2022年08月22日

自分のドグマは自分で見えない。 〜「原始的不能のドグマ」再訪

 『他人の見解をドグマ呼ばわりする人、自分もドグマを抱えていることを見落としがち。』

小林秀之「破産から新民法がみえる」(日本評論社 2018)


 潮見佳男先生の「契約各論」の体系書が出ましたので、気になるところをふんわり眺めていたんです。

潮見佳男「新契約各論I」(信山社2021)
潮見佳男「新契約各論II」(信山社2021)

 そうしたところ、例によってひっかかる記述が(I巻199頁)。

(引用ここから)
 マンションの販売業者であるAが,「マンションの北側ベランダから富士山を眺望でき,当社の調査によれば,マンションの敷地の北にある空き地には視界を遮るような建物は建たない」との触れ込みで,分譲マンションの一室(甲)をBに売ったところ,3年後に隣地に高層マンションが建設されたため,Bの居室から富士山を眺めることができなくなったとする。
 このような場合には,@一方で,くA・B間の売買契約において,『マンションの北側ベランダから富士山を眺望することができるマンションを引き渡すこと』が売主Aの債務の内容を成している〉という点に着目したならば,売買目的物(マンション)の品質面での契約不適合を理由とする売主Aの債務不履行責任(民法562条以下)が問題となりうる(もちろん,売主Aの負担した債務の内容が何であったのかをA・B間の売買契約に即して確定する必要がある)。
 他方で,AAとBは,くマンションの北側ベランダから富士山を眺望でき,マンションの敷地の北にある空き地には視界を遮るような建物は建たない〉との事実認識を基礎とし,この認識を合意の内容に取り込んだ(=法律行為の内容とした)という点に着目したならば,法律行為の内容とされた事実認識に誤りがあった(「法律行為の基礎とした事情」についての認識が真実に反していた)ところ(民法95条1項2号にいう行為基礎事情の錯誤),その認識が「表示」されていたとの観点から,Bは,この行為基礎事情の錯誤が民法95条1項柱書の定める重要性要件を充たしたならば,表意者の意思表示は取消しの対象となるその意思表示に錯誤があったことを理由に,意思表示を取り消すことができるのではないかということが問題となりうる。
 この例のように,売買目的物の「品質面での契約不適合」を理由とする債務不履行責任による処理(@)が問題となる局面では,「法律行為(売買契約)の基礎とした事情」についての認識の誤り(行為基礎事情の錯誤)を理由とする取消しによる処理(A)もまた,問題となりうる。そこで両者の適用関係が問題となる。
 債権法改正前の民法のもとでは,この問題をめぐって,錯誤優先説,瑕疵担保責任優先説,選択可能性説が主張されていた。

(引用ここまで)

 錯誤主張、できるってよ。

 この記述自体が、何かおかしいわけではありません。
 が、これと、以前に引用した《不能じゃないと思った⇒錯誤不可》テーゼとは整合するのでしょうか(新債権総論T巻84頁)。

(引用ここから)
 契約に基づく債務の履行が原始的に不能であるものの、当該契約が有効とされる場合には、給付が契約締結時に可能であることに関する錯誤が「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものである」(民法95条1項柱書)ことを理由に、意思表示を取り消すこともできない。「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なもの」とは、旧法95条が「法律行為の要素」と述べていたものに対応する表現であって、その意味としては、表意者がその真意と異なることを知っていたとすれば表意者はその意思表示をせず、かつ、通常人であってもその意思表示をしなかったであろうことを指すものであるところ、原始的不能であるものの当該契約が有効とされる場合は、給付が契約締結時点で可能か不能かは「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要」とみることはできないからである。
 もとより、契約に基づく債務の履行が不能であったことが無効事由・取消事由に該当するときは、このことを理由として契約が無効となったり、取り消されたりすることが妨げられるものではない。

(引用ここまで)

ドキッ!?ドグマだらけの民法改正
潮見佳男「新債権総論1(法律学の森)」「新債権総論2(法律学の森)」(信山社 2017)


 マンション事例については、隣地マンションの建設時点でのバリエーションがありえます。

  1 契約締結前に建設済み
  2 契約締結後、引渡前に建設完了
  3 引渡後に建設完了

 もちろん、マンション建設自体、予定から建設完了まで幅のあるものです。が、改正後は、いつ時点云々は契約解釈のための一要素にすぎず、原始的/後発的かどうかでガラッと結論がかわるものではありません。
 ので、記述としては建設完了時と一時点に単純化して表現しておきます。

 同じように、かつての原始的不能の事例であげられていた「契約締結時には別荘が全焼していた」という別荘事例も、全焼時点でのバリエーションがありえます。

  1 契約締結前に全焼
  2 契約締結後、引渡前に全焼
  3 引渡後に全焼

 こう並べると、別荘事例1が原始的不能だというならば、マンション事例1も原始的不能なんじゃないのかと。
 マンション事例1が原始的不能でないというのだとしたら、まさしく《特定物のドグマ》そのものよ。マンションそのものを引き渡しているから不能じゃない、などといった理由付けをせざるをえないわけで。

 そして、両事例の1〜3は時点が違うだけの「不能」グループとしてひとつに括れるのではないかと。「不能」というと紛らわしいなら「契約不実現」でもいいです。
 要するに、マンション事例における「隣地マンション建設」と別荘事例における「全焼」とは、契約の効力にとって同じ事由なんじゃないかということです。


 上記2つの引用の直接的な記述は、マンション事例3⇒錯誤、別荘事例1⇒錯誤不可、と契約不実現の時点が違うものを想定しています。
 が、もし両事例とも同じ「不能」といえるのならば、何の違いによって、3が錯誤で1が錯誤でないといえるのでしょうか。改正法は、原始的/後発的の違いによるカテゴリカルな区別は廃棄したはずです。そして、そのことをもって「旧ドグマ潰してやったぜ」とイキリちらしていたはずです。

 もし、契約締結時に「建設/全焼」であることが当事者にとって「重要」でないといえるのだとしたら、それが契約締結以降に生じた場合であっても、同じく「重要」でないことになるのではないでしょうか。

 ・契約締結時に建設されていないこと/全焼していないこと
 ・契約締結後に建設されないこと/全焼しないこと

 むしろ、契約締結から時間が経過するに従い、リスクは売主から買主に移っていくものではないのかと。
 契約締結時点で別荘が現存していることが重要だとした場合でも、引渡後に出火しないことまではカバーしないのが通常でしょう。隣地マンションの建設についても、不建設が契約の前提となっていたとしても、一定の年限があるはずで「エターナル眺望保証」はありえない。

 ので、かつての《原始的不能のドグマ》が契約無効とまで主張していたのは言い過ぎだとしても、後発的不能と比べて売主側にリスクを寄せていたのは、方向性としては間違っていなかったといえます。
 他方で、3が錯誤で1が錯誤でないというのは、リスクの分担が逆転しているわけで、どういう理由がつけられるのでしょうか。

 旧ドグマ 原始的不能: ⇒契約無効
      後発的不能: ⇒債務不履行・危険負担

 新ドグマ 原始的不能: ⇒錯誤不可
      後発的不能: ⇒錯誤可


 412条の2第2項の解釈として、《ここに直接書いてあることは「原始的不能でも損害賠償できる」ということだけだが、実は、原始的不能の場合のみ意思表示ルールを排除するという内容が隠れている》とでも読み込めばよいのか。
 なかなかのアクロバティック解釈。ですし、2つ目の引用の記述では、錯誤以外の無効事由・取消事由がありうることは排除されていません。同条の解釈で錯誤の場合だけを排除するのは無理がある。
 なぜ原始的不能だけ除け者にされるのかの実質的な根拠も示されていませんし。

