2023年11月13日

みずほCFC事件判決(最高裁令和5年11月6日)と形式的犯罪論

 例によって、エキセントリックなタイトル。

 先日、取り急ぎで雑感を書きましたが。

みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)

 本判決の「形式偏重」な思考、以下のような物言いを想起させるんですよね。

【形式的犯罪論】
 国家権力による恣意的な処罰を抑制するため、法律による定めなしに処罰することは許されない。この趣旨を貫徹するため、裁判官は法律を形式的に適用することしか許されず、実質的な判断を加えることは禁止される。


 刑法総論の教科書の最初のほうで、すでに克服された考え方として紹介されているものです。

 「実質的判断を入れただけでは、直ちに恣意的な処罰になるわけではない」ということについては、今どきの刑法学説であれば共通認識になっているものかと思います。形式的に構成要件に該当するというだけでは犯罪は成立せず、処罰に値するだけの法益侵害があるかどうかの検討は別途必要だと。

 本判決の論理を刑法学上の道具立てになぞらえて説明するならば、

 形式的に犯罪構成要件(課税要件事実)に該当するならば、実質的な法益侵害(合算に値する子会社所得)が存在しなくても、処罰(合算課税)すべきである。

ということになります。税法の課税要件事実は租税犯罪構成要件(の一部)でもあるわけだから、わざわざ「なぞらえて」なんて言わなくてもよいのかもしれませんが。
 「形式的犯罪論」を完全トレースした物言い。


 一昔前の刑法学説(純粋な意味での形式的犯罪論)みたいなものが、税法分野では、令和時代の最高裁判決において堂々と展開されているなんて、周回遅れにも程がある。
 ではありますが、最高裁を責めるのは酷であって。やはり税法学説において、租税法上の原理原則として「罪刑法定主義」(+そこからの派生原則)を唱えるだけで満足してしまっているのが問題なのでしょう。

 『だったら、事前に・明確に・平等に、課税するって法律に書いておきゃいいんだろ。』に対して、「租税法律主義」だけではなんら対抗することができません。刑法学でいうところの「法益保護主義」に対応するような原理原則が、未だに開発されていない。

 仮に、「早歩き罪」(早歩きしたら処罰)などという犯罪があったとしたら、何ら保護すべき法益がないから許されない、となるでしょう。に対して、「早歩き税」(早歩きしたら課税)という税目があったとしても、それを制約できるような道具立ては、税法学説内部に用意されていません。


 CFC税制のように、法令上は《割り切り》によって規定せざるを得ないとしても(「課税要件の明確性」)。また、課税庁が課税処分の段階で形式的に執行せざるを得ないとしても(「課税執行面における安定性」)。裁判所までもが、個別事案における救済を検討せずに形式判断だけで押し切らなければならない、ということにはならないでしょう。

 本件でも、本来の趣旨から外れた「過剰課税」であることは認められているのだから。裁判所が個別救済したとしても「立法権の侵害」ということにはならないでしょう。もともと立法府が想定していた趣旨に沿って限定を加えているわけで。裁判所が独自の意味を勝手に充填するのではありません。

 税法が「緻密で合理的な条文の集積」から成り立っているとして。
 よく出来上がっている箇所については、余計な判断を加えず粛々と形式的なあてはめをしていけばいいのでしょう。が、そうではない箇所については、課税に値する実態が存するのかどうか、しっかり検討する必要があるのではないでしょうか。


 ここであらためて、本判決がいう「課税要件の明確性」について。

 ここまでは、さしあたり「租税法律主義」から派生するところの『明確性(憲法原理)』として捉えておきました。で、課税に対する《制約原理》なのに、《拡張原理》として使うのはおかしい、と批難しました。
 が、よくよく考えると、本判決がいうところの「課税要件の明確性」は、憲法原理としてのそれではなく。単に立法技術としての『明確性(立法技術)』を言っているのではないかと。

 前回のイメージ図のごとく、楕円の制度趣旨にピッタリ寄り添う形で制度設計するのは立法技術的に無理がある、ので、ある程度の《割り切り》は『明確性(立法技術)』の観点から許される、といっているだけだと。

 もしそうだとすると、法令そのものが違法とならない、というだけで。当該事案に適用することが許されるかどうかは、やはり、別途検討が必要になるのではないでしょうか。


 本判決において「裁判所が」個別救済をしない理由付けとして機能しているの、「調べりゃ回避できたはず」だけだと思います。「課税要件の明確性」は立法府向け、「課税執行面における安定性」は課税庁向けに使える理由にすぎず。裁判所が個別救済を拒絶する理由としては遠すぎる。

 では、「回避理論」をもって個別救済を拒絶することが正当化されるでしょうか。
 この理論、自招防衛などにおいて正当防衛を否定する根拠として使われる「退避義務」に似ているんですよね。自分で不正な侵害を招いたのであれば、反撃せずに退避すべき、として使われるやつ。
 そうすると、本件でもみずほ様に「回避義務」が課せられるのかどうか、という評価が問題となってきます。

 この点、「早歩き税」であれば、「早歩きしなければ課税を回避できる」からといって、課税が正当化されることにはならないでしょう。あまりにも行動制約が激しすぎるわけで。
 本件においては、みずほ様に配当や事業年度終了のタイミングを調整させることが、どの程度の制約となるかにかかってくるかと思います。手続きそれ自体は簡単だとしても、他への影響を考えるとそんなお気軽にイジれるものではない、とかがありえるわけで。
 本判決自身は、「やりゃあできる」程度にしか考えていないようですが。


 ここで「調整」といいましたが。CFC税制を回避するためだけにこれらタイミングを弄ることが、逆に、不当な「租税回避行為」だとか言い出さないかどうか。
 「過剰課税」の場合でも形式重視で合算するといったわけですが。反対に「過小課税」の場合にも形式重視で合算しないといってくれるのか。

 税法判決において最高裁が、形式重視でいくのか実質重視でいくのか、予測を立てるのが難しくなっているように思います。
 最近の傾向からすると、どちらかというと形式を重視しているようにもみえます。が、りそな外税控除事件判決のように、制度濫用論なんてゴリゴリの実質重視を繰り出してくることもあり。

 本事件における高裁も、決して最高裁様に逆らうつもりで実質重視でいったわけではなく。最高裁ルーレットの「形式/実質」の二択のうち実質にBETしたら外れた、というだけの話だと思います。
 こんな状況で「信託SO」の事件がやってきたら、最高裁様のご機嫌はどちらだろうかと、下級審の裁判官は見極め困るだろうな、と思います。

信託型ストックオプション雑感


 なお、税法における「形式偏重」の最新例が「インボイス制度」です。
 売上側が実質課税なのに対して、仕入側が形式控除なせいで「損税」が生じてしまっています。ここでいう「損税」というのが補足意見でいうところの「過剰課税」。

 私自身は、「損税(=過剰課税)」というものはおよそ許されない、という考えで一連の検討を進めていたのですが。本判決によれば、「課税要件の明確性」「課税執行面における安定性」を理由にしさえすれば、消費者が消費した以上の消費税が生じたとしても別に構わない(し個別救済もしない)、ということになります。

 「所詮カネだから」ということで許容されているのかもしれませんが。
 「処罰すべき法益侵害はないけど、分かりやすさや執行しやすさを重視した結果、処罰範囲に入っちゃったので、処罰されても我慢してね。」なんて言ったら、刑法学者から袋叩きにあいますよね。こんな主張が許されてしまう、租税法学のぬるま湯感は異常。

インボイス行為無価値論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編26)
posted by ウロ at 10:55| Comment(0) | 判例イジり

2023年11月08日

みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)

 一読しての第一印象。誤読・誤解もあると思うので、そのうち修正すると思います。


 「文言解釈の原則からしたら当たり前」というような、単純なお話しではなく。

最高裁令和5年11月6日判決

 主戦場が「政令」となっているため、政令が法律の委任の趣旨をはみ出していないか、という「委任立法」の問題として論じる必要があります。

【参照:消費税法における委任立法】
条文解析《インボイスいらない特例》の法的構造について(その4) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編39)

 「委任立法」の問題として論じる場合、
  1 法律の委任の趣旨を明確にし、
  2 政令の文言解釈で委任の趣旨をはみ出していなければそのままでOK
  3 文言解釈だと委任の趣旨をはみ出すなら、趣旨にそった限定解釈を加える
  4 限定解釈のしようがなければ政令を違法とする
という論じ方になります。

 で、最高裁は案の定、そのままでよいと結論を出したわけですが(1⇒2までで終了)。いまいち中身が腑に落ちない。


 最初に。私が理解したところの、今回の判決のイメージはこんな感じ。CFC税制の制度趣旨に対して、政令(赤枠)がズレている様子を表しています。
みずほCFC事件.png


 本判決を読んでいて、真っ先に引っかかったのが以下の箇所(第2の2(1))。

「@ 本件委任規定は、私法上は特定外国子会社等に帰属する所得を当該特定外国子会社等に係る内国法人の益金の額に合算して課税する内容の規定である。
A これは、内国法人が、法人の所得に対する租税の負担がないか又は著しく低い国又は地域に設立した子会社を利用して経済活動を行い、当該子会社に所得を発生させることによって我が国における租税の負担を回避するような事態を防止し、
B 課税要件の明確性や課税執行面における安定性を確保しつつ、
C 税負担の実質的な公平を図ることを目的とするものと解される。」


 丸数字は私が挿入しました。
 CFC税制の規定を説明するにあたって、AによってCを実現する、というのはわかるのですが。その間にBが入ってくることに違和感を持ちました。何だよ「しつつ」ってと。

 が、このあとに出てくる判示を読んで、わざわざBを挿入したことの意味が分かりました。

このような趣旨に基づく委任を受けて設けられた本件規定は、適用対象金額に乗ずべき請求権勘案保有株式等割合に係る基準時を特定外国子会社等の事業年度終了の時とするものであるところ、本件委任規定において課税要件の明確性や課税執行面における安定性の確保が重視されており、事業年度終了の時という定め方は一義的に明確であること等を考慮すれば、個別具体的な事情にかかわらず上記のように基準時を設けることには合理性があり、そのような内容を定める本件規定が本件委任規定の目的を害するものともいえない。

 政令が「いささか精緻さに乏しい」割り切り方をしていることを正当化するために、法律自身もBを目的に含めていると布石を打っておいたのでしょう。Aとは別途独立に、BもCFC税制の目的にねじ込んだおかげで、個別事情を無視した《割り切り》をしてもCFC税制の「目的を害するものとはいえない」ということができるわけです。

 が、これでは政令の《割り切り》から逆算して、CFC税制の目的をでっち上げただろと非難されてもおかしくない(ヤラセ疑惑)。


 そこで、これだけではヤラセ丸出しだと思ったのでしょうか。「前記事実関係等の下において本件規定を適用することが本件委任規定の委任の範囲を逸脱するか否か」などいうことまで検討し始めました(第2の2(2))。

 政令が委任の趣旨通りに作られているのであれば、わざわざ個別事案ごとの検討なんていらないはずです。やはり、政令が、CFC税制の本来の制度趣旨であるAからはみ出して規定されていることに対する後ろめたさみたいなものがあったのではないかと、下衆の勘ぐりセンサーが働きます。

 上記イメージ図では、これを緑の◯で表現しています。ぎりぎり政令のライン上に収まっているが(三笘の1mmを想定)、本来の制度趣旨(A)から距離があるものを、例外的に救済する余地を残したようにみえます。

 が、本件では、草野補足意見で露骨に書かれているように「天下のみずほ様がwwwww、調査不足でしくじるとかwwwww、超ウケるwwwww」という具合で、救済方面の議論は積められることはなく。
 ちゃんと調べりゃ回避できただろと言われて一蹴(上記イメージ図のオレンジの◯)。

【一応、補足意見の原文】
被上告人のような我が国を代表する金融機関が本件資金調達手続を立案するに当たっては、当然関係各国の税制を詳細に調査研究し、その内容を知悉することが前提であろうから、被上告人は、我が国のタックス・ヘイブン対策税制についても十分な調査を行い、かつ、(タックス・ヘイブン対策税制は頻繁に改正されるものであることは周知の事実であるから、)必要に応じて、本件資金調達手続の実施後においても最新のタックス・ヘイブン対策税制の内容を調査し、本件資金調達手続によって生み出された会社法や契約法上の権利義務関係に合理的な変更を加えることによって、予期せざる税務上の不利益が発生することがないよう注意を払い続けることを期待され得る立場にあった。


