先日、取り急ぎで雑感を書きましたが。
みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)
本判決の「形式偏重」な思考、以下のような物言いを想起させるんですよね。
【形式的犯罪論】
国家権力による恣意的な処罰を抑制するため、法律による定めなしに処罰することは許されない。この趣旨を貫徹するため、裁判官は法律を形式的に適用することしか許されず、実質的な判断を加えることは禁止される。
刑法総論の教科書の最初のほうで、すでに克服された考え方として紹介されているものです。
「実質的判断を入れただけでは、直ちに恣意的な処罰になるわけではない」ということについては、今どきの刑法学説であれば共通認識になっているものかと思います。形式的に構成要件に該当するというだけでは犯罪は成立せず、処罰に値するだけの法益侵害があるかどうかの検討は別途必要だと。
本判決の論理を刑法学上の道具立てになぞらえて説明するならば、
形式的に犯罪構成要件(課税要件事実)に該当するならば、実質的な法益侵害(合算に値する子会社所得)が存在しなくても、処罰(合算課税)すべきである。
ということになります。税法の課税要件事実は租税犯罪構成要件(の一部)でもあるわけだから、わざわざ「なぞらえて」なんて言わなくてもよいのかもしれませんが。
「形式的犯罪論」を完全トレースした物言い。
◯
一昔前の刑法学説(純粋な意味での形式的犯罪論)みたいなものが、税法分野では、令和時代の最高裁判決において堂々と展開されているなんて、周回遅れにも程がある。
ではありますが、最高裁を責めるのは酷であって。やはり税法学説において、租税法上の原理原則として「罪刑法定主義」(+そこからの派生原則)を唱えるだけで満足してしまっているのが問題なのでしょう。
『だったら、事前に・明確に・平等に、課税するって法律に書いておきゃいいんだろ。』に対して、「租税法律主義」だけではなんら対抗することができません。刑法学でいうところの「法益保護主義」に対応するような原理原則が、未だに開発されていない。
仮に、「早歩き罪」(早歩きしたら処罰)などという犯罪があったとしたら、何ら保護すべき法益がないから許されない、となるでしょう。に対して、「早歩き税」(早歩きしたら課税)という税目があったとしても、それを制約できるような道具立ては、税法学説内部に用意されていません。
◯
CFC税制のように、法令上は《割り切り》によって規定せざるを得ないとしても(「課税要件の明確性」)。また、課税庁が課税処分の段階で形式的に執行せざるを得ないとしても(「課税執行面における安定性」)。裁判所までもが、個別事案における救済を検討せずに形式判断だけで押し切らなければならない、ということにはならないでしょう。
本件でも、本来の趣旨から外れた「過剰課税」であることは認められているのだから。裁判所が個別救済したとしても「立法権の侵害」ということにはならないでしょう。もともと立法府が想定していた趣旨に沿って限定を加えているわけで。裁判所が独自の意味を勝手に充填するのではありません。
税法が「緻密で合理的な条文の集積」から成り立っているとして。
よく出来上がっている箇所については、余計な判断を加えず粛々と形式的なあてはめをしていけばいいのでしょう。が、そうではない箇所については、課税に値する実態が存するのかどうか、しっかり検討する必要があるのではないでしょうか。
◯
ここであらためて、本判決がいう「課税要件の明確性」について。
ここまでは、さしあたり「租税法律主義」から派生するところの『明確性(憲法原理)』として捉えておきました。で、課税に対する《制約原理》なのに、《拡張原理》として使うのはおかしい、と批難しました。
が、よくよく考えると、本判決がいうところの「課税要件の明確性」は、憲法原理としてのそれではなく。単に立法技術としての『明確性(立法技術)』を言っているのではないかと。
前回のイメージ図のごとく、楕円の制度趣旨にピッタリ寄り添う形で制度設計するのは立法技術的に無理がある、ので、ある程度の《割り切り》は『明確性(立法技術)』の観点から許される、といっているだけだと。
もしそうだとすると、法令そのものが違法とならない、というだけで。当該事案に適用することが許されるかどうかは、やはり、別途検討が必要になるのではないでしょうか。
◯
本判決において「裁判所が」個別救済をしない理由付けとして機能しているの、「調べりゃ回避できたはず」だけだと思います。「課税要件の明確性」は立法府向け、「課税執行面における安定性」は課税庁向けに使える理由にすぎず。裁判所が個別救済を拒絶する理由としては遠すぎる。
では、「回避理論」をもって個別救済を拒絶することが正当化されるでしょうか。
この理論、自招防衛などにおいて正当防衛を否定する根拠として使われる「退避義務」に似ているんですよね。自分で不正な侵害を招いたのであれば、反撃せずに退避すべき、として使われるやつ。
そうすると、本件でもみずほ様に「回避義務」が課せられるのかどうか、という評価が問題となってきます。
この点、「早歩き税」であれば、「早歩きしなければ課税を回避できる」からといって、課税が正当化されることにはならないでしょう。あまりにも行動制約が激しすぎるわけで。
本件においては、みずほ様に配当や事業年度終了のタイミングを調整させることが、どの程度の制約となるかにかかってくるかと思います。手続きそれ自体は簡単だとしても、他への影響を考えるとそんなお気軽にイジれるものではない、とかがありえるわけで。
本判決自身は、「やりゃあできる」程度にしか考えていないようですが。
◯
ここで「調整」といいましたが。CFC税制を回避するためだけにこれらタイミングを弄ることが、逆に、不当な「租税回避行為」だとか言い出さないかどうか。
「過剰課税」の場合でも形式重視で合算するといったわけですが。反対に「過小課税」の場合にも形式重視で合算しないといってくれるのか。
税法判決において最高裁が、形式重視でいくのか実質重視でいくのか、予測を立てるのが難しくなっているように思います。
最近の傾向からすると、どちらかというと形式を重視しているようにもみえます。が、りそな外税控除事件判決のように、制度濫用論なんてゴリゴリの実質重視を繰り出してくることもあり。
本事件における高裁も、決して最高裁様に逆らうつもりで実質重視でいったわけではなく。最高裁ルーレットの「形式/実質」の二択のうち実質にBETしたら外れた、というだけの話だと思います。
こんな状況で「信託SO」の事件がやってきたら、最高裁様のご機嫌はどちらだろうかと、下級審の裁判官は見極め困るだろうな、と思います。
信託型ストックオプション雑感
◯
なお、税法における「形式偏重」の最新例が「インボイス制度」です。
売上側が実質課税なのに対して、仕入側が形式控除なせいで「損税」が生じてしまっています。ここでいう「損税」というのが補足意見でいうところの「過剰課税」。
私自身は、「損税(=過剰課税)」というものはおよそ許されない、という考えで一連の検討を進めていたのですが。本判決によれば、「課税要件の明確性」「課税執行面における安定性」を理由にしさえすれば、消費者が消費した以上の消費税が生じたとしても別に構わない(し個別救済もしない)、ということになります。
「所詮カネだから」ということで許容されているのかもしれませんが。
「処罰すべき法益侵害はないけど、分かりやすさや執行しやすさを重視した結果、処罰範囲に入っちゃったので、処罰されても我慢してね。」なんて言ったら、刑法学者から袋叩きにあいますよね。こんな主張が許されてしまう、租税法学のぬるま湯感は異常。
インボイス行為無価値論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編26)
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