※以下は初版(2016)時点の書評です。
総論に引き続き、各論も読んでみました。
井田良「講義刑法学・各論 第3版」(有斐閣2023)
井田良「講義刑法学・総論 第2版」(有斐閣2018)
総論のほうは、700頁もありながら、一つの体系を志向しているので一気読みできました。というよりも、体系全体で理解する必要があるのでそうせざるをえない(ので、共著の総論教科書は私には受け入れられない)。
が、各論は、ひたすら広い平野(へいや)を各論点ごとに転戦していくイメージ。
また、総論が体系書寄りだとすれば、各論は教科書寄りで井田説抑えめなので、あっさりめなところもちらほら。
それでも、議論の整理が巧みなので、どのように考えたらよいか、頭の中での筋道が立てやすくなります。
個別論点の連続なので、私が中身について触れられるところはあまりありません。
ただ、「財産罪の保護法益」(196頁〜)のところを読んで、触発されてあれこれ思ったことがあるので、記録しておきます。
以下、特定の学説を主張するようなものではなく、あくまで議論の枠組みについての記述です。
○
財産罪の保護法益、刑法各論の中でもトップクラスの大論点です。
で、この本では、「占有説対本権説」というのは、あくまでも242条の解釈論であって235条本体の議論ではない、としっかり明示してくれているので、考えが散らからずにすみます。
と、見通しをよくしてくれたおかげで、出てきたのが次のような疑問。
(以下、「窃盗罪」で代表させ、条文の「財物」は所有物といいかえます。また「所有権侵害」というのは、所有物を利用過程から逸脱させることをイメージしています。)
(窃盗)
第235条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
(他人の占有等に係る自己の財物)
第242条 自己の財物であっても、他人が占有し、又は公務所の命令により他人が看守するものであるときは、この章の罪については、他人の財物とみなす。
○
まず、235条と242条を図式的に整理すると、
235 他人の占有+他人の所有物 →窃盗罪
242 他人の占有+自己の所有物 →窃盗罪
となっています。
そして、井田先生によると、235条は、
235 占有侵害+所有権侵害
により窃盗罪が成立し、242条は、
242 占有侵害
により窃盗罪が成立するとされています。
242条は235条の適用範囲を拡大する処罰拡張規定なんだと。
これ結局のところ、誰の所有物かにかかわらず、他人が占有している物を窃取すれば窃盗罪が成立するってことになりますよね。
だったらはじめから235条で「他人の占有物を窃取したら窃盗」ってことにしておけば済むんじゃないですかね。法定刑だって全く同じなわけだし。
もっというと、そもそも「所有権侵害」は235条の保護法益になっていないように見えてしまいます。
自分の所有物を窃取しても、他人の占有を侵害しただけで窃盗罪が成立するというならば、他人の所有物を窃取する場合も、他人の占有の侵害だけによって窃盗罪が成立しているということにはならないのかどうか。
このまますすむと235条と242条が混線しそうなので、242条側に着目してみます。
○
235条は「所有権侵害+占有侵害」によって成立するとしつつ、242条は「占有侵害」のみで成立すると解釈した場合、242条の意味合いに、次のような違和感がでてきます。
あらためて242条の構造を図式化すると、
242 他人の占有+自己の所有物 →他人の所有物とみなす
となっています。
242条単体で直接窃盗を成立させているのではなく、「他人の所有物とみなす」ことを通じて、235条に接続しているわけです。
で、ただの占有を他人の所有物とみなすなどという大転換をはかる以上、他人の占有に何らかの「他人性」をプラスする要素がくるのが自然なはずです。
が、やってきたのは「自己の」所有物であるということ。
どう考えても逆効果なはず。なのに、実際には見事、他人の所有物に早変わり。
「他人性」にとってはむしろマイナス要素なはずなのに、それによってなんで「他人の」所有物に大転換するのか。
マイナス×マイナスがプラスになることはあるけれど、ここではそんな算術を説いているわけではないです。
あえて四則演算で喩えるなら、ここでは乗算ではなく加算の問題。
せっかくなので、イメージ作りのために無理やり数値化してみます(ここでお手元のスカウターを装着してください)。
【数値化して衡量する営み例】
加算税をめぐる国送法と国税通則法の交錯(平成29年9月1日裁決)
235 他人の占有1+他人の所有物9=10 窃盗罪成立
足して10になると窃盗罪が成立する、としましょう。
242 他人の占有1+自己の所有物△9=△8 窃盗罪成立???
