2024年06月03日

法廷意見をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決における多数意見vs補足意見

 過去3回の記事では、多数意見は、大法廷判決の《総合較量説》に依拠して結論を導いている、という前提でイジってきました。で、《総合較量》と言っておきながら、その較量の中身を開示していないことに対する批判をしました。

最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造

 が、よくよく読んでみると、多数意見自身は《総合較量説》を採用しているなどということは一言もいっていません。「その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし」て結論を導いているだけです(以下、これを半笑い気味に《照らす式》といいます)。
 大法廷判決の引用の仕方も、「の趣旨に徴して明らか」という(例の)書きぶりであって。ダイレクトな引用ではなく、「の趣旨」と一段階ぼやかした表現になっています。

最高裁令和6年5月7日第三小法廷判決
 法人税法127条1項の規定による青色申告の承認の取消処分については、その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし、その相手方に事前に防御の機会が与えられなかったからといって、憲法31条の法意に反するものとはいえない。このことは、最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁の趣旨に徴して明らかである。本件処分に所論の違憲はなく、論旨は、採用することができない。

最高裁平成4年7月1日大法廷判決(成田新法事件)
A 憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。

B しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。

C 本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり当該工作物の三態様における使用であり、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全という国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からその確保が極めて強く要請されているものであって、高度かつ緊急の必要性を有するものであることなどを総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものということはできない。また、本法三条一項一、二号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりである。



 一体いつから、(多数意見が総合較量説を採用していると)錯覚していた?
 それは、渡辺補足意見の下記記述を目にした瞬間からです。

渡辺補足意見
 多数意見が言及する平成4年大法廷判決は、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である旨判示している。多数意見は、このような枠組みの下での総合較量に基づいており、特定の考慮要素のみに基づくものではないが、私において特に明確にしておきたい2点を補足することとする。


 「補足意見」については、一般に、以下のように定義づけされています。

補足意見とは:
 裁判書に個別に表示される意見のうち、多数意見に加わった裁判官がそれに付加して自己の意見を述べるもの


中野次雄ほか「判例とその読み方」(有斐閣2009)

 で、上記補足意見中の「多数意見は、このような枠組みの下での総合較量に基づいており」という記述を鵜呑みにして、「多数意見は《総合較量説》を採用しているんだなあ」と思ってしまったわけです。
 が、多数意見の中には《総合較量》なんて文言は一切でてきません。ですし、大法廷判決のCにあたる部分がなく、表向き《総合較量》なんかやっていないわけです。

 「補足意見」を名乗っておきながら、多数意見にそのまま自分の意見を付け足したのではなく。多数意見で明示されていないことを奇貨として、自分の見解に引き寄せて読み替えた、というのが渡辺補足意見の遣り口なのではないでしょうか。

 過去3回の記事では、「《総合較量説》のくせになんで総合衡量のプロセスを開示しないんだ!」と批判めいたことを書いてしまいました。が、そもそも《総合較量説》を採用していないのであれば、とんだ言いがかりをつけてしまったことになります。
 ですが、悪いのは、多数意見を勝手に《総合較量説》呼ばわりした渡辺補足意見であって。文句があるならそちらへどうぞ。

 もしかしたら、実際の合議では《総合較量》ベースで検討していたのかもしれません。が、多数意見が《照らす式》でしか書かれていない以上、そんなことは外野からは分かり得ないわけです。
 「多数意見を勝手に《総合較量説》に読み替えるな!」という批判は甘んじて受け入れるべきでしょうよ。

 とはいえ、最高裁判事が「個別意見」で何を書くかについては、なんら制度上の規制はなく。あたかも自分が多数意見を代表しているかのような書きぶりをしようが、誰も制御することはできません(なお、政治的な圧力については、また別のお話し)。

 「補足意見/意見」の区別にしても、法律上の区分ではなく。「なんかそういうふうに言われている」レベルのものであって(最高裁内部での口伝があるのかもしれませんが、外野には伺いしれない)。
 「意見」で書くべきことを「補足意見」で書いたとしても、是正手段があるわけでもない。


