森戸英幸「プレップ労働法 第7版」(弘文堂2023)
たとえば、自分が中2の頃に戻ったと想像してみてください。
友人の多串くん(仮名)から「録音したから聞いてみて」と言われて渡された『ルッキン多串のオールナイトニッポン!!』と書かれたカセットテープ(録音媒体は各自の時代ごとに置き換えてください)を、微笑ましい気持ちで聞いてあげられるかどうか。なお、CMも多串くんが作っています。
「うん、耐えられそう」というなら、ぜひ本書を読んでみてください。
◯
どの程度のおふざけなのかをご紹介するのに、どこを切り取るか悩ましいのですが。
たとえば、以下の記述(P.293)。
●訂正しお詫び申し上げます
労組法18条の地域的一般的拘束力につき、第6版までは「ほとんど使われないのでこの際無視する」と記載しておりましたが、最近この規定が発動され、家電量販店の年間所定休日に関する労働協約が茨城県で拡張適用されました(中労委令和3・8・4「労働協約の地域的拡張適用に関する決定を求める申立て」に係る決議、厚生労働大臣決定令和3・9・22)。軽率な表現を渋々お詫びするとともに、皆様のご意見・ご指摘を表面上は真撃に受け止め、今後このようなことがなきよう努めるフリをします。
通常の教科書であれば、決議・決定を内容を紹介するはずのところ、こういう書きぶりになっています。
というか、第6版を読んでいた人が第7版も読んでいる前提でお詫びしてますよね。
けども、普通の労働法入門者が、第6版に続き第7版も読むってことはないんじゃないですかね。毎版読むとしたら、森戸先生大好きっ子か、おじさんのおはしゃぎ大好きっ子か、あるいは我々のような入門書ソムリエくらいしかいないんじゃないですか(最後の奴の嫌な野郎感が際立つ)。
◯
上記のようなおふざけが極まった記述がある一方、次のような記述も。
高プロについての説明(P.221)。
「高度にプロフェッショナルだぜ!」「時間に囚われないクリエイティブな仕事だぜ!」といえる特定の業務に従事し、相当高い給料をもらっている労働者については、本人の同意、労使委員会の決議及びその行政官庁への届出、健康確保措置の実施があれば、労働時間、休憩、休日及び深夜の割増質金に関する規制が適用されない(労基41条の2)。
これ、私が勝手に中略したとかではなく。
途中までは頑張って噛み砕いて説明してくれていたのに、急に《専門用語の悪魔》に脳を乗っ取られたみたいな感じになっています。前半/後半で完全に別人。
森戸先生をもってしても、高プロを完全に噛み砕ききれていない。
話はややズレますが、先日書いた一般向けの電帳法・インボイス本の紹介記事の中で。
小島孝子「電帳法とインボイス制度のきほん(令和5年度税制改正大綱対応版)」(税務研究会出版局2023)
制度が複雑になりすぎて、入門書ライターの方が一般向けに噛み砕いて説明するのはもはや無理があるのでは、という話をしました。
労働法領域についても、クラシカル、レガシーな制度ならばともかく、当代の複雑怪奇な制度を入門書レベルで説明するには限界があるのだろうな、という気がしています。
◯
本書は(抵抗感のないかぎり)極めて理解しやすい言葉で書かれているわけですが、そのせいで、たとえば学部試験などでそのまま吐き出すことはできません。
この点で、ちょうど相性がよさそうだな、と思ったのが下記ドリル。
渡辺悠人「アガルートの司法試験・予備試験 総合講義1問1答 労働法 第2版」(サンクチュアリ出版2021)
用語の正確な定義などについて、一問一答形式でトレーニングできるようになっています。ので、頭の中で理解していることを、そのままよそ行き用の言葉に置き換えることができると思います。
最初にガチガチの定義から入るよりも、しっかり自分の頭で理解してからのほうが、難しい言い回しも覚えやすくなるのではないでしょうか。
ちなみに、1問1答をやってみて思ったのが、本書のカバー領域が意外にも広いなあということです。
【プレップシリーズ】
米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)
◯
以下は本書の評価とは直接関わらない余談。
賃金の直接払の原則に関する記述(P.195)。
賃金債権が差し押えられた場合には、使用者が債権者や国税徴収職員に直接支払いをしてもよいと解釈されている(「お上」が絡むと明文がなくてもよいということ?)。ただし国税徴収法や民事執行法は「給料」「賃金」「退職手当」等については一定の差押え限度額を定めている(民執152条、国税徴76条)。全額差し押さえられて全然もらえないということはないわけだ。
「明文がない」とかそんなわけあるか、と一瞬思ったのですが。
以下、一般債権者を前提とします(なお、上記で「税務署」とかではなくきちんと「国税徴収職員」と書いてあるのはさすが)。
民事執行法 第百五十二条(差押禁止債権)
1 次に掲げる債権については、その支払期に受けるべき給付の四分の三に相当する部分(その額が標準的な世帯の必要生計費を勘案して政令で定める額を超えるときは、政令で定める額に相当する部分)は、差し押さえてはならない。
二 給料、賃金、俸給、退職年金及び賞与並びにこれらの性質を有する給与に係る債権
まず、民事執行法152条では、3/4が差押禁止とは書いてあるものの、1/4を差し押さえてよいとは書いていません。これに関しては「143条で100%差し押さえできるが152条で3/4は制限される」と捉えればよいだけなので、大した問題ではありません。
同法 第百四十三条(債権執行の開始)
金銭の支払又は船舶若しくは動産の引渡しを目的とする債権(動産執行の目的となる有価証券が発行されている債権を除く。以下この節において「債権」という。)に対する強制執行(第百六十七条の二第二項に規定する少額訴訟債権執行を除く。以下この節において「債権執行」という。)は、執行裁判所の差押命令により開始する。
問題は、なぜ給与を一般債権者に直接払いしてよいかです。同法155条には一般債権者に「取立権」が付与されることが書かれているものの、これが当然に労基法24条の直接払の原則に優越するわけではありません。
同法 第百五十五条(差押債権者の金銭債権の取立て)
1 金銭債権を差し押さえた債権者は、債務者に対して差押命令が送達された日から一週間を経過したときは、その債権を取り立てることができる。ただし、差押債権者の債権及び執行費用の額を超えて支払を受けることができない。
バッティングする両条が並列的に存在しているという状態にすぎず、ここに優劣をつけたいならば、何らかの解釈を加える必要があります。
そこで、同法155条の規定は労基法24条1項の2つ目の「別段の定め」ということで、「賃金控除」として扱うことはできるでしょうか。賃金控除できるというのは、全額払の例外というだけではなく、直接払の例外でもあるんだと。
労働基準法 第二十四条(賃金の支払)
1 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。
こう解釈できるならば、「明文がない」というのは言い過ぎでしょう。というか、上記記述では明文もなしに、どういう条文操作をもって「解釈されている」と想定しているのでしょうか。
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しかしまあ、「自力執行の禁止」を謳っておきながら、債権取立ての場面では一旦私人間で直接やり取りさせるというのは、面白い制度設計ですよね。そこですんなり解決できなければ、結局裁判所(取立訴訟)に戻ってくるし。
供託がもっとカジュアルに利用できるようになるならば、供託を強制するという制度でもよいような気がしますが。
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