2021年01月31日

原田尚彦「行政法要論(全訂第七版補訂二版)」(学陽書房2012)

 いまだに口の中がジャリジャリしている気がする。

高木光「行政法」(有斐閣2015)

 ということで、原田尚彦先生の教科書を読むことにしました。



原田尚彦「行政法要論 全訂第七版補訂二版」(学陽書房2012)

 最新版は2012年出版の「全訂第七版補訂二版」。
 最新の情報を追う、という点ではちょっと厳しい。

 が、この本はそういう使い方をするものではなく。


 ・横書きじゃないし
 ・ですます調でもないし
 ・具体例が豊富なわけでもないし
 ・二色刷りでもないし
 ・図表の類も(ほぼ)ないし

と今どきの工夫を凝らした教科書と対比すると、極めてオーソドックスな部類。

 なんですが、極めて洗練された文章で、非常に読みやすい。
 本当の意味で「初学者でも自然に読み進める」文章です。

 これと同じ印象を受けたのが、林屋礼二先生の民事訴訟法の教科書。



 林屋礼二「新民事訴訟法概要(第2版)」(有斐閣2004)

 こちらも、ひたすら文章が並んでいるだけですが、非常に理解がしやすい(残念ながら、品切れ→オンデマンドで高額化)。


 ものごとを理解する過程には、いろんなアプローチがあるとは思います。
 が、法学の場合、日本語の文章による説得というのが最終的に必要となります。

 その到達点が最高裁の判決文。
 もちろん、最高裁判決が常に説得的であることを意味するものではありません。

【他方で「数理」による税法理解】
浅妻章如「ホームラン・ボールを拾って売ったら二回課税されるのか」(中央経済社2020)

 ということで、本書のような、文章(のみ)による丁寧な説明がされた本を読むことが、法学トレーニングには必須だと思います。


 具体例が豊富というわけでもないのに、理解がしやすかったのはなぜかと思ったんですが。
 たぶん、以下のようなところにあるのではないかと。

 すでに他の行政法の教科書を読んでいて、ある程度の知識が備わっている、というのもあるとは思います。
 が、それだけではなく。

 抽象的な記述の場合、抽象的なまま理解するか、自分の知識・経験でイメージできるものに置き換えるかすると思います(「1+1」からそのまま2を導くか、リンゴに置き換えてイメージするか)。

 他方で、具体的な記述ならすんなり理解できるかというと、そうとは限らず。
 やたらと具体的な記述であっても、自分の中でイメージができないものについては、やはり理解が追いつかない。

 よくあるのが、「判例は事案との関係で理解する必要がある!」とかイキって、裁判所の認定した事実をペチペチ長々と貼り付けている系の判例解説もの。
 が、事実を延々と引用してみても、それは裁判所が判示に必要だとして認定したものにすぎません。

 確かに、「判例の射程が及ぶ・及ばない」を検討する際には、(表向きは)裁判所の認定事実から見極める必要があります。
 が、初学者が当該判決を理解するという段階においては、そのような事実だけ貼り付けられても、まあ理解できないのがほとんど。

 会社法判例なんかが特にそうで、裁判所が認定した事実だけをベタベタ貼り付けたところで、まともに理解できるものではないと思います。

 大垣尚司先生の教科書の記事を書いていて思ったのが、会社法の知識だけがあっても、会社法(判例)を理解するのは困難だということ。

大垣尚司「金融から学ぶ会社法入門」(勁草書房2017)

 会社法以外の法律知識が必要なのは当然として、なぜそんな争いがおきるのか、とか、なぜそういう争い方をするのか、といったことが分からなければ、やはりその判決を理解するのは難しいと思います。
 そして、それは裁判所の認定事実の中に、必ずしも表立って現れるものではない。

 ので、当初の学習段階では、下手に生の判例から始めるのではなく、そういった背景事情もイメージしやすいモデルケースから勉強したほうがいいと思います。

 学生さんが法学の勉強を始めるなら、イメージがしやすい領域から足を踏み入れるのがいいはずです。
 せっかくそういった領域を扱っているのに、全然活かしきれていない本もあったりしますけども。

内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)


