2023年05月29日

免税事業者Requiem(第3曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編29)

 免税事業者、インボイス誕生によって滅びゆく運命にあるわけですが。

免税事業者Requiem(第2曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編28)

 より悲惨なのが「非適格である課税事業者」。
 インボイス誕生とともに産み出されたかと思いきや、直ちに滅びゆく定めにあるという。


 インボイス施行後の「免税事業者」の取扱いは、
 ア 免税事業者による売上は、消費税の納付義務を免除する
 イ 免税事業者による仕入は、仕入税額控除の適用を除外する。
 ウ 免税事業者からの仕入は、インボイスがないので仕入税額控除を否定する。
というものです。

 この記述だけだと分かりにくいですが、結果の側からみると、消費税法における免税事業者は「消費者」と同じポジションに引きずり下ろされた、ということになります。

 そもそも、「消費者」というカテゴリ自体が消費税法には存在しないのですが、消費税法における「消費者」の取扱いは、
 ア 個人が物を売っても、事業でなければ課税対象とならない。
 イ 個人が物を買っても、事業者でなければ仕入税額控除の適用を受けられない。
 ウ 個人から物を買っても、インボイスがなければ仕入税額控除を否定する。
ということになっています。

 免税事業者と消費者とで理由づけが違うところはありますが、結論としては同じことになります。面白いのが(面白くない)ウで、免税事業者・消費者から仕入れた側の仕入税額控除については、「非適格者」からの仕入だから、という全く同じ理由で否定されるところです。
 「課税仕入」は、モノ・サービスの性質で判定することとなっており、その中には免税事業者・消費者からの仕入も含まれたままです。インボイス制度によってはじめて、これらの仕入が追い出されることになります。

 これに関連して。
 誤解されがちなのがインボイスが不要となる「古物商・質屋特例」の適用範囲について。この特例は、上記ウの例外にあたります。
 よくある税務お役立ちブログだと、「消費者」から取得した場合を前提に記述されていたりして、では免税事業者から仕入れた場合はどうなるのか、ということがはっきりしない。

 この点については、条文をみればすぐわかります。
 「他の者(適格請求書発行事業者を除く)」(令49条1項1号ハ)から取得した場合に適用されると書いてあるので、免税事業者からの取得でもこの特例が適用されるということになります。

 ついでにいうと、「適格者」がインボイスを発行してくれなかった場合はこの特例を適用できないということです。「インボイスがもらえなかったら」という要件ではなく、「非適格者から取得したら」という要件になっているので。
 適格者が発行してくれない場合については、法30条7項但書の「やむを得ない事情」を証明する必要があります。


 話が脱線したように思われるかもしれませんが、これは非適格三兄弟のうち、一番の被害者である「非適格である課税事業者」の悲惨さを引き立てるためです(以下、「非適格事業者」と略しますが、ここに免税事業者は含めません)。

 すなわち、「非適格事業者」の消費税法上の取扱いは、
 ア 非適格事業者による売上は、消費税を納税させる。
 イ 非適格事業者による仕入は、インボイスがあれば仕入税額控除を認める。
 ウ 非適格事業者からの仕入は、インボイスがないので仕入税額控除を否定する。
となっています。

 アで非適格事業者に納税させておきながら、ウで非適格事業者から仕入れた事業者の仕入税額控除は否定しています。ここがインボイス制度最大の問題点として、これまでも再三批判してきたところです。
 喩えて言うならば、「上半身は事業者、下半身は消費者」として扱っているようなものです。

 これとの対比で、「免税事業者」がまるごと消費者扱いされているのは、その帰結の当否は別として、態度としては一貫しているわけです。「非適格事業者」が上半身と下半身とで別もの扱いされていることの理由が謎すぎる。

 件の教科書では売上課税と仕入控除の関係について『消費税は税額転嫁と仕入税額控除の両輪により駆動する仕組みの税』(以下『両輪駆動』と略します)などというイメージづくりをして、あたかも綺麗な制度であるかのような印象操作をしています。が、こちらも喩えをもって対抗するならば、インボイス制度のもとにおける非適格事業者に対する仕打ちは以下のとおりとなります。

  課税馬 ←非適格事業者→ 控除馬

 手抜きですみません。まあ、あまり生々しいとセンシティブになってしまいますし。
 これが何を意味しているかというと。上記アを課税馬、ウを控除馬とし、それぞれに両手・両足をくくりつけてから両側に・・・という様子を表しています。
 私には、非適格事業者に対するインボイス制度の仕打ち、このような残虐なもののように思えます。適格事業者に対しては『両輪駆動』などといって平常運転をしているインボイス制度が、非適格事業者が事業取引の世界に闖入してきた途端、残虐な拷問道具に切り替わるということです。


