2026年06月12日

「保育料は必要経費か」はどのように判断すればよいか? 〜《規範の学》としての法学の有用性

 回りくどいタイトルとなっている理由。

 世間の皆様方は、「経費になる!」とか「ならない!」とか、大変威勢のよろしいご意見を開陳されていて。
 とても羨ましいことですな、と思いつつ。

 私自身はどうにも判断がつかないところであり。ではなぜ、私が即断ができないのか、その理由を探ってみようという、言い訳がましい記事となります。


 「必要経費」になる/ならないを論じる際、《直接・関連・通常・客観》などといったレトリックが持ち出されます(私はこれを、規範に使い回されがちなレトリックという意味合いで《規範レトリック》呼ばわりします)。

 が、これらレトリックが規範として有効に機能しているとは、私にはとても思えません。
 本論点に関しては特に、「直接性」を要求するかで結論が分かれるかのような物言いがされることがあります。が、『子どもを預けたので仕事ができた。』という事象をもって、これを「直接的」というのか「間接的」というのか、どうとでも言えるのではないでしょうか。

 たとえば、民法でいう「親族」であれば、明確に数字でもって範囲を確定させているところです。

民法 第七百二十五条(親族の範囲)
 次に掲げる者は、親族とする。
一 六親等内の血族
二 配偶者
三 三親等内の姻族


 これを「親等が近ければ親族」とか「直接的なら親族」などといったレトリックで範囲を確定しようなどいうのは、無茶なわけです。

 五条先生の「無下限呪術」の下においては、どれだけ近づいても攻撃があたらないように(「アキレスと亀」と言わなくて済むのは助かる)。保育と仕事の間に、細かく因子を挟み込んでいけばあたかも「間接的」であるかのように表現できるし。
 他方で、でかい因子をひとつだけを挟んでおけば、あたかも「直接的」であるかのようにも表現できてしまいます。

 「直接/間接」などという規範は、論争性のある事案を切り分けるにあたって、ほとんど機能しえない、と私は思います。


 このように、規範レベルにおいてああだこうだ議論をしてみたところで。個別事案において身のある成果が出るとは思えず。
 では、どうしたらよいかというと。

 話は飛びますが。
 いかにも「規範の学」の典型であるかのような(かつての)刑法学においても。
 一見すると「違法性の本質は◯◯だから△△と解すべき。」のようなドグマティックな《演繹的アプローチ》が幅を効かせているかのようにみえて。むしろ、「他説では事例Aで犯罪不成立となり妥当でない。自説では妥当な結論を導ける。」といった《帰納的アプローチ》のほうが重宝されているように思えます。

 これを参考にすると、(規範からではなく)事例からアプローチする手法(事例アプローチ)が有効ではないか、と考えられます。
 そこで、事例アプローチ(のうち《比較事例アプローチ》)を以下に展開してみます。


 ここでまず思いあたるのが「キャバクラは経費なのに保育料が経費じゃないのはおかしい!」という《子育て/キャバクラテーゼ》です。
 が、このようなテーゼは《比較事例アプローチ》としては不適切であると思われます。

 おそらくですが、《子育てキャバクラテーゼ》では、
  ・子育て=高尚
  ・キャバクラ=下賎
というように、《倫理的》な軸を用いて子育てとキャバクラを上下関係または大小関係に配置し、勿論解釈を展開しているのだと思われます。
 が、ここで問題としているのは「仕事に役立つか」という点であり、この軸から対比しなければなりません(ここで「仕事に役立つか」というのは、いかなる規範を採用しても通用するような、フラットな表現として用いています)。

 たとえば、「子どもを沢山育てているのだから、育てていない人より児童手当を沢山もらえるべきだ」というのは、児童手当は「子育て」を軸として金額が決まるべきものだから、当然に正しい主張です。
 他方で、「子どもを沢山育てているのだから、育てていない人より給料を沢山もらえるべきだ」というのは、給料はあくまでも会社に対する「労務の提供」を軸として金額が決めるべきものなので、正しくないわけです。

