2024年10月14日

平等権と、課税公平主義のあいだ 〜最高裁令和4年4月19日判決における「平等原則」とは?

 最高裁令和4年4月19日判決のいうところの『租税法上の一般原則としての平等原則』を深堀りできないかと思いまして。

だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)

 『租税法上の一般原則としての平等原則は、租税法の適用に関し、同様の状況にあるものは同様に取り扱われることを要求するものと解される。』

 以下は、憲法教科書の「法の下の平等」の箇所を斜め読みしてみたものの、結果としてあまり参考にならなかった、という失敗談です。


 その要因を端的にいえば、憲法教科書が「平等」に関して論じていることの大部分が、私人の『主観的権利としての平等』(平等権)に集中してしまっていることにあります。

 以下、用語を次のように使い分けます。
  ・平等権  主観的権利としての平等
  ・平等原則 客観的法原則としての平等

 なぜ「平等権」に議論が集中してしまうかというと。
 毎度のことながら、学説の議論が集中するのは「裁判例」周りばかりであり。そしてその裁判例は、訴訟法の都合上、基本的に「主観訴訟」です。
 そうすると、裁判で平等というものが現れるのは、「平等権」としての側面ばかりになってしまいます。結果、学者の議論も「平等権」中心になってしまうと(「統治機構」の領域が周回遅れみたいになるのも、同様の事情でしょうか)。

【主観訴訟における平等の現れ】
 ・原告は、国家に不平等に扱われることで不利益を受けている。
 ・そこで、平等に扱われる権利があると主張して、不利益の回復を訴える。
 ⇒不平等:原告に不利益
  平等:原告に利益


 ところが、本判決で問題となったように、国家から平等扱いされることが、必ずしも私人にとって「利益」になるとは限りません。

 すなわち、
 「鑑定評価額>通達評価額」という事案においては、
  ・平等原則T(通達評価額) 納税者に有利 ア
  ・平等原則U(鑑定評価額) 納税者に不利 イ
となるのであり、逆に、
 「通達評価額>鑑定評価額」という事案においては
  ・平等原則T(通達評価額) 納税者に不利 ウ
  ・平等原則U(鑑定評価額) 納税者に有利 エ
となります。

 事案により、そしてどちらの平等原則が適用されるかにより、有利/不利が入れ替わってしまいます(以下、「有利/不利」を「不課税/課税」と表現することがあります)。

 憲法学説における平等権まわりの議論を租税訴訟に持ち込もうとしても、直接役に立つのは「不平等:課税/平等:不課税」(ア、エ)の事案に限られることになります。他方で、「不平等:不課税/平等:課税」(イ、ウ)の事案で、課税庁側が平等扱いを志向する局面については、この局面を表す言葉すら存在しないのではないでしょうか。

 後者を無理やり《権利構成》するならば、「国家の課税権侵害を回復するために平等権違反を主張する」とでも表現し、平等権まわりの議論を応用していく(裏表ひっくり返す?)ことになるでしょうか(もちろん、現行憲法の座組みからは出てこない、無理やりな表現です)。


 憲法学説がこのような状態だというのに。

 租税法の教科書が、どれもこれも「課税公平主義は憲法14条に由来する」などと呑気に記述しているのは、違和感しかないです。憲法学説が展開している「平等権」中心の憲法14条解釈では、「課税公平主義」で論ずるべき領域の「半分」しかカバーできていないはずです。

 ・A1が課税されないなら、A2も課税すべきでない(平等に不課税) 《平等権》
 ・A1が課税されるなら、A2も課税すべき(平等に課税)      《???》


 私個人としては、憲法14条は、もっぱら客観的法原則としての「平等原則」として理解すればよく。わざわざ「平等権」などと権利構成する必要はないと考えています。

 そもそも、憲法の条文では、他の自由権条項とは異なり「権利」とも「自由」とも記述されていないのであって。

日本国憲法 第十四条
1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。


 国家に向けられた義務として「私人にとって有利/不利いずれであるかにかかわらず等しく扱え」と言っているだけだと理解すれば十分なのではないでしょうか。

 で、国の平等原則違反により、私人が何某かの不利益を被ったというならば、それを根拠に主観訴訟を提起すればよいだけです。
 × 平等権侵害
 ◯ 平等原則違反+利益侵害

 民事訴訟法上の「上告理由」にしても、憲法違反とあるだけで。憲法上の権利侵害であることまで求められていませんし。

民事訴訟法 第三百十二条(上告の理由)
1 上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があることを理由とするときに、することができる。


 憲法14条はもっぱら客観的法原則としての「平等原則」を採用している、と理解してはじめて、「課税公平主義は憲法14条に由来している」といえるはずです。

  △平等権  ⇒課税公平主義
  ◯平等原則 ⇒課税公平主義

 「平等」とか「公平」というワードが出てきたからといって、なんでもかんでも憲法を持ち出せばよいというものではない、というのが現実。


 以上、本判決のいう「平等原則」は、
  ・平等に課税とする
  ・平等に不課税とする
の両方向に機能するものであって。
 憲法学説が夢中になっている「平等に不課税とする」側の議論だけでは、その中身を詰めきれない。あるいは、憲法学説側から攻めていくのは遠回りっぽい、と感じました。

 ので、また別の方向から攻めていって、少なくとも補助線でも引けないか、検討を進めてみます。
posted by ウロ at 09:32| Comment(0) | 判例イジり
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