この記事は、およそ実現しえない、近未来への妄想に基づく記事ということで、本ブログの記事の中でも、屈指の《税務お役に立たない記事》となります。
【実現しえない未来】
・司法試験の「租税法」の出題範囲に、消費税法が含まれるようになる未来
・司法試験の選択科目が、所得税法/法人税法/消費税法/相続税法の4科目になる未来
・税理士試験に、司法試験の「論文式」の形式が導入される未来
ちなみに、令和6年司法試験の租税法の受験者数199人(5.3%)、合格者数62人(3.89%)とのこと。
令和6年司法試験の結果について(法務省)
そりゃあ、この人数しか見込めないのでは、租税法の学習用教材が充実しないわなあと。
予備校教材で市販されているもの、これ1冊だけ?
小川徹「1冊だけで租税法 第3版」(辰已法律研究所2023)
さらに「消費税法」単体で、なんてことになったら、数人しか受験しないのでは?
◯
それでは、本判決を素材として、自力で論証パターンを作成する過程を解説いたします。
最高裁令和5年3月6日判決
前提として、受験生の皆さんは、消費税法の学習書をひととおり理解しているものとします(受験科目となった暁には、適切な学習書が多数出版されることになるでしょうか)。
また、適用法令は、令和2年度改正施行前のものを想定します。
もし事例の中で、「令和2年9月30日に売買契約を締結した」などと際どい日付が出てきた場合は、譲渡の「時期」を論点にしなさいと、露骨に誘っているわけですが、本記事ではこの論点には触れません。
「消費税法改正のお知らせ」(令和2年4月)
・
まず、最高裁自身が下線を引いている箇所(以下「規範」といいます)はそのまま「丸暗記」してください。ここは事例のあてはめをする際に必ず使うものであり、これを不正確に再現してしまうと、あてはめも正しくなくなってしまうからです。
論証パターン(規範)
課税対応課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て共通対応課税仕入れに該当すると解するのが相当である。
そして、これとセットで「事例」も頭に入れておいてください。
《事例》
転売目的で現に居住用賃貸している建物を購入した。課対/共通いずれに該当するか?
「事例」とセットで覚えるのは、出題者があえて事案をズラすことで、判例の規範をそのまま使えない場面だよと誘導している出題が出た場合に、気づけるようにするためです。
「用途区分」がでたからといって、とりあえず自分が覚えている用途区分の判例の規範を書いとくか、では点数はつかず。事案に使える規範を適切に選択できていることに、点数がつくことになります。
・
ここまで終わったら、一旦本論点からは離れて、他の論点についても同じように規範部分だけの暗記を進めてください。
というのも、限られた勉強時間の中で、一つ一つの論点に時間をかけるよりも、すべての論点につき浅い知識があるほうが、いかなる出題がされても、確実に最低限の点数を拾えるからです(神憑り的なヤマ勘師ならば話は別です)。
受験生が勉強しなければならないのは、消費税法だけではないわけで。全論点の規範部分を(事例とセットで)確実に覚えておけば、深く理解していない論点が出てしまったとしても、手も足も出ない、ということにはならないはずです。
・
ひととおり規範を暗記したら、重要な論点から順番に《深堀り》をしていきます。
(本論点については、令和2年度改正もあり、近未来ではもはやオワコン扱いされているかもしれません。が、本記事では、まだ重要度の高い論点として残っているものとして、話をすすめます。)
《深堀り》とはいっても、学術的な意味合いからではなく。その規範が使える射程を正確に理解し、かつ応用を効かせられるようにするためです。
判例の事案そのままの出題ならば、「理由付け」はすっ飛ばして規範だけ書いておけばよいのでしょう。他方で、出題のされ方によっては、当該規範の「理由付け」が同じように使えるかどうか、検討する必要がある場面もでてきます。
では、「理由付け」を書くとして、判決に書かれていることをそのまま順番に書いていけばよいのかといえば、そうではなく。出題に応じて取捨選択する必要があります。
・
では、理由付けの序列はどのように見極めればよいでしょうか。
民法などの実質重視な科目とは異なり、税法においては《文言解釈》が重視されます(建前上)。
ところが、本判決においては、文言から離れたところからグダグダと露払い的なことが書かれたあとに、満を持して「文言解釈」がでてきます。
このように解することは、課税仕入れを課税資産の譲渡等「にのみ」要するもの(課税対応課税仕入れ)、その他の資産の譲渡等「にのみ」要するもの(非課税対応課税仕入れ)及び両者「に共通して」要するもの(共通対応課税仕入れ)に区分する同条2項1号の文理に照らしても自然であるということができる。
ので、判決の書き順はガン無視して、この箇所を理由付けの筆頭にあげることになります。
文言解釈のみに基づく論証パターンは次の通り(以下、論証パターン中の文言は覚えやすいように簡略に表現しますが、覚えられるものなら正確な表現のほうが望ましいです)。
