2020年01月20日

税法・民法における行為規範と裁判規範(その5)

 さて、予告どおりにちゃぶ台返し。

税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)
税法・民法における行為規範と裁判規範(その2)
税法・民法における行為規範と裁判規範(その3)
税法・民法における行為規範と裁判規範(その4)

 「行為規範はあります!」前提でここまで論じてきたわけですが、「それフィクションちゃう?」ということを以下書きます。


 なお、ここでいう「フィクション」という用語について、それ自体には決して否定的な意味合いは含めていません。

 小説にしても映画にしても、人の感情を良い方向に動かすこともできるわけで、必ずしも有害・無益とは限りませんよね。
 法分野においても、フィクションを現実と混同することなく、用法用量を守って正しくお使い下さる限りは有用なものになるはずです。

【法とフィクション論】
 来栖三郎「法とフィクション」(東京大学出版会1999)


 話はずれますが、この法におけるフィクションを悪用したのが会社法制定であり民法(債権関係)改正だ、というのが私の見立て。

 というのも、どちらも改正理由の一つとして「国民に分かりやすくするため」ということを謳っていました。

 が、現実に出来上がった条文を見れば分かるどおり、どう考えても国民に分かりやすいとは思えない。
 努力したけど駄目でした、というわけではなく、はじめからそんな気なかっただろ、と言いたくなる仕上がり。
 国民に分かりやすくなんて、どうせ無理だと分かっていたくせに、改正理由に掲げていたんじゃないかと。

 このあたり、潮見佳男先生が「プロ向けの改正」だとぶっちゃけているところで。

潮見佳男『新債権総論1・2(法律学の森)』(信山社 2017)


 話は戻って論より証拠、たとえば、皆さんご存知「小規模宅地の特例」について、条文だけを読んで要件を正確に抽出してみましょう。
 
租税特別措置法69条の4
租税特別措置法施行令40条の2

 専門家でもなかなかハードなのに、納税者一般にこれを読んで理解しろ、とか無茶振りだと思うんですけど。

 なんとなくの制度趣旨は想像できると思います。
 が、以前ネタにもしたとおり、その制度趣旨からストレートに要件を抽出することができないほどややこしいのが現状。

【小規模宅地の特例イジり】
パラドキシカル同居 〜或いは税務シュレディンガーの○○
イタチ、巻き込み。 〜家なき子特例の平成30年改正
ヤバイ同居 〜続・家なき子特例の平成30年改正

 じゃあってことで、「この規定は納税者の予測可能性を害するから、要件満たすと誤信した人は特例受けられる」と主張できるかといったら、まあ無理ですよね。

 比較的メジャーな制度でもこんな具合なんだから、他は推して知るべし。


 もし「現実の」納税者を基準に予測可能性を判断するならば、現行の税法のほとんどは無効だということになるはずです。
 にもかかわらず、納税者の予測可能性が「ある」といおうとするなら、それは現実に存在する個々人を捨象して、あるべき納税者(規範的納税者)を想定しなければならなくなります。

 そこまでいくと、フィクションどころか「嘘」じゃねえかと。


 だとすると、納税者の予測可能性というものは、立法政策上の努力目標として掲げるのはありうるとしても、解釈論レベルで使えるものではないのでは、と思います。
 論者がそれぞれ心の中に「仮想納税者」を召喚し、それを基準に予測可能性があるとかないとかいうの、終わりなき空中戦という感じがします。

 式神とか幽波紋とか、そういうイメージ。
 「視えない」我々からしたら、あの人達何やっているの?てなりますよね(かなり滑稽な姿)。
 本人たちは我々納税者のために闘っているつもりかもしれませんが。

 頭のいい人たちの想定するあるべき納税者なんて、相当賢いレベルで想定しがちだし(その結果が会社法制定と民法(債権関係)改正)。

 そうすると正面から、専門家にとっての予測可能性とか、あるいは一義性を基準にしたほうが、適切な運用ができる気がします。


 ちなみに、このブログでイジりを入れた判決や裁決は、専門家からみての意外性というのが出発点にあります。
 結論に賛成か反対か、というのではなく、その解釈なんか不自然じゃね?という違和感からの。

解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
加算税をめぐる国送法と国税通則法の交錯(平成29年9月1日裁決)


 もし納税者の予測可能性ということを持ち出すことがあるとしたら、税務署に相談して回答どおりに処理したら後から違うと言われた、みたいな例の場面くらいかと。

 これは予測可能性というより「信義則」とか「信頼の原則」などとして論じられているものですね。


 ということで、前回までの記事で書いた税法における行為規範というものを、生の納税者に直接向けられたものとして理解するのは非現実的。
 エーテルで現代の物理学を説明する的な所業ではないかと。

 実際には、専門家の助言や税務署への照会などを通して具体化されたもの、と読み替える必要がある、というのが今回の記事の結論。

【税法における行為規範】
 虚構: 税法 ⇒ 納税者
 現実: 税法 ⇒ 専門家 ⇒ 納税者

 現実にはそういうものだと頭の中で理解した上で、「行為規範はあります」というべきだろうと。

 ちなみに、ここの「専門家」のポジションをAIで完全代替できるようになれば、いよいよ「税理士はいらない」ということになるんでしょうね(と、同じ話を(その1)で「張り切り行為無価値おじさん」として書きました)。


 ところで、行為規範という観点からすると、「文書回答手続」の対象が取引後に限られているのは不十分、と評価できますよね(一応、取引前でも資料一式揃っている場合も含みますが)。

事前照会に対する文書回答手続(国税庁)

 そして、(その3)までで引用した記述Bが、「取引後」に働く規範を行為規範と呼んでいることのアレさ加減に、再度がっかりさせられる。


 頑張って生の納税者に寄り添おうとするならば、たとえば「課税常識」のようなものを措定して、ここから逸脱した課税は納税者に不意打ちとなるから無効、というような理論をたてるか。

 フィクション: 税法 ⇒ 課税常識 ⇒ 納税者

 それでも結局は、あるべき納税者(規範的納税者)を基準とせざるをえないでしょうが。
 こういう理屈立ての場面こそ、フィクション論の主戦場な気がします。

税法・民法における行為規範と裁判規範(その6)
税法・民法における行為規範と裁判規範(その7)
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