2024年11月13日

橋内武・堀田秀吾「法と言語 改訂版」(くろしお出版2024)

 いやあ、まいったね。

 法と言語が関わるものということでいうと、私はハフト先生(法学者)の「レトリック論」くらいしか読んだことがなく。

フリチョフ・ハフト「レトリック流法律学習法」(木鐸社1993) Amazon
フリチョフ・ハフト「法律家のレトリック」(木鐸社1992) Amazon
フリチョフ・ハフト「レトリック流交渉術」(木鐸社1993) Amazon

 最近のものを読んでみよう、ということで本書に手を出したのですが・・・。


 『◯◯学×△△学』のような学際領域を論じるにあたって大事なこと、他方分野に対する《リスペクト》があるかどうか、だと私は思っています。

 かつてのローエコが、経済学者が法学上の議論はことごとく間違ったものだと主張して殴り込んできたのが始まりだと聞いたことがあるのですが(事実誤認?)。そういうことでは学問は発展しないのではないのか、と思うわけです。
 今となっては、むしろ法学者側(の一部)が積極的にローエコを活用されていて、まあ良かったですね。

 田中亘「企業法学の方法」(東京大学出版会2024) Amazon

 このような観点から本書をみたときに、言語学者の法学に対する《リスペクト》の足りてなさを、そこかしこに感じてしまいます。


 何よりもまずは、リンク先の表紙画像をご覧ください。

 橋内武・堀田秀吾「法と言語 改訂版」(くろしお出版2024) Amazon

 背景で模様のようになっているのは、本書にでてくる法律用語を並べたものです。
 この中に「意志能力」(原文ママ)という用語が、繰り返しでてきます(IMEが汚れるので、本当は入力したくない)。

【クロスレファランス】
後藤巻則「契約法講義 第4版」(弘文堂2017)

 表紙からいきなりこうくるかと。これから中身を読むにあたって、不安でいっぱいになりました(ちなみに、中身はちゃんと「意思能力」になっていました(IME汚染戻し))。

 無駄にこういうところに鼻が効く、自分が恨めしい。初版から訂正されていないということは、誰からも指摘してもらえなかったということでしょうし。
 が、購入前に気付けなかったのは、痛恨の極み。

 なお、改訂されても間違いがキープされたまま、という現象、時折観測されるところですが。

熊王征秀「消費税法講義録 第4版」(中央経済社2023)

 著者、編者、編集者、同業者、講義で使う教科書として買わざるをえない学生、誰も真面目に読むことがないのでしょうか(ただし、本件に関しては、表紙模様の誤字に気づく私のほうが、逝かれているのかもしれない)。


 以下、中身について、私が《リスペクト》の足りなさを感じたものの一部を、ダイジェストでお送りいたします。
(なお、本記事では、「言語学」側の記述については一切触れません。私には、同記述をイジり散らかせるだけの知見がないからです。)

P.4
 下級裁判所での判決に不服の場合はより上の裁判所に3回まで上訴し得る。これを三審制度という。


 三審だから「3回」とでも思ったのでしょうか(もちろん「特別上告」のことなんて念頭にないでしょう)。

 法律用語の定義なんだから、きちんと専門書からコピペでもすればいいでしょうに。
 「法学者による定義のままでは難しいから、易しくしてあげよう」という親切心でもあったのかどうか。オリジナルの定義を作り上げて、華麗に失敗している。

 ただ、プロパーの法学者でも「有期1年が4回更新されたら無期転換権が発生する」とか書いちゃう人もいらっしゃるので、よくあるタイプのミス、といえるでしょうか(算数の引っ掛け問題的な?)。

安枝英、,西村健一郎「労働法 第13版」(有斐閣2021)


P.5
 法学を学ぶ上では、@「六法」(有斐閣、三省堂、岩波書店)とA法学用語辞典とBリーガル・リサーチ・ハンドブックが不可欠なツールである。


 これら3つでいいんですか?とか、何ゆえハンドブックなのか?というのはさておき。なんでこんな死体蹴りみたいなことを書くのでしょうか。

六法の刊行終了にあたって(岩波書店)

 と思ったのですが、時系列から察するに、これは初版(2012)の文章を見直していないだけ、ということなのでしょう。まさか、「10年前の岩波六法でも構わんよ」ということではないでしょうし。


 いくつかの箇所で、実際の裁判例を素材としてあげているところがあります。

 なのですが、どこの裁判所のいつの判決なのか、ということが明示されていません。
 もし仮に、生成AIに「◯◯に関する判決はありますか?」とお尋ねして、AI様がでっち上げた《架空の》判決だったとしても、検証のしようがない。


P.112
(偽証)法律により宜誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の刑に処する。


 条文引用なんて、(正確性を期するため)コピペで済ます最たるものだと思うのですが。どういうわけか、条文にまで、ほんのりオリジナル要素をねじ込みたがる。

 六法でもなく、e-Gov法令検索でもなく、法律素人の方の書いたアンチョコ本からでも引用したのでしょうか。


P.120
 法律用語ではこの「事実」は「実際にあったかどうかを問わず、『事件の内容となる事柄』をいう」


 法律用語の定義だというのに、「法律に詳しいジャーナリスト」(本書にそう書いてある)の新書から引用しています。なぜ、刑法学者の書いた専門書から引用しないのか。
 言語学者が、言語学上の定義を説明するのに、言語に詳しいジャーナリスト(言語評論家。「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ系)に出てきそうな肩書)の書いた新書から引用なんて、しないはずで。

 もし仮に、税法上の専門用語について、(税理士よりも税務に詳しいと称する)節税ライターの方が書いた新書から引用なんてしようものなら、その信頼性はガタ落ちでしょうよ。

P.121
 (最判昭和31年7月20日、民集10巻8号p.1059)


 他の箇所とは違って、きちんと裁判所名・判決日が明記されています。
 が、本書では、刑法上の名誉毀損罪について論じているところです。のはずなのに、「民集」とあることからも分かるとおり、「民事事件」の判決を、何のお構いもなしに引用してしまっています(これ、ひとつだけではない)。


 以上のような問題箇所、私には、言語学者が法学の「専門性」というものを軽く見ているがゆえ、に噴出しているものではないかと感じられるわけです。

 その他も色々あるのですが、あとは法学側のプロの方にきちんとお金を払って、全面にわたってチェックしてもらうべきものでしょう。


 言語学側の記述については、私には一切評価できませんが。このようなおぼつかない法学理解がベースとなって立論されているのだとしたら、不安ではあります。

 言語学はあくまでも「言語」を対象とするものだから、おぼつかない法学理解のままでも、何らその価値が減ぜられるものではない、ということなのか(図式的に表現するならば、初期ローエコが「攻撃」だったのに対し、初期ローリン(と略してみます)は「無視」といえるでしょうか)。

 そもそも、本書は誰向けに書かれているのか、を推測するに。

P.110
 裁判官は、憲法に「裁判官の独立」が規定されていて、個々の裁判官の上下関係は、ちょうど、文系の大学教員のような緩やかな上下関係のようである。


 知らん上下関係を知らん上下関係に喩えられても、「いや知らんがな」以外の感想をもてませんよね。

【卑近な喩え】
吉田利宏「実務家のための労働法令読みこなし術」(労務行政2013)

 このような記述からすると、本書はあくまでも同業者(言語学者)向けに書かれたものであって。部外者が読むことを想定していないのかもしれません。
 とすると、私があれこれ論難していることも、「対象外読者」によるイチャモンにすぎず、お門違いということになります。同業者向けに「法言語学ではこんなことやっているよ」とご紹介しているだけなんだから、外野がごちゃごちゃ突っ込むなや、と。

 『場違いなこと、内輪のパーティーに闖入したマナー講師のごとし。』


 なお、「学際領域」というもの。法学内部でも問題になっていて。

 お互いにリスペクトし合った、優秀な先生同士の対話により、優れた対談本が出来上がっている一方。

佐伯仁志・道垣内弘人「刑法と民法の対話」(有斐閣2001) Amazon

 民法学者には「手続法的視点」が欠けているとディスっておきながら、ご自身には「税法的視点」が欠けてる書籍があったり。

小林秀之「破産から新民法がみえる」(日本評論社2018) Amazon
小林秀之「破産から新民法がみえる」(日本評論社2018)

 やはり、自身の専門外の分野に対する謙虚さ、あるいはリスペクトというものが、必要なのだろうなと思わされます。


 「◯◯学を勉強したい」と思ったときに。

 たまたま「△△学×◯◯学」のような、自分が知っている「△△学」と交錯している分野があるからといって、安易に飛びつくのは望ましくなく。
 横着せずに、きちんと「◯◯学」プロパーの、定評のある書籍から読んでいくのが王道なのでしょう。
posted by ウロ at 11:15| Comment(0) | 基礎法学

2024年05月13日

法における「要件/定義」と「効果/機能」

 先日の一連の記事。
 白石忠志先生の『法律文章読本』の、とある記述に触発されて、「事業/事業者」の機能について、整理をしてみたものです。

白石忠志「法律文章読本」(弘文堂2024)

消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その1) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編46)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その2) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編47)
消費税法における「事業/事業者」概念の機能(その3) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編48)

