2024年09月05日

堀勝洋「年金保険法 第5版」(法律文化社2022)

 《孤高の体系書》フェチにとって、至高の一冊。

堀勝洋「年金保険法 第5版」(法律文化社2022) Amazon

 お隣の「労働法」は、分厚ちい体系書がやたらと出版されているというのに。
 本書のような、法学者による・単著の・「年金保険法」(厚生年金保険法、国民年金保険法)だけの体系書、さっぱり見かけない。
 菊池馨実先生の体系書は全部入りですし。

菊池馨実「社会保障法 第3版」(有斐閣2022)Amazon

 私が、本書を《孤高の》と形容する所以です。

 なお、私の中での「憲法」における孤高の体系書。

【孤高の憲法体系書】
戸松秀典「憲法」(弘文堂2015)

 憲法の体系書は、相当数でていますが。
 著者独自の特定の「思想」を混ぜ込まずに、日本の裁判所で形成されている憲法秩序をあるがままに記述するもの、という意味で、随一の体系書となっております。


 話は戻って。

 おそらく「労務」の世界においても、「税務」の世界と同様、
 ・Q&A、リーフレット、お役所電凸などを鮮やかに活用する「効率勢」

 ・条文を捏ねくりまわして、むやみに悩み散らかしている「非効率勢」
とがいると思われ(旧司法試験における予備校勢と基本書ヴェテの対立構造と相似か?)。

 効率勢からすれば、こんなもの読んでなんの意味があるのか、という至極ごもっともな疑問があるでしょう。
 かつ、「税理士」である私が買う意味も、まあよく分からないはず。

 私個人についていえば、ロースクール発足以降、停滞気味の《体系書文化》(という法律文化)がどうにか活発化しないものかと、常々思っているわけです。
 もちろん、私が一冊購入したところで、どうにかなるものではありません。が、だからといって買わないという選択肢はない。ゆえに買う。

 皆さんも、みんな大好き水町勇一郎先生の体系書と同じノリで、購入されたらよろしいじゃないですか。

水町勇一郎「詳解 労働法 第3版」(東京大学出版会2023) Amazon

水町勇一郎「水町詳解労働法 第3版 公式読本」(日本法令2024)


 本書は、第4版が2017年にでてから2022年に第5版が出版されるまで、しばらく品切れ状態となっていました。
 第4版やその前の第3版の「Amazonマーケットプレイス」を下の方までみていただくと、《マケプレのクレプラ》(Amazonマーケットプレイスのクレイジープライス)の残骸が観測されます。
 第5版についても、遅かれ早かれ、品切れ状態になると思われ。ご購入されるならお早めにどうぞ(買い煽り)。

 水町詳解と比べてページ単価がお高いように思われるかもしれませんが。これは水町詳解が異常にお安いだけです。

  年金保険法 第5版 8,140円 694頁
  詳解労働法 第3版 8,580円 1568頁

 需要がニッチなことから考えれば、相当頑張った価格だろうと、思います。


 残念ながら、私みたいなものが本書の中身について語れるわけがなく。
 ただ、一点だけ。

 「被保険者」の範囲について。
 下記記事では、「法学」を標榜しておきながら、運営のリーフレット引き写しな記述の教科書を、激しく批判しました。

黒田有志弥ほか「社会保障法(有斐閣ストゥディア)」(有斐閣2019)

 では、本書はどうかというと。
 きちんと条文どおりの記述となっていました。「学生でない」なら加入ではなく、「学生である」なら適用除外、という書き方。

 なぜ、条文構成どおりで記述する必要があるかといえば。
 別に「要件事実論」を意識しているわけではなく。厚生年金保険法の基本コンセプトを正確に理解するために必要だからです。

 すなわち、「使用される者」は全員加入しなければならないのが大原則であり。一部「適用除外」に該当する者だけが加入しなくてよい、というのが同法の基本コンセプトなんだと。
 このことは、「原則/適用除外」という条文構成から読み取るしかありません。《リーフレット引き写し本》のごとく、勝手にひっくり返してしまうと、法のコンセプトをあるがままに理解することができないわけです。

 ここの記述だけみても、本書が信頼に値する書籍だということが、よく分かります。

【条文ひっくり返し系】
社会保険適用拡大について(2022年10月〜) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その1) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その2) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その3) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド年末調整(その4) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克
リーガルマインド法定調書合計表 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克


 ということで、「法学」としての年金保険法を学ぶには、本書は必読モノなのではないでしょうか。

※以上は、門外漢ゆえ、「どうせほとんどの人が本書を買っていないんだろ」という決めつけ・先入観で記述しております。
 現実には、水町詳解レベルでガンガン売れている、というのであれば、お詫びいたします。
posted by ウロ at 13:21| Comment(0) | 社会保障法

2024年09月02日

キャッシュレス決済と労働基準法 〜労働法における法令と通達の相克

 先日は、印紙税法が、新しい支払手段にどこまで対応できているかを記事にしました。

キャッシュレス決済と印紙税法 〜第17号文書(領収書)該当性について

 法令ではなんの対応もせず。通達で「預金振込」に拡大運用したっきり。
 それ以外の支払手段に対しては、「質疑応答事例」で、従前の枠組みの限度で、苦し紛れに応答しているだけ。

 しばしば他の税法領域で展開されがちな、どうにかして課税ベースを拡大しようと勤しむ必死な姿が、印紙税法では全く見られない。
 このやる気のなさはなんですか。「電子帳簿」や「インボイス」にまともな人材をとられちゃって、もうどうにもならない、みたいなことですか。

