当初は、タイトルを「規範がない。ただのしかばねのようだ」にしようと思ったのですが。「しかばね」どころか、頭がもげても暴れまわる化け物に近いので、変更することとしました。
最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
さっそくですが、問題です。
【問題】
本判決の判旨を「法的三段論法」として構成してください。
最高裁令和6年5月7日第三小法廷判決
法人税法127条1項の規定による青色申告の承認の取消処分については、その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし、その相手方に事前に防御の機会が与えられなかったからといって、憲法31条の法意に反するものとはいえない。このことは、最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁の趣旨に徴して明らかである。本件処分に所論の違憲はなく、論旨は、採用することができない。
【答え】
できません。
というのも、本判決には「結論」が書かれているだけで。規範・事実・あてはめが存在しないからです。
もちろん、《総合較量型》の判断枠組みにおいては、「◯◯ならば事前手続必要」のような、単純な「要件⇒効果」で規範を記述することはできません。が、《総合較量型》であっても、考慮すべき要素を列挙したうえで、それらを拾い上げて当該処分にあてはめる、ということをやっているはずです。
その思考プロセスが、本判決ではまるっと省かれてしまっています。
◯
ところで、本判決で引用されている大法廷判決(の法廷意見)は、次のとおりとなっています(ABCは私が挿入)。
最高裁平成4年7月1日大法廷判決(成田新法事件)
A 憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。
B しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。
C 本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり当該工作物の三態様における使用であり、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全という国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からその確保が極めて強く要請されているものであって、高度かつ緊急の必要性を有するものであることなどを総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものということはできない。また、本法三条一項一、二号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりである。
本判決で、大法廷判決のBが短縮されてしまっているのは、「その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし」の『等』の部分に、省略したものを全部詰め込んでいるということでよろしいでしょうか。
もしそうだとすると、本判決でも一応「規範」は示していると評価することができるでしょうか。
ただ、本来「規範」というのは、条文のままでは事実をあてはめて結論を導くのが難しい場合に、解釈によって「解きほぐし」をしたものです。このことは《要件効果》型の規範であれば明確です。
が、《総合較量》型では、「規範」ぽく形を整えたところで、事実のあてはめは難しいままです。ゆえに、規範とはいっても《要件効果》型と同じ意味での規範とはなりえないです。
・
そのことより問題は、Cにあたる部分(事実とあてはめ)が本判決には一切出てこないということです。
結論の当否はさておき、大法廷判決では、「工作物使用禁止命令」につき、処分の内容等とそれにより制限される権利利益の内容等を拾い上げて、総合較量をしています。ところが、本判決では、「青色申告の承認の取消処分」の内容等や制限される権利利益の内容等につき、何らの記述もありません。
もちろん、(宇賀先生をハブった)判事全員で、何かしら検討はしたのでしょう。が、それが一切判決文に現れていないということです。
何だよ「照らし」って。
一応「規範」らしきものを示しているのだとしても、そこに事実をあてはめていない以上、「規範」として使っていないということになります。
・
また、本判決は、大法廷判決の「趣旨に徴して明らか」なんて宣っていますが。
大法廷判決が言っていることは、行政処分ごとに総合較量せよ(B)ってことと、「工作物使用禁止命令」はその総合較量の結果、事前手続いらないよ(C)ってことであって。
「その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし」などと書くだけで、何らの理由付け無しに、他の行政処分についても事前手続不要という結論が導ける、なんてことまでは言っていません。
仮に学生さんが「青色申告の承認の取消処分には事前手続不要(成田新法事件判決同旨)。」なんて答案を書こうものなら、『判例を一般化しすぎ!』『判例の射程を勉強し直せ!』『それぞれの事件で問題となった処分の違いを無視すんな!』と怒られるやつですよね。
そんな落第答案でも、最高裁なら許されてしまう、権威のカタマリがゆえ。『法学では理由づけ(リーズニング)が重要』なんてのは、われわれがなんら権威のない一般人だからですよ。
・
もしかしたら、大法廷判決(の法廷意見を構成する判事)も、主観的には「こんなもん、事前手続いらないに決まってんじゃん」と思っていたのかもしれません。が、判決文ではきっちりCであてはめをやっているわけです。
そこに、権威に依存するだけではない、法律家としての《矜持》があるものと感じられます。
翻って、本判決。
『最終審として結論さえ示せばよいのであり、必ずしも説得力のある理由付けをする必要はない。』という、最高裁の俗悪なところを煮しめたような判決文。
先日書いたとおり、「4人全員が一致したかぎりでしか書けなかった」ということなのかもしれません。
「その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし、
林判事 a,b,cだから
長嶺判事 b,c,dだから
今崎判事 c,d,eだから
渡辺判事 d,e,事後手続充実,事情変化なしだから
その相手方に事前に防御の機会が与えられなかったからといって、憲法31条の法意に反するものとはいえない。」
が、外野の人間からすれば、書かれていることだけからしか判断できないのだから、『権威剥き出しの判決』だという批判も、甘んじて受け入れるべきではないでしょうか。
しかしまあ、上記の通り総合較量の中身が一致してしないのだとしたら、渡辺判事が1人だけ自分の考慮要素(の一部)を開陳したことの意味がよく分かりません。
・
ちなみに、渡辺補足意見で引用されているほうの判決。
最高裁平成4年9月10日第一法廷判決
法人税法127条2項の規定による青色申告の承認の取消処分については、その処分の内容、性質等に照らし、その相手方に事前に告知、弁解、防御の機会が与えられなかつたからといつて、憲法13条あるいは31条の法意に反するものとはいえない。このことは、最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決の趣旨に徴して明らかである。
本判決とそっくり。文字通りの「同旨」。
ですが、多数意見ではこちらを引用せずに、大元の大法廷判決を引用しています。なんでだかよく分かりませんが、大法廷判決の権威性に頼った、ということなんでしょうか。
・
その渡辺補足意見についてですが。
2点補足と言っているものの。
大法廷判決のCにあたるものが秘されたままで、畢竟独自の追加要素だけチラ見してくれたところでねえ、って感じですよね。DLC(ダウンロードコンテンツ)だけじゃ、本編遊べないんですよ。
補足意見でしか書かれていないということは、全員(4人)一致の意見ではないということですし。
その2点も、いかなる事実に基づくか不明の、ただのご意見・ご感想。
「専門性を有する第三者的機関ともいい得る国税不服審判所」
専門性、第三者的機関あたりは、「一般的にそう言われている」としてよいと思います。が、「ともいい得る」と一段階ぼやかしたのは、どういう根拠からなのか。
「充実した審査請求手続」
いったい、どのような制度があることをもって「充実した」と評価したのか。
「多数意見は、関係規定の制定経緯等に鑑み、こうした事情の変化も念頭に置いた上で、憲法判断の変更は要しないと判断した」
どこまでの「事情の変化」があれば憲法判断の変更を要することになるのかという「規範」も、どのような「事実」をもってどの程度の変化しかないと評価したのかも、いずれも不明です。
規範も事実も摘示せずに、「私はこう思う」だけで判事1人の意見としてカウントされてしまうのが、最高裁判事の特権的地位。
・
では、宇賀反対意見がどうかというと。こちらも「原則必要」という結論が書かれているだけです。
処分庁が不利益処分を行う場合には、誤った不利益処分による権利侵害が行われないように事前にその根拠法条とそれに該当する事実を通知し、相手方に事前に意見陳述の機会を保障することが、憲法上の適正手続として要請されるのが原則であり、法人税法127条1項の規定による青色申告の承認の取消処分(以下、本反対意見においては「青色申告承認取消処分」という。)について、その例外を認めるべき合理的理由は見いだし難い。
「原則であり」と結論だけがあって、理由づけはすっぽ抜けています。
この後ろにあれこれ書かれていることは、高裁を仮想敵に仕立て上げた上で、「例外を認めるべき合理的理由」は存在しない、ということだけです。では、どのような事由なら「例外を認めるべき合理的理由」になりうるか、という「規範」が示されていません。
「原則必要」からスタートという点で、多数意見とは真っ向対立しているのですが。「必要と不要の境界がぼんやりしている」という点では、多数意見も宇賀反対意見も一致しているということです。
もちろん、最高裁は「事案の解決に必要なかぎりで判断を示す」のが通常であって。逐一限界ラインを示す必要はないです。
ただ、本判決の書きぶりは、本件事案をガン無視した上で、すべての「青色申告の承認の取消処分」に及ぶように表現されています。最高裁自身がわざと射程を広げてきていることには留意すべきでしょう。
◯
多数意見は、大法廷判決にあやかっているだけだし。渡辺補足意見は、根拠を示さずご意見ご感想を述べているだけだし。宇賀反対意見は、高裁を仮想敵に仕立て上げて勝手に戦っているだけだし。
笑っちゃうくらい、誰一人、上告人のことを見ていない。
いつもなら、「一般法理」は二の次で、「当該事案の解決」を第一に考えているはずの最高裁ですが。本判決では、個別の事案はまるで眼中になく。あとは判例としてどこまでのことをいうか、に全員集中している。
最高裁で稀に現れる、《純粋法律審》って感じの判決だというのが、私の本判決に抱いた印象。
