
【いろんな同居】
a どの範囲で特例の適用を受けられるかを判定するときの同居
⇒一棟の建物で判定 (令40条の2第4項)
b 同居親族が適用を受けるために、同居しているかを判定するときの同居
⇒一棟の建物で判定 (法69条の4第3項2号イ)
c 家なき子が適用を受けるために、他の相続人が同居していないかを判定するときの同居
⇒独立部分で判定 (通達69の4-21)
d 家なき子が適用を受けるために、被相続人が居住していたかを判定するときの居住
⇒???
「法段階説」のピラミッドによる説明を想像してもらえればいいんですけど、本来の法律・政令・通達の関係は、法的効力において明確な優劣関係があって、自ずから規律レベルの棲み分けもきれいに分かれているはずでした。
のに、「いろんな同居」においては、abcが同じようなことを規律している。
まさしく、法令と通達が「ガチ同居」しちゃっている。「なんちゃって同居」ですらない。
同じような、といいましたが、通達が法令側に越権しているのではなく、法令が通達側にはみ出しているイメージ。通達は、法令の抜けているところを埋めてあげただけ(が、dが抜けたまま)。
法令のほうから、通達の住居に押しかけてきたと捉えてもらえれば結構です。
『おめえ、通達みてえな法令だな!』
括弧内の引用元を書かないでおいて、「どこに規定されているでしょうかクイズ」を出しても、全く見当がつかないでしょうね。
結論がわかったとして、なぜそこに規定されているのかの説明もできませんし。
レベルとしては「あだち充キャラクタークイズ」と同等の難易度(男主人公、女主人公、ふくよかな男友達、髭のおじさま、など)。
○
と、文言アゲ・趣旨サゲな煽り文を書きながらも、これはあくまでも「日常系税務」レベルでの話にとどまります。
例の東京高裁判決のようなものがあることからも分かるとおり、裁判所は時としてお作法無視の飛び道具的判決を出すことがあります(ただし上告受理申立中で正座待機中)。
横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)
【こちらは東京高裁判決破棄差戻例(納税者敗訴)】
解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決
ので、条文突き破った裁判チャレンジをかますことまでもを、否定するものではありません。
日常系税務と紛争系税務とでは、頭の使い方を切り替える必要があるということ。日常系のノリを紛争系に持ち込むべきではないし、その逆もまたしかり。
この点、税法学者や弁護士が《税理士向け》という謳い文句で書く「税法本」が、時として税理士に理解しがたいのは、紛争系のノリを日常系に持ち込もうするから。
税理士は通達大好きとか趣旨解釈が苦手とかリーガルマインドを知らないなどと煽られても、およそ卑下する必要はない。取り扱っている領域が違うだけで。
日常系の税理士にとってもっとも必要なのは、通達ベースの「税務本」です。小難しい法曹解釈お作法は、不要とまでは言わないが二の次。「分かっている」よりも「知っている」が先。
ただし、税務本の読み物としての超絶つまらなさは認める。特に表本。
【税務本における表と裏】
西村美智子 中島礼子「組織再編税制で誤りやすいケース35」(中央経済社2020)
ので、退屈しのぎに要件を標語化したり、シザーハンズなどと擬人化(人?)してみたりするのですが、それもあくまでも制度理解をするための補助デバイスにすぎません。寓話はあくまで寓話であって、必ずしも現実とは一致しない。
日常系税務で「趣旨」を活用するとしたら、未知の税制をお勉強する際に、(暗記ではなく)理解をするために使うものでしょう。
まかり間違って、それをもって税務署職員との「交渉」に臨んでも、大した武器にはならない。水中戦に剥き出しのアンパンマンを駆り出すようなものよ(なお、ガンダム(RX-78)はアムロが異能なだけの超例外)。
武器になるのは「書かれたもの」としての通達・国税庁のサイト、それから法令・裁決・判決。
趣旨は紛争モードに切り替えるまで、「お守り」として心の中にしっかりしまっておきましょう。
○
「趣旨からスタート」は、必ずしも納税者有利にだけ働くとは限りません。
