先週のブログの「ルー語」(日本語を単語ごとに英語化する話法)みたいなやつ、あれラテン語の慣用句を徒に並べただけなんですけど、私がよく読む法律書にもしばしば登場してきます。
もちろん、ラテン語でしか表現できないようなものならいいんですけど、少なくとも私が今まで読んできたなかでは、それ日本語で言えばよくね?、「a priori」て言いたいだけちゃう?みたいなのばかり。
自分の真名(マナ)は『漆黒の翼』だとか、組織(ダークリユニオン)に追われているとか言っちゃう奴みたいな、黒歴史感でてますけどよろしいんですか、と問い詰めたい。
本文に「a prioriに」と書いた後、註釈で「a prioriとはラテン語で『先験的』を意味する哲学用語である」とか書いちゃってると、もうね。何その不毛なやり取り、と。むしろ、『先験的』って日本語の意味を説明してほしいですわ。
話は変わって、とある会社でも、突然クレド!(註1)クレド!(註2)言い出して、朝礼で復唱させられる、という強制イベントが発生しているのを観測したことがあります。
おそらくどこかのご立派な会社でやってるのを聞きかじってきたんだろうな、という感じの。出来たて熱々の付け焼き刃感たっぷりな。
1年くらい経ってもその付け焼き刃感を維持できていたので、その出来たてほやほやをキープする技術、駅弁などに転用できないものかどうか。
(註1)クレドとは「志」「信条」などを意味するラテン語で、現在では「経営理念」を表す意味で使われています。
(註2)クレドとは「志」「信条」などを意味するラテン語で、現在では「経営理念」を表す意味で使われています。
もちろん、様々な価値観をもった複数の人間が所属する事業体として、経営理念を明確化・統一化しそれを業務の指針とすること、それ自体はとても大事なことです(これ重要)。
しかしながら、中小規模の事業体では、代表者その人自身の行動が(口動ではなく行動ですよ)、その経営理念を体現したものとなっていなければ、意味がありません(『俺がガンダムだ!』くらいの自他合一感)。そうでないと、従業員にとっては、ただ唱えさせられているだけ、義務を押し付けられているだけ、となって結局誰も守らなくなるからです。
お題目が立派であればあるほど、現実の代表者との乖離が激しくなって、空疎感増し増し。
「顧客を大事にする」といいながら、自社、というか代表者個人の利益を最優先にするなんて、もってのほか。まさしく絵に描いたような「絵に描いた餅」(入れ子構造)。
・「餅」を絵に描く ←分かる。
・「絵に描いた餅」を絵に描く ←何を言っているかわからない。
そもそも、そのクレド(註3)を対外的には一切公表しない、のであれば、いかにも従業員を縛るためだけに作り出した感、満載ですし。
本質を理解せず上辺だけを鮮やかになぞる、のプロフェッショナル。その鮮やかさ匠の業でございますか、てくらい本質には触れずに綺麗に上澄みだけをなぞり取る、あるいは、患部以外を綺麗に摘出するリバース・ブラックジャック先生。
(註3)クレドとは「志」「信条」などを意味するラテン語で、現在では「経営理念」を表す意味で使われています。
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