今回は、「しかた」のへなちょこ類型から離れて、12月中転職の場合に、転職元/転職先においてどのような対応が必要となるのかを、《規範論的アプローチ》の観点から検討してみます。
リーガルマインド年末調整(その1) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その2) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その3) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
【運営公式ガイド(しかた)】(類型)
令和3年分 年末調整のしかた
【条文】
所得税法190条
1 給与所得者の扶養控除等申告書を提出した居住者で、第一号に規定するその年中に支払うべきことが確定した給与等の金額が二千万円以下であるものに対し、その提出の際に経由した給与等の支払者がその年最後に給与等の支払をする場合(その居住者がその後その年十二月三十一日までの間に当該支払者以外の者に当該申告書を提出すると見込まれる場合を除く。)
【要件】(規範)
@ 居住者
A 扶養控除等申告書提出
B 年の確定給与2000万円以下
C Aの提出を受けた支払者が年最後の給与を支払
D 12/31までにCの支払者以外に扶養控除等申告書を提出する見込みがある場合を除く
○
舞台設定は次のとおり(@居住者、B2000万円以下は満たすものとします)。
1/1 A社 扶養控除申告書提出
12/10 A社 退職
12/15 A社 給与支給
12/16 B社 入社。扶養控除申告書提出
パターン1 12月中にB社給与支給あり
パターン2 12月中にB社給与支給なし
○パターン1
ア A社の処理
まず、A社において対象者となるか。
C最後の支払いでない、DB社で扶養控除申告書提出見込みあり、であるため対象者とはなりません。
もし、B社の状況を確認しないまま年末調整をしてしまった場合はどうすべきか。
年末調整しなかった状態に巻き戻す、というのが正しい処理になるのでしょう。
なお、年末調整はできないとして、退職後支給の源泉徴収を「甲欄」でやってもよいのか、という問題があります。
この点は、通達194・195-6が、B社提出まではA社の扶養控除等申告書が及ぶとしているので、「甲欄」でやってもよいことになります。その結果、B社の年末調整にA社の給与をすべて取り込むことができます。
イ B社の処理
いずれの要件も満たすことから、対象者となります。
もし、A社で「年調済み」の源泉徴収票を持ってきたらどうすべきか。
「年調未済」で出し直してもらうのが正しい対応なのでしょうが、時間的にはかなり厳しい。
A社「年調済み」のまま取り込むか、取り込まずに自社分のみで年末調整を行って、あとは本人に確定申告してもらうか、悩ましい判断を迫られます。
○パターン2
ア A社の処理
C最後の支払いではあるのですが、ADが問題となります。
というのも、B社で年内に扶養控除申告書を提出してしまっているため、ADの要件を満たさないように思えるからです。
この点、通達194・195-6に依拠するならば、12/15の支給時に年末調整してもよいことになりそうです。
しかしながら、同通達は、直接的には支給時の源泉徴収を念頭においた緩和ルールであって、年末調整までは想定していないように思えます。
また、法律レベルでは、D「12/31までの」提出見込み無しを要求しています。そのため、たとえA社支給後であっても年内にB社に提出する予定ならば、Aは満たしてもDを満たなさいことになるのでしょう。
とすると、同通達が及ぶのは「12/15支給時の源泉徴収は甲欄でやってもいいよ」というところまでで、「年末調整やってもいいよ」までは及ばないと理解すべきように思えます。
解釈論としては、B社へ提出したのが「令和4年分」ならばA社の「令和3年分」の効力は妨げられない、と解する余地もあります。が所得税法190条ではそのような書き分けがされているわけではないので、少なくとも「文理解釈」からは出てこない。
実務的には、B社への提出を来年まで待ってもらって、A社で年末調整をするというのが無難でしょうか。
イ B社の処理
B社側では、ADは満たすもののCを満たしません。
それゆえ、年末調整をしないのが正しい処理ということになります。
もし、A社の「年調未済」の源泉徴収票をもってきたらどうすればよいか。
法的には対象とすべきではありません。が、正しくないのは承知で親切心で年末調整してあげるか、建前どおり確定申告でやってもらうかの判断が必要となります。
○
上記舞台設定の時系列を少し入れ替えます。
1/1 A社 扶養控除申告書提出
12/10 A社 退職
12/11 B社 入社。扶養控除申告書提出
12/15 A社 給与支給
パターン3 12月中にB社給与支給あり
パターン4 12月中にB社給与支給なし
A社最終支給「前」にB社に扶養控除申告書を提出した場合はどうなるか。
○パターン3
ア A社の処理
C最後の支払いではないため、年末調整の対象者とならないのはパターン1と同じです。
問題は、12/15支給前にB社に扶養控除申告書を提出済みであることから、12/15支給には通達194・195-6が及ばずに「乙欄」で源泉徴収しなければならないのでは、ということです。
もしそうだとすると、A社の乙欄給与はB社の年末調整に取り込むことはできません(通達190-2)。この部分だけのために確定申告をしなければならないということです。
これを避けるためには、B社への提出をA社最後の支給まで待ってもらうべきなのでしょう。
まあ、扶養控除申告書を紙で作成していれば、いつ提出したかなんて分かりようがないかもしれません。が、電子でやっている場合には、ばっちり提出日が残ってしまうはずです。
なお、B社に提出するのは「令和3年分」となるので、上記の「年分」で効力を分けるという解釈論はここでは使えません。
法の規律が「提出」「支払」と違うものを要求しているせいで、厄介な問題が生じているということです(「しかた」の類型はこの違いに無頓着)。
イ B社の処理
対象者となるのはパターン1と同じです。
気をつけなければならないのは、A社の給与をどの範囲まで取り込むかです。
ではあるのですが、A社が「乙欄」で徴収すべき給与まで「甲欄」の源泉徴収票に合算していた場合、そこに気付けというのは無理があると思いますが。
かといって、よくわからないからA社の給与は一切取り込まない、ということも、それはそれでアウトです。
○パターン4
ア A社の処理
C最後の支払いではあるのですが、ここでもADが問題となります。
パターン4は、パターン3と同様、通達194・195-6が及ばないため年末調整することはできず、12/15支給を「乙欄」で源泉徴収しなければなりません。あるいは、「年分」で分ける解釈論を採用して、「甲欄」で源泉徴収してしまうかどうか。
A社で年末調整をするには、年明けまでB社への扶養控除申告書の提出を待ってもらうのが無難でしょうか。もちろん、「年分」で分ける解釈論を採用して勝負することも考えられますが。
イ B社の処理
パターン2と同様、C最後の支払いがないことから対象外となります。
もし、A社の「年調未済」の源泉徴収票をもってきたらどうすればよいか。
この点もパターン2と同様、正しくないのは承知で親切心でやってあげるか、建前どおり確定申告でやってもらうかの判断が必要となります。
○
以上、大量処理をする中でこんなこと逐一検討してられるか、というところであって、およそ実務的ではない、という評価がされる問題だとは思います。
が、あえて間違えるにしても、本来のあるべき処理というものはひととおり理解しておくべきでしょう。
全体を通して、そこはかとなく感じる違和感、所得税法の給与理解が、どうやら今どきの給与の支給サイクルとズレているのでは、ということです。この点は、収入計上時期を検討したときにも感じたことです。
さよなら「権利確定主義」(その1) 〜事業所得と給与所得
今どきは、一定期日で締めてから後日支給、というのが一般的です。
なのに、「支給→退職」類型は掲げながら「退職→支給」類型をあげない、退職後の支給を「追加払」よばわりする、「支払」「提出」と違うものを要求しているせいでタイミングによっては乙欄給与が出てきてしまう、などといった一連の規律をみると、現実とうまく噛み合っていない印象を受けます。
それでも実務はまわっているわけで、ツッコむだけ野暮、ということでしょうか。
○所得税基本通達
(その年中に支払うべきことが確定した給与等の計算)
190-2法第190条第1号及び第2号に規定する「その年中に……支払うべきことが確定した給与等」の金額は、次に掲げる場合には、それぞれ次により計算することに留意する。
(1)その年の中途までその支払者から法別表第2若しくは第3の乙欄又は別表第4の乙欄を適用する給与等(以下この項において「乙欄給与等」という。)の支払を受けていた場合 その者に対しその年中に支払う乙欄給与等と法別表第2若しくは第3の甲欄又は法別表第4の甲欄を適用する給与等(以下この項において「甲欄給与等」という。)とを通算する。
(2)その年の中途までその支払者から法別表第3の丙欄を適用する給与等(以下この項において「丙欄給与等」という。)の支払を受けていた場合 その者に対しその年中に支払う丙欄給与等と甲欄給与等とを通算する。