上記最高裁のように、趣旨解釈によって納税者敗訴判決も出されることもあります。どちらかに有利などということはない。
そうすると、日常系税務においては『課税庁側が主張できるのは事前に通達で公表しているかぎりで、それ以上の書かれていない趣旨を課税の根拠として持ち出すことはできない』という制約を設けておくことにも意義がある。
それにより、納税者の予測可能性・法的安定性も高まりますし。で、お互い納得いかなければ、紛争系にフィールドを移行すればいいと。
日常系税務に趣旨を持ち込むことが許されるのは、日常を修羅道に貶める覚悟のある者だけよ。
○
なお、上記最高裁の事案、「文理解釈(高裁)対 趣旨解釈(最高裁)」という文脈で語られることがありますが、これは不正確。
最高裁判決のほうは譲渡所得課税の《趣旨》から解釈を導いているので、こちらはそのとおり。
他方で、高裁判決のほうは文理解釈を自称しているものの、およそそうではない。
高裁判決が文理解釈の対象としているのは通達であるし、文理解釈といいながら、とても文理からは出てこないような強引な解釈を展開しています。
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
宮崎裕子最高裁判事は、補足意見にて通達の出来の悪さを論難しています。
が、むしろ、高裁判決の無作法解釈を嗜めるべき。
通達のほうは、非法曹が作成するものであるし、課税庁としてのお立場上、純粋な法解釈論によれないこともあるでしょう。
どちらかといえば日常系税務で運用できることを主眼において作成しているものですし。
法解釈論としては多少怪しくても、大量の事案を捌いていくためには、ある程度の割り切りが必要になるものです。
それを法解釈の正しいお作法に従って是正をしていくのが司法の役割のはずです。
のに、この高裁判決のように、《通達を文理解釈する》などという判決を出すのは、「こいつ司法の役割を完全放棄しやがった」と言われても文句はいえないでしょうよ。
もちろん、「裁判官の独立」というお題目はあるわけですが、そもそも司法の役割を放棄しているんだから、保護すべき独立がそこにはないと思うんですけど。
本件で文理解釈の対象となるのは「その時における価額に相当する金額」です。こんな抽象的な物言いのおかげで、譲渡所得課税の趣旨直結の解釈を展開することができるわけです。
もし、法律レベルに時価評価についてのルールがあれこれ書き込まれていたとしたら、これら規定をガン無視した自由な趣旨解釈は展開しづらかったでしょう。
○
以上、「出戻り保護」を掴みとしながら、直接関係のないところまで記述を広げてきました。
私自身、家なき子特例については、過去にもいくつか記事を書いておきながら、実は腑に落ちていませんでした。
今回、出戻り保護を軸としてあらためて検討することで、「うん、これは腑に落ちなくていいやつだ。」ということが分かったのが収穫。
他方で、記述がふざけすぎていて数週間後には恥ずかしくなることが、予め見えている。
事前確定黒歴史(津軽海峡冬景色と同じ発音です)。
そういう個別要件のあれやこれやを検討しながらも、頭の中ではうっすら別のことを思い浮かべていました。
今回は、それを表に出して一連の記事のまとめとします。
【小規模宅地等の特例】
パラドキシカル同居 〜或いは税務シュレディンガーの○○
イタチ、巻き込み。 〜家なき子特例の平成30年改正
ヤバイ同居 〜続・家なき子特例の平成30年改正
関場修 山口暁弘「小規模宅地等の評価減の実務 第4版」(中央経済社2018)
タックスアンサーの中の譲歩と抵抗 〜小規模宅地等の特例を素材に
「要件書き込み」は趣旨解釈を駆逐する。〜小規模宅地等の特例を素材に
オーバーホール租税法・序論 〜小規模宅地等の特例を素材に
白井一馬「小規模宅地等の特例」(中央経済社2020)
僕たちは!出戻り保護要件です!! 〜家なき子特例の趣旨探訪1
ぼくたちは出戻り保護ができない。 〜家なき子特例の趣旨探訪2
【条文】
租税特別措置法69条の4
租税特別措置法施行令40条の2
【タックスアンサー】
No.4124 相続した事業の用や居住の用の宅地等の価額の特例(小規模宅地等の特例)
【家なき子の取得者要件】
