2021年05月10日

フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)

 法解釈のフローチャート、前から順番に検討しながら積み上げていってみます。
 さしあたり「制定法」の解釈手法に焦点を絞り、慣習法と判例法については余力があれば検討します。

【準備稿】
法律解釈のフローチャート(助走編)
フローチャートで遊ぼう。 〜フローチャート総論

 まずは文理解釈から。
 さすがに文理解釈は簡単かと思いきや、よくわからないところがあって。


文理解釈(基本).png


 これは「制定法を文理解釈することによって命題1を導く」という意味を表しています。
 命題に番号を付けているのは、文理解釈だけで終わるとはかぎらないからです。

 この、文理解釈をする際の素材として考えられるのは、次のもの。
  T 《日常系素材》 日常用語・一般論理
  U 《法文系素材》 法律用語・法律論理

 法律用語というのは「善意=知っている/悪意=知らない」など、法律論理というのは「後法は前法に優先する」「特別法は一般法に優先する」などを想定しています。「及び・並びに」の用法などは、まあどちらに入れても構いません。

文理(日常系・法文系).png


 わざわざT・Uと系統分けをしているのは、文理解釈を重視する理由として「国民の予測可能性」「納税者の予測可能性」の確保を持ち出す見解が存在することを意識してのことです。

 同説に従うならば、文理解釈ではTまでしか使えないはずです。
 「国民の予測可能性」を持ち出しておきながらUを含めるのだとしたら、「国民は当然Uを理解しているはずだ」という現状認識をお持ちだということでしょうか。
 ここには、
  『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない』
的なアッパークラス感がにじみ出ています。

 そうではなく、「Uを理解できない国民は無視する」ということでしょうか。
 こちらだとすると、
  『パンがなければ何も食べなければいいじゃない』
という、さらにヤバいご主張になるわけですが、さすがに違いますよね。

 いずれにしても、「国民」とU《法文系素材》の噛み合わせは悪い。
 現実には文理解釈からUを除外する法学者などいないわけで、『文理解釈なら国民の予測可能性を確保できる』なんてのは、あくまでも文理解釈Tまでで解釈が終われる場合の話だと、割り引いて聞いておくべきものだと思います。

 ということで、以降はTUを区別せずに論じます。


 文理解釈からスタートすること自体は間違いではなくって。
 思うにその根拠は、解釈の「一義性」「一意性」を確保するためではないでしょうか。
 「国民の・予見可能性」などという、フィクション味溢れる主観的な理由では決してなく。

 誰の主観も入れずに済ませられるなら、それに越したことはない。
 解釈に争いがあって最終的には最高裁に決めてもらわないといけない、なんてのは極めて生産性が悪い。とにかく事前に不動のルールが存在している、ということ自体にメリットがあるわけです。

 「誰の主観も」ということでいうと、「立法者意思」ましてや「立案者意思」も考慮しないということです。

【立法者意思・立案者意思】
アレオレ租税法 〜立案者意思は立法者意思か?

 これらの意思そのものが主観チックであるのに加え、それを認定する作業にも主観が混入します。
 もちろん、立法者個人の心の中を直接探るのではなく、議事録等の資料を素材とすることになります。ので、主観そのものの探求ではありません。
 が、書かれている条文だけを素材とするのと比べたら、不安定なのは間違いないでしょう。

 であれば、誰もが争いえない言葉の意味・用法だけを素材とする解釈ですませたほうが、安定はします。
 改正後の立案担当者による解説本において、「実はこういうつもりだった」などとあれこれ後付けな説明を施すのではなく、きっちり法文に書き込んでおきなさいと(ただ、これを強く要請しすぎると「要件書き込み」で趣旨解釈がお亡くなりになります)。

 上記のとおり、「誰の主観も入れない」という方針からすると、Uの法律論理の例でいうところの「前法/後法」「一般法/特別法」の関係なども、形式的に判定できる場合に限るべきでしょう。
 これら関係にあるかどうかにつき実質的な判断が必要な場合は、文理解釈の範疇では行わないほうがよい。


 以上の主張は、「文理解釈」の名の元にあれやこれやの猥雑物を混入させようとする勢力から、文理解釈の純潔性を守ろうというプロテスト仕草にすぎません。
 猥雑物の混入それ自体を否定しているのではなく。混入させたいならそれ以降の解釈手法でやってください、というだけの話です。

 ちなみに、「概念法学」というのが、この純潔性守ろう活動と親和性が高い。

 概念法学、すでに克服された学説であるかのように記述されることが多いです。が、本気で「国民の予測可能性」を確保したいと思っているのならば、概念法学に行き着くはずなんですけども。
 概念法学を否定すると同時に国民の予測可能性を確保しようとするの、「概念法学=悪、国民の予測可能性=善」という偏見まみれの図式的なレッテル貼りがなせる所作ではないでしょうか。

 同じ「○○市水道局の水道水」なのに、容れ物に、Aには「○○市の水道市」、Bには「富士山麓の天然水」というラベルを貼ったら、「さすがBは美味しい!」とか言っちゃう、似非ミネラルウォーターソムリエ感が溢れ出てますよね。


