2019年09月23日

非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その11)

 さてこのバンド、所得税法と日本の著作権法のツインボーカルから始まって、租税条約が外国の著作権法を連れてきたり法適用通則法が飛び入りしたり、さらに、消費税法と相続税法がゲストボーカルとして参加してくれたりと、いろんなメンバーが絡んできました。

非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その10)

 皆さんほんのりお気づきだと思いますが、裏方では常に「借用概念」が頑張ってくれていました。

 ということで、本筋からは外れますが、その労を労って最後にステージにあげてみたいと思います(またの名を、晒し者という)。


 借用概念の解釈について、一般的に、私法上の用語と同一の用語がある場合には、私法上の意義と同意に解するべき、とされています。
 で、それによって、法的安定性や予測可能性が高まるんだと。

 以下、これに難癖つけるわけですが、記述が拡散しそうなので、使用する用語のお約束を。

・私法
 一応、私法とは書きますが民法を想定しています。

・法的安定性と予測可能性
 文意に反しない限り法的安定性で代表させます。

・判決・判例
 最高裁のそれを指すことにします。
 判決・判例の違いは一応気にしつつ、厳密に区分せず互換的に用います。

・借用概念
 私法に定義規定がないものを想定します(「住所」とか)。
 というか定義規定が少ないせいで、解釈を借りてこざるをえないわけですが。


 まず思うのが、税法を私法解釈と別意に解したからといって、一度税法判決が出さえすれば、その解釈でさしあたり確定するわけですよね。
 とすると、別意に解することで「法的安定性」が害されることがありうるとしたら、私法の判決はあるけど税法の判決はまだ、という状況に限った話なはずです。

 私法判決 税法判決
1 あり   あり 
2 あり   なし ←この場合
3 なし   なし
4 なし   あり


 2の場合に、「私法判決を信頼して行動していたのに税法判決で別意に解された」とすれば、確かに予測可能性を害された、とはいえなくもない。
 が、それって「私法判決と同意に解すべきだ」という解釈論を前提として行動するからそうなるにすぎない。
 はじめから、「税法は税法の趣旨・目的にしたがって解釈されるので私法と別意に解されることがある」と理解しておけば防げる話です。

 勝手に「統一説」を妄信しておきながら『信じてたのに害された!』なんていうの、当り屋というか転び屋というか、ヤラセ感が半端ない。

 で、それぞれの帰結ですが、

3、4
 ⇒借用すべき私法判決がないので、借用しようがない。

 ⇒税法判決があるのだから、わざわざ私法判決から借用する必要がない。

 ⇒私法判決を借用するか検討する必要がある。

 ということになります。


 が、よくよく考えると、2の場面て『判例の法源性』のことも考えないといけないんじゃないかと。
 単なる実体法レベルの問題だけではなく。

【判例については】
 判例の機能的考察(タイトル倒れ)

 今まで、「私法解釈を税法にもってくる」というのが、私にはどうにもしっくりきてませんでした。
 その理由は、本来そこに介在しているはずの『私法判例』をすっ飛ばして、私法⇒税法という実体法同士の問題として論じられていたからかもしれません。

  従来の見方: 私法 ⇒ 税法
  本来の姿 : 私法 ⇒ 私法判例 ⇒ 税法


 そして、実体法レベルで私法解釈を借用すべきか、という問題を論ずるのとは別に、手続法レベルで、私法判例は税法裁判に対して拘束力があるのかどうか、という問題も論ずる必要があるはず。

  私法判例 ⇒ 税法裁判  拘束される?

 特に、「統一説」をとった場合には、私法判例に税法解釈が連動することになります。
 とすると、高裁が私法判例と異なる税法判決を下した場合には、それが上告受理の申立理由となるのかどうか。


 上記場合分けは、「ある/なし」でしか区別していません。

 が、たとえば、1のあり・ありの状況で、私法判例に「変更」があった場合、税法判決もそれに引きずられて変更しなければならないのか。
 正面から「変更」としない場合でも、「事案が異なる」(区別)として別意に解釈されることもあるわけで、そういう場合も税法は私法にお付き合いしなければならないのかどうか。


 また、「借用概念は税法の文理解釈に適っている」みたいな言い方がされることがあります。

 が、もし本当に借用する気があるなら、

  『△△(□□法第○条に規定する△△)』

と明記したはずです。

 とすると、「そのような引用がない場合は借用すべきでない」と解釈するのが文理解釈ではないのかと。
 にもかかわらず、それを借用概念だと解釈するというのは、文理解釈を超えた論理解釈・目的論的解釈をしてしまっている、といえるのでは。


 結局のところ、「統一説」をとらなくても、税法判例さえ確定していれば法的安定性は保たれるわけです。
 逆に、私法判例に連動して税法解釈も動くのだとしたら、むしろ法的安定性は害されることになりかねない。

 素直に、『税法は「税法の趣旨・目的」にしたがって解釈される』としておいたほうが、安定的な運用ができると思う。
 税法の趣旨・目的とは異なるところで出された私法判例を一旦税法解釈に移植してみて、不具合がでたら別意に解する、という判断プロセスが無駄に思えて仕方がない。

 だったら、はじめから「税法は税法の趣旨・目的のみによって解釈される」としておいてもらったほうが、見通しがよくなる気がします。


 以上、一旦記事にはしたものの生煮え感が強いので、もうしばらく火を入れ続けてみます。

 なお、以下に、(その10)までで論じた借用概念論のイケてない点を列挙しておきます。

・「外国」の私法が借用先になるのかが分からない。

・「私法」以外も借用先になるのかが分からない。

・借用の仕方として「法適用通則法」を適用するのか直接適用するのかが分からない。

・「権利概念」の場合にどの範囲で借用してくるのかが分からない。

・税法の趣旨・目的によるチェックを入れるなら、もはや借用とはいえないのでは。

・実質重視の私法解釈を借用したら、税法の文理解釈が害される場合があるのではないか。


※なお、日本語の問題として、
  借用元⇒借用する側(税法)
  借用先⇒借用される側(私法)
として私は使っているのですが、語感的にはなんか逆に思えなくもない。

   借用先:私法(借りられる側) → 借用元:税法(借りる側)

 これが依頼元・依頼先だと

   依頼先:受託者(依頼される側) ← 依頼元:委託者(依頼する側)
 
となって、こちらは特に違和感はないですよね。

 おそらくですけど、「借りる」と「元/先」の接合による不具合かもしれません。
 「貸す」側から書いてみると、

   貸し先:税法(貸される側) ← 貸し元:私法(貸す側)

となって、接合面の違和感みたいのはなくなります。

非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)
posted by ウロ at 09:33| Comment(0) | 国際租税法
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