契約の成立と印紙税法の問題に「民事訴訟法」が参戦!
【契約の成立と印紙税法】
私法の一般法とかいってふんぞり返っているわりに、隙だらけ。〜契約の成立と印紙税法
続・契約の成立と印紙税法(法適用通則法がこちらをみている)
続々・契約の成立と印紙税法(代理法がこちらをみている)
さよなら契約の成立と印紙税法 (結局いつもひとり)
魔界の王子と契約の成立と印紙税法
本当は、前回までで終わる気満々だったんです。
というか、続き物系の記事はだいたい毎回そんな感じです。
書いているうちに、勝手につながっていってしまうと。
【続き物系の記事】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その1)
武器としての所得拡大促進税制 〜労働者にとっての。
今回の記事も、前回の記事で「文書の成立の真正」との絡みに何やら怪しい雰囲気を感じ取ってしまったので、掘り下げてみるという趣旨です。
【印紙税法のお相手遍歴】
民法(意思表示理論)
中学生男子
キャッツ・アイ
法の適用に関する通則法(法律行為の成立)
借用概念
民法(代理)
剥き出しの白鳥
アシュラマン
民事訴訟法(文書の成立の真正)←New!
ちなみに、このブログで「民事訴訟法」を題材にしたのは、新堂幸司先生の本の紹介くらい。
独立のカテゴリがまだ存在しない。
※追記:できました。
【民事訴訟法】
新堂幸司『民事訴訟制度の役割』(有斐閣1993)
新堂幸司「新民事訴訟法 第6版」(弘文堂2019) 〜付・民事訴訟法と税理士
どちらかというと実体法に偏っていて、手続法それ自体をネタにすることがほとんどないですね。
「規範分類説」を召喚したこともありますが、これもその基本コンセプトを参照させていただいただけですし。
税法・民法における行為規範と裁判規範(その2)
ちなみに、「刑事訴訟法」についても、下記記事でほんのり出てくるくらい。
団藤重光『法学の基礎』(有斐閣2007)
今回も、あくまで印紙税法嬢のお相手として出てきてもらっただけ。
かぐや姫と求婚男子の関係。
なお、これまで文書か実体か、という議論をしてきたにもかかわらず、印紙税法を「実体法」と呼ぶのは紛らわしいことこのうえない。
が、「手続法」に対するものとしての、なので、そういうものとしてご理解いただければ。
○
まず前提として、民事訴訟法の教科書などで一般的に記述されている「二段の推定」まわりの知識を。
ア でてくる用語
・書証
文書の意味内容を証拠資料とする証拠調べ
・処分証書 (契約書など)
立証命題である意思表示その他の法律行為が記載されている文書
・報告証書 (領収書など))
作成者の見聞、判断、感想等が記載されている文書
・文書の成立の真正
文書が特定の作成者の意思に基づいて作成されたものであること
・形式的証拠力
文書の記載内容が作成者の思想を表現していること
・実質的証拠力
文書の意味内容が事実の証明に役立つ力
(ちなみに、この形式的証拠力と実質的証拠力という用語の使い方、対比しやすいように揃えているんでしょうが、どうにも気持ち悪い。
というのも、前者は思想を表現している/していないという「有りか無しか」なのに対し、後者は「どの程度」役に立つか、という強弱があるものです。
にもかかわらず、同じ「証拠力」という用語で揃えているのがとても気持ち悪い。)
イ 一般的な説明
民事訴訟法 第二百二十八条(文書の成立)
1 文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。
4 私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。
・文書を書証として用いるためには、文書の成立の真正を証明しなければならない(1項)。
ただ、それ自体を立証するのが難しいことから、推定規定(法定証拠法則)が設けられている(4項)。
・4項は、押印(以下、署名は略します)が名義人の「意思」に基づいてなされた場合にはたらくもの。
これに加えて判例により、印影が名義人の印章であれば、意思に基づき押印されたと推定されることになっている。
・これら推定は経験則に基づくものなので、反証により推定を妨げることができる。
【二段の推定】
T 印影が名義人の印章
↓ 推定1
U 押印は名義人の意思によって行われた
↓ 推定2
V 文書作成は名義人の意思によって行われた
・文書の成立の真正と形式的証拠力は、通常は同じことを意味している。
ただし、「習字目的」で作成された場合などは形式的証拠力を欠く。
・「処分証書」には意思表示が記載されているから、文書の真正が証明されたら「特段の事情」のないかぎり、意思表示の存在を認定できる。