 まあ、一般論レベルで《過剰課税》を許容してしまった以上、個別論レベルで救済されるなんて、ほとんど見込めないように思えます。
 下記の判示が象徴的です。

もっとも、前述のとおり、個別具体的な事情にかかわらず基準時を設ける本件規定の内容が合理的である以上、上記のような帰結をもって直ちに、前記事実関係等の下において本件規定を適用することが本件委任規定の委任の範囲を逸脱することとはならないところ、

 いかにも《経路依存》な書きぶり。「個別事情は無視していいことにしたので個別事情は無視する」といっているだけ。
 私が《ヤラセ》と評価する所以です。


 本判決では「課税要件の明確性」「課税執行面における安定性」というマジックワードが出てきたわけですが。

 以前検討したムゲンエステート・ADW事件判決においても、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」といったマジックワードをもって、用途区分における《割り切り》が正当化されていて。

虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 今後もこの手のマジックワードが頻発するようであれば、しばらく税法判決の理論的発展というものが望めない状況になりはしないかと、不穏な気持ちになります(最高裁判決の《金太郎飴答案》化現象)。

 特に、「課税要件の明確性」「課税執行面における安定性」のためなら、本来の制度趣旨から外れた局面においても課税できること(過剰課税)を正面から認めてしまったのは、かなり致命的ではないかと。

 これまで税法学の世界では、「租税法律主義」及びここからの派生原則が、教科書の最初のほうでやたらと強調されるのに対して。「じゃあ書いときゃいいんだろ!」に対抗できる原理原則というものの発展が目立ちません。

 そのせいかどうか、「課税要件の明確性」という、本来であれば適正課税を導くための《規制原理》として主張されていたはずのものを、過剰課税を正当化するための《拡張原理》として流用(盗用)されてしまっている始末。
 「課税執行面における安定性」にしたって、適正な課税を安定的に執行するということを意味するはずで。「抜けがあると嫌だから多めにとっておけ」などというものを正当化できるものではないはずです。

 どうすんのこれ?


 今後、本判決の表面的な理解だけが独り歩きして。
 本来の制度趣旨に「課税要件の明確性」「課税執行面における安定性」をくっつけさえすれば、個別事情を無視して文言解釈だけで突っ走れる、という下級審判決が続出する予感。

 さすがに、「通達」までもを文言解釈するなんてイカれた判決は、金輪際出現することはないでしょうが。

解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決

 本来の制度趣旨からあまりにも外れた内容となっていた場合には、さすがに最高裁だってアウトと判定するんじゃないですかね。一応、救済の余地は辛うじてほんのり残されたわけですし。


 なお、草野補足意見の下記推察。

・一般に、我が国の税法は、世界的にも稀有といえるほどに緻密で合理的な条文の集積から成り立っており、
・このことが税制に対する国民の信頼や我が国企業の国際競争力の礎となってきたことは税法の研究や実務に携わる者が均しく首肯するところではないかと推察する。

 
 後半部分はよく分かりませんが、前半部分について。

 「緻密」とまでいえるかはともかく、我々税理士が逐一税法条文を読まずとも《日常系税務》の仕事ができちゃっているのは、(通達等が整備されていることもありますが)やはり大元の税法条文が良くできているから、といえるんじゃないですかね。
 条文知らずに税務ができちゃうのは、安定的な制度設計がなされているからだといえるのではないかと。パソコンの仕組みを知らずにパソコンが使える、みたいな。

 ただ、近時のイタチごっこ改正などで制度が複雑になってきたせいで、そのような素直な評価が通用する場面が減っていっているように思えます。
 あるいは、下記で検討したように、立案担当者が当初意図したであろう適用範囲と、実際の条文本体に書かれている適用範囲がズレているという現象も生じており(条文見出しが当初意図の名残り)。

【事例検討】インボイス経過措置(8割特例・5割特例) 暫定版

 今後、条文作成能力の劣化によっても「緻密で合理的な条文の集積」が崩れていくのかもしれません。

みずほCFC事件判決(最高裁令和5年11月6日)と形式的犯罪論
posted by ウロ at 19:16| Comment(0) | 判例イジり

2023年03月27日

虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 前回は「正当な理由」についてで、今回は「用途区分」について。

テンプレ判決 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
虚弱判決(その1) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)


 結論自体は「共通仕入」という既定路線どおりで、何の驚きもないのですが。
 問題は、その結論に至るまでの過程。


 まず、仕入税額控除の趣旨を「税負担の累積防止」だと説明していることに対して。

 すぐに思いつく反例が、不課税売上対応仕入でも「共通仕入」として一部控除ができるという点です。

不課税売上げにのみ要する課税仕入れの税額控除(国税庁)

 当たり前ですが、不課税売上の場合には「税負担の累積」は存在しないわけで。のに、一部控除ができるわけです。ので、仕入税額控除を「税負担の累積防止」だけで説明するのは無理がある。
 どうせ何かの受け売りなんでしょうけども、当該事案以外のところに目配せが効いていない状態になっています。

 そもそも、消費税法においては、売上課税ルールと仕入控除ルールとがセットになって機能するものです。なので、仕入控除ルールだけを取り分けて趣旨を語ることに意味はない(はずなんですが、インボイス制度導入によって、両ルールの分断がますます加速しているのが現実)。

 民法とか刑法のようなおなじみの分野では、こんな粗忽な判示は生まれないはずです。が、税法分野の・消費税法の・用途区分に関する論点なんて、初めて知ったという判事もいたでしょうから、まあそうなるよねと。
 消費税法を一通り勉強したことがあれば、迂闊にも「仕入税額控除は税負担の累積防止」と言い切ったりはしないはずで。あくまでも邪推ですが、調査官からレクチャー受けてそのまま採用しただけ、とでも言わないと、このような判示をしたことの理由が説明できないのではないでしょうか。
 薄味の法廷意見であるにもかかわらず、誰一人「個別意見」を付けないという点からしても、自分で何かを考えて判断したわけではないということが透けて見える。

 「税負担の累積防止」というマジックワードが独り歩きして、仕入税額控除をガンガン否認しまくる実務運用が広まらないか、不安がのこります。法廷意見が薄味なのは仕方ないとして、補足意見なりできちんと意味内容を充填しておくべきものだと思います(が、無理解な補足意見が独り歩きすることもあるので、何とも)。


 本件事案のかぎりで「税負担の累積防止」という趣旨を受け入れるとして。

 ではなぜ、消費者でもない居住用賃貸建物の貸主(以下単に「貸主」といいます。)が、最終的な税負担を負うことになるのか。本判決では、何ら実質的な根拠が示されていません。
 「累積していないから」というのは単なる形式論です。本来消費者が負担すべきとされている消費税を、なにゆえ事業者である貸主が負担すべきことになるのでしょうか。
 話はズレますが、「二重課税は許されない」という考えをとるからといって、そこから「二重課税でなければ課税してよい」という結論は出て来ないでしょう。課税してよいことの積極的な根拠が必要になるはずです。

 私自身も、一連の記事において、非のみ仕入が税額控除を否定されることにつき、「負担者が消費者から一段階繰り上がる」と説明しました。が、これはあくまでも非のみ仕入の「機能」を説明しただけであって。なぜ貸主が負担すべきかについては、その根拠は見当たらないということで、逐一疑問を呈してきました。

 判示の中に出てくるのは、共通仕入の税額控除額を課税売上割合か準ずる割合で決めることや帳簿・請求書がなければ税額控除できないことの理由づけとして、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」と言っているだけです。
 その手前にあるはずの、非のみ仕入が税額控除を否定されることの根拠については、何も触れられていません。

 1 課のみは控除できるが非のみは控除できない →???
 2 課のみでも帳簿、請求書がなければ控除できない →適正な徴税の実現
 3 共通する場合は割合でわりきる →課税の明確性の確保

 ここの根拠がはっきりしないままで、下記の「対応している/していない」なんて、本来なら判断しようがないはずなんですけども。


 なお、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」などというの、いかにもマジックワード然とした物言い。刑事訴訟法の試験問題を「人権保障と真実発見の調和」だけで乗り切ろうとするくらいの愚行。
 現実に課税仕入を行っていたことが明らかでも、調査時に請求書を提示しなければ税額控除できない(保存要件を満たさない)なんて制度、明確や適正よりも「課税のしやすさ」を極限まで優先した結果でしょうよ。

 さらにいえば、売上課税ルールが実質重視で課税されているというのに、仕入控除ルールが形式重視で制限されている部分だけをみて「適正」だとか「明確」だとかいうの、詭弁のように私には感じます。前述したとおり、どうもこの判決、消費税法全体を見ずに、仕入税額控除制度だけしかみないで判示をしているっぽいんですよね。

【こんな刑法理論は嫌だ】
 構成要件該当性:実質重視で判断。
 違法性阻却:形式重視で限定。
→どのような場合に違法性阻却されるかが明確だから「刑罰法規の明確性」に適っている!


 「用途区分」をどのように判断するか、についての本判決の記述は次の通り。

A 「課税対応課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て共通対応課税仕入れに該当すると解するのが相当である。

B 2 前記事実関係等によれば、本件各課税仕入れは上告人が転売目的で本件各建物を購入したものであるが、本件各建物はその購入時から全部又は一部が住宅として賃貸されており、上告人は、転売までの間、その賃料を収受したというのである。そうすると、上告人の事業において、本件各課税仕入れは、課税資産の譲渡等である本件各建物の転売のみならず、その他の資産の譲渡等である本件各建物の住宅としての賃貸にも対応するものであるということができる。

C よって、本件各課税仕入れは、その上告人の事業における位置付けや上告人の意図等にかかわらず、共通対応課税仕入れに該当するというべきである。」


 ”ABC”は私が挿入しました。下線は原文どおりです。
 注意深い方ならこの記述の違和感にお気づきかと思います。AとBの間に論旨の《スキマ》があるという点です。

 税法に馴染みがないといまいち分かりにくいかもしれませんので、法学をお勉強されたことがある方になじみのある「刑法学」の議論でなぞらえてみます。「因果関係」についての近時の議論のところです。

 [刑法上の「因果関係」について、かつて複数の学説が争われていた。が、近時では、多くの学者がこぞって「危険の現実化」という抽象的な規範に乗っかった上で、どのような要素を拾ってどのように判断するかという「下位基準」の開発競争に明け暮れている。]

【下位基準開発競争】
橋爪隆「刑法総論の悩みどころ」(有斐閣2020)

 上記A→Bというのは、A「危険の現実化」という抽象的な規範を掲げた後、Bいきなり生の事実を列挙して「ゆえに因果関係がある」と言っているようなものです。Aでいう「対応」というのを、いったいどのように判断すべきなのかの「下位基準」が全く示されていません。

 「要件事実論」の道具立てでいうと、「規範的要件」である権利の濫用の判断について、あれやこれやの事実を列挙してからおもむろに、「だから権利を濫用している」と結論を出しているようなものです。
 いったいいかなる事実があれば「対応している/していない」といえるのかが、はっきり示されていません。

 最高裁が「下位基準」を示していないのは、上述したとおり、消費税法全体の中における仕入税額控除の位置づけがみえていないからなんでしょう。だから、「下位基準」を開陳することで他の事案にも使われてしまうことに対して、及び腰となっているのでしょう。

 Aにわざわざ下線を引いて「大事なこと言ってやった」感出してますけど、「対応」しているかどうかで判断するなんてこと、会計ソフトに「税区分」を入力したことがある人なら、誰でもわかっていることですよ。
 問題は、その「対応」をどう判断するかであって。

課税方式別税区分・税計算区分一覧(弥生会計)


 仕方がないので、Bのあてはめから逆算して、第一小法廷の考える「下位基準」が透けて見えるか確認してみましょう(以下、売上を省略して単に課税、非課税といいます。あと土地の存在を無視します。浮遊城?)。

