2020年12月14日

からくりサーカス租税法 〜文言解釈VS趣旨解釈、そして借用概念論へ

 さて、前回までで小規模宅地の特例第三期三部作は終了しました。

【小規模宅地の特例(家なき子特例) 第三期三部作】
僕たちは!出戻り保護要件です!! 〜家なき子特例の趣旨探訪1
ぼくたちは出戻り保護ができない。 〜家なき子特例の趣旨探訪2
あの日見た特例の趣旨を僕達はまだ知らない。 〜家なき子特例の趣旨探訪3(完)

 そこでは、同特例の趣旨が、どう頑張っても「出戻り保護」にはならないことまでは分かりました。
 では一体何を保護しようとしているのか、というと結局分からずじまい。

 それはともかく、これら記事の裏テーマたる《文言解釈 VS 趣旨解釈》、次にネタにするとしたら、例のTPR事件の最高裁判決が出されたときになる予定です。

横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)

 以下は、いずれくるそのときまでの、《幕間》の地ならし・露払い記事です(不受理となったら泣く)。


 上記高裁は趣旨(と彼らが思うもの)重視の解釈をとったわけですが、最高裁が趣旨をとるか文言をとるかは正直予測がつきにくい。
 下記の最高裁が割と予測しやすかったのとは対照的。

解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決

 こちらの事件は、高裁の文言解釈(という名の司法権放棄)がアレ(ストレンジ・エキセントリック・ビザール)すぎるのと、所得税法の当該文言がシンプルだったため、最高裁は趣旨解釈を採用したわけです。

 他方で、TPR事件については、私自身は文言を重視すべきだと思うものの、正直どちらに転んでもおかしくない。
 第三小法廷とは別の小法廷に係属したとして、「直近で趣旨解釈をとった判決があるから今回もそれにあわせる」みたいな判決がでる可能性も十分ありうる。

 不正確なのは承知な上で、それぞれの解釈と結論を図式化すると、

  最高裁令和2年3月24日判決
   文言解釈 納税者有利 ←高裁
   趣旨解釈 納税者不利 ←最高裁 《私見》

  TPR事件
   文言解釈 納税者有利      《私見》
   趣旨解釈 納税者不利 ←高裁

となります。
 文言解釈/趣旨解釈と当該納税者の有利/不利が連動しているようにみえますが、これはたまたま。

 ですし、文言解釈なら予測可能性があって趣旨解釈は予測可能性がない、などということでもおよそないです。
 通説的な見解は、あたかも文言解釈なら予測可能性があるかのような物言いをするのですが、「お前税法条文読んだこと無いのかよ」と言いたくなる。

【納税者の予測可能性(気のせい)】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)

 むしろ趣旨から説明してもらったほうがすんなり理解できることが多い。
 前者事件で最高裁が譲渡所得の趣旨から株式の時価の算定方法を導いているの、非常に説得力がありますよね。
(ので、複雑な要件によって居住保護・事業保護ではない何かを(も)保護しようとする「小規模宅地等の特例」、趣旨から各要件を説明できないのが相当に俗悪。)


 この、どちらに転ぶか予測がつかない根本的な原因、文言解釈をとるのか趣旨解釈をとるのかの使い分けの《指針》が何も示されていないところにあります。
 文言重視の判決書と趣旨重視の判決書を両方作成しておいて、当日くじ引きで選ぶ、とかでもご立派な判決を言い渡すことは可能。

 文言重視の判決書
  ・文言によれば○○
  ・この点、趣旨からすると××
  ・しかし××は文言から離れすぎ
  ・ので○○と解釈すべき

 趣旨重視の判決書
  ・文言によれば○○
  ・しかし、趣旨からすると××
  ・○○だと結論がよろしくない
  ・ので××と解釈すべき

 同じ材料使っても、全く逆の結論を導けてしまう。

 これでは、《自分が採用したい結論が文言どおりなら文言解釈をとる、文言から出てこなければ趣旨解釈をとる》といったように、結論にあわせて融通無碍に使い分けがされているようにみえてしまう。
 あるときは、「解釈の限界を超えている」とかいって文言解釈どまりにしておきながら、またあるときには、「文言はこうだが本来の意味はこっちだ」みたいに文言からでは導けない意味内容を趣旨から導き出したり。

 こんな具合なゆえに、従来型の法解釈学はお気軽にディスられがち。

太田勝造「AI時代の法学入門 学際的アプローチ」(弘文堂2020)

 事案が違う、といえばそのとおりではあるのですが、その使い分けをもたらす違いは一体何なのか。
 税法分野でも「納税者の予測可能性の観点から、原則は文言解釈だが例外的に趣旨解釈」などと言われたりしますが、その原則と例外はどうやって使い分けるというのか。
 文字通り「納税者が予測できるかどうか」で判定するのだとしたら、納税者には難しすぎるということで、大部分の租税法規は文言も趣旨も採用できずに解釈不能、となってしまうでしょうよ。