○
この一般的な説明、いかにももっともらしく書いてあるんですけど、いくつかモヤるポイントが。
「習字目的」のくだり、いくつかの教科書に書かれていて、おそらくどこかに最初の元ネタがあるんだと思います。
【元ネタ系】
田中二郎「租税法(第3版)」(有斐閣1990)
それはともかく、「習字目的」云々は、二段の推定のどこに位置づけられるのか。
おそらく、上記Vの先にWが隠されていると思います。
《三段の推定》
T 印影が名義人の印章
↓ 推定1 (判例)
U 押印は名義人の意思によって行われた
↓ 推定2 (法228条4項)
V 文書作成は名義人の意思によって行われた(成立の真正)
↓ 推定3 (隠れ)
W 記載内容は名義人の思想を表現している(形式的証拠力)
このV⇒Wの推定3を妨げるものとして、習字目的が入ります。
文書の「作成」は名義人の意思によるものですが、その「内容」は名義人の思想を表したものではないと。
どの本にも「二段」と書かれている一方で「習字目的」云々も書かれていて、その関係がよく理解できていませんでした。
が、推定が「三段」あると理解すると、収まりがよくなります。
「処分証書」で文書の真正が認められれば意思表示の存在が認定できる、というのも、Vの文書の真正から認定するのではなく、Wの形式的証拠力のほうから認定する、ということですね。
通常はVとWの距離が近いからあえて明示していない、ということかもしれませんが、習字目的云々を書くなら、VとWをちゃんと分離しておいてほしい(2.5段くらいのイメージ?)。
○
このように、Vの先にWが隠れているわけです。
が、はっきりしないのが、文書を訴訟で書証(そしょうでしょしょう)として使ってよいか、という「証拠適格」のレベルでは、VまであればいいのかWまで必要なのか。
(刑事訴訟法的な意味での「証拠能力」の問題はないのでしょうが、民事訴訟法228条1項の条件を満たすか、という意味で「証拠適格」という言葉を使うことにします。)
民事訴訟法228条1項の文言からすれば、Vまでで足りるはずです。
で、成立の真正が認められれば証拠採用できて、あとの形式的証拠力・実質的証拠力の問題は実体審理で判断する、というのが簡明な処理だと思います。
が、一般的な見解がどのように理解しているのかはよく分かりません。
・成立の真正 ←証拠適格
・形式的証拠力 ←?
・実質的証拠力 ←実体審理
○
民事訴訟法内部での説明は一応こういうことになるのですが、「民法」(実体法)との関係はどうか。
次のような事例で考えてみましょう。
【事例】
Aは、起案の練習のつもりで「Bに甲土地を贈与する」旨の契約書を作成し、机の上に置いておいた(Aの押印あり)。これをみた同居人Bは、同書面に自分の署名押印をした。
まず実体法レベルの問題として、表示主義重視の見解からすると、この事例で契約が成立するのかどうか。
前回の記事では、「表示の一致」には二様の見方があると書きましたが、より精密にいうと三様に分けられます。
《表示の一致ありというには》
@ 書面上の表示が一致していればいい
A 「当事者が」その表示をしたことが必要
B 当事者がその表示を「申込み」「承諾」とするつもりだったことが必要
AとBが分岐するのは、事例のように、「表示」をしたこと自体は意思に基づいているものの、それをBに対する「申込み」とするつもりはなかった、という場合があるからです(なんとなく手形法における「交付欠缺」の論点(契約説☓発行説☓創造説)がチラつく)。
これらを事例にあてはめると、
@ ⇒契約成立
A ⇒契約成立
B ⇒契約不成立
となり、@とAは心裡留保なり虚偽表示の検討に入っていくことになります。
表示主義重視の見解が、どれで理解しているのかはよく分かりません。
が、「取引の安全を保護するため成立段階では内心に立ち入らない」という基本コンセプトからすれば、せいぜいAまでで、Bまで要求するのは「意思主義」に片足突っ込んでいる気がします。
仮にBまで要求するにしても、後ろにその意思が「真意」だったかという判断が控えているわけで、意思の切り分けに繊細さが要求されます。
【意思ミルフィーユ構造論】
@ 意思なし
A 「表示」することの意思
B その表示が「申込み」であることの意思
C その申込みが「真意」であることの意思
概念分類としてはこうやって単純に並べて書けばすむ話ですけど、事実認定として人間の内心をこんな精密に切り分けることできるんですかね。
@とAの間に「動機」もあるわけですし。
てっさ(ふぐ刺し)をうすーく切る職人の技術が求められる(ふぐスライサーでやるからいい、とか言わないで)。
気のせいかもしれませんが、またあたらしい「意思ドグマ」が誕生しますか?
