2024年09月02日

キャッシュレス決済と労働基準法 〜労働法における法令と通達の相克

 先日は、印紙税法が、新しい支払手段にどこまで対応できているかを記事にしました。

キャッシュレス決済と印紙税法 〜第17号文書(領収書)該当性について

 法令ではなんの対応もせず。通達で「預金振込」に拡大運用したっきり。
 それ以外の支払手段に対しては、「質疑応答事例」で、従前の枠組みの限度で、苦し紛れに応答しているだけ。

 しばしば他の税法領域で展開されがちな、どうにかして課税ベースを拡大しようと勤しむ必死な姿が、印紙税法では全く見られない。
 このやる気のなさはなんですか。「電子帳簿」や「インボイス」にまともな人材をとられちゃって、もうどうにもならない、みたいなことですか。

 まあ、お国がDX推進に舵をきったことをきっかけに《安楽死》を選択されたのならば、我々も尊重せざるをえない。


 さて、今回の本題。
 お賃金を「デジタル払い」できるようになるよ、というお話し。

 法制度自体はとっくにできていましたが。やっと「資金移動業者」の第1号が指定されたということで。
 運営の公式情報がアップされています。

資金移動業者の口座への賃金支払(賃金のデジタル払い)について(厚生労働省)

 例によって。
 当ブログが、この制度の中身についてご説明することはなく。そういうものは、上記公式情報及び、それをトレースした《労務お役立ち記事》をご参照ください。

 当ブログでイジっておく必要があると思ったのが、「通貨払いの原則」に関する法令と通達の関係についてです。

労働基準法 第二十四条(賃金の支払)
1 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。

労働基準法施行規則 第七条の二
1 使用者は、労働者の同意を得た場合には、賃金の支払について次の方法によることができる。ただし、第三号に掲げる方法による場合には、当該労働者が第一号又は第二号に掲げる方法による賃金の支払を選択することができるようにするとともに、当該労働者に対し、第三号イからヘまでに掲げる要件に関する事項について説明した上で、当該労働者の同意を得なければならない。
 一 (預金振込)
 二 (証券口座)
 三 (デジタル払い)



 何を言いたいのかというと。以下の表を御覧ください。

通貨払いの原則.png

 「通貨払いの原則」に関するルールの改正経緯です。

【説明】
1 「現金払い」以外は違法だった。
2 通達によって、「銀行振込」も同意書+協定書があれば有効扱いとした。
3 省令によって、同意があれば「銀行振込」も有効とした。
4 省令、通達で「証券口座」を追加した。要件は3までのものをそれぞれ引き継いだ。
5 省令、通達で「デジタル払い」を追加した。要件は4までのものをそれぞれ引き継いだ。

 なんとなく眺めていると、「ふ〜ん、そうなんだ」くらいの感想かもしれません。
 が、私の《イジりセンサー》が働くもののひとつ、「法令と通達の関係」という観点からは、とても看過できない箇所があります。


 2の時代は、まだ省令がなく、通達のみで「銀行振込」が許容されていました。これ自体はいわゆる《緩和通達》ということで、まあよかろうと。

 問題は、3の時代以降で。
 省令では「同意」のみによって銀行振込が許容されることになりました。ところが、通達は2の時代から改正されることなく、同意書と協定書が要求されたままとなっています。
 「同意」⇒「同意書」については、「同意を書面化してきちんと残しておきましょうね」という限度で、まだ許容できるかもしれません。
 が、省令で要求されていない「協定書」を要求しっぱなしになっている点は、どのように正当化できるのでしょうか。《緩和通達》が反転して《限定通達》になってしまったわけで。

 省令に書かれていることの意味を限定するというなら、まだぎりぎり通達の規律範囲に収まっているかもしれません。が、まったく書かれてもいないことを付け足してしまうのは、さすがに許容されないのではないか。

 4の時代になっても、省令・通達にそれぞれ「証券口座」を追加しただけで。通達が、法的根拠のない「協定書」を要求したままとなっています。

 そして、5の時代の「デジタル払い」の追加。
 通達で同意書を「電子でもOK」としていますが。省令ではそもそも同意の書面化を要求してないので、《緩和通達》ではなく。《限定通達》が少し緩んだだけです。

 なお、よくある勘違いとして。
 「デジタル払い」の場合だけに追加で要求されているルールは、「説明」だけです。同意、同意書、協定書が要求されることについては、「銀行振込」「証券口座」「デジタル払い」全てに共通のルールとなっています。
 

 このように、3の時代以降、通達が「労使協定」を勝手に付け加えている状態に反転し、それが現在に至るまで放置されたままになっています。

 だというのに、運営のサイトでは「省令にない」なんてことはお構いなしに。当然に労使協定が必要というノリで記述されています。
 お役所は、まあ、お立場上そうやって振る舞うのが必然かもしれません。が、問題は、雨後の筍系《労務お役立ち記事》の類。

 非専門家である《労務ライター》の方々なら、まあしょうがないとして。専門家までもが同じノリで記述しているのを読むと、なんだか切ない気持ちになる。

【Q&Aワナビー】
国税庁『Q&A』解釈方法論 序説

 ちなみに、『菅野労働法』では、協定とか要求してるの、行政解釈に基づく行政指導だよ、ときちんと書き分けられていて(P.373)。そこいらの実務書からは得られない栄養分が、ここにはある。

菅野和夫,山川 隆一「労働法 第13版」(弘文堂2024)


 労使協定を締結せずに、同意のみで「銀行振込」を実施しても、法令上は「有効」ってことでいいんですよね。
 どなたかが、『当社は徹底した《法令遵守》を旨としております。』ということで、あえて労使協定を締結しないチャレンジをかましてみたら、監督署の対応はどうなるのでしょうか。
 法令どおりだから「ぐぬぬ」となるだけか、法令を差し置いて通達一本で勝負を挑んでくるのか。私は、当然のことながら門外漢なので、そのあたりの実務の肌感はございません。

【税務通達だけの1冊モノ】
酒井克彦 「アクセス税務通達の読み方」(第一法規2016)
posted by ウロ at 08:53| Comment(0) | 労働法