 そうすると、95条の「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なもの」の解釈として読み込むしかないのでしょう。が、以前述べたとおり「契約締結時に履行が可能か不能かなんて契約当事者にとって重要でない」などという、いかにも非常識な理由付けをしなければならなくなります。と同時に、「契約締結後の不能は重要である」ともいわなければなりません。

 なかなかの狭き門。

 同条の「表意者が法律行為の基礎とした事情」の解釈でコントロールするにしても同じことです。
 別荘が契約締結時に現存しているかどうかは法律行為の基礎とならないが、引渡後に隣地にマンションが建たないことは法律行為の基礎となる、などというだけでは《僕がそうするべきだと思った》以上の理由になっていない。単なるご都合解釈。
 その物を引き渡せば履行になる、という《特定物のドグマ》のある意味逆バージョン。その物を引き渡せるかどうかはおよそ法律行為の基礎にならないのに、それ以外の事情は法律行為の基礎になるといっているわけで。


 この原始的不能を錯誤から排除しようとする所作、不能の問題を債務不履行に一本化したいのでは、と以前邪推しました。
 が、請求権競合問題について、潮見先生は「選択可能性説」を採用しています(規範調整とかおよそありえないわー、ぐらいのノリで書いている気がする)。
 そうすると、マンション事例のような場合においては一本化を志向していないということになります。

 ますます別荘事例でのみ錯誤を排除することとの違いが分からない。

 《原始的不能のドグマ》を徹底的に毛嫌いしていることと、原始的不能「だけ」を錯誤「だけ」から追い出そうとしている、というところまではわかりました。
 一体ここまでの見解を主張させようとする因子は何であるのか。なにがしかの《ドグマ》(新・原始的不能のドグマ)が背後に存在しているのでは、と思わずにはいられない。

 旧・原始的不能のドグマ:原始的不能なら契約無効 
 新・原始的不能のドグマ:原始的不能の思い違いは錯誤にならない

 旧・特定物のドグマ:その物を引き渡せば債務不履行にならない
 新・特定物のドグマ:その物を引き渡せば原始的不能にならない


 以上、散々なことを書いたものの、自分自身が何らかのドグマに囚われていないとは言い切れない。

○民法

第九十五条(錯誤)
1 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第一項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
4 第一項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

第四百十二条の二(履行不能)
1 債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは、債権者は、その債務の履行を請求することができない。
2 契約に基づく債務の履行がその契約の成立の時に不能であったことは、第四百十五条の規定によりその履行の不能によって生じた損害の賠償を請求することを妨げない。
posted by ウロ at 16:51| Comment(0) | 民法

2021年03月29日

金井高志「民法でみる法律学習法 第2版」(日本評論社2021)

※以下は、第2版(2021)の書評です。

 民法学習に使える「ロジカルシンキング」のご紹介本。

金井高志「民法でみる法律学習法 第3版」(日本評論社2024) Amazon

 学説を図表に整理するなどの手法は初学者には参考になるかもです。
 が、その手の遣り口は「予備校本」のほうが徹底的で、サンプルに事欠かない。

 ※なお、税理士的には図解モノはこちらを推奨。

図解 民法(総則・物権) 令和元年版(大蔵財務協会2019) Amazon
図解 民法(債権) 令和元年版(大蔵財務協会2019) Amazon
図解 民法(親族・相続)令和5年版(大蔵財務協会2023) Amazon

 民法学習にロジカルシンキングを導入することで、従前の議論で見落とされていた視点を獲得することができる、などといった「カタルシス」を得られる実例でも書いてあればいいのですが、そこまで込み入った活用はされていないです。
 あくまで初学者向け、ということなんでしょうかね。

【要件事実論とカタルシス】
伊藤滋夫編「租税訴訟における要件事実論の展開」(青林書院2016)

 たとえば、成立要件と効力要件の区別について、本書では一般的な教科書の理解に従い整理されています。
 が、具体的に考えてみると、その区別にはよくわからないことがあったりします。あるいは、条文上も必ずしも講学上の区別どおりに使い分けられていなかったりします。
 このあたりのモヤリについて、ロジカルシンキングの観点から深く突っ込んでみたりしてくれれば、面白いかもと思ったり。

【成立要件/効力要件】
私法の一般法とかいってふんぞり返っているわりに、隙だらけ。〜契約の成立と印紙税法
続・契約の成立と印紙税法(法適用通則法がこちらをみている)
続々・契約の成立と印紙税法(代理法がこちらをみている)

 実践編として課題を思いついたので、ちょっと書いておきます。

課題
1 条文上の「成立」「効力」が、講学上の成立要件・効力要件に対応しているか確認してみよう。
2 「請求することができる/できない」など、「成立」「効力」という用語を使っていないもので成立要件・効力要件と思われるものを集めてみよう。
3 節などのタイトルが「○○の効力」となっているものにつき、その中身が講学上の効力要件を定めたものになっているか確認してみよう。

 

 ロジカルシンキングを勉強したいのであれば、まずは正面からロジカルシンキングの本を読むのが、むしろ近道。

 「自分で民法に応用するの大変じゃん」て思うかもしれません。
 が、ロジカルシンキングの本を読んでいながら自分でその知識を民法学習に応用できないのだとしたら、それはロジカルシンキングがちゃんと身についていないということです(本書にもちゃんと、使いこなせるようになれ、と書いてある)。

 「自分の力で民法学習に応用する」という関門をショートカットしてしまうのは、多大なる機会損失、と私は思います。

 ので、本書は一度自力で関門を突破した後の確認用、として使うのがよいのではないでしょうか。
 あるいは、ある程度勉強が進んで行き詰まった段階で、自分に役に立ちそうなパーツを見つける、という使い方がよいかもしれません。


 「ご紹介」感を強く感じてしまったのが、第9章。
 (というよりも、この章の影響で本書全体の評価が上書きされてしまったのかも。)

 旧司法試験の論文問題を題材としていながら、中身は事例の図式化と答案構成の仕方・答案の書き方がメイン。

 問題を解いたことのない人がロジカルシンキングを使ってゼロから答案作成ができるようになる、というのではなく、すでに解答できる実力のある人がロジカルシンキングで答案構成能力を底上げをする、といった趣が強い。
 もちろん、賢い人ならこれだけ読んでもいきなり答案書けるようになるのかもしれませんけども。

 自分の持っている知識をどのように引っ張り出してくればいいのか、そのためには普段知識をどのように整理しておけばいいのか、などを試験問題から逆算できるようにしておいてくれれば、ロジカルシンキングを実践的に身につけることができたのではないでしょうか。

 本書の解説は、すでに分かっている人向けのきれいに仕上がったものに感じました。もしも初学者向けだというならば、その一つも二つも手前の段階からの解説が必要ではないかと。

 「ロジカルシンキング」+「民法学習」という観点からすれば、単に「答案を書く」目的で本試験問題をネタにするのはもったいない。
 たとえば、ということで少し考えてみたのですが、長くなりそうなのでこちらは次週にまわします。


 あと、なぜか本書に欠けているのが民法学習における『判例』とのお付き合いの仕方。

 当ブログでは、『判例』を軸にした法学学習にはどちらかといえば否定的な書き方をしているところではあります(『カギ括弧』付きなのは含みがあってのことです。直接触りたくないから割り箸で摘む的な)。

