前回、印紙税法側にもう一回転ネジを回す、といいました。
が、そこにまっすぐに向かう前に、いくつか露払いをします。
【印紙税法学・樹立の道程】
私法の一般法とかいってふんぞり返っているわりに、隙だらけ。〜契約の成立と印紙税法
続・契約の成立と印紙税法(法適用通則法がこちらをみている)
続々・契約の成立と印紙税法(代理法がこちらをみている)
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一般的に、契約書という形式ではなく、受注書や請書など承諾事実を証明する目的で作成される文書も「課税文書」だとされています(以下、申込側の書類を「申込書」、承諾側の書類を「承諾書」ということにします)。
通達21条は申込書すら課税文書になる(場合がある)としていますが、承諾書だけのパターンも課税されることがその前提にあります。
印紙税法基本通達
第21条(申込書等と表示された文書の取扱い)
1 契約は、申込みと当該申込みに対する承諾によって成立するのであるから、契約の申込みの事実を証明する目的で作成される単なる申込文書は契約書には該当しないが、申込書、注文書、依頼書等(次項において「申込書等」という。)と表示された文書であっても、相手方の申込みに対する承諾事実を証明する目的で作成されるものは、契約書に該当する。
2 申込書等と表示された文書のうち、次に掲げるものは、原則として契約書に該当するものとする。
(1) 契約当事者の間の基本契約書、規約又は約款等に基づく申込みであることが記載されていて、一方の申込みにより自動的に契約が成立することとなっている場合における当該申込書等。ただし、契約の相手方当事者が別に請書等契約の成立を証明する文書を作成することが記載されているものを除く。
(2) 見積書その他の契約の相手方当事者の作成した文書等に基づく申込みであることが記載されている当該申込書等。ただし、契約の相手方当事者が別に請書等契約の成立を証明する文書を作成することが記載されているものを除く。
(3) 契約当事者双方の署名又は押印があるもの
このように説かれる際、明示されていないものの、有効な申込と有効な承諾という《実体》があることが前提とされているはずです。
ノーマル: 申込+申込書 ⇒ 承諾+承諾書
申込 ⇒ 承諾+承諾書
申込+申込書 ⇒ 承諾
では、承諾書には特定の申込に対するものであることが記載されているものの、その申込みが架空のものだった場合はどうなるのか(実体としての申込がない以上、それに対応する実体としての承諾も存在しえない)。
アブノーマル: なし ⇒ 承諾書
「文書の記載だけから判定」ということからすれば、この場合も課税文書で問題ない、ということになるのでしょうか。
もしこの結論が正しいのだとすると、やはり印紙税法では民法の成立要件それ自体は要求されていない、ということになります。
書面上、契約の成立を証明する目的で作成されたことが読み取れさえすれば、そのもととなっている実体は必要ないと。
どこかやりすぎ感はありますが、文書の記載のみで判定するというならば、それが自然な帰結となるはずです。
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この結論を回避したいというのであれば、印紙税法上も何らかの《実体》判断を導入する必要があります。
そうだとして、その実体は民法直輸入でよいのか何らかの印紙税法的変容が必要なのか、検討を要します。
以下では、記述がしやすい通常の「契約書」事例に即して検討してみます。
事例1:《実体》なし
ア 文書:代金1000万円の不動産売買契約書
イ 文書:代金8000万円の不動産売買契約書
※そもそもこの事例、民法上、実体なしとして契約は「成立」しないのか、それとも、表示通りの契約が「成立」した上で「効力」が実体にあわせて調整されるのか、という問題があります。
なんですが、これをやりだすと前々回に論じた「効力要件」問題が再燃してしまいます(要するに、同じようなことをいろんな角度から検討しているだけなので、混線する)。
ので、ここでは契約不成立前提で話をすすめます。
まず、実体なしの場合に、アイそれぞれの記載金額で課税されるかが問題となります。
実体不要説であれば、当然のごとく記載金額どおり課税されます。
