非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その11)
ということで、今回は「判例の拘束力」を正面から扱ってみることにします。
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(その11)では、税法学説がもっぱら実体法レベルの問題として借用概念論として論じているけども、実は手続法レベルの問題もあるのではないか、ということを書きました。
借用概念 ⇒実体法レベルの議論
判例の拘束力 ⇒手続法レベルの議論
この2つの関係性がどうつながってるのか、いまいち分かってないので少し深堀りしてみます。
(ちなみに、続き物の連想ものということでタイトルを(その12)としていますが、もはや著作権でも国外源泉所得の問題でもなくなっています。)
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「借用概念」というのは、税法に私法上の用語と同一の用語がある場合には、私法と同義に解するべき、というものです。
で、最高裁も借用概念を認めている、ということで、たとえば次のような判決。
いわゆる「武富士事件」ですね(最高裁平成23年2月18日判決)。
1「法1条の2によれば、贈与により取得した財産が国外にあるものである場合には、受贈者が当該贈与を受けた時において国内に住所を有することが、当該贈与についての贈与税の課税要件とされている(同条1号)ところ、ここにいう住所とは、反対の解釈をすべき特段の事由はない以上、生活の本拠、すなわち、その者の生活に最も関係の深い一般的生活、全生活の中心を指すものであり、一定の場所がある者の住所であるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきものと解するのが相当である〔最高裁昭和29年(オ)第412号同年10月20日大法廷判決・民集8巻10号1907頁、最高裁昭和32年(オ)第552号同年9月13日第二小法廷判決・裁判集民事27号801頁、最高裁昭和35年(オ)第84号同年3月22日第三小法廷判決・民集14巻4号551頁参照〕。」
2「原審は、上告人が贈与税回避を可能にする状況を整えるために香港に出国するものであることを認識し、本件期間を通じて国内での滞在日数が多くなりすぎないよう滞在日数を調整していたことをもって、住所の判断に当たって香港と国内における各滞在日数の多寡を主要な要素として考慮することを否定する理由として説示するが、前記のとおり、一定の場所が住所に当たるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かによって決すべきものであり、主観的に贈与税回避の目的があったとしても、客観的な生活の実体が消滅するものではないから、上記の目的の下に各滞在日数を調整していたことをもって、現に香港での滞在日数が本件期間中の約3分の2(国内での滞在日数の約2.5倍)に及んでいる上告人について前記事実関係等の下で本件香港居宅に生活の本拠たる実体があることを否定する理由とすることはできない。
このことは、法が民法上の概念である「住所」を用いて課税要件を定めているため、本件の争点が上記「住所」概念の解釈適用の問題となることから導かれる帰結であるといわざるを得ず、他方、贈与税回避を可能にする状況を整えるためにあえて国外に長期の滞在をするという行為が課税実務上想定されていなかった事態であり、このような方法による贈与税回避を容認することが適当でないというのであれば、法の解釈では限界があるので、そのような事態に対応できるような立法によって対処すべきものである。そして、この点については、現に平成12年法律第13号によって所要の立法的措置が講じられているところである。」
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これ、読んでもらえば分かるんですが、
借用概念:相続税法の「住所」は民法の「住所」と同じ。
というだけで結論を出しているわけでなく、それに加えて、
判例の拘束力:民法の住所は客観的に判断するのが判例の立場。
ということも言っていますよね。
この2つの理屈によって、相続税法の住所は民法と同じく客観的に判断すべき、という結論を出しています。
租税法学説だと前者しか意識されていませんが、実際に民法解釈を借りてくるためには後者も必要になるわけです。
