2017年09月07日

ドキッ!?ドグマだらけの民法改正

 タイトルはふざけていますが、民法マニアックな話です。


 法学の本には、「〇〇のドグマ」という言葉がでてきます。
 従来の学説を「〇〇のドグマに囚われており妥当でない」とレッテル貼りをした上で自説を展開する、という感じで使われることがしばしば。

 で、民法改正まわりでもそんなノリで改正しちゃってるところがあるんですけど、それって別の「ドグマ」に乗り換えただけじゃね、て思うところがあるんで検討してみます。

 以下、本題。


 「原始的不能のドグマ」というのがありまして、これは、契約締結時に債務が実現可能でなければ契約は無効になる、という考えをいいます。
 そして、契約が無効ってことは契約ははじめからなかったことになるから、契約が存在していたことを前提とする「履行利益」の賠償までは認められない(仮に「契約無効のドグマ」ということにします)、といわれていました。

 ・原始的不能のドグマ:
   契約締結前に不能があったら契約無効
 ・契約無効のドグマ:
   契約無効なら債務不履行責任は生じない

 たとえば、別荘の売買をしたんだけど契約する「前」にすでに火事で焼失していたという場合、契約は無効になるということです。
 この場合に、仮に買主の転売先がすでに決まっていたとして、売主に過失があったとしても契約ははじめから無効なんだから、契約が有効だったことを前提とする転売利益(履行利益)の賠償までは認められず、印紙代とかの契約締結するのにかかった費用(信頼利益)の賠償請求までしかできないといわれていました(契約締結上の過失)。

 他方で、契約締結「後」に焼失した場合(後発的不能)には、一旦契約は有効に成立し、あとは、売主が悪い/買主が悪い/どちらも悪くないで場合分けして、買主が履行利益の賠償ができるだとか、逆に売主は代金請求できるだとかなっていました(債務不履行、解除、危険負担)。

 ・後発的不能の場合:
   契約締結後に不能になったら契約責任が生じうる

 つまり、不能が生じたのが契約締結「前」か「後」かで、その後の処理が全く違うルールになっていたわけで、不能のタイミングでルールがガラッと変わるのはおかしいと批判されていました。

 で、改正民法では、この「原始的不能のドグマ」を否定して、原始的不能があっても契約は有効としたうえで、あとは後発的不能の場合と同じルールにのせることになりました(412条の2第2項)。


 と、いうのが改正にいたる普通の説明なんですが、先日紹介した潮見佳男先生の体系書に気になる記述がありました(T巻84頁)。

 以下引用。

『契約に基づく債務の履行が原始的に不能であるものの、当該契約が有効とされる場合には、給付が契約締結時に可能であることに関する錯誤が「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものである」(民法95条1項柱書)ことを理由に、意思表示を取り消すこともできない。「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なもの」とは、旧法95条が「法律行為の要素」と述べていたものに対応する表現であって、その意味としては、表意者がその真意と異なることを知っていたとすれば表意者はその意思表示をせず、かつ、通常人であってもその意思表示をしなかったであろうことを指すものであるところ、原始的不能であるものの当該契約が有効とされる場合は、給付が契約締結時点で可能か不能かは「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要」とみることはできないからである。
 もとより、契約に基づく債務の履行が不能であったことが無効事由・取消事由に該当するときは、このことを理由として契約が無効となったり、取り消されたりすることが妨げられるものではない。』
(引用ここまで)

 「錯誤」というのは、たとえばうまい棒を100本買おうと思っていたのに、間違えて1000本と書いて発注してしまったとか(表示の錯誤)、うまい棒が値上がりすると思って大量に買ったが実際には値上がりしなかった(動機の錯誤)場合に、契約を取り消すことができるか、という問題を扱っています(改正民法で、効果が無効から取消に変更されています)。

 で、潮見先生の上記記述によれば、別荘が契約時点で現存してるかどうかは「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要」ではない、だから原始的不能を理由とする錯誤は認められない、ということを言っています。

 これ、常識的に考えたらおかしいですよね。

 普通の人からしたら、売買契約するにあたって別荘が存在してるかどうかってすごく重要なはずです。もう全焼していて別荘存在しません、てはじめから分かっていたら普通の買主なら買わないし、売主だって売りませんよね。

 とにかく急いで買いたい、ってことで現存しているかどうかを確認をしないで契約することもあるのかもしれませんが、その場合だって「現存してたらラッキー」みたいなノリでは買わないはずです。
 どっちが「普通の」取引か、といったら、やっぱり現存していることを前提に取引するのが普通だと思います。


 なんで、こういう変なことをいっているのか推測するに、不能の問題は「債務不履行」のルールで解決すべきであって「錯誤」のルールは排除されるべき、という価値判断が先行しているからではないでしょうか。

 その価値判断を維持するためには『給付が不能であることは「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要」ではない』という一見非常識な理由付けをしなければいけなくって、これは不能概念についての新しいドグマの誕生なのではないか、と思うわけです。

