非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その1)
そこでは、所得税基本通達に「その他著作物の利用につき支払を受ける対価の一切」とあるのを、著作権の支分権が及ばない使用に対する対価も含める趣旨に読めるのでは、と書きました。
「その他」とあるので、「複製〜」以下の法定利用行為以外の使用を含めているのだと。
で、その記事の最後で仄めかしたとおり、結論逆の読み方がある、というのがこの続編。
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所得税法 第百六十一条(国内源泉所得)
この編において「国内源泉所得」とは、次に掲げるものをいう。
十一 国内において業務を行う者から受ける次に掲げる使用料又は対価で当該業務に係るもの
ロ 著作権(出版権及び著作隣接権その他これに準ずるものを含む。)の使用料又はその譲渡による対価
所得税基本通達 161−35(使用料の意義)
法第161条第1項第11号ロの著作権の使用料とは、著作物(著作権法第2条第1項第1号((定義))に規定する著作物をいう。以下この項において同じ。)の複製、上演、演奏、放送、展示、上映、翻訳、編曲、脚色、映画化その他著作物の利用又は出版権の設定につき支払を受ける対価の一切をいうのであるから、これらの使用料には、契約を締結するに当たって支払を受けるいわゆる頭金、権利金等のほか、これらのものを提供し、又は伝授するために要する費用に充てるものとして支払を受けるものも含まれることに留意する。
通達でいう「著作物の利用」という文言、本家の著作権法63条にも出てきます。
著作権法 第六十三条(著作物の利用の許諾)
著作権者は、他人に対し、その著作物の利用を許諾することができる。
2 前項の許諾を得た者は、その許諾に係る利用方法及び条件の範囲内において、その許諾に係る著作物を利用することができる。
これは「法定利用行為」の許諾ができることを定めているわけです。
他方で、法定利用行為にあたらない場合は「使用」という用語を使っています。
【「使用」の使用例】
著作権法 第三十条(私的使用のための複製)
著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
このように著作権法については、明らかに「利用」と「使用」を使い分けているところです。
利用:法定利用行為に該当する行為
使用:法定利用行為に該当しない行為
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もし、通達にいう「利用」も著作権法上の「利用」と同義だとすると、通達上も法定利用行為に対する利用料だけが国内源泉所得に該当する、という結論になりそうです。
(以下、所得税法の「使用料」という文言をさしあたり無視して、
・著作権法上の「利用」の料金 ⇒「利用料」
・著作権法上の「使用」の料金 ⇒「使用料」
ということにします。)
が、そうだとすると「その他著作物の利用につき支払を受ける対価の一切」とは一体何を想定しているのか、という疑問が。
「複製〜」以下で列挙されていない、貸与権・頒布権(貸与)・著作隣接権のことなのか。
そうだとしても、やはりなぜこれら権利だけ列挙行為から外したのかが謎ですよね。
《著作物の複製、上演、演奏、放送、展示、上映、翻訳、編曲、脚色、映画化、貸与、貸与による頒布その他の著作物の利用又は出版権の設定につき支払を受ける対価の一切》
という感じで、貸与等も明記しつつ、「その他の」とすることで支分権が追加された場合でも対応できるようにしておく、でいいんじゃないかと。
「その他の」であれば、「複製〜」以下の行為は「著作権の利用」の例示にすぎない、と読めることになります(ので、ここでの「利用」は法定利用行為に限定される)。
これを「その他」としているせいで、法定利用行為以外の行為も含んでいるように読めてしまうわけで。
ただこのように言い換えても「著作隣接権」がここに収まりきっているのか怪しい。「著作物の利用」ですべてカバーできているのかどうか。
いっそのこと列挙やめて、完全に著作権法に委ねたほうが楽になれそう。
また、所得税法では「使用料」となっているので、そもそも法レベルで著作権法上の使い分けに倣っているといえるのかどうか。
まあこれは、所得税法の他の箇所にあわせただけ、という言い訳はできますが、紛らわしい。