以上、「令和も事前手続軽視でいくぜ!!」という最高裁の意気込みが表明されただけの、悲しい判例でした、というお話しです。
法廷意見をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決の多数意見vs補足意見
2024年05月27日
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
posted by ウロ at 10:09| Comment(0)
| 判例イジり
2024年05月20日
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
本判決を「判例」という観点から、軽く眺めておきます。
最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
判例の機能的考察(タイトル倒れ)
・
本判決の判例としての「射程」について。
本判決が、本件で問題となった処分に限った判断なのであれば、本判決の射程は極めて狭いものであったはずです。が、本判決の多数意見、渡辺補足意見(漢字は失礼します)、そして驚いたことに宇賀反対意見でさえも、本件処分の個別事情に一切触れていません。
個別事情を考慮に入れて判決する際にでてくる『原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。』がありません。同一タイミングで同小法廷に係属していた、全く別の「青色申告の承認の取消処分」についての判決だよ、と言われても、おそらく誰も気が付かないくらい。
(余談ですが、ムゲンエステート・ADW事件判決は、「正当の理由」についての判断があるかどうかで見分ける。)
テンプレ判決 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
虚弱判決(その1) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
ゆえに、本判決は、法令レベルにおいて《青色申告の承認の取消処分をするのに事前手続は不要》という判断をした判例だと読むことになるでしょう。当該事案のかぎりで事前手続不要としたのではなく。
もちろん、今後「とてもかわいそう」な事案が出てきたときに、個別事案ごとの適用レベルで、事前手続必要だと判断することまで制約されるわけではないはずです。
・
違憲の反対意見を出した宇賀判事ですら、個別事情をガン無視しているというのがなかなかの驚きで。あれこれ書いてあるものの、本件処分に関する個別事情は、見事なまでに一切でてきません。うっかり書いてしまいそうなものですが、徹底して個別事情に対する言及が排除されている。
「学理」的な理由から違憲と判断したまでで。個別事案における救済の必要性はおよそ検討するまでもない、という見解なのでしょうか。
本ブログでは、「何とも触れづらい...。」という最高裁とは全く別の思惑から、本件事案の中身については、あえて一切触れないこととしているのですが。
本論ではゴリゴリに対立している、多数意見+渡辺補足意見vs宇賀反対意見だというのに。「個別事情は無視無視!」という点だけは、綺麗に統制がとれていて(文字通りの『裁判官全員一致の意見』)。
我々外野の人間は、「最高裁判事からみるとそういう評価がされる事案なんだなー。」という限度で理解しておけばよいでしょうか。
・
本論点に関する先行判例としては、30年ほど前の平成初期の判例が出たきりの状況でした。ので、「確かに事前手続いらないというのが先行判例だけども、30年前の古い判決だから今はどうなるか分からんよ。」などと言えていたところでした。
ところが、本判決の登場により、令和の最新判例として「事前手続重視しない系の判例」が更新されてしまいました。
本件上告人としてはやむにやまれぬ事情にて、最高裁に至るまで真面目に争ったのでしょう。が、結果としては、最高裁による判例更新にまんまと利用されただけで終わってしまったと。
ならば、「判例更新にご協力どうもね〜」ということで、多少なりとも個別事情に触れてあげるとかしてあげてもいいのに。利用するだけ利用しておきながら、個別事情ガン無視という、冷酷無比な仕打ち。
・
平成初期の判例がそのまま更新されてしまったので、さらにあと何年かは、このままのスタンスでいくことになるのでしょう。
今後、「青色申告の承認の取消処分」に限らず、本判決を笠に着た不意打ち気味な運用が強化されていくとしたら、嫌な感じ。あまりに酷ければ、裁判所が、本判決の射程は及ばないと「事例判断」してくれるでしょうか。
が、下級審レベルだと、本判決の射程を過大に読み取って、
・「青色申告の承認の取消処分」以外の処分についても事前手続不要。
・「とてもかわいそう」な事案でも、個別救済は一切しない。
などという判断になりそうで怖い。
もちろん、(優秀な)裁判官が最高裁判例の「射程」というものを理解できていない、などというのではなく。本判決が事前手続を不要とした根拠を書いてくれていないせいで、ある種の「萎縮効果」が生じてしまうのでは、という読みです。
最高裁様が「その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等」の中身をきちんと書いてくれていれば、その中身と異なるタイプの処分には射程が及ばない、と解することもできたはずです。が、中身が不明である以上、保守的(判例を限定しない方向)に判断せざるをえないでしょう。
また、個別事情の考慮を徹底して排除している、という本判決の姿勢からは、個別事案ごとの例外を一切認めない立場だと読んでしまうのも、無理もないところです。
『事案によっては必要かもしれないが、本件では不要。』などと留保をつけていてくれれば、そこを広げることができたはずです。が、本判決には個別事情が入り込む一分の隙もない完全防御形態のため、事前手続必要という結論にもっていくためには、本判決に正面から逆らっていかなければならないことになります(判例違反)。
そこまでの重荷を下級審の裁判官に負わせるのは現実的でなく。救済してもらうには、最高裁までいって「事例判決」を出してもらうしかないでしょうか。
・
『判例』などというと、いかにも高尚なもののように思われるかもしれません。が、本判決がやっていることは、国税庁が「通達」として下位機関宛に出しているものと、機能的には変わりません。
もちろん、最高裁自身が、自己の保有している法令審査権を「付随的審査権」と自己規定しているので、個別事件と全く無関係な判断をすることはできません。し、憲法上の制約から、別事件の下級審の裁判官に対して、ダイレクトに自己の見解を押し付けることもできません(裁判官の独立)。
そこで、命令を出したい論点を含む上告がまんまとやってきたら、ここぞとばかりに「一般法理」を振りかざした判決を出すことで、『通達みてえな判決』を発出することが可能になります。
そして、上記のとおり、下級審の裁判官は、最高裁判決に過度に広汎に従わざるをえないと。《司法裁判権の皮を被った司法行政権》とでもいえばよいでしょうか。
ところで、税理士にとって判決文というと、「読むのしんどそう」と拒絶感が出てしまうものかもしれません。が、本判決のような判例にかぎっては、「通達みてえなやつ」だと思えば、「お馴染みのあれ」って感じで自然に読みこなせるようになるのではないでしょうか。
・
ちなみに、判決と通達の対応関係はこんな感じになるでしょうか。
法理判決 ⇒ 法令解釈通達
事例判決 ⇒ 文書回答事例
権力分立を《完全分離型》でしか理解していないと、司法権と行政権とが全く別の役割を果たすべきもののように思ってしまいがち。ですが、ルールの設計(立法)と運用(行政・司法)という観点からすれば、行政・司法は同じ役割を担っているのであり。遣り口が違うだけで「法の適正な実現を目指す」という建前は同じはずです。
税法上の処分に対する不服申立手続についても、ことさらに行政/司法とで分断して理解するのではなく。「国税庁(国税局・税務署)⇒審判所⇒下級審⇒最高裁」と直列で捉えておいたほうが、実態に即するものと思います。
行政のやらかしを、行政がチェックするか司法がチェックするかの違いに過ぎず。「行政救済法」という学問領域が成り立っているのも、一つの救済体系として捉えられるからですよね(なので、それぞれの根拠法単位で縦割りで記述してあるだけの教科書を読むのはつまらない)。
なお、渡辺補足意見が『専門性を有する第三者的機関ともいい得る国税不服審判所』なんて、画素の粗い表現をしているの。《完全分離型》が念頭に置かれているせいで、審判所がうまく位置づけられていないからでは、と邪推しています。
◯
まあ、行政・司法でグダグダしている間に、宇賀先生が退官して、立法作業に加わることで逆襲してくれることをほんのり期待しておきます。
とはいえ、在任中に出された反対意見を順番に実現していくだけでも、相当な作業になりそうですが。
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
判例の機能的考察(タイトル倒れ)
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本判決の判例としての「射程」について。
本判決が、本件で問題となった処分に限った判断なのであれば、本判決の射程は極めて狭いものであったはずです。が、本判決の多数意見、渡辺補足意見(漢字は失礼します)、そして驚いたことに宇賀反対意見でさえも、本件処分の個別事情に一切触れていません。
個別事情を考慮に入れて判決する際にでてくる『原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。』がありません。同一タイミングで同小法廷に係属していた、全く別の「青色申告の承認の取消処分」についての判決だよ、と言われても、おそらく誰も気が付かないくらい。
(余談ですが、ムゲンエステート・ADW事件判決は、「正当の理由」についての判断があるかどうかで見分ける。)
テンプレ判決 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
虚弱判決(その1) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
ゆえに、本判決は、法令レベルにおいて《青色申告の承認の取消処分をするのに事前手続は不要》という判断をした判例だと読むことになるでしょう。当該事案のかぎりで事前手続不要としたのではなく。
もちろん、今後「とてもかわいそう」な事案が出てきたときに、個別事案ごとの適用レベルで、事前手続必要だと判断することまで制約されるわけではないはずです。
・
違憲の反対意見を出した宇賀判事ですら、個別事情をガン無視しているというのがなかなかの驚きで。あれこれ書いてあるものの、本件処分に関する個別事情は、見事なまでに一切でてきません。うっかり書いてしまいそうなものですが、徹底して個別事情に対する言及が排除されている。
「学理」的な理由から違憲と判断したまでで。個別事案における救済の必要性はおよそ検討するまでもない、という見解なのでしょうか。