 これについては、用途区分における「主要事実」は何なのか、という観点から分析するのがよさそうです。「対応」というのは抽象的な「要件事実」であって、それに該当する具体的な事実を「主要事実」だと位置づけるのがよいのではないかと。

 まず、「要件事実」レベルでは
  課税に対応 →課のみ仕入
  非課税に対応 →非のみ仕入
  両方に対応 →共通仕入
で、どちらとも証明できない場合も共通仕入、と整理できるでしょうか(「課税仕入」であることが大前提です)。

 「主要事実」のほうはどうかというと。
 Bで掲げられている事実をみてみると、次の通りとなっています。

  ・課税に対応する事実:転売目的で購入した。
  ・非課税に対応する事実:居住用で貸して賃料もらっている。

 や、ヘンですよね。
 というのも、課税側は、購入時の買主の主観をあげているのに対して、非課税側は購入以降の客観があげられています。
 主要事実は、転売目的/賃貸目的といった仕入時の「主観」なのか、それとも転売した/賃貸したという仕入後の「客観」なのか。それとも、節操なくごちゃ混ぜに考慮するのか。この判示からは読み取れません。


 用途区分の判断時期については、(「仕入税額控除は請求権」という空論によるまでもなく)「仕入時」に判定するのが原則となっています。
 この点、居住者無し状態で購入した場合を想定すると、建物を購入したという客観的な事実だけでは、居住用/事業用いずれかは決められないはずです。天然果実でもあるまいし、自動的に誰かが住み着いて勝手に家賃を払ってくるわけでもない(や、天然果実でもちゃんと育てる必要がありますね)。
 そうすると、納税者がどういうつもりで購入したのかという「主観」によって判断せざるをえないでしょう。

 Cでは、「上告人の事業における位置付けや上告人の意図等にかかわらず」などと、購入者の主観を排除するかのような書きぶりになっています。
 が、ここでいう「意図等にかかわらず」というのは、およそ意図を考慮しないということではなく。転売が主で賃貸が従といった意図の「重み」を考慮しないということを言いたいのでしょう。有るか無しかだけで判断すると。
 本当は貸したくないと思っていたとしても、実際に居住者がいる以上は賃貸の意図は否定できないと。心臓めがけてナイフを突き立てておいて、殺すつもりはありませんでした、という言い訳が通用しないのと同じ理屈でしょう。
 が、だからといって、客観的事実のみだけでダイレクトに「故意がある」とは判断できないはずです。あくまでも、それら客観的事実から「殺すつもりがあった」という主観的事実を認定する必要があります(責任帰属に主観的事実は不要という立場ならば別ですが)。

 意図の重みについては、「課税売上割合」なり「準ずる割合」で考慮するのが消費税法の建付けなんだと(ただし、「準ずる割合」なんてそんな使い勝手の良い制度でもないのに、重みを考慮しないことの正当化根拠に使われることに対しては、実務家的に違和感が残ります)。

 本判決、「対応する/しない」についての判断と、対応する場合に「重み」をつけるかどうかということを、区別せずにごちゃ混ぜに書こうとするから、分かりにくくなっているのでしょう。ただ、前者だけを取り出して記述しようとすると、何ら実質的な根拠が示されていないことが可視化されてしまうので、紛らせて書くというのが大人の知恵なのかもしれません(もちろん、最高裁判決でやることではない)。


 これらのことからすると、用途区分における主要事実は、事業者の仕入時の「意図・目的」とすべきではないでしょうか。ただし、その意図・目的は有るか無しかだけであって、重みは考慮しないんだと。
 購入後に転売した/賃貸したという事後の事実は、あくまでも仕入時にどのような目的だったかを推認するための「間接事実」として位置づけるべきではないでしょうか。

 ただしこれは、私が思う、本判決のAとBのスキマを整合的に埋めるためにはこのように理解すべきでは、という限りのものです。かなりの大きさのスキマであって、このような読み方が唯一の正解だとはとても思っていません。

 本判決から直接読み取れる「下位基準」としては、「意図に重みをつけない」という点だけです。肝心の「対応」をどのように判断するかについては、依然として《判例》がない状態だと言っていいと思います。
 民事法領域では司法研修所を巣窟とした精緻な要件事実論が展開されているくせに、税法領域ではかなりお寒い状況、という一例。

伊藤滋夫ほか「要件事実で構成する所得税法」(中央経済社2019)


 主観/客観をこのように位置づけるとして、次のような仮想例ではどうでしょうか。

  ア 居住用賃貸目的で購入したが、当該地域は《居住禁止区域》だった。
  イ 事業用賃貸目的で購入したが、当該地域は《事業禁止区域》だった。

 いかにも仮想例って感じですが。
 アは、居住用で貸せない以上非課税対応となり得ないのか、それとも本人が居住用賃貸目的である以上、非課税対応となるのか。イはこれの逆です。

 「違法所得」についても課税されるということから敷衍すると、法の規律は無視して本人の目的で判断すべきといえそうです。ではありますが、少なくとも、主観と客観を無節操に列挙している第一小法廷の判示からは、何らのヒントも見いだせない。


 ただし、主観と客観の位置付けをこのように理解することと、「居住用賃貸建物」の仕入税額控除を全面否定した令和2年改正との整合性は微妙です。

消費税法改正のお知らせ(令和2年4月)(国税庁)

 ここでいう「居住用賃貸建物」に該当するかどうかについては、建物の構造など客観重視での判断となっています。しかも、購入時に「居住用以外」であることが明らかなもの以外は「居住用」扱いされることになっています。

消費税法基本通達 第7節 居住用賃貸建物(国税庁)

 上述したとおり、「対応」関係を客観だけで判断するのは無理があるのであって。こちらは用途区分が出てくる前の、あくまでも「居住用賃貸建物」向けの過剰な規制だと理解すべきではないでしょうか。
 実際、「居住用以外」であることが明らかなもの以外はすべて「居住用」扱いと勾配を設けているのは、客観重視で判定するとどちらかが不明な場合が大量発生してしまう、ということに対する手当なのでしょうし。
 不明な場合は課税拡大側へ、というかなり悪辣な制度。真偽不明という「立証」レベルで解決すべき問題を、「実体法」レベルで封じてしまうという手口。ますます、貸主が税負担を負わされることの根拠が分からなくなってきます。


 以上、当記事では本判決のことをあえて「判例」とは呼んでいません。その理由は上述したとおり、射程範囲が広がることを過度に恐れた、あまりにも虚弱な内容の判決だからです。令和2年改正のおかげで実際に使われれる場面は極限まで減っているでしょうし。
 後続の判決に何某かの影響があるとしたら、「意図の重みをダイレクトに考慮しない」という点ぐらいでしょうか。その余の箇所はあまりにも薄味すぎて、どうにも使いでがない。

 あとは、上記Cの「意図等にかかわらず」や令和2年改正の客観重視を過大解釈して、「用途区分は主観無視でいく」みたいな課税庁の見解や下級審判決が出ないことを祈るのみです。
 ということで、担当調査官におかれましては、この薄味な判決をきちんとフォローした解説を希望いたします。が、下手するとこの判決、『民集』に載らない可能性もありますよね。
posted by ウロ at 11:44| Comment(0) | 判例イジり

2023年03月20日

虚弱判決(その1) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 例の判決ら。初見で所感を述べましたが、通読しても印象は変わらず。

テンプレ判決 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 大は小を兼ねるということで、以下、ADW事件判決を念頭において記述します。


 順番は前後しますが「正当な理由」のほうから。

 こちらについては裁判官の胸先三寸でどうとでも判断できてしまいますので、《法解釈論》として指摘するべき点は何もありません。
 が、最高裁のくせに、自分のところの判決をずいぶん軽く見ているんだなあという印象を受けました。

 第一小法廷が、「正当な理由」があるとは認められない理由としてあげているものは、次の通り。

1 共通扱いとするのが文理等に照らして「自然」
2 税務当局は共通に見解転換ずみだし、そもそも課のみと言ったのは公式見解じゃねえし
3 事業者の目的に着目して課のみとした裁判例等が「あったともうかがわれない」

 しかしながら、実務家としては、たとえこれらの事情があったとしても、最高裁の判決があるまでは、確定した見解として扱うことはできません。
 というのも、

 1に対して。
 単なる「自然」程度では、最高裁がそのような解釈をとるかは不確実。どう考えてもそうとしか読めない、というレベルまで行ってくれないと、文理を頼りにすることはできない。とりたい結論に応じて文理を重視したり実質を重視したり、まるで安定性がないのが現実なので。

 2に対して。
 税務当局の見解なんか、当然あてにならない。「裁判所は税務当局の見解を鵜呑みにしちゃいがちだぞ」という自白なのかもしれませんが、それを正面から宣言したらだめでしょうよ。

 3に対して。
 下級審の裁判例等にしても、当然あてにならない。最高裁判決が出るまでは、そういう参考判決がある、程度の認識です。
 なお、本論とは関係ありませんが、「あったともうかがわれない」って言い回し、何なんですかね。無いなら「無い」と言い切ればいいじゃないですか。なぜに「うかがい」止まりなのか。

 と、本判決が出るまでのこの論点に関する実務家の認識は、「最高裁は、お馴染みの《課税当局阿り型》なら共通と判断するだろうけど、《納税者寄り添い気分》を発揮して課のみと判断するかもしれない」という感じであったはずです。調査段階では確実に否認されるとして、その後、どこまで争うかを納税者に決めてもらう、という方針だったものと思われます。
 税理士なり弁護士が「課税当局は共通扱いだし、課のみと判断した下級審判決は無いし。」ということを理由に「課のみで突っ走ってもどうせ負けるよ。」などというアドバイスをしていたとしたら、とても適切な判断だったとは思えません。

 今回の最高裁の結論は、お馴染みの課税当局の主張を丸呑みした判決となったわけですが、あくまでも結果論にすぎません。税法に造詣の深い判事が属する小法廷にかかっていたとしたら、違った判断が出ていた可能性だってあったわけです。

 というのに、最高裁の理由付けによると、自分のところの判決が出されていない段階でも、共通扱いとすることが絶対正義・唯一の正解であったかのような物言いになっています。上記1〜3の事情が揃っていれば、もはや共通前提で行動すべきであり、課のみで処理するのは《反税行為》として評価する、ということですか。

 「まだ最高裁がある!」なんていうのはただの夢物語なんだと、最高裁自身が認めてしまってるわけですが、それでいいのか第一小法廷。


 なお、私個人としては《解釈の幅》という概念を導入することで、ファーストペンギンは救済すべきだと考えています。

【解釈の幅】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その7)

 このような考え、(私には珍しく)最高裁様の「権威」を尊重するものであって、自尊心がくすぐられるもののはずなんですけども。
 残念ながら、上記のような自虐的な判断をしている最高裁が採用することは、およそ望めないでしょうね。


 ちなみに、争いの型としては、本件のように、初めから訴訟前提で「課のみ」で申告・納税から入る場合のほかに、安全をとって「共通」で申告・納税してから更正の請求というルートもありえます。
 本件で後者をとらなかった事情は分かりません。が、例の「仕入税額控除は請求権だ!」という空論の人からしたら、前者のルートであっても加算税を課すべきではない、と主張するのが自然でしょう。
 が、件の教科書では、本件を脱税から始まる一連の「スキーム」の一つとして紹介してしまっています。請求権構成というものが、ここでは何の役にも立っていない。

〈還付をみたら泥棒と思え〉思想 〜消費税法の理論構造(種蒔き編2)


 ここで区切って、次回は「用途区分」について。

虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
posted by ウロ at 10:37| Comment(0) | 判例イジり

2023年03月07日

テンプレ判決 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 2023年3月6日に出た最高裁判決、備忘のためアップしておきます。

091826_hanrei ムゲンエステート事件.pdf
091825_hanrei ADW事件判決.pdf

 第一小法廷み溢れる何のサプライズもない、どノーマル判決文です。
 ので、私自身が中身についてどうこういうつもりはありません。

 ただ、共通扱いされるの「認識してしかるべき」とかいうところ。
 第一小法廷の判事の皆さんだって、用途区分なんて初めて知ったという人がいるだろうに。「俺なら認識できてたね」とか後知恵でいうの、ズルいよなあとは感じます。