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しかし現実的に考えて、源泉徴収をするしないを判断する場面で「利用」と「使用」を区別するの、今どきの契約だと難しくなっていると思います。
たとえば、一般に「使用許諾契約」とか「利用許諾契約」と言われているもの、よくよく見てみると「利用」と「使用」が一緒くたになっていることがあります。
期間1年のパソコンソフトのサブスクリプション契約で考えてみると・・
(特許権の問題は省略します)
著作権が働くのは最初のインストール(複製)のところだけであって、1年間しか使えないというのは著作権による制御ではないです。
著作権だけだったら、同じパソコンで使い続けるかぎり使用制限できないわけで。
ので、この契約には、
利用:インストールしていいよ(複製権の不行使)
使用:1年間使っていいよ
の異なる性質のものが含まれていることなります。
ので、著作権法上の使い分けに倣うなら、タイトルは「利用及び使用許諾契約」とするのが正確。
なんですが、料金が月額いくらとか年額いくらといったかたちになっていて、利用料と使用料が区分されているわけではない。
たまに、違うパソコンに入れたい場合は別料金とる、みたいのがありますが、あれは別途利用料(複製料)をとっていると言えそうですけど。
(なお、サブスクリプションの場合は所有権が移転しないのが普通なので、47条の3は働かないはず。)
第四十七条の三(プログラムの著作物の複製物の所有者による複製等)
プログラムの著作物の複製物の所有者は、自ら当該著作物を電子計算機において実行するために必要と認められる限度において、当該著作物を複製することができる。ただし、当該実行に係る複製物の使用につき、第百十三条第二項の規定が適用される場合は、この限りでない。
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というのが現実なので、
利用料(利用の料金):源泉必要
使用料(使用の料金):源泉不要
なんて源泉ルールだとしたら、使いづらくてしょうがない。
という考慮があって、通達レベルでは、著作権法上「使用」にあたるものでも「著作物」に係るものであれば源泉必要と読ませようとしている、というのが私の邪推だったわけです。
少なくとも、課税側は「利用」か「使用」かなんて気にせずに、著作物(媒体)を使うことの対価ならすべて源泉徴収必要、ていってくるでしょうね。
これを所得税法が許容しているのかどうか。
「著作権の」を強調すれば許容していないことになりそうだし、「使用」料を強調すれば許容していることになりそう。
要するに、所得税法の中で著作権法上の概念がバッティングしている(著作権×使用)からそうなる。
「著作権」は借用概念だが「使用(料)」は固有概念だ、とでもいうか。
実務的には、法定利用行為が混ざっていないことが明らかでないことがかぎり源泉徴収しておく、というのが無難。
ではあるんですが、なんせ相手は非居住者(典型は外国法人)、国内事業者と同じノリ徴収してしまうと、それはそれで契約上の問題が生じうる。租税条約上の特典を受けるために届出書を書いてもらう、というのも、必ずしも頼めるわけではない。
となると、最終的にはグロスアップで自己負担とせざるをえないところか。
そもそもが、このような判断・リスクを国内支払者に負担させるところに「国際源泉徴収制度」の碌でもなさがある。
伊藤滋夫編「租税訴訟における要件事実論の展開」(青林書院2016)
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もし、所得税法+通達は「法定利用行為」に限定しているという立場なのだとしたら、次のような契約は国内源泉所得に該当しないことになるのかどうか。
・インストールはご自由にどうぞ。
・試用期間後も使いたい場合は年間使用料払ってね。
これは文字通りの「使用許諾契約」なわけです。
複製権はあらかじめ放棄しているので、年間使用料は単にソフト使うための料金であって、複製権の対価ではないと。
形式的にはいかにも大丈夫そうですけど、こういうの危うい。
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こういう話、たとえば、土地建物の購入で課税仕入れを増やしたい(あるいは償却額を増やしたい)からといって、代金内訳の土地の価格を下げて建物の価格を上げる、みたいなことをやって否認されるのと、似たような話です。
契約書に書きさえすればどうとでもなる、という世界ではない。