本ブログでは、「何とも触れづらい...。」という最高裁とは全く別の思惑から、本件事案の中身については、あえて一切触れないこととしているのですが。
本論ではゴリゴリに対立している、多数意見+渡辺補足意見vs宇賀反対意見だというのに。「個別事情は無視無視!」という点だけは、綺麗に統制がとれていて(文字通りの『裁判官全員一致の意見』)。
我々外野の人間は、「最高裁判事からみるとそういう評価がされる事案なんだなー。」という限度で理解しておけばよいでしょうか。
・
本論点に関する先行判例としては、30年ほど前の平成初期の判例が出たきりの状況でした。ので、「確かに事前手続いらないというのが先行判例だけども、30年前の古い判決だから今はどうなるか分からんよ。」などと言えていたところでした。
ところが、本判決の登場により、令和の最新判例として「事前手続重視しない系の判例」が更新されてしまいました。
本件上告人としてはやむにやまれぬ事情にて、最高裁に至るまで真面目に争ったのでしょう。が、結果としては、最高裁による判例更新にまんまと利用されただけで終わってしまったと。
ならば、「判例更新にご協力どうもね〜」ということで、多少なりとも個別事情に触れてあげるとかしてあげてもいいのに。利用するだけ利用しておきながら、個別事情ガン無視という、冷酷無比な仕打ち。
・
平成初期の判例がそのまま更新されてしまったので、さらにあと何年かは、このままのスタンスでいくことになるのでしょう。
今後、「青色申告の承認の取消処分」に限らず、本判決を笠に着た不意打ち気味な運用が強化されていくとしたら、嫌な感じ。あまりに酷ければ、裁判所が、本判決の射程は及ばないと「事例判断」してくれるでしょうか。
が、下級審レベルだと、本判決の射程を過大に読み取って、
・「青色申告の承認の取消処分」以外の処分についても事前手続不要。
・「とてもかわいそう」な事案でも、個別救済は一切しない。
などという判断になりそうで怖い。
もちろん、(優秀な)裁判官が最高裁判例の「射程」というものを理解できていない、などというのではなく。本判決が事前手続を不要とした根拠を書いてくれていないせいで、ある種の「萎縮効果」が生じてしまうのでは、という読みです。
最高裁様が「その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等」の中身をきちんと書いてくれていれば、その中身と異なるタイプの処分には射程が及ばない、と解することもできたはずです。が、中身が不明である以上、保守的(判例を限定しない方向)に判断せざるをえないでしょう。
また、個別事情の考慮を徹底して排除している、という本判決の姿勢からは、個別事案ごとの例外を一切認めない立場だと読んでしまうのも、無理もないところです。
『事案によっては必要かもしれないが、本件では不要。』などと留保をつけていてくれれば、そこを広げることができたはずです。が、本判決には個別事情が入り込む一分の隙もない完全防御形態のため、事前手続必要という結論にもっていくためには、本判決に正面から逆らっていかなければならないことになります(判例違反)。
そこまでの重荷を下級審の裁判官に負わせるのは現実的でなく。救済してもらうには、最高裁までいって「事例判決」を出してもらうしかないでしょうか。
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『判例』などというと、いかにも高尚なもののように思われるかもしれません。が、本判決がやっていることは、国税庁が「通達」として下位機関宛に出しているものと、機能的には変わりません。
もちろん、最高裁自身が、自己の保有している法令審査権を「付随的審査権」と自己規定しているので、個別事件と全く無関係な判断をすることはできません。し、憲法上の制約から、別事件の下級審の裁判官に対して、ダイレクトに自己の見解を押し付けることもできません(裁判官の独立)。
そこで、命令を出したい論点を含む上告がまんまとやってきたら、ここぞとばかりに「一般法理」を振りかざした判決を出すことで、『通達みてえな判決』を発出することが可能になります。
そして、上記のとおり、下級審の裁判官は、最高裁判決に過度に広汎に従わざるをえないと。《司法裁判権の皮を被った司法行政権》とでもいえばよいでしょうか。
ところで、税理士にとって判決文というと、「読むのしんどそう」と拒絶感が出てしまうものかもしれません。が、本判決のような判例にかぎっては、「通達みてえなやつ」だと思えば、「お馴染みのあれ」って感じで自然に読みこなせるようになるのではないでしょうか。
・
ちなみに、判決と通達の対応関係はこんな感じになるでしょうか。
法理判決 ⇒ 法令解釈通達
事例判決 ⇒ 文書回答事例
権力分立を《完全分離型》でしか理解していないと、司法権と行政権とが全く別の役割を果たすべきもののように思ってしまいがち。ですが、ルールの設計(立法)と運用(行政・司法)という観点からすれば、行政・司法は同じ役割を担っているのであり。遣り口が違うだけで「法の適正な実現を目指す」という建前は同じはずです。
税法上の処分に対する不服申立手続についても、ことさらに行政/司法とで分断して理解するのではなく。「国税庁(国税局・税務署)⇒審判所⇒下級審⇒最高裁」と直列で捉えておいたほうが、実態に即するものと思います。
行政のやらかしを、行政がチェックするか司法がチェックするかの違いに過ぎず。「行政救済法」という学問領域が成り立っているのも、一つの救済体系として捉えられるからですよね(なので、それぞれの根拠法単位で縦割りで記述してあるだけの教科書を読むのはつまらない)。
なお、渡辺補足意見が『専門性を有する第三者的機関ともいい得る国税不服審判所』なんて、画素の粗い表現をしているの。《完全分離型》が念頭に置かれているせいで、審判所がうまく位置づけられていないからでは、と邪推しています。
◯
まあ、行政・司法でグダグダしている間に、宇賀先生が退官して、立法作業に加わることで逆襲してくれることをほんのり期待しておきます。
とはいえ、在任中に出された反対意見を順番に実現していくだけでも、相当な作業になりそうですが。
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
posted by ウロ at 09:57| Comment(0)
| 判例イジり
2024年05月13日
法における「要件/定義」と「効果/機能」
先日の一連の記事。
白石忠志先生の『法律文章読本』の、とある記述に触発されて、「事業/事業者」の機能について、整理をしてみたものです。
白石忠志「法律文章読本」(弘文堂2024)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その1) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編46)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その2) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編47)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その3) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編48)
同書の記述、基本的に納得できるところばかりなのですが。1点だけ気になったところが。
◯
P135の「定義と機能は異なる」という項目のところ。
「定義を書け」と言われているのに「機能」を書くのは間違い、というのはそのとおりなのですが。
定義は「要件」であり、機能は「効果」である、とも言える。
と書いてあって。
「とも言える。」という語尾にどのような含みがあるのか、正確には分かりませんが。
定義=要件
機能=効果
という意味あいだとしたら、これには私は反対で。それぞれ区別して使いわけをしたほうが《便利》というのが私見。
例によって、僕らの「消費税法」を題材にして敷衍します。
◯
まず、「要件/定義」の使い分けについて。
法律上の要件には、そのままあてはめに使えるものと、解釈による《解きほぐし》が必要なものとがあります。
たとえば「事業として」のままでは、どのような事実があればそれに該当するかが不明です。なので、これに解釈を入れることで「反復、継続、独立して」と解きほぐしをします。
※ちなみに、このような、「単に文言だけから導いたわけではないが、かといって拡大・縮小しているわけでもない」という解釈手法を、私は勝手に《定義付け解釈》とよんでいます。
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
・
このように、条文に書かれていることそのものと、そこから論者の解釈が混入することにより導かれたものとは、区別しておいたほうがよいと、私は考えています。区別できればいいので用語は何でもいいのですが、それぞれ要件/定義と名付けておくのが無難かなあと。
要件 事業として
↓ 解釈
定義 反復、継続、独立して
まあ基本的には、《区別したほうが便利》レベルの話にとどまると思います。が、武富士事件の最高裁判決(の特に須藤補足意見)では、要件と定義を混同したかのような物言いがされているところであり。
要件 住所=生活の本拠
定義 客観で判断。主観は考慮しない。
法律上の要件は「住所=生活の本拠」までであって。「主観を入れてはダメ」というのは自分のところの解釈(判例)から導いたものにすぎません。
仮に「主観」を入れて解釈したとしても、ありうる解釈の一つにとどまるのであって。法解釈の限界を超えるなんてことにはならない。
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)
ということで、「要件(立法権)/定義(司法権)」という国家作用の役割分担という視角からも、それぞれを区別しておくべきだと考えます。
ただ、この役割分担に従うと、「定義規定」に書かれていることも「定義でなく要件」ということになるため、もう少し相応しい用語づけをしたいところではあります。
◯
「効果/機能」については、「要件/定義」以上に明確に区別すべきだと思っていて。
消費税法のメインシステムにおいては、「譲渡に課税」と「仕入で控除」しか書かれていません。
要件:譲渡したら ⇒ 効果:課税する
要件:仕入したら ⇒ 効果:控除する
消費税法のどこにも「消費者の消費に課税し、消費者に税負担させる」などということは書き込まれていません。
では、「消費課税」とか「消費者課税」とかいっているのはデマカセなのかというと。そのように即断することはできません。
というのも、法令に書き込まれているのは、要件に該当した場合に発生する直接的な効果だけであって(要件効果モデル)。その効果によって、最終的にどのような帰結がもたらされるかまでは書かれていません。
そこで、最終的な帰結を表す用語として「機能」を割り当てることで、法がどのように機能しているかを分析する、という視角を導入することができます。
要件: 譲渡したら 仕入したら
効果: 課税する 控除する
機能: 消費者に税負担が発生???