(3)法第190条第1号かっこ内の規定により他の給与等の支払者が支払う給与等を通算する場合 当該他の給与等の支払者が支払う甲欄給与等(当該他の給与等の支払者がその年1月1日以後給与所得者の扶養控除等申告書の提出を受けるまでの間にその者に対し支払う乙欄給与等又は丙欄給与等があるときは、これらの給与等を含む。)と自己がその者に対しその年中に支払う甲欄給与等(他にその年中にその者に対し支払う乙欄給与等又は丙欄給与等があるときは、これらの給与等を含む。)とを通算する。
(年の中途で退職した者に係る給与所得者の扶養控除等申告書等の効力)
194・195-6 給与所得者の扶養控除等申告書又は従たる給与についての扶養控除等申告書を提出した者が年の中途においてその提出を経由した給与等の支払者のもとを退職した場合には、これらの申告書はその退職により効力を失うものとする。ただし、その退職後その年中に当該支払者がその退職した者に給与等の追加払等をする場合において、次に掲げる区分に応じ、それぞれ次に掲げることが明らかなときは、当該追加払等をする給与等に係る源泉徴収税額は、これらの申告書が退職後も引き続き効力を有するものとして計算して差し支えない。
(1) その退職した者が給与所得者の扶養控除等申告書を提出した者である場合 その追加払等をする時において、その退職した者が他の給与等の支払者を経由して給与所得者の扶養控除等申告書を提出していないこと。
(2) その退職した者が従たる給与についての扶養控除等申告書を提出した者である場合 その追加払等をする時において、その退職した者が他の給与等の支払者を経由して当該申告書に記載されている源泉控除対象配偶者及び控除対象扶養親族を記載した給与所得者の扶養控除等申告書又は従たる給与についての扶養控除等申告書を提出していないこと。
2021年11月29日
リーガルマインド年末調整(その4) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
posted by ウロ at 10:54| Comment(0)
| 年末調整
2021年11月22日
リーガルマインド年末調整(その3) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
今回は、残りの類型について検討します。
リーガルマインド年末調整(その1) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その2) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
《規範論的アプローチ》: 要件の解釈及びあてはめが必要
《類型論的アプローチ》: 類型にあたるかだけを判断
【運営公式ガイド(しかた)】(類型)
令和3年分 年末調整のしかた
【条文】
所得税法190条
1 給与所得者の扶養控除等申告書を提出した居住者で、第一号に規定するその年中に支払うべきことが確定した給与等の金額が二千万円以下であるものに対し、その提出の際に経由した給与等の支払者がその年最後に給与等の支払をする場合(その居住者がその後その年十二月三十一日までの間に当該支払者以外の者に当該申告書を提出すると見込まれる場合を除く。)
【要件】(規範)
@ 居住者
A 扶養控除等申告書提出
B 年の確定給与2000万円以下
C Aの提出を受けた支払者が年最後の給与を支払
D 12/31までにCの支払者以外に扶養控除等申告書を提出する見込みがある場合を除く
【年末調整の対象となる人】
(1) 1年を通じて勤務している人
(2) 年の中途で就職し、年末まで勤務している人
・年の中途で退職した人のうち、次の人
(3) 死亡により退職した人
(4) 著しい心身の障害のため退職した人で、その退職の時期からみて、本年中に再就職ができないと見込まれる人
(5) 12月中に支給期の到来する給与の支払を受けた後に退職した人
(6) いわゆるパートタイマーとして働いている人などが退職した場合で、本年中に支払を受ける給与の総額が103万円以下である人(退職後本年中に他の勤務先等から給与の支払受けると見込まれる場合を除きます。)
(7) 年の中途で、海外の支店へ転勤したことなどの理由により、非居住者となった人(非居住者とは、国内に住所も1年以上の居所も有しない人をいいます。)
【年末調整の対象とならない人】
(8) 本年中の主たる給与の収入金額が2000万円を超える人
(9) 2か所以上から給与の支払を受けている人で、他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人や、年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人(月額表又は日額表の乙欄適用者)
(10) 年の中途で退職した人で、(3)〜(6)に該当しない人
(11) 非居住者
(12) 継続して同一の雇用主に雇用されないいわゆる日雇労働者など(日額表の丙欄適用者)
○
○ (2) 年の中途で就職し、年末まで勤務している人
要件Cで、最後の給与を支払った者が年末調整することになっているので、これが対象になることに何の問題もありません。
「しかた」では(1)を最初に掲げてしまったせいで、(2)を別の類型として掲げざるを得なくなった、ということです。
ただし、この書きぶりは不正確。
というのも、要件Cは年最後の「支払」を要求しているのであって、「勤務」を要求しているのではないからです。仮に12月に転職したとして、転職先の支給が12月中に無かった場合は、要件Cを満たさないことになります。
《規範論的アプローチ》からは、年末まで「勤務」していても自社での「支給」がなければ対象外、というのが正しい。
次の(5)とあわせて、12月転職絡みは次回整理したいと思います。
○ (5) 12月中に支給期の到来する給与の支払を受けた後に退職した人
通達190-1(4)に掲げられているものです。
普通に要件を満たすものなので、《規範論的アプローチ》からすればあえて取り上げる必要のないものです。
他方で《類型論的アプローチ》では、(1)で「年を通じて」としてしまったせいで、わざわざ別に掲げなければならなくなったものです。
(6)と違って「見込みあり」の場合の除外が書かれていないのは謎です。
12月中退職であってもその後12月中に別会社から給与の支払いを受けることもあるのであって、この場合を除外しなくてもよいのか。
当然《規範論的アプローチ》からは要件Dとして必ず要求されるものです。が、「しかた」では、(6)にはあるが(5)にはないという「反対解釈()」を施すことによって、(5)では「見込みあり」でも対象者となるように読むことができてしまいます。
また、この類型をみて即座に思い浮かぶ疑問は、12月中に「退職⇒支給」の順番の場合はどうなのか、ということです。
支給時期が一部前払いの会社でもないかぎり、退職後に支給となるのが通常でしょう。のに、このような典型例を掲げずに、「支給⇒退職」という今どき珍しいパターンだけ掲げているのは不親切極まりない。
では、実際どうなのか、というと、退職によって扶養控除等申告書の効力が無くなるので、Aの要件を満たさず「対象者とならない」というのが、《規範論的アプローチ》からの帰結です。
通達194・195-6というのもありますが、これによって要件Aが緩和されるとしても、要件Dまで緩和されるとは理解しがたいです。
この点は、次回検討します。
○ (6) いわゆるパートタイマーとして働いている人などが退職した場合で、本年中に支払を受ける給与の総額が103万円以下である人(退職後本年中に他の勤務先等から給与の支払受けると見込まれる場合を除きます。)
各類型に縷々イチャモンをつけてきましたが、これが一番の謎類型。通達190-1にも列挙されていないのに、しれっと中途退職者グループの並びに掲げられています。
《規範論的アプローチ》からすれば、パートタイマーかどうか、103万円以下かどうか、などで対象に「なる/ならない」の違いは生じません。どこの要件にも該当するものがない。
また、カッコ書きの「見込み」はDに対応している風ですが、Dは扶養控除等申告書を「提出」する見込みかあるかどうかであって「支払い」の見込みなどではありません。
もしかしてですが、『パートタイマー・103万円以下の中途退職者は、「103万円の壁」に阻まれて退職したに決まっている。だとしたら、年内に再就職することなんてありえないから、どんなに手前で退職した場合でも年末調整しちゃって問題ない』とでもいう、角度キツめの決めつけによるものでしょうか。
つまり、Dの見込み無し要件を類型的に充足するパターンなんだと。
パートタイマー・103万円以下に何某かの意味合いを持たせようと思ったら、それくらいしか思いつきません。
× (10) 年の中途で退職した人で、(3)〜(6)に該当しない人
この書き方ができるのは、(3)〜(6)で中途退職者で対象者となる人が完全にカバーできている場合に限られます。
が、ここまで述べた通り、(3)〜(6)は決して出来のよい類型とはいえず、このような「バスケット類型」をもって残りものをすべて対象外の側に流し込むのが適切とは思えません。
傲慢にも程がある。
○
このように、《類型論的アプローチ》は、出来の悪い類型が列挙されている場合には、《規範論的アプローチ》による検証におよそ耐えられるものではないことが分かります。
法律の要件から離れて独り歩きした上で、ありうる場合をまともにカバーできていないのだとしたら、とても使える類型に仕上がっていない、未完成のものだということです。
また、類型論を展開するのであれば、年末調整の対象者、対象となる給与の範囲、判定の時期などを、類型ごとに一気通貫で揃えて記述するべきです。そうしないと、要件の正確な再現を犠牲にしてまで類型化した意味が無くなります。