実体不要説
ア 1000万円
イ 8000万円
この場合に課税されるのはまずい、ということで何らかの実体を要求することにしようと。
そうすれば、少なくとも実体なしのアイの課税は回避できます。
実体必要説
ア 不課税
イ 不課税
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では、何らかの実体がありさえすればいいか。
事例2:《実体》代金5000万円の不動産売買契約
ウ 文書:代金1000万円の不動産売買契約書
エ 文書:代金8000万円の不動産売買契約書
※こちらも事例1同様、民法上、実体通りの金額で「成立」するのか、それとも、文書通りの金額で「成立」した上で「効力」が実体にあわせて調整されるのか、という問題があります。
が、ここでは実体通りの金額で成立した前提で話をすすめます。
事例2では、実体はあるわけですが「金額」が実体と文書とで不一致となっています。
この場合に、ウエの「課税標準」はそれぞれいくらとなるのか。
金額にかかわらず申込みと承諾がありさえすればいいのであれば、記載金額どおりの「課税標準」になるのでしょう(金額不要説)。
実体必要・金額不要説
ウ 1000万円
エ 8000万円
他方で、金額も持ち込むとした場合はどうか(金額必要説)。
この場合でも、実体と記載のどちらを重視するかでいくつかバリエーションがありえます。
が、記載をベースとしつつ実体で上限をはめる、というのが最もありうるパターンでしょうか。
実体必要・金額必要説
ウ 1000万円
エ 5000万円(実体が上限)
わかりやすく「金額」で検討しましたが、このことは「数量」などでも同じことです。
(もっというと実体「贈与」で文言「売買」などもありえますが、切りがないのでやめておきます。)
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前回は納税義務者の判定をメインに検討し、実体判断を導入すべきだろうと書きました。
さて、本丸である課否判定についても実体判断を導入することは可能でしょうか。
法律上の手がかりとなりうるのは、通則5項の「契約の成立を証すべき文書」くらいでしょうか。
印紙税法
別表第一 課税物件表(第二条―第五条、第七条、第十一条、第十二条関係)
課税物件表の適用に関する通則
5 この表の第一号、第二号、第七号及び第十二号から第十五号までにおいて「契約書」とは、契約証書、協定書、約定書その他名称のいかんを問わず、契約(その予約を含む。以下同じ。)の成立若しくは更改又は契約の内容の変更若しくは補充の事実(以下「契約の成立等」という。)を証すべき文書をいい、念書、請書その他契約の当事者の一方のみが作成する文書又は契約の当事者の全部若しくは一部の署名を欠く文書で、当事者間の了解又は商慣習に基づき契約の成立等を証することとされているものを含むものとする。
この「証すべき」の対象が、一定の「実体」があることに向けられているのか、それともそのような実体がなくても「記載」がありさえすればいいのか、どうにも読み取れない。
それで、通達では「証明する目的で作成される文書」と言い換えたのでしょうが、それでも実体が必要なのかどうかがはっきりしない。
印紙税法基本通達
(契約書の意義)
第12条 法に規定する「契約書」とは、契約当事者の間において、契約(その予約を含む。)の成立、更改又は内容の変更若しくは補充の事実(以下「契約の成立等」という。)を証明する目的で作成される文書をいい、契約の消滅の事実を証明する目的で作成される文書は含まない。
《「契約の成立を証明する目的」とは?》
1 「成立」の実体の要否
ア 申込と承諾の一致という実体があり、かつ、それを証明する目的が必要
イ 申込と承諾の一致という実体があるかのようにみせる目的があればいい
2 「目的」の実体の要否
ウ 実体としての目的が必要
エ 目的のあることが書面上に表れていればいい
「課否判定は記載文言による」としても、それは判定の資料は記載文言に限られ書かれざる要素を持ち込むべきではない、というにとどまります。
そこから先、課税要件(証明の対象)が文書そのものなのか、それとも実体も要求されるのかは別の問題。
判定資料: 文書のみ ←ここは争いなし
判定対象: 文書 or 文書+実体 ←Fight!
