田村善之先生の論文集。
田村善之「知財の理論」(有斐閣2019) Amazon
例によって、私が知的財産法の学術論文にまで手を出す必要性は全くありません。
ではあるのですが、頭のいい人の鮮やかな分析をなぞることで、頭の中をクリアにしよう、という例の所作として。
【例の所作】
井田良「犯罪論の現在と目的的行為論」(成文堂1996)
白石忠志「技術と競争の法的構造」(有斐閣1994)
○
本当は、こちらの教科書で済ませたいところ。
田村 善之「知的財産法 第5版」(有斐閣2010) Amazon
が、残念ながら2010年の第5版で改訂がストップしてしまっています。
さすがにそろそろ第6版がでるはずだ、と正座待機してはや幾年。
ということで、最新刊である論文集を読むことに。
○
内容的には、特許法、著作権法の章を含めて総論的な記述がメインとなっています。
第1章 知的財産法総論
1 知的財産法政策学の試み
2 知的財産法学の新たな潮流──プロセス志向の知的財産法学の展望
3 「知的財産」はいかなる意味において「財産」か──「知的創作物」という発想の陥穽
4 競争政策と「民法」
第2章 特許法
1 プロ・イノヴェイションのための特許制度のmuddling through
2 知財高裁大合議の運用と最高裁との関係に関する制度論的考察
第3章 著作権法
1 日本の著作権法のリフォーム論──デジタル化時代・インターネット時代の「構造的課題」の克服に向けて
2 著作物の利用行為に対する規律手段の選択──続・日本の著作権法のリフォーム論
3 著作権法の体系書の構成について
第4章 知的財産法学の将来
知的財産法学の課題〜旅の途中〜
ので、個別論点に関する前提知識が薄めでも、どうにか読むことができるのではないかと。
もちろん、ちゃんと理解できるかどうかは別として。
かつての論文集の、特に「第2章 知的財産法総論」が文字通りの「総論」を正面から論じたものでした。
田村善之「市場・自由・知的財産」(有斐閣2004) Amazon
そこから比べると、さらにいろんな道具概念が導入されていました(muddling through、フォーカルポイント、メタファ、少数派バイアスなどなど)。
2010年出版の教科書を読んだきり、個別の論文を追いかけていなかった身からすると、盛り沢山で消化不良。
とはいえ、2周目を読んだところで語れることが増える気もしないので、「読んだよ」という記事だけ残しておきます。
○
ただ、「自然権論」について、みんながそれで納得するなら否定はしないよ(超意訳)、的な主張がでてきたのは、ちょっとびっくり。
「インセンティブ論」とは相容れないものだと思っていたので。
望ましい立法を実現するためなら、清濁併せ呑むというか呉越同舟というか、それでも構わない、ということですかね。
これ、おそらくですけど、文字通りの起草者意思とか立法者意思を絶対視すべきでない、という田村先生流の立法/司法理解が前提にあるように思えます。
立法で自然権論が紛れ込んでしまったとしても、司法の段階で余裕で追い出せるだろう、という目論見。
あの、これはあくまで私の下衆の勘繰りにすぎません。
○
私が個人的にとても共感したのが次のような箇所。
平井宜雄先生の『債権総論』の教科書の構成を参考に自分の教科書を書いた(442頁)とか、新堂幸司先生の既判力の正当化根拠からの争点効の導き方に「インテグリティとしての法」を見出した(482頁)みたいな、余所の法領域での議論を参照しているところ。
もちろん、両先生とも私の思考によく馴染んでいる、というのもあります。
新堂幸司「新民事訴訟法 第6版」(弘文堂2019) 〜付・民事訴訟法と税理士
平井宜雄「債権各論I上 契約総論」(弘文堂2008)
それにとどまらず、このブログでは、税法の議論をするのにあちこちの法領域から「考え方」をお借りしてくることが多いです(前田手形理論を税法の議論に持ち込むとか、かなりの我田引水っぷり)。
その源流が田村先生にあったんだなあと再発見。
なお、税法で「他の法分野からお借りする」というと「借用概念論」が想起されるかもしれません。
が、全く全然関係ないです(あえての重言)。
私にとっての借用概念論は、「いかがわしい野郎だな」くらいの認識です。
一緒にしないで。
【借用概念論について】
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その11)
○
知的財産法の論文を読んだ、ということで、もう少し知的財産法について理解を深めよう、という方向にはならず。