○
まあ、この時期に、各サイトの『年調お役立ち記事』に紛れて、こんな記事を混入させるのは迷惑極まりない話でしょう。《日常系税務》にとっては余計な知識です。
が、類型にあてはまらない事案に出くわした場合に備えて、「法律レベル」で年末調整の対象となる/ならないを理解しておくことが、大事なことだと、私は思います。
リーガルマインド年末調整(その4) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その1) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その2) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
《規範論的アプローチ》: 要件の解釈及びあてはめが必要
《類型論的アプローチ》: 類型にあたるかだけを判断
【運営公式ガイド(しかた)】(類型)
令和3年分 年末調整のしかた
【条文】
所得税法190条
1 給与所得者の扶養控除等申告書を提出した居住者で、第一号に規定するその年中に支払うべきことが確定した給与等の金額が二千万円以下であるものに対し、その提出の際に経由した給与等の支払者がその年最後に給与等の支払をする場合(その居住者がその後その年十二月三十一日までの間に当該支払者以外の者に当該申告書を提出すると見込まれる場合を除く。)
【要件】(規範)
@ 居住者
A 扶養控除等申告書提出
B 年の確定給与2000万円以下
C Aの提出を受けた支払者が年最後の給与を支払
D 12/31までにCの支払者以外に扶養控除等申告書を提出する見込みがある場合を除く
【年末調整の対象となる人】
(1) 1年を通じて勤務している人
(2) 年の中途で就職し、年末まで勤務している人
・年の中途で退職した人のうち、次の人
(3) 死亡により退職した人
(4) 著しい心身の障害のため退職した人で、その退職の時期からみて、本年中に再就職ができないと見込まれる人
(5) 12月中に支給期の到来する給与の支払を受けた後に退職した人
(6) いわゆるパートタイマーとして働いている人などが退職した場合で、本年中に支払を受ける給与の総額が103万円以下である人(退職後本年中に他の勤務先等から給与の支払受けると見込まれる場合を除きます。)
(7) 年の中途で、海外の支店へ転勤したことなどの理由により、非居住者となった人(非居住者とは、国内に住所も1年以上の居所も有しない人をいいます。)
【年末調整の対象とならない人】
(8) 本年中の主たる給与の収入金額が2000万円を超える人
(9) 2か所以上から給与の支払を受けている人で、他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人や、年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人(月額表又は日額表の乙欄適用者)
(10) 年の中途で退職した人で、(3)〜(6)に該当しない人
(11) 非居住者
(12) 継続して同一の雇用主に雇用されないいわゆる日雇労働者など(日額表の丙欄適用者)
○
○ (2) 年の中途で就職し、年末まで勤務している人
要件Cで、最後の給与を支払った者が年末調整することになっているので、これが対象になることに何の問題もありません。
「しかた」では(1)を最初に掲げてしまったせいで、(2)を別の類型として掲げざるを得なくなった、ということです。
ただし、この書きぶりは不正確。
というのも、要件Cは年最後の「支払」を要求しているのであって、「勤務」を要求しているのではないからです。仮に12月に転職したとして、転職先の支給が12月中に無かった場合は、要件Cを満たさないことになります。
《規範論的アプローチ》からは、年末まで「勤務」していても自社での「支給」がなければ対象外、というのが正しい。
次の(5)とあわせて、12月転職絡みは次回整理したいと思います。
○ (5) 12月中に支給期の到来する給与の支払を受けた後に退職した人
通達190-1(4)に掲げられているものです。
普通に要件を満たすものなので、《規範論的アプローチ》からすればあえて取り上げる必要のないものです。
他方で《類型論的アプローチ》では、(1)で「年を通じて」としてしまったせいで、わざわざ別に掲げなければならなくなったものです。
(6)と違って「見込みあり」の場合の除外が書かれていないのは謎です。
12月中退職であってもその後12月中に別会社から給与の支払いを受けることもあるのであって、この場合を除外しなくてもよいのか。
当然《規範論的アプローチ》からは要件Dとして必ず要求されるものです。が、「しかた」では、(6)にはあるが(5)にはないという「反対解釈()」を施すことによって、(5)では「見込みあり」でも対象者となるように読むことができてしまいます。
また、この類型をみて即座に思い浮かぶ疑問は、12月中に「退職⇒支給」の順番の場合はどうなのか、ということです。
支給時期が一部前払いの会社でもないかぎり、退職後に支給となるのが通常でしょう。のに、このような典型例を掲げずに、「支給⇒退職」という今どき珍しいパターンだけ掲げているのは不親切極まりない。
では、実際どうなのか、というと、退職によって扶養控除等申告書の効力が無くなるので、Aの要件を満たさず「対象者とならない」というのが、《規範論的アプローチ》からの帰結です。
通達194・195-6というのもありますが、これによって要件Aが緩和されるとしても、要件Dまで緩和されるとは理解しがたいです。
この点は、次回検討します。
○ (6) いわゆるパートタイマーとして働いている人などが退職した場合で、本年中に支払を受ける給与の総額が103万円以下である人(退職後本年中に他の勤務先等から給与の支払受けると見込まれる場合を除きます。)
各類型に縷々イチャモンをつけてきましたが、これが一番の謎類型。通達190-1にも列挙されていないのに、しれっと中途退職者グループの並びに掲げられています。
《規範論的アプローチ》からすれば、パートタイマーかどうか、103万円以下かどうか、などで対象に「なる/ならない」の違いは生じません。どこの要件にも該当するものがない。
また、カッコ書きの「見込み」はDに対応している風ですが、Dは扶養控除等申告書を「提出」する見込みかあるかどうかであって「支払い」の見込みなどではありません。
もしかしてですが、『パートタイマー・103万円以下の中途退職者は、「103万円の壁」に阻まれて退職したに決まっている。だとしたら、年内に再就職することなんてありえないから、どんなに手前で退職した場合でも年末調整しちゃって問題ない』とでもいう、角度キツめの決めつけによるものでしょうか。
つまり、Dの見込み無し要件を類型的に充足するパターンなんだと。
パートタイマー・103万円以下に何某かの意味合いを持たせようと思ったら、それくらいしか思いつきません。
× (10) 年の中途で退職した人で、(3)〜(6)に該当しない人
この書き方ができるのは、(3)〜(6)で中途退職者で対象者となる人が完全にカバーできている場合に限られます。
が、ここまで述べた通り、(3)〜(6)は決して出来のよい類型とはいえず、このような「バスケット類型」をもって残りものをすべて対象外の側に流し込むのが適切とは思えません。
傲慢にも程がある。
○
このように、《類型論的アプローチ》は、出来の悪い類型が列挙されている場合には、《規範論的アプローチ》による検証におよそ耐えられるものではないことが分かります。
法律の要件から離れて独り歩きした上で、ありうる場合をまともにカバーできていないのだとしたら、とても使える類型に仕上がっていない、未完成のものだということです。
また、類型論を展開するのであれば、年末調整の対象者、対象となる給与の範囲、判定の時期などを、類型ごとに一気通貫で揃えて記述するべきです。そうしないと、要件の正確な再現を犠牲にしてまで類型化した意味が無くなります。
○
まあ、この時期に、各サイトの『年調お役立ち記事』に紛れて、こんな記事を混入させるのは迷惑極まりない話でしょう。《日常系税務》にとっては余計な知識です。
が、類型にあてはまらない事案に出くわした場合に備えて、「法律レベル」で年末調整の対象となる/ならないを理解しておくことが、大事なことだと、私は思います。
リーガルマインド年末調整(その4) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
posted by ウロ at 11:23| Comment(0)
| 年末調整
2021年11月15日
リーガルマインド年末調整(その2) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
今回は、「しかた」6頁の《類型論的アプローチ》に対し、《規範論的アプローチ》から批判的検討を加えてみます。
リーガルマインド年末調整(その1) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
《規範論的アプローチ》: 要件の解釈及びあてはめが必要
《類型論的アプローチ》: 類型にあたるかだけを判断
【運営公式ガイド(しかた)】(類型)
令和3年分 年末調整のしかた
【条文】
所得税法190条