ところが、242条では足してマイナスなのに、窃盗罪が成立してしまうわけです。
○
もちろん、条文に「みなす」って書きさえすれば、なんでもみなせちゃうのが法律のすごいところです。
が、無理やりみなすにしても、何らかの根拠が必要なはずですよね。
たとえば、245条は「電気は、財物とみなす」とあります。
これだって電気を財物と同じに扱えるだけの基礎があるからですよね。
もし仮に「プライバシーは、財物とみなす」みたいな規定ができたとしても、おそらく「プライバシーは窃取になじまない」とか言って、判例・学説総掛かりで空文化をはかるはず。
刑法上、プライバシーを財物と同じように扱うのは、無理があるわけで(でも、毀損のほうはいけそう)。
ということで、235条が「占有侵害+所有権侵害」だというならば、242条も「所有権侵害」に匹敵するだけの何かで埋め合わせをする必要があるのではないかと思います。
○
242条の当罰性を235条に近づけるためには、
A: 235条の保護法益を引き下げる。
B: 242条の保護法益を引き上げる。
かのどちらかになると思うんです。
それぞれ、A:純粋占有説、B:純粋本権説をモデルに組み立ててみます。
A:純粋占有説
解釈
235 占有が保護法益。
242 所有権侵害は窃盗罪の成否に関係ないことを注意的に規定。
保護法益
235 他人の占有物(他人の所有物の場合)
242 他人の占有物(自己の所有物の場合)
数値
235 他人の占有1+他人の所有物0=1 窃盗罪成立
242 他人の占有1+自己の所有物0=1 窃盗罪成立
⇒
242条の独自性は弱いですが、上述したような不整合は解消されます。
占有自体が保護法益なんだから、自己の所有物だろうが当然窃盗だよと。ただ、誤解しないように注意的に規定しておいてあげたと(確認規定)。
数値的には、占有1だけで235条が成立することとすると。他方、誰の所有物かどうかは窃盗罪の成否に影響しないので0ポイントだと。
B:純粋本権説
解釈
235 所有権が保護法益。
242 自己の所有物であっても他に本権をもっている人がいれば保護する。
保護法益
235 他人の所有物
242 他人の本権物(適法に占有している物、という意味の造語です)
数値
235 他人の占有0+他人の所有物10=10 窃盗罪成立
242 他人の占有0+他人の本権物8 =8 窃盗罪成立
⇒
Bによれば、242条は、235条が「所有権」のみを保護しているところを「それ以外の本権」にまで拡張する、という独自の意味がでてきます(処罰拡張規定)。
他人の所有物の窃取であれば常に「所有権」侵害を肯定できるから、それ以外の本権を保護範囲に含める必要がないが、所有者自身による窃取の場合は「所有権」侵害がないから、その場合にかぎり「それ以外の本権」を保護することにしたと。
数値的には、本来10で窃盗罪が成立するのが原則なところ、所有者以外に本権8をもっている人がいれば、8でも窃盗罪が成立することにしたと。
条文解釈としては、刑法の「占有」はあくまで適法な占有を前提としてるのであって、違法な占有などというものは認めていない、と解するとか。
○
ちなみに、窃盗罪の「実行行為」が窃取だからといって、「保護法益」が占有であるとは限りませんよね。
保護法益はあくまで所有権であって占有侵害を実行行為としているのは所有権を保護するための手段にすぎない、と捉えることもできるわけで。
条文上も、「占有」と書いてあるのは242条のほうだけで、235条は「窃取」という行為態様しか書いていないですし。
詐欺罪(246条)だって「人を欺いて」とあるからといって、騙されたという精神的被害が保護法益だ、という結論にはならないわけで。
それはあくまで財産を交付させる手段を記述しているにすぎず、それ自体が保護法益ではありません。
もちろん、行為の側から保護法益を導き出す、という解釈手法自体は必要ですが、それは必要条件のひとつにとどまり、それだけで結論を決定することはできません。
○
対比しやすいように、ABをそれぞれ純粋占有説と純粋本権説という、極端に振り切った説で構成してみました。
が、ABはあくまで枠組みにすぎません。
なので、いわゆる平穏占有説であれば、Bの242条の「本権」のところに「平穏な占有」を代入すれば成立するはずです。
ただし、242条を独自の意味がある処罰拡張規定として位置づけておくためには、
235条:10 > 242条:7〜9あたり?
