2021年07月19日

双方的要件は準拠実質法を駆逐する。 〜婚姻成立の準拠法

 前々回の書評記事からのスピンオフ第二弾。

多田望ほか「国際私法 (有斐閣ストゥディア)」 (有斐閣2021)
法適用通則法5条と35条における連動と非連動 〜法律学習フローチャート各論


 同書評記事において、配分的適用における双方的要件の例として「近親婚の禁止」をあげるのは相応しくないのでは、という疑問を提起しました。

法適用通則法 第二十四条(婚姻の成立及び方式)
1 婚姻の成立は、各当事者につき、その本国法による。

 
 たとえば、AB間が3親等だとして、
  Aの本国法 2親等以内禁止
  Bの本国法 3親等以内禁止
の場合にどうなるかというと。

 仮に近親婚の禁止が「一方的要件」だったとしても、BがBの本国法を満たさないから婚姻できない、と判断できます。
 わざわざ「Aが」Bの本国法を満たしていないことをいう必要はありません。
 親等数というものは通常、AからみようがBからみようが変わるわけではないからです。

  A→B:3親等 = B→A:3親等

 もし違いがでるとしたら、親等の数え方が向きによって違うとか、性別によって要求される親等が違うなどといった場合でしょう。すくなくとも本書記載の事例でみるかぎり、一方的要件と双方的要件との違いは出ません。

 甲国法の近親婚の禁止規定
  男→女 2親等以内禁止
  女→男 3親等以内禁止


 また、一方的要件と双方的要件の一覧をわざわざ図にしているのですが、ただ結論が書いてあるだけです。なぜそのような帰結になるのか、「国際私法独自に」というだけでその根拠が書かれていません。

 たとえば、同じ「婚姻待機期間」でも、日本民法では父子関係の重複予防とされていますが、他の国の民法も同じ趣旨とはかぎりません。女性に対する倫理的な理由かもしれない(もちろん、長期すぎれば公序則の発動はありうるでしょうが)。
 と、同じ制度でも実質法上の趣旨が異なる可能性があるのに、勝手に国際私法独自の立場から一方/双方を決め打ちすることなんてできるのでしょうか。通則法には、その判断基準となりうるようなものは皆無です。
 暗黙のうちに「日本民法」を前提として判断してしまっているように思えます。

 「婚姻」「離婚」といった単位法律関係レベルの問題であれば、特定の実質法の内容を考慮にいれずに国際私法独自に判断するのは可能でしょう。各国実質法がどういうつもりでそれら制度を設けているかということを詰めないでも、現象面だけを捉えて単位法律関係の範囲確定をすることは可能です(というよりも、立法政策上、各国実質法の中身如何に関わらず範囲確定できるような単位法律関係を設定する必要があるということです)。

 が、これと同じ所作を一方的要件/双方的要件の振り分けでできるとは思えません。

 一方/双方の判断をするのだとしたら、準拠実質法の中身を見なければ無理なのではないでしょうか。当該準拠実質法における制度趣旨が、本国外の配偶者にまで向けられているかどうかで判断するしかないのではないかと。
 もしそうだとすると、婚姻待機期間などが双方的要件に該当するかをあらかじめ決めることはできず、準拠実質法が決まってからはじめて判断できることになります。これは、通則法レベルの問題ではなく、準拠法選択が終わった後の「実質法の解釈」レベルの問題です。
 本書の一覧表も、準拠実質法が日本民法になった場合(と日本民法と同趣旨のもの)に限った一覧だとするならば、理解は可能です。

 抵触法学の役割というのは、各国実質法の趣旨を勝手に決め打ちすることではなく。
 実質法学の側に、各国抵触法から準拠法選択された場合に備えて、国際的視点を踏まえた解釈論を展開しておく必要があることを気づかせてあげることではないのでしょうか。


 そもそもの問題として、配分的適用といいながら双方的要件を要求するのは、「累積的適用」とどこが違うのでしょうか。本書をいくら読んでも疑問が残るだけです。

 この点、準拠実質法の趣旨により判断する見解によれば、次のような説明が可能です。

 たとえば「重婚禁止」の場合。
  Aの本国法 禁止あり
  Bの本国法 禁止なし

 Aの本国法の趣旨が、
  ア 自国民自身が重婚することを禁止する
だけでなく、
  イ 自国民が他国の重婚者と婚姻することも禁止する
という趣旨も含むと解釈できるかどうかによると。

 イが含まれるとしても、これは「Bが」Aの本国法の適用を受けているのでは決してありません。あくまでも、「Aが」重婚者と婚姻するのかを問うているということです(なお、Bが重婚しているかどうかの判定も通則法のお世話になるという、入れ子構造になります)。

 この点で、BにもAの本国法を適用する「累積的適用」とは違うことが説明できます。
 これと対比するならば、国際私法独自説というのは、Aの本国法の中身を見る前に、日本の通則法レベルで勝手にBに域外適用する見解だと言うことが分かります。

  累積的適用:
   Aの本国法(A・Bに適用)、Bの本国法(A・Bに適用)
  配分的適用(国際私法独自説):
   Aの本国法(A・Bに適用)、Bの本国法(A・Bに適用)
  配分的適用(準拠実質法説):
   Aの本国法(Aに適用)、Bの本国法(Bに適用)


 結論が同じになるんだったら国際私法独自説でも構わないじゃん、と言う人がいるかもしれません。
 上述した独自説による一方/双方の区別の仕方も、あくまでも本書の記述に従った説明にすぎず、ア・イのような説明を独自説から導くことも考えられます。

 が、独自説というのは、通則法が累積的適用/配分的適用を書き分けていることを無視し、かつ、各国の実質法の制度趣旨を日本の通則法の側で一律の内容に上書きするという点で、抵触法の解釈論としては禁じ手の見解ではないでしょうか。
 両説の結論が一致する場合があるにしても、通則法による一方的な決め付けが、当該準拠実質法の解釈と結果的に一致した場合に限られます。


 もちろん、あらゆる局面において、抵触法/実質法の役割分担を理念通りに分けられるとは限りません。時にはそこから外れる必要もありうるでしょう。

 ですが、少なくとも入門段階においては、この役割分担を徹底的に区別することからはじめるべきではないでしょうか。

 なお、国際私法独自説が、双方的要件と解釈することで実質法の適用領域を広げていることから、あたかも実質法を重視しているかのように思えるかもしれません。が、勝手に広げるのも狭めるのと同じく、実質法をあるがまま受け入れていないということに変わりはありません。

 特定の実質法を重視することはそれ以外の実質法を軽視することにつながるわけで、短絡的にどれか一つの準拠法を重視すればよいというものではありません。
 抵触法解釈における基本ラインは、実質法重視にも軽視にも偏ることなく、あるがまま受け入れるというものであるべきではないでしょうか。
posted by ウロ at 11:08| Comment(0) | 国際私法
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