・
では、最終的な帰結として「消費者の消費に課税し、消費者に税負担させる」という機能がもたらされているかというと。
もはや本記事では詳述しませんが。
『消費税法の理論構造』と題する一連の記事における私の見立てでは、「売上課税ルールと仕入控除ルールの組み合わせにより、「消費支出」に相当する額に課税することまでは実現できている。が、それを「消費者」がすべて負担するような仕組みは内蔵されていない」というものとなります。
要件: 譲渡したら 仕入したら
効果: 課税する 控除する
機能:◯消費支出分の税負担が発生する
×消費者だけが税負担する
何に課税するかと誰が納税するかまでは法によりコントロールできるとして。最終的に誰が税負担するかまではコントロールできないでしょう。
予定は予定 〜消費税法の理論構造(種蒔き編20)
・
参考まで。受贈者が税負担するのが当たり前と思うような「贈与税」であっても、必ずしも受贈者が税負担するとは限りません。
たとえばですけど。
納税意識高めなパパ活女子が、『私、手取りで1億円欲しいから、パパたちで相談して税引後で1億円になるような金額ちょうだい。』とパパたち(一般税率)にお願いしたとして、それでも贈与税はあくまでも受贈者負担だといえるのでしょうか。
要件: もらったら
効果: 課税する
機能: 受贈者に税負担が発生??
一次的な納税義務者が受贈者だというに留まり。プラス1億いくらだかの出費については、パパたちが負担しているということにならないでしょうか。
◯
今後は、『消費者に消費税を負担してほしい!』という運営側の単なる期待・願望とか、『消費税は税額転嫁と仕入税額控除の両輪により駆動する仕組みの税』というような、現実に存在する法令上の制度を前提としない空想に基づく立論などは、やめてもらって。
法令上の「効果」によってどのような「機能」が発揮されているかについて、議論をしていただければと思います。
こういう空論に基づいて議論を進めてしまうの。法学において「要件効果モデル」が強烈に幅を利かせているから、というのが私の邪推するところ(要件事実論などが特にそうでしょうか)。
「要件」と「効果」を検討するところまでで法に基づく議論が終わってしまい。あとは融通無碍に何でも語っていい、みたいな。
要件⇒効果・・・・・・⇒空論
ここに、「機能」という概念を挟むことによって、現実の法令に基づいた議論ができるはず、と私は期待しています。
要件⇒効果⇒機能
◯
以上、たったの一文だけから、あらぬ方向に話を広げるのはマナー違反な感じもしますが。思ってしまったので書かざるをえない。
白石忠志先生の『法律文章読本』の、とある記述に触発されて、「事業/事業者」の機能について、整理をしてみたものです。
白石忠志「法律文章読本」(弘文堂2024)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その1) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編46)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その2) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編47)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その3) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編48)
同書の記述、基本的に納得できるところばかりなのですが。1点だけ気になったところが。
◯
P135の「定義と機能は異なる」という項目のところ。
「定義を書け」と言われているのに「機能」を書くのは間違い、というのはそのとおりなのですが。
定義は「要件」であり、機能は「効果」である、とも言える。
と書いてあって。
「とも言える。」という語尾にどのような含みがあるのか、正確には分かりませんが。
定義=要件
機能=効果
という意味あいだとしたら、これには私は反対で。それぞれ区別して使いわけをしたほうが《便利》というのが私見。
例によって、僕らの「消費税法」を題材にして敷衍します。
◯
まず、「要件/定義」の使い分けについて。
法律上の要件には、そのままあてはめに使えるものと、解釈による《解きほぐし》が必要なものとがあります。
たとえば「事業として」のままでは、どのような事実があればそれに該当するかが不明です。なので、これに解釈を入れることで「反復、継続、独立して」と解きほぐしをします。
※ちなみに、このような、「単に文言だけから導いたわけではないが、かといって拡大・縮小しているわけでもない」という解釈手法を、私は勝手に《定義付け解釈》とよんでいます。
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
・
このように、条文に書かれていることそのものと、そこから論者の解釈が混入することにより導かれたものとは、区別しておいたほうがよいと、私は考えています。区別できればいいので用語は何でもいいのですが、それぞれ要件/定義と名付けておくのが無難かなあと。
要件 事業として
↓ 解釈
定義 反復、継続、独立して
まあ基本的には、《区別したほうが便利》レベルの話にとどまると思います。が、武富士事件の最高裁判決(の特に須藤補足意見)では、要件と定義を混同したかのような物言いがされているところであり。
要件 住所=生活の本拠
定義 客観で判断。主観は考慮しない。
法律上の要件は「住所=生活の本拠」までであって。「主観を入れてはダメ」というのは自分のところの解釈(判例)から導いたものにすぎません。
仮に「主観」を入れて解釈したとしても、ありうる解釈の一つにとどまるのであって。法解釈の限界を超えるなんてことにはならない。
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)
ということで、「要件(立法権)/定義(司法権)」という国家作用の役割分担という視角からも、それぞれを区別しておくべきだと考えます。
ただ、この役割分担に従うと、「定義規定」に書かれていることも「定義でなく要件」ということになるため、もう少し相応しい用語づけをしたいところではあります。
◯
「効果/機能」については、「要件/定義」以上に明確に区別すべきだと思っていて。
消費税法のメインシステムにおいては、「譲渡に課税」と「仕入で控除」しか書かれていません。
要件:譲渡したら ⇒ 効果:課税する
要件:仕入したら ⇒ 効果:控除する
消費税法のどこにも「消費者の消費に課税し、消費者に税負担させる」などということは書き込まれていません。
では、「消費課税」とか「消費者課税」とかいっているのはデマカセなのかというと。そのように即断することはできません。
というのも、法令に書き込まれているのは、要件に該当した場合に発生する直接的な効果だけであって(要件効果モデル)。その効果によって、最終的にどのような帰結がもたらされるかまでは書かれていません。
そこで、最終的な帰結を表す用語として「機能」を割り当てることで、法がどのように機能しているかを分析する、という視角を導入することができます。
要件: 譲渡したら 仕入したら
効果: 課税する 控除する
機能: 消費者に税負担が発生???
・
では、最終的な帰結として「消費者の消費に課税し、消費者に税負担させる」という機能がもたらされているかというと。
もはや本記事では詳述しませんが。
『消費税法の理論構造』と題する一連の記事における私の見立てでは、「売上課税ルールと仕入控除ルールの組み合わせにより、「消費支出」に相当する額に課税することまでは実現できている。が、それを「消費者」がすべて負担するような仕組みは内蔵されていない」というものとなります。
要件: 譲渡したら 仕入したら
効果: 課税する 控除する
機能:◯消費支出分の税負担が発生する
×消費者だけが税負担する
何に課税するかと誰が納税するかまでは法によりコントロールできるとして。最終的に誰が税負担するかまではコントロールできないでしょう。
予定は予定 〜消費税法の理論構造(種蒔き編20)
・
参考まで。受贈者が税負担するのが当たり前と思うような「贈与税」であっても、必ずしも受贈者が税負担するとは限りません。
たとえばですけど。
納税意識高めなパパ活女子が、『私、手取りで1億円欲しいから、パパたちで相談して税引後で1億円になるような金額ちょうだい。』とパパたち(一般税率)にお願いしたとして、それでも贈与税はあくまでも受贈者負担だといえるのでしょうか。
要件: もらったら
効果: 課税する
機能: 受贈者に税負担が発生??
