ミシェル・トロペール(南野森訳)「リアリズムの法解釈理論」(勁草書房2013)
このブログでもちらちら漏れ出していますが、「法解釈」というものに対するモヤモヤをずっと抱え込んでいます。
リーガルマインドがどうたら、とか語っているくせに。
で、来栖三郎先生から始まって、川島武宜先生や平井宜雄先生の法解釈論に関する著書を読んで、なんとなく理解した気になったりして。
が、しばらくすると、やっぱりよくわからない状態に戻ってきたり。
来栖三郎「来栖三郎著作集1」(信山社2004)
川島武宜「「科学としての法律学」とその発展」(岩波書店1987)
平井宜雄「法律学基礎論の研究 平井宜雄著作集1」(有斐閣2010)
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そういったモヤモヤを解消してくれそう、ということで、この本を読んでみることにしました。
が、一度通して読んだだけでは、理解するの難しかったです。
法の「一般理論」ではあるのですが、フランスをはじめとする各国・各時代の諸制度に対する前提知識がないと、ちゃんと理解するの厳しいのかなと。
単に私の勉強不足。
ので、南野先生には、トロペール理論を「日本法」に落とし込んだ理論書を書いていただくことを熱望。
共著や論文ではそのエッセンスの一端が書かれているのですが、『憲法の解釈原理』といったかたちで、ぜひ単著の一冊本に仕上げてほしい。
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私には本書を要約する能力はありませんので、私がいいなと思った記述を一部引用する形をもって、書評に代えさせていただきます。
【これらと同じ方式の】
ホッブズ『リヴァイアサン』 〜彼の設定厨。
金子宏・中里実『租税法と民法』(有斐閣2018)
88頁
「このような全員一致の状況は当然のことながら怪しむに足るものであり、また、それ以外の部分ではあまりにも異なっているさまざまな言説がなぜか一致して法治国に言及していることからすると、きっとそこには何らかの曖昧さや混乱が潜んでいると考えないわけにはいかない。事実、もはやそれなしではすまなくなった法治国とは一体何であるかを明確にしようとするや否や、判然としない点が多く存在することに驚かざるをえないのである。」
⇒
こういう疑問、憲法上のほぼすべての概念に対してあるんですよね。
法の支配、国民主権、立憲主義、民主主義、立憲民主主義、とかその他諸々。
人工的な創作物なのに、『○○とは何か?』みたいなかたちで、中身に何を盛り込むかで争いが生じるのは何故なのか。
『東京ディズニーランドとは何か?』という問いで、争いが生じることはないわけで。
96頁
「だからこそ、広く信じられているのとは反対に、実質的法治国という考え方は、全体主義国家によってもまったく否定されることがなかったのである。ヒトラーのイデオロギーでは国家社会主義的という概念が用いられ、それは一つの正義のあり方と説明され、形式的に有効なルールであればその内容がどうであれ拘束力をもつものであった。」
98頁
「解釈者ーここではコントロールを行う者であるがーの有する自由は多大であり、結局、統治者は最終的には統制者ーつまり人間ーにのみ従属しているということになる。
すなわち、法に従属する国家など、ありえないと言うに尽きるのである。」
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もちろん内容に対してもなるほどと思うのですが、「ありえないと言うに尽きるのである」という言い切り表現、素敵ですね(南野先生の訳のおかげ?)。
103頁
「解釈は意思の行為であり、必然的に遡及的なものである。テクストが採択された時点におけるテクストの意味を決定しようとする行いなのだから。法律が発効したその日からその法律が解釈される日までに行われた行為に対して、そのように解釈された法律が適用されるのである。」
⇒
あたかもはじめからそのような意味であったかのような物言いに対して、『解釈は遡る』とはっきり言い切ってくれている。
106頁
「まず、ケルゼンの主張、すなわちあらゆる国家は法治国である、あるいは、「法治国」という表現は冗語にすぎない、という主張は、完全に正当なものと考えられる。というのも、もしこの表現が、諸規範が階統構造をとるシステムを意味するにすぎないのであれば、およそ法秩序たるものすべて法治国であるということになるからである。法治国とは、このようなシステムにおいて、国家が法に従属するとか、自由がそこでは保障されるなどを意味するものではなく、たんに階統性の存在を意味するにとどまるのである。」
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「冗語」って用語、はじめて知りました。
長尾龍一先生訳の『純粋法学』だと、どう訳されているんだろう。
ハンス・ケルゼン(長尾龍一訳)「純粋法学 第2版」(岩波書店2014)
113頁
「憲法制定権力は幾何学的な方法で作動するのではなく、また、原理を制定した上でそこからルールを演繹しているのではない。実を言うと、原理は時としてルールより後に表明されており、さらに、たとえ原理が最初に表明されたとしても、それはつねに討論の過程で解釈され直している。原理の役割は大前提としてのそれではなく、時宜性に基づいて採用される実際的な問題の解決策に価値論的根拠を提供するための論拠としてのそれなのである。」
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「原理」というものの機能がよくわかります。
114頁
「主権の諸理論が国家を構成するという考え方は、近代国家がボダンとともに現れたという主張が前提としているものである。当然のことながらこの主張は、ボダン自身が国家を構成したとか、また、彼が一定の方法で国家が構成されることを勧め、その勧めが現に実行されたということを意味するわけではない。」
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「ボダン自身が国家を構成した」みたいな記述、楽しいですよね。
127頁
「すなわち、主権者人民は現実の人民ではありえず、「永遠の人民」「超越的人民」でしかなく、憲法を解釈することによって超越的人民の意思を表明する者は、選挙された議会に代わって、「代表者」と呼ばれるべきことになるのである。」
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この記述だけでも、主権論とか代表概念とか見直しが必要なんだろうな、と感じさせられる。
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ちなみにですけど、【訳者注】に、本文に典拠のない18世紀の引用文献を図書館で探して突き止めた、みたいなことが書いてあって(147頁)、翻訳するって大変だなあ、と感じました。
『法哲学』の翻訳まだですか、と言おうと思いましたが、こういう翻訳の苦労を見せられると、安易に催促できるものではないですね(と、言いながら書く)。
下記書籍に収録された論文を読みすすめながら、気長に待ってみることにします。
南野森編「憲法学の世界」(日本評論社2013)
南野森編「新版 法学の世界」(日本評論社2019)
南野森編「ブリッジブック法学入門 第3版」(信山社2022)
安西文雄他「憲法学の現代的論点 第2版」(有斐閣2009)
内山奈月他「憲法主義」(PHP研究所2015)
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