 例によって話が盛大にずれたので、少しだけ本書に戻ります。

 私人と行政の関係を「侵害排除請求権」「受給請求権」「行政介入請求権」といった権利義務で説明するのは、初学者にとっては理解しやすいと思います。

 もちろん、権利義務のみによって全ての関係性を説明しきれるとしたり、これら権利義務から何かしらの解釈論を導くというのであれば、それは正しくないのでしょう。

 が、典型的な関係性を理解するための説明概念・思考モデルとしては、有用だろうなと。

 私法理論を生のまま行政法に持ち込むのは問題だとしても、民法でいう「私人と私人の権利義務関係」の応用から学習をスタートさせるの、学習法としてはいいと思う。
 いきなり私人と行政の混沌とした法関係に飛び込んでいくのではなく。

 その上で、そこから崩しをいれていくと(守破離)。
posted by ウロ at 17:25| Comment(0) | 行政法

2021年01月25日

高木光「行政法」(有斐閣2015)

 これほどの、砂を噛むような記述に出くわしたのは久しぶり。

 しじみ・あさりのジャリジャリだって、最近は当たらずに済んでいたのに。
 どんなに砂を抜いても、自分だけ当たりがち。
 あと、自分だけ傘、風に飛ばされがち。



高木光「行政法」(有斐閣2015)

 このところ私が、難解・難渋な書籍を避けていた、というだけかもしれません。
 それなりに読書経験を積んできたことで、難渋回避センサーが自動発動していたと。

 今様の税法条文を素読するよりもしんどかったというのが実感。
 今どきは、各自工夫をこらした教科書が執筆されているので、逆に希少種といえなくもない。

 最初に《設例》が掲げられていたので、それを軸に具体的な記述が展開されるかと思いきや。
 ときどき思い出したかのように、設例のあてはめがでてくる以外は、延々と抽象的な記述が続く。

 てっきり、米倉明先生の民法入門書的なコンセプトかと期待したものの、およそそうではなく。

米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)

 判例の説明も、事案の記述が薄くて意味が取りにくい。
 学生がこんなレジュメ作ったら、「判例を一般化しがち」と怒られる感じの。

判例の機能的考察(タイトル倒れ)


 もちろん、学術的にはとてもとても高度なことが書かれているのだと思います。

 確かに、お紅茶も用意せずに『濃厚バームクーヘン』をひたすら食べまくっておきながら、「口の中の水分全部もってかれるわボケ!」とクレーム(バームクレーム)をいうとしたら、それはお門違いだと私も思います。
 お前がクーちゃんのこと知らないだけだろうと。

 が、見てくださいよ、amazon記載の宣伝文句。

 わかりやすい行政法教科書の決定版!
 行政法をわかりやすく学ぶ人へ最適のテキスト。初学者でも自然に読み進めることができるよう,基本的な事項を中心に説明。行政救済法を中心に,行政組織法と行政作用法の関連事項にしぼることでメリハリをつけた叙述に成功!

 新しい大地を切り開く基本書の決定版!読みやすいUNIT構成で基本的な事項を分かりやすく解説。行政救済法を中心に、行政組織法と行政作用法の関連事項にしぼることでメリハリをつけた叙述に成功!


 「お紅茶もこちらでご用意しますからお気軽に手ぶらで来てくださいね」ということを言ってますよね、これ。
 むやみやたらとエクスクラメーションマークまでつけちゃってさ。

 これが美辞麗句・社交辞令だとも気づかず、真に受けてお土産も持たずにお伺いした私が世間知らずなだけですか。

【期待だけが高まる宣伝文句といえば】
税法思考が身につく、理想の教科書を求めて 〜終わりなき旅

 およそ「初学者でも自然に読み進める」なんてことはなかったです。

 最初の数ページでしんどくなったものの、この宣伝文句を心から信頼し、もしかしたらどこかから急に面白くなるのかも、と期待してどうにか読みました。
 が、最初から最後まで同じ調子の。

 この宣伝文句を書いた人、ガワだけ眺めて中身をしっかり読んでいないんじゃないですかね。
 制作・編集部門とは別個独立した、宣伝文句クリエイション部門があるんですかね。
 クリエイション部からの御宣託(The Oracle)があると、誰もそれに異を唱えることができない。

