フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)
フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)
フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
こういうのが、チャート式学習法のメリットですよね。単にチャート作ってお終いではなく。
検討すべき事項を並列的に整理すると、次のようになると思います。
1 存在
・制定法の存在は証明不要。
・慣習の存在は証明必要。
・判決の存在は証明不要だが、それを判例として機能させるためには一定の解釈が必要。
2 素材
・素材としてはいずれも利用可能。
3 命題
・裁判所が制定法を解釈して命題化したものが制定法命題となります。
・裁判所が慣習を解釈して命題化したものが慣習命題となります。
と、ここまで書いてみて、判例(判決)をここに並べて表現するのに違和感が出てきました。
『裁判所が判例(判決)を解釈して命題化したものが判例命題となります。』
この物言いは成立するでしょうか(以下、判例のほうを略して「判決」で代表させます)。
○
というのも、判決というのは制定法・慣習を解釈したものであって、制定法・慣習のように一方的に「解釈される」だけのものではないからです。
図式的にいうと、
制定法×解釈=判決
慣習×解釈=判決
であって、制定法・慣習とはポジションが異なります。
上記の制定法命題・慣習命題を導いたのが判決であって、並列的に記述するのはやはりおかしい。
そこで、前述の表を再編すると、次のようになります。
・「条理」を追加したのは、制定法・慣習のない領域(欠缺領域)があったときでも、何某かの解釈を裁判所が行う余地を残すためです。
条理×解釈⇒判決
もちろん、欠缺領域に裁判所が判断を下すのは「司法による法創造」となり許されない、という立場もあります。が、ここでは条理による欠缺穴埋めを認める立場を表に入れ込んだらどうなるか、という観点から整理しておきます。
・命題の欄に、「判決」のほかに「判決予測」と書いたのは、現状すべての制定法・慣習に、判決による命題化が整備されているわけではないからです。
なお、命題が判決か判決予測しかないというのは、「法規範は裁判規範であって行為規範ではない」とする見解を前提としていることになります。同説からすれば、法命題は裁判所が判断しないかぎり存在せず、判断がない領域はあくまでも判決予測ができるにとどまるからです。
他方で、行為規範性を認める見解からすれば、命題の欄には判決・判決予測以外も含める必要がありますが、ここではさしあたり裁判規範説ベースで整理しておきます。
○
ということで当初の疑問、
『裁判所が判例(判決)を解釈して命題化したものが判例命題となります。』
という物言いが成立するか、ですが。
たとえば、民法177条の「第三者」に関する『正当な利益テーゼ』に通行地役権ルールを追加するのは、『正当な利益テーゼ』判例を解釈することにより新たな命題を導いたもののように思えます。
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
が、よくよく考えると、次のような連関になっています。
(制定法×解釈=判例)×解釈=判決
これは、先行判例をカッコに入れてさらなる解釈をしている、ということを表しています。
直接的には判例の解釈をしているようにみえますが、もとを正せば「制定法の解釈」にほかなりません。
制定法×解釈×解釈=判決
そうすると、判例を解釈しているようにみえる現象も、制定法の解釈に括れることになります。
括らないにしても、少なくとも「制定法・慣習の解釈」と「判例の解釈」とは別レベルのものとして捉えておく必要があるはずです。
○
「判決」と「判例」の言葉の使い分けについては折に触れて検討してきましたが、次のような説明はどうでしょうか(民事判決を前提とします)。
すなわち、最高裁(+ない場合の高裁等)の判決は、同種事案からみれば『判例』となり、類似事案からみれば『(参照)判決』にとどまると(全く無関係な事案ならただの判決)。
類似事案 同種事案
参照判決← 最高裁判決 →判例
同じ判決が、後続の事案によって判例になったり参照判決になったりするということです。
『判例』なる用語は、このような《関係概念》として捉えるのがよいのではないでしょうか。
民事訴訟法 第三百十八条(上告受理の申立て)
1 上告をすべき裁判所が最高裁判所である場合には、最高裁判所は、原判決に最高裁判所の判例(これがない場合にあっては、大審院又は上告裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所の判例)と相反する判断がある事件その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件について、申立てにより、決定で、上告審として事件を受理することができる。
そして、事案とのかかわりを気にせずあらゆる事案に適用できるものを《判例法》と呼ぶことができます。
この段階になるには、通常は事例判決の積み重ねによるのでしょう。が、最高裁が意図的に「今後はこれに従え」的な判示をした場合には(露骨には言うことは滅多にないでしょうが)、一つの判決だけで判例法扱いされることもあるでしょう。
教科書の類に「判例は○○という見解である。」と記述があったら、これが事案に応じて参照判決/判例と姿を変えるレベルのものなのか、判例法レベルのものなのか、読者側で見極める必要があります。
特に、「判例重視」を謳っておきながらただただ判決を次から次へと陳列しているだけの書籍は、読者側の苦労を要求してくるので要注意。
【判決陳列系】
内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)
○
以上を前提として、以下の問いに答えておきましょう。
「慣習は法源か?」
慣習により私人間の法律関係が規律されることになる以上、法源として機能していると理解してよいでしょう。ただし、生の慣習そのままではなく、法適用通則法3条などにより認められたかぎりでということです。
だとすると、結局のところ制定法が法源で慣習はその下請けという位置づけでは、と思わなくもないですが。
制定法 ⇒ 慣習 ⇒ 命題
(法源)
「判例は法源か?」
上述のとおり、判例の中身を分解すると「制定法・慣習×解釈=判決」となるので、少なくとも、制定法・慣習と同じ意味で法源となることはないでしょう。判例はあくまでも、法源である制定法・慣習を解釈して命題を導いたものであって、法源そのものではありません。
制定法×解釈 ⇒ 判決 ⇒ 命題
(法源)
が、判例法レベルにまで確立したものならば、それを土台としてさらなる解釈論が展開するなど、あたかも法源として機能しているようにみえることになります。
制定法×解釈 ⇒ 判例法×解釈 ⇒ 命題
(法源)
○
税理士なので「(法令解釈)通達」の法源性にも一応触れておきます。
正面から『通達は法源か?』と問われれば、誰もが「んなわけあるか!」と一蹴するはずです。
が、あたかも通達が法源であるかのように機能させてしまっている判決が実在しています。
【おなじみの】
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
この高裁判決は、通達を文言解釈することで命題を導く、なんてことをやらかしています。
学生が試験でこんなこと書いたらぼろくそに言われるでしょうに、高裁判決として堂々と宣告されています。
この手の愚かな間違いを犯す要因は、やはり法源というものの機能・構造をぼんやりとしか理解していないからでしょう。
もしもですが、本当はしっかり理解していながら、最高裁に阿るためにあえてやらかしたのだとしたら、余計たちが悪いです。
高裁判事ほどの頭のよろしい方々であることを考慮するならば、後者の可能性が高いように思いますが、なにか言い訳は可能でしょうか。
「通達を法源かのように扱っている」判決は、ほかにも沢山あって。
言い訳としては、「裁判所が法を解釈した結果、たまたま通達と同じになっただけ」というのでしょう。
が、上記高裁判決にかぎっては、真正面から、法の解釈ではなく「通達の」文理解釈なんてことをやらかしているため、残念ながらこの言い訳が通用しません。
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