 同書の記述、基本的に納得できるところばかりなのですが。1点だけ気になったところが。


 P135の「定義と機能は異なる」という項目のところ。

 「定義を書け」と言われているのに「機能」を書くのは間違い、というのはそのとおりなのですが。

   定義は「要件」であり、機能は「効果」である、とも言える。

 と書いてあって。
 
 「とも言える。」という語尾にどのような含みがあるのか、正確には分かりませんが。
  定義=要件
  機能=効果
という意味あいだとしたら、これには私は反対で。それぞれ区別して使いわけをしたほうが《便利》というのが私見。

 例によって、僕らの「消費税法」を題材にして敷衍します。


 まず、「要件/定義」の使い分けについて。

 法律上の要件には、そのままあてはめに使えるものと、解釈による《解きほぐし》が必要なものとがあります。

 たとえば「事業として」のままでは、どのような事実があればそれに該当するかが不明です。なので、これに解釈を入れることで「反復、継続、独立して」と解きほぐしをします。

※ちなみに、このような、「単に文言だけから導いたわけではないが、かといって拡大・縮小しているわけでもない」という解釈手法を、私は勝手に《定義付け解釈》とよんでいます。
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈


 このように、条文に書かれていることそのものと、そこから論者の解釈が混入することにより導かれたものとは、区別しておいたほうがよいと、私は考えています。区別できればいいので用語は何でもいいのですが、それぞれ要件/定義と名付けておくのが無難かなあと。

 要件 事業として
  ↓ 解釈
 定義 反復、継続、独立して

 まあ基本的には、《区別したほうが便利》レベルの話にとどまると思います。が、武富士事件の最高裁判決(の特に須藤補足意見)では、要件と定義を混同したかのような物言いがされているところであり。

 要件 住所=生活の本拠
 定義 客観で判断。主観は考慮しない。

 法律上の要件は「住所=生活の本拠」までであって。「主観を入れてはダメ」というのは自分のところの解釈(判例)から導いたものにすぎません。
 仮に「主観」を入れて解釈したとしても、ありうる解釈の一つにとどまるのであって。法解釈の限界を超えるなんてことにはならない。

非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)

 ということで、「要件(立法権)/定義(司法権)」という国家作用の役割分担という視角からも、それぞれを区別しておくべきだと考えます。
 ただ、この役割分担に従うと、「定義規定」に書かれていることも「定義でなく要件」ということになるため、もう少し相応しい用語づけをしたいところではあります。


 「効果/機能」については、「要件/定義」以上に明確に区別すべきだと思っていて。

 消費税法のメインシステムにおいては、「譲渡に課税」と「仕入で控除」しか書かれていません。

  要件:譲渡したら ⇒ 効果:課税する
  要件:仕入したら ⇒ 効果:控除する

 消費税法のどこにも「消費者の消費に課税し、消費者に税負担させる」などということは書き込まれていません。
 では、「消費課税」とか「消費者課税」とかいっているのはデマカセなのかというと。そのように即断することはできません。

 というのも、法令に書き込まれているのは、要件に該当した場合に発生する直接的な効果だけであって(要件効果モデル)。その効果によって、最終的にどのような帰結がもたらされるかまでは書かれていません。
 そこで、最終的な帰結を表す用語として「機能」を割り当てることで、法がどのように機能しているかを分析する、という視角を導入することができます。

 要件: 譲渡したら 仕入したら
 効果: 課税する  控除する
 機能: 消費者に税負担が発生???


 では、最終的な帰結として「消費者の消費に課税し、消費者に税負担させる」という機能がもたらされているかというと。

 もはや本記事では詳述しませんが。
 『消費税法の理論構造』と題する一連の記事における私の見立てでは、「売上課税ルールと仕入控除ルールの組み合わせにより、「消費支出」に相当する額に課税することまでは実現できている。が、それを「消費者」がすべて負担するような仕組みは内蔵されていない」というものとなります。

 要件: 譲渡したら 仕入したら
 効果: 課税する  控除する
 機能:◯消費支出分の税負担が発生する
    ×消費者だけが税負担する

 何に課税するかと誰が納税するかまでは法によりコントロールできるとして。最終的に誰が税負担するかまではコントロールできないでしょう。

予定は予定 〜消費税法の理論構造(種蒔き編20)


 参考まで。受贈者が税負担するのが当たり前と思うような「贈与税」であっても、必ずしも受贈者が税負担するとは限りません。

 たとえばですけど。
 納税意識高めなパパ活女子が、『私、手取りで1億円欲しいから、パパたちで相談して税引後で1億円になるような金額ちょうだい。』とパパたち(一般税率)にお願いしたとして、それでも贈与税はあくまでも受贈者負担だといえるのでしょうか。

 要件: もらったら
 効果: 課税する
 機能: 受贈者に税負担が発生??

 一次的な納税義務者が受贈者だというに留まり。プラス1億いくらだかの出費については、パパたちが負担しているということにならないでしょうか。


 今後は、『消費者に消費税を負担してほしい!』という運営側の単なる期待・願望とか、『消費税は税額転嫁と仕入税額控除の両輪により駆動する仕組みの税』というような、現実に存在する法令上の制度を前提としない空想に基づく立論などは、やめてもらって。
 法令上の「効果」によってどのような「機能」が発揮されているかについて、議論をしていただければと思います。

 こういう空論に基づいて議論を進めてしまうの。法学において「要件効果モデル」が強烈に幅を利かせているから、というのが私の邪推するところ(要件事実論などが特にそうでしょうか)。
 「要件」と「効果」を検討するところまでで法に基づく議論が終わってしまい。あとは融通無碍に何でも語っていい、みたいな。

 要件⇒効果・・・・・・⇒空論

 ここに、「機能」という概念を挟むことによって、現実の法令に基づいた議論ができるはず、と私は期待しています。

 要件⇒効果⇒機能


 以上、たったの一文だけから、あらぬ方向に話を広げるのはマナー違反な感じもしますが。思ってしまったので書かざるをえない。
posted by ウロ at 09:33| Comment(0) | 基礎法学

2021年11月01日

法源の機能的考察

 法解釈のフローチャートを作成する過程で、「法源論」についてもその構造が見えてきました。

フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)
フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)
フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法

 こういうのが、チャート式学習法のメリットですよね。単にチャート作ってお終いではなく。

法源・型.png


 検討すべき事項を並列的に整理すると、次のようになると思います。

法源・一覧.png


1 存在
 ・制定法の存在は証明不要。
 ・慣習の存在は証明必要。
 ・判決の存在は証明不要だが、それを判例として機能させるためには一定の解釈が必要。

2 素材
 ・素材としてはいずれも利用可能。

3 命題
 ・裁判所が制定法を解釈して命題化したものが制定法命題となります。
 ・裁判所が慣習を解釈して命題化したものが慣習命題となります。

 と、ここまで書いてみて、判例(判決)をここに並べて表現するのに違和感が出てきました。

  『裁判所が判例(判決)を解釈して命題化したものが判例命題となります。』

この物言いは成立するでしょうか(以下、判例のほうを略して「判決」で代表させます)。


 というのも、判決というのは制定法・慣習を解釈したものであって、制定法・慣習のように一方的に「解釈される」だけのものではないからです。

 図式的にいうと、

  制定法×解釈=判決
   慣習×解釈=判決

であって、制定法・慣習とはポジションが異なります。
 上記の制定法命題・慣習命題を導いたのが判決であって、並列的に記述するのはやはりおかしい。

 そこで、前述の表を再編すると、次のようになります。

法源・一覧2.png


・「条理」を追加したのは、制定法・慣習のない領域(欠缺領域)があったときでも、何某かの解釈を裁判所が行う余地を残すためです。

   条理×解釈⇒判決

 もちろん、欠缺領域に裁判所が判断を下すのは「司法による法創造」となり許されない、という立場もあります。が、ここでは条理による欠缺穴埋めを認める立場を表に入れ込んだらどうなるか、という観点から整理しておきます。

・命題の欄に、「判決」のほかに「判決予測」と書いたのは、現状すべての制定法・慣習に、判決による命題化が整備されているわけではないからです。

 なお、命題が判決か判決予測しかないというのは、「法規範は裁判規範であって行為規範ではない」とする見解を前提としていることになります。同説からすれば、法命題は裁判所が判断しないかぎり存在せず、判断がない領域はあくまでも判決予測ができるにとどまるからです。
 他方で、行為規範性を認める見解からすれば、命題の欄には判決・判決予測以外も含める必要がありますが、ここではさしあたり裁判規範説ベースで整理しておきます。


 ということで当初の疑問、

  『裁判所が判例(判決)を解釈して命題化したものが判例命題となります。』

という物言いが成立するか、ですが。

 たとえば、民法177条の「第三者」に関する『正当な利益テーゼ』に通行地役権ルールを追加するのは、『正当な利益テーゼ』判例を解釈することにより新たな命題を導いたもののように思えます。

フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈

 が、よくよく考えると、次のような連関になっています。

  (制定法×解釈=判例)×解釈=判決

 これは、先行判例をカッコに入れてさらなる解釈をしている、ということを表しています。
 直接的には判例の解釈をしているようにみえますが、もとを正せば「制定法の解釈」にほかなりません。

  制定法×解釈×解釈=判決

 そうすると、判例を解釈しているようにみえる現象も、制定法の解釈に括れることになります。
 括らないにしても、少なくとも「制定法・慣習の解釈」と「判例の解釈」とは別レベルのものとして捉えておく必要があるはずです。