個人的には、成立は実体不要で目的は実体必要(イ+ウ)、つまり、成立を見せかける目的が現実にあることが必要だと思うのですが、最終的な結論は保留します。
印紙税法基本通達
(課税文書に該当するかどうかの判断)第3条
1 文書が課税文書に該当するかどうかは、文書の全体を一つとして判断するのみでなく、その文書に記載されている個々の内容についても判断するものとし、また、単に文書の名称又は呼称及び形式的な記載文言によることなく、その記載文言の実質的な意義に基づいて判断するものとする。
2 前項における記載文言の実質的な意義の判断は、その文書に記載又は表示されている文言、符号を基として、その文言、符号等を用いることについての関係法律の規定、当事者間における了解、基本契約又は慣習等を加味し、総合的に行うものとする。
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これとは別の例で、通達には「契約当事者以外」の者に提出する文書に関するルールがあります。
印紙税法基本通達
第20条(契約当事者以外の者に提出する文書)
契約当事者以外の者(例えば、監督官庁、融資銀行等当該契約に直接関与しない者をいい、消費貸借契約における保証人、不動産売買契約における仲介人等当該契約に参加する者を含まない。)に提出又は交付する文書であって、当該文書に提出若しくは交付先が記載されているもの又は文書の記載文言からみて当該契約当事者以外の者に提出若しくは交付することが明らかなものについては、課税文書に該当しないものとする。
(注) 消費貸借契約における保証人、不動産売買契約における仲介人等は、課税事項の契約当事者ではないから、当該契約の成立等を証すべき文書の作成者とはならない。
これは要するに、
実体:契約当事者以外の者に提出する予定で
文書:そのことが明記されている
場合は課税しないと。
なに勝手に免税しちゃってんの、てところですが、寄り添って法解釈レベルに落とし込んであげるなら、この場合には「契約の成立を証する目的で作成する文書=契約の成立を証すべき文書」に該当しない、ということなんでしょう。
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ここで特徴的、というか意外なのは、実体と文言を両方考慮すると書いてあるということ。
実体:契約当事者以外の者に提出又は交付する文書であって、
文言:当該文書に提出若しくは交付先が記載されているもの又は文書の記載文言からみて当該契約当事者以外の者に提出若しくは交付することが明らかなもの
「であって」の後ろが文言判断になっていることからすれば、その前が実体判断なのだろうと推測できます(もしかしたら、そこまでの深読みは想定してないのかもしれませんが)。
上述した通則5項や通達12条が、どっちつかずの煮え切らない表現なのとは対照的。
ので、契約書に「銀行提出用」と明記したとしても、実体は契約当事者保管用ならば課税を回避することはできないことになります。
実体を考慮して、まるっきり記載に反する結論を導いているのが驚きです。
いつもの「文書!文書!実体無視!実体無視!」ばかり言っているお前はどこ行ったのよ。
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しかし、なぜ急にこの場面で、実体を持ち出したのかが謎。
そしてこれが、この場面だけの話なのか、それとも印紙税法は実は全面的にこういう思想を隠し持っているということなのか。
「銀行提出用」と書いてあったら、この文言をどれだけ実質的に理解しようが「銀行提出用」以外の何物でもないわけです。
にもかかわらず、「実際に」銀行に提出するかどうかで判断をするのだと。
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ただ注意すべきなのが、これが「納税者不利」方向への実体導入だということ。
文書課税だといって課税範囲を広げておきながら、不課税方向には突如として実体を持ち出してハードルをあげているわけです。
課税方向: 記載さえあればいい
不課税方向: 記載と実体がそろってなければ駄目
これ、全く関係ないですが「二元的行為無価値論」と構造が似ている。
犯罪が成立するには結果無価値と行為無価値両方が必要だといっておきながら、違法性を阻却する場面では結果無価値と行為無価値の両方が阻却されなければならないと主張している例のやつ。
犯罪成立には両方必要だというなら、どちらかが欠ければ違法性が阻却されるとすべきはずなのに。
【二元的行為無価値論の帰結】
犯罪成立:行為無価値+結果無価値 両方必要
違法性: なし
⇒阻却される
犯罪成立:行為無価値+結果無価値 両方必要
違法性: 行為無価値のみ
⇒阻却されない(何故だ?)