 また、共通扱いされることが不合理でない理由として「準ずる割合」の存在をあげていますが。
 現行法では、購入時における居住用賃貸建物の仕入税額控除が丸ごと否定され、調整期間内に転売できなければその後に控除される機会は一切無くなることになりました。この場合、当然「準ずる割合」が機能する場面は出てきません。

 居住用賃貸建物に対する現行法の規律のやり過ぎ感、今後問題になるのではないでしょうか(ただし、仕入税額控除は「請求権」だとする例の空論は、残念ながら役に立たないと思われます)。

虚弱判決(その1) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
posted by ウロ at 12:27| Comment(0) | 判例イジり

2021年02月22日

税務訴訟におけるゴリ押しVS誉めごろし 〜税務トロイの木馬(Tax Trojan horse)

 税法分野における裁決・判決を眺めていると、

  ・あえてギリギリを攻めて租税回避チャレンジ狙っているんだろうな

とか、

  ・うっかりミスを後付けの理由でどうにか正当化しようとしているんだろうな

と感じる事案を見かけることがあります。

 もちろん、判決文に正面からそんなことが書かれていることはありません。
 が、15%未満までOKなところを14.99%に調整していたりすると、「チャレンジングだなあ」と思ってしまいます。

 巷に流布している判例学習法によれば、「判例は事案との関係で理解すべし」という教義が唱えられています。
 もちろんそれ自体は大事なことではあります。が、それを額面通りに理解して、必死になって判決文記載の認定事実だけを読み込んでも、その判決を十分に理解できるとは限りません。

 というのも、判決文記載の事実は、当事者が主張した中で理由付けに必要だと裁判官が思った事実が並んでいるにとどまります。
 実際に裁判所の判断に影響を与えた要素が網羅されているわけではない。もしかしたら、結論を左右した決定的な要素が、認定外のどこかにあるかもしれない。

 とはいえ、外野にはこれら事情は分かり得ない。あたかも認定事実だけから結論を導き出したみたいな書き方するし。
としても、なぜそのような紛争が起こったのか、その背景事情を推測できるだけの知識・経験があれば、理解はしやすくなるでしょう。

 税法以外でも、たとえば会社法における決議無効・取消・不存在の訴えなんて、表向きの無効事由等と本来争いたい事項が盛大にズレていることがありうるわけです。
 ここでも、そのような争いが起こる背景事情を理解できるだけの知識・経験があれば、当該判決を理解するのに、役に立つはずです。
 
 「判例学習本」にもこういう裏読みの技法を書いておいてほしいんですが、まあさすがにゲスの勘ぐりみたいなことを、公刊物に記載するわけにはいきませんかね。


 紛争系の納税者の皆様が、日常系税理士からすると「そんな後付けさすがに通用しないしょや」と思ってしまうような訴訟を提起してくれるおかげで、税務判決が充実していきます。
 当事者的には、漁夫の利感を強く感じてしまうかもしれませんが。

 法学学習において、判決中心の勉強をしてしまうと、頭の中が異常事例ばかりとなって日常的な処理の理解がおろそかになりがちになります。
 そんな中、「そりゃそうだろ」レベルの地に足のついた判決があってくれると、日常系税務にも非常に参考にすることができます。

【通常事例思考】
米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)
内田勝一「借地借家法案内」(勁草書房2017)
「定期同額給与」のパンドラ(やめときゃよかった)

 ただし、変な争い方をされて変な判決がでてしまっても、それはそれで迷惑。
 そんな判決があるせいで、税務調査時に納税者不利に援用されても困りますし。


 さて、ここまでは、本ブログでもたびたび言及される『判決(学習)論』の一側面。
 ここからは、今回参照する判決について。

平成25年判決分(税務訴訟資料第263号「順号12125〜12365、12379〜12381」)
 12315 東京地方 所得税更正処分取消等請求事件 平成25年10月22日
 12314 東京地方 贈与税決定処分取消等請求事件、贈与税更正処分取消等請求事件 平成25年10月22日
平成26年判決分(税務訴訟資料第264号「順号12382〜12583」)
 12461 東京高等 各所得税更正処分取消等請求控訴事件 平成26年4月23日
 12434 東京高等 贈与税決定処分取消等請求控訴事件 平成26年3月18日
平成27年判決分(税務訴訟資料第265号「順号12584〜12778」)
 12661 最高二小 所得税更正処分等取消請求上告及び上告受理事件 平成27年5月13日
 12662 最高二小 贈与税決定処分取消等請求上告及び上告受理事件 平成27年5月13日

 納税者の主張を見ているとどうにも後付感が強い。
 ではありますが、うっかりミスということではなく、一方当事者の意向で低額譲渡せざるをえなかったことの尻拭い、といった印象を受けました。
 あくまでも認定事実からの邪推にすぎませんが。

 なんとなくですが、納税者的には「だから否認されるって言ったじゃん」て感じで、頑張って理屈をひねり出したように感じます。
 でまあ、裁判所には通用しなかったと。

 外野からすると、込み入った所得税法9条、59条、60条、相続税法7条あたりの関係を理解するのに、いい参考例になっています。

・所得税法

第九条(非課税所得)
1 次に掲げる所得については、所得税を課さない。
十六 相続、遺贈又は個人からの贈与により取得するもの(相続税法(昭和二十五年法律第七十三号)の規定により相続、遺贈又は個人からの贈与により取得したものとみなされるものを含む。)

第三十八条(譲渡所得の金額の計算上控除する取得費)
1 譲渡所得の金額の計算上控除する資産の取得費は、別段の定めがあるものを除き、その資産の取得に要した金額並びに設備費及び改良費の額の合計額とする。

第五十九条(贈与等の場合の譲渡所得等の特例)
1 次に掲げる事由により居住者の有する譲渡所得の基因となる資産の移転があつた場合には、その者の譲渡所得の金額の計算については、その事由が生じた時に、その時における価額に相当する金額により、これらの資産の譲渡があつたものとみなす。
一 贈与(法人に対するものに限る。)又は
  相続(限定承認に係るものに限る。)若しくは
  遺贈(法人に対するもの及び個人に対する包括遺贈のうち限定承認に係るものに限る。)
二 著しく低い価額の対価として政令で定める額による譲渡(法人に対するものに限る。)
2 居住者が前項に規定する資産を個人に対し同項第二号に規定する対価の額により譲渡した場合において、当該対価の額が当該資産の譲渡に係る譲渡所得の金額の計算上控除する必要経費又は取得費及び譲渡に要した費用の額の合計額に満たないときは、その不足額は、その譲渡所得の金額の金額の計算上、なかつたものとみなす。

第六十条(贈与等により取得した資産の取得費等)
1 居住者が次に掲げる事由により取得した前条第一項に規定する資産を譲渡した場合における譲渡所得の金額の計算については、その者が引き続きこれを所有していたものとみなす。
一 贈与、
  相続(限定承認に係るものを除く。)又は
  遺贈(包括遺贈のうち限定承認に係るものを除く。)
二 前条第二項の規定に該当する譲渡
4 居住者が前条第一項第一号に掲げる相続又は遺贈により取得した資産を譲渡した場合における譲渡所得の金額の計算については、その者が当該資産をその取得の時における価額に相当する金額により取得したものとみなす。

・相続税法

第七条(贈与又は遺贈により取得したものとみなす場合)
 著しく低い価額の対価で財産の譲渡を受けた場合においては、当該財産の譲渡があつた時において、当該財産の譲渡を受けた者が、当該対価と当該譲渡があつた時における当該財産の時価(当該財産の評価について第三章に特別の定めがある場合には、その規定により評価した価額)との差額に相当する金額を当該財産を譲渡した者から贈与(当該財産の譲渡が遺言によりなされた場合には、遺贈)により取得したものとみなす。



 論点を単純化していうと、みなし贈与課税された資産を売却した場合の取得費は、実際の取引価額かみなされた評価額か、というものです。
 事件としては贈与税(みなし贈与)と所得税(みなし譲渡)の2ルートあって論点も複数ありますが、今回は所得税ルートの取得費のところのみ扱います。

 なお、本事件では「通達による時価評価の合理性」も論点になっているところ、同族会社の判定時期については「譲渡前」とされています。
 まあ、そうですよね。

 ほんと、何だったんでしょうか、あの高裁判決。

【あの高裁判決】
解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決


 以下、本論。
 本事件の事案そのものではなく、モデル化したものを使います。

《前提事実》
・A→B→Cと転々譲渡。
・ABCはいずれも個人(みなし譲渡の出番は無しです)。
・取引対象は譲渡所得の課税対象となるものであれば何でも。
・相続税法上の時価と所得税法上の時価は同額と仮定します。
・時価はA→B譲渡時に50、B→C譲渡時に150。
・Aの取得費は10。
・B→Cの売買価格は150。
・消費税は考慮外。

 これら事実を固定し、これ以外のパラメータをいじることで、ABの課税関係がどう動くかを検討します。
 まずは基本事例から。

課税関係.png


《事例1》
 A→B 売買 50
 B→C 売買 150

 時価通りに取引(この数字は取引価額)。
 この場合の課税標準は次のとおり。

 A 所得 40(50-10)
 B 所得 100(150-50)

 通算140の資産増加益に譲渡所得課税されると。
 まあ、普通ですよね。

 次に、A→Bを「贈与」に変えたらどうなるか。

《事例2》
 A→B 贈与
 B→C 売買 150

 A 所得 なし
 B 贈与 50(時価50)
 B 所得 140(150-10) 所得税法60条1項1号

 Aの取得費10がBに引き継がれます。
 課税繰延の典型例としてよく出てくるやつで、一般的に問題視されることはないはずです。

 では、《事例2》で現物そのものを贈与するかわりに現金50を贈与して時価売買したらどうなるか(お金をぐるっと回す)。

《事例3》
 A→B 贈与 現金50
 A→B 売買 50
 B→C 売買 150

 A 所得 40(50-10)
 B 贈与 50(現金50)
 B 所得 100(150-50)

 《事例2》とは、所得通算140で変わらないのですが、内訳がAB間で変動しています。

 譲渡所得が総合課税の場合とか、あるいは分離課税でも特例が使える/使えないによって、AB間の内訳をイジりたい、という誘因が働くことはあるでしょう。
 では納税者は、有利不利に応じて2と3を使い分けることが可能でしょうか。
 いわゆる『私法上の法律構成による否認』の一場面です。

 そもそも所得税法60条が課税繰延しているの、「贈与時に譲渡所得課税するのは贈与者に可哀相だから」という趣旨のはずです。
 であれば繰延を受けるかどうかは納税者の選択に委ねるのが筋です。

 ところが、同条では「みなす」などとして、選択ができない規定っぷりになっています。
 そうとすると、《事例3》は《事例2》の回避事例だとして、贈与に引き直されてしまうことになるでしょうか。

 この問題は完全に余談なので、この程度にしておきます。


 ここまでが露払いの前座で、次からが本題。

《事例4》
 A→B 売買 20 (低額譲渡)
 B→C 売買 150

 A 所得 10(20-10)
 B 贈与 30(50-20) みなし贈与 相続税法7条
 B 所得 130(150-20※) 

 時価50のものを20で売ったので、30は贈与とみなされます。
 問題が※のところで、実際の取引価額である20なのか、みなし贈与の評価額50なのか、ということです。

《評価額説だと》
  B 所得 100(150-50)

 資産増加益140(150-10)のうち、10はAに所得課税、30はみなし贈与課税されているんだから、Bが所得課税される残りは100じゃないのかと。

 《事例2》と《事例3》の関係同様、《事例4》のぐるっと現金バージョンも書いておきます。

《事例5》
 A→B 贈与 現金30
 A→B 売買 50
 B→C 売買 150

 A 所得 40(50-10)
 B 贈与 30(現金30)
 B 所得 100(150-50)

 AがBに現金30を贈与して残り20をBが自己負担した、ということです。
 こちらも、《事例2》《事例3》の関係と同じように、所得の内訳が変動しているので、やはり同じ問題が生じます。


 判決では、地裁から最高裁まで「実際の取引価額」でいくとされています。
(この論点につき実質的な判断をしているのは地裁判決(12315)なので、以下、同判決を念頭に置いて記述します。)