【テイルズ・オブ・イシドグマ(TAILS OF ISYDOGMA)】
加賀山茂「求められる改正民法の教え方」(信山社2019)
ドキッ!?ドグマだらけの民法改正
○
さて、この軸足の定まらない民法を前提として、「二段の推定」に戻ってみましょう(上記のとおり実態は「三段」ですが、従前の用語にあわせて平文では「二段」ということにします)。
《三段の推定》(再掲)
T 印影が名義人の印章
↓ 推定1 (判例)
U 押印は名義人の意思によって行われた
↓ 推定2 (法228条4項)
V 文書作成は名義人の意思によって行われた(成立の真正)
↓ 推定3 (隠れ)
W 記載内容は名義人の思想を表現している(形式的証拠力)
《表示の一致とは》(再掲)
@ 書面上の表示が一致していればいい
A 「当事者が」その表示をしたことが必要
B 当事者がその表示を「申込み」「承諾」とするつもりだったことが必要
もちろん、二段の推定は、文書を訴訟で書証(そしょうでしょしょう)として利用できるか、にかかわるものなので、実体法とリンクしている必要はありません。
が、「処分証書」の場合に、特段の事情のないかぎり意思表示の存在の認定までいけるとされているとおり、実体法と無関係ではありません。
で、二段の推定の出口がVではなくWであることからすると、民事訴訟法の側では、表示の一致をBで理解していることになります。
処分証書はWまでいったら意思表示の存在が認定できると言っているので。
V≒A :「作成」が意思に基づく
W≒B :「内容」が意思に基づく
(全く同じかがはっきりしないので「≒」で結んでおきます。)
それゆえ、仮に民法側でAで足りるとするならば、二段の推定もVまででいいってことになります。
Wは、契約が成立した後の「効力要件」に対応すると。
《表示の一致がAの場合》
T→U→V→ 契約の成立認定
《表示の一致がBの場合》
T→U→V→W→ 契約の成立認定
○
ここまでが前座で、満を持して印紙税法の登場(民事訴訟法≒若林、印紙税法≒春日)。
はっきり明示されたものを見かけたことはないものの、印紙税の賦課決定処分の違法性が訴訟になった場合も、民事訴訟法228条の適用はあるってことですよね。
国税通則法114条⇒行政事件訴訟法7条⇒民事訴訟法と戻っていくわけで。
国税通則法 第百十四条(行政事件訴訟法との関係)
国税に関する法律に基づく処分に関する訴訟については、この節及び他の国税に関する法律に別段の定めがあるものを除き、行政事件訴訟法(昭和三十七年法律第百三十九号)その他の一般の行政事件訴訟に関する法律の定めるところによる。
行政事件訴訟法 第七条(この法律に定めがない事項)
行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による。
(ちなみに、不服申立ての場合の「国税通則法⇒行政不服審査法」ルートだと民事訴訟法に到達しないように思うのですが、民事訴訟的な証拠ルールは特に規定されていない、という理解でいいんですか。)
そうだとして、印紙税の訴訟において「二段の推定」はどう働くのか。
○
当然のことながら、課税庁側が「課税文書」と主張する文書が証拠として提出されます。
が、これは「書証」としてなんですかね。
というのも、「文書」を証拠申出するからといって、かならず「書証」になるわけではないからです。
・書証
文書の意味内容を証拠資料とする証拠調べ
書証というのは文書の「意味内容」を証拠とするものです。
印紙税法が文字通りのピュアピュア「文書課税」だとすると、主要事実は文書が存在していること及びそこに記載された文字そのものになります。
そうすると、主要事実を証明するための「直接証拠」として文書を用いるという側面では「検証」にあたるのではないかと。
・検証
事物の性質・形状・状況等を証拠資料とする証拠調べ
もちろん、その文字の「実質的な意義」を解釈するためには、文字の「意味内容」も証拠とする必要がでてきます。
印紙税法基本通達
(課税文書に該当するかどうかの判断)第3条
1 文書が課税文書に該当するかどうかは、文書の全体を一つとして判断するのみでなく、その文書に記載されている個々の内容についても判断するものとし、また、単に文書の名称又は呼称及び形式的な記載文言によることなく、その記載文言の実質的な意義に基づいて判断するものとする。