 話はやや脱線しますが、法分野における「原則例外モデル」、私にはとても胡散臭くみえる。
 というのも、「原則例外モデル」の実態をみるかぎり、《本来は「例外」のほうを前面に立たせたいが正面切ってそれを主張するのは憚られるため、身奇麗な「原則」を傀儡として表に立たせている》だけにみえるからです。

※ただし、近時は「要件書き込み」によって文言が趣旨の操り糸を断ち切りまくっているのは記事にしたとおり。

「要件書き込み」は趣旨解釈を駆逐する。〜小規模宅地等の特例を素材に

 分かりやすい例で、契約の成立・効力を判定する際に「公序良俗」(信義則でも)をどこに位置づけるか、で考えてみましょう(通説的には効力要件なので、以下そういう書き方をします)。

 通常の説明の仕方は、合意の一致からはじまって諸々検討した後に、例外的に公序良俗に違反していないかを検討するかのように書かれることが多いです。
 が、公序良俗チェックは、こっそりバックグラウンドで粛々と実施されているのが実情。
 表立って問題になることが少ないから、例外的に考慮しているように見えるだけで。

 もし「契約の成立・効力判定フローチャート」を作るとしたら、最初のほうの分岐に位置づけるべきでしょう。
 あれやこれや細かい要件を散々検討した後に、「公序良俗違反だから無効ね」とひっくり返すのでは無駄が多すぎますよね
 ので、プログラム上は最初に組み込むのがスマート。
 
 確かに現象としては例外則っぽくみえます。
 が、実相は決してそうではなく、契約の「大前提」「土俵」「基礎条件」などとして位置づけるのが望ましいポジションどりでしょう。
(なお、これはあくまで実体法レベルの話であって、主張立証責任の分配とは別問題)


 そうはいっても、公序良俗については単に置き場所の問題なので実害はあまりありません。
 別に、公序良俗を表に出すことに後ろめたさがあるわけではない。

 問題は、税法解釈において《文言解釈が原則、趣旨解釈は例外》と位置づけること。

 最終的に文言通り解釈したからといって、最初から趣旨をガン無視して文言だけで突っ走っているわけではない。「文言どおり解釈するから安心してね」と言っておきながら、裏では密かに趣旨チェックを走らせているわけです。
 「当社は○○の目的でしか個人情報を利用しません」と言っておきながら、あれやこれやの分析にデータ活用しているような話。

 文言が原則だといいながら「常に」税法の趣旨チェックを行なっているのだとしたら、優越とまではいえないにしても、趣旨と文言を同格扱いしているということでしょう。
 のに、いかにも文言重視なフリをするのは、それこそ「予測可能性」を害すること甚だしい。
 だったら初めから、《文言と同時に趣旨も考慮するよ》と説明しておくべきでしょう。


 これと同じ問題構造なのが「借用概念」。

 こちらも、「原則は私法準拠だが例外的に税法独自に解釈する」などと「原則例外モデル」で説明がされます。
 が、結果として私法準拠で解釈しているからといって、税法の趣旨を全く無視して結論を導いているわけではないです。
 その場合でも税法の趣旨から問題がないかは、常にチェックがかかっている。

 表向きは私法に従順なように見せかけておきながら、裏では「必ず」税法によるチェックをかけている。
 だったら、初めから《税法の趣旨により解釈するが、私法解釈も税法の趣旨に反しないかぎり取り入れます》と説明すべきでしょう。

【借用概念イリュージョン】
金子宏・中里実「租税法と民法」(有斐閣2018)


 では、文言解釈と趣旨解釈をどのように使い分けるべきなのか。

 極めて断片的ですが、これまでの記事で書いてきたことからすると、たとえば次のような指針が考えられるのでは(ついでに借用概念も絡めてみます)。

・文言通りに理解し、文言から読み取れない場合に趣旨で充填する。

・趣旨で充填するにしても、個別の条文とそぐわない趣旨は持ち込まない。
 (ダメな例:家なき子特例に出戻り保護、完全支配関係の適格要件に事業・従業者引継)

・明らかに私法準拠な法概念(親族など)は私法の理解に従う。

・それ以外の概念は税法の趣旨により解釈。私法解釈はあくまでも参照用として。

・どうしても文言に反する趣旨解釈(反制定法解釈)をせざるをえない場合は、徹底的に丁寧な説明をする。

 もちろん、これに尽きるというものではないです。
 ですし、これは絶対ルールではなく、文言/趣旨、私法/税法の使い分けの安定性・信頼性を高めるためのものです。法解釈の「本質」などというものでは、およそない。

 表向きは「文言解釈が原則だから予測可能性あり」などと言っておきながら、アトランダムに趣旨解釈を混ぜ込ませるのではなく、文言解釈/趣旨解釈を一定のルールに従って運用することこそが法的安定性・予測可能性を高めることに繋がるはずです。

 以上、タイトルには、煽り気味に「文言解釈 VS 趣旨解釈」などと書きましたが、決して対立概念ではなく、用法用量を守って正しく使い分けをしましょう、というのが本記事の結論。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。