1 給与所得者の扶養控除等申告書を提出した居住者で、第一号に規定するその年中に支払うべきことが確定した給与等の金額が二千万円以下であるものに対し、その提出の際に経由した給与等の支払者がその年最後に給与等の支払をする場合(その居住者がその後その年十二月三十一日までの間に当該支払者以外の者に当該申告書を提出すると見込まれる場合を除く。)
【要件】(規範)
@ 居住者
A 扶養控除等申告書提出
B 年の確定給与2000万円以下
C Aの提出を受けた支払者が年最後の給与を支払
D 12/31までにCの支払者以外に扶養控除等申告書を提出する見込みがある場合を除く
○
以下、「しかた」の類型につき、順不同で検討していきます("○"は対象になるとされている、"×"は対象にならないとされている、という意味です)。
× (8) 本年中の主たる給与の収入金額が2000万円を超える人
要件Bに対応します。
《要件事実論的思考()》からすれば、勝手に裏返すのは正しい表現ではない、ということは前回述べたとおりです。もちろん、分かりやすさからすればこの書き方でいいと思います。
「しかた」には「左欄に掲げる人のうち」という限定詞が付加されています。
これは、この限定詞をつけておかないと「なる人」類型と重複してしまうからです。たとえば、「1年を通じて勤務している2000万円超の人」だと(1)と(8)の両方に該当してしまいそうですが、この限定詞があることにより(8)だけに流し込めることになります。
これは、類型論で「なる人」「ならない人」の両面を列挙しようとすると、生じる問題です。
「なる人」類型同士での重複であればいいのですが、「なる人」類型と「ならない人」類型に跨って重複が生じるとあてはめ不能になってしまう、という類型論のイタイところ。闇雲に類型を掲げればいいのではなく、違うカテゴリー間での重複がないようにしなければなりません。
【もれとかぶり】
金井高志「民法でみる法律学習法 第2版」(日本評論社2021)
なお、この2000万円判定、転職したとか甲乙が混じっているとかの場合にどうやって算定するのか、という問題があります。が、対象者になる/ならないだけを切り離して類型化しているせいで、ここにはその判定方法が書かれていません。
親切心からの類型化なのであれば、対象者の問題だけでなく、こういった関連問題についてもまとめて書いておくべきだと思うのですが。
× (9) 2か所以上から給与の支払を受けている人で、他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人や、年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人(月額表又は日額表の乙欄適用者)
× (12) 継続して同一の雇用主に雇用されないいわゆる日雇労働者など(日額表の丙欄適用者)
いずれも要件Aからは当然の類型です。(9)と(12)で類型が分断されているのは、乙か丙かの違いでしょうか。
(9)の書き方は紛らわしい。下記読み方2が正しいのでしょうが、それは予め答えが分かっているからそう読めるというだけです。
親切心で類型化しているのであれば、アイは別類型にしてあげればいいと思うのですが。
・読み方1
2か所以上から給与の支払を受けている人で
ア 他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人
イ 年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人
・読み方2
ア 2か所以上から給与の支払を受けている人で他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人
イ 年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人
そもそも、乙丙ひっくるめて「年末調整までに自社に扶養控除等申告書を提出していない人」でまとめられるものではありますが。
○ (3) 死亡により退職した人
○ (4) 著しい心身の障害のため退職した人で、その退職の時期からみて、本年中に再就職ができないと見込まれる人
通達190-1(1)(3)に掲げられているものです。
C最後の給与で、D見込みなしなので、当然に対象者となります。
○ (7) 年の中途で、海外の支店へ転勤したことなどの理由により、非居住者となった人(非居住者とは、国内に住所も1年以上の居所も有しない人をいいます。)
× (11) 非居住者
要件@に対応します。(7)は通達190-1(2)に掲げられているものです。
(11)が対象外になるのはいいとして、(7)はなぜ対象になるのか。これは居住者としての最後の給与を受けていた時点で要件を満たしているから対象になる、ということになります。
要件だけをみてこのような解釈・あてはめをするのは難しいでしょうから、(7)のような類型を掲げることには、一定の意義があるわけです。
上述のとおり、類型論において「なる人」「ならない人」で重複するのはマズいと書いたばかりですが、(7)と(11)は文言上重複しちゃっています。(11)には、「(7)以外の」という限定詞を付加する必要があるでしょう。
(7)のカッコ書きに(非居住者とは、国内に住所も1年以上の居所も有しない人をいいます。)という定義が書かれています。
これ自体は条文をベースにした表現なので間違いということではないのですが、この定義のままでは(7)本文の類型はありえないことになります。
というのも、非居住者となるのに「1年以上の海外居住」を要求されるのだとしたら、年の中途で出国したとしても、出国から1年経過しなければ非居住者になれないことになります。そうすると、年末調整をする時点ではまだ居住者のままであって、年内に非居住者になることはありえません。
もちろん専門家であれば、これは「過去1年の実績」ではなく、出国時に「1年以上勤務予定」かで判定されることは知っているわけです。が、この書きぶりでは非専門家には分かりようがない。
(7)の逆パターンである「年の中途で非居住者から居住者になった人」がどこにも書かれていません。結論的には「対象者になる」のですが、(1)〜(12)のいずれの類型にも当てはまるものがありません。
また、(1)では「1年を通じて」と期間が明示されているのに、(11)ではどの時点で非居住者だと対象者にならないのかが分かりません。
最終的な結論としては、
居住者期間の給与⇒対象
非居住者期間の給与⇒対象外
と、年内に居住者期間があればその期間が年末調整の対象となるわけです。が、「しかた」の書きぶりではこの結論がでてこない。
(1)を、(7)(11)と対比して分かることは、(1)は「居住者」の場合だということです。
「1年を通じて(海外で)勤務している人」は対象外となるわけですが、(1)の書きぶりだとこれが排除されていない。(1)は「1年を通じて(国内で)勤務した人」と書かなければならないはずです。
他方で、(11)は「1年を通じて(海外で)勤務している人」と書かなければなりません。
ということで、以上をもれなく・かぶりなく類型化するならば、
○ 1年を通じて国内勤務している人
○ 居住者→非居住者 (居住者期間が対象)
○ 非居住者→居住者 (居住者期間が対象)
× 1年を通じて海外勤務している人
とする必要があります。
そして、居住者/非居住者の判定については、出入国時の予定(予定変更があった場合はその時点の予定)で判定することも明記してあげるべきでしょう。
○
(2)(5)(6)(10)が残っていますが、思いがけず長くなったので次回にまわします。
リーガルマインド年末調整(その3) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その4) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その1) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
《規範論的アプローチ》: 要件の解釈及びあてはめが必要
《類型論的アプローチ》: 類型にあたるかだけを判断
【運営公式ガイド(しかた)】(類型)
令和3年分 年末調整のしかた
【条文】
所得税法190条
1 給与所得者の扶養控除等申告書を提出した居住者で、第一号に規定するその年中に支払うべきことが確定した給与等の金額が二千万円以下であるものに対し、その提出の際に経由した給与等の支払者がその年最後に給与等の支払をする場合(その居住者がその後その年十二月三十一日までの間に当該支払者以外の者に当該申告書を提出すると見込まれる場合を除く。)
【要件】(規範)
@ 居住者
A 扶養控除等申告書提出
B 年の確定給与2000万円以下
C Aの提出を受けた支払者が年最後の給与を支払
D 12/31までにCの支払者以外に扶養控除等申告書を提出する見込みがある場合を除く
○
以下、「しかた」の類型につき、順不同で検討していきます("○"は対象になるとされている、"×"は対象にならないとされている、という意味です)。
× (8) 本年中の主たる給与の収入金額が2000万円を超える人
要件Bに対応します。
《要件事実論的思考()》からすれば、勝手に裏返すのは正しい表現ではない、ということは前回述べたとおりです。もちろん、分かりやすさからすればこの書き方でいいと思います。
「しかた」には「左欄に掲げる人のうち」という限定詞が付加されています。
これは、この限定詞をつけておかないと「なる人」類型と重複してしまうからです。たとえば、「1年を通じて勤務している2000万円超の人」だと(1)と(8)の両方に該当してしまいそうですが、この限定詞があることにより(8)だけに流し込めることになります。