 現行税制の中で暴力的な制度だと感じるもの、皆様それぞれの経済状況に応じて思うところは違うでしょう。が、残虐性という意味では、「インボイス制度における非適格事業者の取扱い」というのがトップクラスなのではないでしょうか。しかも、表向きは『両輪駆動』などと謳って残虐性を隠蔽しているあたり、極めて陰湿。

 実務家としては、制度が施行される以上、粛々とこれに従って処理をせざるをえないわけです。が、だからといって、課税庁側の口車にのって、非適格者を非国民扱いするのだけはやめてあげてほしい。
posted by ウロ at 10:26| Comment(0) | 消費税法

2023年05月22日

免税事業者Requiem(第2曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編28)

 前回の記事を書きながら念頭においていたのが、件の教科書の記述。

免税事業者Requiem(第1曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編27)

 以前の記事でもちらっと触れましたが、件の教科書では、「免税事業者」という一般的な用語を「小規模事業者」に置き換えて記述していました。正しくは「免税」ではなく「非課税」なんだと。

佐藤英明,西山由美「スタンダード消費税法」(弘文堂2022)

 言わんとするところを一部引用すると、次の通り(以下、流れに応じて、免税事業者と小規模事業者を互換的に記述します)。

P.193
『小規模事業者は「消費税を納める義務を免除する」(9T) となっていることから、小規模事業者には「課されるべき消費税額」は発生しないと考えられ、「課されるべき税はあったが免除された」というより、「そもそも課税されていなかった」といえるであろう。そうなると、小規模事業者制度の本質は、非課税事業者ということになる。』

 これを一読して、初学者が意味を取れるかどうか。
 私もいまいち意味が分からないのですが、次のような思考プロセスで「税抜にしない」という結論に持っていこうとした、と考えればどうにか理解できるでしょうか。

 ・課税ベース拡大のため、「税抜にしない」という結論にもっていきたい
 ・そのためには、小規模事業者は消費税を「もらっていない」ことにしないといけない
 ・しかし「免除」という用語は、消費税を「もらっている」のに納税しなくていいという意味だ
 ・そこで、9条を「非課税事業者制度」だと強弁することで、消費税を「もらっていない」ことにしよう

 いかにも為にする解釈という感じではありますが、突然「非課税事業者」とか言い出した理由にはなるかと。

 が、このような解釈では、同書でも盛んに主張されている「小規模事業者への支払いに仕入税額控除を適用するのは税収ロス」という物言いと矛盾することになります。小規模事業者が「非課税事業者」なのだとしたら、消費税をもらっていないことになるわけで「税収ロス」呼ばわりされる謂れはないはずです。
 居住用賃貸建物の貸主に向かって「消費税ネコババ野郎」呼ばわりするみたいな言いがかり。「非課税」なのに控除を認めてしまっていた消費税法の構造の問題であって、小規模事業者が不当な利益を得ていたわけではない。


 また、「非課税」なのだとすると、小規模事業者が行う課税仕入は全て「非のみ仕入」ということになります。そうすると、30条2項を使って仕入税額控除を否定すれば済むことになります。同条1項によって、事業者から小規模事業者まるごと適用除外する必要はないはずです。

 わざわざ1項で除外規定を設けているのは、小規模事業者の売上も4条によって「課税売上」になるのであって、除外しておかないと仕入税額控除の適用を受けることができてしまうからでしょう。
 消費税法が、売上課税ルールと仕入控除ルールを別々に規定しているせいで、それぞれに目配せを効かせておかなければなりません。

第三十条(仕入れに係る消費税額の控除)
1 事業者(第九条第一項本文の規定により消費税を納める義務が免除される事業者を除く。)が、国内において行う課税仕入れについては、次の各号に掲げる場合の区分に応じ当該各号に定める日の属する課税期間の第四十五条第一項第二号に掲げる課税標準額に対する消費税額から、当該課税期間中に国内において行つた課税仕入れに係る消費税額(当該課税仕入れに係る支払対価の額に百十分の七・八を乗じて算出した金額をいう。以下この章において同じ。)を控除する。
2 前項の場合において、同項に規定する課税期間における課税売上高が五億円を超えるとき、又は当該課税期間における課税売上割合が百分の九十五に満たないときは、同項の規定により控除する課税仕入れに係る消費税額(以下この章において「課税仕入れ等の税額」という。)の合計額は、同項の規定にかかわらず、次の各号に掲げる場合の区分に応じ当該各号に定める方法により計算した金額とする。
一 当該課税期間中に国内において行つた課税仕入れにつき、課税資産の譲渡等にのみ要するもの、課税資産の譲渡等以外の資産の譲渡等(以下この号において「その他の資産の譲渡等」という。)にのみ要するもの及び課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等に共通して要するものにその区分が明らかにされている場合 イに掲げる金額にロに掲げる金額を加算する方法
イ 課税資産の譲渡等にのみ要する課税仕入れの税額の合計額
ロ 課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等に共通して要する課税仕入れの税額の合計額に課税売上割合を乗じて計算した金額
二 前号に掲げる場合以外の場合 当該課税期間における課税仕入れの税額の合計額に課税売上割合を乗じて計算する方法