一次的な納税義務者が受贈者だというに留まり。プラス1億いくらだかの出費については、パパたちが負担しているということにならないでしょうか。
◯
今後は、『消費者に消費税を負担してほしい!』という運営側の単なる期待・願望とか、『消費税は税額転嫁と仕入税額控除の両輪により駆動する仕組みの税』というような、現実に存在する法令上の制度を前提としない空想に基づく立論などは、やめてもらって。
法令上の「効果」によってどのような「機能」が発揮されているかについて、議論をしていただければと思います。
こういう空論に基づいて議論を進めてしまうの。法学において「要件効果モデル」が強烈に幅を利かせているから、というのが私の邪推するところ(要件事実論などが特にそうでしょうか)。
「要件」と「効果」を検討するところまでで法に基づく議論が終わってしまい。あとは融通無碍に何でも語っていい、みたいな。
要件⇒効果・・・・・・⇒空論
ここに、「機能」という概念を挟むことによって、現実の法令に基づいた議論ができるはず、と私は期待しています。
要件⇒効果⇒機能
◯
以上、たったの一文だけから、あらぬ方向に話を広げるのはマナー違反な感じもしますが。思ってしまったので書かざるをえない。
posted by ウロ at 09:33| Comment(0)
| 基礎法学
2024年05月10日
最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
「速感」なんて用語ないと思いますが。速い(ので粗雑な)感想という意味です。
事件名は「法人税青色申告承認取消処分取消請求事件」ですが、いずれ誰かがキャッチーな事件名をつけてくれたら、反映します。
最高裁令和6年5月7日第三小法廷判決
判事事項:
法人税法127条1項の規定による青色申告の承認の取消処分については、その相手方に事前に防御の機会が与えられなかったからといって、憲法31条の法意に反しない
例によって、論点の中身には踏み込まず、「ガワ」だけをイジります。
「憲法」については、戸松秀典先生の教科書を読んだきり時間停止してしまっています。ので、私が何かを語れるようなものはありません。
戸松秀典「憲法」(弘文堂 2015)
本判決は、多数意見、渡辺補足意見(漢字は失礼)、宇賀反対意見で構成されているので、それぞれ順番にイジっていきます。
◯
まず、多数意見。
法人税法127条1項の規定による青色申告の承認の取消処分については、その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし、その相手方に事前に防御の機会が与えられなかったからといって、憲法31条の法意に反するものとはいえない。
「に照らし」とあるものの、「その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等」の中身が一切書かれていません。し、具体的にどのような事実を考慮したのかも分かりません。
一定の事実をもとに、「権利利益の内容、性質等」を総合較量して合憲という結論を導き出しているはずなんですが。その思考プロセスが一切開示されていないということです。
「権利利益の内容、性質等」に照らして、とはいうものの。納税者の「青色承認された地位」というものが、実体的権利/手続的権利としてそれぞれどのような内実を有するものなのか。多数意見からは全く読み取れない。
卑近な喩えをあげておくと、
【ビーフ・ストロガノフのレシピ】
1 まずは、牛肉、玉ねぎ、あと何かしらを用意します。
2 なんやかんやあって完成でーす。
これくらいのノリ。「いや、材料全部と作り方をちゃんと書けや!」と突っ込みたくなりますよね。牛肉にしてもひき肉でいいのか、とか。
多数意見がなぜこんな薄ぼんやりした書き方しかできないのか。については、渡辺補足意見を検討する中で記述します。
なお、具体的な事情に触れていないことから、これは法令レベルで合憲といっただけで、適用レベルでの合憲性を判断していないのでは、ということも気になります。が、「法令違憲/適用違憲」という概念すら、私にはおぼつかないので、指摘のみにとどめます。
◯
で、渡辺補足意見。
総合較量の中で考慮した要素として、2つのものをあげています。
・
ひとつは、事後手続である「審査請求手続」が充実しているということ。
専門性を有する第三者的機関ともいい得る国税不服審判所における充実した審査請求手続
こんなことが書いてあって。
一体いかなる事実をもって「充実した」などと評価しているのか。およそその根拠を示してくれることはありません。
もし法学部の学生さんが、何らの根拠も示さずに「僕は、審査請求手続、充実していると思うんだ。」などとご意見開陳したら、学者先生から「で、根拠は?」と突っ込まれること必至。
みずほCFC事件判決における草野補足意見もそうですけど、補足意見というフィールドでは、根拠を示さない憶測どまりのものからでも意見を述べても構わない、という通念が形成されているのでしょうか。
一般に、我が国の税法は、世界的にも稀有といえるほどに緻密で合理的な条文の集積から成り立っており、このことが税制に対する国民の信頼や我が国企業の国際競争力の礎となってきたことは税法の研究や実務に携わる者が均しく首肯するところではないかと推察する。
みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)
もちろん、結果として正しい評価になっていることもあるかもしれません。が、根拠が示されていない以上、憶測呼ばわりされても文句はいえないでしょう。
しかしまあ、「専門性を有する第三者的機関ともいい得る」って。「第三者的」といいつつ「ともいい得る」とも重ねていて。
審判所が正規の第三者ヅラできるほどご立派なものではないのは公知の事実だとして。「第三者的」または「第三者ともいい得る」のどちらかではなく。両方使ってことさらに第三者性を薄めようとしている。
これも、いかなる事実をもって第三者性を有している/いないのか、その根拠を明らかにしないから、こういうぼやけた書き方をせざるをえないのでしょう。
・
もうひとつの考慮要素が、行政手続法の制定とか「事情の変化」も念頭に置いた上で、それでも合憲だと判断したんだよ、と。
これだけ言われたところで、ではなぜ最終的に合憲という結論に至ったのか、思考プロセスが開示されていない以上、結局のところ理解ができません。
『じつは・・・隠し味に・・・みりんを入れていたんですよ〜!』とか言われても、「いや、だから材料全部と作り方を教えろって言ってんじゃん!」と突っ込みたくなりますよね。
それはともかく。問題だと思うのが、下記の書きぶり。
多数意見は、関係規定の制定経緯等に鑑み、こうした事情の変化も念頭に置いた上で、憲法判断の変更は要しないと判断したものである。
「だったら、そのことを多数意見に盛り込めや!」と思いますよね。
というか、4人の裁判官が、心の中では本当にそのように思っていたとしても。多数意見に盛り込まず、渡辺補足意見にしか書かれていない、という外形的な事実からすれば、これは単に渡辺判事1人が思っただけのこと、多数意見の見解ではない、と評価するしかないですよね。
国税庁がイタコ的に『税務通信』に語らせようが、それはあくまで民間雑誌の一記事にすぎない、というのと同じであって。補足意見は多数意見とは違う。
まれに補足意見が「独り歩き」する現象が見られるの。「補足意見はあくまでも補足意見。」という建前を忘れられがちだからでしょうか(それでもなお、実務家的にはガン無視できないのが悲しいところ)。
・
さて、翻って多数意見が総合較量の中身を開示しない理由。
渡辺補足意見が、1人で考慮要素を追加していることからも透けて見えるように。総合較量の中身については、4人の判事の意見が一致していなかったのではないか、というのが私の邪推。
それでもなお「合憲」という結論を一致させることができるのが、「総合較量説」の旨味であり。ともかく最終結論を出さなければならない最高裁の崇高な使命に、適合的な判断枠組みだと評価することができます(合議の厄介なルールを回避できる)。
外野の人間からは、こういう、どんぶり勘定・ガラガラポンタイプの判断枠組み、評判がよろしくありません。が、ナカの人からすれば、結論を出しやすくするために、どうしても手放すわけにはいかないのでしょう。
◯
さて、そういう内部の空気を全く読まないのが宇賀反対意見。
「原則必要説」ともいうべき見解で。事前手続を不要とするなら相当の根拠をもってこいと。
長々と反対意見を展開していますが、事前手続を必要とする積極的根拠は2(1)でさらっと触れられている程度。
残りは、事前手続を不要とする例外的な根拠を潰すことに腐心しています。
多数意見の「総合較量説」が、建前上は天秤をフラットな状態にしてからプラス要素とマイナス要素をそれぞれ秤に載せていっているのに対し(実際は先に結論でてるんだろ、というのはさておき)。
宇賀反対意見の「原則必要説」では、問答無用で天秤を必要説側にぐいっと傾けておいてから。不要説側に載せるマイナス要素については、秤に載せるに値するものかどうかを厳密に検証していく、というイメージ。
根本から多数意見とは噛み合っていないので、早い段階で合議からハブられていたのではないかと心配になる(余計なお世話)。
他の4人がワイワイきゃっきゃ言いながら「総合較量」しているところに入れてもらえない。
だからなのかどうか、「総合較量説」とは正面から組み合わず。高裁判決のあちらこちらの記述を例外のための根拠付けだと構成し直して、そして潰し尽くす、なんて論旨の進め方をしちゃっているのか。