これは、類型論で「なる人」「ならない人」の両面を列挙しようとすると、生じる問題です。
「なる人」類型同士での重複であればいいのですが、「なる人」類型と「ならない人」類型に跨って重複が生じるとあてはめ不能になってしまう、という類型論のイタイところ。闇雲に類型を掲げればいいのではなく、違うカテゴリー間での重複がないようにしなければなりません。
【もれとかぶり】
金井高志「民法でみる法律学習法 第2版」(日本評論社2021)
なお、この2000万円判定、転職したとか甲乙が混じっているとかの場合にどうやって算定するのか、という問題があります。が、対象者になる/ならないだけを切り離して類型化しているせいで、ここにはその判定方法が書かれていません。
親切心からの類型化なのであれば、対象者の問題だけでなく、こういった関連問題についてもまとめて書いておくべきだと思うのですが。
× (9) 2か所以上から給与の支払を受けている人で、他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人や、年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人(月額表又は日額表の乙欄適用者)
× (12) 継続して同一の雇用主に雇用されないいわゆる日雇労働者など(日額表の丙欄適用者)
いずれも要件Aからは当然の類型です。(9)と(12)で類型が分断されているのは、乙か丙かの違いでしょうか。
(9)の書き方は紛らわしい。下記読み方2が正しいのでしょうが、それは予め答えが分かっているからそう読めるというだけです。
親切心で類型化しているのであれば、アイは別類型にしてあげればいいと思うのですが。
・読み方1
2か所以上から給与の支払を受けている人で
ア 他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人
イ 年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人
・読み方2
ア 2か所以上から給与の支払を受けている人で他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人
イ 年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人
そもそも、乙丙ひっくるめて「年末調整までに自社に扶養控除等申告書を提出していない人」でまとめられるものではありますが。
○ (3) 死亡により退職した人
○ (4) 著しい心身の障害のため退職した人で、その退職の時期からみて、本年中に再就職ができないと見込まれる人
通達190-1(1)(3)に掲げられているものです。
C最後の給与で、D見込みなしなので、当然に対象者となります。
○ (7) 年の中途で、海外の支店へ転勤したことなどの理由により、非居住者となった人(非居住者とは、国内に住所も1年以上の居所も有しない人をいいます。)
× (11) 非居住者
要件@に対応します。(7)は通達190-1(2)に掲げられているものです。
(11)が対象外になるのはいいとして、(7)はなぜ対象になるのか。これは居住者としての最後の給与を受けていた時点で要件を満たしているから対象になる、ということになります。
要件だけをみてこのような解釈・あてはめをするのは難しいでしょうから、(7)のような類型を掲げることには、一定の意義があるわけです。
上述のとおり、類型論において「なる人」「ならない人」で重複するのはマズいと書いたばかりですが、(7)と(11)は文言上重複しちゃっています。(11)には、「(7)以外の」という限定詞を付加する必要があるでしょう。
(7)のカッコ書きに(非居住者とは、国内に住所も1年以上の居所も有しない人をいいます。)という定義が書かれています。
これ自体は条文をベースにした表現なので間違いということではないのですが、この定義のままでは(7)本文の類型はありえないことになります。
というのも、非居住者となるのに「1年以上の海外居住」を要求されるのだとしたら、年の中途で出国したとしても、出国から1年経過しなければ非居住者になれないことになります。そうすると、年末調整をする時点ではまだ居住者のままであって、年内に非居住者になることはありえません。
もちろん専門家であれば、これは「過去1年の実績」ではなく、出国時に「1年以上勤務予定」かで判定されることは知っているわけです。が、この書きぶりでは非専門家には分かりようがない。
(7)の逆パターンである「年の中途で非居住者から居住者になった人」がどこにも書かれていません。結論的には「対象者になる」のですが、(1)〜(12)のいずれの類型にも当てはまるものがありません。
また、(1)では「1年を通じて」と期間が明示されているのに、(11)ではどの時点で非居住者だと対象者にならないのかが分かりません。
最終的な結論としては、
居住者期間の給与⇒対象
非居住者期間の給与⇒対象外
と、年内に居住者期間があればその期間が年末調整の対象となるわけです。が、「しかた」の書きぶりではこの結論がでてこない。
(1)を、(7)(11)と対比して分かることは、(1)は「居住者」の場合だということです。
「1年を通じて(海外で)勤務している人」は対象外となるわけですが、(1)の書きぶりだとこれが排除されていない。(1)は「1年を通じて(国内で)勤務した人」と書かなければならないはずです。
他方で、(11)は「1年を通じて(海外で)勤務している人」と書かなければなりません。
ということで、以上をもれなく・かぶりなく類型化するならば、
○ 1年を通じて国内勤務している人
○ 居住者→非居住者 (居住者期間が対象)
○ 非居住者→居住者 (居住者期間が対象)
× 1年を通じて海外勤務している人
とする必要があります。
そして、居住者/非居住者の判定については、出入国時の予定(予定変更があった場合はその時点の予定)で判定することも明記してあげるべきでしょう。
○
(2)(5)(6)(10)が残っていますが、思いがけず長くなったので次回にまわします。
リーガルマインド年末調整(その3) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その4) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
posted by ウロ at 10:10| Comment(0)
| 年末調整
2021年11月08日
リーガルマインド年末調整(その1) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
何やら大仰なタイトルですが。
単純に、年末調整が条文でどのように表現されているかを確認してみる、というだけの話です。
とりあえず、「年末調整の対象となる人/ならない人」のところだけさらっとみるだけのつもりで手をつけてみました。
○
《日常系税務》としては、いちいち条文など確認することもなく、運営(国税庁)が出している公式ガイドブックに全乗っかりで処理して済むなら、それに越したことはない。何でもかんでも条文に立ち返る必要なんて、ない(時間が)。
【運営公式ガイド】
令和3年分 年末調整のしかた (以下「しかた」といいます)
が、たとえば、(元)従業員から「会社が年末調整してくれなかったせいで自分で確定申告せざるをえなかった!」などと言われた場合を想定するならば、「法律レベル」で対象者がどのように規律されているかを見ておく必要があるはずです。
ということで、条文と「しかた」を対比しながら、年末調整の対象者となる/ならないについての整理をしてみたいと思います。
○
まずは条文から(必要箇所のみ抜粋)。
所得税法190条
1 給与所得者の扶養控除等申告書を提出した居住者で、第一号に規定するその年中に支払うべきことが確定した給与等の金額が二千万円以下であるものに対し、その提出の際に経由した給与等の支払者がその年最後に給与等の支払をする場合(その居住者がその後その年十二月三十一日までの間に当該支払者以外の者に当該申告書を提出すると見込まれる場合を除く。)
ここから要件らしきものを抽出すると、
@ 居住者
A 扶養控除等申告書提出
B 年の確定給与2000万円以下
C Aの提出を受けた支払者が年最後の給与を支払
D 12/31までにCの支払者以外に扶養控除等申告書を提出する見込みがある場合を除く
となります(以下これらを「要件」といいます)。
よくある解説モノでは、「2000万円超は対象外」と表現されがちですが、条文上は「2000万円以下なら対象」という書き方になっています。
もちろん実体法的には同じことの表裏にすぎません。が、租税法を《要件事実論的思考()》によって構成しようとするならば、表から書くか裏から書くかは重要な違いです。条文の書きぶりを、整理の都合だけでお気軽に裏っ返してよいものではない。
【租税法と要件事実論()】
伊藤滋夫編「租税訴訟における要件事実論の展開」(青林書院2016)
伊藤滋夫ほか「要件事実で構成する所得税法」(中央経済社2019)
さらに「要件事実論的思考()」を展開するならば、Dの「見込み」は、年末調整の対象にならないと主張する側が「あること」につき立証責任がある事実だということになります。
しかしまあ、税法で「見込み」ときくと非常に憂鬱な気分になります。合併のような一大イベントならともかく、年末調整のような大量処理が必要な局面において、逐一「見込み」で切り分けをしなければならないとか、どこまで真面目にやってられるのでしょうか。