 「判決」と「判例」の言葉の使い分けについては折に触れて検討してきましたが、次のような説明はどうでしょうか(民事判決を前提とします)。

 すなわち、最高裁(+ない場合の高裁等)の判決は、同種事案からみれば『判例』となり、類似事案からみれば『(参照)判決』にとどまると(全く無関係な事案ならただの判決)。

   類似事案        同種事案
   参照判決← 最高裁判決 →判例


 同じ判決が、後続の事案によって判例になったり参照判決になったりするということです。
 『判例』なる用語は、このような《関係概念》として捉えるのがよいのではないでしょうか。

民事訴訟法 第三百十八条(上告受理の申立て)
1 上告をすべき裁判所が最高裁判所である場合には、最高裁判所は、原判決に最高裁判所の判例(これがない場合にあっては、大審院又は上告裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所の判例)と相反する判断がある事件その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件について、申立てにより、決定で、上告審として事件を受理することができる。


 そして、事案とのかかわりを気にせずあらゆる事案に適用できるものを《判例法》と呼ぶことができます。
 この段階になるには、通常は事例判決の積み重ねによるのでしょう。が、最高裁が意図的に「今後はこれに従え」的な判示をした場合には(露骨には言うことは滅多にないでしょうが)、一つの判決だけで判例法扱いされることもあるでしょう。

 教科書の類に「判例は○○という見解である。」と記述があったら、これが事案に応じて参照判決/判例と姿を変えるレベルのものなのか、判例法レベルのものなのか、読者側で見極める必要があります。
 特に、「判例重視」を謳っておきながらただただ判決を次から次へと陳列しているだけの書籍は、読者側の苦労を要求してくるので要注意。

【判決陳列系】
内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)


 以上を前提として、以下の問いに答えておきましょう。


「慣習は法源か?」

 慣習により私人間の法律関係が規律されることになる以上、法源として機能していると理解してよいでしょう。ただし、生の慣習そのままではなく、法適用通則法3条などにより認められたかぎりでということです。

 だとすると、結局のところ制定法が法源で慣習はその下請けという位置づけでは、と思わなくもないですが。

   制定法 ⇒ 慣習 ⇒ 命題
   (法源)


「判例は法源か?」

 上述のとおり、判例の中身を分解すると「制定法・慣習×解釈=判決」となるので、少なくとも、制定法・慣習と同じ意味で法源となることはないでしょう。判例はあくまでも、法源である制定法・慣習を解釈して命題を導いたものであって、法源そのものではありません。

   制定法×解釈 ⇒ 判決 ⇒ 命題
   (法源)


 が、判例法レベルにまで確立したものならば、それを土台としてさらなる解釈論が展開するなど、あたかも法源として機能しているようにみえることになります。

   制定法×解釈 ⇒ 判例法×解釈 ⇒ 命題
   (法源)



 税理士なので「(法令解釈)通達」の法源性にも一応触れておきます。

 正面から『通達は法源か?』と問われれば、誰もが「んなわけあるか!」と一蹴するはずです。

 が、あたかも通達が法源であるかのように機能させてしまっている判決が実在しています。

【おなじみの】
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決

 この高裁判決は、通達を文言解釈することで命題を導く、なんてことをやらかしています。
 学生が試験でこんなこと書いたらぼろくそに言われるでしょうに、高裁判決として堂々と宣告されています。

通達・型.png


 この手の愚かな間違いを犯す要因は、やはり法源というものの機能・構造をぼんやりとしか理解していないからでしょう。
 もしもですが、本当はしっかり理解していながら、最高裁に阿るためにあえてやらかしたのだとしたら、余計たちが悪いです。
 高裁判事ほどの頭のよろしい方々であることを考慮するならば、後者の可能性が高いように思いますが、なにか言い訳は可能でしょうか。

 「通達を法源かのように扱っている」判決は、ほかにも沢山あって。
 言い訳としては、「裁判所が法を解釈した結果、たまたま通達と同じになっただけ」というのでしょう。

 が、上記高裁判決にかぎっては、真正面から、法の解釈ではなく「通達の」文理解釈なんてことをやらかしているため、残念ながらこの言い訳が通用しません。
posted by ウロ at 09:53| Comment(0) | 基礎法学

2021年06月28日

フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法

 制定法、慣習(法)ときて、次に検討するのは「判例(法)」となります。

フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)
フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)
フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法

 『判例』なるものについては、当ブログでもしばしばネタにしてきました。

判例の機能的考察(タイトル倒れ)
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)

 今回は、判例が法解釈のフローチャートとどう絡んでくるか、という観点から検討します(判決と判例は、文脈にあわせて使い分けます)。


定義解釈プロセス.png


 少なくとも、スタートの「制定法」のポジションに入ることはないと考えてよいでしょう。
 判決というのは、何かしらの制定法を解釈したものであるはずなので。

 もし何らの制定法もないにも関わらず解釈論を展開するならば、裁判官による「法創造」になってしまいます。とはいえ、現実には「法の欠缺領域に一般条項を適用する」ということも行われているわけで、実質、裁判官による法創造とかわらないのでしょうが(おそらく「条理」もこのへんにかかわります。)。

 ここでは、そのような実質論ではなく、あくまでもチャート化したらどうなるかという観点から論じています。ので、制定法のポジションには入らない、という整理をしておきます。


 以下、記述が抽象的になりそうなので、具体例として「ホステス報酬源泉徴収事件最高裁判決」(最判平成22年3月2日)を想定しながら記述していきます。

裁判例結果詳細(最高裁サイト)

所得税法 第二百四条(源泉徴収義務)
1 居住者に対し国内において次に掲げる報酬若しくは料金、契約金又は賞金の支払をする者は、その支払の際、その報酬若しくは料金、契約金又は賞金について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。
六 キャバレー、ナイトクラブ、バーその他これらに類する施設でフロアにおいて客にダンスをさせ又は客に接待をして遊興若しくは飲食をさせるものにおいて客に侍してその接待をすることを業務とするホステスその他の者(以下この条において「ホステス等」という。)のその業務に関する報酬又は料金

所得税法 第二百五条(徴収税額)
 前条第一項の規定により徴収すべき所得税の額は、次の各号の区分に応じ当該各号に掲げる金額とする。
二 前条第一項第六号に掲げる報酬から政令で定める金額を控除した残額に百分の十の税率を乗じて計算した金額

所得税法施行令 第三百二十二条(支払金額から控除する金額)
 法第二百五条第二号(報酬又は料金等に係る徴収税額)に規定する政令で定める金額は、次の表の上欄に掲げる報酬又は料金の区分に応じ、同表の中欄に掲げる金額につき同表の下欄に掲げる金額とする。

上欄 法第二百四条第一項第六号に掲げる報酬又は料金
中欄 同一人に対し一回に支払われる金額
下欄 五千円に当該支払金額の計算期間の日数を乗じて計算した金額(当該報酬又は料金の支払者が当該報酬又は料金の支払を受ける者に対し法第二十八条第一項に規定する給与等の支払をする場合には、当該金額から当該期間に係る当該給与等の額を控除した金額)


 (以下では所得税法を「法」、所得税法施行令を「令」と略します)


 なお、条文に「ホステス等」と書いてあるので、当記事でも「ホステス」と記述しますが、この言葉には違和感あり。下記記事の「145頁」への指摘として書いたことと同じ趣旨です。

三木義一「よくわかる税法入門 第17版」(有斐閣2023)

 判旨は次のとおり。

(1) 一般に,「期間」とは,ある時点から他の時点までの時間的隔たりといった,時的連続性を持った概念であると解されているから,施行令322条にいう「当該支払金額の計算期間」も,当該支払金額の計算の基礎となった期間の初日から末日までという時的連続性を持った概念であると解するのが自然であり,これと異なる解釈を採るべき根拠となる規定は見当たらない。
 原審は,上記4のとおり判示するが,租税法規はみだりに規定の文言を離れて解釈すべきものではなく,原審のような解釈を採ることは,上記のとおり,文言上困難であるのみならず,ホステス報酬に係る源泉徴収制度において基礎控除方式が採られた趣旨は,できる限り源泉所得税額に係る還付の手数を省くことにあったことが,立法担当者の説明等からうかがわれるところであり,この点からみても,原審のような解釈は採用し難い。
 そうすると,ホステス報酬の額が一定の期間ごとに計算されて支払われている場合においては,施行令322条にいう「当該支払金額の計算期間の日数」は,ホステスの実際の稼働日数ではなく,当該期間に含まれるすべての日数を指すものと解するのが相当である。


 この判決、表向きの理解としては、令322条の「期間」を《文理解釈》したものとして紹介されます。が、判決では実際にはそれだけで終わらせずに、ホステス報酬源泉の《趣旨》にも触れています。

 そうすると、この判決の解釈の型としては、文理に基づき「命題1」を導いた上で、さらに立法担当者の説明等からうかがわれる制度趣旨に基づき「命題2」を導いたものと表現することができます(「命題1=命題2」型)。


 さて、この判決が先行判決として存在することを前提に、後続判決にはどのような影響があるでしょうか。
 これが、一般的に『判例の拘束力』として論じられているものにあたります。