論証パターン(文言解釈⇒規範)
消費税法30条2項1号は、課税仕入れを課税資産の譲渡等「にのみ」要するもの(課税対応課税仕入れ)、その他の資産の譲渡等「にのみ」要するもの(非課税対応課税仕入れ)及び両者「に共通して」要するもの(共通対応課税仕入れ)に区分している。
このような文理からすると、課税対応課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て共通対応課税仕入れに該当すると解するのが相当である。
最低限これだけ覚えて、他の論点の学習に進んでも、さしあたりは構いません。
なお、由緒正しく文言解釈からスタートしているのが「ホステス報酬源泉徴収事件」の最高裁判決。
最高裁平成22年3月2日判決
これと異なり、本判決がわざわざ書き順を逆転させていることになにか意味があるかは、さしあたり不明です(受験対策上は深入り無用)。
・
本論点が、設問の中でより重要な論点である場合には、「実質的な」理由付けを追記します。
ところが、「論証パターンを作ろう」という観点から本判決の理由付けをみると、どうにもまとまりがあるようには読めません。
文言解釈に至るまでの、以下のかたまりから、どうにか論証に使えそうな理由付けを拾い上げる必要があります。
消費税法は、生産、流通等の各段階で二重、三重に税が課されて税負担が累積することを防止し、経済に対する中立性を確保するため(税制改革法10条2項)、課税期間中に行った課税仕入れに係る消費税額を当該課税期間の課税標準額に対する消費税額から控除するものとしている(消費税法30条1項1号)。
もっとも、同法は、所定の場合において当該課税期間中に行った課税仕入れにつき用途区分が明らかにされていないときは、課税仕入れに係る消費税額に、課税売上割合、すなわち、課税期間中の所定の売上げの総額に占める課税資産の譲渡等に係る売上げの割合を乗じて計算する方法により控除対象仕入税額を計算するものとし(同条2項2号)、また、帳簿及び請求書等の保存がない場合には原則として当該課税仕入れに係る消費税額の控除を認めないものとする(同条7項)など、課税の明確性の確保や適正な徴税の実現といった他の目的との調和を図るため、税負担の累積が生じても課税仕入れに係る消費税額の全部又は一部が控除されない場合があることを予定しているものということができる。
そして、個別対応方式により控除対象仕入税額を計算する場合において、税負担の累積が生ずる課税資産の譲渡等と累積が生じないその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れにつき一律に課税売上割合を用いることは、課税の明確性の確保の観点から一般に合理的といえるのであり、課税売上割合を用いることが当該事業者の事業の状況に照らして合理的といえない場合には、課税売上割合に準ずる割合を適切に用いることにより個別に是正を図ることが予定されていると解されることにも鑑みれば、課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れは、当該事業に関する事情等を問うことなく、共通対応課税仕入れに該当すると解するのが消費税法の趣旨に沿うものというべきである。
田村善之先生がいうところの「積極的理由/消極的理由」という区別を意識しながら拾い上げると、次のような理解が可能でしょうか。
田村善之・清水紀子「特許法講義」(弘文堂2024)
論証パターン(実質的理由付け)
仕入税額控除は、生産・流通等の各段階で重複して税負担が累積することを防止するものである(法30条1項1号)。
もっとも、用途区分が明らかでないときは、「課税の明確性の確保」の観点から、課税売上割合を乗ずる方法により控除額を計算するものとしている(同条2項)。また、課税売上割合を用いることが不合理な場合は、「課税売上割合に準ずる割合」を適切に用いることにより、個別に是正することとしている(同条3項)。
これらの規定からすれば、課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れは、個別事情を問うことなく、共通対応課税仕入れに該当すると解すべきである。
仕入税額控除の制度趣旨は「税負担の累積防止」ではあるものの、実際の消費税法では、双方に対応する場合は「課税の明確性の確保」の観点から「課税売上割合/準ずる割合」という座組みで差配しているのであり、厳密な累積排除までは実施していないと。
個別事情を考慮しないことにつき、「課税の明確性の確保」が積極的理由であり、「課税売上割合/準ずる割合」の2パターンを用意していることが消極的理由に該当するといえるでしょうか。
私にはどうにも弱い理由付けだと思いますが(ので、「帳簿請求書保存方式」なんて用途区分と無関係の制度まで持ち出している)、最高裁がこういっている以上、受験生はそのまま利用すればいいと思います。
最高裁に倣って、仕入税額控除の制度趣旨を頭に持ってきましたが。