内田貴「民法3(第4版)債権総論・担保物権」(東京大学出版会2020) 

 そこには、法学学習はまずは「通常事例」からスタートすべき、という考えが根底にあります。
 ではありますが、だからといって学習上いつまでも『判例』を無視することはできません。

 ので、『判例』とのお付き合いの仕方・距離感のとり方が重要になってきます。
 少なくとも、長大な判決文をとにかく読め、みたいな無謀なやり方に出くわす前には、『判例』の消化の仕方を学んでおくべきでしょう。

 『判例』ほど、ロジカルシンキングで「粗探し」するのに最適な素材はないと思うんですけど。
 どうしたって事案の解決第一で、ロジックに粗が出がちです(なので、『判例』を有難がって拝読する学習法には批判的なわけです)。

【判例粗探し】
判例イジり(カテゴリ)

 なお、「レトリック」という観点からですが、下記書籍の第三編「第三章 判決批評−連邦通常裁判所刑事判例集」における判決イジり、とても参考になります。
 全く裏付けをとっていませんが、メジャーどころの判決解説ものでこのタイプの判決批評、おそらく存在しないんじゃないですかね。

フリチョフ・ハフト「法律家のレトリック」(木鐸社1992) Amazon


 実践的な民法学習法を身につける、という観点からすると、本書の構成を逆転させたほうがよいのかもしれません。

 すなわち、本試験問題を最初に置いて、最終的に問題を解けるようにするためには、普段からどのように学習していけばよいかを逆算していくと。
 もちろん、当該問題の模範答案を書くためだけでなく。あらゆる問題に対応できるための解決力を身につけるようにすると。試験問題は問題思考を育てるために使う。

 そうすれば、ロジカルシンキングを整理のための整理として使うのではなく、明確な視点をもって使いこなせるようになるのではないでしょうか。
 あくまでも思いつきで言っているだけですが、ご紹介で終わらせないための一つの手法かと思います。


 ところで、166頁にまるまる1頁使って「法律解釈のフローチャート」というのが載っています。

 このチャートにどうにも違和感があるのですが、こちらの中身も長くなりそうなので次々週にまわします。

法律解釈のフローチャート(助走編)
posted by ウロ at 10:04| Comment(0) | 民法

2020年06月15日

内田貴「民法3(第4版)債権総論・担保物権」(東京大学出版会2020)

 2017年民法改正(債権関係)の総本山。
 同改正を反映した教科書はすでにあれこれ出ているところ、満を持して登場(ジャケが完全に春日狙い)。

内田貴「民法3(第4版)債権総論・担保物権」(東京大学出版会2020)

http://www.utp.or.jp/special/CivilLawIII/

最近の気になる本

 下記記事でネタにした本は、当初何気なく読んでしまいツッコミが出遅れました。

後藤巻則「契約法講義」(弘文堂2017)

 ので、今回は同じ鉄は踏まじと、初めからツッコむ気満々で読み始め。
 が、それほどの取っ掛かりもなく読了。

 「債権者代位権、債務名義いらないのがメリット」みたいな記述に対するツッコミ程度のことは、もう上記記事で出尽くしてしまっています。
 ならではのツッコミ、というのがありませんでした。


 とにかく沢山のことが書いてあって、特に金融絡みでの今どきな制度の使われ方の解説などは、他書にない特徴だと思います(カタカナ用語が沢山でてくるやつ)。

 が、記述の「構造化」がされておらず、最初から最後まで平地をひたすら転戦していくようなイメージ。

【民法構造化の極地】
山本敬三「民法講義1(第3版) 総則」(有斐閣2011)
山本敬三「民法講義4-1 契約」(有斐閣2005)
(※改訂が待たれる)

 オープンワールドゲームとかいいながら、予算がないので見渡す限り全面平地です(フェアリーバース)、とか言われたら退屈するでしょ。

【良いオープンワールドゲーム例】
ゼルダの伝説 BREATH OF THE WILD(任天堂2017)
ゼルダの伝説 TEARS OF THE KINGDOM(任天堂2023)

 どこまでいっても個々の制度の説明に徹していて、総論チックな記述はおそらく意図的に排除しているように感じます。

 他方で、内田先生の著書には、下記のようなアメリカ契約思想を日本の契約に持ち込もう的なものもあったりします。
 ので、教科書はあくまで教科書だ、ということで本書は内田先生ご自身の法学教育観を徹底した記述になっているのだと推測。

内田貴 契約の再生(弘文堂1990)
内田貴 契約の時代(岩波書店2000)


 なお、第4版では「実務に役立つことをも視野に入れて執筆することを心がけた」とはしがきに書いてありました。
 が、私にはどのあたりがその心がけの成果なのかが読み取れませんでした。
 これは、私が学者本に期待する「実務に役立つ」というものが下記記事のようなものだから、という個人的な事情からでしょう。

森田宏樹『契約責任の帰責構造』(有斐閣2002) 〜印紙税法における「結果債務・手段債務論」の活用 

 実務に「直接」役立たせたいなら『〜の法務・税務』みたいな本を読めばすむわけで。
 わざわざ遠回りな学者本を読むのは、視線を数段階上に引き上げてくれることを期待しているからです。

 まあ、このへんは私の読み込み不足のせいなんでしょう。

 という感じで、私としては、この本を基本書ポジションに据えて通読するのではなく、他の教科書でよくわからなかった箇所だけつまみ食い的に読んでみる、という使い方がよいように思います。
 体系っぽさが弱いおかげで、そういうつまみ食い的な読み方が許されることになっている。


 債権総論の中の履行確保の手段の部分と担保物権を「金融取引法」としてまとめている、というのが本書の特徴の一つのようにも思えます。

 が、おそらく普通の教科書としても使えるようにするためでしょうか、一冊にまとめたというくらいで、内容的に一体として論じられているわけでもないです(重たいから、てことで分解して使っても支障がないと思われる)。

 これに対して、執行法や倒産法まで視野に入れて一体として論じているのが森田修先生の本。

森田修「債権回収法講義(第2版)」(東京大学出版会2011)
(※改訂が待たれる)

 森田先生の本は一定程度の基礎知識があったほうが読みやすいので、森田先生の本の副読本ポジションとしてなら、うまくはまる気がします。
 森田先生の本が改正対応していない今なら、改正部分の確認もできますし。


 なお、「事例形式でわかりやすい」ように一見思えますが、事例で説明しているのってほぼほぼ判例がある論点ばかりです。
 潮見佳男先生の教科書が、なんでもかんでも事例で書いてあるのとは違う。

潮見佳男「プラクティス民法 債権総論(第5版補訂)」(信山社2020)
潮見佳男「詳解 相続法 第2版」(弘文堂2022)

 たとえば、「保証」の改正のところとか、あれこれ細かい要件が条文に書き込まれました。
 そこで、これら改正がどういう状況を想定して規定されたのか、とかを具体例で理解したいわけです。
 が、そういう箇所は条文引き写しで終わってしまっていたり。

 「判例の明文化」系の改正は従前の記述の延長で理解すれば済むわけで、「新設」系の改正こそ、しっかり事例で説明してほしい。


 なお、このブログでは、(実務家のくせに)判例中心の学習法に対しては、どちらかというと批判的なスタンスを示してきました。
 それは、判例から判例に渡っていく学習法だと、そこから漏れる穴ができるから、というところにあります。

 あるいは、まずは「通常事例思考」をしっかり身につけるべきだろうと。

【通常事例思考】
内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)
米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)
「定期同額給与」のパンドラ(やめときゃよかった)