・
未来予想として、何年かあとには「原則必要説」に成り代わるのかもしれません。が、いきなりそこまでひとっ飛びに実現するとは思えず。
おそらくですが、「総合較量説」の枠組みを維持したうえで、当該事案のかぎりで違法(違憲?)というような判決が積み重なっていく、というプロセスが中間に必要な気がします。
なので、宇賀先生には本当は、「総合較量説」の枠組みにおいても「違憲」までもっていける、ということを示しておいていただきたかったところ。
普通は、1人の判事にこの役割までもを負わせるのは酷、と思われるかもしれません。が、宇賀先生は複数人いらっしゃるという噂ですので、宇賀1号反対意見(原則必要説・違憲)と宇賀2号反対意見(総合較量説・違憲)の2本を仕上げることもできたはずですよね。
ただ、宇賀先生の場合は、退官後に立法作業に関与して、これまでのものを含め反対意見を実現するかたちで逆襲して来そうで震える。
◯
以上、生煮えの感想ですので、何か思い違いをしているかもしれません。
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
事件名は「法人税青色申告承認取消処分取消請求事件」ですが、いずれ誰かがキャッチーな事件名をつけてくれたら、反映します。
最高裁令和6年5月7日第三小法廷判決
判事事項:
法人税法127条1項の規定による青色申告の承認の取消処分については、その相手方に事前に防御の機会が与えられなかったからといって、憲法31条の法意に反しない
例によって、論点の中身には踏み込まず、「ガワ」だけをイジります。
「憲法」については、戸松秀典先生の教科書を読んだきり時間停止してしまっています。ので、私が何かを語れるようなものはありません。
戸松秀典「憲法」(弘文堂 2015)
本判決は、多数意見、渡辺補足意見(漢字は失礼)、宇賀反対意見で構成されているので、それぞれ順番にイジっていきます。
◯
まず、多数意見。
法人税法127条1項の規定による青色申告の承認の取消処分については、その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし、その相手方に事前に防御の機会が与えられなかったからといって、憲法31条の法意に反するものとはいえない。
「に照らし」とあるものの、「その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等」の中身が一切書かれていません。し、具体的にどのような事実を考慮したのかも分かりません。
一定の事実をもとに、「権利利益の内容、性質等」を総合較量して合憲という結論を導き出しているはずなんですが。その思考プロセスが一切開示されていないということです。
「権利利益の内容、性質等」に照らして、とはいうものの。納税者の「青色承認された地位」というものが、実体的権利/手続的権利としてそれぞれどのような内実を有するものなのか。多数意見からは全く読み取れない。
卑近な喩えをあげておくと、
【ビーフ・ストロガノフのレシピ】
1 まずは、牛肉、玉ねぎ、あと何かしらを用意します。
2 なんやかんやあって完成でーす。
これくらいのノリ。「いや、材料全部と作り方をちゃんと書けや!」と突っ込みたくなりますよね。牛肉にしてもひき肉でいいのか、とか。
多数意見がなぜこんな薄ぼんやりした書き方しかできないのか。については、渡辺補足意見を検討する中で記述します。
なお、具体的な事情に触れていないことから、これは法令レベルで合憲といっただけで、適用レベルでの合憲性を判断していないのでは、ということも気になります。が、「法令違憲/適用違憲」という概念すら、私にはおぼつかないので、指摘のみにとどめます。
◯
で、渡辺補足意見。
総合較量の中で考慮した要素として、2つのものをあげています。
・
ひとつは、事後手続である「審査請求手続」が充実しているということ。
専門性を有する第三者的機関ともいい得る国税不服審判所における充実した審査請求手続
こんなことが書いてあって。
一体いかなる事実をもって「充実した」などと評価しているのか。およそその根拠を示してくれることはありません。
もし法学部の学生さんが、何らの根拠も示さずに「僕は、審査請求手続、充実していると思うんだ。」などとご意見開陳したら、学者先生から「で、根拠は?」と突っ込まれること必至。
みずほCFC事件判決における草野補足意見もそうですけど、補足意見というフィールドでは、根拠を示さない憶測どまりのものからでも意見を述べても構わない、という通念が形成されているのでしょうか。
一般に、我が国の税法は、世界的にも稀有といえるほどに緻密で合理的な条文の集積から成り立っており、このことが税制に対する国民の信頼や我が国企業の国際競争力の礎となってきたことは税法の研究や実務に携わる者が均しく首肯するところではないかと推察する。
みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)
もちろん、結果として正しい評価になっていることもあるかもしれません。が、根拠が示されていない以上、憶測呼ばわりされても文句はいえないでしょう。
しかしまあ、「専門性を有する第三者的機関ともいい得る」って。「第三者的」といいつつ「ともいい得る」とも重ねていて。
審判所が正規の第三者ヅラできるほどご立派なものではないのは公知の事実だとして。「第三者的」または「第三者ともいい得る」のどちらかではなく。両方使ってことさらに第三者性を薄めようとしている。
これも、いかなる事実をもって第三者性を有している/いないのか、その根拠を明らかにしないから、こういうぼやけた書き方をせざるをえないのでしょう。
・
もうひとつの考慮要素が、行政手続法の制定とか「事情の変化」も念頭に置いた上で、それでも合憲だと判断したんだよ、と。
これだけ言われたところで、ではなぜ最終的に合憲という結論に至ったのか、思考プロセスが開示されていない以上、結局のところ理解ができません。
『じつは・・・隠し味に・・・みりんを入れていたんですよ〜!』とか言われても、「いや、だから材料全部と作り方を教えろって言ってんじゃん!」と突っ込みたくなりますよね。
それはともかく。問題だと思うのが、下記の書きぶり。
多数意見は、関係規定の制定経緯等に鑑み、こうした事情の変化も念頭に置いた上で、憲法判断の変更は要しないと判断したものである。
「だったら、そのことを多数意見に盛り込めや!」と思いますよね。
というか、4人の裁判官が、心の中では本当にそのように思っていたとしても。多数意見に盛り込まず、渡辺補足意見にしか書かれていない、という外形的な事実からすれば、これは単に渡辺判事1人が思っただけのこと、多数意見の見解ではない、と評価するしかないですよね。
国税庁がイタコ的に『税務通信』に語らせようが、それはあくまで民間雑誌の一記事にすぎない、というのと同じであって。補足意見は多数意見とは違う。
まれに補足意見が「独り歩き」する現象が見られるの。「補足意見はあくまでも補足意見。」という建前を忘れられがちだからでしょうか(それでもなお、実務家的にはガン無視できないのが悲しいところ)。
・
さて、翻って多数意見が総合較量の中身を開示しない理由。
渡辺補足意見が、1人で考慮要素を追加していることからも透けて見えるように。総合較量の中身については、4人の判事の意見が一致していなかったのではないか、というのが私の邪推。
それでもなお「合憲」という結論を一致させることができるのが、「総合較量説」の旨味であり。ともかく最終結論を出さなければならない最高裁の崇高な使命に、適合的な判断枠組みだと評価することができます(合議の厄介なルールを回避できる)。
外野の人間からは、こういう、どんぶり勘定・ガラガラポンタイプの判断枠組み、評判がよろしくありません。が、ナカの人からすれば、結論を出しやすくするために、どうしても手放すわけにはいかないのでしょう。
◯
さて、そういう内部の空気を全く読まないのが宇賀反対意見。
「原則必要説」ともいうべき見解で。事前手続を不要とするなら相当の根拠をもってこいと。
長々と反対意見を展開していますが、事前手続を必要とする積極的根拠は2(1)でさらっと触れられている程度。
残りは、事前手続を不要とする例外的な根拠を潰すことに腐心しています。
多数意見の「総合較量説」が、建前上は天秤をフラットな状態にしてからプラス要素とマイナス要素をそれぞれ秤に載せていっているのに対し(実際は先に結論でてるんだろ、というのはさておき)。
宇賀反対意見の「原則必要説」では、問答無用で天秤を必要説側にぐいっと傾けておいてから。不要説側に載せるマイナス要素については、秤に載せるに値するものかどうかを厳密に検証していく、というイメージ。
根本から多数意見とは噛み合っていないので、早い段階で合議からハブられていたのではないかと心配になる(余計なお世話)。
他の4人がワイワイきゃっきゃ言いながら「総合較量」しているところに入れてもらえない。
だからなのかどうか、「総合較量説」とは正面から組み合わず。高裁判決のあちらこちらの記述を例外のための根拠付けだと構成し直して、そして潰し尽くす、なんて論旨の進め方をしちゃっているのか。
・
未来予想として、何年かあとには「原則必要説」に成り代わるのかもしれません。が、いきなりそこまでひとっ飛びに実現するとは思えず。
