2018年12月31日

ホッブズ「リヴァイアサン」 〜彼の設定厨。

 原因はよく分かりませんが、「ホッブズは設定厨。」という心の声が聞こえた気がしたので、ホッブズ『リヴァイアサン』を読んでみました。

 急激に寒くなって、調子悪いんですかね。

「リヴァイアサン1 (中公クラシックス)」(中央公論新社2009)
「リヴァイアサン2 (中公クラシックス)」(中央公論新社2009)
「リヴァイアサン1 (光文社古典新訳文庫) 」(光文社2014)
「リヴァイアサン2 (光文社古典新訳文庫) 」(光文社2018)

 これを要約する能力は私にはないので、気になった記述を2つだけ。
 私が読んだのは、中公クラシックス版です。

T 108頁
「第一原因は、第二原因が、それによって前者を助けるところの、第二原因の本質的な従属によって、第二原因に何かを注ぎ込むとはかぎらない」とはいったいいかなる意味であるか。これがスアレスの最初の著書『神の関与、運動、助力について』の第六章の表題の翻訳である。自分が狂気であるか、さもなくば他人を狂気にしようとの意図を持たないかぎり、全巻このような内容を持つ書物を書くことがありえようか。


 ここ読んでて、思わず吹いた。
 人を揶揄するのに、こういう表現があるのかと、大変勉強になりました。

T 211頁
 したがって、もしも自然が人間を平等につくったとすれば、その平等は認めるべきである。またもしも自然が人間を不平等につくったとしても、人間は平等であると考える人々は、平等の条件によらないかぎり平和状態に入ろうとはしないから、人間の平等は認めなければならない。


 「自然権によれば人間は平等だ!」みたいな、論証しようのない言い方はしないで、「平等にしといたほうがうまくいくっしょ」という考え方、とても馴染みます。
posted by ウロ at 17:36| Comment(0) | 基礎法学
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