 判例がないから重要でないか、というと必ずしもそうではない。
 ですし、判例が無いせいで誰も正面から論じている人がいなくって、参考になるような文献が皆無ということが起こるわけです。

 このブログでやっていることは、そういった穴をほじくって、あとは頭のいい人たちの議論にお任せする、というのを期待しているということです。

内田貴「高校生のための法学入門」(信山社2022)
内田貴「法学の誕生」(勁草書房2018)
内田貴「制度的契約論」(羽鳥書店2010)
posted by ウロ at 11:49| Comment(0) | 民法

2020年03月09日

窪田充見「家族法 第4版」(有斐閣2019)

 家族法の教科書。親族法と相続法をカバーしています。

 2018年の相続法改正や2019年の特別養子の改正までフォローしているので、旧版を持っている人でも買わざるをえないところ。

 窪田充見「家族法 第4版」(有斐閣2019)

 親族法と相続法を両方カバーしているとはいえ、668頁というのはなかなかのボリューム。

 なぜこんなボリュームになるかというと、通常の教科書でいうところのいわゆる「行間」を、ぐいっと広げて、我々常人が理解できるレベルになるまで、そこにひたすら言葉を詰め込む、ということをしているせいです。

 駄菓子屋のおばあちゃんが、おまけとかいって袋にものすごい量のお菓子を詰め込んでくれる的な、親切心に溢れた所作(こういう喩えは、もはや伝わらない世代が多いのでしょうか)。

 その、論理飛躍のない地の足についた説明のおかげで、ボリューム感をあまり感じずにスムースに理解することができます。
 下手に「条文引き写し系」の薄い本を読むよりも、理解するのは早くなると思う。

 逆に、丁寧な説明をしたせいで、いまいち論理が薄いところがあぶり出されてきます。
 が、そういった箇所は率直にそういうものとして言ってくれるので、安心して読めます。

 ひたすら文章による説明で、図表の類がほとんど出てこないのは、あえてそうしているのかどうか。

 同じコンセプトで、『不法行為法』も出ています(むしろこちらがご専門)。

窪田充見「不法行為法 第2版」(有斐閣2018)


 ちなみに、潮見佳男先生の「詳解 相続法」は相続法だけで756頁もあります。

潮見佳男「詳解 相続法 第2版」(弘文堂2022)

 さぞかし説明が丁寧かと思いきや、そうではなく、ものすごい数の「CASE」が載っているせいでこうなっています。
 本文の解説自体は簡潔なところがほとんど。「事例で語る」といった趣の(「事例を」ではなく)。

 という感じなので、窪田先生の本で理解した知識を潮見先生の「CASE」で実践してみる、という使い方をすると良さそう。


 個人的に、「お!」と思った文章。

 「個人的なことになるが、具体的相続分の計算という問題、筆者は、比較的好きである。計算ばかりであんまり好きではないという諸君も多いのではないかと思うが、そうした計算の前提となる仕組みの中には、相続をめぐる基本的な問題が見え隠れしていると感じられるからである。」

 私のブログを読んでくれている人であれば、なぜこの文章を引用したかお察しいただけるかと思います。

 これとの対比をするためです。
 
三木義一ほか「よくわかる税法入門 第17版」(有斐閣2023)

 「この本を読んだ方が、税法の中に数式ではなく、人々の生活の息吹や社会の動きを感じ取って、税法の面白さを少しでも理解してくれたら」

 行為/裁判規範がらみで散々イジった本ですが、この数式に否定的な見方をする税法教科書と、肯定的な見方をする民法教科書とのコントラストを味わってどうぞ(勝手に対立を煽る)。

税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)

 煽っておいてなんですが、後者の文章も、本当は窪田先生と同じ趣旨のことを言いたかったのかもしれませんね。
 が、やっぱり数式「ではなく」はないよなあ。


 巻末に「特別講義」として、「家族法×税法」の絡みについて佐藤英明先生と対談されています。

 佐藤先生も、窪田先生と同様に分かりやすい教科書をお書きになる先生です。

佐藤英明「プレップ租税法 第4版」(弘文堂2021)
佐藤英明「スタンダード所得税法 第4版」(弘文堂2024)

 比較的丁寧に説明してくれているものの、多分これだけ読んでも理解するの難しいと思う。
 ここは、なんかそういう論点があるんだなあ、くらいの雰囲気が掴めればいいんじゃないんですかね。
 で、あとは佐藤先生の教科書を読むと。

 いっそのこと、巻末のおまけなどではなく、独立の一冊ものとして、家族法全体を税法の観点から総点検する本を、このお二人で作ったほうがいいんじゃないでしょうか。


 ところで、窪田先生は「はしがき」の中で、太田武男先生のおかげで、的なことを書いています。
 のに、〈参考文献〉には太田先生の教科書がなぜか掲げられていない。

 なぜだ?

太田武男「親族法概説」(有斐閣1990)
太田武男「相続法概説」(一粒社1997)

 もちろん、古いとか入手困難とかで載せないってことはありますが、〈参考文献〉には古くて入手困難な本も載っているんですよね。
posted by ウロ at 13:36| Comment(0) | 民法

2019年12月02日

池田真朗「スタートライン債権法(第6版)」(日本評論社2017)

※2020年に第7版が出るとのこと。
 第6版は債権法改正成立直前の出版ですが、改正法の評価について第7版でどこまで突っ込んで書かれているかは気になります。表現上の手直しくらいにとどめているかもしれませんが。

池田真朗「スタートライン債権法 第7版」(日本評論社2020)

 1995年に初版が出版されてから2017年で第6版。
 それだけでも、大変人気のある本だと分かります。

 実際、個々の制度の説明はとてもわかり易い、わかり易い(2回言う)。
 危険負担における「債権者」と「債務者」とか、初学者が躓きやすい箇所をしっかり解説されていたり。

 が、ガチの初学者が一冊目として通読するにはしんどいかな、というのが個人的な感想。

 というのも、本書のカバーする領域は「債権総論」と「債権各論」で、前半各論・後半総論と順序を入れ替えてはいるものの、それぞれの中身自体は民法の条文どおりの並びになっています。
 特に「債権総論」の編成なんてパーツ感が強いので、頭から読んでいくのきついと思う。

 ここまで教育的配慮を尽くしていながら構成は民法の編成どおり、というのはあえてそうしているんだと思います。
 おそらく、どの大学の講義でも使いやすいように独自の組み換えはしない、ということかなあと。

 最初に書いたとおり、個々の制度の説明はとてもわかり易い(3回目)。
 ので、たとえば米倉明先生の「プレップ民法」のような入門書を読みながら、理解できなかった制度をこの本で理解する、といった利用方法がよさそう。

米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)


 個人的には「ルール創りの観点から」と題するコラムがとても面白かったです。

 2017年の債権法改正について、(改正法案の段階ですが)かなり批判的な観点から触れられています。
 学者の学理的な関心からの改正になってしまっていて市民にとってわかり易いルールにするための改正になっていない、といった感じの。

 まさしく仰るとおりで、私もこのブログでかなりイジってきたところです。

【債権法改正イジり】
ドキッ!?ドグマだらけの民法改正
時効の中断・停止から時効の完成猶予・更新へ
私法の一般法とかいってふんぞり返っているわりに、隙だらけ。〜契約の成立と印紙税法
どんな子にも親に内緒のコトがある。 〜民法98条の2の謎に迫る(迫れていない)
潮見佳男「新債権総論1(法律学の森)」「新債権総論2(法律学の森)」(信山社 2017)
潮見佳男「基本講義 債権各論 第4版」(新世社2021,2022)
後藤巻則「契約法講義」(弘文堂2017)
加賀山茂「求められる改正民法の教え方」(信山社2019)