おそらくですが、「総合較量説」の枠組みを維持したうえで、当該事案のかぎりで違法(違憲?)というような判決が積み重なっていく、というプロセスが中間に必要な気がします。
なので、宇賀先生には本当は、「総合較量説」の枠組みにおいても「違憲」までもっていける、ということを示しておいていただきたかったところ。
普通は、1人の判事にこの役割までもを負わせるのは酷、と思われるかもしれません。が、宇賀先生は複数人いらっしゃるという噂ですので、宇賀1号反対意見(原則必要説・違憲)と宇賀2号反対意見(総合較量説・違憲)の2本を仕上げることもできたはずですよね。
ただ、宇賀先生の場合は、退官後に立法作業に関与して、これまでのものを含め反対意見を実現するかたちで逆襲して来そうで震える。
◯
以上、生煮えの感想ですので、何か思い違いをしているかもしれません。
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
posted by ウロ at 14:29| Comment(0)
| 判例イジり
2024年05月06日
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その3) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編48)
前回整理した課税/控除が、どのように機能して『消費に課税する』を実現しようとしているかを確認しておきます。
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その1) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編46)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その2) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編47)
記述の順番ですが、前回は条文の並びどおり
1 国内取引
2 特定仕入
3 輸入
としました。
が、これは自分の頭を使わず条項順に並べてみただけのものです(条項順列思考)。
【条項順列思考】
多田望ほか「国際私法 (有斐閣ストゥディア)」 (有斐閣2021)
法適用通則法5条と35条における連動と非連動 〜法律学習フローチャート各論
今回は、乏しい自分の頭を使って検討してみた結果、
3 輸入
2 特定仕入
1 国内取引
の順番で記述したいと思います。
◯
お約束ごとは、概ね前回と同じですが、今回の趣旨にあわせて若干変更します。
・事業者=適格請求書発行事業者とします。
・課税の対象(4条)と納税義務者(5条)は、区別せずに一体として記述します。
・今回の「事業者」は、「家事用」と書かないかぎり「事業として」を満たす者として記述します。
・特定仕入は「事業者向け電気通信利用役務の提供」を想定します。
・「保税地域からの外国貨物の引き取り」=輸入として記述します。
◯
まずは「輸入」から。
なぜこれを最初にもってきたかというと。
「国内消費」に課税したい、という消費税法の基本姿勢がよく現れているからです。
・国内に入ってきたら、問答無用で課税する。
・輸入者が消費者なら、そこで課税は終了する。
・輸入者が事業者なら、そこからさらに課税/控除が続く。
消費税法は、本来「国内消費」に課税したいと企んでいるものの。
消費そのものに課税するのは無理がある、ということで、その手前のどこかしらで課税しています。
「国内取引」の場合は、それが二段階遡って、事業者の譲渡に課税することになっています。
国内取引: 事業者A:譲渡 ⇒◯課税
→消費者C:消費支出 ⇒税負担(予定)
消費者C:消費行為
これに対して、輸入の場合、輸入行為に課税することとしています。それゆえ、輸入者が消費者ならば、消費者に直接課税することができることになっています。ダイレクトに輸入者=消費者に課税できており。「税転嫁により消費者への税負担が予定されている」などという、淡い期待にとどまるものではありません。
輸入: 消費者C:輸入 ⇒◯課税+税負担(確定)
→消費者C:消費行為
なお、消費者が納税義務者になるという意味では「直接税(主体)」ですが、課税対象が消費ではなく輸入という側面からすれば「間接税(客体)」ともいえます。
他方で、「事業者」が輸入した場合は、事業者は輸入課税と輸入控除の適用により、消費者に税転嫁する道筋が拓かれることになります。
「道筋が拓かれる」などともってまわった言い方をしているの。あくまでも、税転嫁の邪魔になるものを露払いしただけであって。積極的に税転嫁を促進するような仕組みは何もないからです。
輸入: 事業者A:輸入 ⇒◯課税/◯控除
→消費者C:消費支出 ⇒税負担(予定)
→消費者C:消費行為
問題は、事業者が「家事用」で輸入した場合。課税されるのは当然として、控除まで取れてしまうという点です(文言解釈のかぎりでは)。
輸入 事業者B(家事):輸入 ⇒◯課税/◯控除
→事業者B(家事):消費支出 ⇒税負担(控除と相殺)
→事業者B(家事):消費行為
この場合、Bは消費税負担なしに、輸入した物を消費できることになります(さすがに限定解釈が入るでしょうか)。
・
上記例では、輸入課税と輸入控除で終わるパターンしか記述していませんが。
国内流通する場合は「輸入」ルールから「国内取引」ルールに連結されることで、課税/控除が続いていくことになります。
このように、「事業者(家事用)」の場合に変な穴があるものの。
輸入ルールでは、国内に入ってきた段階ですべて課税しておき、消費者に行き着くまで課税/控除を続ける、という遣り口で、『消費に課税する』を実現しようとしています。
◯
次に「特定仕入」について。
これを「輸入」の次にした理由。
輸入ルールが《モノ》にしか通用されないせいで、同ルールが実現しようとした「国内に入ってきたら課税スタート」という機能が発揮されない穴を防ごうとした、という位置づけだからです。
ただ、輸入と異なり、「消費者」が仕入れた場合は課税されないため、「問答無用の仕入課税」とはなっておりません(定義上、消費者は「特定仕入」できませんが、便宜的にそのように記述します)。
特定仕入: 消費者C:特定仕入 ⇒×課税
→消費者C:消費行為
特定仕入は「事業者向け」のサービスではあるものの。あくまでもサービスの内容で判断されるので、消費者が購入することは絶無ではないでしょう。
輸入と違って消費者が課税されないことを理屈づけるとしたら。そのようなサービスは事業者が付加価値をのっけてはじめて「消費」できるものであって、消費者がダイレクトに「消費」できるものではないから。というような説明になるのでしょうか(こじつけ)。
本来であれば、買手の属性(事業者/消費者)で切り分けすべきところ。あえてサービスの属性(事業者向け/消費者向け)で切り分けているせいで、いまいちしっくりこないのは分かります。
が、だからといって、『インボイスがあれば「事業者向け/消費者向け」を区別できる!』なんて物言いをするの。控えめに言って、「日本の」消費税法知らなすぎですよね(EU消費税法学・日本支部?)。
佐藤英明,西山由美「スタンダード消費税法」(弘文堂2022)
事業者が特定仕入をした場合、原則ルールでは課税と控除の両方があることになっているものの。課税も控除もなかったことにする例外ルールもあります。
また、控除する場合でもインボイスは不要です。
特定仕入: 事業者A:特定仕入 ⇒◯課税/◯控除 or ×課税/×控除
消費税法の仕組み上、事業者間取引では消費税負担が発生しない建前となっており。これを実現するには、「課税あり/控除あり」か「課税なし/控除なし」のどちらであっても問題ありません。
ただし、「控除対象外消費税」が生じる場合は別、ということはすでに検討ずみです。
偽装リバースチャージとしてのインボイス制度 〜消費税法の理論構造(種蒔き編15)
◯
最後に「国内取引」について。
外から入ってきたモノ・サービスについては、「輸入」「特定仕入」ルールから引き続いて課税/控除がされていきます。
また、国内で生産されたモノ・サービスについては、「国内取引」ルール始まりで課税/控除がスタートします。
最初に書いたとおり、消費税法は、消費者の消費行為でもなく、消費者の消費のための支出でもなく、事業者の譲渡行為に課税することとしています。
国内取引: 事業者A:譲渡 ⇒◯課税
→消費者C:消費支出 ⇒税負担(予定)
消費者C:消費行為
「税負担」「予定」などという概念を使って、消費税を「間接税」と形容することには、私は違和感しかないのですが。
予定は予定 〜消費税法の理論構造(種蒔き編20)
・本来は「消費」に直接課税すべき
・しかしそれは非現実的
・なので、その前の段階の「譲渡」に課税する
・それにともなって「譲渡者」に課税する
というかぎりで「間接税」だというのであれば、よく理解できます。
そこに、「税負担」とか「予定」といった概念を挟まれると、そんなもん制度上何ら保障されていないじゃねえか、と思ってしまうわけです。
『消費にもれなく課税するために、譲渡段階で課税しておくから、あとはお前らの企業努力で頑張って下流に税負担を転嫁してくださいや』という、残酷な話ですよね。
◯
今回は「インボイス」の話をするつもりはなかったのですが。流れで少しだけ。
かつては、事業者が「消費者」から仕入れた場合も控除がとれてしまうことが問題となっていました。
国内取引: 消費者C:譲渡 ⇒×課税
→事業者A:課税仕入 ⇒◯控除