 この判決が判例として機能する場合には、後続判決においても命題1・2を同じように解釈する必要があります。
 後続事案の業務形態が本判決と同じ業務形態であれば、本判決の判例としての射程がそのまま及ぶといってよいでしょう。
 他方で、異なる業務形態にまで本判決の射程が当然に及ぶと考えるのは、『判例を一般化しがち』。
 『判例は事案との関係で理解すべき』だというならば、本判決と異なる業務形態にも当然に及ぶ、などと考えるべきではないです。

【法6号列挙の業務形態】
 ・キャバレー、ナイトクラブ、バーその他これらに類する施設で
 ・フロアにおいて客にダンスをさせ 又は
  客に接待をして遊興若しくは飲食をさせるものにおいて
 ・客に侍してその接待をすることを業務とするホステスその他の者


 本判決の射程を理解するのに手がかりとなるのが、ホステス報酬源泉の趣旨を「還付の手数を省く」と述べているところ。
 法列挙の業務形態のうち、この趣旨が及ぶかぎりは同じように解釈すべきであるし、そうでなければ及ぼすべきではないと解釈することができます。

 本判決を単純な「文理解釈の判例」と理解してしまうと、このような発想がでてこない。同じ条項の同じ文言なのになぜ別意に解する余地があるのか、文理だけでは区分のしようがないでしょう。
 が、一般的に説かれている『判例は事案との関係で理解すべき』を正統に実践するかぎりは、判例の射程を分析するにあたっては「事案が同じかどうか」から入るべきです。


 判例の射程を検討するのに、制定法解釈のフローチャートとは別にサブチャートを作成してみてもよいかもしれません。

判例の射程プロセス.png


 ・事案が同じであればそのまま適用する、それが不当であれば縮小系の解釈にすすむ
 ・事案が違えば適用しない、それが不当であれば拡大系の解釈へすすむ

 あくまでも判例の射程を検討するためのサブチャートであって、本筋は制定法解釈のチャートのほうです。
 このサブチャートは、先行判決をどこの解釈手法に入れ込むかを検討するためのものです。

 なお、このチャートの形状をみて、マ・クベ氏が搭乗していそうとか、アッザム・リーダー出しそうとか、銘々思うところがあるかもしれません。が、それは『他モビルアーマーの空似』というやつです。

 U.C.ガンダムBlu-rayライブラリーズ 機動戦士ガンダム
 参照:第18話「灼熱のアッザム・リーダー」


 本来であれば、各業務形態ごとの判決が積み重なることで、本判決が判例として確立していくものだと思います。
 が、実務的には、本判決に右に倣えとばかりに、6号報酬はすべて歴日数で計算となるのでしょう。

 納税者有利とはいえ、判例を一般化しがちな運用はいまいち腑に落ちない。今回はたまたま納税者有利なだけで、納税者不利な場合にも一般化されるおそれがあります。
 有利だろうが不利だろうが、「一般化してもよいか」の検討はしっかりしておくべきです。

 とはいえ、さすがに他の条項の「期間」という文言にまで、本判決の『判例としての』射程を広げることはできないでしょう。
 せいぜいできるとしたら、本判決から「後から返す手間を減らすため、先に多めに取るのは避ける」という一般命題を抽出し、他の条項にもその命題の趣旨を及ぼす、といったところでしょうか。

 なお、「住所」に関して完全なる横流しを敢行したのが「武富士事件最高裁判決」(最判平成23年2月18日)だと、私は思っています。

裁判例結果詳細(最高裁サイト)

 ただし、過去の判決を「参照」とだけあって「当裁判所の判例とするところである」とまでは言い切っていません。ので、「判例の一般化」とまではなっておらず、セーフですかね。
 なんせ「民集」に登載されていませんし。
 なのに、住所につき客観説を採用した判例として崇め奉る風潮には、大変違和感あり。



 「判決」と「判例」の違いについて、解釈の素材にとどまるのが「判決」、命題として扱えるものが「判例」と整理するのがよさそうです。

判決と判例.png


 この区別を前提とすると、『判例を一般化すべきでない』というのは、異なる事案にまで「命題」として扱うべきではなく、あくまでも「素材」として使うべき、と言い換えることができるでしょう。
 この説明であれば、武富士事件の最高裁判決は、過去の異なる事案に関する判決を「素材」として参照しただけだからセーフということができますね。のに、本判決をもって、あたかも客観説が判例であるかのように評価するのは『判例を一般化しがち』。
 今のところは、客観説的に判断した事例判決がいくつかある、という評価に止めておくべきでしょう。

 で、判決が素材として繰り返し使われることで「判例法」と呼ばれることになり、安定した運用がなされるようになれば「判例の明文化」ということで制定法に組み込まれることもあると。
 

 判例についても慣習と同じく『判例は法源か?』という問いが立てられます。

 これについては、素材としての「判決」は法源ではないが、命題化し解釈される側となった「判例」は法源のように機能する、と整理しておけばよいと思います。

 なお、慣習と同様、実際の機能を理解することが重要なので、法源と呼ぶかどうかにはそれほどこだわりません。


 「判決」の解釈についても、「制定法」の解釈と同じように【縮小系】や【拡大系】といった様々な手法が想定できるはずです。が、そのことを明示的に論じている書籍の存在を存じ上げておりません。
 ので、さしあたり思いついたものだけ列挙しておきます。

【縮小系】
・事案は同じようにみえるが、よく分析すれば違う事案なので射程は及ばない。
・事案は同じなので射程は及ぶが、命題が広すぎるので本件では狭めて適用する。

【拡大系】
・事案は違うようにみえるが共通要素があるので適用する。
・事案が違うが、似ているので適用する。
・事案は同じなので射程は及ぶが、命題が狭すぎるので本件では広げて適用する。
・判決から一般命題を抽出して本件に適用する。

 事案(≒要件)と命題(≒効果)のそれぞれが、縮小・拡大の対象となるということです。

  判決の構成要素:事案→命題

 今後、先行判決を判例として引用している判決を読むにあたっては、このあたりを気にしながら読んでみることにします。


 以上、6回にわたって解釈手法ごとに検討をすすめてみました。

 が、あくまでも「法解釈をフローチャート化する」という側面からの分析に留まります。フローチャート上にどのように表現したら思考過程にそった形になるか、という観点からのものにすぎません。

 ので、今回作成したフローチャートも完成品ではなく、暫定版として都度見直しの対象となります。(完)
posted by ウロ at 11:50| Comment(0) | 基礎法学

2021年06月21日

フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法

 ここまでは「制定法」の解釈を前提としてきました。

フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)
フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)

 では「慣習」はどのように位置づけられるでしょうか。

 解釈の際の「素材」として使われることは確かです。

慣習法 素材.png


 ではそれ以外の役割を果たしているでしょうか。

 『慣習(法)は法源か?』という問いがこの点に関わってきます。
 が、『法源』という用語自体が各論者の想いがこもったコトバとなってしまっているため、このような問いに正面から答えるのは一旦保留します。

 ここでは、慣習をどのようにチャート化できるか、という観点からのみ論じます。

 法適用通則法3条と民法92条からすると、次のようなチャート化が可能ではないかと思います(個別の条文に「慣習」が組み込まれているものも、同様の型になると思います)。

慣習法プロセス.png


法の適用に関する通則法 第三条(法律と同一の効力を有する慣習)
 公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する。

民法 第九十二条(任意規定と異なる慣習)
 法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う。


 前者が「法律と同一の効力」、後者が「法律行為」の解釈の問題なので、扱っているレベルは違います。ですが、『契約に関する慣習の解釈』の限りでは同レベルのものとして扱っても支障はないと思うので、ひとつのパーツの中に納めておきます。

 なお、両者の関係については種々争われています。
 が、さしあたり、一般法としての通則法3条があり、プラスして、法律行為については、慣習による意思がある(と認められる)ときは、その慣習で任意規定を上書きできる、と理解しておけばよいと思います。


 チャートは、通則法3条・民法92条を使って、慣習から命題1を導くことを表しています。

 また、制定法と同様に「定義付け解釈」から命題2を導いているのは次のような考慮からです。

 すなわち、「命題1」はあくまでも事実として存在する慣習をそのまま認定したものを想定しています。
 これをそのまま事案に適用できる場合には包摂作業へ行くが、そのままでは適用できない場合には定義付け解釈を行い、包摂作業が可能な法命題に仕立て上げると。

 もちろん、一段階で一気に法命題にまで仕上げてしまってもよいのでしょう。
 が、事実として存在する慣習の発見と、それを法的に精緻化する作業とは区別しておいたほうがよいのでは、という考慮から二段階に分けてみました(これが上告受理事由などで問題となる「事実問題/法律問題」に対応するものであるかどうか、までは詰めて考えていません)。


 一応具体例をあげておきます。

 たとえば、『当地では、土地の買主は事前に近隣に挨拶をしなければならない。』という慣習があったとします。
 この慣習があるということ自体を認定するのが「命題1」までの解釈。そして、当該事案において近隣をどの範囲までと理解するか、これを守らなかった場合にはどのような効果が生ずるか、などの解釈をするのが「命題2」までの解釈。