 みなし贈与課税された資産の取得の「経済的価値」と、譲渡所得課税される資産増加益という「経済的価値」は同一ではないというのが理由になっています。

 確かに、取得費引継ぎの典型例である《事例2》では、資産の取得50に(通常の)贈与課税ずみであるにもかかわらず、140に譲渡所得課税とされていることについて、特に異論が出されることはありません。
 このことからすれば、結論は「実際の取引価額」でよいのでしょう。
(このように、典型例を念頭に置けば無理がある主張をしているあたりが、納税者の主張に対する「後付感」を抱かせる所以です。)

 ただ、その理由付けが「経済的価値が同一でない」というの、どうにも腑に落ちない。

 事例2と4を図で書くとこうなります。
 「A'」は、Aの取得費をBが引き継ぐという意味合いです。

二重課税.png

 かぶってますよね。

 もちろん、二重課税それ自体が悪いわけではありません。

浅妻章如「ホームラン・ボールを拾って売ったら二回課税されるのか」(中央経済社2020)

 たとえば、不動産売買という一つの取引に起因して、所得税・法人税・消費税・不動産取得税・固定資産税・都市計画税・印紙税・登録免許税などなど、いろんな税金が発生します。
 「あの手この手で税金とりやがってふざけんな」という人はいるでしょうが、これを「理論的にみて二重(以上)課税だから違法だ」と主張している人は見かけません。

 この結論をそれらしく正当化したいならば、「経済的価値は別」などと苦し紛れの説明をするよりも、「経済的価値は一部かぶっているかもしれないが、贈与税は資産そのものののストック面、譲渡所得税は資産増加益というフロー面に課税しているからセーフ」という物言いのほうがまだましな気がします。

 確かに、「二重課税でも問題ない」と正面から言ってしまうと、あらゆる方面から批判されることは目に見えている。二重課税(らしきもの)に対する拒否反応には根強いものがあります。どれだけ数理によって不合理性が実証されようとも、そう簡単に納得してもらえるものではない。

 ですし、所得税法9条1項16号の解釈論を深堀りしなければならなくなります。
 ので、裁判所の表向きの理由としては、意地でも別のものに課税しているというしかないのでしょう。
 が、すんなり理解するのが難渋な、苦し紛れの物言いとなってしまっている。

 ちなみに、「みんな」に理解してもらうためには数学よりも自然言語、というのは森田果先生の法学入門書にも書かれているところです。

森田果「法学を学ぶのはなぜ?」(有斐閣2020)


 ちなみに、「生命保険年金受給権」の相続税・所得税を二重課税とした最高裁判決も、この「ストック/フロー」の枠組みで説明することは可能です。
 すなわち、将来年金をもらえる権利というストック面に相続税を課税しておきながら、さらに実際にもらった年金というストックに一時所得課税するのは二重課税だ、という感じ。

 本事件の判決と年金の最高裁判決との結論の分かれ目がどこにあるのかといえば、譲渡所得と一時所得の所得の捉え方の違いにあるのだと思います。
 差額に課税するのか、得たものそれ自体に課税するのかという。
 何が所得であるかがそれぞれ異なるから、どのような場合に二重課税となるのかも自ずから違ってきます。
 ので、「所得税と相続税」という括りで年金判決をそのまま横流しするのは無理があります。

 さらなる余談ですが、このように譲渡所得と一時所得とで異なる内実を有しているにもかかわらず、これら違いを無視して統一的な所得概念をもって現行法の所得を定義づけようとする所作、私にはおよそ理解できません。
 そのような定義は、現行法上のすべての所得に当てはまる説明となっていないか、あるいはすべてに当てはめようとして漠然とした定義になるか、いずれにしても現行法に適合的な定義付けにはならないと思います。


 さて、どうやって正当化するかはともかく、本当に両方課税することに問題はないでしょうか。
 比較用に次の事例を追加します。

 《事例2》でAの取得費が40だったとしましょう。

《事例6》
 Aの取得費40
 A→B 贈与
 B→C 売買 150

 A 所得 なし
 B 贈与 50(時価50)
 B 所得 110(150-40) 所得税法60条1項1号

 《事例2》と比べてみて、Bにとっては、時価50のモノをもらっていることとそれを150で売ったという点で全く同じです。
 にもかかわらず、《事例6》ではBの所得が110に減っています。

 なぜそうなるかといえば、Bとは無関係の「Aがいくらで取得したか」という事情にBの譲渡益が左右されてしまうからです。

 これのどこが変なのかといえば、贈与税の時価評価がいずれも同じ50であるところにあるのでしょう。
 取得費引継ぎは60条に明記されているし、資産増加益がトータル110であることは間違いないし、ということで、残る贈与税の時価評価のところがおかしいんじゃないかと。

 では、贈与時において《事例2》と《事例6》とで何が違うか。
 資産の抱えている含み益が違うせいで将来譲渡したときに課税される額が違うという点です。

 《事例2》 将来譲渡したら譲渡益40上乗せされる資産の譲り受け
 《事例6》 将来譲渡したら譲渡益10上乗せされる資産の譲り受け

 将来の税負担が明らかに違うのに、このことが贈与税の時価評価に反映されていないのが問題です(今後はこれを『含み税問題』ということにしましょう)。

 ここで皆さんの頭をよぎったと思われるのが、純資産価額方式における「法人税等相当額」の控除。
 評価会社が保有資産を売ったとしたら生じる利益に課せられる法人税を引いて評価してよいと。

 「含み益に対する税金を考慮して評価すべき」という点ではここでの問題と同じですよね。
 この考えをこちらの場面に応用することができないかどうか。


 本事件の納税者は、「通達は不合理!」「二重課税だ!」と正面からのガチンコ勝負に徹しています。
 もちろん第一次的にはそのような争い方が正道でしょうが、ゴリ押し一辺倒では通用しないことがしばしば(実際、本事件では第一審から上告審まで一蹴され続けている)。

 上述のとおり、評価通達には「法人税等相当額控除」という素晴らしい制度が内在されているわけです。
 そこで、いかに評価通達が優れているかを褒めちぎった上で、「法人税等相当額控除」のお考えがまさに本件でも当てはまります、ぜひこちらにも援用してみましょう、といった主張もできたんじゃないかと(これは所得税ルートではなく贈与税ルートのほうで主張することです)。

 若干厄介なのが、取引目的物が「非上場株式」だったらどう評価するのか、という問題(本事件がまさにそう)。
 というのも、評価会社の保有資産の含み益に対する法人税等相当額を控除しておきながら、さらにその株式の譲渡益に対する譲渡所得税相当額を控除するのは「二重控除」ではないのかと。
 「法人税等相当額」自体、局面によっては控除できないことになっているのは、そのあたりの考慮が働いているからでしょう。

 が、本件では大丈夫。
 本判決の立場からすれば同一の経済的価値ではないことになるので。

 というのも、実際に評価会社が保有資産を売却した後、株主が当該株式を売却した場合を想定すると、
 ・保有資産の含み益(だったもの)に「法人税」が課税される。
 ・その実現した含み益から法人税を引いた残りに「所得税」が課税される。
ことになりますよね(あくまで理念としての記述です)。

 もしこれを二重課税でないといいたいなら、本判決の立場からは「別の経済的価値に課税しているからセーフ」と説明するしかありません。
 とすると、その裏返しである控除を重ねて行っても、同じくセーフと言わざるを得ないはずです(対偶チックな発想)。


 このように、通達を褒めちぎって通達内部の制度をご利用させていただく、経済的価値が別という理由を逆手に取って控除場面でご利用させていただく、といった「トロイの木馬」戦法が、本件では主張できたのではないかと思うのです。

 が、実際にはゴリ押し戦法一辺倒で終わってしまっています(もしかしたら争点整理で落とされたのかもしれませんが)。
 
 確かに、代理人弁護士一人の頭の中で、ゴリ押し志向と誉め殺し志向を両立させるのは難しいのかもしれません(ホコタテ)。であれば、複数弁護士に受任してもらって、それぞれ別側面から争ってもらうのも一考に値するでしょう(二頭体制)。

 トロイの木馬戦法が効くのは、正面突破してくれる本隊の働きのおかげですよね。
 こちらが通達が不合理だと強く言えば言うほど、課税庁側は通達の合理性を根拠付けなければならなくなります。そこで、課税庁にがっちり合理性を根拠付けていただいた後に、その合理性にフリーライドして自分の主張をのっけていくと。

 同じく、別の経済的価値なら課税OKという論拠をしっかり固めてもらってから、その延長線上に、控除も重ねてOKという主張をのっけると(もちろん、実際の訴訟では自由に後出し主張できるわけではありませんが)。

 訴訟戦略として、相手方の主張に正面からぶつかるだけでなく、相手方の主張の中に自分の主張を混入させる、という作戦が効いてくる場面もあると思うんです。


 と、理念上は上述の通り控除すべきだとは思います。

 が、実際には、贈与税評価と所得税評価とは必ずしも一致しないとか、贈与税評価は市場価格よりも低めにでがちといったノイズが入ります。
 ので、「含み税があっても個別に評価することはせず、ざっくり低めに出しているからセーフ」といった判断がでてもおかしくない。
 というか、今まで問題視されていなかったのは、暗にそういうふうに考えられていたからかもしれませんし。

 また、控除をやることになったとしても、すべての資産が対象になるのか、とか、実際にどうやって計算するのか、単純に譲渡所得税等相当額を控除すればいいのか、年金受給権的なややこい算出が必要なのか、といった検討も必要なはずです。
 そのあたりは頭のよろしい人たちにぜひお考えいただければ。
posted by ウロ at 10:59| Comment(0) | 判例イジり

2020年04月13日

解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決

※通達が改正されたので末尾に追記しました(2020/08/28)。

 「物言わぬは腹ふくるるわざなり」

 かつては一生駄洒落など言うまい、と思っておりました。
 が、今となってはどうしても言いたくなるときがあります。

 や、決してこれが面白いと思っているのではなく。
 とにかく頭に思い浮かんだことを吐き出しておきたい、ということです(お葬式で笑っちゃう的なエビスイズム)。


 さて、速報ベースで書いた先日の記事。
 
 判決文よく読んでみましたが、予測したとおり初見の感想と変わらず。
 
 ということで、タイトル変えただけ(あと余計な脚色を追加)で再掲。

解釈の解釈は終わりました。〜最高裁令和2年3月24日判決【判例速報】


 結論だけいうと、譲渡所得は売主の含み益に課税するものなんだから、同族会社となるかどうかは譲渡前の売主の支配力によって判定すると。
 「通達を文理解釈する」などというストレンジ判決は、破棄されました。

【最高裁のサイト】
取引相場のない株式の譲渡に係る所得税法59条1項所定の「その時における価額」につき,配当還元価額によって評価した原審の判断に違法があるとされた事例
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=89339
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/339/089339_hanrei.pdf


 当ブログでも原判決である東京高裁判決をイジり倒したところですが、補足意見を含めた最高裁判決の判断、このブログとほぼ同旨といっていいんじゃないでしょうか。

解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
解釈の解釈の終わり? 〜さらば東京高裁平成30年7月19日判決

 そうはいっても、残念ながらこれは「予測が的中したぜ、いえ〜い!」とドヤ顔できるほどのことではないです。
 最高裁が、「通達を文理解釈する」などというエキセントリックな手法をとらず、法律の趣旨に則った解釈をするという、品行方正・清廉潔白な王道の手法をとったからにすぎません(対して原判決が邪道の極み)。

 大昔のコンピュータリバーシゲーム的な。
 定石どおりにしか打たないので、手が読めてしまう感じの。
 もっというと、右足と左足を交互に前に出したら前に進むよ、くらいの。

 判決はドキドキハラハラなゲームじゃないんだから、「予測可能性」という観点からはそれでいいのです。
 今の御時世、ツイスターゲームなんて厳禁なんでしょうね(かなりの確率で「三蜜」という誤字を見かける)。

 理由付けがシンプルで説得力のある判決だと思います(急に謎の上から目線)。

 最高裁であっても、一般民事・刑事以外の領域だと特に、ときとして妙な判決を出すことはあります。
 結論はともかく、たとえば武富士事件判決には、そこはかとなくそういう感を、私は感じます(ということから、やたらと最高裁判決を神格化させる学習法には違和感バリバリ)。