【税法における見込みと予測可能性】
中里実ほか「租税法概説 第4版」(有斐閣2021)
要件事実論()イジりはこの程度にして。
○
他方で、「しかた」(6頁)によれば、対象者になる/ならないは次のように整理されています(一部省略と連番振り直しをしています)。
【年末調整の対象となる人】
(1) 1年を通じて勤務している人
(2) 年の中途で就職し、年末まで勤務している人
・年の中途で退職した人のうち、次の人
(3) 死亡により退職した人
(4) 著しい心身の障害のため退職した人で、その退職の時期からみて、本年中に再就職ができないと見込まれる人
(5) 12月中に支給期の到来する給与の支払を受けた後に退職した人
(6) いわゆるパートタイマーとして働いている人などが退職した場合で、本年中に支払を受ける給与の総額が103万円以下である人(退職後本年中に他の勤務先等から給与の支払受けると見込まれる場合を除きます。)
(7) 年の中途で、海外の支店へ転勤したことなどの理由により、非居住者となった人(非居住者とは、国内に住所も1年以上の居所も有しない人をいいます。)
【年末調整の対象とならない人】
(8) 本年中の主たる給与の収入金額が2000万円を超える人
(9) 2か所以上から給与の支払を受けている人で、他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人や、年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人(月額表又は日額表の乙欄適用者)
(10) 年の中途で退職した人で、(3)〜(6)に該当しない人
(11) 非居住者
(12) 継続して同一の雇用主に雇用されないいわゆる日雇労働者など(日額表の丙欄適用者)
一見して、条文上の要件とうまく噛み合っていない印象を受けます。以下、個別にみていきます(順不同)。
○ (1) 1年を通じて勤務している人
要件では「1年間勤務」など要求されていません。これは、親切心で典型的な類型を最初に括りだしてあげた、ということなのでしょう。
このようなアプローチ、いわゆる《類型論的アプローチ》ということができます。
本来であれば、条文上の個別の要件ごとに解釈・あてはめをしなければなりません。このようなアプローチを《規範論的アプローチ》ということができるでしょう。
が、非専門家にとって法解釈・あてはめをするのはしばしば難解です。そこでいくつかの類型を掲げておくことで、その類型にあたりさえすれば、個別の解釈・あてはめをしないでも法適用ができるようにする、これが《類型論的アプローチ》です。
《規範論的アプローチ》: 要件の解釈及びあてはめが必要
《類型論的アプローチ》: 類型にあたるかだけを判断
このように、《類型論的アプローチ》は、類型の設定がうまくできているかぎり、非常に分かりやすいものになります。
「しかた」は、決してプロ向けではなく、非専門家がスムースに年末調整業務ができるように、という趣旨でいくつかの類型を掲げてくださっているのでしょう。
にもかかわらず、《規範論的アプローチ》の観点から難癖をつけようとしている本ブログ、どうかしていますよね。全然納税者に《寄り添って》いねえじゃねえかと。
しかしながら《類型論的アプローチ》、決して良いことばかりではなく。
掲げられた類型に抜けがある場合には一気に弱点が露呈します。そして、私には「しかた」の掲げる類型には強い「ヌケ感」があるように感じられます。
○
当初のつもりでは、単に「しかた」記載のなる人/ならない人を条文に当てはめて終わらす予定でした。
が、《規範論的アプローチ》と《類型論的アプローチ》という視点が出てきてしまったので、やや込み入った話をする必要がありそうです。
ということで、ここで一旦区切って、次回、「しかた」の《類型論的アプローチ》を《規範論的アプローチ》から批判的に検討する、ということをしてみたいと思います。
リーガルマインド年末調整(その2) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その3) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その4) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
単純に、年末調整が条文でどのように表現されているかを確認してみる、というだけの話です。
とりあえず、「年末調整の対象となる人/ならない人」のところだけさらっとみるだけのつもりで手をつけてみました。
○
《日常系税務》としては、いちいち条文など確認することもなく、運営(国税庁)が出している公式ガイドブックに全乗っかりで処理して済むなら、それに越したことはない。何でもかんでも条文に立ち返る必要なんて、ない(時間が)。
【運営公式ガイド】
令和3年分 年末調整のしかた (以下「しかた」といいます)
が、たとえば、(元)従業員から「会社が年末調整してくれなかったせいで自分で確定申告せざるをえなかった!」などと言われた場合を想定するならば、「法律レベル」で対象者がどのように規律されているかを見ておく必要があるはずです。
ということで、条文と「しかた」を対比しながら、年末調整の対象者となる/ならないについての整理をしてみたいと思います。
○
まずは条文から(必要箇所のみ抜粋)。
所得税法190条
1 給与所得者の扶養控除等申告書を提出した居住者で、第一号に規定するその年中に支払うべきことが確定した給与等の金額が二千万円以下であるものに対し、その提出の際に経由した給与等の支払者がその年最後に給与等の支払をする場合(その居住者がその後その年十二月三十一日までの間に当該支払者以外の者に当該申告書を提出すると見込まれる場合を除く。)
ここから要件らしきものを抽出すると、
@ 居住者
A 扶養控除等申告書提出
B 年の確定給与2000万円以下
C Aの提出を受けた支払者が年最後の給与を支払
D 12/31までにCの支払者以外に扶養控除等申告書を提出する見込みがある場合を除く
となります(以下これらを「要件」といいます)。
よくある解説モノでは、「2000万円超は対象外」と表現されがちですが、条文上は「2000万円以下なら対象」という書き方になっています。
もちろん実体法的には同じことの表裏にすぎません。が、租税法を《要件事実論的思考()》によって構成しようとするならば、表から書くか裏から書くかは重要な違いです。条文の書きぶりを、整理の都合だけでお気軽に裏っ返してよいものではない。
【租税法と要件事実論()】
伊藤滋夫編「租税訴訟における要件事実論の展開」(青林書院2016)
伊藤滋夫ほか「要件事実で構成する所得税法」(中央経済社2019)
さらに「要件事実論的思考()」を展開するならば、Dの「見込み」は、年末調整の対象にならないと主張する側が「あること」につき立証責任がある事実だということになります。
しかしまあ、税法で「見込み」ときくと非常に憂鬱な気分になります。合併のような一大イベントならともかく、年末調整のような大量処理が必要な局面において、逐一「見込み」で切り分けをしなければならないとか、どこまで真面目にやってられるのでしょうか。
【税法における見込みと予測可能性】
中里実ほか「租税法概説 第4版」(有斐閣2021)
要件事実論()イジりはこの程度にして。
○
他方で、「しかた」(6頁)によれば、対象者になる/ならないは次のように整理されています(一部省略と連番振り直しをしています)。
【年末調整の対象となる人】
(1) 1年を通じて勤務している人
(2) 年の中途で就職し、年末まで勤務している人
・年の中途で退職した人のうち、次の人
(3) 死亡により退職した人
(4) 著しい心身の障害のため退職した人で、その退職の時期からみて、本年中に再就職ができないと見込まれる人
(5) 12月中に支給期の到来する給与の支払を受けた後に退職した人
(6) いわゆるパートタイマーとして働いている人などが退職した場合で、本年中に支払を受ける給与の総額が103万円以下である人(退職後本年中に他の勤務先等から給与の支払受けると見込まれる場合を除きます。)
(7) 年の中途で、海外の支店へ転勤したことなどの理由により、非居住者となった人(非居住者とは、国内に住所も1年以上の居所も有しない人をいいます。)
【年末調整の対象とならない人】
(8) 本年中の主たる給与の収入金額が2000万円を超える人
(9) 2か所以上から給与の支払を受けている人で、他の給与の支払者に扶養控除等申告書を提出している人や、年末調整を行うときまでに扶養控除等申告書を提出していない人(月額表又は日額表の乙欄適用者)
(10) 年の中途で退職した人で、(3)〜(6)に該当しない人
(11) 非居住者
(12) 継続して同一の雇用主に雇用されないいわゆる日雇労働者など(日額表の丙欄適用者)
一見して、条文上の要件とうまく噛み合っていない印象を受けます。以下、個別にみていきます(順不同)。
○ (1) 1年を通じて勤務している人
要件では「1年間勤務」など要求されていません。これは、親切心で典型的な類型を最初に括りだしてあげた、ということなのでしょう。
このようなアプローチ、いわゆる《類型論的アプローチ》ということができます。
本来であれば、条文上の個別の要件ごとに解釈・あてはめをしなければなりません。このようなアプローチを《規範論的アプローチ》ということができるでしょう。