 こういうふうに切り分けておいたほうが、思考過程が明確になるんじゃないですかね。


 それ以降の作業は制定法の場合と同じです。

 その慣習が適用されるが妥当でない場合は【縮小系】へ、適用されないが妥当ではない場合は【拡大系】へ、それぞれ向かうことになります。


 私としては、事実として存在する慣習が、通則法3条・民法92条(と定義付け解釈)を経由することで「慣習法」となる、これをさして『慣習が法源になる』といってよいと思っています。
 これに対しては、「慣習は、通則法3条・民法92条があってはじめて法源扱いされるにすぎないから、法源とはいえない」という言い方も可能かもしれません。
 が、これを言い出したら「制定法は、憲法76条3項があってはじめて法源扱いされるにすぎないから、法源とはいえない。」ということも言えてしまいます。

憲法 第七十六条
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。


 そしてさらに「憲法は〜」などと続いてしまうため、これ以上この議論には深入りしません。


 整理しておくと、慣習には、
  1 事実としての慣習
  2 素材としての慣習
  3 命題としての慣習(慣習法)
があるということになります。

 まずは事実としての慣習があるかどうかを認定し(1)、それがある場合には制定法解釈の素材として使われたり(2)、通則法3条などを通して命題化したりする(3)、ということかと。

 次回は「判例(法)」を検討してみます。

フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
posted by ウロ at 09:24| Comment(0) | 基礎法学

2021年06月14日

フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)

 前回、前々回と余計なものがはさまりましたが、話を戻して次は【拡大系】の法解釈です。

フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)


 文理解釈・定義付け解釈では適用範囲に含まれないが、適用されないことが妥当でない場合に拡大系の解釈が試みられます。

拡大解釈プロセス.png


 すでに述べたとおり、拡大系は、縮小系と比べてなぜか手法が充実しています。

 ・拡大解釈
 ・類推解釈
 ・一般命題化
 ・勿論解釈

 「一般命題化」というのは一般的な用語ではありません。
 これはたとえば、民法94条2項から「権利外観法理」という一般命題を抽出し、それを別の事案に適用するというものを想定しています。

民法 第九十四条(虚偽表示)
1 相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
2 前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。


 「類推解釈」は、民法94条2項の典型例である事例aと似ていることを理由に、事例bにも適用する、というものです。
 これに対して「一般命題化」は、事例aとは似ていない事例cに「権利外観法理」という一般命題を経由して適用するというものです。類推解釈とは思考の「型」が違うので区別することにしました。

 なお、個別類推・総合類推という区別もありますが、これは条文が単数か複数かという違いなだけで思考の型としては違いはありません。ので、チャート上は区別してありません。


 「勿論解釈」は、『本権は占有(権)より強い』などといった抽象命題(と呼んでおきます)を使って、占有訴権があるなら本権にも物権的請求権がある、などと解釈するものです。

民法 第百九十七条(占有の訴え)
 占有者は、次条から第二百二条までの規定に従い、占有の訴えを提起することができる。他人のために占有をする者も、同様とする。


 ここでは形式論理は成立していません。

【不成立】
 ・占有には物権的請求権がある
 ・本権は占有より強い
 ・ゆえに本権にも当然物権的請求権がある

 この論証の説得力は、形式論理にではなく「本権は占有(権)より強い」という抽象命題が有無を言わせないほど強烈なものであることに依存しています(他の例でいうと「生命は財産より価値が高い」とか)。
 「占有にあるからといって本権にあるとは限らないじゃないか」といった、形式論理に基づく正当な異論を許さないなどの強烈な。


 これら手法の順序としては、ぎりぎり言葉の範囲に含められる場合は「拡大解釈」、含められないが似ている場合は「類推解釈」、似ていないが一般命題が当てはめられる場合は「一般命題化」、強烈な抽象命題がある場合は「勿論解釈」、という感じになるかと。

 こう並べてみてわかるとおり、「勿論解釈」だけノリがだいぶ違います。
 ので、チャート上は拡大解釈とは分岐させて独立に判断する形にしてあります。

 イメージ化するとこんな具合。

拡大系イメージ.png



 これら解釈ができない場合は、縮小系と同じく、反制定法解釈、例外則、立法論と続きます。

 ただし、拡大系の「反制定法解釈」というものの具体例が、さしあたり思いつきません。
 拡大系の手法は豊富だし、実体法レベルでも一般条項が活用されているし、ということで、いずれかの解釈手法で解決できる場面が多いということかもしれません。
 で、いずれの解釈手法も及ばないのだとしたら、それはもはや解釈論の範疇ではどうにもならないと。というか、勿論解釈なんてもはや立法論みたいなものでしょうし。

 拡大系の反制定法解釈があるのだとしたら、法の趣旨に反するにもかかわらず、何のつながりもない全く別の事例に横流しする、というようなものになるのだと思います。


 刑法では「拡大解釈は許されるが類推解釈は許されない」というお題目が唱えられています。

 が、処罰されるかされないかの瀬戸際だというのに、この拡大解釈/類推解釈の区別がはっきりしていない。
 抽象的にいえば「言葉の範囲内にぎりぎり含まれるか」ということになるのでしょう。が、それ以上詳細な判断基準は示されていない。

 ここでも「国民の予測可能性」を基準にすることが考えられます。国民が予測できる⇒拡大解釈、できない⇒類推解釈、といったように。
 が、これを基準としてしまうと、たとえば「勝手に電気とったら窃盗罪で処罰されるって普通の人なら思うでしょ」という理由で『所有物』(当時)に電気を含めても問題ないということになりかねない。「物は有体物に限られる」なんていうのは法律専門家の特殊な考えであって、国民一般の考えとは違うんだと。

 他方で、『悪意』とは悪い気持ちを持つことであって、単に知っているだけで悪意ありとされてしまうのは「国民の予測可能性」を害するため許されない、などという帰結も出せてしまいます。が、こちらも妥当ではないでしょう。
 ということで、「国民の予測可能性」はここでも基準としては機能し難い。

 抽象概念としては、「言葉に含まれる」と「言葉に含まれないが似ている」とは、明らかに違うはずです。が、電気窃盗を処罰すべきなどの現実的な要請のせいで、明確な区別基準をいまだに示せていないというのが現状でしょうか。


 次回は、制定法を対象とする解釈手法を離れて、「慣習(法)」を対象にしてみようと思います。
posted by ウロ at 11:12| Comment(0) | 基礎法学

2021年05月24日

フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)

 今回は【縮小系】の解釈について。

フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)
フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈

縮小解釈プロセス.png

 文理解釈または定義付け解釈により導かれた命題を事案にあてはめ、結論が妥当でない場合に【縮小系】の解釈が試みられます。

 「縮小系」と表現しているのは、「拡大系」と対比するためです。
 が、「拡大系」が、拡大解釈・類推解釈・勿論解釈などいろんな広げ方があるのに対して、縮小系はなぜか「縮小解釈」だけです。「反制定法解釈」は、縮小しすぎという縮小解釈のライン上の問題にすぎません。

 これが実態としてそうなのか、それとも十分な深堀りがされていないだけのか、私にもよく分かりません。定義付け解釈のように、見落とされているのかもしれませんし。
 

 「対比」とは書きましたが、縮小解釈と拡大解釈とを、単純な裏表の関係にあるものと理解してよいかは留保が必要です。
 立法者が適用すべきとして書いた範囲はそのままにそれを広げること(拡大系)と、その範囲を削り取ること(縮小系)とは、立法への反逆具合が違うのではないか、ということです。

 厄介なのは、規定内容によって、縮小系と拡大系とで方向性が逆転するということ。
 租税法でいうと、同じ縮小解釈でも、解釈対象が課税根拠規定の場合は納税者有利、課税制限規定の場合は納税者不利となり、これが拡大解釈の場合は逆になります。

縮小系・拡大系裏表.png


 課税制限規定の拡大解釈・縮小解釈につき、「適用範囲」を軸にすれば言葉と図が一致します。

 
軸:適用範囲.png


 が、「課税範囲」を軸にしてしまうと、これが逆転します(認知不協和)。

軸:課税範囲.png


 ので、「縮小解釈は緩やかに/拡大解釈は厳しく」というように、解釈手法ごとの解釈方針を示すことはできません。規定内容によって「緩和/厳格」を判断する必要があります。

 このように、規定内容により逆転する関係にあるにも関わらず、拡大系だけ手法が豊富なのは、やはりよくわかりません。

 ということで、一連の記事では、規定内容や解釈方針云々ということには踏み込まず、あくまでも「解釈手法」という外形的な観点からのみ検討することとしています。


 なお、反対解釈と類推解釈も反対概念として掲げられることがあります。

  拡大解釈⇔縮小解釈
   ↓    ↓
  類推解釈⇔反対解釈

 確かに、帰結を並べると反対っぽくみえます。

  反対解釈: 適用範囲外だし・違うから・適用しない。
  類推解釈: 適用範囲外だけど・似てるから・適用する。

 が、適用範囲外の場合に適用しないのは当たり前のことなのに対し、似てるからといって適用範囲外の事案に適用するのは相当異常な事態です。これを単純な裏表の関係にあると位置づけてよいのか、私には疑問ありです。

 また、反対解釈を縮小解釈の系列に並べるのもしっくりきません。
 前々回であげた(旧)民法511条でいうと、反対解釈により差押前取得の債権に同条を適用しないと解釈したとして、これは同条を「縮小」したわけではありません。

民法(旧) 第五百十一条(支払の差止めを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)
 支払の差止めを受けた第三債務者は、その後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができない。