この穴を塞ぐため、適格請求書保存要件が追加されたわけです。
ただ、問題は、実体要件としての「課税仕入」の定義を見直すのではなく。形式要件としての適格請求書を要求したせいで。売手が「課税事業者」であっても、非適格者あるいは適格者であってもインボイス不発行だと控除が取れないこととなってしまいました(損税)。
国内取引: 事業者B:譲渡 ⇒◯課税
→事業者C:課税仕入 ⇒×控除 (インボイス無)
なぜ、「誰から買っても課税仕入」というガバガバな定義を見直さず。インボイスを要求するという過剰な形式要件を要求することとしたのでしょうか。
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その1) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編46)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その2) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編47)
記述の順番ですが、前回は条文の並びどおり
1 国内取引
2 特定仕入
3 輸入
としました。
が、これは自分の頭を使わず条項順に並べてみただけのものです(条項順列思考)。
【条項順列思考】
多田望ほか「国際私法 (有斐閣ストゥディア)」 (有斐閣2021)
法適用通則法5条と35条における連動と非連動 〜法律学習フローチャート各論
今回は、乏しい自分の頭を使って検討してみた結果、
3 輸入
2 特定仕入
1 国内取引
の順番で記述したいと思います。
◯
お約束ごとは、概ね前回と同じですが、今回の趣旨にあわせて若干変更します。
・事業者=適格請求書発行事業者とします。
・課税の対象(4条)と納税義務者(5条)は、区別せずに一体として記述します。
・今回の「事業者」は、「家事用」と書かないかぎり「事業として」を満たす者として記述します。
・特定仕入は「事業者向け電気通信利用役務の提供」を想定します。
・「保税地域からの外国貨物の引き取り」=輸入として記述します。
◯
まずは「輸入」から。
なぜこれを最初にもってきたかというと。
「国内消費」に課税したい、という消費税法の基本姿勢がよく現れているからです。
・国内に入ってきたら、問答無用で課税する。
・輸入者が消費者なら、そこで課税は終了する。
・輸入者が事業者なら、そこからさらに課税/控除が続く。
消費税法は、本来「国内消費」に課税したいと企んでいるものの。
消費そのものに課税するのは無理がある、ということで、その手前のどこかしらで課税しています。
「国内取引」の場合は、それが二段階遡って、事業者の譲渡に課税することになっています。
国内取引: 事業者A:譲渡 ⇒◯課税
→消費者C:消費支出 ⇒税負担(予定)
消費者C:消費行為
これに対して、輸入の場合、輸入行為に課税することとしています。それゆえ、輸入者が消費者ならば、消費者に直接課税することができることになっています。ダイレクトに輸入者=消費者に課税できており。「税転嫁により消費者への税負担が予定されている」などという、淡い期待にとどまるものではありません。
輸入: 消費者C:輸入 ⇒◯課税+税負担(確定)
→消費者C:消費行為
なお、消費者が納税義務者になるという意味では「直接税(主体)」ですが、課税対象が消費ではなく輸入という側面からすれば「間接税(客体)」ともいえます。
他方で、「事業者」が輸入した場合は、事業者は輸入課税と輸入控除の適用により、消費者に税転嫁する道筋が拓かれることになります。
「道筋が拓かれる」などともってまわった言い方をしているの。あくまでも、税転嫁の邪魔になるものを露払いしただけであって。積極的に税転嫁を促進するような仕組みは何もないからです。
輸入: 事業者A:輸入 ⇒◯課税/◯控除
→消費者C:消費支出 ⇒税負担(予定)
→消費者C:消費行為
問題は、事業者が「家事用」で輸入した場合。課税されるのは当然として、控除まで取れてしまうという点です(文言解釈のかぎりでは)。
輸入 事業者B(家事):輸入 ⇒◯課税/◯控除
→事業者B(家事):消費支出 ⇒税負担(控除と相殺)
→事業者B(家事):消費行為
この場合、Bは消費税負担なしに、輸入した物を消費できることになります(さすがに限定解釈が入るでしょうか)。
・
上記例では、輸入課税と輸入控除で終わるパターンしか記述していませんが。
国内流通する場合は「輸入」ルールから「国内取引」ルールに連結されることで、課税/控除が続いていくことになります。
このように、「事業者(家事用)」の場合に変な穴があるものの。
輸入ルールでは、国内に入ってきた段階ですべて課税しておき、消費者に行き着くまで課税/控除を続ける、という遣り口で、『消費に課税する』を実現しようとしています。
◯
次に「特定仕入」について。
これを「輸入」の次にした理由。
輸入ルールが《モノ》にしか通用されないせいで、同ルールが実現しようとした「国内に入ってきたら課税スタート」という機能が発揮されない穴を防ごうとした、という位置づけだからです。
ただ、輸入と異なり、「消費者」が仕入れた場合は課税されないため、「問答無用の仕入課税」とはなっておりません(定義上、消費者は「特定仕入」できませんが、便宜的にそのように記述します)。
特定仕入: 消費者C:特定仕入 ⇒×課税
→消費者C:消費行為
特定仕入は「事業者向け」のサービスではあるものの。あくまでもサービスの内容で判断されるので、消費者が購入することは絶無ではないでしょう。
輸入と違って消費者が課税されないことを理屈づけるとしたら。そのようなサービスは事業者が付加価値をのっけてはじめて「消費」できるものであって、消費者がダイレクトに「消費」できるものではないから。というような説明になるのでしょうか(こじつけ)。
本来であれば、買手の属性(事業者/消費者)で切り分けすべきところ。あえてサービスの属性(事業者向け/消費者向け)で切り分けているせいで、いまいちしっくりこないのは分かります。
が、だからといって、『インボイスがあれば「事業者向け/消費者向け」を区別できる!』なんて物言いをするの。控えめに言って、「日本の」消費税法知らなすぎですよね(EU消費税法学・日本支部?)。
佐藤英明,西山由美「スタンダード消費税法」(弘文堂2022)
事業者が特定仕入をした場合、原則ルールでは課税と控除の両方があることになっているものの。課税も控除もなかったことにする例外ルールもあります。
また、控除する場合でもインボイスは不要です。
特定仕入: 事業者A:特定仕入 ⇒◯課税/◯控除 or ×課税/×控除
消費税法の仕組み上、事業者間取引では消費税負担が発生しない建前となっており。これを実現するには、「課税あり/控除あり」か「課税なし/控除なし」のどちらであっても問題ありません。
ただし、「控除対象外消費税」が生じる場合は別、ということはすでに検討ずみです。
偽装リバースチャージとしてのインボイス制度 〜消費税法の理論構造(種蒔き編15)
◯
最後に「国内取引」について。
外から入ってきたモノ・サービスについては、「輸入」「特定仕入」ルールから引き続いて課税/控除がされていきます。
また、国内で生産されたモノ・サービスについては、「国内取引」ルール始まりで課税/控除がスタートします。
最初に書いたとおり、消費税法は、消費者の消費行為でもなく、消費者の消費のための支出でもなく、事業者の譲渡行為に課税することとしています。
国内取引: 事業者A:譲渡 ⇒◯課税
→消費者C:消費支出 ⇒税負担(予定)
消費者C:消費行為
「税負担」「予定」などという概念を使って、消費税を「間接税」と形容することには、私は違和感しかないのですが。
予定は予定 〜消費税法の理論構造(種蒔き編20)
・本来は「消費」に直接課税すべき
・しかしそれは非現実的
・なので、その前の段階の「譲渡」に課税する
・それにともなって「譲渡者」に課税する
というかぎりで「間接税」だというのであれば、よく理解できます。
そこに、「税負担」とか「予定」といった概念を挟まれると、そんなもん制度上何ら保障されていないじゃねえか、と思ってしまうわけです。
『消費にもれなく課税するために、譲渡段階で課税しておくから、あとはお前らの企業努力で頑張って下流に税負担を転嫁してくださいや』という、残酷な話ですよね。
◯
今回は「インボイス」の話をするつもりはなかったのですが。流れで少しだけ。
かつては、事業者が「消費者」から仕入れた場合も控除がとれてしまうことが問題となっていました。
国内取引: 消費者C:譲渡 ⇒×課税
→事業者A:課税仕入 ⇒◯控除
この穴を塞ぐため、適格請求書保存要件が追加されたわけです。
ただ、問題は、実体要件としての「課税仕入」の定義を見直すのではなく。形式要件としての適格請求書を要求したせいで。売手が「課税事業者」であっても、非適格者あるいは適格者であってもインボイス不発行だと控除が取れないこととなってしまいました(損税)。
国内取引: 事業者B:譲渡 ⇒◯課税
→事業者C:課税仕入 ⇒×控除 (インボイス無)
なぜ、「誰から買っても課税仕入」というガバガバな定義を見直さず。インボイスを要求するという過剰な形式要件を要求することとしたのでしょうか。
posted by ウロ at 10:06| Comment(0)
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