が、非専門家にとって法解釈・あてはめをするのはしばしば難解です。そこでいくつかの類型を掲げておくことで、その類型にあたりさえすれば、個別の解釈・あてはめをしないでも法適用ができるようにする、これが《類型論的アプローチ》です。
《規範論的アプローチ》: 要件の解釈及びあてはめが必要
《類型論的アプローチ》: 類型にあたるかだけを判断
このように、《類型論的アプローチ》は、類型の設定がうまくできているかぎり、非常に分かりやすいものになります。
「しかた」は、決してプロ向けではなく、非専門家がスムースに年末調整業務ができるように、という趣旨でいくつかの類型を掲げてくださっているのでしょう。
にもかかわらず、《規範論的アプローチ》の観点から難癖をつけようとしている本ブログ、どうかしていますよね。全然納税者に《寄り添って》いねえじゃねえかと。
しかしながら《類型論的アプローチ》、決して良いことばかりではなく。
掲げられた類型に抜けがある場合には一気に弱点が露呈します。そして、私には「しかた」の掲げる類型には強い「ヌケ感」があるように感じられます。
○
当初のつもりでは、単に「しかた」記載のなる人/ならない人を条文に当てはめて終わらす予定でした。
が、《規範論的アプローチ》と《類型論的アプローチ》という視点が出てきてしまったので、やや込み入った話をする必要がありそうです。
ということで、ここで一旦区切って、次回、「しかた」の《類型論的アプローチ》を《規範論的アプローチ》から批判的に検討する、ということをしてみたいと思います。
リーガルマインド年末調整(その2) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その3) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その4) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
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| 年末調整
2021年11月01日
法源の機能的考察
法解釈のフローチャートを作成する過程で、「法源論」についてもその構造が見えてきました。
フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)
フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)
フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
こういうのが、チャート式学習法のメリットですよね。単にチャート作ってお終いではなく。

検討すべき事項を並列的に整理すると、次のようになると思います。

1 存在
・制定法の存在は証明不要。
・慣習の存在は証明必要。
・判決の存在は証明不要だが、それを判例として機能させるためには一定の解釈が必要。
2 素材
・素材としてはいずれも利用可能。
3 命題
・裁判所が制定法を解釈して命題化したものが制定法命題となります。
・裁判所が慣習を解釈して命題化したものが慣習命題となります。
と、ここまで書いてみて、判例(判決)をここに並べて表現するのに違和感が出てきました。
『裁判所が判例(判決)を解釈して命題化したものが判例命題となります。』
この物言いは成立するでしょうか(以下、判例のほうを略して「判決」で代表させます)。
○
というのも、判決というのは制定法・慣習を解釈したものであって、制定法・慣習のように一方的に「解釈される」だけのものではないからです。
図式的にいうと、
制定法×解釈=判決
慣習×解釈=判決
であって、制定法・慣習とはポジションが異なります。
上記の制定法命題・慣習命題を導いたのが判決であって、並列的に記述するのはやはりおかしい。
そこで、前述の表を再編すると、次のようになります。

・「条理」を追加したのは、制定法・慣習のない領域(欠缺領域)があったときでも、何某かの解釈を裁判所が行う余地を残すためです。
条理×解釈⇒判決
もちろん、欠缺領域に裁判所が判断を下すのは「司法による法創造」となり許されない、という立場もあります。が、ここでは条理による欠缺穴埋めを認める立場を表に入れ込んだらどうなるか、という観点から整理しておきます。
・命題の欄に、「判決」のほかに「判決予測」と書いたのは、現状すべての制定法・慣習に、判決による命題化が整備されているわけではないからです。
なお、命題が判決か判決予測しかないというのは、「法規範は裁判規範であって行為規範ではない」とする見解を前提としていることになります。同説からすれば、法命題は裁判所が判断しないかぎり存在せず、判断がない領域はあくまでも判決予測ができるにとどまるからです。
他方で、行為規範性を認める見解からすれば、命題の欄には判決・判決予測以外も含める必要がありますが、ここではさしあたり裁判規範説ベースで整理しておきます。
○
ということで当初の疑問、
『裁判所が判例(判決)を解釈して命題化したものが判例命題となります。』
という物言いが成立するか、ですが。
たとえば、民法177条の「第三者」に関する『正当な利益テーゼ』に通行地役権ルールを追加するのは、『正当な利益テーゼ』判例を解釈することにより新たな命題を導いたもののように思えます。
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
が、よくよく考えると、次のような連関になっています。
(制定法×解釈=判例)×解釈=判決
これは、先行判例をカッコに入れてさらなる解釈をしている、ということを表しています。
直接的には判例の解釈をしているようにみえますが、もとを正せば「制定法の解釈」にほかなりません。
制定法×解釈×解釈=判決
そうすると、判例を解釈しているようにみえる現象も、制定法の解釈に括れることになります。
括らないにしても、少なくとも「制定法・慣習の解釈」と「判例の解釈」とは別レベルのものとして捉えておく必要があるはずです。
○
「判決」と「判例」の言葉の使い分けについては折に触れて検討してきましたが、次のような説明はどうでしょうか(民事判決を前提とします)。
すなわち、最高裁(+ない場合の高裁等)の判決は、同種事案からみれば『判例』となり、類似事案からみれば『(参照)判決』にとどまると(全く無関係な事案ならただの判決)。
類似事案 同種事案
参照判決← 最高裁判決 →判例
同じ判決が、後続の事案によって判例になったり参照判決になったりするということです。
『判例』なる用語は、このような《関係概念》として捉えるのがよいのではないでしょうか。
民事訴訟法 第三百十八条(上告受理の申立て)
1 上告をすべき裁判所が最高裁判所である場合には、最高裁判所は、原判決に最高裁判所の判例(これがない場合にあっては、大審院又は上告裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所の判例)と相反する判断がある事件その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件について、申立てにより、決定で、上告審として事件を受理することができる。
そして、事案とのかかわりを気にせずあらゆる事案に適用できるものを《判例法》と呼ぶことができます。
この段階になるには、通常は事例判決の積み重ねによるのでしょう。が、最高裁が意図的に「今後はこれに従え」的な判示をした場合には(露骨には言うことは滅多にないでしょうが)、一つの判決だけで判例法扱いされることもあるでしょう。
教科書の類に「判例は○○という見解である。」と記述があったら、これが事案に応じて参照判決/判例と姿を変えるレベルのものなのか、判例法レベルのものなのか、読者側で見極める必要があります。
特に、「判例重視」を謳っておきながらただただ判決を次から次へと陳列しているだけの書籍は、読者側の苦労を要求してくるので要注意。
【判決陳列系】
内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)
○
以上を前提として、以下の問いに答えておきましょう。
「慣習は法源か?」
慣習により私人間の法律関係が規律されることになる以上、法源として機能していると理解してよいでしょう。ただし、生の慣習そのままではなく、法適用通則法3条などにより認められたかぎりでということです。
だとすると、結局のところ制定法が法源で慣習はその下請けという位置づけでは、と思わなくもないですが。
制定法 ⇒ 慣習 ⇒ 命題
(法源)
「判例は法源か?」
上述のとおり、判例の中身を分解すると「制定法・慣習×解釈=判決」となるので、少なくとも、制定法・慣習と同じ意味で法源となることはないでしょう。判例はあくまでも、法源である制定法・慣習を解釈して命題を導いたものであって、法源そのものではありません。
制定法×解釈 ⇒ 判決 ⇒ 命題
(法源)
が、判例法レベルにまで確立したものならば、それを土台としてさらなる解釈論が展開するなど、あたかも法源として機能しているようにみえることになります。
制定法×解釈 ⇒ 判例法×解釈 ⇒ 命題
(法源)
○
税理士なので「(法令解釈)通達」の法源性にも一応触れておきます。
正面から『通達は法源か?』と問われれば、誰もが「んなわけあるか!」と一蹴するはずです。
が、あたかも通達が法源であるかのように機能させてしまっている判決が実在しています。
【おなじみの】
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