つまり、「借用概念だ」と言っただけでは、「民法と同じ」というところまでは言えたとして、じゃあ過去の最高裁判例と同じく客観説をとるべきか、というと必ずしもそうとはならない。
過去の判例が現時点でも正しいとは限らないわけで。
むしろですけど、この判決の論述の順番に意味があるのであれば、「判例の拘束力」のみで結論だしているといえなくもない。
というのも、引用した1と2の間を省略したんですが、そこには「あてはめ」と「結論」が書かれています。ので、1の規範定立⇒あてはめ⇒結論で判決としては完成しちゃっているんですよね。
2であれこれ言っているのは、結論を出した後の補足的な理由付けにすぎない。
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それはともかく、住所が民法からの借用概念だというならば、現時点での民法解釈としてあるべき解釈、というものを検討する必要があります。
で、過去の判例と同じでいいというなら過去の判例を引用すればいいし、変更したほうがいいというなら射程を限定するなり正面から変更するなりすると。
で、そうやって導かれた私法解釈を税法に代入する。
もしこういう判断構造(すげえ迂路)が借用概念論の実態なのだとしたら、「民法と同じ」とはいいながら、何の判断も入れずに過去の私法判例をそのまま税法解釈に当てはめているわけではないことになります。
当該事案における解釈として妥当かどうか、というチェックを(私法解釈のかたちで)常にしているということに。
私個人としては、そんなん正面から税法解釈としてすればいいんじゃね、と思うんですけど。
過去の私法判例が税法解釈にも妥当するというなら、それをそのまま引用すればいいのであって、わざわざ私法解釈経由で導入する必要はない気がしますけど。
借用概念必要論: 私法判例 ⇒ 私法解釈 ⇒ 税法解釈
借用概念不要論: 私法判例 ⇒ 税法解釈
私法判例は生のままでは税法解釈に使えない、ので「借用概念」を梃子にして私法⇒税法をつなぐ、そういう理屈なんでしょうかね。
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ちなみにこの判決、「租税回避の意図を判断要素に入れるの法解釈の限界」だとか言っているんですが、これを私は「ヤラセ」という。
と、いうのも、民法の規定。
民法 第二十二条(住所)
各人の生活の本拠をその者の住所とする。
ここに書いているのは、住所=生活の本拠ということだけ。
客観的に判断するなんて、どこにも書いていない。
じゃあどこに書いてあるか、といえば最高裁自身の過去の判例。
最高裁が「住所は主観も考慮して判断する」と判決しさえすればいいだけの話であって、決して法解釈の限界などではない。
しかも、正面から判例変更しないでも、過去の判例とは事案が異なる、とかいって事実上の判例変更で済ます、というテクニックだってあるわけだし。
ので、本来最高裁がここでいうべきことは、「相続税法の住所の判断に租税回避の意図も含めて判断すると課税範囲が不明確になる、ゆえにそういう考慮を入れたいなら立法で課税範囲を明確に規定せよ」ということなはずです。
つまり、民法が客観説だから税法も客観説という「借用概念論」の問題ではなく、税法固有の「明確性」の問題。
そしてこの判決を、税法における「文理解釈」を重視した、と評価するのは持ち上げすぎ。
文理が及ぶのは「住所⇒生活の本拠」までで、その判断要素を客観に限定するといっているのは、自分とこの過去の判例に従っただけよ。
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仮にどこかに法解釈の限界ラインがあるとして、この判決がいう、客観/主観の間にそのラインがあるとかいうの、疑問。
住所とは
ア 生活の本拠 ←文言解釈(民法から借用)
イ 客観のみで判断 ←法解釈の範囲内?
ウ 主観もいれて判断 ←法解釈の限界超える?
この判決によれば、イとウの間に解釈の限界ラインがあるってことですよね。
が、客観のみで判断といっても、結局のところ、諸般の事情を総合考慮してるのであって、決して明確じゃないです。
これが「形式/実質」ならば、形式的判断であれば明確といえるんですけど。
主観を入れた場合との明確性の違いは程度問題にすぎないのでは。
そんな程度問題にすぎないラインをもって、最高裁が「司法権/立法権」の限界ラインとしているの、なんか大げさすぎません?
