土田道夫「労働契約法 第2版」(有斐閣2016)
「改訂チキンレース」とは、積読本に対し、通読が先か改訂版の出版が先かを競うものです。
私がなぜ本書を購入していたのか記憶はないのですが、おそらく厚めの体系書フェチとしての嗅覚が作動したのでしょう。で、購入したものの、差し迫った必要があったわけではなかったため、まあ積みますよね。
が、結構お高いですし、未開のまま改訂版がでるのは悲しいということで、どうにか通読しました(理解できているかどうかは別問題)。
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タイトルが「労働契約法」となっていますが、実定法としての『労働契約法』の解説だけに限定しているのではなく。
『労働契約法』の解説だけで986頁も書くのは、さすがに難しいでしょう。下記書籍はまさしく『労働契約法』だけの解説本ですが、「詳説」を名乗ってはいても本文298頁どまりです(残りは資料編)。
荒木尚志ほか「詳説 労働契約法 第2版」(弘文堂2014)
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類書と比べた本書の特徴は、労働法全体を『契約法』の観点から詳細に記述している点にあります。
労働法規は、民事法/行政法/刑事法と複数の顔があります。のに、類書だとそのことについての一般的な説明はあるものの、個別の記述においてはこの違いが意識されていることはあまりないです。
対して、本書は契約法(民事法)の観点に視点を絞った記述をしています。記述の仕方として《労使間の合意により労働契約が成立し、それが労働条件に反映される》という枠組みが徹底されているので、読み進めていくうちに、自然とそのような思考スタイルで考えられるようになってきます。
通常この手の鈍器系体系書は必要箇所だけ辞書的につまみ食いしがち。ですが、本書は頭から通読することで、より効用が得られるように思います。
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このような思考スタイルが身につくと、労働基準法などの労働法規の位置づけもよく理解できます。
普通に労働法の勉強をしていると、法律から直接、あらゆる労働条件が発生するかのように錯覚しがち。
ですが、たとえば1日何時間働けばよいかについては、前提として労働契約において労働時間の定めが存在している必要があります。労働基準法は、あくまでも約定の労働時間が法定労働時間を超過している場合にかぎり発動されるものです。労使間の約定がないのに、勝手に労働時間を創出するものではありません。
もしかしたら将来的に、「一定時間以上働ける権利」みたいなものが創設されることがあるかもしれませんが(ある種のパラダイムシフトが必要でしょう)。
以前、労働契約の「解約ルール」について検討した際も、ベースは労働契約における当事者の合意にあって、それを民法・労基法・労契法がどのように制約しているか、という観点から論じました。
零れ落ちるもの(その1) 〜NO 雇用契約 NO 労働契約
やはり労働法の勉強をスタートするにあたっては、いきなり労働基準法などの労働法規から手を付けるのではなく、民法の契約法まわりから始めて、契約法の基礎理論を身につけるべきではないかと思います(近時の「同一労働同一賃金」などの衡平志向な風潮からすると、より遡って憲法から、とすべきかもしれませんが)。
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そもそもの話として、実定法としての『労働契約法』をわざわざ労働基準法とは別建てで制定したのも、労働法の領域において「合意原則」を名実ともに原則として復権させつつ、労使間の真意に基づく合意形成を促進するためではなかったかと思います。
が、その成果はご存知の通り。労働基準法/労働契約法のバランスが、実態としての「強行法/合意」のバランスに比例しているといっても過言ではない。
本来は、契約(法)が本体で、強行法規が外付けパーツという位置づけのはずです(主として、労働者にとっての利益保護パーツ)。だというのに、ガンダム試作3号機(デンドロビウム)におけるステイメン(労働契約)とオーキス(強行法規)のようなバランス感になってしまっているのが現状でしょうか。ステイメンがなければオーキスは機能しないのに、あたかもオーキスが本体のように見えてしまう。
デンドロビウム(RX-78GP03)
(どれがステイメンでしょうか?)