 さらに重ねて、46条1項でも除外されているのは、随分念入りだなあと思いますが。非課税ならこうはならないでしょう。

第四十六条(還付を受けるための申告)
1 事業者(第九条第一項本文の規定により消費税を納める義務が免除される事業者を除く。)は、その課税期間分の消費税につき第四十五条第一項第五号又は第七号に掲げる金額がある場合には、同項ただし書の規定により申告書を提出すべき義務がない場合においても、第五十二条第一項又は第五十三条第一項の規定による還付を受けるため、第四十五条第一項各号に掲げる事項を記載した申告書を税務署長に提出することができる。



 また、9条の「免除する」という物言い、7条の「輸出免税」の規定と同じです。

第七条(輸出免税等)
1 事業者(第九条第一項本文の規定により消費税を納める義務が免除される事業者を除く。)が国内において行う課税資産の譲渡等のうち、次に掲げるものに該当するものについては、消費税を免除する。
一 本邦からの輸出として行われる資産の譲渡又は貸付け
2 前項の規定は、その課税資産の譲渡等が同項各号に掲げる資産の譲渡等に該当するものであることにつき、財務省令で定めるところにより証明がされたものでない場合には、適用しない。


 「課税事業者」の行う輸出売上は4条により課税対象になるものの、7条により、対価の額が100000なら本体はそのまま100000で消費税は無し、ということになります。「うち9090が消費税だが納付が免除される」ということではなく、そもそも消費税は0です。

 「免税事業者」の場合はどうかというと、括弧書きで7条から除外されています。ので、輸出売上に関しても9条の規律に従います。
 ではありますが、7条と同様に「免除する」とされていることから、対価の額が100000なら本体100000で消費税は0となります。

 「非課税」とするのであれば、6条のように「課さない」と記述するのであって。「税抜にしない」という結論を導きたいという理由だけで、アクロバティックな解釈をかますことは許されないでしょう。

 6条「免除する」 →免税
 7条「課さない」 →非課税
 9条「免除する」 →非課税!?

 課税事業者も免税事業者も、課税標準は等しく資産の譲渡の対価の額(110000)であって。課税事業者であればそこから「課されるべき消費税額10000」を除く、免税事業者であれば「課されるべき消費税額」がないから除かない、というだけの話です。
 この結論を導くために、わざわざ「本質は非課税」などと言う必要はありません。政策設計のかたまりである税制に対して「本質」なるものを語ろうとする所作、眉唾ものだと思ってもらっていいと思います。


 そもそも、「免除」という用語を「もらっているけど免除する」と理解すること自体、勝手な決めつけです。「免除するからもらわなくてよい」と理解することもできるはずです。
 用語の使い方の問題であって、通念に反してまで、わざわざ「本質は免除ではなく非課税」などと言い募るほどのことでもない。

 初学者が上記記述を鵜呑みにして、「免税事業者」と言っている人に対して、「理論的に間違っている!」とか攻撃しだしたら目も当てられない。失礼クリエイターのいう「○○は目上の者に使ってはいけない」といったご宣託を真に受けて、言葉狩りをしだすような恥ずかしさ。

 なお、私自身は、消費税を「もらう」とか「もらわない」と表現することには反対です。インボイス制度の下において、仕入先に「消費税を払う/払わない」はあるものの。売上側は問答無用に課税されるのであって、売上先から「消費税をもらう/もらわない」という概念は存在しないと捉えています。
 「売上先からもらった対価の中からお国に消費税を納税する」というのが、消費税法の条文に即した表現でしょう。し、売上課税ルールと仕入控除ルールが盛大にずれていることも、このように把握することではじめて理解できるはずです。

  ○消費税を払う  ⇔ ×消費税をもらう

 「払う」があるのに「もらう」がないのはおかしい!と思うなら、それは売上課税ルールと仕入控除ルールを分断させている消費税法に文句を言ってください。


 また、免税事業者の取引を全て「非課税」だとしてしまうと、免税事業者には、9条2項でいうところの「課税」売上高というものが存在しないということになってしまうのではないでしょうか。
 もしそうだとすると、免税事業者からスタートした事業者は、どれだけ売上をあげてもそれらは全て「非課税売上」であって、課税売上高は0円のままということになってしまいます。結果、通常ルートではおよそ課税事業者になることはない、という間抜けな制度に。