 このように、別軸を持ち出して《比較事例アプローチ》を展開することは、(非専門家向けのプロパガンダとしてはともかく)勿論解釈としては不適切なわけです(「子どもを預けて取引先とキャバクラにいったらどちらも経費になるか」みたいな話もでてきうる)。


 では、どのような事例であれば、比較するのに適切となるでしょうか。
 あくまでも、「仕事」との関わりにおいて同じカテゴリに属している事例をあげる必要があります。

 保育料の属するカテゴリが何であるかは、保育料がいかなる意味で「仕事に役立つか」を考えると分かります。それは『家事時間を業務時間に転換する支出』だということです。
 つまり、子どもを預けることで、子育てにあてる時間を業務時間に転換するための支出だと。

 このような、《家事⇒業務》転換カテゴリに属する事例として、次のようなものが思いつきます(保育料も含めて列挙します)。

【家事時間⇒業務時間】
ア 子育て事例
 保育が必要な子どもがいる。自分でフルタイム保育すると仕事ができない。施設に預けることで業務時間を確保できた。
イ 介護事例 
 介護が必要な親がいる。自分でフルタイム介護すると仕事ができない。施設に預けることで業務時間を確保できた。
ウ 積ガンプラ事例 
 未製作のガンプラが溜まっている。自分でフルタイム製作すると仕事ができない。製作代行を頼むことで業務時間を確保できた。
エ 究極カレー事例 
 趣味で究極のカレー造りをしている。自分でフルタイムルーをかき混ぜると仕事ができない。かき混ぜ代行を頼むことで業務時間を確保できた。

 これら事例をみて、アとイは同等に扱うべきだと感じるかと思いますが、ウとエはとてもじゃないが認めるべきではないと感じるのではないでしょうか。

 が、「家事時間を業務時間に転換するための支出」という理由だけでア・イの必要経費性を肯定するならば、ウ・エの必要経費性も肯定しなければならなくなります。
 「アイとウエは違う」というならば、その違いを「仕事」との関係で区別できるような、別の理由付けが必要となります(が、さしあたり私には不明です)。


 《比較事例アプローチ》のもうひとつの手法として、「反対」の事例をあげるというのがあります。

 ここでいう反対の事例というのが何になるかというと、『業務時間を家事時間に転換する支出』になります。
 そのようなものとしては、次のような事例が思いつきます。

【業務時間⇒家事時間】
オ 新幹線事例 
 遠方の出張に新幹線を利用した。在来線よりも移動時間を短縮できたので家族と過ごす時間を増やせた。
カ AI事例 
 AIを利用して業務効率化した。早く帰れるようになったので家族と過ごす時間を増やせた。

 これら事例で必要経費性を疑う人は誰もいないと思います。要は、必要経費性を判断するのに、「転換先」は考慮にいれず、あくまでも「転換元」だけで判断するということです。

 このような視角からすると、「家事時間を業務時間に転換するための支出」という理由で保育料を必要経費に入れるというのは、転換元ではなく転換先で必要経費性を判断すべき、という見解を採用していると評価することができます。
 そしてこの見解からは、オ・カは家事時間確保のための支出だとして、必要経費性を否定しなければならなくなってしまいます。

 オ・カの必要経費性を否定すべきでないというのであれば、やはり「家事時間を業務時間に転換するための支出」という理由とは、別の理由付けを持ってこなければならないということです。
 こちらについても、私にはさしあたり不明です。


 以上、私自身がいずれともはっきり決断をしないことの言い訳にすぎず。いずれかの意見表明をするものではない、という逃げの記事となります。

「保育料は必要経費か」はどのように判断すればよいか?(続) 〜《規範の学》としての法学の有用性
posted by ウロ at 13:29| Comment(0) | 所得税法
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