 数値化していうと、適用範囲が0〜10の場合に、11には適用しないといっているだけで、0〜10はそのままです。もとの適用範囲を縮小しているわけではありません。

 確かに、縮小解釈の思考過程を無理くり分解すると、

 【縮小解釈(広義)の思考過程】
  1 文理解釈: 適用範囲0〜10
  2 縮小解釈: 適用範囲を0〜8に縮小する
  3 反対解釈: 当該事案は9なので及ばない

と、縮小解釈(広義)の中には3の反対解釈が仕込まれていると見ることもできます(2は狭義の縮小解釈)。
 が、こんなものをあえて取り分ける必要があるとは思えません。

 【縮小解釈の思考過程】
  1 文理解釈: 適用範囲0〜10
  2 縮小解釈: 適用範囲を0〜8に縮小。当該事案は9なので及ばない。

 これで足りる。
 もし取り分ける必要性があるとしたら、縮小解釈とカップリングになるのが反対解釈だけでなく、「縮小解釈+○○解釈」のような別のカップリングがある場合とかでしょう。

 【(広義の)縮小解釈】
  1 縮小解釈+反対解釈
  2 縮小解釈+○○解釈
  3 縮小解釈+××解釈

 拡大系に比べて縮小系は手法が貧弱、という問題、どうもこのカップリングを見い出せば解決できそうです。が、さしあたり私には何のアイディアも浮かんでいません。

 ということで、当チャートでは、反対解釈は【通常系】、縮小解釈は【縮小系】、類推解釈は【拡大系】にそれぞれ納めるという整理をしています。


 前回の記事では、民法177条の「第三者」の解釈を例に、定義付け解釈と縮小解釈の使い分け方について記述しました。
 この例では「第三者」の文言解釈が明確だったため、定義付け解釈を経由せずに縮小解釈がなされました。

文理解釈→縮小解釈.png


 他方で、文理解釈では命題が導けない場合には、一旦定義付け解釈をはさむ必要があります。そして、この定義付け解釈による命題を狭めたい場合に、縮小解釈をすることになります。

文理解釈→定義付け解釈→縮小解釈.png


 前回の記事でも述べたとおり、定義付け解釈と縮小解釈の境目は固定的なものではありません。
 文理解釈を100%、空文化を0%とすると、その間に定義付け解釈→縮小解釈→反制定法解釈が並びます。
 
 100% 文理解釈
     定義付け解釈
     縮小解釈
     反制定法解釈
   0% 空文化

 上図のイメージでいうと、文理解釈では輪郭がぼやけているのを明確化するのが「定義付け解釈」、文言解釈・定義付け解釈の適用範囲を狭めるのが「縮小解釈」、狭めすぎると「反制定法解釈」と評価されるようになり、適用範囲が完全に無くなると「空文化」となる、といった感じです。
 そして、縮小解釈だったものが確立するに従って定義付け解釈に移行すると。

 あくまでもイメージであって、「○%〜○%までが縮小解釈」などと数値化することはできません。
 文言から離れるにしたがって呼び方が変わるわけです。が、ある論者は「これは縮小解釈として許される」といい、別の論者は「文言から離れすぎた反制定法解釈であり許されない」といったように、レッテル貼りの道具として使われることがあります。
 ので、あくまでも解釈の中身を見るようにすべきでしょう。


 反制定法解釈が許されない場合には、解釈論ではどうにもならず「立法論」に委ねることになります。ただし、当該事案限りでの「例外則」の発動により救済を図ることもありえます。
 このような逃げ口があるのが「概念法学」との違いのひとつです。

 一連の記事では「憲法解釈論」については考慮外にしているのですが、もしチャートに入れ込むならこの「例外則」のところになりそうです。

 憲法論を「例外則」に入れ込むとは何事か、とお叱りのご意見はあるかと思います。
 「レイヤー」という概念を用いるならば、普段は非表示にしているだけで、チャート全体を憲法論というレイヤーが覆っていることになるのでしょう。
 が、実相としてはやはり例外的に発動されることになることになるため、申し訳ありませんが、さしあたりここに収まっておいていただければと思います。

 縮小系についてはこの程度で、次回が【拡大系】となります。

フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)
フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
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2021年05月17日

フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈

 前回の【文理解釈】につづいて、次は【定義付け解釈】について。

フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)

定義解釈プロセス.png


 定義付け解釈が必要となるのは、
  ア 文理解釈ではあてはめができない
  イ 反対説があって文理だけでは説得力が弱い
などといった場合です。

 イの例としてぱっと思いつくのが、「ホステス報酬源泉徴収事件」の最高裁判決(最判平成22年3月2日)。

裁判例結果詳細(最高裁サイト)

 「期間」を文理解釈しておしまいと思いきや、それがホステス報酬源泉の趣旨にも合致する、なんてことも付け足しているわけです。

 文理どおりの解釈なのに、なんでわざわざ趣旨まで持ち出すのか。
 もちろん、高裁(と課税庁)の変な趣旨解釈を否定するためでもあります。が、それだけではなく、現代の法解釈論における文理の地位が相当低いからに他なりません。

 最高裁ほどの権威がありながら、です。「『期間』は文字通り!異論は認めん!」で済ませられない。

 このような最高裁の慎ましやかさと比べて、例の高裁判決が、高裁のくせに・通達のくせに・いうほど文言どおりじゃないくせにドヤ顔で判決出しているのは、何重にもどうかしてるぜ!であることがわかると思います。

【例の高裁判決】
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決

 「最高裁は文理解釈を採用した」というだけでは、最高裁判決の慎ましやかさを余すことなく評価したことにはならないでしょう。
 そしてまた、例の勝ち抜き方式型の系統図・分類図では、この「表向き文理解釈のくせに趣旨にも触れる」解釈手法の収まり場所がありません。

金井高志「民法でみる法律学習法 第2版」(日本評論社2021)
法律解釈のフローチャート(助走編)

 趣旨にふれているのは、「期間」のこの読み方が通用するのはあくまでもこの趣旨が当てはまる場合に限ると、射程範囲を示唆していると見ることもできます。
 ので、最高裁阿り系の高裁判事が、この趣旨があてはまらない別の「期間」にまでこの判決を横流ししだしたら、「事案が違う!」と一喝されるのでしょう。
 
【最高裁阿り系判決】
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決

○ 
 さて、一般的な法解釈手法の解説書で、この定義付け解釈が明示されることはないです(ので、決まった名前がなく、私が勝手にネーミングしているだけ)。
 文理解釈の説明が終わったら、その次は縮小解釈・拡大解釈の話しに流れてしまいます。

 が、たとえば民法95条の「錯誤」について、「表意者の認識なしに意思と表示が食い違うこと」という帰結を文理解釈の範疇で導き出すことはできないでしょう(例は「過失」でもなんでもよいです)。
 「善意/悪意」のように、争いのない定義とはいいがたい。

 かといって、文理解釈では「勘違い」とだけ言っておいて、これに縮小解釈(拡大解釈)を施すことで上記命題を導く、というのもどこかおかしい。
 やはりこの間に、錯誤を法的に定義付ける解釈という段階を挟んだほうがしっくりくるのではないでしょうか。

 この解釈手法を暫定的に【定義付け解釈】(定義解釈)と呼んでおきます。
 が、いまいちしっくりこないので、何か相応しい名称があればご紹介ください。

 税理士らしく、たまたま手近にあった税法解釈の例もあげておきます。

 『国税通則法74条1項の「その請求をすることができる」とは、法律上権利行使の障害がなく、権利の性質上、その権利行使が現実に期待のできるものであることを要すると解する。』

 こんな解釈、文理だけからはでてこないし、かといって何かを縮小・拡大しているわけでもないですよね。


 定義付け解釈が明示されない風潮、法学が「異常事例思考」であることの一局面だというのが、私の見立て。

【通常事例思考】
米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)
内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)

 文理解釈についてはさすがに触れざるをえないということで最初に出てくるものの、定義付け解釈のような「普通の」解釈手法が意識から抜け落ちてしまっているわけです。
 縮小解釈・拡大解釈などのアブノーマル系の解釈手法に、すぐ飛びつきたがる。

 学生に対しては「論点に飛びつくな」とか指導をしているはずなんですけども。


 定義付け解釈で使われる素材としては、立法者意思、制度趣旨、法体系、先行判決、慣習、外国法などといったものがあります。
 文理解釈では手法も素材も形式的だったところに、実質的な考慮を加えることになります。

 この定義付け解釈を文理解釈に含めてしまうという整理も可能ではあります。が、「まずは形式判断から」という形を明確にするためには、段階を分けておくのが望ましいでしょう。
 ましてや、「国民の予測可能性」を文理解釈重視の根拠とする見解なら、なおさら分ける必要があるはずです。

解釈手法分類.png



 他方で、縮小解釈・拡大解釈との区別については、固定的・絶対的なものではありません。
 
 たとえば、民法177条の「第三者」。

民法 第百七十七条(不動産に関する物権の変動の対抗要件)
 不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。


 『当事者もしくはその包括承継人以外の者で、不動産物権の得喪及び変更の登記欠缺を主張する正当の利益を有する者』というのが確立した解釈になっています。

 これを細かく分けると、
  ア 当事者以外の者 ⇒文理解釈T(日常系)
 +イ 当事者もしくはその包括承継人以外の者 ⇒文理解釈U(法文系)
 +ウ 不動産物権の得喪及び変更の登記欠缺を主張する正当の利益を有する者
   ⇒定義付け解釈?縮小解釈?
となるでしょう。