 それゆえ、免税事業者であっても、4条に該当するかぎり「課税」売上になると理解しておかなければなりません。


 以上、課税する対象と納税する人を区別するとか、売上課税ルールと仕入控除ルールは別といった消費税法の基本構造を理解することの大事さがご理解いただけたかと思います。
 このあたりを理解していないと、「免税事業者は消費税をネコババしている!」といいながら「免税事業者は消費税をもらっていない」とか言い出すことの問題性に気づけないことになります。

 如何に理屈立てているようにみえても、法の全体構造を無視した立論には何の正当性も見いだせない。それを初学者向けの教科書でかましているんだから、ちょっと引く。

 話は飛びますが、前田手形法理論は(かなり極端な)価値判断からスタートしながら理論構成をしていくのですが、私には非常に説得的に思えました。その違いにはそれなりの理由があるのですが、それはまた別のお話。

前田庸『手形法・小切手法入門』(有斐閣 1983)

免税事業者Requiem(第3曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編29)
posted by ウロ at 09:13| Comment(0) | 消費税法

2023年05月15日

免税事業者Requiem(第1曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編27)

 インボイス制度導入の踏み台とされ、やがて滅びゆく定めの免税事業者。
 はなむけ代わりに、消費税法上どのように規定されているかを確認しておきます。

インボイス行為無価値論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編26)


 前提となる原則のほうから(条文は大幅に省略いれてます)。

第四条(課税の対象)
1 国内において事業者が行つた資産の譲渡等には、この法律により、消費税を課する。
第五条(納税義務者)
1 事業者は、国内において行つた課税資産の譲渡等につき、この法律により、消費税を納める義務がある。
第二条(定義)
1 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
 三 個人事業者 事業を行う個人をいう。
 四 事業者 個人事業者及び法人をいう。
 九 課税資産の譲渡等 資産の譲渡等のうち、第六条第一項の規定により消費税を課さないこととされるもの以外のものをいう。
第六条(非課税)
1 国内において行われる資産の譲渡等のうち、別表第一に掲げるものには、消費税を課さない。


 ・事業者が資産の譲渡をしたら消費税を課する(4条)。
 ・別表第一の資産の譲渡には消費税を課さない(6条)。
 ・事業者は課税資産の譲渡について消費税を納める義務がある(5条)。

 一旦、課税対象となるもの(4条)/ならないもの(6条)をあげておいてから、誰が納税するかは別途定める(5条)、という二段構えの構造になっています。
 課税される対象(課税客体)と納税すべき人(納税主体)を区別して規定しているということです(主客二元構造)。


 次に、いわゆる「免税事業者」についての規定。

第九条(小規模事業者に係る納税義務の免除)
1 事業者のうち、その課税期間に係る基準期間における課税売上高が千万円以下である者については、第五条第一項の規定にかかわらず、その課税期間中に国内において行つた課税資産の譲渡等につき、消費税を納める義務を免除する。ただし、この法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
2 前項に規定する基準期間における課税売上高とは、次の各号に掲げる事業者の区分に応じ当該各号に定める金額をいう。
一 個人事業者及び基準期間が一年である法人 基準期間中に国内において行つた課税資産の譲渡等の対価の額(第二十八条第一項に規定する対価の額をいう。)の合計額から、イに掲げる金額からロに掲げる金額を控除した金額の合計額を控除した残額


 ・基準期間の課税売上高が1000万円以下の事業者は、消費税を納める義務を免除する。

 5条に対応する例外規定となっています。免税事業者であっても4条の適用は受けたまま、ということです。
 この書きぶりからすると、免税事業者であろうがなかろうが、事業者が行う課税資産の譲渡は4条により消費税の課税対象となるが、免税事業者であれば、9条によって5条の納税が免除される、と理解することができます。

 4条:資産の譲渡は課税対象
 5条:譲渡した事業者に納税義務あり ←9条:免税事業者は納税義務免除


 このあたりで出てくるおなじみの論点が、免税事業者の基準期間の課税売上高は、「税抜」に引き直して判定するのかどうか、というものです。

 実務的には、税抜としないでそのまま判定するということで、結論自体はもはや動かしようがないです。
 問題は、この結論をどのように説明するかという点で、消費税法の構造に対する理解が問われます。


 9条2項1号で引用されている28条1項の「課税資産の譲渡等の対価の額」は次の通りです。

第二十八条(課税標準)
1 課税資産の譲渡等に係る消費税の課税標準は、課税資産の譲渡等の対価の額(対価として収受し、又は収受すべき一切の金銭又は金銭以外の物若しくは権利その他経済的な利益の額とし、課税資産の譲渡等につき課されるべき消費税額及び当該消費税額を課税標準として課されるべき地方消費税額に相当する額を含まないものとする。)とする。