 しかし、渡辺補足意見による鏡花水月から脱して。多数意見を、あるがままに読み取って《照らす式》だと捉えたとして。
 《総合較量》をしないで事前手続必要/不要を判断することは、大法廷判決に真っ向から違反することになってしまうのではないでしょうか。

 この点、考えられる一つの逃げ道(distinguish)として、次のようなものがありえます。

 すなわち、大法廷判決も、あらゆる行政処分すべての場合に《総合較量》を要求しているわけではない、「どう考えても事前手続いらんやろ」という場合には、《総合較量》をすっ飛ばしていきなり結論だしてもよいと考えていたんだと。
 《総合較量》する必要があるのは、グレーゾーンのときだけで。白黒はっきりしているときにまで、いちいち《総合較量》しなくたっていいんだと。

 大法廷判決「の趣旨に徴して明らか」という書きぶりからも、大法廷判決だって本音ではたいして事前手続に積極的ではなかったやろ、本判決ではその本音の汲んで判断したんだよ、という意味が含意されていると読むことができるでしょうか。

 この考えによれば「青色申告の承認の取消処分」については、「どう考えても事前手続いらんやろ」な場合として、《総合較量》抜きで事前手続不要という結論まで突っ走ってよいことになります。


 もちろん、このような、大法廷判決の核の部分をざっくり刈り取る限定解釈が適切なものかは疑問があるでしょう。
 が、《総合衡量》をすっ飛ばして結論を出している本判決を、それでも大法廷判決に違反していないというためには、このような理解をせざるをえないのではないでしょうか。

 少なくとも、渡辺補足意見のごとく、書かれてもいない《総合較量》をやっているんだと、『見えないものを見ようとする』強弁をするよりは、マシだと思います。


 渡辺判事自身は合議に参加しているのだから、多数意見の中身を誤解している、なんてことはなく。あえてでやっているはずです。

 補足意見なるものを、無理やり両極端に分けると、
  1 多数意見には書けないが、今後はこれでいくぞと意思表明をするために出すもの
  2 最高裁判事個人の、文字通りのご意見・ご感想にすぎないもの
のふたつの方向があるように思います。

 似たようなものでいうと、国税庁が公式でいえないから業界誌にイタコ的に語らせるのが1、業界誌独自の記事が2、にそれぞれ対応するでしょうか。

 渡辺補足意見については、書いてあることからすると2っぽくみえるものの、今後、ちゃんと《総合較量》してから事前手続不要という結論を出したい行政処分があがってきたときには、多数意見に取り込んで使いまわししそうな気もするんですよね。


 言渡をした最高裁が、自分の判決の、判例としての射程をどのように自己規程するか、それは自由です。が、それと同時に、後続の最高裁が、当該判決の射程をどのように理解するか、これもまた後続の最高裁の自由です。

 大法廷判決が《総合較量》しろといっているのに、勝手に「趣旨」レベルにまで薄めて《照らす式》で結論だそうが、本判決の自由だということになります。
 そしてまた、後続の最高裁が、本判決の補足意見につき、あれは単なる補足意見だから判例には含まれないとするか、多数意見と一体として判例だと読み取るか、こちらも自由です。

 さすがに射程を広げたり・狭めたりの限界を超えたならば、「判例変更」を検討することなるのでしょう。だとしても「判例変更」をするかどうか、それ自体もそのときの最高裁の自由です。


 今回は、「補足意見が多数意見をHACKしているのでは」という見立てからスタートしました。が、補足意見を名乗っている以上、多数意見とうまく噛み合わせることができる、別の筋道がありそうな気がしてきました。
 鏡花水月から脱した気になっているけども、もう一段先があるのでないかと。

 ということで、次回はそちらの線を記事にしてみます。いい加減、締めることができるでしょうか。

大法廷判決をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決における《面従腹背》システム
posted by ウロ at 09:03| Comment(0) | 判例イジり
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