 日常用語では当事者以外の者は全員第三者になるはずのところ、さらに法律用語としては包括承継人も第三者から除外すると。
 問題は、ウの実質論の部分を定義付け解釈とみるか縮小解釈とみるか。

 別に、どちらにするかで何かが変わるわけではありません。
 ではありますが、この論点に関しては、次のように整理しておくとよいと考えます(およそ正しい歴史認識ではありません)。

 1 当初はアイの文理解釈がベース。
 2 これに縮小解釈を施してウを付加した。
 3 ウが確立した解釈となることによって定義付け解釈にランクアップ。
 4 様々な事例へのあてはめにより「正当な利益」の中身を精緻化。
 5 限界事例は「正当な利益」に縮小解釈・拡大解釈を施すことによりあてはめ。
 6 それら解釈も確立することで定義付け解釈に取り込まれる。

 このように、定義付け解釈/縮小解釈・拡大解釈の区別については、形式面から固定的に区分するのではなく、流動的に可変するものだと捉えておくのがよいのではないでしょうか。当初は縮小解釈・拡大解釈だったものが、確立することによって定義付け解釈のポジションに移行すると。
 なので、確定した解釈をいまだに縮小解釈の一例として紹介するのは、私にはしっくりきません。

 ちなみに、「背信的悪意者排除論」は4の中の一作業で、「正当な利益」の下位基準のひとつだと理解すればよいと思います。
 これを「正当な利益」そのもの、あるいは縮小解釈と理解するのは正確ではないでしょう。「通行地役権」に関する例の判決のおさまり場所がなくなってしまいますので。

 上位命題   下位基準
 正当な利益 −背信的悪意者排除ルール
       −通行地役権ルール
       −・・・

 なお、「正当な利益」という定式自体は動いていないので、この論点に関してはまだ5・6にはたどり着いていないことになります。
 というか、「正当な利益」という物言いが抽象的過ぎるので、どうとでも中身が決められるということかもしれません。上記の下位基準以外も追加的に納めることができる、開かれた命題といえるでしょう。


 完全な余談ですが、いわゆる判例付き六法の類が、判決要旨を抜き出した上でベタッと横並びで陳列していることには違和感ありです。一応の項目立てはされていますが。
 これは自分で立体的に組み立てるための素材提供にとどまる、と位置づけておけばよろしいでしょうか。

 有斐閣判例六法 令和6年版(有斐閣2023)
 有斐閣判例六法Professional 令和6年版(有斐閣2023)


 さらにこの先、前回の記事で触れた民法511条1項後段のように、確立した解釈が「制定法化」されることでさらなるランクアップがなされることもあります(チャートのスタートに組み込まれる)。

 民法423条の7も、債権者代位権の「転用」と呼ばれていたものが制定法にランクアップした一例ですよね。

民法 第四百二十三条の七(登記又は登録の請求権を保全するための債権者代位権)
 登記又は登録をしなければ権利の得喪及び変更を第三者に対抗することができない財産を譲り受けた者は、その譲渡人が第三者に対して有する登記手続又は登録手続をすべきことを請求する権利を行使しないときは、その権利を行使することができる。この場合においては、前三条の規定を準用する。


 ので、いつまでも「転用」呼ばわりするのはおかしい。

【おかしい】
後藤巻則「契約法講義 第4版」(弘文堂2017)


 以降の流れは文理解釈のときと同じなので、合流させた形でフローチャートを表現しています。

 前回と今回の、文理解釈・定義付け解釈・反対解釈までを【通常系】の解釈手法として括っておき、以降の【縮小系】と【拡大系】とは区別します。

 なお、一般的な解説書では、文理解釈以外の解釈につき「論理解釈」の名前で括られることがあったりします。
 が、文"理"解釈といいながらそれを「論理解釈」から除外するのはおかしいし、それ以外の解釈も「論理」でひとまとめに括れるほど一枚岩ではないです。勿論解釈なんて特に、論理による解釈などとはいいがたい。

 前回述べた反対解釈について、一般的な解説書におけるポジション取りがおかしいのは、解釈手法の機能に即した分類をせず、一括りにしてしまっているところに原因がありそうです。

 ということで、この「論理解釈」という用語は用いません。
 どうしても、文理解釈とそれ以外を区別したいのであれば、「客観的解釈/主観的解釈」「形式解釈/実質解釈」のほうがよいかと思います。
 もちろん文理解釈は、純潔性が確保されていることを前提としてです。

 次回は【縮小系】の解釈です。

フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)
フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)
フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
posted by ウロ at 10:10| Comment(0) | 基礎法学

2021年05月10日

フローチャートを作ろう(その1) 〜文理解釈(付・反対解釈)

 法解釈のフローチャート、前から順番に検討しながら積み上げていってみます。
 さしあたり「制定法」の解釈手法に焦点を絞り、慣習法と判例法については余力があれば検討します。

【準備稿】
法律解釈のフローチャート(助走編)
フローチャートで遊ぼう。 〜フローチャート総論

 まずは文理解釈から。
 さすがに文理解釈は簡単かと思いきや、よくわからないところがあって。


文理解釈(基本).png


 これは「制定法を文理解釈することによって命題1を導く」という意味を表しています。
 命題に番号を付けているのは、文理解釈だけで終わるとはかぎらないからです。

 この、文理解釈をする際の素材として考えられるのは、次のもの。
  T 《日常系素材》 日常用語・一般論理
  U 《法文系素材》 法律用語・法律論理

 法律用語というのは「善意=知っている/悪意=知らない」など、法律論理というのは「後法は前法に優先する」「特別法は一般法に優先する」などを想定しています。「及び・並びに」の用法などは、まあどちらに入れても構いません。

文理(日常系・法文系).png


 わざわざT・Uと系統分けをしているのは、文理解釈を重視する理由として「国民の予測可能性」「納税者の予測可能性」の確保を持ち出す見解が存在することを意識してのことです。

 同説に従うならば、文理解釈ではTまでしか使えないはずです。
 「国民の予測可能性」を持ち出しておきながらUを含めるのだとしたら、「国民は当然Uを理解しているはずだ」という現状認識をお持ちだということでしょうか。
 ここには、
  『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない』
的なアッパークラス感がにじみ出ています。

 そうではなく、「Uを理解できない国民は無視する」ということでしょうか。
 こちらだとすると、
  『パンがなければ何も食べなければいいじゃない』
という、さらにヤバいご主張になるわけですが、さすがに違いますよね。

 いずれにしても、「国民」とU《法文系素材》の噛み合わせは悪い。
 現実には文理解釈からUを除外する法学者などいないわけで、『文理解釈なら国民の予測可能性を確保できる』なんてのは、あくまでも文理解釈Tまでで解釈が終われる場合の話だと、割り引いて聞いておくべきものだと思います。

 ということで、以降はTUを区別せずに論じます。


 文理解釈からスタートすること自体は間違いではなくって。
 思うにその根拠は、解釈の「一義性」「一意性」を確保するためではないでしょうか。
 「国民の・予見可能性」などという、フィクション味溢れる主観的な理由では決してなく。

 誰の主観も入れずに済ませられるなら、それに越したことはない。
 解釈に争いがあって最終的には最高裁に決めてもらわないといけない、なんてのは極めて生産性が悪い。とにかく事前に不動のルールが存在している、ということ自体にメリットがあるわけです。

 「誰の主観も」ということでいうと、「立法者意思」ましてや「立案者意思」も考慮しないということです。

【立法者意思・立案者意思】
アレオレ租税法 〜立案者意思は立法者意思か?

 これらの意思そのものが主観チックであるのに加え、それを認定する作業にも主観が混入します。
 もちろん、立法者個人の心の中を直接探るのではなく、議事録等の資料を素材とすることになります。ので、主観そのものの探求ではありません。
 が、書かれている条文だけを素材とするのと比べたら、不安定なのは間違いないでしょう。

 であれば、誰もが争いえない言葉の意味・用法だけを素材とする解釈ですませたほうが、安定はします。
 改正後の立案担当者による解説本において、「実はこういうつもりだった」などとあれこれ後付けな説明を施すのではなく、きっちり法文に書き込んでおきなさいと(ただ、これを強く要請しすぎると「要件書き込み」で趣旨解釈がお亡くなりになります)。

 上記のとおり、「誰の主観も入れない」という方針からすると、Uの法律論理の例でいうところの「前法/後法」「一般法/特別法」の関係なども、形式的に判定できる場合に限るべきでしょう。
 これら関係にあるかどうかにつき実質的な判断が必要な場合は、文理解釈の範疇では行わないほうがよい。


 以上の主張は、「文理解釈」の名の元にあれやこれやの猥雑物を混入させようとする勢力から、文理解釈の純潔性を守ろうというプロテスト仕草にすぎません。
 猥雑物の混入それ自体を否定しているのではなく。混入させたいならそれ以降の解釈手法でやってください、というだけの話です。

 ちなみに、「概念法学」というのが、この純潔性守ろう活動と親和性が高い。

 概念法学、すでに克服された学説であるかのように記述されることが多いです。が、本気で「国民の予測可能性」を確保したいと思っているのならば、概念法学に行き着くはずなんですけども。
 概念法学を否定すると同時に国民の予測可能性を確保しようとするの、「概念法学=悪、国民の予測可能性=善」という偏見まみれの図式的なレッテル貼りがなせる所作ではないでしょうか。