 そうとでも言わなければ、ここまでのズレ文を書くのは逆に難しいと思いますよ。
 高木先生ご自身にも失礼なような。

【流れ弾】


 これを「つらい」と言っちゃうのもどうかと思いますが。
 「売らんがな」とのせめぎ合い、ということですか。


 当ブログでは、どんなにアレな本であっても、どうにかネタとして昇華してきました。
 むしろ、ありがとうアクティブ・ラーニング系。逆に、自分で考えながら勉強することができました。

【アクティブ・ラーニング系】
後藤巻則「契約法講義 第4版」(弘文堂2017)
三木義一「よくわかる税法入門 第15版」(有斐閣2020)
小林秀之「破産から新民法がみえる」(日本評論社 2018)
アクティブ・ラーニング租税法【実践編】(実税民まとめ)

 が、今回は無理。バームクーヘンまでが限界。

 一点プラスの評価をするとしたら、カバーデザインが素敵です(本当のガワ)。


 念のため、誤解のないように。

 本書の内容を分かりやすくしろ、などというおこがましい意見は一切主張しておりません。
 ではなくて、内容に即した宣伝文句にしろ、ということを言っております。

 素朴に考えるならば、宣伝文句で釣っても継続的な信頼は得られないのだから、盛る意味ないのでは、となるはず。
 やはり、大学の講義の「指定教科書」としてもらうことが重要であって、個々の購読者の信頼は二の次、ましてやネットで購入する野良ユーザーの信頼なんかゴミクズだと思われているんですかね。

法学研究書考 〜部門別損益分析論


 このように心がかき乱されたときは、お口直し・調子を整える用の入門書を読み直します。



藤田宙靖「行政法入門 第7版」(有斐閣2016)

 ガンシューティングゲームでリロードする、あるいは、リングフィットアドベンチャーでリングコンを下に向ける、的な所作だと理解していただければ。



リングフィット アドベンチャー(Nintendo2019)
※いわゆる定価(8,778円)以上でご購入されないように。


 昔から不思議でたまらないのが、後発の教科書ほど優れたものになるはずだ、という《素朴な》進化論的発想が、法学教科書には通用しないということ。
 単線的な進化をしない、とても現実の生物界っぽいですね。
 
 しかし、後出しジャンケンで負けるってなんなのよ。
 首が短いと高いところの木の葉が食べられない、よーしじゃあ首を長くしよう、が教科書ならできるはずですよね。

 とはいえ、これもあくまで宣伝文句どおりの書物ならば、という前提があっての難癖です。
 そもそも学生にわかりやすい教科書なんか目指していないよ、というならば、それはそれで構わないわけです。宣伝文句で盛らないかぎりは。

 今どきは「試し読み」できるものもあるので、「宣伝文句騙され」は減ってきているのでしょうが、まだまだ根絶には至りません。
posted by ウロ at 11:20| Comment(0) | 行政法

2021年01月18日

橋爪隆「刑法総論の悩みどころ」(有斐閣2020)

 分析が鋭利すぎて、刑法学の見えちゃいけない部分が見えちゃっている。



橋爪隆「刑法総論の悩みどころ」(有斐閣2020)


 たとえば、因果関係に関する次のような記述(11頁)。

そもそも危険の現実化が因果関係の判断基準とされるのはいかなる根拠に基づくものだろうか。条件関係が認められても、危険の現実化の関係が欠ける場合に結果帰責を否定すべきなのはなぜだろうか。

この問題に対して理論的に回答することは実は困難であり、実行行為が結果発生の具体的危険性を有する行為である以上、その危険性が具体的結果として現実化した場合に限って、結果帰責を肯定するのが妥当であるという形式的な説明にとどまらざるを得ない。ここでは理論的な限定というよりも、いかなる範囲まで処罰することが刑罰権の行使として適切かという刑事政策的な観点が重視されている。(略)

いかなる範囲までの結果惹起を行為者の「しわざ」として帰責するのが妥当かという社会通念に照らした合理的な価値判断が必要であろう。それだからこそ、因果関係論においては、安定した判断構造を担保するために、具体的な判断基準を明確化する要請が強いといえる。


 理論的な根拠付けは困難だそうで。
 にもかかわらず、学説上はこぞって「危険の現実化」説にのっかってしまっている現状。

 『構成要件は違法有責類型だから折衷的相当因果関係説が妥当』
 『行為は主観と客観の統一体であるから折衷的相当因果関係説が妥当』

 こんな感じの、本質論めいた根拠付けをしていたかつての学説は、一体なんだったというのでしょうか?
 そしてそんな議論に真面目に付き合わされていた、当時の学習者の労苦よ。