【借用概念論】
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)

 が、今回はちゃんとお作法通りの解釈となりました。
 やはり、宇賀克也判事、宮崎裕子判事が所属されている第三小法廷だった、というのが大きいんでしょうね。租税事件だという特殊性に惑わされることなく。


 やや脱線しますが、プロパー裁判官でないからといって、必ずしも自己の学問的良心にしたがった判断をするとは限りません。
 特に学者出身の最高裁判事の場合、過去の判例とマッチしない学説を主張していた場合は悩みどころ。

 そのことを主題としているものとして、たとえば伊藤正己先生のご著書。



伊藤正己 裁判官と学者の間(有斐閣1993)

 伊藤正己先生・判事ご自身は、積極果敢に少数意見を書かれていて、それが一冊の本として仕上がっているのですが、皆が皆そうできるわけではない。


 話を戻して、結論は「破棄差戻し」。
 ということは、納税者側にもワンチャン(ワン・チャンス)なくはない。

 というのも、宇賀判事、宮崎判事お二人の補足意見をみると、通達に対するダメ出しをされています(特に宮崎判事はキツめ)。
 ここに突破口を見出すと。

 以前の記事でも最後にちらっとふれたところですが、「通達が分かりにくいのが悪い」ということで「信義則」などで救済してもらう道も考えられなくはない。

 が、そんな最高裁に歯向かうような判決を、東京高裁に期待するのは望み薄でしょう。

 確かに、最高裁自身が信義則云々について、反するとも反しないとも明言しているわけではありません。
 けども、信義則云々を明言しないまま納税者有利の原判決を破棄して差戻ししているってことは、信義則云々は本件で問題としない、ということが暗に示されているからだと考えられます(信義則と弁論主義の関係はさておき)。
 とすると、差戻審たる東京高裁が、そこをほじくり返すなんてことはしないだろうなと。

 そもそも、東京高裁の判事をやっているほどの優秀な裁判官が、「通達を文理解釈する」なんてビザールな法解釈をしたこと自体が不可解なわけです。
 法解釈のお作法なんて、当然心得ているはずで(ずっと事務方だった、とかでない限り)。

 その行動原理をどうにか説明するならば、近時の最高裁の文理重視の税法解釈におもねったからだと考えざるをえません。最高裁が税法の文理解釈を重視しているのならば、通達も文理解釈するのが最高裁のお眼鏡にかなうはずだろうと。
 「納税者を救済したい」などという熱い気持ちでは、法解釈の常道を踏み外させることはできなかったでしょう。

 で、それが完全に的外れだったと。

 これは決して高裁判事を揶揄しているのではなく。
 優秀なはずの裁判官を、ひどく奇妙な解釈へ向かわせたことの合理的な説明をするとしたら、こういう方向で考えるしかないのではないかという観点からの推測です。

 このあたりは、楊修が曹操に処刑された理由を想起してもらえれば大丈夫です。

 われわれ外野の立場からすれば、東京高裁には、最高裁に嫌がられようとも「信義則アタック」をかましてもらいたいところ。
 で、再度最高裁に上告受理されてその点を明示的に判断してもらえれば、税務信義則判例がまた一つ増えることになりますし(ので、揶揄のつもりはないが煽ってはいる)。


 最初にこのブログとほぼ同旨と言いましたが、私が全然考慮していなかったところが一つ。

 お二人の補足意見では、やけに、所得税基本通達59-6の「例により」に着目されていました。

所得税基本通達59−6(株式等を贈与等した場合の「その時における価額」)
 法第59条第1項の規定の適用に当たって、譲渡所得の基因となる資産が株式である場合の同項に規定する「その時における価額」とは、23〜35共−9に準じて算定した価額による。この場合、23〜35共−9の(4)ニに定める「1株又は1口当たりの純資産価額等を参酌して通常取引されると認められる価額」とは、原則として、次によることを条件に、「財産評価基本通達」の178から189-7まで((取引相場のない株式の評価))の例により算定した価額とする。


 補足意見のこの箇所、私には、

 『「例により」ってのは、評価通達をそのまま横流しするんじゃなく、所得税法の趣旨にあわせるってことを言っているんだよな、な、そうだよな、そうだったってことにしておこうな。』

と言っているように読めました。

 通達の出来の悪さを論難しておきながらあとからフォローしてあげる、いわゆる「ツンデレ補足意見」です。
 しかも、通達の文言の中でも脇役っぽい子をいきなり表舞台に立たせて活躍させる的な。シンデレラですか。

 さすがに私には、このようなツンデレ要素やシンデレ要素というのが備わっていないので、ここまでの予測はできませんでした。
 精進いたします(宮崎判事のほうは「ツン」が強すぎる気がしますが)。


 ところで、同じくこのブログでイジった東京高裁判決(TPR事件)も上告中です。

横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)


 こちらの高裁判決は趣旨解釈らしきことをしているので、譲渡所得課税の趣旨から解釈をしている今回の最高裁判決と軌を一にするかのように思えるかもしれません。
 が、散々イジったとおり、こちらの高裁判決、趣旨解釈とはいっても「横流し系」「ロンダリング系」の邪道な趣旨解釈だというのが私の見立て。

 しかもその趣旨というのを立法担当者の解説から流用している、というところがいかにもまずい。
 最高裁が趣旨解釈を重視している、という傾向におもねったつもりなんでしょうが、違うそうじゃない。

 もしまた第三小法廷に係属してしまったら、宮崎判事に「いち立法担当者の解説を鵜呑みにしてんじゃねえ、ちゃんと裁判所として整合性のとれた解釈を示せよ」と言われてしまう気がする。

 なんか感情移入して泣きそう。
 誰か、ツンデレ解釈またはシンデレ解釈をしていただけませんか(介錯ではなく)。

【追記1】
 補足意見でボロクソ言われてしまったので、ということで通達改正案がパブリックコメントに出されてますね。

「所得税基本通達の制定について」(法令解釈通達)の一部改正(案)(所得税基本通達59−6《株式等を贈与等した場合の「その時における価額」》)に対する意見公募手続の実施について

【追記2】
 通達改正されました。
 
「所得税基本通達の制定について」の一部改正について(法令解釈通達)

 この読替方式というの、結局こちら側で書き換えしなければならなくて、一読性は皆無。
 が、この方式高裁判決がよくやっているやつなので、最高裁的には文句が言えないと思う。
 
posted by ウロ at 10:57| Comment(0) | 判例イジり

2020年03月26日

解釈の解釈は終わりました。〜最高裁令和2年3月24日判決【判例速報】

 出ましたね、最高裁判決。

 結論だけいうと、譲渡所得は売主の含み益に課税するものなんだから、同族会社となるかどうかは譲渡前の売主の支配力によって判定すると。
 「通達を文理解釈する」などというストレンジ判決は、破棄されました。

【最高裁のサイト】
取引相場のない株式の譲渡に係る所得税法59条1項所定の「その時における価額」につき,配当還元価額によって評価した原審の判断に違法があるとされた事例
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=89339
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/339/089339_hanrei.pdf

 取り急ぎ速報ベースで記事にしておきます。
 判決文よく読んでから、そのうち再掲する予定(が、たぶん初見の感想とほぼ変わらないはず)。


 当ブログでも原判決である東京高裁判決をイジり倒したところですが、補足意見を含めた最高裁判決の判断、このブログとほぼ同旨といっていいんじゃないでしょうか。

解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
解釈の解釈の終わり? 〜さらば東京高裁平成30年7月19日判決

 そうはいっても、残念ながらこれは「予測が的中したぜ、いえ〜い!」とドヤ顔できるほどのことではないです。
 最高裁が、「通達を文理解釈する」などというエキセントリックな手法をとらず、法律の趣旨に則った解釈をするという、品行方正・清廉潔白な王道の手法をとったからにすぎません(対して原判決が邪道の極み)。

 大昔のコンピュータリバーシゲーム的な。
 定石どおりにしか打たないので、手が読めてしまう感じの。

 判決はドキドキハラハラなゲームじゃないんだから、「予測可能性」という観点からはそれでいいのです。
 理由付けがシンプルで説得力のある判決だと思います(急に謎の上から目線)。

 最高裁であっても、一般民事・刑事以外の領域だと、ときとして妙な判決を出すことはあります。
 結論はともかく、たとえば武富士事件判決には、そこはかとなくそういう感を、私は感じます(ということから、やたらと最高裁判決を神格化させる学習法には違和感バリバリ)。

【借用概念論】
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)

 が、今回はちゃんとお作法通りの解釈となりました。
 やはり、宇賀克也判事、宮崎裕子判事が所属されている第三小法廷だった、というのが大きいんでしょうね。租税事件だという特殊性に惑わされることなく。


 やや脱線しますが、プロパー裁判官でないからといって、必ずしも自己の学問的良心にしたがった判断をするとは限りません。
 特に学者出身の最高裁判事の場合、過去の判例とマッチしない学説を主張していた場合は悩みどころ。

 そのことを主題としているものとして、たとえば伊藤正己先生のご著書。



伊藤正己 裁判官と学者の間(有斐閣1993)

 伊藤正己先生・判事ご自身は、積極果敢に少数意見を書かれていて、それが一冊の本として仕上がっているのですが、皆が皆そうできるわけではない。


 話を戻して、結論は「破棄差戻し」。
 ということは、納税者側にもワンチャン(ワン・チャンス)なくはない。

 というのも、宇賀判事、宮崎判事お二人の補足意見をみると、通達に対するダメ出しをされています(特に宮崎判事はキツめ)。
 ここに突破口を見出すと。

 以前の記事でも最後にちらっとふれたところですが、「通達が分かりにくいのが悪い」ということで「信義則」などで救済してもらう道も考えられなくはない。

 が、そんな最高裁に歯向かうような判決を、東京高裁に期待するのは望み薄でしょうね。

 確かに、最高裁自身が信義則云々について明言しているわけではありません。
 けども、信義則云々を明言しないまま納税者有利の原判決を破棄して差戻ししているってことは、信義則云々は本件で問題としない、ということが暗に示されているからだと考えられます(信義則と弁論主義の関係はさておき)。
 とすると、差戻審たる東京高裁が、そこをほじくり返すなんてことはしないだろうなと。

 そもそも、東京高裁の判事をやっているほどの優秀な裁判官が、「通達を文理解釈する」なんてビザールな法解釈をしたこと自体が不可解なわけです。
 法解釈のお作法なんて、当然心得ているはずで(ずっと事務方だった、とかでない限り)。

 その行動原理をどうにか説明するならば、近時の最高裁の文理解釈重視の税法解釈におもねったからだと考えざるをえません。最高裁が税法の文理解釈を重視しているのならば、通達も文理解釈するのが最高裁のお眼鏡にかなうはずだろうと。
 「納税者を救済したい」などという熱い気持ちでは、法解釈の常道を踏み外させることはできなかったでしょう。

 で、それが完全に的外れだったと。

 これは決して高裁判事を揶揄しているのではなく。
 優秀なはずの裁判官を、ひどく奇妙な解釈へ向かわせたことの合理的な説明をするとしたら、こういう方向で考えるしかないのではないかという観点からの推測です。

 このあたりは、楊修が曹操に処刑された理由を想起してもらえれば大丈夫です。

 われわれ外野の立場からすれば、東京高裁には、最高裁に嫌がられようとも「信義則アタック」をかましてもらいたいところ。
 で、再度最高裁に上告受理されてその点を明示的に判断してもらえれば、税務信義則判例がまた一つ増えることになりますし(ので、揶揄のつもりはないが煽ってはいる)。


 最初にこのブログとほぼ同旨と言いましたが、私が全然考慮していなかったところが一つ。

 お二人の補足意見では、やけに、所得税基本通達59-6の「例により」に着目されていました。

所得税基本通達59−6(株式等を贈与等した場合の「その時における価額」)
 法第59条第1項の規定の適用に当たって、譲渡所得の基因となる資産が株式である場合の同項に規定する「その時における価額」とは、23〜35共−9に準じて算定した価額による。この場合、23〜35共−9の(4)ニに定める「1株又は1口当たりの純資産価額等を参酌して通常取引されると認められる価額」とは、原則として、次によることを条件に、「財産評価基本通達」の178から189-7まで((取引相場のない株式の評価))の例により算定した価額とする。