 初学者が読む入門書、という観点からして気になった箇所をいくつか。

第18課 多数当事者の債権関係(1)

 分割債権・分割債務を同時に記述しようとして、どっちがどっちだよと悩まされる記述になっています(不可分債権・不可分債務も)。
 「債権者」とか「債務者」とかどっちのことをいっているのか、一読して分かりにくい。

 自分の頭で解きほぐすトレーニングなんでしょうか。「売主ら」とか自分で読み替えていく感じの。

 第19課の連帯債務・保証債務では債務者側が複数の場合に記述を絞っているので、同じようにすればいいのに。

第21課 債権譲渡

 譲渡通知が「観念の通知(表示)」か「意思表示」かみたいなことが書いてあるけども、それを論ずる実益が書いていないので、初学者にはなんのことやら分からないと思う。

第22課 債務引受・契約譲渡

 債務引受とか履行引受とか、譲受人・引受人が何のためにわざわざ負担を引き受けるのかが書いていないので、イメージがしにくい。

池田真朗「スタートライン民法総論 第4版」(日本評論社2024)
タグ:入門書 民法
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2019年10月28日

米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)

※2024年7月に「第5版増補版」がでるようです。以下は「第5版」(2018)の書評。

 「法学学習」という観点からみて、1つの望ましいかたち。

米倉明「プレップ民法(第5版増補版)」(弘文堂2024)

 下記記事で引き合いに出しましたが、正面から記事にしておきます。

内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)


 一般的に、民法の学習単位は、

  民法総則
  物権法
  担保物権法
  債権総論
  契約総論
  契約各論
  事務管理・不当利得・不法行為
  親族法
  相続法

と、民法典の編成に倣っているのがほとんど。
 順番を組み替えるなどの工夫はされることはあるものの、上記単位より小さくバラすことまではされていない。

 大学だと複数教員で分担することになるので、最大公約数的な意味合いで民法の編成に倣わざるをえないんですかね。

 が、民法総則なんて特にですけど、抽象化抽象化を繰り返した末の制度の寄せ集めなわけで、それ単体では理解しにくい。
 完成図がわからない1000ピースパズルを組み立てるくらいの苦行(しかも端っこのピースが除かれている)。

 なわけで、「学習」という観点からすれば、民法典の編成に従うのは悪手だ、というのが私の見立て。

 じゃあどうすればいいのかというと、民法典の編成に拘らず個々の契約類型ごとに学習していくというのが望ましいのでは、と思っています。

 民法典の編成は、知識を整理するための「お道具箱」として活用する感じで。


 で、この本。

 この本では不動産売買契約を軸として、

  第1章 ⇒不動産売買契約のノーマルな状況
  第2章 ⇒不動産売買契約のアブノーマルな状況
  第3章 ⇒その他のサブシステム

といった構成になっています。

 (※もとの章タイトルは以下のとおり。
  第1章 売買の交渉から契約の成立、その履行終了まで
  第2章 契約が履行されなかったときの法的処理
  第3章 その他の紛争の法的処理)

・民法典の編成を無視
・特定の契約類型を軸にした解説

なので、基本的に1つの事例を思い浮かべながら読み進められます。
 あれやこれやの事例が出てくるせいで逐一頭を切り替えなきゃいけない、という事態にならずにすむ。

また、

・ノーマルな事例からイレギュラーな事例へ

という流れなのも理解しやすいです。

 今どきは「事例でわかる」とか「事例で学ぶ」といったタイトルのついた本が沢山でています。
 なんですが、そこでいう事例は、判例の事案をベースにした論点もりもりな事例であることがほとんど。

 でも、最初の段階では、当該制度を普通に利用した場合の事例から始めたほうがよいと思います。

【通常事例思考について】
 フリチョフ・ハフト「レトリック流法律学習法」(木鐸社1993)

 さらに、

・論点解説の中で、民法解釈方法論にも触れられている。

といったところもよい。

 たとえば、

  実質論と形式論
  要件と効果の関係
  解釈論と立法論
  利益衡量の方法
  一般条項の用い方
  法律概念の相対性

などについて、論点解説の流れの中で丁寧に説明されています。

 こういう方法論て、それだけを取り出して説明するよりも、個々の論点の中で方法論を展開するほうが理解しやすいはず。


 また、「債権法改正」も反映されています。

 類書だと、改正条文の引き写しで終わらせがちなところですが、この本では、単なる制度の説明にとどまらず、従来の議論との関係も触れられていたりします。
 たとえば、541条但書で「軽微」な場合に解除できないとされたことと「信頼関係破壊理論」との関係性とか。

 あるいは、一応改正はされたけども今後議論の余地があるところを示唆していたり。


 ただ、全くの初心者がいきなり読んでも理解しにくいところはあるかもしれません。

 ので、1回この本を読んで契約類型に即した民法の見取り図を作ったあとに、民法典の編成に従って個々の論点を掘り下げる、そしてまたこの本に戻って知識を整理し直す、という使い方をしてもよいかもしれません、


 とまあ、こういう内容を先日の借地借家法の本に期待して読んだわけです。

 が、残念ながら普通の「借地借家法」の条文判例解説本だった、のでがっかりしたと。
posted by ウロ at 13:40| Comment(0) | 民法

2019年10月14日

内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)

我妻榮『民法案内』という超絶名著がありまして。

我妻榮「民法案内1 私法の道しるべ(第2版)」(勁草書房2013)

 もし、何の条件も無しに「法学の本でなんかお勧めない?」と聞かれたら、問答無用でお勧めするのがこの本。
 この本読んでみて、法学って面白そうと思えれば、その先に進んでみると。


 で、今回紹介する本なんですが、同じ出版社でタイトルに「案内」とあって、しかも「勁草法学案内シリーズ」とかいうシリーズ名が付けられています。

 内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)

 ので、我妻先生の名著のコンセプトをなにがしか受け継いでいるのかと思うじゃないですか。
 が、そういう感じでもなく。

 語尾が「ですます調」で、一応入門書風にはなっています。
 でも、語尾を全部「である」に入れ替えても違和感のない、お硬めの文章。
 いわゆる「語尾だ系」。

 そもそも我妻民法案内は「ですます調」じゃないし。
 それでも読者に語りかけてくる筆致が、名著たる所以なわけです。


 アマゾンの「内容紹介」には以下のようなことが書いてあって、ものすごい良さげじゃないですか。

 規定の内容を断片的に書き並べるのではなく、法制度の趣旨、背景等の本質的なしくみに重きを置き、法が織りなす全体像を縦糸(歴史的沿革)と横糸(比較法、社会的実態)から立体的にわかりやすく解きほぐす。相互の法令を有機的に連関させ、法的・論理的な思考方法をも習得できる。学生、各種国家試験受験生等、はじめて学ぶひとたちへ。

 実際のところは、「条文+判例紹介」が記述のほとんどを占めています。

 この手の本にしては、判例の紹介が多めなので、判例の動向を把握するにはいいのかもしれません。
 が、入門書ポジションだとしたら、あまり望ましくない。
 そういう役割は、判例付き六法でもこなせることで、入門書の役割ではない。

 有斐閣判例六法Professional 令和6年版(有斐閣2023)
 有斐閣判例六法 令和6年版 (有斐閣2023)