 課税事業者であれば、括弧書きの「含まないものとする」規定により、税抜で判定することになります。
 他方で、免税事業者の場合、ここでいう「課されるべき消費税額」をどう読むかが問題です(地方税は省略)。以下、譲渡対価の額として「110000」を想定しながら記述します。

 この点、上記の《主客二元構造》を前提として、そこに「本体(100000)とは別に消費税(10000)がそっと乗っかっているだけ」という通俗的な見方をあてはめると、

 ・免税事業者であっても4条により課税対象となる。
 ・課税対象である以上、消費税10000をのっける必要がある。
 ・が、もらった消費税は9条で納付しなくてよくなる。

と理解することになるかと思います。
 で、免税事業者であっても本体とは別に消費税をもらうことになっているため、これを除いて判定しなければならない、と考えることになるでしょう。

 このような見解、インボイス導入にあたって「免税事業者は消費税をネコババしている!」と叫び散らしていたことと整合しており、その当否はともかく主張としては一貫しているといえるでしょう。

  免税事業者は、本体とは別に消費税をもらっているので、
 →もらった消費税を納付しないのはネコババだ!
 →もらった消費税は除いて判定すべきだ!

 ところが、免税事業者をネコババ呼ばわりしていた人たちも、ここでは「税抜にしない」という結論を取るものと思われます。もしそうだとしたら、免税事業者をネコババ呼ばわりしておきながら、消費税はもらっていないと扱うことになり、どう考えても矛盾します。

  免税事業者は、本体とは別に消費税をもらっているので、
 →もらった消費税を納付しないのはネコババだ!
 →もらった消費税は消費税じゃないから除かないで判定すべきだ!(???)

 どのように整合性をとるつもりなのでしょうか。


 私が思うに、条文上の消費税法の構造をみてみると、売上課税ルールは本体と消費税を「一体」として扱っているように理解できます。インボイス制度における仕入控除ルールが本体と消費税を「別物」と扱っているのとは違って。
 同じ取引なのに、売上側からみると「一体」、仕入側からみると「別物」とかどう考えても不自然で、これまでの記事でも散々批判してきたところです。が、現実の制度がそうなっているんだから仕方ない。

 その点はさておき、売上側からみた本体・消費税の関係は、《ゴムまり理論》のごとく、消費税があればその分本体が縮小する・消費税がなければ本体はそのまま、というイメージになります(《ゴムまり理論》を註釈なしで記述するのは気が引けますが、あえて説明すまい)。

 これを、本体と消費税は別々に存在すると考えるから、おかしなことになるわけです。というか、存在するのは対価の額110000と消費税10000だけで、本体はただの差額概念と捉えておいたほうがよいかもしれません。
 ただし、これは売上側からみた場合であって、仕入側からみると税抜本体が突如実体を持つことになります。
           売上側  仕入側
  対価の額 110000 実在   合計
  内消費税  10000 実在   実在
  税抜本体 100000 差額   実在

 このような見方からすれば、

  課税事業者:
  対価の額110000が課税対象となり、そこから消費税10000を算出する
  免税事業者:
  対価の額110000が課税対象となるが、納税義務が免除されるから消費税は算出されない

と理解することができます。
 課税資産の譲渡をすれば等しく課税対象とはなるものの、免税事業者の場合には「課されるべき消費税額」が算出されない、ゆえに税抜にしないでそのまま判定する、という結論を導くことができます。「免税事業者は転嫁することを予定していない」云々といった、消費税法に記述されていない空理空論を持ち出す必要はありません。


 インボイス推進派の皆さんですら、本当は「免税事業者は消費税をネコババしていなかった」と思っていたのだとしたら、とんでもない冤罪で滅ぼされようとしていることになります。気づかないままの犯行だとしても、それはそれで恐ろしいですが。

 が、すでに制度が出来上がってしまったわけで、せめて献花ぐらいは捧げてしかるべきではないでしょうか。

免税事業者Requiem(第2曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編28)
posted by ウロ at 10:10| Comment(0) | 消費税法

2023年05月08日

インボイス行為無価値論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編26)

 また随分とエキセントリックなタイトル、と思われるでしょうが。

租税作法論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編25)

 ここまで散々弄り倒してきたインボイス制度。
 弄りつつも、どこかですでに出会ったことがあるかのような懐かしさを感じていました。

 それがどうも、刑法学における「行為無価値論」に似ているのではないか、と思うに至りました。
 突拍子ないこと言ってやがる、と思われるでしょうが、今回はその点を敷衍してみます。


 念のためお断り(予防線)。

 ここでいう「行為無価値論」というのは、あくまでも、私が受験生だった時代の《受験界通説》としての「(二元的)行為無価値論」を指します。特定の刑法学者の見解を指すものではありません。
 もちろん、受験界通説の出所には、どなたかの刑法学説があるのでしょう。が、必ずしも当該学者の見解がそのまま反映されているとは限りませんので、こういう留保をつけておきます。