この高裁判決は、通達を文言解釈することで命題を導く、なんてことをやらかしています。
学生が試験でこんなこと書いたらぼろくそに言われるでしょうに、高裁判決として堂々と宣告されています。

この手の愚かな間違いを犯す要因は、やはり法源というものの機能・構造をぼんやりとしか理解していないからでしょう。
もしもですが、本当はしっかり理解していながら、最高裁に阿るためにあえてやらかしたのだとしたら、余計たちが悪いです。
高裁判事ほどの頭のよろしい方々であることを考慮するならば、後者の可能性が高いように思いますが、なにか言い訳は可能でしょうか。
「通達を法源かのように扱っている」判決は、ほかにも沢山あって。
言い訳としては、「裁判所が法を解釈した結果、たまたま通達と同じになっただけ」というのでしょう。
が、上記高裁判決にかぎっては、真正面から、法の解釈ではなく「通達の」文理解釈なんてことをやらかしているため、残念ながらこの言い訳が通用しません。
フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)
フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)
フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
こういうのが、チャート式学習法のメリットですよね。単にチャート作ってお終いではなく。

検討すべき事項を並列的に整理すると、次のようになると思います。

1 存在
・制定法の存在は証明不要。
・慣習の存在は証明必要。
・判決の存在は証明不要だが、それを判例として機能させるためには一定の解釈が必要。
2 素材
・素材としてはいずれも利用可能。
3 命題
・裁判所が制定法を解釈して命題化したものが制定法命題となります。
・裁判所が慣習を解釈して命題化したものが慣習命題となります。
と、ここまで書いてみて、判例(判決)をここに並べて表現するのに違和感が出てきました。
『裁判所が判例(判決)を解釈して命題化したものが判例命題となります。』
この物言いは成立するでしょうか(以下、判例のほうを略して「判決」で代表させます)。
○
というのも、判決というのは制定法・慣習を解釈したものであって、制定法・慣習のように一方的に「解釈される」だけのものではないからです。
図式的にいうと、
制定法×解釈=判決
慣習×解釈=判決
であって、制定法・慣習とはポジションが異なります。
上記の制定法命題・慣習命題を導いたのが判決であって、並列的に記述するのはやはりおかしい。
そこで、前述の表を再編すると、次のようになります。

・「条理」を追加したのは、制定法・慣習のない領域(欠缺領域)があったときでも、何某かの解釈を裁判所が行う余地を残すためです。
条理×解釈⇒判決
もちろん、欠缺領域に裁判所が判断を下すのは「司法による法創造」となり許されない、という立場もあります。が、ここでは条理による欠缺穴埋めを認める立場を表に入れ込んだらどうなるか、という観点から整理しておきます。
・命題の欄に、「判決」のほかに「判決予測」と書いたのは、現状すべての制定法・慣習に、判決による命題化が整備されているわけではないからです。
なお、命題が判決か判決予測しかないというのは、「法規範は裁判規範であって行為規範ではない」とする見解を前提としていることになります。同説からすれば、法命題は裁判所が判断しないかぎり存在せず、判断がない領域はあくまでも判決予測ができるにとどまるからです。
他方で、行為規範性を認める見解からすれば、命題の欄には判決・判決予測以外も含める必要がありますが、ここではさしあたり裁判規範説ベースで整理しておきます。
○
ということで当初の疑問、
『裁判所が判例(判決)を解釈して命題化したものが判例命題となります。』
という物言いが成立するか、ですが。
たとえば、民法177条の「第三者」に関する『正当な利益テーゼ』に通行地役権ルールを追加するのは、『正当な利益テーゼ』判例を解釈することにより新たな命題を導いたもののように思えます。
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
が、よくよく考えると、次のような連関になっています。
(制定法×解釈=判例)×解釈=判決
これは、先行判例をカッコに入れてさらなる解釈をしている、ということを表しています。
直接的には判例の解釈をしているようにみえますが、もとを正せば「制定法の解釈」にほかなりません。
制定法×解釈×解釈=判決
そうすると、判例を解釈しているようにみえる現象も、制定法の解釈に括れることになります。
括らないにしても、少なくとも「制定法・慣習の解釈」と「判例の解釈」とは別レベルのものとして捉えておく必要があるはずです。
○
「判決」と「判例」の言葉の使い分けについては折に触れて検討してきましたが、次のような説明はどうでしょうか(民事判決を前提とします)。
すなわち、最高裁(+ない場合の高裁等)の判決は、同種事案からみれば『判例』となり、類似事案からみれば『(参照)判決』にとどまると(全く無関係な事案ならただの判決)。
類似事案 同種事案
参照判決← 最高裁判決 →判例
同じ判決が、後続の事案によって判例になったり参照判決になったりするということです。
『判例』なる用語は、このような《関係概念》として捉えるのがよいのではないでしょうか。
民事訴訟法 第三百十八条(上告受理の申立て)
1 上告をすべき裁判所が最高裁判所である場合には、最高裁判所は、原判決に最高裁判所の判例(これがない場合にあっては、大審院又は上告裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所の判例)と相反する判断がある事件その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件について、申立てにより、決定で、上告審として事件を受理することができる。
そして、事案とのかかわりを気にせずあらゆる事案に適用できるものを《判例法》と呼ぶことができます。
この段階になるには、通常は事例判決の積み重ねによるのでしょう。が、最高裁が意図的に「今後はこれに従え」的な判示をした場合には(露骨には言うことは滅多にないでしょうが)、一つの判決だけで判例法扱いされることもあるでしょう。
教科書の類に「判例は○○という見解である。」と記述があったら、これが事案に応じて参照判決/判例と姿を変えるレベルのものなのか、判例法レベルのものなのか、読者側で見極める必要があります。
特に、「判例重視」を謳っておきながらただただ判決を次から次へと陳列しているだけの書籍は、読者側の苦労を要求してくるので要注意。
【判決陳列系】
内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)
○
以上を前提として、以下の問いに答えておきましょう。
「慣習は法源か?」
慣習により私人間の法律関係が規律されることになる以上、法源として機能していると理解してよいでしょう。ただし、生の慣習そのままではなく、法適用通則法3条などにより認められたかぎりでということです。
だとすると、結局のところ制定法が法源で慣習はその下請けという位置づけでは、と思わなくもないですが。
制定法 ⇒ 慣習 ⇒ 命題
(法源)
「判例は法源か?」
上述のとおり、判例の中身を分解すると「制定法・慣習×解釈=判決」となるので、少なくとも、制定法・慣習と同じ意味で法源となることはないでしょう。判例はあくまでも、法源である制定法・慣習を解釈して命題を導いたものであって、法源そのものではありません。
制定法×解釈 ⇒ 判決 ⇒ 命題
(法源)
が、判例法レベルにまで確立したものならば、それを土台としてさらなる解釈論が展開するなど、あたかも法源として機能しているようにみえることになります。
制定法×解釈 ⇒ 判例法×解釈 ⇒ 命題
(法源)
○
税理士なので「(法令解釈)通達」の法源性にも一応触れておきます。
正面から『通達は法源か?』と問われれば、誰もが「んなわけあるか!」と一蹴するはずです。
が、あたかも通達が法源であるかのように機能させてしまっている判決が実在しています。
【おなじみの】
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
この高裁判決は、通達を文言解釈することで命題を導く、なんてことをやらかしています。
学生が試験でこんなこと書いたらぼろくそに言われるでしょうに、高裁判決として堂々と宣告されています。

この手の愚かな間違いを犯す要因は、やはり法源というものの機能・構造をぼんやりとしか理解していないからでしょう。
もしもですが、本当はしっかり理解していながら、最高裁に阿るためにあえてやらかしたのだとしたら、余計たちが悪いです。
高裁判事ほどの頭のよろしい方々であることを考慮するならば、後者の可能性が高いように思いますが、なにか言い訳は可能でしょうか。
「通達を法源かのように扱っている」判決は、ほかにも沢山あって。
言い訳としては、「裁判所が法を解釈した結果、たまたま通達と同じになっただけ」というのでしょう。
が、上記高裁判決にかぎっては、真正面から、法の解釈ではなく「通達の」文理解釈なんてことをやらかしているため、残念ながらこの言い訳が通用しません。
posted by ウロ at 09:53| Comment(0)
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