 次々と判例の紹介がされていくんですが、判例から判例へつないでいく感じの記述なので見通しがよろしくない。
 「賃料債権と物上代位」のところとか、あれこれ判例の展開が書かれているんですが、で、結局どういうルールなの?ということが読み取りにくい。
 色々パターンがある中で、どのパターンにまだ判例が無いのかとか、これまでの判例からすればどのような帰結になりそうか、とか、そういったことが検討しにくいわけです。


 判例になるような事案て、要するにイレギュラーな事例です。
 そういう事例ばかり並べられても、断片的な理解になってしまいがち。

 判例を沢山知っている、じゃあ借地借家法を日常使いできるか、というと、まあ無理ですよね。

 もちろん、紛争予防のために判例を勉強する、というのは有りですが、判例で問題になった事案なんて世の中にある借地借家問題のうちの一部分にすぎません。
 どれだけ大量に判例を勉強したところで、それは実務のうちの一部分にとどまるわけです。
 
 判例にならない領域というのが確実にあって。
 このブログでもよく対比しているように、「紛争系」に対する「日常系」の領域。

 判例を詳述するならするで、あわせて「判例の読み方」も書いていてくれていればいいんですが、そういう方法論が書かれているわけでもなく。


 ちなみに、このあたりのこと、下記の本で「通常事例思考」と言われているものと同じものだと、私は勝手に思っています。

 フリチョフ・ハフト「レトリック流法律学習法」(木鐸社1993)

 この本、『法学学習本』として私の中では最高峰の本なので、しっかり読み直してからちゃんと紹介したいところ。
 タイトルの「レトリック流」というのが、「ビームサーベ流」ぽくてアレなんですが。


 話は戻って、いろいろ気になる記述はあるんですが、主なものだけ。

・「定期借地権」のところ、事業用が二種類(10〜30年と30〜50年)あるのなんで?と思ったんですが、それぞれの制度の内容が並列的に書かれているだけで、そういう視点からの記述がありません。

・民法(債権関係)改正(案)を反映しているとあるんですが、あくまでも601条以下の「賃貸借」の改正箇所がメイン。
 たとえばですが、「根保証」の改正のような、保証人条項に大きく関わる改正については触れられていません(同じことを下記の記事でも書きました)。

 後藤巻則「契約法講義」(弘文堂2017)

 「担保責任」の改正については、改正内容だけは書かれているのですが、この改正が借地借家関係にどのような影響を及ぼすのか、といったことが書かれていない。売買の条文をなぞっただけ。

 実務本でもない、民法学者の書く「借地借家法」単独の本に期待するとしたら、「賃貸借」の箇所の改正のみならず、それ以外の箇所の改正も含めて、改正法を借地借家関係に当てはめたときにどのように投影されるか、ということではないかと思います。
 ある特定の契約類型を前提になされた改正が、借地借家関係とうまく接合するのか気になるわけですが、まあそういう視点では書かれていない。

・立退料の支払と物件明渡しの関係が先履行か同時履行かって話で、執行文付与とか強制執行開始の要件とかってことがちらっと書いてあります。これだけ書かれたって初学者は理解できませんよね。

 すでに「手続法」も一通り勉強していることを前提としてしまっているんでしょう。

 が、上記記事でも書いたとおり、手続法について書くならそれだけ読んで理解できるように書いてほしい。
 入門書のつもりならば。

 「民事執行法」などで一般的に議論されていることが、借地借家関係に当てはめたときにどうなるか、というのは、「民事執行法」側でも正面から論じられているわけでもないですし。

紙幅の関係云々いうなら、はじめから書かなければいいし。


 ここまで書いてきてふと思ったのが、米倉明先生の『プレップ民法』のこと。

 米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)

 こちらは「民法を勉強したい」と言われた場合に必ず勧める本です。

 この本では1つの売買契約を軸に、民法の財産法全体を解説しています。

 私が民法の教科書に対して常々不満に思っている、パンデクテン方式の編別順に学習していくことの理解しにくさや、論点ごとに想定されている契約類型があれこれ変わってしまうといった問題点が、見事に解消されています。

 今回の本も、借地借家法の解説をメインにするのではなく、借地借家契約を軸にして民法全体を解説する、という本にすればよかったのに、と思いました。

 売買の場合は売主と買主の力関係は場合によって入れ替わりますが、借地借家の場合は、例外はあるにせよ一般的には、貸主(強い):借主(弱い)という力関係が多いはず。
 ので、利益衡量の手習いをするには、売買よりもやりやすいでしょうし。

 また、不動産売買をしたことがなくても不動産賃借はしたことがある、という人は多いと思うので、自分の身におきかえて想像することもしやすいでしょうし。


 ということで、借地借家法の「入門書」に期待するとしたら、

・民法の知識を前提とせず、むしろ(借地借家にかかわる)民法の知識も身につけることができる。
・手続法の知識を前提とせず、むしろ(借地借家にかかわる)手続法の知識も身につけることができる。
・民法や手続法で議論されていることを、借地借家関係に投影したときにどうなるか具体的に検討している。
・借地借家法の勉強をしながら、法学の学び方や判例の読み方も勉強することができる。

といった感じ。
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2019年07月08日

平井宜雄「債権各論I上 契約総論」(弘文堂2008)

 本物の、契約「総論」の教科書。

平井宜雄「債権各論I上 契約総論」(弘文堂2008)

 「本物の」と形容した理由を、少し敷衍してみます。


 民法典の編成と、民法学(財産法)における講学上の編成を対比すると、次の通り(講学上のほうは、あくまで最大公約数的な)。

(民法典 ⇒ 民法学)

 第一編 総則    ⇒民法総則
 第二編 物権    ⇒物権法
 第三編 債権 
  第一章 総則   ⇒債権総論
  第二章 契約 
   第一節 総則  ⇒債権各論(契約総論)
   第二節 贈与〜 ⇒債権各論(契約各論)
  第三章 事務管理 ⇒債権各論(事務管理)
  第四章 不当利得 ⇒債権各論(不当利得)
  第五章 不法行為 ⇒債権各論(不法行為法)

 並べてみて、いくつか疑問が思い浮かぶんですけど、

・物権法というなら、「債権法」ではないのか。

・不法行為だけ「法」がつく(つきがち)のはなぜか。
(穿った見方をすると、『事務管理・不当利得・不法行為法』をそのまま分解しただけのような。
 が、『手形・小切手法』を「手形」と「小切手法」に分けたら明らかにおかしいわけで。)

・民法総則というなら、債権総論は「債権総則」、契約総論は「契約総則」ではないのか。

 こういった法典との微妙なズレ、なにか明確な理由があるならいいんですが、そういった説明をちゃんとしてくれているもの、見かけたことないです。

 で、3つ目の疑問が、今回の主題になります。


 実際のところ、債権総論や契約総論で扱われている事項って、それぞれの総則に規定されている制度の説明にとどまることがほとんど。

 総則規定とは区別された「総論」なるものが、正面から論じられているわけではない。

 もし、総論ぽいことがちょっとでも書いてあれば「総論」と名乗っていい、というなら、逆に「民法総則」を「民法総論」と呼ばずに、頑なに「民法総則」であり続けている理由はなぜなのか。
 むしろ「民法総則」こそ、最初に勉強する領域ってことで総論ぽいことをそれなりの分量やるはず。
 なのに、あくまでも「民法総則」なんですよね。