また、あとから入れられた「有期雇用法制」のようなごちゃついた規定、合意重視の建前からすれば似つかわしくないもののはずです。合意促進が本来の『労働契約法』の役割であるならば、法があれこれ細かい小言をいうのは望ましくない。良くも悪くも、労働契約法16条(解雇)くらいの緩やかさが絶妙なさじ加減かと。
労働契約法の位置づけが、もともとの理念とは異なり、行政法/刑事法としてまで規制する必要のない規定を突っ込んでおくための、いわば労働基準法の別働隊ポジションになってしまっているのではないでしょうか。
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本書に話を戻して。
契約法に視点を絞るといっても、行政法規をガン無視しているわけではなく。
たとえば「労働安全衛生法」は本拠は行政法・刑事法に属しているわけですが、その規律内容が「安全配慮義務」などの民事法上の道具立てによって、どのように労働契約の内容に取り込まれることになるか、という観点から記述されることになります。
また、「労働協約」に関する規律も、本拠は集団法(労働組合法)ですが、労働契約の内容に影響するということでこちらも詳しく論じられています。
といったように、視点が絞られているにもかかわらず、カバーしている範囲は相当広い。
また、判例・裁判例の紹介が豊富なので、本書を読むだけでも、裁判所の判断がどういう傾向にあるかが一定程度把握できます。
ちなみに、本書で明記されているわけではないので意図的かどうかが分かりませんが、最高裁→判例、下級審→裁判例と、きちんと言葉の使い分けをしているように思います。
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
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類書と比べて、「国際的側面」についての記述も豊富(第13章 国際的労働契約法)。この手の領域は実務先行で理論が手薄になりがちなので、より発展していってほしいところ。
また、一番最後に「要件事実」についても一通り触れられています(888頁〜)。
この箇所を読むことで、本書で得た実体法の理解を、要件事実論の観点から立体的に理解できるようになります。そういう意味で、長大な本書の復習として利用することもできます。
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以上、本書を「読む」ことは強くおすすめできるものの、「買う」ことまでおすすめできるかといえば微妙。本書出版の2016年以降も、法改正・新判例のラッシュが続いているわけで、もはや最新の情報とは言い難い。
今から定価で購入したとして、改訂チキンレースに勝てる自信のある方はぜひどうぞ。
あえて、お安くなった「初版」を買うことで、改訂チキンレースに乗っからないのもありかもしれません。余裕かまして第3版まで待機しておくと。
初版は2008年に出版されているので、実定法としての『労働契約法』は反映されています。というか、制定直後に紛らわしいタイトルで出版されていたわけです。
土田道夫「労働契約法」(有斐閣2008)
ただ、初版ではその後の「有期雇用法制」の改正が反映されていません。
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また、「労働法の体系書でどれか一冊」と言われたときも、第一候補にはなりえません。
カバー範囲が広いといってもフルカバーではないわけです。
本書がカバーしていない範囲だけを対象とした「労働行政法」「労働刑事法」という体系書があればいいのでしょうが、まあないですよね。
一応、下記シリーズのような「お役所系」労働法規解説書があるにはあります。同シリーズ内に『労働契約法』が含まれていないのは、まさしく「民事不介入」であることの証左といえるでしょうか。
「令和3年版 労働基準法 上巻 (労働法コンメンタールNo.3)」(労務行政2022)
「令和3年版 労働基準法 下巻 (労働法コンメンタールNo.3)」(労務行政2022)
が、あくまでも実務用の逐条解説であって、理論的体系書ではない。近時の「行政法総論」や「刑法総論」の知見がふんだんに取り込まれている、などということは無く、個別の労働法規の解説がメイン。
ということで、一冊だけ買うのであれば、普通にフルカバーした『労働法』の体系書にしておくのが無難。
菅野和夫「労働法 第12版」(弘文堂2019)
荒木尚志「労働法 第5版」(有斐閣2022)
水町勇一郎「詳解 労働法 第2版」(東京大学出版会2021)
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なお、同著者には「概説」名の教科書もあります。
土田道夫「労働法概説 第5版」(弘文堂2024)
こちらは労働法全体をカバーしているものの、512頁の薄い本です。決して分かりにくい本ではないのですが、記述の厚い本書を読んでからこちらの『概説』を読むと、どうにも窮屈な印象。
一般論としてですが、薄い本で理解できない箇所があったら、同書の同じ箇所を何度も読むよりも、一度は記述が厚めな本に目を通すべきなのでしょう。
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