むしろ、同書に引用されていた下記の本、大昔に一度読んだきりだったので、あらためて再読してみようと思いました。
森村進「財産権の理論 (法哲学叢書)」(弘文堂1995) Amazon
松浦好治「法と比喩 (法哲学叢書) 」(弘文堂1992) Amazon
森村先生の本、「税制」についても題材にしていて、今ならちゃんと理解できそうな気がする。
○
教科書は長らく改訂されていないものの、下記のような本が出版されています。
田村善之ほか プラクティス知的財産法1特許法 第2版(信山社2024) Amazon
田村善之ほか プラクティス知的財産法2著作権法(信山社2020) Amazon
どちらかというと(知財の)実務家寄りのようなので、益々税理士実務から遠ざかることに。
これを読む(心の)余裕ができるかどうか。
【追記】
田村善之,清水紀子「特許法講義」(弘文堂2024) Amazon
2020年06月29日
田村善之「知財の理論」(有斐閣2019)
posted by ウロ at 11:02| Comment(0)
| 知的財産法
2018年07月31日
システム開発における先行者利益について
たとえば、新しいシステムを開発したとして、それを他者の模倣から保護するためには、
・隠す
・特許権等の知的財産権を取得する
という方法があります(各種権利ありますが「特許権」で代表させておきます)。
保護を強化するんだから、普通に考えれば、特許権を取得しておいたほうがよさそうに思えますが、必ずしもそうではない。
というのも、特許出願すると「特許公報」で公開されてしまいます。
権利として保護してあげるかわりに中身を公開して、技術の発展に寄与してもらう、という仕組みなんですね。
ので、どうしても中身を知られたくない場合は隠さざるをえない。
それが自分だけしか使わないものであればいいんですが、みんなに見てもらう、使ってもらうタイプのシステムだとすると、隠してたら活用できないので困る。
これがもし、表に出しても解析(リバースエンジニアリング)できないものであれば、中身を知られないまま活用できるので、強い。
○
このことを、レーザーラモンRG氏の『○○あるある言いたい』のネタで考えてみましょう。
以前の記事でもふれましたが、このネタ好きなもので。
僕はまだ、君のくせ毛の向きを知らない。 〜精神論より方法論
このネタ、
・そこそこ唄がうまい
・1ネタに1あるあるで足りる
・あるある自体はつまらなくてもいい(むしろつまらないほうがいい)
で構成されているので、このシステム考えついた時点で、あとは量産しやすいはず。
量産しやすいがゆえに簡単に模倣できそうですけど、RG氏のネタってことが定着しているので、もはや他の芸人はパクれない。
普通の発明品では考えられない、おいしい状況。
なんらかの権利を付与しなくても、誰からも侵害しにくいわけです。
○
特許権との対比でいうならば、『国際特許』のこともふれるべきでしょう。
外国での模倣を防ぎたい場合、特許権なら「国際出願」の制度があります。特許権自体はあくまで「属地主義」ですけど、複数の加盟国で出願しやすくなっているわけですね。
他方で、このネタの場合はそのような国境を超える対抗手段がない。
が、そもそも特許とは違って、RG氏がそのまま海外でこのシステムを実施したところで、たぶんウケなさそう。言語や文化が違えば、このシステムそのままでは通用しないのではないかと。
ので、フリーライドではあるが、RG氏側には実損害は無い、ともいえるわけで。
逆に、海外から模倣ネタが入ってきても(逆輸入)、同じように日本では通用しなさそうなので、国内ではやはり最強だと言える。
この、芸人ネタの国際ハーモナイゼーションに関しては、あくまで想像でしかなく、実際のところはどうなんでしょうね(ナオミワタナベのような稀有な例もあるようですが)。
○
ここまで特許権との対比で、このネタには知的財産権が付与されていない、という前提で書きましたが、このネタ自体が「著作権」で保護されるものではないか、という問題もあります。
というのも、まずこのネタのシステムが「表現」なのか「アイディア」なのか、という問題があり、かりに表現だとしても、他の人の楽曲(たとえばイマサに著作権あり)ががっつり組み込まれていることの問題があります。
前者は、いわゆる「表現/アイディア二分論」というもので、表現なら著作権発生するが、アイディアには著作権なしとされています。
特定の表現を保護するだけなら、それを避けて他の表現をすればいいけど、アイディア自体を抑えられてしまうと、多様な表現ができなくなってしまう、アイディア自体を保護するのは特許等の要件を満たすものだけ、という建付けになっています。