(原則要件)
1 被相続人に配偶者・同居法定相続人がいない
2−1 相続前の3年間に
ア 自分と自分の配偶者
イ 三親等内の親族
ウ 特別の関係がある法人
の持ち家に住んでいない
2−2 相続開始時に住んでいる家を過去所有したことがない
3 相続から申告期限まで継続保有
(除外要件)
2−1 「相続開始直前に被相続人の居住の用に供されていた家屋」は除く
○
前回までで展開したこと、法における「趣旨解釈」と「要件書き込み」の相剋の一局面だったりします。
牧歌的な草食系の趣旨の世界を、脳筋な肉食系の要件書き込みが蹂躙するさま。
発生史的にどちらが先に発生したかは私には知見がありませんが、現状をみるかぎり、要件書き込みが「攻め」で趣旨が「受け」といってよいでしょう。
【法における攻めと受け】
小林秀之「破産から新民法がみえる」(日本評論社 2018)
私法の一般法とかいってふんぞり返っているわりに、隙だらけ。〜契約の成立と印紙税法
本特例でも、形式要件増し増しによって、もはや出戻り保護という趣旨が維持できていない。
美容整形を繰り返した結果クリーチャー化した、みたいな話。
○
さらに焦点を引いて話を壮大にすると、「自然法主義」と「法実証主義」という英霊同士の抗争を背後に観測することができます。
《法の本質》としてどちらが正しいか、などということは私には語り得ないところです。
が、少なくとも税法世界では「法実証主義」ベースに考えるべきなんでしょう。
それこそが、みんな大好き「租税法律主義」「租税法規の明確性」「納税者の予測可能性」に資するはずですよね。
「自然法」の出番があるとしても、あまりにも租税正義に反するといった極限的な場面にかぎられるでしょう。
立法担当者ちゃんが、みんなの予測可能性を高めてあげるために頑張って形式要件を集めてくれたのだから、今さら実質がよかったとか言わないであげて。
実質論を展開するのは、余った実質要件のところだけにしておきましょうね。
なお、税法とは違い「民法」では、かつては条文がゆるめで趣旨解釈の活動範囲が広めだった、のに、こちらも近時の改正により「要件書き込み系」が徐々に侵略しつつある、というのが私の見立て(大平原に着々と高層ビルが建設されていくイメージ)。
○
個別論点にはあまり触れたくないのですが、ちょっと気になるのでさわりだけ。
「実質論」を展開する余地がある箇所として問題となりうるのが、「所有」要件。
要件2−1、2−2、3にでてくるやつです。
要件3のほうは、遺産分割なりで相続していればいいんだろうな、と思います。
厄介なのが要件2−1と2−2。
「所有」と聞いて、我々がまず頭に思い浮かべるのは「登記」を持っている(登記名義人である)ことですよね。で、通常は所有権の所在と登記名義は一致するから特に問題はない。
問題はズレがあるとき。
【名義と実質がずれる例(アトランダム)】
・売った(買った)けど登記移転していない
・割賦、リース
・所有権留保
・仮登記担保
・譲渡担保
・信託の受託者と受益者
・匿名組合の営業者と組合員
これらの場合に、どちらが「所有」していることになるのか。
登記はあくまで「対抗要件」にすぎません。「国税庁に特例適用を対抗するために登記が必要」(対抗関係)などという関係は、ここでは存在しない。
ので、実質判定でよさそうなんですが、その実質とやらは上記例ではそれぞれどうなるのか。
ここでもし、要件2−1、2−2の趣旨が明確ならば「その趣旨からすればこういう基準で判定すべきだ」などと趣旨解釈できたのでしょう。
が、すでに検討したとおりこれら規定の趣旨は謎なまま。趣旨解釈を展開できるだけの中身がない。
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こういう場面こそ、まさに通達に決め打ちしておいてもらいたいところ。
のに、通達の、かゆいところに手が届かない感がもどかしい。
法改正が頻繁すぎて、通達の目地埋めが追いついていないのでしょうか。
「いろんな同居」のcルールもそうですが、法令とのカップリングがうまく噛み合っていないように思える。
【古き良き、牧歌的な通達世界】
渡辺淑夫 通達のこころ (中央経済社2019)