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そもそもですけど、なぜに「民法」から借用なのか。
これが「抵当権」とかなら明らかに民法上の概念だろうな、と分かるわけです。
が、「住所」なんて事実概念みて「あ、これ民法のやつじゃん」と思えるって、どういう思考回路なんでしょうか。
参考までに「現行の」相続税法1条の2。
相続税法 第一条の二(定義)
1 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 扶養義務者 配偶者及び民法第八百七十七条(扶養義務者)に規定する親族をいう。
民法から借用したいなら、こういう書き方ができるわけです。
文理解釈にも明確性にもめっちゃ資する。
これは余談ですが、この規定の仕方だと、877条2項の「親族」にしか掛かっていないように読めるんですけど。同条1項の「直系血族」「兄弟姉妹」が含まれていない、みたいな。
民法 第八百七十七条(扶養義務者)
1 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。
2 家庭裁判所は、特別の事情があるときは、前項に規定する場合のほか、三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。
相続税法基本通達には、ちゃんと含まれるって書いてはありますが。
(「扶養義務者」の意義)
1の2-1 相続税法(昭和25年法律第73号。以下「法」という。)第1条の2第1号に規定する「扶養義務者」とは、配偶者並びに民法(明治29年法律第89号)第877条((扶養義務者))の規定による直系血族及び兄弟姉妹並びに家庭裁判所の審判を受けて扶養義務者となった三親等内の親族をいうのであるが、これらの者のほか三親等内の親族で生計を一にする者については、家庭裁判所の審判がない場合であってもこれに該当するものとして取り扱うものとする。
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また、この人みたいに、「法の適用」なら何でもいけるぜ、みたいなことは書いていないわけで。
法適用通則法 第一条(趣旨)
この法律は、法の適用に関する通則について定めるものとする。
「民法に規定する住所」と書いてもいないのに民法と同義だと解釈するのは、逆に文理解釈に反することになるんじゃないんですか。
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しかもですけど、この判決が引用している過去の判例、ことごとく民法以外の事案(というか公法事案)。
「民法上の概念である住所」なんてものが、引用できるような判例の中には存在していないってことなんじゃないんですか。
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と、ここまで展開してみてふと思うこと。
判例を、
結論命題 判例となる
理由付け命題 判例とならない
とする二分論、少なくともこの場面では採用していないんだろうな、ということ。
判例の機能的考察(タイトル倒れ)
というのも、この二分論からすれば、《結論命題》は、
○○ならば、日本に住所がある(ない)
という箇所であって、
民法上の住所(生活の本拠)は客観的に判断する
というのは《理由付け命題》にすぎないからです(しかも、引用判例は民法ですらなく公職選挙法とか)。
でも、最高裁は、この部分を「参照」して判断を下している。
こういった判決を素直にみるならば、
・結論命題も理由付け命題も判例となる
・借用概念論を梃子にして私法判例は税法判例ともなる
というのが実際のところなんじゃないんですかね。
さらに、後者を本件に即していうならば、民法をハブにして公職選挙法等の判例が税法判決に流れ込んでいる、ということに。
結論命題/理由付け命題という区分を採用するかどうかは別として、判決を判例になるもの/ならないものに分けて、判例の射程を制限しようとするのが一般的な見解かと思います。
が、ここでの最高裁は、理由付けの部分にも判例の射程を及ぼした上で、さらに公法⇒私法⇒税法へと射程を広げていると。
一般的な見解とは随分違って、射程の捉え方がかなり柔軟であるように思います。
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最後、この事案が問題になってから改正が入ったやつを引用しておきます。
相続税法 第一条の三(相続税の納税義務者)
1 次の各号のいずれかに掲げる者は、この法律により、相続税を納める義務がある。
一 相続又は遺贈(贈与をした者の死亡により効力を生ずる贈与を含む。以下同じ。)により財産を取得した次に掲げる者であつて、当該財産を取得した時においてこの法律の施行地に住所を有するもの
イ 一時居住者でない個人
ロ 一時居住者である個人(当該相続又は遺贈に係る被相続人(遺贈をした者を含む。以下同じ。)が一時居住被相続人又は非居住被相続人である場合を除く。)
二 相続又は遺贈により財産を取得した次に掲げる者であつて、当該財産を取得した時においてこの法律の施行地に住所を有しないもの
イ 日本国籍を有する個人であつて次に掲げるもの
(1) 当該相続又は遺贈に係る相続の開始前十年以内のいずれかの時においてこの法律の施行地に住所を有していたことがあるもの
(2) 当該相続又は遺贈に係る相続の開始前十年以内のいずれの時においてもこの法律の施行地に住所を有していたことがないもの(当該相続又は遺贈に係る被相続人が一時居住被相続人又は非居住被相続人である場合を除く。)
ロ 日本国籍を有しない個人(当該相続又は遺贈に係る被相続人が一時居住被相続人又は非居住被相続人である場合を除く。)
三 相続又は遺贈によりこの法律の施行地にある財産を取得した個人で当該財産を取得した時においてこの法律の施行地に住所を有するもの(第一号に掲げる者を除く。)
四 相続又は遺贈によりこの法律の施行地にある財産を取得した個人で当該財産を取得した時においてこの法律の施行地に住所を有しないもの(第二号に掲げる者を除く。)
五 贈与(贈与をした者の死亡により効力を生ずる贈与を除く。以下同じ。)により第二十一条の九第三項の規定の適用を受ける財産を取得した個人(前各号に掲げる者を除く。)
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(まとめ)
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