 で、ここでいう「行為無価値論」がどのような主張をしていたかというと(デフォルメ入っています)。

A
『結果無価値論によれば、結果無価値(法益侵害)があるだけで違法性が肯定されてしまうが、それでは犯罪の成立範囲があまりにも広がってしまう。そこで、違法性を肯定するためには(結果無価値だけでなく)行為無価値(行為の相当性など)があることも要求すべきである。』

 行為無価値論にもいろんな側面がありますが、今回ネタにしたいのは上記のような主張をしていたことに関してです。
 上記記述それ自体は、大変ごもっともな内容かと思います。問題は、このような主張をしておきながら、実際には行為無価値を次のように機能させている点です。

B
(構成要件該当性が肯定されたあと)『違法性が阻却されるためには、結果無価値が無くなるだけではなく行為無価値が無くならなければならない。』

(「阻却」「無価値」「無く」といった否定語の重ねがけ、意味が取りにくいかと思いますがご容赦ください。)
 このような理屈により、たとえば偶然防衛では「防衛の意思」がなく行為無価値は失われないから正当防衛は成立せず違法性は阻却されない、といった主張が展開されていました。

 防衛の意思の要否といった個々の論点の当否はさておき。AとBとで「形式論理」レベルで矛盾が生じてしまっています。

【A/Bの帰結】
 ア 結果無価値あり+行為無価値あり ⇒違法性あり/あり
 イ 結果無価値なし+行為無価値なし ⇒違法性なし/なし
 ウ 結果無価値あり+行為無価値なし ⇒違法性なし/なし?
 エ 結果無価値なし+行為無価値あり ⇒違法性なし/あり!

 アイのように、どちらもあり、どちらもなしなら結論は分かれません。
 他方で、ウエのように、片方だけありの場合が問題となります。
 この点、ウは、ABいずれからも違法性なし(阻却される)となるかと思われます。が、エは完全に結論が分かれることになります。Bによれば、結果無価値がなくても行為無価値さえあれば違法性が阻却されず犯罪が成立するんだと。

 表向き(A)は犯罪の成立範囲を限定するために行為無価値を考慮するといっておきながら、実際(B)には犯罪の成立範囲を拡大するために行為無価値を機能させている、ということになっています。
 同じ法分野でも、結論の妥当性が重視される分野ならともかく。比較的論理が重視される刑法学ですら、こういう主張がまかり通っているのが、私にはさっぱり理解できませんでした。

 行為無価値論×結果無価値論の対立軸には、客観/主観、事前/事後、など様々なものがあり、受験生レベルでも(それっぽい)議論がなされることがありました。が、私には、形式論理レベルで成立していない、という一点だけで、行為無価値論を避けることとなってしまいました。

 誤解のなきように。
 決してBの主張それ自体がおかしい、ということをいっているのではなく。そうではなく、Bの立場をとるのであれば、最初からB前提で理論構成をすべきであって。それと矛盾するAなどを表に立たせるべきではない、ということです。


 余談ですが、受験界通説としての行為無価値論の主張は全く理解できなかったものの、さりとて結果無価値論では判例から離れてしまう。ということで、受験対策としては「違法性の本質」みたいな大上段の議論は避けつつ、以下の本(当時は書研)を使って割り切りで学習を進めました。

裁判所職員総合研修所「刑法総論講義案 (四訂版) 」(司法協会2016)


 さて、翻ってインボイス。
 これまでの一連の記事で分かったインボイス推進派の皆さんの主張の内実。

A もらった消費税と払った消費税は一致させるべき!
B 仕入先がもらった消費税を納税していても、仕入先からインボイスをもらえなければ仕入元は控除できない(損税)。

 表向きの美しい主張(A)と実際のインボイスの機能(B)のコントラストが、上記行為無価値論のA/Bとそっくり。

 こういう主張を課税庁なり処罰庁なりが言い出すのは、自己の利害に従っただけなので、理解はできます(処罰庁なんて言葉ありませんが、課税庁になぞらえた言葉として使っています)。
 が、頭のいい学者先生までもが、これに倣うのが全く理解できません。
 インボイス導入を推進するのはいいとして。導入根拠まで課税庁の言い分をなぞるのではなく、損税を正当化できるような理論的な根拠をしっかり示してほしい。

 私のような学の浅い人間ですら分かるような矛盾に、頭のいい学者先生が気づいていないはずないですよね。
 もし、分かっていて確信犯的にインボイス推進を展開しているのだとしたら、非常にたちが悪い。

免税事業者Requiem(第1曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編27)
posted by ウロ at 09:12| Comment(0) | 消費税法