上記書籍で展開されているような、法令と通達とのきれいな役割分担は、現代型税法のもとでもはや存続しえないのかもしれない。
同書は、過去制定の通達語りで一冊の読み物として完成されています。
他方で現代型税法では、法令側の規律領域が歪なせいで、通達の規律領域もその影響を受けて歪にならざるをえません。結果、今どきの通達を題材にしても読み物として面白みがなくなってしまう気がします。
再三掲載している「いろんな同居」ですが、そもそもの話として、法律・政令・通達を横並びのルールとして書けてしまうの、おかしいんですよね。
【いろんな同居】
a どの範囲で特例の適用を受けられるかを判定するときの同居
⇒一棟の建物で判定 (令40条の2第4項)
b 同居親族が適用を受けるために、同居しているかを判定するときの同居
⇒一棟の建物で判定 (法69条の4第3項2号イ)
c 家なき子が適用を受けるために、他の相続人が同居していないかを判定するときの同居
⇒独立部分で判定 (通達69の4-21)
d 家なき子が適用を受けるために、被相続人が居住していたかを判定するときの居住
⇒???
「法段階説」のピラミッドによる説明を想像してもらえればいいんですけど、本来の法律・政令・通達の関係は、法的効力において明確な優劣関係があって、自ずから規律レベルの棲み分けもきれいに分かれているはずでした。
のに、「いろんな同居」においては、abcが同じようなことを規律している。
まさしく、法令と通達が「ガチ同居」しちゃっている。「なんちゃって同居」ですらない。
同じような、といいましたが、通達が法令側に越権しているのではなく、法令が通達側にはみ出しているイメージ。通達は、法令の抜けているところを埋めてあげただけ(が、dが抜けたまま)。
法令のほうから、通達の住居に押しかけてきたと捉えてもらえれば結構です。
『おめえ、通達みてえな法令だな!』
括弧内の引用元を書かないでおいて、「どこに規定されているでしょうかクイズ」を出しても、全く見当がつかないでしょうね。
結論がわかったとして、なぜそこに規定されているのかの説明もできませんし。
レベルとしては「あだち充キャラクタークイズ」と同等の難易度(男主人公、女主人公、ふくよかな男友達、髭のおじさま、など)。
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と、文言アゲ・趣旨サゲな煽り文を書きながらも、これはあくまでも「日常系税務」レベルでの話にとどまります。
例の東京高裁判決のようなものがあることからも分かるとおり、裁判所は時としてお作法無視の飛び道具的判決を出すことがあります(ただし上告受理申立中で正座待機中)。
横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)
【こちらは東京高裁判決破棄差戻例(納税者敗訴)】
解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決
ので、条文突き破った裁判チャレンジをかますことまでもを、否定するものではありません。
日常系税務と紛争系税務とでは、頭の使い方を切り替える必要があるということ。日常系のノリを紛争系に持ち込むべきではないし、その逆もまたしかり。
この点、税法学者や弁護士が《税理士向け》という謳い文句で書く「税法本」が、時として税理士に理解しがたいのは、紛争系のノリを日常系に持ち込もうするから。
税理士は通達大好きとか趣旨解釈が苦手とかリーガルマインドを知らないなどと煽られても、およそ卑下する必要はない。取り扱っている領域が違うだけで。
日常系の税理士にとってもっとも必要なのは、通達ベースの「税務本」です。小難しい法曹解釈お作法は、不要とまでは言わないが二の次。「分かっている」よりも「知っている」が先。
ただし、税務本の読み物としての超絶つまらなさは認める。特に表本。
【税務本における表と裏】
西村美智子 中島礼子「組織再編税制で誤りやすいケース35」(中央経済社2020)
ので、退屈しのぎに要件を標語化したり、シザーハンズなどと擬人化(人?)してみたりするのですが、それもあくまでも制度理解をするための補助デバイスにすぎません。寓話はあくまで寓話であって、必ずしも現実とは一致しない。