 なお、ふたつとも折衷説の記述であることに悪気はなく、下記書籍であげつらわれていたものの引用です(責任転嫁)。

【参照】
松澤伸「機能主義刑法学の理論―デンマーク刑法学の思想」(信山社2001)


 で、本書では実際に、「危険の現実化」をどのような要素を拾ってどのように判断するか、という「下位基準」の開発に記述が割かれています。
 危険の現実化という定式には異を唱えることなく、妥当な結論を導ける下位基準群を提示する、という開発競争が学説のメインストリームになっているようで。

 「妥当な」というのも、処罰すべき/すべきでない、という感覚が先にあって、それら感覚的な結論を整合的に導けるか、というものにすぎないように思われます。
 そしてその下位基準が「危険の現実化」という標語・コトバから離れていなければ、どのようなものであっても特に理論的な制約はないのでしょうし。

 あとは最高裁様に、つまみ食い的にでも採用していただくだけ。

 「感覚的」というのが言い過ぎだとすれば「刑事政策的」に言い換えても構いません。
 が、何かしらのデータに基づく主張でもないので、「刑事政策的に処罰すべき」と「感覚的に処罰すべき」は互換性が保証済み。

 そもそも、「危険の現実化」によってどのような政策目標を達成すべきかが特定されていないのならば、いかなるデータを収集すべきかも決めようがありません。
 たとえば、「特別予防」を目的とするならば、過去に有罪認定された者がどのような影響を受けたかのデータを収集すべき、となりますし、他方で「一般予防」を目的とするならば、処罰/不処罰によって一般人にどのような影響を与えたかのデータを収集すべき、といったように。

 本来ならば「処罰目的論」のところで、刑法がいかなる政策目標を達成すべきかを決め打ちしなければならないはず。のに、特別予防・一般予防・応報などがああでもないこうでもないと列挙されるものの、結局どれでいくのかはっきりさせない教科書がほとんど。
 ので、個別論点において「処罰すべき/すべきでない」といったところで、なぜそのような結論をとるべきなのか、「ぼくが、そうするべきだと思ったから。」以上の根拠を示すことができない。

 「危険の現実化」のような理論的な根拠が弱いものを基準とするならなおさら、理論面からも根拠付けすることができなくなるわけです。危険の現実化のお膝元でどれだけ精緻な下位基準を並べたところで、大元の根拠が弱いことに変わりはない。
 結局のところ、「みんな」が納得する結論を導けるかどうか、でしか決めようがなくなる。

 ここまでいくと、理論派の人には敬遠されがちですが、前田雅英先生がいうところの「国民の規範意識」とかいう例のアレと同じですよね。
 どのような事実的連関があれば結果を行為に帰責してもよいと「国民が思うか」とか、行為者にどのような認識があれば故意責任を帰責してよいと「国民が思うか」で、犯罪要素の中身を決定するという(学生時代に読んだきりでうろ覚えなので、前田説そのものではなく「モデル論」としてご理解ください)。



前田雅英「刑法総論講義 第7版」(東京大学出版会2019)


 と、刑法学者がこぞって下位基準の開発競争に興じているのが現状のようですが、そもそもこれって「実体法」レベルの問題なんですかね?
 危険の現実化という実体法レベルの要証事実を判断するための「間接事実」の問題にすぎないのではないのかと。
 これはもはや「事実認定論」の領域。

 もしそうなのだとしたら、これまでの実体法と地続きで議論するのではなく、ちゃんと正面から「事実認定論」の成果を取り入れた形で論じてほしいところ。


 ちなみに、上述した前田雅英先生の見解のところでふれた「国民が思うか」という鉤括弧の中身について。

 こんなもんどうやって判断するんだよ、と思うところですが、前田先生は、これまでの裁判官の判断は信頼できる、として裁判官の判断に全面的に委ねているようにみえます(私の誤読がなければの話)。

