2023年07月24日

小西國友「社会保障法」(有斐閣2001)

 重厚な体系書ですらソフトカバー(かつ紙質が貧弱)で出版される近時の風潮とは異なり、かつてはガワとしてのハードカバー/ソフトカバーと中身のハード/ソフトはおおむね対応関係にありました。
 なお、ハードカバーの上位機種が(今となっては絶滅危惧種の)函入。

 本書も、「有斐閣ブックス」とかいう、ソフトカバーのシリーズ物の中の一冊だったため、単なる制度陳列系(以下「セドチン」という。)の概説書なのかと思って読まずにいたところでした。

小西國友「社会保障法」(有斐閣2001)

 本書の裏表紙にはこんなことが書いてあります。

社会保障法は,社会の構成員が社会的事故に遭遇することに関連して各種の保障を行う法である。実体面に重点を置き制度解説を中心にした従来型のテキストではなく,法的側面から構造を解き明かすテキストは本書がはじめてである。真に社会保障法の名に値する画期的なテキストが登場した。

 これまで法学専門書出版社による宣伝文句には、さんざん煮え湯を飲まされてきたわけで。今さらこんな、大言壮語な美辞麗句を額面通りに受け取ることなんかできません。

税法思考が身につく、理想の教科書を求めて 〜終わりなき旅

 特に「社会保障法」なんて、セドチン系の薄味本を読まされたばかりですし。

黒田有志弥ほか「社会保障法(有斐閣ストゥディア)」(有斐閣2019)

 ところが、実際読んでみたら、この宣伝文句どおりの内容となっていました。がっつりめの理論書。完全に、オオカミ少年の寓話どおり。

 本書の出版以降どこかの時点で、出版社内の宣伝文句担当の倫理感がどうにかなってしまうような、転換点というものがあったのでしょうか。あるいは、宣伝文句担当は時代を経ても何も変わらず、中身のほうがそれに伴わなくなっていっただけなのか。


 総論の目次を眺めるだけでも、良い雰囲気でてますよね。

第1編 総論
  第1章 序説
  第2章 社会保障基本権
  第3章 保障主体
  第4章 保障規範
  第5章 保障行為
  第6章 保障関係
  第7章 給付制限
  第8章 紛争解決手続

 もちろん、個別制度を知らずにいきなり総論を読んでも、なんのことやら理解できないと思います。が、ひととおり制度理解をしてから総論を読むと、自分の頭の中でバラバラだった知識がよく整理できるようになると思います。


 本書のよさをご理解いただくために、どこの記述を切り出してもいいのですが、たとえば次のような記述はどうでしょうか(P.46)。

 市町村と特別区(市町村。市区町村とも市町村等とも総称されることがある)は、一定の目的(立法・行政)のために国の一定の地域において住民により構成される組織的統一体である地方公共団体の一種であって、前者の市町村は普通地方公共団体であり後者の特別区は特別地方公共団体(財産区も同様)である。市町村は地方公共団体の組織体自体を意味することが多いが(たとえば、「市町村又は特別区は、この法律の定めるところにより、国民健康保険を行う」という場合。国民健康保険法三条)、社会保障法の領域においては、市町村の行政府を意味することもある。たとえば、国民健康保険法九条が「世帯主は……被保険者の資格の取得及び喪失に関する事項その他必要な事項を市町村に届け出なければならない」と規定する場合の「市町村」は市町村の行政府のことである。
 市町村という概念が地方公共団体(地方団体とも呼ばれる)の組織体自体とその機関である行政府の双方を意味するのは、地方公共団体に関しては国のレベルにおける「国」とその行政府である「政府」についてと異なり、地方公共団体の行政機関の全部または一部としての行政府の存在が明瞭に意識されないことによるものである。その存在が明瞭に意識されるのは地方公共団体における行政機関としての都道府県知事や市町村長であるが、内閣の所轄下に行政機関があるように都道府県知事や市町村長の所轄下にも行政機関が存在し、これらが一体となって地方公共団体の行政府を構成していると考えられる。