特に著作権法の場合、現行の著作権法が「複製権中心主義」をベースに組み立てられていることに対する評価が関わってくる気がします。
つまり、著作権法が、著作物の使用は自由だが複製は制限していることに対する評価として、
A 使用の価値は重視しておらず、複製の価値を重視している
B 本来は使用を制御したいが技術的に困難・プライバシーにもかかわるので
仕方なく複製のところを制御している
のいずれと見るかで、このような契約の評価もかわってきそう。
すなわち、Aからみれば、
複製が無料で使用が有料なんて著作権法的に考えて不合理だ
となるし、Bからみれば、
本来著作権法がやりたかったことを契約で制御しているだけなので合理的だ
と評価できると。
Aの考えからは、この契約を字義通りに解釈することを否認する、一材料になるわけです。
特に、著作権の場合は、土地建物と違って「排他性」のない情報にすぎません。
なので、たとえば土地が「借地権/底地権」に区分して評価できるのとは違って、人に使用させたからといってその分評価が下がるとはかぎりません。
独占的に使用できないことで価値が下がる場合もあるかもしれませんが、それをどうやって評価するのか。
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ちなみに、財産評価基本通達148に「著作権の評価」の規定があります。
もし、ここでいう「印税収入」が「利用料」のことだとすると、同じように利用料無料で使用料のみ徴収することで評価額を0にする、みたいなこと誰かやりそうですけど。
もっと際どいことやるなら、いわゆる「印税」としてではない料金としてもらっておくとか。
ここでは「使用料」とも「利用料」とも書いてないんですよね、なぜか。
(著作権の評価)
148 著作権の価額は、著作者の別に一括して次の算式によって計算した金額によって評価する。ただし、個々の著作物に係る著作権について評価する場合には、その著作権ごとに次の算式によって計算した金額によって評価する。
年平均印税収入の額×0.5×評価倍率
上の算式中の「年平均印税収入の額」等は、次による。
(1) 年平均印税収入の額
課税時期の属する年の前年以前3年間の印税収入の額の年平均額とする。ただし、個々の著作物に係る著作権について評価する場合には、その著作物に係る課税時期の属する年の前年以前3年間の印税収入の額の年平均額とする。
(2) 評価倍率
課税時期後における各年の印税収入の額が「年平均印税収入の額」であるものとして、著作物に関し精通している者の意見等を基として推算したその印税収入期間に応ずる基準年利率による複利年金現価率とする。
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ここまでごちゃごちゃ書いてきたこと、国内の著作権法と所得税法+通達しか視野に入れていません。
この次に「租税条約」との関係を検討しないといけないのですが、これは次回あたりに。
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以上、通達の役割って、本来こういう読み違いを防ぐためにあるものだと思うんですけど、なんか余計悩まされる結果を招いている。
や、私がイジり前提でひねくれた読み方をしているだけかもしれませんが。
まあ通達を法令と同じノリで解釈すること自体が無意味な行為なのかもしれません。
が、以前検討した東京高裁の判決のように、通達の文言に乗っかって解釈論展開したりする判決もあるので、意外とおろそかにできない。
学説上、通達は課税側の一見解にすぎない、とは言われているにもかかわらず、現場だけでなく裁判にまでも通達の文言が影響を及ぼしているのが現実。
【通達を文言解釈する、という裁判例】
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
「株式譲渡に係る譲渡所得の収入金額を配当還元方式によって算定した金額(譲渡対価も同額)は低額譲渡に当たるとした課税庁の主張を認めた地裁判決を取り消した事例」(東京高裁平成30年7月19日判決)
この判決は「理屈としてはおかしくても文言通り解釈すべき」という立場をとったわけですけど、この判決の立場からは「著作権の使用料」をどうやって解釈するんでしょうかね。
文言だけみたら「著作権」と「使用」でバッティングしているわけで。
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その3)
【国際租税法の最新記事】