の大小関係がキープされている必要があります。
ので、うっかり235条のほうを「平穏な占有」に読み替えてしまうと、242条の説明が難しくなるはず。
○
このABの枠組みによると、
235 占有侵害1+所有権侵害9=10 窃盗罪成立
242 占有侵害1 =1 窃盗罪成立
という説はどちらにもあてはめることができません。
242条の当罰性が235条から離れすぎているので。
どうにか正当化するには、242条に埋め合わせの何かを持ってくる必要があります。
そこで、第三の道として、次のような枠組みが考えられます。
C:自力救済禁止説
解釈
235 占有+所有権が保護法益。
242 自己の所有物を窃取するのは自力救済禁止違反行為なので処罰する。
保護法益
235 他人の占有物+所有物
242 他人の占有物+自力救済禁止秩序
数値
235 他人の占有1+他人の所有物9 =10 窃盗罪成立
242 他人の占有1+自力救済禁止違反9=10 窃盗罪成立
⇒
自分の所有物を窃取しても所有権侵害はないものの、自力救済禁止違反という、法が整備された現代社会のルールから逸脱した行為であるため、当罰性がある、という説明。
Bと同じく242条を「処罰拡張規定」と捉えることになります。しかも、個人的法益侵害から秩序違反へと、罪質まで変化させることに。
この説明の仕方、秩序違反そのものを処罰しているようで違和感をもたれるかたもいると思います。
が、自力救済禁止という理由づけはこの論点で必ずでてくるものです。
で、これを窃盗罪成立の理由づけに利用しているってことは、Cのような考え方が背後にあるからではないかと思います。
235条が所有権侵害(+占有侵害)だといいながら、242条は占有侵害だけで同じように処罰するというのは、それだけ自力救済禁止違反を個別の法益侵害と同じように重く見ている、ということではないかと。
(これ、直接的な法益侵害以外のところに処罰根拠を求める、という意味では、盗品関与罪のところにでてくる、ブラックマーケットの形成阻止という理由づけ(329頁)に、発想は似ているかも)。
ちなみに、どうしても個人的法益の中におさめたいのか、秩序違反とはいわず「法的手続によらなければ奪われない利益」みたいな言い方をしているのを、どなたかの本で見かけたことがあります。
そういうものがあるとして、その権利は、所有者Aから窃盗犯人Bが窃取する場合のAの法益と匹敵するだけの利益と評価できるのかどうか。
窃盗犯人Bの、所有者Aに対する権利なんて、無いって考えるほうが自然ではないでしょうか。
やはり、「自力救済許さない」という、B個人の利益に還元できない考慮が働いている気がします。
○
以上、ここまで述べたことは242条と235条との関係をうまく調和させるためには、という観点からの構成であって、それ以外の点は考慮に入れていません。
この論点、天才刑法学者たちが総力を注いで散々議論してきたところであって、私の思ったことなんて吹けば飛ぶようなものなんですが、頭の中のこんがらがりが少しだけほぐれそうだったので、外出ししてみました。
あと、そろそろスカウター外してもいいですよ。
2018年11月07日
井田良「講義刑法学・各論 第3版」(有斐閣2023)
posted by ウロ at 10:07| Comment(0)
| 刑法
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