 同じ「○○市水道局の水道水」なのに、容れ物に、Aには「○○市の水道市」、Bには「富士山麓の天然水」というラベルを貼ったら、「さすがBは美味しい!」とか言っちゃう、似非ミネラルウォーターソムリエ感が溢れ出てますよね。


 さて、文理解釈により事案へのあてはめが可能となれば、これを適用して結論を導きます。

文理解釈プロセス.png


・適用ありの場合
  結論が妥当かどうかの《価値判断》を行い、妥当であればそのまま適用してお終い。
  不当であれば【縮小系】の解釈手法へ向かいます。

・適用なしの場合
  結論が妥当かどうかの《価値判断》を行い、妥当であれば適用しないでお終い。
  不当であれば【拡大系】の解釈手法へ向かいます。

 文理解釈だけで終わる場合でも、最後まで形式判断だけで終わるわけではありません。
 その帰結が妥当か、という実質判断は必要となります。あくまでも、解釈手法のところが形式判断なだけ。
 ここに実質を入れ込むところが「概念法学」との分かれ道です。


 適用なし・妥当YESでお終いとなる場合の解釈には【反対解釈】という名前がついています。

 適用なしの場合に適用しないのだから、それ以上何がしかの解釈手法を差し挟む必要はないように思います。
 が、規定外の事柄については、積極的に適用を否定する趣旨なのか、何も判断をしていないだけなのか、文言だけでは明らかになりません。そこで、このいずれであるかについて、確認をする必要があります。
 そして、及ぼさなくてよいという確認ができてはじめて、適用なしという結論で終えることができます。


 【反対解釈】については、一般の教科書でも不正確な記述があるので一言加えておきます。
 例として、旧法時代の、差押え前に取得した債権で相殺できるか(「差押えと相殺」)に関する記述をあげます。

民法(旧) 第五百十一条(支払の差止めを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)
 支払の差止めを受けた第三債務者は、その後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することができない。


『無制限説によれば、民法511条の【反対解釈】により相殺できると解することとなる』

 この記述の何がおかしいかといえば、511条の反対解釈だけでは、相殺が「できる」ことまでは導かれないという点です。
 511条の反対解釈からでてくるのは、差押え前に取得した債権による相殺に511条は適用されないというところまで。
 相殺ができるのは、あくまでも505条の要件を満たすからです。

民法 第五百五条(相殺の要件等)
1 二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。


 で、511条による制限がかからないから、原則通り505条で相殺ができるという帰結がでてきます。

 抽象化していうならば、反対解釈からでてくるのは、解釈対象である条項が「適用されない」という帰結まで。そこから先、何か別の効果が生ずることまではでてこない。
 別の効果が生ずるとしたら、それはあくまでも別の条項の解釈によるものです。

 この違いをちゃんと理解していないと、【類推解釈】などの拡大系の解釈と、反対解釈とを同じような判断構造だと勘違いすることになります。

  解釈対象:「Aならばaが生ずる」
   類推解釈    A'はAと似ているからa'が生ずる
   反対解釈(誤) BはAと違うからbが生ずる
   反対解釈(正) BはAと違うからaは生じない

 反対解釈それ自体からは、何らの効果も発生しません。
 bが生ずるのだとしたら、それは別の条項に基づくものです。

 反対解釈を縮小系・拡大系の解釈と横並びで記述している解説書、このような違いがあることを理解していないのか、それとも単に、文理解釈以外のやつらという程度の整理で済ませているだけなのか。
 いずれにしても、学習者側は、無自覚な解説書の記述を鵜呑みにするのではなく、各解釈手法の機能の違いに気をつけておく必要があります。


 ちなみに改正法の条文(505条は改正なし)。

民法 第五百十一条(差押えを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)
1 差押えを受けた債権の第三債務者は、差押え後に取得した債権による相殺をもって差押債権者に対抗することはできないが、差押え前に取得した債権による相殺をもって対抗することができる。


 裏表を両方書き込むという、珍しいタイプの法文に仕上がっています。
 これは「制限説」の息の根を止めようという意図からでしょう。

 が、反対解釈を明文化してもまだ、【縮小解釈】による解釈の余地は残されています。もちろん、改正前よりはやりづらくなっているでしょうが。
 濫用論でガス抜きを図っているみたいだし。


 なお、当ブログでは「要件書き込みは趣旨解釈を駆逐する」をテーマにした記事をいくつか書いたことがあります。

【文言解釈VS趣旨解釈】
「要件書き込み」は趣旨解釈を駆逐する。〜小規模宅地等の特例を素材に
からくりサーカス租税法 〜文言解釈VS趣旨解釈、そして借用概念論へ

 この状態をチャート上で表現しようと思うと、最初にあげた「制定法→文理解釈→命題1」の部分を肥大化させ、それ以降の解釈を上書きするような書き方をすることになります。
 より正確には文理解釈U【法文系】のほうだけを拡大します。「要件書き込み」は、もっぱら法律用語・法律論理を使って行われますので。

 以降の記事では、チャート上の各パーツのサイズを揃えて作成しますが、そういった現状にあることは念頭においていただくのがよろしいかと思います。
 そしてそれは、ただただ「租税法律主義」をご宣託のようにありがたがって唱え続けてきた人たちの招いた厄災だと、ご理解いただければと。


 文理解釈だけではあてはめできない・しにくい場合は【定義づけ解釈】に進みます。

 ということで、次回は【定義付け解釈】を検討します。

フローチャートを作ろう(その2) 〜定義付け解釈
フローチャートを作ろう(その3) 〜縮小解釈(縮小系)
フローチャートを作ろう(その4) 〜拡大解釈(拡大系)
フローチャートを作ろう(その5) 〜慣習法
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
posted by ウロ at 09:41| Comment(0) | 基礎法学

2021年04月19日

フローチャートで遊ぼう。 〜フローチャート総論

 先週の記事から地続きで、「フローチャート」遊びをしてみます。

法律解釈のフローチャート(助走編)

 フローチャート化、やろうと思えばこんなものでもできてしまいます。

《季節のフローチャート》(何か料理名のような)
季節のフローチャート.png


 だからといって、季節をチャート化する意味があるかといえば、まあないですよね。

季節!.png

 これでいい。
 季節ごとの仕切りがないのは、移りゆく季節に境目などないのだから(ポエム調)。
 どうしてもめぐるめく季節感を表したければ、これをグルっとドーナツ状にしたらいい(しません)。


 ダメ押しで、こんなものも作ってみました。

《コーヒーフローチャート》
コーヒーフローチャート.png

 これはマトリクスで足りますよね。

コーヒーマトリクス.png

 私が思うに、フローチャートには「動的/静的」といった区別があるのではないかと。
 一番重要なのは、チャートの中に「時間の流れ」が存在するかどうか。

 もちろん、季節のフローチャートも「移りゆく季節の流れを描写しているのだ」というつもりかもしれません。
 が、これは現時点の季節が何かを判定するためのものであって、チャートの中に時間は流れていません。

 コーヒーフローチャートに関しても、通常は「時間の流れ」を考える必要はないでしょう。

 もしかしたら「俺はミルクと砂糖を入れる順番に拘る!」という方がいらっしゃるかもしれません(砂糖はかき混ぜるが、ミルクはかき混ぜないとか)。
 そこで、拘りコーヒーフローチャートを作ってみました。

《拘りコーヒーフローチャート》
拘りコーヒーフローチャート.png

 が、これもマトリクスでカバー可能です(「入れる・入れる」のマスを二つに分ける)。
拘りコーヒーマトリクス.png



 遊びすぎなので、一応民法を題材にしたものもあげておきます。

《委任/請負のフローチャート》
委任請負のフローチャート.png


 これもマトリクスのほうが一覧性がある。

成果報酬型委任.png


 というか、フローチャートにしてしまうと、C請負とB成果報酬型委任とで「成果なしでは報酬がもらえないという点では共通」という関係が隠れてしまうのが問題です。
 フローチャートだと、請負が「成果なしで報酬をもらえない」ことが「成果を得ることが義務である」の中に埋もれてしまいます。チャートの形としても、請負と成果報酬型委任が離れてしまっており、何らかの共通性があることなど思いつきにくくなっています。


 と、フローチャート化が向いているのは、チャートの中に「時間の流れ」を入れ込めるものであって、それ以外のものは他の手法にしたほうが望ましいことが多い、ということだと思います。
 そして、チャート化すると個々の要素がリニア式に表現されることになるので、ものによっては、全体像が見渡しにくい・個々の要素の位置づけや関係が分かりにくい、などといったデメリットが生じることにもなります。

 「なんか辿るのめんどくせえ」と感じるフローチャートは、だいたいこの類の、時間の流れに沿っていないものだと思ってもらっていいんじゃないですかね。

 しかしまあ、こんなふざけたチャート作ってないで、早く自分なりの法解釈フローチャートを作るべきなんでしょう(コーヒーの色付けにこだわらなかっただけ、まだセーフ)。
 一応言い訳としては、法解釈フローチャートを「各論」とした、フローチャート「総論」を展開したつもりではあります。
posted by ウロ at 10:47| Comment(0) | 基礎法学