2024年11月18日

複層的審査基準論 〜最高裁令和4年4月19日判決(財産評価)

 本判決が示した3つの規範の関係について、未だにしっくりくる説明に出会えない。ので、自分なりに整理をしてみます。

だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)

 【本判決の判断枠組み】
 ・規範A: 相続税法22条によって評価
 ・規範B: 通達各則によって評価 (平等原則T)
 ・規範C: 相続税法22条によって評価 (平等原則U)

最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(相続税更正処分等取消請求事件)


 よくある解説モノだと、租税法律主義よりも租税平等主義を優先した、とか、平等原則Tよりも平等原則Uを優先した、というように、「あれかこれか」という枠組みにハメて整理をしようとするものが目につきます。

 が、本判決に書かれていることを正確に読み取るならば、3つの規範を順番にあてはめていった、という理解のほうが適合的だと思われます。


 すなわち、まず、「租税法律主義」の観点から、相続税法22条における「時価」の意味を確定させます。が、「時価」というものの性質上、点ではなく一定の幅があることになります。
 そうすると、「租税法律主義」の観点からだけでは、その幅の中に収まっていさえすれば、課税処分はすべて適法ということになってしまいます。


 そこで次に、「平等原則」の観点から、その幅の中に収まってさえいればいくらでもよいのか、についてのチェックを行います。

 「平等原則」によるチェックの仕方として、まず、「納税者全体」との比較で、課税処分に問題がないかをチェックします(平等原則T)。
 通常は、通達各則による評価が行われていることから、本件でも通達各則による評価をすべきということになります。

※本記事で「納税者」というのは、結果として税額なしとなった人も含む、相続財産を相続した全ての人を指します。


 次に、もう一段階掘り下げて「平等原則」によるチェックを行います(平等原則U)。
 ここでは、納税者全体ではなく、「同様の状況にある納税者」との比較で平等かどうかを判定します。

 図式的にいえば、「平等原則T」が、AグループからZグループまでの納税者グループ全体との比較、「平等原則U」が、Aグループの中で、本件納税者がA5だとしたら、その両隣のA4・A6との比較、というイメージです。
 同じ平等原則でも、Tが「粗い物差し」で、Uが「細い物差し」で判定を行うということです。


 このように、本判決は、一つの事例に対して、3つの基準を重ねがけしていると構成することができます。
 それも、漫然と重ねがけをしているわけではなく。大きな枠組みから徐々に目盛りを細かくしていっていると。


 これとの比較で対照的なのが、憲法学で論じられている「違憲審査基準論」。

 華々しくあれこれと議論が展開されているものの。「1事例に1基準」という枠組み自体は、皆さん一致されています。
 異なる尺度の基準を重ねて用いることで問題点を絞り込んでいく、という手法は採用されていません。

 他方で、本論点においては、1事例に複数の審査基準を重ねがけをしています。財産評価における時価というものが幅のある概念であるため、複数の観点から絞り込みをする必要があるわけです。

 そういうわけで、憲法学上の「違憲審査基準論」が、3つの規範の関係性を整理するのに何か役に立つかと思ったのものの。残念ながら活用することはできませんでした。


 「平等原則は租税法律主義に由来する」みたいな評価をされている文章もありましたが。

 上記のとおり、財産評価における時価は、法律の規律のみでは一定の幅を持たざるをえません。そのため、「租税法律主義」だけからは、『枠内に収まっているかぎりすべて適法』という大味な結論しか導き出せません。
 そうすると、「租税法律主義」の規律からは、課税庁はその枠内で自由に課税処分ができることになってしまいます。

 これを統制する規律が「平等原則」ということになります。租税法律主義だけでは課税処分を統制しきれないところ、平等原則によって限定をかけているという位置づけとなります。
 
 あえて、何らのつながりを持たせたいのであれば、『法の支配』の観点から
  1 課税処分は法律に基づいていなければならない (租税法律主義)
  2 課税処分は平等に執行されなければならない (租税平等主義)
と、それぞれ2つの主義が導かれた、という説明になるかと思います。

 なお、このような位置づけは、財産評価における時価のような、幅のある概念だからいえることであって。法律から一義的な帰結が導ける場合であれば、わざわざ平等原則を持ち出す必要はなく。租税法律主義一本で統制が可能です(この先に、「違法だが平等扱いすべき」の事例群がある)。


 まあ、「平等原則は租税法律主義に由来する」と勘違いしてしまう原因は、最高裁の書きぶりにあるのだと思います。

 すなわち、「租税法上の平等原則」と言われてしまうと、あたかも法律レベルでの平等原則を問題としているかのように思ってしまうところ、です。
 が、法律レベルでの平等原則というのは、たとえば「寡婦控除」が男性に適用されないでよいのかとか、法内容そのものの平等を問題とする場合に出てくるものです。

 他方で、本論点では、法内容そのものではなく。「課税庁は法執行をするにあたって平等に処理すべき」ということを問題としています。課税処分レベル、あるいは法執行レベルでの平等原則が問題となっているということです。

 ・法内容レベルの平等(租税法上の平等原則)
 ・法執行レベルの平等(???上の平等原則)

 もちろん、法執行レベルの平等も「租税法上の平等原則」と呼ぶことが、間違いということではないのでしょう。が、極めて誤導的な表現ではあると思います。
 しかも、本判決を下しているのは、近時の最高裁における「通達は法律じゃねえって言ってんだろ!」傾向をリードしている「第三小法廷」ということもあって。

解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決

 なるべくデカい物言いをしたい、というお気持ちは分からないではないものの。このあたりの言葉遣いには、気を使って欲しかったところです。


 「平等原則」については、《誰と比較するか》という問題があって。
 本判決は、まずは納税者全体と比較し、次に、同じような状況にある納税者と比較する、という手法を採用しています。

 先日の記事では、憲法学が「主観的権利」としての平等原則ばかり論じているせいで、「客観的法原則」としての平等原則の内実が不明と記述しました。

【憲法(学)上の平等権と、租税法上の平等原則】
平等権と、課税公平主義のあいだ 〜最高裁令和4年4月19日判決における「平等原則」とは?

 本論点においても、「1事例に1基準」という憲法学上の縛りのせいで、平等原則TとUの関係性を理解するのに役立つ議論が、見いだせませんでした。


 以上整理したことは、3つの規範の関係性につき「このように位置づけたら分かりやすいのでは」というものにとどまります。

 実務的には、そんな整理はどうでもよくって。
 本当に論じなければならないことは、平等原則Uにおいて、「同じような状況の納税者」をどうやってピックアップするか、そして、どこまでの有意差が出たら平等原則U違反と判断されるのか、という点です。

 が、こういった問題については、本ブログにおいて表立って論ずるタイプの論点ではないので、各自ご研鑽いただければと思います。
posted by ウロ at 10:18| Comment(0) | 判例イジり
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