 補足意見のこの箇所、私には、

 『「例により」ってのは、評価通達をそのまま横流しするんじゃなく、所得税法の趣旨にあわせるってことを言っているんだよな、な、そうだよな、そうだったってことにしておこうな。』

と言っているように読めました。

 通達の出来の悪さを論難しておきながらあとからフォローしてあげる、いわゆる「ツンデレ補足意見」です。
 しかも、通達の文言の中でも脇役っぽい子をいきなり表舞台に立たせて活躍させる的な。シンデレラですか。

 さすがに私には、このようなツンデレ要素やシンデレ要素というのが備わっていないので、ここまでの予測はできませんでした。
 精進いたします(宮崎判事のほうは「ツン」が強すぎる気がしますが)。


 ところで、同じくこのブログでイジった東京高裁判決(TPR事件)も上告中です。

横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)


 こちらの高裁判決は趣旨解釈らしきことをしているので、譲渡所得課税の趣旨から解釈をしている今回の最高裁判決と軌を一にするかのように思えるかもしれません。
 が、散々イジったとおり、こちらの高裁判決、趣旨解釈とはいっても「横流し系」「ロンダリング系」の邪道な趣旨解釈だというのが私の見立て。

 しかもその趣旨というのを立法担当者の解説から流用している、というところがいかにもまずい。
 最高裁が趣旨解釈を重視している、という傾向におもねったつもりなんでしょうが、違うそうじゃない。

 もしまた第三小法廷に係属してしまったら、宮崎判事に「いち立法担当者の解説を鵜呑みにしてんじゃねえ、ちゃんと裁判所として整合性のとれた解釈を示せよ」と言われてしまう気がする。

 なんか感情移入して泣きそう。
 誰か、ツンデレ解釈またはシンデレ解釈をしていただけませんか(介錯ではなく)。
posted by ウロ at 10:50| Comment(0) | 判例イジり

2020年03月16日

横流しする趣旨解釈(TPR事件・東京高裁令和元年12月11日判決)

 いわゆるTPR事件の高裁判決。

 ・適格合併(完全支配関係あり)
 ・支配関係5年超(欠損金額引継制限なし)

と形式的に要件満たす場合でも、事業実態が完全子会社(被合併法人)⇒親会社(合併法人)に移転していない場合には、法人税法132条の2で欠損金の引継ぎが否認されるか、という論点を扱ったもの(以下、条数は法人税法のもの)。

法人税法 第百三十二条の二(組織再編成に係る行為又は計算の否認)
 税務署長は、合併、分割、現物出資若しくは現物分配(第二条第十二号の五の二(定義)に規定する現物分配をいう。)又は株式交換等若しくは株式移転(以下この条において「合併等」という。)に係る次に掲げる法人の法人税につき更正又は決定をする場合において、その法人の行為又は計算で、これを容認した場合には、合併等により移転する資産及び負債の譲渡に係る利益の額の減少又は損失の額の増加、法人税の額から控除する金額の増加、第一号又は第二号に掲げる法人の株式の譲渡に係る利益の額の減少又は損失の額の増加、みなし配当金額の減少その他の事由により法人税の負担を不当に減少させる結果となると認められるものがあるときは、その行為又は計算にかかわらず、税務署長の認めるところにより、その法人に係る法人税の課税標準若しくは欠損金額又は法人税の額を計算することができる。
一 合併等をした法人又は合併等により資産及び負債の移転を受けた法人



 以前も東京高裁の判決を検討しましたが、きっかけは「違和感」なんですよね。

解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決
解釈の解釈の終わり? 〜さらば東京高裁平成30年7月19日判決
解釈の解釈は終わりました。〜最高裁令和2年3月24日判決

 それが何に対する違和感かといえば「解釈方法」のところ。
 判決の結論は、以前の記事のは「納税者有利」、今回のは「納税者不利」と、必ずしも納税者不利な結論だから文句をいうわけではないです。
 その結論に至るプロセス(解釈方法)がなんかおかしい、ということ。

 プロセスにこだわるのは、それが過去の判決を検討する主目的だから。

 結論それ自体は当該事案かぎりのもので、他の事案に役立つわけではない。じゃあ、なにが他の事案に資するかといえば、その結論に至ったプロセス部分にあります。
 それが説得力のある解釈であればあるほど、他の事案でも使い回しがされるだろうと、予測をたてることができます。

《判決の強さの縦軸と横軸》
 ・地裁 ⇔ 高裁 ⇔ 最高裁
 ・説得力弱い ⇔ 説得力強い

【判例の拘束力について】
判例の機能的考察(タイトル倒れ)
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)

 他方で、奇妙な解釈は、よくよく検討すれば説得力がないことが分かるにしても、「東京高裁の判決があるぞー!」とかいって、中身も検討せずに権威付けに使われることもあるわけです。

 ということで、奇妙な判決は奇妙な判決であることを、しっかり主張しておこうと。
(などという理由が最初からあったわけではなく、「なんかこいつ気持ち悪い」を言語化しようと思ったのが最初のきっかけです。)


 本件の事案については、事実の評価として、本当に事業実態が移っていないといえるか、という点も問題になります。
 が、ここでは単純化のために、全く移っていないものとして論じます(子会社の事業を別会社にまるっと譲渡して親会社には欠片も引き継がれていない)。

 また前提として、そもそも57条3項に形式的に引っかからないのに法132条の2を発動していいのか、という点も争われています。
 こちらは、一応争ってみたレベルの論点でしょうから、省略します。


 まずは、税務上の合併要件を簡単におさらい。

A 適格要件(簿価移転となるかどうか)

ア 完全支配関係あり(当事者間)
 1 金銭等不交付要件

イ 完全支配関係あり(同一の者)
 1 金銭等不交付要件
 2 株式継続保有要件

ウ 支配関係あり(当事者間)
 1 金銭等不交付要件
 3 従業者引継要件
 4 事業継続要件

エ 支配関係あり(同一の者)
 1 金銭等不交付要件
 2 株式継続保有要件
 3 従業者引継要件
 4 事業継続要件

オ 共同事業
 2 株式継続保有要件
 3 従業者引継要件
 4 事業継続要件
 5 事業関連要件
 6 事業規模要件or経営参画要件

(ここでいう「2 株式継続保有要件」の「見込み」に対して、「法的安定性を重視した」とかいう評価をしている記述をイジったことがあります。なお、3も4も「見込み」。)

中里実ほか「租税法概説 第4版」(有斐閣2021)

B 欠損金の引継制限

 で、適格要件を満たすと判定できたあとに、欠損金の引継制限がかかるかを検討します。

 なお、はじめから欠損金の引継が主目的、ということもあるでしょうが、この判決によればそれを主目的にするのはまずい、ということになりました。
 ので、適格要件から順番に検討するという形でどうぞ。

ア 支配関係あり (制限受けるのは)
 7 支配関係5年以内
 8 みなし共同事業要件満たさない

イ 支配関係なし
 制限なし


 そうすると、親会社が完全子会社を吸収合併する場合は、

 1 金銭等不交付要件
 7 支配関係5年超

という要件を満たしさえすれば、適格合併かつ欠損金の引継制限なし、となるはずです。


 が、原判決(東京地裁)及び本判決では、事業実態が親会社に移っていない場合は欠損金の引継制限を受ける、という結論に。

 関係する本判決の判示を引用すると次のとおり。

「控訴人は、法人税法57条2項は、組織再編成に係る未処理欠損金額の引継ぎについて、適格合併が行われた場合には、同条3項の適用がない限りは、引継ぎを認めており、適格合併では、完全支配関係がある場合は、金銭等不交付要件のみを充たせば足りるものとして、従業者引継要件及び事業継続要件を必要としていないから、これらを実質的に充足することを求めることは予測可能性を著しく害するなどと主張する。

 確かに、完全支配関係にある法人間の適格合併については(法人税法2条12号の8イ)、支配関係にある法人間の適格合併におけるような従業者引継要件及び事業継続要件(同条12号の8ロ)の定めは設けられていない。

しかしながら、原判決第5・3(2)が説示するように、組織再編税制は、組織再編成の前後で経済実態に実質的な変更がなく、移転資産等に対する支配が継続する場合には、その譲渡損益の計上を繰り延べて従前の課税関係を継続させるということを基本的な考え方としており、また、先に組織再編税制の立案担当者の説明を引用して判示したとおり、組織再編税制は、組織再編成により資産が事業単位で移転し、組織再編成後も移転した事業が継続することを想定しているものと解される。

加えて、これも原判決が第5・3(2)で説示するとおり、支配関係にある法人間の適格合併については、当該基本的な考え方に基づき、前記の従業者引継要件及び事業継続要件が必要とされているものと解され、殊更に、完全支配関係にある法人間の適格合併について、当該基本的な考え方が妥当しないものと解することはできないから、当該適格合併においても、被合併法人から移転した事業が継続することを要するものと解するのが相当である。

そして、これらの基本的な考え方等を踏まえれば、完全支配関係にある法人間の適格合併について、法人税法132条の2の適用の有無に関し、その不当性要件に係る租税回避の意図があるか否か、同法57条2項の趣旨目的から逸脱しているか否かについては、関係者において、当該行為自体から認識し検討することが可能というべきである。

よって、完全支配関係にある法人間の適格合併について、事業の移転及び継続を含め検討すべきものとしても、納税者の予測可能性を害するものとはいえず、控訴人の主張を採用することはできない。」



 いわゆる「趣旨からの解釈」をしているみたいなんですが、どうにもすんなり理解しがたい。

 個々の要件の意味を明確にするために立法趣旨から解釈する、というのが通常の趣旨解釈のあり方だと思います。
 ところが、この判決では、組織再編税制という制度全体の趣旨から、完全支配関係の場合に要求されていない従業者引継要件・事業継続要件を付加する、という、かなりアクロバティックな解釈をやっているようにみえます。

完全支配関係あり(当事者間)
 1 金銭等不交付要件
 3 従業者引継要件  ←New!
 4 事業継続要件   ←New!

 7 支配関係5年超

 これがたとえば、7の支配関係について、名義だけあればいいのではなく実質的に支配してないとだめ、とかならまだ分からないではない。あくまでも既存の要件を精緻化しているだけなので。
 が、あたらしく3、4の要件を付加するなんてことを解釈レベルでやってしまってもいいのか。

 もしこの判決を擁護するとしたら、正面から要件として付加しているわけではない、否認規定を使ってその趣旨を反映しているだけだ、といえるのかもしれません。

 それが、あくまでも否認するための一要素としての考慮にとどまるなら、そういえなくもない(もちろん、余計な考慮要素を増やすと「明確性」の問題がでてきますが、それは否認規定自体の問題でもあります。)。
 ところが、上記判示では「被合併法人から移転した事業が継続することを要する」とはっきり書いてしまっています。

 ので、事業継続していない場合は「必ず」否認されることになります。
 事業継続してないのに欠損金使うのは、常に「不当に」に該当するわけで。

 実際に課税庁が否認規定を発動するかどうかは別として、実体法レベルではそういうことになります。

 もう勇み足感満々。


完全支配関係あり(当事者間)
 1 金銭等不交付要件
 3 従業者引継要件(←否認発動条件として)
 4 事業継続要件 (←否認発動条件として)
 7 支配関係5年超

支配関係あり(当事者間)
 1 金銭等不交付要件
 3 従業者引継要件
 4 事業継続要件
 7 支配関係5年超

 並べると、完全と非完全で要件全く同じだぜ。
 これがたとえば、3の「おおむね80%」が完全ならおおむね50%でいいよ、とかいうなら違いがでるんでしょうが、そういうことを判示しているわけでもない。
 完全だから100%必要とか言い出さないだけましですか。

 そもそもこの判決、完全の場合にも3・4と同じものを要求しているのか、それともそれらしい何かを要求しているのか、判示からは読み取れない(のに、予測可能性を害しないとか言っちゃってる)。