 このことを正面から反映して記述するならば、

  どのような事実的連関があれば結果を行為に帰責してよいと『「国民が思う」と裁判官が思うか』

という入れ子な感じになるのではないかと思います。

 裁判の都度、実際に「国民」の人たちに、裁判記録一式を持参してご感想を聞いて回ることなどできるわけもなく。
 結局のところ、裁判官が「国民がどう思うか」を判断することになるので、こういう入れ子構造になる。

 なお、「裁判員裁判」もありますが、裁判員は国民の極々一部の人にすぎないので、ここでは裁判官側に組み入れられる(吸収される?)ものなのでしょう(さらに裁判の民主化なるものを先鋭化していくと、「インターネット裁判」という構想に向かうのでしょうか)。

 どれだけ純客観的な見解であっても、結局のところ「裁判官が思うか」で判断されることに変わりはありません(ここが「AI裁判官」に代替されれば別の議論になります)。
 前田説の特色は、そのことを実体法の議論に正面から持ち出したということと、「(国民が)思う×(裁判官が)思う」の重ねがけになっているというところ。

 危険の現実化という規範風のものに理論的な根拠がないとしても、「危険の現実化」というコトバの範囲に含まれるか、という程度の枠としては機能しています。
 他方で「国民の規範意識」というコトバには何の手がかりもない。ハードケースに対して裁判官が「これが国民の規範意識だ」と判断したとして、なにがしかの検証を行うことは不可能。

 「自分には妖精がみえる」というのと同等の、検証不能案件。
 我々が見えていないだけで本人には本当に見えているのかもしれません。だとしても、それは本人にしか分からない。

 なお、他人事みたいな顔しているかもしれませんが、不能犯のところの「具体的危険説」なども、妖精案件だと私は思っています。
 「一般人が危険と感じる」って、どうやって実証するんですか、と。これも全面的に裁判官が「一般人ならこう思う」と思うところにおまかせするしかない。

井田良「講義刑法学・総論 第2版」(有斐閣2018)

 「国民」も「一般人」も、概念としては存在するものの、観測しようとすると存在していないことになる。
 例の量子論の世界でしょうか。

パラドキシカル同居 〜或いは税務シュレディンガーの○○

 本来はここに「理論」を導入することで白黒つけるべきなのでしょう。が、現状はその「理論」が不在という状況。


 話を戻して、私が思うに「危険の現実化」などという定式は、学説が「つかえる」因果関係論を提示できなかったことから産み出された暫定基準のようにみえます。
 さしあたり特定の処罰目的論を前提とすることなく、妥当な結論を柔軟に導くことができる実務家の知恵のようなもの。

 のに、学説までもがこぞって最高裁の下請け作業に明け暮れているのだとしたら、とても違和感があります。
 学説がやるべき本来の仕事は、裁判所が暫定基準でしのいでいる間に、「つかえる」因果関係論を確立することではないのでしょうか。
 もちろん、さしあたりの下位基準の開発作業も進めつつでもいいのですが、それは決して本業ではない。


 「因果関係論」で代表させましたが、以降の論点も総じて、下位基準による判断手法の精緻化が志向されています。
 グランドセオリーについても一応議論のご紹介はあるものの、かつてほど重きは置かれておらず、主戦場は下位基準レベルの議論。
 おかげさまで、どういう立場の人が読んでも参考になってしまう(いい事ですね)。

 もし仮に、因果関係論が「危険の現実化」という看板からすげかわったとしても、下位基準そのものはどうとでも流用可能なもの。
 従前の相当因果関係説で議論されていた事柄のうち、純理論的な対立を除いた部分を危険の現実化に流用できるのと同じ。無残にも破壊され尽くされた相当因果関係説の残骸から、使えるパーツを取り出して危険の現実化に組み込むイメージです。

 規範の論証薄めであてはめ重厚な、今様の模範答案を書くには最適な参考書だと思います。


 以上、刑法解釈論を、ガチではなく「お勉強」「頭の体操」として嗜んでいた身からすると寂しい限りですが、実務寄り添い系な今どきの傾向からすれば、当然の流れなのでしょうね。

 一応未来予測をしておくと、藤木英雄先生級の超天才が現れて、ちゃんと理論的基礎を備えた因果関係理論を定立してくれるのではないか、と期待しております。
 前田説がガチガチの刑法理論を溶かしっぱなしにしたものを、しっかり組み立て直してくれる感じの。