 まあ、お国がDX推進に舵をきったことをきっかけに《安楽死》を選択されたのならば、我々も尊重せざるをえない。


 さて、今回の本題。
 お賃金を「デジタル払い」できるようになるよ、というお話し。

 法制度自体はとっくにできていましたが。やっと「資金移動業者」の第1号が指定されたということで。
 運営の公式情報がアップされています。

資金移動業者の口座への賃金支払(賃金のデジタル払い)について(厚生労働省)

 例によって。
 当ブログが、この制度の中身についてご説明することはなく。そういうものは、上記公式情報及び、それをトレースした《労務お役立ち記事》をご参照ください。

 当ブログでイジっておく必要があると思ったのが、「通貨払いの原則」に関する法令と通達の関係についてです。

労働基準法 第二十四条(賃金の支払)
1 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。

労働基準法施行規則 第七条の二
1 使用者は、労働者の同意を得た場合には、賃金の支払について次の方法によることができる。ただし、第三号に掲げる方法による場合には、当該労働者が第一号又は第二号に掲げる方法による賃金の支払を選択することができるようにするとともに、当該労働者に対し、第三号イからヘまでに掲げる要件に関する事項について説明した上で、当該労働者の同意を得なければならない。
 一 (預金振込)
 二 (証券口座)
 三 (デジタル払い)



 何を言いたいのかというと。以下の表を御覧ください。

通貨払いの原則.png

 「通貨払いの原則」に関するルールの改正経緯です。

【説明】
1 「現金払い」以外は違法だった。
2 通達によって、「銀行振込」も同意書+協定書があれば有効扱いとした。
3 省令によって、同意があれば「銀行振込」も有効とした。
4 省令、通達で「証券口座」を追加した。要件は3までのものをそれぞれ引き継いだ。
5 省令、通達で「デジタル払い」を追加した。要件は4までのものをそれぞれ引き継いだ。

 なんとなく眺めていると、「ふ〜ん、そうなんだ」くらいの感想かもしれません。
 が、私の《イジりセンサー》が働くもののひとつ、「法令と通達の関係」という観点からは、とても看過できない箇所があります。


 2の時代は、まだ省令がなく、通達のみで「銀行振込」が許容されていました。これ自体はいわゆる《緩和通達》ということで、まあよかろうと。

 問題は、3の時代以降で。
 省令では「同意」のみによって銀行振込が許容されることになりました。ところが、通達は2の時代から改正されることなく、同意書と協定書が要求されたままとなっています。
 「同意」⇒「同意書」については、「同意を書面化してきちんと残しておきましょうね」という限度で、まだ許容できるかもしれません。
 が、省令で要求されていない「協定書」を要求しっぱなしになっている点は、どのように正当化できるのでしょうか。《緩和通達》が反転して《限定通達》になってしまったわけで。

 省令に書かれていることの意味を限定するというなら、まだぎりぎり通達の規律範囲に収まっているかもしれません。が、まったく書かれてもいないことを付け足してしまうのは、さすがに許容されないのではないか。

 4の時代になっても、省令・通達にそれぞれ「証券口座」を追加しただけで。通達が、法的根拠のない「協定書」を要求したままとなっています。

 そして、5の時代の「デジタル払い」の追加。
 通達で同意書を「電子でもOK」としていますが。省令ではそもそも同意の書面化を要求してないので、《緩和通達》ではなく。《限定通達》が少し緩んだだけです。

 なお、よくある勘違いとして。
 「デジタル払い」の場合だけに追加で要求されているルールは、「説明」だけです。同意、同意書、協定書が要求されることについては、「銀行振込」「証券口座」「デジタル払い」全てに共通のルールとなっています。
 

 このように、3の時代以降、通達が「労使協定」を勝手に付け加えている状態に反転し、それが現在に至るまで放置されたままになっています。

 だというのに、運営のサイトでは「省令にない」なんてことはお構いなしに。当然に労使協定が必要というノリで記述されています。
 お役所は、まあ、お立場上そうやって振る舞うのが必然かもしれません。が、問題は、雨後の筍系《労務お役立ち記事》の類。

 非専門家である《労務ライター》の方々なら、まあしょうがないとして。専門家までもが同じノリで記述しているのを読むと、なんだか切ない気持ちになる。

【Q&Aワナビー】
国税庁『Q&A』解釈方法論 序説

 ちなみに、『菅野労働法』では、協定とか要求してるの、行政解釈に基づく行政指導だよ、ときちんと書き分けられていて(P.373)。そこいらの実務書からは得られない栄養分が、ここにはある。

菅野和夫,山川 隆一「労働法 第13版」(弘文堂2024)


 労使協定を締結せずに、同意のみで「銀行振込」を実施しても、法令上は「有効」ってことでいいんですよね。
 どなたかが、『当社は徹底した《法令遵守》を旨としております。』ということで、あえて労使協定を締結しないチャレンジをかましてみたら、監督署の対応はどうなるのでしょうか。
 法令どおりだから「ぐぬぬ」となるだけか、法令を差し置いて通達一本で勝負を挑んでくるのか。私は、当然のことながら門外漢なので、そのあたりの実務の肌感はございません。

【税務通達だけの1冊モノ】
酒井克彦 「アクセス税務通達の読み方」(第一法規2016)
posted by ウロ at 08:53| Comment(0) | 労働法