 という前置きがあって。

 平井宜雄先生のこの本は、契約法の『基礎理論』というものを正面から扱っていて、これこそ「契約総論」と名乗るのに相応しい教科書です。

 契約とは何かということやその機能がしっかり論じられていたり。

 普通の教科書だと、民法総則の「意思表示の解釈」に依存しがちの「契約の解釈」についても、「契約の」ということを意識的に正面に出して、かなり詳細に論じられています。
 ここは、普通の教科書だと意思表示の項目の中で論じられてしまっているせいで、契約法理論との結びつきがいまいち理解しずらくなっているところ。
 この関連が明確になっているわけです。

【イケてない代表例として思い浮かんでしまう、同じ出版社なのに。】
 後藤巻則「契約法講義」(弘文堂2017)
(せっかくの1冊本なんだから、単なる制度の羅列でなく、こういうことしっかり書けばいいのに、と切に思う。)


 平井先生のこの本読んでて思い出したのが、前に書いた記事で引用した記述。

三木義一ほか「よくわかる税法入門 第17版」(有斐閣2023)

24頁
 「民法の場合は、当事者が原則として契約の自由を行使して、紛争が生じたときに裁判所に判断してもらう規範(裁判規範)ですから、裁判官が合理的に判断できればいいかもしません。しかし、税法は税務署と納税者に直接向けられていて、両者ともに税法に定められたとおりにしなければならず(行為規範)、しかも、納税者は申告をしなければならないのです。」

 こういった切り分けにしっくりこないものを感じたわけです。

 たぶんですけど、民法における契約理論というものを、
  ・売主「売ります」(申込)
  ・買主「買います」(承諾)
  ・申込と承諾が一致したから契約成立
みたいな、素朴な理論枠組みとして捉えているから、こういう物言いになるのかなと。

 が、実際にはそう単純な話ではない、ということが、こういう本を読むとわかりますよね。



 ちなみに、この本の書評、梅本吉彦先生が書かれたものがネットにPDFで上がっていたはずなんですが、いつの間にか読めなくなっていました。

梅本 吉彦
「契約法における民法と民事訴訟法の交錯:平井宜雄著『債権各論・I上 契約総論』について」
(専修大学法学研究所所報40巻20頁)

専修大学学術機関リポジトリ

 これとは直接関係ありませんが、ロースクールの廃止にともなって、そこのロー・レビューとかが見られなくなる可能性があるわけですよね。
 明治学院大学法科大学院における加賀山茂先生の論文だったり(加賀山先生の場合はご自身のサイトに掲載されていますけども)。

仮想法科大学院

 速やかにダウンロードしておかないといけない。
posted by ウロ at 16:04| Comment(0) | 民法

2019年04月08日

加賀山茂「求められる改正民法の教え方」(信山社2019)

 2019年の債権法改正については、『公式見解』に寄り添う系の解説本ばかり出版されています。
 そんななか、加賀山茂先生の著書は、正面から批判的検討をしている数少ない本です。

加賀山茂「求められる改正民法の教え方―いや〜な質問への想定問答」(信山社2019)

 上の本は薄い本で突っ込んだ検討まではされていませんが、成立前に出版されたこちらはもう少し詳細。

加賀山茂「民法改正案の評価 ―債権関係法案の問題点と解決策」(信山社2015)

 しかし、これら批判が、全く何にも改正法からは無視されてしまっているのが、如何ともし難いところ。


 私自身もこのブログで、債権法改正に対してはどちらかといえば批判的な観点からイジってきました。

どんな子にも親に内緒のコトがある。 〜民法98条の2の謎に迫る(迫れていない)
ドキッ!?ドグマだらけの民法改正
時効の中断・停止から時効の完成猶予・更新へ
後藤巻則「契約法講義」(弘文堂2017)
Janusの委任 〜成果報酬型委任と印紙税法
潮見佳男「基本講義 債権各論 第4版」(新世社2021,2022)
私法の一般法とかいってふんぞり返っているわりに、隙だらけ。〜契約の成立と印紙税法
潮見佳男「新債権総論1(法律学の森)」「新債権総論2(法律学の森)」(信山社 2017)

 あらためて読み返してみて、その中でドキッ!?ドグマだらけの民法改正(ひどいタイトル。黒歴史現在進行系)で引用した潮見佳男先生の体系書の記述、もしかしてこういうことなんではと思ったので、そのあたりを追記として。
 再引用するのもアレなので、内容はリンク先の記事にてご確認ください。

(以下の内容は加賀山先生の著書とは直接の関係もなく、また記述レベルも加賀山先生とは比ぶべくもない低空飛行ですが、批判精神のみは承継しているということで)


・民法95条1項柱書(要約)
 錯誤が「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるとき」は、意思表示を取り消せる。

・民法412条の2(要約)
 債務の履行が「契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるとき」は、履行請求権は発生しないが損害賠償請求権は発生する。

 潮見先生は、給付の履行が不能であることは「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要」でない(から不能を理由にした錯誤は成立しない)、という主張をされています。

 履行が可能かどうかは契約当事者にとって最重要な要素のはずなのに、なんでこんなこというのか正直よく理解できませんでした。
 ので、前の記事では、不能の問題を「債務不履行責任」に一本化したかったからじゃね、と邪推しておきました。

 今回読み返して思ったのが、これ、「改正民法様が『不能でも契約は有効』と仰っている以上、錯誤ごときに効力をひっくり返されるわけがない!」と言いたかったのではないかと。
 なんでかよく分かりませんが、錯誤のうち不能を理由としたものだけは、412条の2に上書きされてしまうと。

 それはそれで「何故なのか?」という疑問がありますが、他方で、他に無効事由・取消事由があればそっちが優先される、とも書いてあります。
 そうすると、

  不能を理由とした錯誤(95条)
    < 不能でも有効(412条の2)
      < 不能以外の錯誤(95条)、その他の無効事由・取消事由

という、優先劣後関係が構築されることに。

 一体、どういうポリシーなんですかこれは。
 不能が「重要」かどうかは契約当事者が決めること(で、裁判官が、当事者が重要とみていたかを評価する)だと私は思うんですが、そうではなく、412条の2によって、「当然に」重要でないとされてしまう(いわゆる法規からのアプローチ)、ということでいいのかどうか。

 なんとなくですが、さっくん(錯誤くん)が、改正民法様に「動機の錯誤」という重石を担がされた上、412条の2によって海に沈められる様が思い浮かんで悲しいよ(沈むのか浮かぶのか)。


 そもそも、412条の2には「不能でも契約は有効」なんて一言も書いてないんですよね。
 同条からその意味を引き出すには、

 ・契約が有効 ⇒損害賠償責任が発生する
 ・契約が無効 ⇒およそ損害賠償責任は発生しない

という見えないドグマ(Invisible Dogma)をどこから持ち込まないといけないわけで。

 で、

  ・412条の2は不能の場合でも損害賠償責任を認めている。
  ・損害賠償責任が発生するのは契約が有効の場合で無効の場合は発生しない(ドグマ)。
  ・とすると、412条の2は不能でも契約が有効であることを前提としているはずだ。

と、ドグマ繋ぎで逆算していかないと、この結論にはたどり着けない。


 まあそのドグマが正しいという前提にたったとします。
 が、よくよく考えてみると、改正民法で錯誤の効果を無効⇒取消しに落っことしたってことは、錯誤の場合も契約はとりあえず有効なわけです。
 とすると、

 ・有効な契約を、不能を理由とする錯誤で取り消す。
 ・有効な契約を、不能を理由として損害賠償責任を請求する。

と並べて書けるように、契約が有効であることと同時に錯誤要件も満たしている、という状態はありえます。
 錯誤が無効だったときのように「不能でも有効なんだから、当然無効である錯誤は成立しえない」とは言えなくなったはず(これはこれで概念チックすぎますが)。