藤木英雄「公害犯罪」(東京大学出版会1975)
posted by ウロ at 11:50| Comment(0) | 刑法

2021年01月11日

森田果「法学を学ぶのはなぜ?」(有斐閣2020)

 むしろなぜ、このような法学入門書が今まで出版されてこなかったのか。



森田果「法学を学ぶのはなぜ?」(有斐閣2020)

 なにが「むしろ」なのかといえば、法の「機能」に絞った記述がなされた法学入門書というのが、なぜ今までに出版されていなかったのか、ということです。
 大家の総決算系は別として、ほとんどの法学入門書が「知識陳列系」でした。

【総決算系】



団藤重光「法学の基礎 第2版」(有斐閣2007)
三ケ月章「法学入門」(弘文堂1982)
星野英一「法学入門」(有斐閣2010)
田中成明「法学入門 新版」(有斐閣2016)
五十嵐清「法学入門 第4版 新装版」(日本評論社2017)


 全くの前提知識や社会経験がない人を法学に誘おうと思ったら、本書のように徹底して法の機能面を重視した記述することになるはずなのですが。
 知識の陳列は、入門したあとの個別の実定法ごとにやればいいわけで。

 やはり「法学入門」という名前で出版されている大部分の書籍が、法学部以外の学部で実施されている『法学』という名前の講義用のテキストだから、なんですかね。


 今までですと、オススメの法学入門書を尋ねられても、それぞれの勉強目的を確認してからでないとお答えしづらいところでした。
 これからは、とりあえずこれを読め、ということにします。

 総決算系のように「分からない箇所があったら一通り勉強してから再読しましょう」といった注意をすることなく、「前から順番に理解しながら読んでいきなさい」ということができますし。

 なお、森田果先生といえば、下記記事でも「機能」重視の書籍を紹介していますね。

小塚荘一郎,森田果『支払決済法 第3版』(商事法務2018)


 ところで、異様に《胴ロング男子》な表紙イラストはどういう意図なのか。
 アマゾン書影だとしっかり帯で隠されていますが、帯をめくっていただくと、頭1個分身長の低い隣の女子と腰の位置が同じで、すごい違和感を味わえますよ。

 まさか、そういう仕掛け本ですか。

 道垣内正人先生の入門書でもそうでしたが、惹きのある個性的なイラストを載せるノルマでも、あるんですか。

道垣内正人「自分で考えるちょっと違った法学入門 第4版」(有斐閣2019)

 まったくの無関係ですが、下記のようなガチの美麗なイラストを表紙にしている法学書もある中で、わざわざ上記のような特色のあるイラストを採用する理由を、ぜひ知りたい。



 大島義則「行政法ガール2」(法律文化社2020)

 これがおしりたんていさんみたいに、イケメンかつおしり顔であることに物語上意味がある、のであれば分かります。
 「なんでおしり顔なんだよ!」などとイチャモンをつけるような野暮なことはいたしません。



 トロル「おしりたんてい」(ポプラ社2012)

 が、本書では、胴ロング男子がその胴ロングを活かした法解釈を展開する、などといった物語(Tails of Legal Long-Torso)では決してないわけで。
posted by ウロ at 10:49| Comment(0) | 法学入門書探訪

2021年01月04日

南野森「法学の世界」(日本評論社2019)

 法学入門の、ひとつの望ましい形。



 南野森編「新版 法学の世界」(日本評論社2019)

 各科目10頁程度で、各法領域を専攻する研究者が当該法領域の面白い(と各執筆者が考える)ところを語る、というもの。
 概説的な情報の陳列は少なめで、ポイントを絞った記述がメイン。

 こういうコンセプトこそが、文字通りの『入門』と呼ぶにふさわしい。
 のに、タイトルに「入門」を入れていないのは、既存の、情報陳列系の『法学入門』とは一緒にされたくない、ということですかね。タイトル汚染されてしまっているということで。


 人によって面白いと感じる科目は違うと思うので、通読はせずに気になるところから拾い読み、でいいと思います。
 で、面白そうな科目があれば、当該科目を履修選択するなりして深く学んでみるとか。