日常系税務で「趣旨」を活用するとしたら、未知の税制をお勉強する際に、(暗記ではなく)理解をするために使うものでしょう。
まかり間違って、それをもって税務署職員との「交渉」に臨んでも、大した武器にはならない。水中戦に剥き出しのアンパンマンを駆り出すようなものよ(なお、ガンダム(RX-78)はアムロが異能なだけの超例外)。
武器になるのは「書かれたもの」としての通達・国税庁のサイト、それから法令・裁決・判決。
趣旨は紛争モードに切り替えるまで、「お守り」として心の中にしっかりしまっておきましょう。
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「趣旨からスタート」は、必ずしも納税者有利にだけ働くとは限りません。
上記最高裁のように、趣旨解釈によって納税者敗訴判決も出されることもあります。どちらかに有利などということはない。
そうすると、日常系税務においては『課税庁側が主張できるのは事前に通達で公表しているかぎりで、それ以上の書かれていない趣旨を課税の根拠として持ち出すことはできない』という制約を設けておくことにも意義がある。
それにより、納税者の予測可能性・法的安定性も高まりますし。で、お互い納得いかなければ、紛争系にフィールドを移行すればいいと。
日常系税務に趣旨を持ち込むことが許されるのは、日常を修羅道に貶める覚悟のある者だけよ。
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なお、上記最高裁の事案、「文理解釈(高裁)対 趣旨解釈(最高裁)」という文脈で語られることがありますが、これは不正確。
最高裁判決のほうは譲渡所得課税の《趣旨》から解釈を導いているので、こちらはそのとおり。
他方で、高裁判決のほうは文理解釈を自称しているものの、およそそうではない。
高裁判決が文理解釈の対象としているのは通達であるし、文理解釈といいながら、とても文理からは出てこないような強引な解釈を展開しています。
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
宮崎裕子最高裁判事は、補足意見にて通達の出来の悪さを論難しています。
が、むしろ、高裁判決の無作法解釈を嗜めるべき。
通達のほうは、非法曹が作成するものであるし、課税庁としてのお立場上、純粋な法解釈論によれないこともあるでしょう。
どちらかといえば日常系税務で運用できることを主眼において作成しているものですし。
法解釈論としては多少怪しくても、大量の事案を捌いていくためには、ある程度の割り切りが必要になるものです。
それを法解釈の正しいお作法に従って是正をしていくのが司法の役割のはずです。
のに、この高裁判決のように、《通達を文理解釈する》などという判決を出すのは、「こいつ司法の役割を完全放棄しやがった」と言われても文句はいえないでしょうよ。
もちろん、「裁判官の独立」というお題目はあるわけですが、そもそも司法の役割を放棄しているんだから、保護すべき独立がそこにはないと思うんですけど。
本件で文理解釈の対象となるのは「その時における価額に相当する金額」です。こんな抽象的な物言いのおかげで、譲渡所得課税の趣旨直結の解釈を展開することができるわけです。
もし、法律レベルに時価評価についてのルールがあれこれ書き込まれていたとしたら、これら規定をガン無視した自由な趣旨解釈は展開しづらかったでしょう。
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以上、「出戻り保護」を掴みとしながら、直接関係のないところまで記述を広げてきました。
私自身、家なき子特例については、過去にもいくつか記事を書いておきながら、実は腑に落ちていませんでした。
今回、出戻り保護を軸としてあらためて検討することで、「うん、これは腑に落ちなくていいやつだ。」ということが分かったのが収穫。
他方で、記述がふざけすぎていて数週間後には恥ずかしくなることが、予め見えている。
事前確定黒歴史(津軽海峡冬景色と同じ発音です)。
タグ:小規模宅地等の特例
posted by ウロ at 11:11| Comment(0)
| 相続税法