 「否認の場合は課税庁に立証責任があるから違うんだ!お前は違いの分からない奴だな!」という反論があるかもしれません。

 が、(この記事では単純化のために省略してしまいましたが)本件事案では「事実認定」ではなくその事実の「評価」のところ(とその前提の法解釈)が主戦場になっています。

 1 法解釈 《完全でも事業継続を要するか》
 2 事実認定 《どういう事実があったか》 ←立証責任が働くところ
 3 事実の評価 《その事実は事業継続と評価できるか》

 ある事実が認定できたとして、それが事業継続と評価できるかというところ。
 ので、立証責任を転換されたところで、おそらく結論に影響がない。

 そもそも、立証責任を転換できるのは、そうできるだけの「事実的基礎」があるからです。

 たとえば、A時点とB時点での占有が認定できるなら、A〜B間の占有も推定する、とか。

  前提事実: A時点占有 B時点占有
  推定事実: A〜Bの占有

 AとBで占有しているってことは、普通はその間もずっと占有してたってことだろ、みたいな。
 で、A〜B占有を否定したい側が、その間の断絶を立証すべきことになると。

 が、完全支配関係と従業者引継・事業継続の間にはそんな連関は存在しない。
 支配とヒト・モノは、全く別物。

【そんな連関ない】
  完全支配関係あり合併: ヒト・モノも継続するのが普通
  完全支配関係なし合併: ヒト・モノは継続しないのが普通

 ということで、完全支配関係があることをもって従業者引継・事業継続の立証責任を転換するなどというのは、およそ合理性を欠いています。


 ところで、これは平成22年税制改正「前」の事案です。

 ここに、平成22年税制改正で導入された「グループ法人税制」を視野にいれると、違った様相になってきます。

ふたりはプリキュア(後日テコ入れで増員) 〜グループ法人税制のおさらい〜

 同制度に、この論点が直接規定されているわけではないです。
 が、「完全」支配関係があるかどうかで同制度の適用を受けるかどうかが決まる、というのは、100%グループとそれ以外とでは、法人税法上も別物だという評価がされているということがいえます。

 そうすると、趣旨解釈をするというならば、この判決のように、ただの支配関係間の合併の趣旨を無遠慮に完全支配関係間の合併にも持ち込むことは、もはやできない。
 完全支配関係間の合併の場合でも、支配関係にとどまる場合と同じ趣旨があてはまる根拠を説明しなければならない。

 本判決では「殊更に、完全支配関係にある法人間の適格合併について、当該基本的な考え方が妥当しないものと解することはできない」とか、積極的な論拠もない雑な判示をしているんですが、こんな無粋に、非完全の趣旨をノールックで完全のほうに「横流し」できないってこと。

 というか、同制度が施行される前の行為であっても同じであることの説明が必要だったと思いますが、その必要性がさらに高まったということです。

 そもそも本判決がやってる解釈、趣旨解釈というよりもはや「類推解釈」へ逝っちゃってると思う(あえての誤字)。
 非完全と完全との違いを捨象して、完全のほうに存在しない要件を持ち込んじゃっているわけで。

 これが、完全に要求される要件なら非完全にも要求されるはずだ、という「完全⇒非完全」方向の横流しだったら「勿論解釈」といえるんでしょう(大は小を兼ねる)。
 ところが本判決はその逆、小は大を兼ねる(!?)などという倒錯した解釈に手を出している。
 
【横流し2ルート】
 完全⇒非完全: 大は小を兼ねる (分かる)
 非完全⇒完全: 小は大を兼ねる (!?)

 いやいや、本判決は非完全から直接完全に横流ししているんじゃない、組織再編成の趣旨に遡って検討しているんだ、とかいう反論があるかもしれません。

 が、それ横流しよりさらに悪質な「趣旨ロンダリング」(趣旨ロン)ですからね。

【趣旨ロンダリング】
Screenshot_1.png

 趣旨ロン、ちょっと試してみましょう。

 《メリーゴーラウンド ⇒ 遊園地の遊具 ⇒ ジェットコースター》
  メリーゴーラウンドは幼児でも楽しめる遊園地の遊具だ
  ジェットコースターは遊園地の遊具だ
  ゆえにジェットコースターは幼児でも楽しめる

 《O氏 ⇒ 日本の女性歌手 ⇒ A氏》
  O氏はA氏に過激発言をする日本の女性歌手だ
  A氏は日本の女性歌手だ
  ゆえにA氏はA氏に過激発言をする



 鬼束ちひろ 「REQUIEM AND SILENCE」(Victor Entertainment2020)
 
 「またベスト盤か」とか言わないように。
 新曲『書きかけの手紙』、心がえぐられますよ。

 要するに、後の矢印それ自体の論拠を示すこともなく前の矢印だけを強調したところで、何の根拠にもならない、ということ。

 これがたとえば、

@非完全の適格要件として金銭等不交付要件が要求されている。
A完全の適格要件として金銭等不交付要件が要求されている。
Bゆえに、グループ内合併の適格要件は合併時に支配関係が変動しないことが基本的な考え方。

なら理屈はつながります
 共通要件を括りだしているだけなので。

Screenshot_2.png

 これを
  @非完全の適格要件では事業継続が必要
  Aグループ内組織再編成は事業継続が基本的な考え方となっている
  B完全で欠損金を引き継ぐには事業継続が必要
とかやるから、理屈がガッタガタになるわけです。

Screenshot_3.png

 よりつめて考えてみると、本判決、洗浄2つカマしてませんか。

Screenshot_4.png

 条文にない事業継続を正面から要件として要求するとゲートにひっかかるから、否認規定の「不当に」の中に詰め込んで持ち込むと。
 手口が巧妙すぎやしませんか。


 ちなみに、本判決の趣旨ロン、どうも以下の記述を彷彿させるんですよね。

「この本を読んだ方が、税法の中に数式ではなく、人々の生活の息吹や社会の動きを感じ取って、税法の面白さを少しでも理解してくれたら」

三木義一ほか「よくわかる税法入門 第17版」(有斐閣2023)

 条文上の要件に反映されていない「息吹」(組織再編税制は事業継続がキモだ!)を制度の背後に感じ取って、その「息吹」から一定の解釈を導くみたいなノリ(今だと『ミタマセキュ霊ティ』でイメージしてもらえばいいですか?)。


 さらにいうと、同じく平成22年税制改正で導入されたもので、完全子会社を「清算」した場合に欠損金を引継ぐ、ことになりました。

 なんと、事業を引き継がなくても欠損金を引き継げるという制度ができてるじゃないですか(新しい制度というか57条2項に事由が追加されただけ)。
 要は、100%グループならなるべく一体として扱おうぜ、の一環(ので、これもグループ法人税制のひとつですが、別立てで取り上げます)。

 まさか清算の場合にまで、事業継続が隠しコマンドとして存在するなんておバカなこと言いませんよね。

【事業継続横流し新ルート開拓】
  非完全合併 ⇒ 組織再編成 ⇒ 完全合併 ⇒ 完全清算??

 では、もし本件が改正後で「清算」ルートでいった場合はどう評価されるのか。
 本件事案と同じようなことは、別会社に事業譲渡をしてから子会社「清算」でも実現できるわけです(あるいは、改正前の「子会社株式清算損」ルートでもよさそう)。

 親会社:不動産屋、完全子会社:ナタデココ屋でイメージしてみましょう。

 合併ルート1:不動産屋が、ナタデココ屋の事業を他社に事業譲渡してから吸収合併
 合併ルート2:不動産屋が、ナタデココ屋を吸収合併してから同事業を他社に事業譲渡
 清算ルート: 不動産屋が、ナタデココ屋の事業を他社に事業譲渡してから清算
 (合併ルート2があるのは、事業継続要件が「見込み」なせいです)

 もちろん「組織再編成」の132条の2は使えませんが、「同族会社」の132条の適用があるのかどうか。

 合併ルートでいくと否認されるから清算ルートでいったんだろ、とか、別会社にまるっと事業譲渡していてそっちが事業やっているから実質的に清算したとはいえない、とかいう理由で否認されてしまうのか。

 さすがにそこまでの拡張はされないはずですが、この判決のノリからすると、そういうことを言い出しても驚かない。


 グループ法人税制も清算も、本件組織再編成「後」に施行された制度なわけです。

 なので、これら制度が直接本件組織再編成に適用されることがないのは、(遡及規定がないかぎり)当然です。
 そうだとして、これら規定の「趣旨」は、否認規定にいう「不当に」には反映されないのか。
 「不当に」の評価は、あくまでも行為時の法人税法を前提に判断するのか、それとも判決時までの事情も考慮に入れることができるのか。

 通常は行為時点で確定、なんでしょうけども、現時点で不当とはいえないものを否認するの(を裁判所が是認するの)は、どうも筋が悪い気がする。

 たとえばですけど、
  更正時に否認するのは適切だった
  でも判決時には不適切になった
という場合に、本税は返すけど還付加算金は付加しない、みたいな中間的な解決はできないものかどうか。

 こういう発想、以前書いた《解釈の幅》と似たような話です。

【解釈の幅】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その7)

 あちらは、
  判決時には課税すべきという解釈になった
  でも行為時に課税されないと解釈することも無理はない
という場合に、判決前の行為には課税すべきではない、というものでした。


 さて、現時点で同じように事業継続なし合併をした場合、やはり否認されるんでしょうか。
 横流しするならするで、ちゃんと射程範囲を明示せえよ、と思う。

 この事件は上告・上告受理申立てをされているので、最高裁の判示に注目です。

 仮に結論が同じだとしても、高裁の理由付けが粗すぎるってことで、何がしかの判断はすると思うんですよね(個人的には結論ひっくり返すと予測していますが、「最高裁の良心を信じる」程度の見立て)。

 いずれにしても、現時点での実務的なアドバイスとしては、合併する「事業目的」をしっかり整えておきましょう、となります。

 これは別に組織再編だけの話ではなく、各種節税が絡むものに共通することです。

 保険のごとく細かく通達が整備されているものについては、それに従っているかぎりは基本的に否認されにくいわけです(あくまで「されにくい」)。
 他方で、組織再編だったり株価評価だったり、要件が整っているようで隙があるタイプの制度に関しては、単に形式だけを整えておけばいいのではなく、しっかり実質も整えておきましょう、ということになります。

 が、本件判決のような制度趣旨「横流し」系の判断をされるのでは、どんな実質を整えておけばいいのか予測がつけにくくて困る。
posted by ウロ at 16:47| Comment(0) | 判例イジり

2020年02月17日

解釈の解釈の終わり? 〜さらば東京高裁平成30年7月19日判決

 軽い気持ちで記事にした高裁判決。

解釈の解釈を解釈する(free rider) 〜東京高裁平成30年7月19日判決

 その後もアレな判決としてちょくちょくイジってきました。

非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その2)
加算税をめぐる国送法と国税通則法の交錯(平成29年9月1日裁決)
税法・民法における行為規範と裁判規範(その5)
税法・民法における行為規範と裁判規範(その6)
税法・民法における行為規範と裁判規範(その7)


 その事件、最高裁で弁論が開かれることに(2020/3/3 PM1:30)。

【最高裁のサイト】
最高裁判所開廷期日情報
所得税更正処分取消等請求事件について

 「最高裁で弁論が開かれる」というの、定石通りなら「原判決破棄」のネタバレになります。

 ただ、納税者有利な判決の破棄とはいっても、必ずしも納税者不利になるとは限りません。

 高裁の理屈があまりに奇妙、ということで規範を差し替えて、その規範にしたがった事実認定・あてはめを高裁にやり直させる、ということもあるっちゃある。

 あまり期待できる気がしませんが、どうでしょうね。

 ちなみに、配点が「第三小法廷」。
 宮崎裕子判事や宇賀克也判事が所属されているので、ハイレベルな租税判決がなされることを期待。



増井良啓 宮崎裕子 「国際租税法 第4版」(東京大学出版会2019)
宇賀克也 「行政法概説I 行政法総論 第7版」(有斐閣2020)

【追記】 2020.3.26

 最高裁判決でました。

解釈の解釈は終わりました。〜最高裁令和2年3月24日判決
posted by ウロ at 10:12| Comment(0) | 判例イジり