 ので、412条の2を「不能でも契約は有効」と読み込んだとしても、不能を理由とした錯誤が「当然に」排除される、という結論には直結しない。

 ・不能による錯誤は当然無効  − 不能でも有効 ←両立しない。
 ・錯誤でも取り消すまでは有効 − 不能でも有効 ←両立する。

 もちろん、結論として「不能を理由とした錯誤は排除される」という見解になるのはいいんですが、412条の2を持ち出すだけでは単に「矛盾していない」ということしかいえず、それ以外の実質的な理由付けが必要になる、ということです。


 ちなみに、錯誤の効果が取消しになったことについては加賀山先生も触れているところです。

【改正前】
・意思の欠缺 − 無効 − 心裡留保・虚偽表示・錯誤・(意思能力)
・意思の瑕疵 − 取消 − 詐欺・強迫・行為能力

と、改正前は表向きは綺麗に揃っていました。
 で、無効だと不都合なところを「相対的無効」「取消的無効」とかいって取消に効果を近づけていました。

【改正後】
・意思の欠缺 − 無効 − 心裡留保・虚偽表示・意思能力(←明文化)
・意思の欠缺 − 取消 − 錯誤(1号)
・意思の瑕疵 − 取消 − 錯誤(2号)・詐欺・強迫・行為能力

 改正後では、錯誤が2号の「動機の錯誤」を押し付けられた上で、欠缺と瑕疵にまたがって股裂きの刑にあっているような状態に。
 ほんと錯誤かわいそう。

 これ、一体どういうポリシーで無効と取消を使い分けているんだ?、と思いますよね。
 改正前は、「意思ドグマ」をベースにした理屈の側からの使い分けだったわけですが、改正後はどうにも説明がつかない。
 「表意者保護」という機能を重視するのであれば、列挙した制度全部「取消」にしておかないとおかしいし。


 この一覧みてて思うのが、『意思ドグマぶっ壊してやったぜ、いえ〜い!』とかドヤってるくせに、心裡留保と虚偽表示は無効のままだし、さらにいえば、「意思ドグマ」界の裏ボス的存在たる「意思無能力⇒無効」様を、わざわざ「節」まで新設して無防備に迎え入れちゃってるわけですよね。
 「意思能力がないから無効」なんて、ゴリゴリ「意思ドグマ」だと思うんですけど、なんで平気な顔していられるんだろうか。
 本当にただ、さっくん(錯誤くん)一人だけがぶっ壊されただけじゃんか。

 …「ドグマ狩り」の強襲にひとり犠牲となる錯誤
 …その陰で迫害を逃れた心裡留保と虚偽表示
 …残されたふたりの願いにより、亡くなった錯誤の魂が意思能力に転生して蘇る

そんな「テイルズ・オブ・イシドグマ(TAILS OF ISYDOGMA)」

 ついでにいうと、意思表示の「受領能力」という点では、意思能力と行為能力とは全くの並列になっているんですけど(第98条の2)、無効/取消という効果との整合性はどうなっているのか。
 なお、同条そのものについては、以前の記事でイジり済みです。

どんな子にも親に内緒のコトがある。 〜民法98条の2の謎に迫る(迫れていない)


 話はもどって、私としては、不能が「重要」かどうかは、個々の契約当事者の意思表示ごとに判断すべきことであって、契約内容を見ないで判断できるものではないと思っています(まあ普通は重要だと思いますが)。

 不能な場合に、錯誤取消ルートでいくか契約責任追及ルートでいくかなんて当事者の選択に委ねればいいと思うんですが、なぜにわざわざ錯誤取消ルートを排除しようとするのか。
 最近あまり流行らない、契約責任が成立するなら不法行為責任は成立しない、とか、意思能力欠如で無効なら行為能力取消しはできない、といった「非競合説」を復活させようという試みでしょうか。

【請求権競合については】
多層的請求権競合論と、メロンの美味しいところだけいただく感じの。

 なんか、このへんから、新しい『概念法学』(概念法学Neo)が始まりそうな予感がします。

第三条の二(意思能力)
 法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。


第九十五条(錯誤)
1 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第一項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
4 第一項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

第九十八条の二(意思表示の受領能力)
 意思表示の相手方がその意思表示を受けた時に意思能力を有しなかったとき又は未成年者若しくは成年被後見人であったときは、その意思表示をもってその相手方に対抗することができない。ただし、次に掲げる者がその意思表示を知った後は、この限りでない。
一 相手方の法定代理人
二 意思能力を回復し、又は行為能力者となった相手方

第四百十二条の二(履行不能)
1 債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは、債権者は、その債務の履行を請求することができない。
2 契約に基づく債務の履行がその契約の成立の時に不能であったことは、第四百十五条の規定によりその履行の不能によって生じた損害の賠償を請求することを妨げない。

加賀山茂「契約法講義」(日本評論社2007)
加賀山茂「債権担保法講義」(日本評論社2011)
加賀山茂「現代民法学習法入門」(信山社2007)
加賀山茂「担保法」(信山社2009)
加賀山茂「求められる法教育とは何か」(信山社2018)

【加賀山茂先生のサイト】
 仮想法科大学院
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2019年02月11日

潮見佳男「詳解 相続法 第2版」(弘文堂2022)

※以下は初版時(2018)の書評です。

潮見佳男「詳解 相続法 第2版」(弘文堂2022)

 相続法が改正されまして。

民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律について(相続法の改正)(法務省)

 内容が重要なのは当たり前として、実務的に気にしないといけないのが「施行日」。

 で、こんな感じ。

  1 2019.1.13 相続法A 自筆証書遺言
  2 2019.7.1 相続法B 下記以外
  3 2020.4.1 相続法C 配偶者居住権
  4 2020.7.1 相続法D 遺言保管法

 1はもう施行済み。
 債権法の改正が3と同じ日なんですね。

  3’2020.4.1 債権法

 この差し込みっぷりをみて想起されたのが、前に紹介したこの本。

近藤光男「商法総則・商行為法 第8版」(有斐閣2019)

 そこでは、先走って債権法改正後の世界だけを描いてしまったため、運送・海商法改正との不整合が生じてしまっていることを指摘しました。

 潮見先生のこの本では、例によって4以降の世界を中心に描かれています。
 ではありますが、今後、4以前に施行日がくる改正が差し込まれないかぎり、この本がおかくなることにはなりません。


 問題は、『(全)』のほう(※その後、改訂されましたが記録として残しておきます)。

潮見佳男「民法(全)第3版」(有斐閣2022)
 
 こちらの本では債権法改正後の世界を描いているわけですが、出版時期の関係から当然のことながら、相続法の改正には触れられていません。

 ので、施行を○、未施行を×とすると、

  (全):債権法○ 相続法ABCD×

となっているわけですが、現実の施行状況を時系列にそって並べると、

   〜1 債権法× 相続法ABCD×
  1〜2 債権法× 相続法A○、BCD×
  2〜3 債権法○ 相続法AB○、CD×
  3〜4 債権法○ 相続法ABC○、D×
  4〜  債権法○ 相続法ABCD○

となって、(全)は、現実のどの時点とも一致しないわけです。

 下記記事でもさんざんイジり倒しましたが、1冊本の役割は当該領域を一体として理解できるのがメリット、と思っているので、こういう不整合は早めに解消しておいてほしいです。

後藤巻則「契約法講義」(弘文堂2017)

 内容については、ボリューミーで読み終わってないので、また後日。
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