2023年05月01日

大島 眞一「完全講義 民事裁判実務の基礎 上巻(第3版) 」(民事法研究会2019)

※どれを買えばいいのか分からない、でおなじみの。
 改題されるとのことで。「要件事実論」については2024年5月出版の「要件事実編」を買えばよいようです。

大島眞一「完全講義 民事裁判実務 要件事実編」(‎民事法研究会2024)
大島眞一「完全講義 民事裁判実務 基礎編」(‎民事法研究会2023)

 以下は改題前の書評。


 以前、あまりにも奇妙な「要件事実論の展開」を見せられたっきりでそのままにしてしまったので、理解を正常に戻すために本書を読むことにしました(リロード)。

【奇妙な要件事実論】
伊藤滋夫編「租税訴訟における要件事実論の展開」(青林書院2016)
伊藤滋夫ほか「要件事実で構成する所得税法」(中央経済社2019)

大島 眞一「完全講義 民事裁判実務の基礎 上巻(第3版) 」(民事法研究会2019)

 同著者で、似たような紛らわしい書名のものがあれこれありますが、「要件事実論」だけでよければ本書になるようです。


 「要件事実論」でどれか一冊、ということであれば本書がよさそうです。
 司法研修所(民裁教官室)の『公式』本の行間を、しっかり埋めてくれています。

 司法研修所「紛争類型別の要件事実」(法曹会2023)
 司法研修所「新問題研究 要件事実」(法曹会2023)

 かといって、『公式』べったりの記述ではなく。一応の前提としつつも、疑問があるところはきちんと指摘されれています。
 『公式』って、実務寄りかと思いきや、かなり理屈先行なところもあります。そのあたりを実務的な観点から調整している感じです。

 ボリュームたっぷりですが、それは説明が丁寧なせいなので、読んでいてそれほど負担には感じないです。
 

 「プロローグ(+イラスト)」に、上滑り気味な事例が載っているのですが、この事例が「要件事実論」本体に活かされていません。でてくるのは、第1部(基本構造・訴訟物)の中でちょろっと。
 本論である第2部(要件事実)の事例では、プロローグの妙ちきりんな人物は出てこず。普通に原告X・被告Y・第三者A・甲土地・乙土地といった、いつもどおりな事例となっています。

 ので、プロローグは削っていいと思います。
 仮に、古本で買ったら切り取られていたとしても、大して支障はない。おかげでお安く手に入るならば(商品状態:可)お得でしょう。目次・本文間の「夾雑物」が無くなってアクセスがスムースになりますし。

 ちなみに、この手法の成功例は下記書籍。舞台設定・登場人物を固定して、会社の発展にあわせて各項目を解説していくというもの。

大垣尚司「金融から学ぶ会社法入門」(勁草書房2017)

 対して本書は、最初の数ページを進んだところで、プロローグのことがすっかり忘れ去られてしまっている。
 真面目な裁判官がユーモアあふれる事例を思いついたということで、ウケ狙いで最初にねじ込んでみたものの、ふざけきれずに元の真面目に戻っていく様。と捉えると、最初の悪ノリ感がなし崩しで消えゆく本書の構成が、納得できます。

 あと現役法曹のポエムみたいなものがジャミング的に度々差し込まれてくるのですが、本文の要件事実論とは全く関係のない内容となっているので、これもなくていいと思います。
 個々の記述の中身がどうこう、というのでなく。「要件事実論」を集中して学習する際の妨げになる、ということです。
 《Coffee Break》するなら自分のタイミングでするのであって、他人にそのタイミングを指図される謂れはない。


 と、イチャモンをつけましたが、本文の内容自体はとてもよいものです。

 記述の仕方が、まず実体法上の要件を提示した上で、それを要件事実として請求原因・抗弁以下に分配していく、という基本的なお作法に則った所作になっています。

 また、評価と事実は区別すべき、要件事実の中に評価を混ぜ込んではいけないということも、具体例をまじえてしっかり書かれていました。

 例の「要件事実で構成する」が、いかに要件事実で構成されていないかが浮き彫りに。
 あやふやだった私の要件事実理解が、本書を教師+例の本を反面教師とすることで深まったので、そのかぎりでは収穫があったといえなくもない(アクティブ・ラーニング)。

アクティブ・ラーニング(カテゴリ)