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いずれにしても、「判断素材は記載文言」を標榜している通達3条とは、噛み合わないルール。20条にしても、課税要件該当性判断のひとつにかわりないのに。
課税を広げるためなら原則ルールは捨て置け、なんてことだとしたら、あまりにも下劣な態度ではなかろうか。
印紙税法基本通達
(課税文書に該当するかどうかの判断)第3条
1 文書が課税文書に該当するかどうかは、文書の全体を一つとして判断するのみでなく、その文書に記載されている個々の内容についても判断するものとし、また、単に文書の名称又は呼称及び形式的な記載文言によることなく、その記載文言の実質的な意義に基づいて判断するものとする。
2 前項における記載文言の実質的な意義の判断は、その文書に記載又は表示されている文言、符号を基として、その文言、符号等を用いることについての関係法律の規定、当事者間における了解、基本契約又は慣習等を加味し、総合的に行うものとする。
もしこれらをうまく噛み合わせようとするなら、課否判定を次の2つにわけることになるでしょうか。
課税文書該当性:文言判断
文書作成目的: 実体判断
ここに前回検討した納税義務者判定を並べるなら、
納税義務者: 実体判断
となると。文言判断の妥当領域をだいぶ突き崩せてきましたね。
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なお、ここでいう「契約当事者」には、文字通りの当事者にかぎらず保証人や仲介人も含まれると書かれています。
その結果、
監督官庁・銀行提出用 「契約の成立を証する目的」なし
保証人・仲介人提出用 「契約の成立を証する目的」あり
という結論になります。
が、私には、ここまで課税上の取り扱いを異ならせる実質的な根拠が見いだせません。
率直にいえば、どちらの書面も「契約の成立を証する目的」はあるように思えますし。
何か違いがあるとしたら、本来の契約当事者からの「距離感」くらいでしょうか。
あるいは、目的が「直接的/間接的」のような、何のためか分からない違いで区別しようとしているのか。
このことからも、「契約の成立を証する目的」という文言のポリシーの薄さが透けて見えます。
○
さて、露払いが済んだところで(祓えてない?)本来書こうとしていたところに入ります。
前回仄めかしずみのところですが、《納税義務者》かどうかの判定は、当該契約の「意思主体」かどうかによるべきだと書きました。
文書作成に関与していない本人が課税されることの不当性を回避するためには、そのように解釈すべきだと。
そうだとして、本人が契約締結そのものを委任していないものの、(実体の伴わない)契約書面を本人名義で作出することだけは承認していた場合はどうなるのか。
【委任の範囲】
契約締結 ×
書面作成 ○
ここでいう「意思主体」というのが、「契約の効果を引き受ける意思がある者」という意味だとすると、意思主体ではない、ということになります。
が、本人課税が問題となった理由は本人が文書作成に関与していないからでした。そうすると、文書作成に本人が関与しているのであれば、課税されたとしてもおかしくはない。
そこで印紙税法の納税義務者としては、「文書作成の意思がある者」というところまで、意思内容を希釈化できるかどうか(創造説が手形負担意思を抽象化したように)。
実体判断を導入するにしても、民法直輸入ではなく印紙税法特有の変容が施されると。
(先週時点では、この「意思主体」の点だけ追記するつもりだったんですが、前座が異常に膨らんだ。)
○
以上、印紙税法に「法解釈論」を導入する(印紙税法学の樹立)というストレンジな試みなせいで、どうにも長くなりました。
「印紙税は文書課税」という空虚な後ろ盾以外は、何の理論的なバックボーンもないというのが印紙税法の現状、というのがここまであれこれ検討してきての感想。
民法みたく、いろんな主義やドグマでごちゃついているのはそれはそれで大変ですが、さすがに持ちネタが文書課税一本だけでやっていくのは厳しいでしょう。
【ドグマからドクマへ】
ドキッ!?ドグマだらけの民法改正
「印紙税法は文書課税」などといった裸の理論一本では、どうにも解決できない問題が種々潜んでいるわけで。
【例外:裸ネタ一本で駆け抜けた作品】
鳩胸つるん 剥き出しの白鳥 (集英社2018-2019)
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印紙税法嬢は「私、文書課税だから」とお高く止まっているのですが、法や通達をみるかぎりどうも常に実体に支えてもらっていることが当たり前だと思っているフシがある。
それゆえ、実体が欠ける場合について無防備。うまく作動しない。
ということで、後ろ盾をつけてあげようと、こちらが頑張って民法や通則法とくっつけようとしてあげたのですが、全然馴染もうとしやがらねえ。
うまく引き合わせができなかった、私の不徳の致すところ。
ただ、今回の記事の中で、こちらが頼んでもいないのに勝手に民法とくっつきそうな箇所がありました。
ということで、私の頭がついていくのなら、もう1回だけ掘り下げてみようと思います。
2020年05月04日
さよなら契約の成立と印紙税法 (結局いつもひとり)
posted by ウロ at 00:00| Comment(0)
| 印紙税法
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