2023年05月08日

インボイス行為無価値論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編26)

 また随分とエキセントリックなタイトル、と思われるでしょうが。

租税作法論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編25)

 ここまで散々弄り倒してきたインボイス制度。
 弄りつつも、どこかですでに出会ったことがあるかのような懐かしさを感じていました。

 それがどうも、刑法学における「行為無価値論」に似ているのではないか、と思うに至りました。
 突拍子ないこと言ってやがる、と思われるでしょうが、今回はその点を敷衍してみます。


 念のためお断り(予防線)。

 ここでいう「行為無価値論」というのは、あくまでも、私が受験生だった時代の《受験界通説》としての「(二元的)行為無価値論」を指します。特定の刑法学者の見解を指すものではありません。
 もちろん、受験界通説の出所には、どなたかの刑法学説があるのでしょう。が、必ずしも当該学者の見解がそのまま反映されているとは限りませんので、こういう留保をつけておきます。

 で、ここでいう「行為無価値論」がどのような主張をしていたかというと(デフォルメ入っています)。

A
『結果無価値論によれば、結果無価値(法益侵害)があるだけで違法性が肯定されてしまうが、それでは犯罪の成立範囲があまりにも広がってしまう。そこで、違法性を肯定するためには(結果無価値だけでなく)行為無価値(行為の相当性など)があることも要求すべきである。』

 行為無価値論にもいろんな側面がありますが、今回ネタにしたいのは上記のような主張をしていたことに関してです。
 上記記述それ自体は、大変ごもっともな内容かと思います。問題は、このような主張をしておきながら、実際には行為無価値を次のように機能させている点です。

B
(構成要件該当性が肯定されたあと)『違法性が阻却されるためには、結果無価値が無くなるだけではなく行為無価値が無くならなければならない。』

(「阻却」「無価値」「無く」といった否定語の重ねがけ、意味が取りにくいかと思いますがご容赦ください。)
 このような理屈により、たとえば偶然防衛では「防衛の意思」がなく行為無価値は失われないから正当防衛は成立せず違法性は阻却されない、といった主張が展開されていました。

 防衛の意思の要否といった個々の論点の当否はさておき。AとBとで「形式論理」レベルで矛盾が生じてしまっています。

【A/Bの帰結】
 ア 結果無価値あり+行為無価値あり ⇒違法性あり/あり
 イ 結果無価値なし+行為無価値なし ⇒違法性なし/なし
 ウ 結果無価値あり+行為無価値なし ⇒違法性なし/なし?
 エ 結果無価値なし+行為無価値あり ⇒違法性なし/あり!

 アイのように、どちらもあり、どちらもなしなら結論は分かれません。
 他方で、ウエのように、片方だけありの場合が問題となります。
 この点、ウは、ABいずれからも違法性なし(阻却される)となるかと思われます。が、エは完全に結論が分かれることになります。Bによれば、結果無価値がなくても行為無価値さえあれば違法性が阻却されず犯罪が成立するんだと。

 表向き(A)は犯罪の成立範囲を限定するために行為無価値を考慮するといっておきながら、実際(B)には犯罪の成立範囲を拡大するために行為無価値を機能させている、ということになっています。
 同じ法分野でも、結論の妥当性が重視される分野ならともかく。比較的論理が重視される刑法学ですら、こういう主張がまかり通っているのが、私にはさっぱり理解できませんでした。

 行為無価値論×結果無価値論の対立軸には、客観/主観、事前/事後、など様々なものがあり、受験生レベルでも(それっぽい)議論がなされることがありました。が、私には、形式論理レベルで成立していない、という一点だけで、行為無価値論を避けることとなってしまいました。

 誤解のなきように。
 決してBの主張それ自体がおかしい、ということをいっているのではなく。そうではなく、Bの立場をとるのであれば、最初からB前提で理論構成をすべきであって。それと矛盾するAなどを表に立たせるべきではない、ということです。


 余談ですが、受験界通説としての行為無価値論の主張は全く理解できなかったものの、さりとて結果無価値論では判例から離れてしまう。ということで、受験対策としては「違法性の本質」みたいな大上段の議論は避けつつ、以下の本(当時は書研)を使って割り切りで学習を進めました。

裁判所職員総合研修所「刑法総論講義案 (四訂版) 」(司法協会2016)


 さて、翻ってインボイス。
 これまでの一連の記事で分かったインボイス推進派の皆さんの主張の内実。

A もらった消費税と払った消費税は一致させるべき!
B 仕入先がもらった消費税を納税していても、仕入先からインボイスをもらえなければ仕入元は控除できない(損税)。

 表向きの美しい主張(A)と実際のインボイスの機能(B)のコントラストが、上記行為無価値論のA/Bとそっくり。

 こういう主張を課税庁なり処罰庁なりが言い出すのは、自己の利害に従っただけなので、理解はできます(処罰庁なんて言葉ありませんが、課税庁になぞらえた言葉として使っています)。
 が、頭のいい学者先生までもが、これに倣うのが全く理解できません。
 インボイス導入を推進するのはいいとして。導入根拠まで課税庁の言い分をなぞるのではなく、損税を正当化できるような理論的な根拠をしっかり示してほしい。

 私のような学の浅い人間ですら分かるような矛盾に、頭のいい学者先生が気づいていないはずないですよね。
 もし、分かっていて確信犯的にインボイス推進を展開しているのだとしたら、非常にたちが悪い。

免税事業者Requiem(第1曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編27)
posted by ウロ at 09:12| Comment(0) | 消費税法
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