 なお、本書の「訴訟物」の説明はあんまりしっくりきません。

 たとえば、賃貸借契約終了に基づく明渡請求権につき、終了原因ごとに訴訟物が別にならないことの理由として、次のような記述が書かれています(337頁)。

(2)終了原因との関係
 賃貸借契約の終了原因と訴訟物のとらえ方については考え方の分かれるところであり、賃貸借契約の終了原因ごとに訴訟物がすべて異なるとの見解(多元説)もある。
 しかし、賃貸借契約の終了に基づく目的物返還請求権は、賃貸借契約に基づく賃借人の義務の1つであり、個々の終了原因ごとに賃借人の返還義務が発生するわけではない。
 したがって、1個の賃貸借契約に基づく目的物返還請求である限り、賃貸借契約の終了原因にかかわらず、訴訟物は常に1個であり、個々の終了原因は原告の攻撃防御方法にすぎないと考えられる(一元説)。
 以上より、賃貸借契約の終了に基づく不動産明渡請求権の訴訟物は、「賃貸借契約の終了に基づく目的物返還請求権としての建物明渡請求権」となる。


 これ、私にはただ結論が書いてあるようにしか読めません。

 旧訴訟物理論を採用するならば、実体法の請求権ごとに訴訟物の個数が決まることになります。では、実体法の請求権がいくつか、ということが問題になるわけですが、この記述では終了原因が別でも請求権はひとつだ、と書かれています。
 が、そう解する根拠がない。終了原因ごとに賃借人の義務が別になる、と考えることも可能なわけで、なぜそう考えないのかの理由も書かれていません。

 訴訟法 訴訟物の個数は請求権ごと(旧訴訟物理論)
 実体法 請求権はいくつ?

 みんな大好き「三段論法」で表現すると次のとおり。

 ・訴訟物は請求権ごとに数える(旧訴訟物理論の採用)。
 ・終了原因ごとに請求権は分かれない。
 ・ゆえに訴訟物は終了原因に関わらず一つである。

 いかにも正しそう。ですが、これは次の三段論法と同じノリです。

 ・遠足におやつを持ってきてはいけない。
 ・バナナはおやつである。
 ・ゆえに遠足にバナナは持ってきてはいけない。

 バナナがおやつに包摂されることが論証されていないのに、先走って小前提に組み込んでしまっていることが問題なわけです。

 訴訟法レベルでは、実体法の請求権ごとに個数を数えることに決着したとして、実体法レベルでの請求権の個数は、実体法の解釈により導かなければなりません。
 が、実体法側からすれば、終了原因ごとに請求権が分かれるかなんてどうでもよいことでしょう。債務不履行と不法行為とで請求権が一つか二つかということは喧々諤々議論されているというのに、本論点に関しては華々しい議論が展開されることもなく。実体法レベルでは特に実益がないからでしょうかね。

 訴訟法の側で「実体法にあわせる」と言ってしまったせいで、急遽「請求権の個数」を数えなければならなくなったという、もっぱら訴訟法の都合にすぎません。そして、実体法で十分な議論がされていないのをいいことに、大した根拠も示さずに訴訟法の側で勝手に個数を決め打ちしてしまうという。

 新訴訟物理論が訴訟法レベルで正面から解決しようとした「紛争の一回的解決」のようなものを、「請求権は一つ」ということで、こっそり実体法レベルで解決ずみにしようとしているのではないでしょうか。

 このような振る舞い、私法の側で何の受け入れ準備もされていないのに、税法上の概念を「私法準拠」で解釈しようとする「借用概念」と通ずるものがあります。税法のことなど考えずに解釈された民法解釈論上の「住所」概念を、勝手に税法解釈に流用されても困ると思うのですが。

 要件事実の説明は、実体法の解釈から説き起こした丁寧な説明が展開されているのに対して、なぜか訴訟物の説明はいかにも『公式』準拠っぽい書きぶり。要件事実論が丁寧に展開されているからこそ、余計に目立つ。
 まあ、旧訴訟物理論を前提とする限り、訴訟物の個数云々に関する記述は、本体の要件事実論の理解には影響しないので、要件事実論の学習上はあまり気にしないでいいと思いますが。


 なお、私自身は『訴訟物』概念そのものの有用性を疑っています。そんな概念実定法上存在しないわけで。

 ここで詳述するつもりはありませんが、たとえば既判力の客観的範囲につき、条文上は「主文に包含するもの」とされているのであって「訴訟物に生ずる」などとはされていません。これをなぜ、わざわざ訴訟物に読み替える必要があるのか。

民事訴訟法 第百十四条 (既判力の範囲)
1 確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する。


 訴訟物概念が持ち出されるその他の箇所も個別の要件ごとに検討すべきものであって、訴訟物概念でむりやりひとつにまとめるものではない、というのが私見。
 とはいえ、今のところは「そう思う」レベルのものにすぎず、本格展開するほど煮詰まった考えではありません。

 こういうスタンス、「借用概念」「包括的所得概念」「権利確定主義」など、中二階的な説明理論を持ち出してなにかと統一的に説明しようとすることへの反感とも通ずるところがあるかもしれません。
posted by ウロ at 11:10| Comment(0) | 民事訴訟法