 あるいは、すでに選択してしまった、とか必須科目だが面白さが分からない、といった科目を読んでみたり。


 ただし、法学が厄介なのは、教える人によって面白い/つまらないが大きく可変すること。
 なので、誰から教わるか(誰の本を読むか)が極めて重要。

 科目の特性、というものもあるのでしょうが、どちらかというと、専ら、教えてくれる人に依存しているように感じます。
 この本読んで「○○法、面白そうだな。」と思っても、自分の大学の授業はそれほどでもなかったり、とかはいくらでもありうる。

 本書には「学習ガイド・文献案内」もあるので、一応のルートは示してくれています。
 が、総じてレベルが高めなので、段階的学習にはなりにくい。

 旧版と新版で執筆者をごっそり入れ替えているのは、同じ科目でも執筆者が変わればそれが刺さる人も変わってくる、というのもあるんでしょうね(ただし、全とっかえではない)。
 


 南野森編「法学の世界」(日本評論社2013)


 このようなコンセプトからすると、どう考えても「一見さんお断り」感を出しすぎな科目があるのはどう捉えればいいのか。

 これは「一見さんお断り」な感じを逆に面白いと感じる人を選び出す儀式(Initiation)でしょうか。
 うっかり軽い気持ちで科目選択してしまうのを予め防いでくれていると。
 科目選択におけるミスマッチ、どちら側にとっても不幸ですからね。

 そういうゲートとして機能させる、ということであれば、それもある意味で「入門」と呼んでもよいのかもしれません。
 むしろ「門」というのはそういうものですか。


 個人的には、「刑事訴訟法」(緑大輔先生執筆)のところが気になりました。
 
 たまたま、鴨良弼先生の『刑事訴訟における技術と倫理』を読んだばかりだったのですが、唐突に同書が引用されていました。



 鴨良弼「刑事訴訟における技術と倫理」(日本評論社1964)

 同書(所収の論文)は、刑事訴訟に倫理や信義則を導入して訴訟当事者の関係を規律しようというものです。

 出版は56年前。
 当然のことながら、鴨先生ご自身の問題意識は、当時の問題を解決しようということにあるのでしょう。

 この考えを現代にもってきたらどうなんだろう、とかいうことを妄想していたら、いきなり紹介がされていたのでびっくり。
 まさか入門書に鴨先生の著書が出てくるとは思わないじゃないですか。

 というか、教科書や体系書にだって、こういう基礎理論系の議論はほとんど出てこない気がしますし。

 刑事訴訟法は、緑先生ご自身の入門書があるので、次に読むべき本が明確ですね。



緑大輔「刑事訴訟法入門 第2版」(日本評論社2017)


 「刑法」(和田俊憲先生執筆)では、刑法学における想像・妄想の重要性が説かれています。

 おっしゃるとおりで、読み物としても、過去の裁判例の分析ばかりが展開されたものよりも、限界事例(あるいは限界はみ出た事例)についてあれこれ検討したもののほうが、面白いと感じるはずです。

 それが実務で役に立つかといわれれば、「直近では」役に立たない、というだけでしょう。

 和田先生も、ご自身の入門書がありますね。



和田俊憲「どこでも刑法 #総論」(有斐閣2019)
辰井聡子 和田俊憲「刑法ガイドマップ(総論)」(信山社2019)


 「労働法」(大内伸哉先生執筆)では、これからの労働構造の変革を見据えると(旧来の)労働法の展望は明るくないよ、といった趣旨のことがぶっちゃけられています。

 各科目への勧誘とすべきはずの入門書でそれ書いちゃいますか、と思わなくもないですが、変に良いところだけを強調するよりも、現実を教えてくれるのは誠実なのかもしれません。


 「国際私法」(横溝大先生執筆)では、石黒一憲先生と道垣内正人先生の著書を対比させながら読め、ということが書いてあるのですが、もう少し対比させるための補助線を書いておいてほしいところ。

 私自身もまさにそういう入り方をしたのですが、ほとんど前進できていないわけで。

野村美明『新・ケースで学ぶ国際私法』(法律文化社2020)


 ちなみに「租税法」(神山弘行先生執筆)は比較的堅実。
 具体例や数字が全然出てこないので、特色らしい特色を感じにくいかもしれません。

 なお、私自身の考えは「数字」の中にこそ税法の面白さが詰まっている、というのが持論。

三木義一「よくわかる税法入門 第15版」(有斐閣2021)
posted by ウロ at 13:52| Comment(0) | 法学入門書探訪