 さて、文理解釈により事案へのあてはめが可能となれば、これを適用して結論を導きます。

文理解釈プロセス.png


・適用ありの場合
  結論が妥当かどうかの《価値判断》を行い、妥当であればそのまま適用してお終い。
  不当であれば【縮小系】の解釈手法へ向かいます。

・適用なしの場合
  結論が妥当かどうかの《価値判断》を行い、妥当であれば適用しないでお終い。
  不当であれば【拡大系】の解釈手法へ向かいます。

 文理解釈だけで終わる場合でも、最後まで形式判断だけで終わるわけではありません。
 その帰結が妥当か、という実質判断は必要となります。あくまでも、解釈手法のところが形式判断なだけ。
 ここに実質を入れ込むところが「概念法学」との分かれ道です。


 適用なし・妥当YESでお終いとなる場合の解釈には【反対解釈】という名前がついています。

 適用なしの場合に適用しないのだから、それ以上何がしかの解釈手法を差し挟む必要はないように思います。
 が、規定外の事柄については、積極的に適用を否定する趣旨なのか、何も判断をしていないだけなのか、文言だけでは明らかになりません。そこで、このいずれであるかについて、確認をする必要があります。
 そして、及ぼさなくてよいという確認ができてはじめて、適用なしという結論で終えることができます。


 【反対解釈】については、一般の教科書でも不正確な記述があるので一言加えておきます。
 例として、旧法時代の、差押え前に取得した債権で相殺できるか(「差押えと相殺」)に関する記述をあげます。

民法(旧) 第五百十一条(支払の差止めを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)
 支払の差止めを受けた第三債務者は、その後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができない。


『無制限説によれば、民法511条の【反対解釈】により相殺できると解することとなる』

 この記述の何がおかしいかといえば、511条の反対解釈だけでは、相殺が「できる」ことまでは導かれないという点です。
 511条の反対解釈からでてくるのは、差押え前に取得した債権による相殺に511条は適用されないというところまで。
 相殺ができるのは、あくまでも505条の要件を満たすからです。

民法 第五百五条(相殺の要件等)
1 二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。


 で、511条による制限がかからないから、原則通り505条で相殺ができるという帰結がでてきます。

 抽象化していうならば、反対解釈からでてくるのは、解釈対象である条項が「適用されない」という帰結まで。そこから先、何か別の効果が生ずることまではでてこない。
 別の効果が生ずるとしたら、それはあくまでも別の条項の解釈によるものです。

 この違いをちゃんと理解していないと、【類推解釈】などの拡大系の解釈と、反対解釈とを同じような判断構造だと勘違いすることになります。

  解釈対象:「Aならばaが生ずる」
   類推解釈    A'はAと似ているからa'が生ずる
   反対解釈(誤) BはAと違うからbが生ずる
   反対解釈(正) BはAと違うからaは生じない

 反対解釈それ自体からは、何らの効果も発生しません。
 bが生ずるのだとしたら、それは別の条項に基づくものです。

 反対解釈を縮小系・拡大系の解釈と横並びで記述している解説書、このような違いがあることを理解していないのか、それとも単に、文理解釈以外のやつらという程度の整理で済ませているだけなのか。
 いずれにしても、学習者側は、無自覚な解説書の記述を鵜呑みにするのではなく、各解釈手法の機能の違いに気をつけておく必要があります。


 ちなみに改正法の条文(505条は改正なし)。

民法 第五百十一条(差押えを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)
1 差押えを受けた債権の第三債務者は、差押え後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することはできないが、差押え前に取得した債権による相殺をもって対抗することができる。


 裏表を両方書き込むという、珍しいタイプの法文に仕上がっています。
 これは「制限説」の息の根を止めようという意図からでしょう。

 が、反対解釈を明文化してもまだ、【縮小解釈】による解釈の余地は残されています。もちろん、改正前よりはやりづらくなっているでしょうが。
 濫用論でガス抜きを図っているみたいだし。


 なお、当ブログでは「要件書き込みは趣旨解釈を駆逐する」をテーマにした記事をいくつか書いたことがあります。

【文言解釈VS趣旨解釈】
「要件書き込み」は趣旨解釈を駆逐する。〜小規模宅地等の特例を素材に
からくりサーカス租税法 〜文言解釈VS趣旨解釈、そして借用概念論へ

 この状態をチャート上で表現しようと思うと、最初にあげた「制定法→文理解釈→命題1」の部分を肥大化させ、それ以降の解釈を上書きするような書き方をすることになります。
 より正確には文理解釈U【法文系】のほうだけを拡大します。「要件書き込み」は、もっぱら法律用語・法律論理を使って行われますので。

 以降の記事では、チャート上の各パーツのサイズを揃えて作成しますが、そういった現状にあることは念頭においていただくのがよろしいかと思います。
 そしてそれは、ただただ「租税法律主義」をご宣託のようにありがたがって唱え続けてきた人たちの招いた厄災だと、ご理解いただければと。


 文理解釈だけではあてはめできない・しにくい場合は【定義づけ解釈】に進みます。

 ということで、次回は【定義付け解釈】を検討します。

フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)
フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)
フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
posted by ウロ at 09:41| Comment(0) | 基礎法学
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