おそらく、このネタのシステム自体はアイディアに過ぎないので、他の楽曲・他のあるあるネタに入れ替えてしまえば、RG氏に対する著作権侵害にはならなそう。
後者は、「二次的著作物」の問題で、テレビでやる場合は包括的処理に含まれてるんでしょうが、舞台でやるなら個別の許諾が必要、とかそういう話。
○
思いつきで書いてしまいましたが、もう少し知的財産法勉強してから文章見直します。
・隠す
・特許権等の知的財産権を取得する
という方法があります(各種権利ありますが「特許権」で代表させておきます)。
保護を強化するんだから、普通に考えれば、特許権を取得しておいたほうがよさそうに思えますが、必ずしもそうではない。
というのも、特許出願すると「特許公報」で公開されてしまいます。
権利として保護してあげるかわりに中身を公開して、技術の発展に寄与してもらう、という仕組みなんですね。
ので、どうしても中身を知られたくない場合は隠さざるをえない。
それが自分だけしか使わないものであればいいんですが、みんなに見てもらう、使ってもらうタイプのシステムだとすると、隠してたら活用できないので困る。
これがもし、表に出しても解析(リバースエンジニアリング)できないものであれば、中身を知られないまま活用できるので、強い。
○
このことを、レーザーラモンRG氏の『○○あるある言いたい』のネタで考えてみましょう。
以前の記事でもふれましたが、このネタ好きなもので。
僕はまだ、君のくせ毛の向きを知らない。 〜精神論より方法論
このネタ、
・そこそこ唄がうまい
・1ネタに1あるあるで足りる
・あるある自体はつまらなくてもいい(むしろつまらないほうがいい)
で構成されているので、このシステム考えついた時点で、あとは量産しやすいはず。
量産しやすいがゆえに簡単に模倣できそうですけど、RG氏のネタってことが定着しているので、もはや他の芸人はパクれない。
普通の発明品では考えられない、おいしい状況。
なんらかの権利を付与しなくても、誰からも侵害しにくいわけです。
○
特許権との対比でいうならば、『国際特許』のこともふれるべきでしょう。
外国での模倣を防ぎたい場合、特許権なら「国際出願」の制度があります。特許権自体はあくまで「属地主義」ですけど、複数の加盟国で出願しやすくなっているわけですね。
他方で、このネタの場合はそのような国境を超える対抗手段がない。
が、そもそも特許とは違って、RG氏がそのまま海外でこのシステムを実施したところで、たぶんウケなさそう。言語や文化が違えば、このシステムそのままでは通用しないのではないかと。
ので、フリーライドではあるが、RG氏側には実損害は無い、ともいえるわけで。
逆に、海外から模倣ネタが入ってきても(逆輸入)、同じように日本では通用しなさそうなので、国内ではやはり最強だと言える。
この、芸人ネタの国際ハーモナイゼーションに関しては、あくまで想像でしかなく、実際のところはどうなんでしょうね(ナオミワタナベのような稀有な例もあるようですが)。
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ここまで特許権との対比で、このネタには知的財産権が付与されていない、という前提で書きましたが、このネタ自体が「著作権」で保護されるものではないか、という問題もあります。
というのも、まずこのネタのシステムが「表現」なのか「アイディア」なのか、という問題があり、かりに表現だとしても、他の人の楽曲(たとえばイマサに著作権あり)ががっつり組み込まれていることの問題があります。
前者は、いわゆる「表現/アイディア二分論」というもので、表現なら著作権発生するが、アイディアには著作権なしとされています。
特定の表現を保護するだけなら、それを避けて他の表現をすればいいけど、アイディア自体を抑えられてしまうと、多様な表現ができなくなってしまう、アイディア自体を保護するのは特許等の要件を満たすものだけ、という建付けになっています。
おそらく、このネタのシステム自体はアイディアに過ぎないので、他の楽曲・他のあるあるネタに入れ替えてしまえば、RG氏に対する著作権侵害にはならなそう。
後者は、「二次的著作物」の問題で、テレビでやる場合は包括的処理に含まれてるんでしょうが、舞台でやるなら個別の許諾が必要、とかそういう話。
○
思いつきで書いてしまいましたが、もう少し知的財産法勉強してから文章見直します。
posted by ウロ at 09:29| Comment(0)
| 知的財産法