2 前項における記載文言の実質的な意義の判断は、その文書に記載又は表示されている文言、符号を基として、その文言、符号等を用いることについての関係法律の規定、当事者間における了解、基本契約又は慣習等を加味し、総合的に行うものとする。
そうだとすると、通常の契約関係訴訟とは「証拠構造」が異なることになります。
まず「検証」によって判定対象たる文書そのものを認定する、というか判定対象を特定する方法としては、文書の検証以外の証拠方法は許されないことになるはずです。
そして、「実質的な意義」を判定するのに必要なかぎりで「書証等」を実施すると。
書証「等」というのは、実質的な意義を判定するためなら「人証」などもありうるからです。
【印紙税法訴訟における証拠構造】
判定対象: 検証のみ
実質的な意義: 検証、書証、人証、検証
と、このように通常の契約関係訴訟と比べて書証の位置づけが後ろになります。
実体法側の都合で証拠方法が制限される、ある種の「法定証拠主義」みたいなものですかね、ちょっと違いますが。
○
なお全く関係ないですが、これ、刑事訴訟における「手続二分論」と発想が似ています。
罪責認定手続と量刑手続を分離することで、合理的な判定ができるようになるという、あの。
印紙税法でも、「判定対象を文書外の事情に求めてはならない」というルールを厳守するためには、判定対象の特定手続をそれ以外の手続から切り離すべき、といえるかもしれません。
○
こう書いていて実はよく分かっていないのが、そもそも印紙税法における「主要事実」というのが、何を指すのかということ。
上に書いたとおり、文書の存在と文字面が主要事実になるのは当然です。
では「実質的な意義」といっているものは主要事実なのかどうか。
文字面を解釈するための「間接事実」にすぎないのか。それとも規範的要件における「評価根拠事実/評価障害事実」のようなものなのか。
【実質的な意義の位置づけ】
・間接事実説
文書そのもの 主要事実
実質的な意義 間接事実
・主要事実説
文書そのもの 主要事実
実質的な意義 評価根拠事実/評価障害事実
「印紙税法は文書課税」テーゼからすると、主要事実は文書の存在と文字面だけで、それ以外は間接事実となりそうですが、どうなんでしょう。
○
書証の位置づけがこうだとして、では「二段の推定」は印紙税訴訟においてどのように機能するか。
「表示さえあれば課税」という純粋かつ単純な文書課税テーゼを貫くなら、二段の推定を働かせるまでもなく「検証」だけで課否判定することもできるはずです。
で、文字面だけでは判定できない場合に書証等に入ると。
民事訴訟法上はVまでいけば文書を書証として使えることになります(ただし、証拠適格レベルでWまで必要か、という問題があるのは前述のとおり)。
他方、印紙税法の課否判定において、契約の成立という実体が不要だというならTすら不要です。
それゆえ、書証として証拠採用されたら、自動的に課否判定ができることになります(大は小を兼ねる)。
T〜Vの判断は、民事訴訟法上、証拠採用するのに要求されているからやっているだけで、印紙税法上は無くてもよい。
せいぜい「実質的な意義」を判断するのに必要かもね、程度の事情。
訴訟法が実体法を追い越しちゃっているような。
○
契約関係訴訟では、「処分証書」に形式的証拠力が認められれば意思表示の存在が認定できるとされていました。これはいわば「直列」の関係にあります。
直列:
二段の推定⇒意思表示の認定
他方、印紙税の訴訟では、二段の推定は証拠採否の判断のために使われるだけで、印紙税法上の課否判定はまた別の系列に移ります。
並列:
・二段の推定 ⇒終わり
・課否判定
そもそも、「処分証書/報告証書」という分類自体が、契約関係訴訟が念頭におかれていて、他の訴訟類型のことは考慮されていないように思えます。
ゆえに、二段の推定や処分証書といった概念が、印紙税の訴訟において特別な効力を発揮することは考えにくい。
これは租税訴訟だから特別、なのではなく、これら概念の視野の狭さが原因です。
○
以上は「文書無価値一元論」による説明です。
他方で、私見の「文書・実体無価値二元論」によれば、要件ごとに扱いが異なることになります。
《文書・実体無価値二元論》
1 課税事項: 文書
2 文書作成目的:実体
3 納税義務者: 実体
4 課税標準: 文書