 ・旧ドグマ:原始的不能があったらはじめから契約無効
 ・新ドグマ:不能があっても意思表示の要素には影響しない

 条文解釈としては、新設された「第四百十二条の二」で、不能があったら履行請求できないとか賠償請求できるとかいってるのは、直接的には「不能があっても契約は有効」ってことを言ってるだけに読めるけど、その前提として「不能があっても意思表示に影響しないことはもちろん」てのがあるんだ、と読み込む、といえないこともないですが、改正したばっかりでいきなりそんな捻り出し解釈が必要なんですか、と。

 錯誤のルールを(も)適用した上で、「契約無効のドグマ」のほうを修正して、契約無効の場合の効果を債務不履行責任に近づける、という方向もありうるはずです(A)。契約がはじめから無効だといっても、契約交渉等何らかの関係はもっていたわけで、それを根拠に契約責任類似の責任を発生させる、とか。

 が、そうではなくあくまで「契約有効⇒債務不履行」のルートのみでいくと(B)。

 A 原始的不能⇒錯誤により契約「無効」⇒債務不履行責任「に類似する」責任が発生しうる
   後発的不能⇒契約「有効」⇒債務不履行責任が発生する

 B 契約「無効」⇒債務不履行責任はおよそ発生しない
   原始的・後発的不能⇒契約「有効」⇒債務不履行責任が発生する


 でも、「その別荘を買う」という意思があった以上その給付が実現可能かどうかは意思表示には何ら影響せずあとは「債務不履行」の問題だ、なんていうのは、別の意味で『特定物のドグマ』と言えるんじゃないでしょうか。

  旧・特定物のドグマ:
   その物を引き渡した以上、性状に問題があっても債務不履行責任は発生しない
  新・特定物のドグマ:
   その物を引き渡した以上、性状に問題があっても意思表示の要素に影響しない

 かつての『特定物のドグマ』からは、目的物の性状に問題があっても「その物」を引き渡した以上契約義務はすべて果たしたってことで「債務不履行責任」は生じず、あくまで民法が契約各則で設けた「担保責任」のみが生じる、という立場(法定責任説)が導かれていました。
 改正民法ではこれを否定し、目的物の性状が契約不適合な場合、契約は有効だけど「債務不履行責任」が生じる、という立場(契約責任説)にたっています。

 このように、『特定物のドグマ』を債務不履行責任まわりからやっと追い出したのに、今度は動機の錯誤を否定する根拠に持ってきて生きながらえさせちゃっているんじゃないかと。
 せっかく改正民法が動機の錯誤の規定を新設して、錯誤から『意思表示のドグマ』を追い出したにもかかわらず、今度はここに『特定物のドグマ』をもってきて給付不能に関する錯誤を動機の錯誤から排除してしまっているわけです。

 動機の錯誤ってつくづく「ドグマ運」がない人なんだな、と思わされます。


 ただ、上記記述でも「もとより〜」以下の記述で一定の留保をしているのですが、これはどのような「取消事由・無効事由」を想定しているのでしょうか。

 たとえば、焼失していることを買主が知っていたら「心裡留保」(93条)、売主が知っていたら「詐欺」(96条)、ふたりとも知っていたら「虚偽表示」(94条)、ふたりとも知らなかったら「共通錯誤」にそれぞれなりそうですが、潮見説によれば、これらの意思表示規定も排除されるのでしょうか。

 上記の不能ドグマはあくまで錯誤だけに適用されるものなのか、それとも意思表示全般に適用されるものなのか。


 ドグマドグマ言い過ぎたので、ちょっと整理します。

○旧学説のドグマ

ア 原始的不能のドグマ 契約時に給付が不能な場合は契約無効である。
イ 契約無効のドグマ  契約無効な場合は履行利益は認められない。
ウ 意思表示のドグマ  動機は意思表示の要素に含まれない。
エ 特定物のドグマ   目的物の性状に問題があっても債務不履行にはならない。

○改正民法

アは否定
イは明文なし(そのまま?)
ウは否定
エは否定

○潮見説

アは否定
イはそのまま?
ウは、動機のうち「不能」絡みの動機だけドグマを維持してそれ以外は否定?
エは、目的物が「不能」であっても「意思表示」の効力には影響しない、に変形してドグマを維持?


 今回の改正、ある特定の契約理論に基づいて契約法を中心に先走って改正したせいで、総則の意思表示(法律行為)との関係がうまく整理されていないような気がします。いずれ法律行為の規定を解体して契約法に解消する、って目論見があるのかもしれませんけども。
 まあもう少しよく考えてみます。

 以上につき、さすがに常識感覚からすると変なので、私の読み込みが足りないだけかもしれません。

(錯誤)
第九十五条
1 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第一項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
4 第一項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

(履行不能)
第四百十二条の二
1 債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは、債権者は、その債務の履行を請求することができない。
2 契約に基づく債務の履行がその契約の成立の時に不能であったことは、第四百十五条の規定によりその履行の不能によって生じた損害の賠償を請求することを妨げない。
posted by ウロ at 13:00| Comment(0) | 民法
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