 この「行政組織法」味あふれる記述、グッときますよね。

藤田宙靖「行政組織法 第2版」(有斐閣2022)

 「市町村」なんて用語、当然にその意味はわかっているとばかり、薄ぼんやりとしか読めていなかったわけですが。使われる局面によって意味が異なるんだと。

 言葉の意味を正確に記述しようとしている様をみると、書籍への信頼感がとても上がります。


 あるいは次のような記述はどうでしょうか(P.138)。国民健康保険法36条1項1号の「診察」について。

「診察」とは、医師や歯科医師が傷病の状態を判断するために、質問を発しまたは発することなく、心身を調査することである。したがって、近視やその他の目の傷病の状態を判断するために行う検眼は、それが医師による場合(診察は医師・歯科医師によらなければならない)には「診察」である。しかし、近視の有無の判断のためではなく単に眼鏡の装用のための検眼は、眼鏡店におけるものでなく医師によるものであっても「診察」ということができない。また、このような目的から行われる検眼は所得税法七三条の規定する医療費控除の認められる「医療又はこれに関連する人的役務の提供」ということもできない(藤沢税務署長事件・横浜地判平成一・六・二八行裁例集四〇巻七号八一四頁参照)。

 「診察」なんて言葉、日常用語でもあるので定義なんか気にせずわかった気になってしまうところです。この点も、きちんと定義づけがされた上で外延を示し、さらに税の扱いにまで触れるという周到ぶり。事項索引にまで「診察」が入っていますし。


 各論の中でも、各章において「個別的な法律問題」という項目を設けて、法的論点についてしっかりとした議論が展開されています。田中二郎先生の『租税法』が、総論がっつり・各論セドチンなのとは違って。
 きっちり尻尾まであんこがつまった、たい焼きの如く。

田中二郎「租税法(第3版)」(有斐閣1990)

 社会保障「法」の教科書なんだから、法的論点を検討するのは当たり前、と思うのですが。残念ながらセドチン本がのさばってしまっている。


 たとえば、受給権の「消滅時効」について。セドチン本では単に2年とか5年とかいう数字だけが並んでいるだけのところですが。

 本書では、年金受給の支分権はともかく、基本権まで5年で消えるのは、長年保険料を納付してきたことと対比して酷くないか、という問題意識から基本権には消滅時効の規定は適用されない、という解釈論を展開しています。しかも、単純に基本権はすべて消滅時効排除というのではなく、受給権の性質ごとに(療養、年金、扶助など)検討をされています。

 裁判所がこのような解釈をそのまま採用することは考えにくいです。ですが、個別事案ごとの事情に応じて例外的に消滅時効の適用しない、という結論を出すことは十分ありえます。裁判所がおよそ採用しえない見解など主張する意味がない、ということにはならないはずです。

 セドチン本では、こういったことを考える素材すら提供してくれない。


 しかしまあ、学問というのは先人の業績を踏まえて少しづつでも漸進していくものだと思うのですが。なぜセドチン本に退化・回帰してしまうのか。
 裏表紙の宣伝文句で「従来型のテキスト」呼ばわりされていたものなんですが。

 昨今の厳しい出版事情の元では、法学専門書なんて、共著の・セドチンの・薄い本を大学の指定教科書にしてもらうことでしか生き残れないのでしょうか。
 売れ筋の小型六法と指定教科書をTOY'S FACTORYにおけるMr.Childrenと位置づけ、そのおこぼれで他のアーティストを細々と育てていく的な(もちろんBUMPとかも所属しているわけですが、さすがに別格でしょう)。

 残念ながら、本書は2001年に出版されたきり後続がないままです。
 が、「法学」としての社会保障法を学びたいというならば、『最新の法改正に対応!』だけが売りのセドチン本よりも、たとえ古くても本書のような理論書を読んだほうが、勉強になるはずです。
posted by ウロ at 10:49| Comment(0) | 社会保障法
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