1と4は上述した「一元論」による説明が基本的にあてはまります。
文書の検証からはじまって、必要により書証や人証を行うと。
他方、2と3はそのような限定はないと。
たとえば、納税義務者とされている者が文書作成に関与したことが書面上から認定しようがないとしたら、当該文書は証拠として役にたちません。
この場合は、文書以外の証拠を持ち出す必要があります。
【納税義務者論】
続々・契約の成立と印紙税法(代理法がこちらをみている)
他方で、納税義務者の判定に文書を「書証」として利用する場合には、「二段の推定」との関係が正面から問題となります。
《三段の推定》 民事訴訟法レベル
T 印影が名義人の印章
↓ 推定1 (判例)
U 押印は名義人の意思によって行われた
↓ 推定2 (法228条4項)
V 文書作成は名義人の意思によって行われた(成立の真正)
↓ 推定3 (隠れ)
W 記載内容は名義人の思想を表現している(形式的証拠力)
《納税義務者該当性》 印紙税法レベル
ア その文書の「作成」が意思に基づくか
イ その文書の「内容」が意思に基づくか
比べてみると、「V・ア」と「W・イ」がそれぞれ対応しています。
ので、印紙税法でア説をとるなら、二段の推定でVまでいった段階で、同時に納税義務者該当性が認定できたことになります。
証拠採否のレベルとしてはもちろん実体審理レベルでも、Wまで判断する必要はないということです。
他方、イ説であればWまで行く必要があって、この場合は、通常の契約関係訴訟における処分証書と同じ扱いになります(Wまでいくのが証拠採否レベルなのか実体審理レベルなのか、という問題があるのは前述のとおり)。
ア説というのは、「習字目的」で作成しても納税義務者となることを肯定する見解なわけで、さすがにやりすぎな気がしますが、どうでしょう。
二段の推定と納税義務者論の親和性が高すぎる気がしますが、たまたまであってヤラセではないですからね。
【たまたま説】
ここがヘンだよ所得拡大促進税制 〜委任命令におけるゆらぎとひずみ
他方「文書作成目的」のほうは、そもそもその中身自体がよく分からないということは、すでに検討したとおりです。
【文書作成目的について】
さよなら契約の成立と印紙税法 (結局いつもひとり)
しいていえば、Wが内容的におおむね対応するでしょうか。
少なくとも、Wの先の「真意」までは要求しないでしょうし。
このように、「文書・実体無価値二元論」によると、印紙税法における二段の推定の役割は要件ごとに異なるという結果に。
実体法レベルの違いが手続法にも反映されている、ということですね。
《印紙税法における文書の証拠構造》
零 外形的な表示 ⇒ 課税事項、課税標準
↓
T 印影が名義人の印章
↓ 推定1
U 押印は名義人の意思によって行われた
↓ 推定2
V 文書作成は名義人の意思によって行われた ⇒納税義務者(ア説)
↓ 推定3
W 記載内容は名義人の思想を表現している ⇒納税義務者(イ説)、文書作成目的
↓
X 記載内容は名義人の真意を表現している ←不要?
○
前回までの記事は、いわば「実体印紙税法」の話でした。
今回は、そこに「手続法的視点」を導入したらどうなるか、というお話です。
ガチでやるなら『印紙税賦課決定処分取消請求訴訟における要件事実とその立証』というタイトルで本格展開すべきところ。もちろん、そんな力量はありません。
ちなみに、そのタイトルは以下の書籍のもじり。
坂井芳雄「約束手形金請求訴訟における要件事実とその立証」(法曹会1963)
これは実体法である手形法を、裁判にのっけた場合の主張・立証方法について論じた書籍。
悲しいかな、手形法も印紙税法と同様に、「ペーパーレス化」の波に飲まれて消えゆく運命。
実体法と手続法を一体として学ぶには、箱庭的なコンパクト味があってふさわしいと思うんですけども。
坂井芳雄「手形法小切手法の理解」(法曹会1998)
坂井芳雄「裁判手形法」(一粒社1988)
さんざん印紙税法を論じていた連載記事が、なぜか「手形法レクイエム」で締め。
2020年05月18日
二段の推定と契約の成立と印紙税法 〜印紙税法における実体法と手続法の交錯
posted by ウロ at 09:53| Comment(0)
| 印紙税法
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