累積を防止するといいながら、累積そのものを控除するのではなく。割合で割り切る+双方対応は全て共通対応に入れ込むという遣り口を採用しており。制度趣旨と実際の制度の中身がズレています。
論証内部での矛盾を避けるためには、制度趣旨の記述は省略したいところ。が、最高裁判決をきちんと読んでるよ、というアピールのためには、やはり盛り込んでおくべきなのでしょう。
・
ちなみに、「帳簿請求書保存方式」についての記述は、本論点の帰結を正当化するにはあまりにも遠いと感じます。私が採点者だとして、(本判決が出る前であれば)余事記載として、減点しないまでも加点はしなかったと思います。
帳簿・請求書等がない場合に控除できないことと、課税売上割合により控除できないものが生じることとは、まったく状況が異なるものであって。帳簿・請求書等がない場合に控除できないんだから、課税売上割合のせいで控除できない場合があっても問題ないだろ、なんてあまりにも雑すぎる。
が、本判決では、堂々と理由付けの一つとして採用されていることから、いくらか加点しなければならなくなるでしょうか。
・
ただし、未知の論点がでてしまったときに、それが形式による「割り切り」を正当化しなければならない場面だとしたら、以下のような論証パターンを使って、当該論点の理由付けとして使ってしまってもよいでしょう。
論証パターン(帳簿請求書等保存方式⇒形式割り切り正当化)
消費税法は、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」を図るため、帳簿及び請求書等の保存がない場合には税額控除を認めないものとしている(同条7項)。このことから、消費税法は、税負担の累積が生じても税額控除されない場合があることを予定しているといえる。
同様に、現実に輸出したことが明らかな場合であっても、輸出許可書を保存していないかぎり消費税が免除されないことも(法7条、規5条)、外国消費税との二重課税が生じても排除されない場合があることを予定しているといえる。
もちろん、「税額控除」から「輸出免税」まで飛ぶのはかなり無茶があります。が、税額控除の中であっても「帳簿・請求書保存」から「用途区分」まで飛ぶのだって、同じように無茶だと思います。
ので、純理論としてはとてつもなく不適切ですが、最高裁がやってんだから、まあいいしょや。
◯
以上の論証パターンを一つにまとめると次の通りとなります。
論証パターン(フルセット)
仕入税額控除は、生産・流通等の各段階で重複して税負担が累積することを防止するものである(法30条1項1号)。
もっとも、用途区分が明らかでないときは、「課税の明確性の確保」の観点から、課税売上割合を乗ずる方法により控除額を計算するものとしている(同条2項)。また、課税売上割合を用いることが不合理な場合は、「課税売上割合に準ずる割合」を適切に用いることにより、個別に是正することとしている(同条3項)。
これらの規定からすれば、課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れは、個別事情を問うことなく、共通対応課税仕入れに該当すると解すべきである。
このように解することは、法30条2項1号が、課税仕入れを課税資産の譲渡等「にのみ」要するもの(課税対応課税仕入れ)、その他の資産の譲渡等「にのみ」要するもの(非課税対応課税仕入れ)及び両者「に共通して」要するもの(共通対応課税仕入れ)に区分している文理にも適うものである。
以上より、課税対応課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て共通対応課税仕入れに該当すると解するのが相当である。
なお、このような解釈により、税負担の累積が生じても税額控除されない場合が生じうるが、消費税法は「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」との調和を図るため、帳簿及び請求書等の保存がない場合には税額控除を認めないものとしていることから(同条7項)、税負担の累積が生じても税額控除されない場合があることを予定しているといえ、不当なものではない。
「帳簿請求書保存方式」は、理由付けとしては弱いと思ったので、一番最後のおまけにまわしました。
論証パターンが批判されるのは、このようなフルセットを、どのような事例でもお構いなしに繰り広げるから、なんだと思います。
もちろん、全論点につき、自分の頭で考えながら論証パターンを構築していくのは、時間的に無理があります。
が、出来合いの論証パターンを流用するにしても、その作られ方を理解したうえで、現場で可変できるようにしておく準備は必要なのだと思います。
◯
なお、本判決に対して、先日の記事では、
ア 対応関係は、どのような事実を拾い上げて、どのように判定すべきか。
という本体部分から、
イ アの結果、双方に対応すると判定された場合、課税/非課税の比重を考慮するか。
というサブ論点を括りだし、イだけについて命題を導出している、という評価をしました。
《税負担の累積防止》なる税務ミームについて 〜最高裁令和5年3月6日判決(ADW事件)
判例が、言っていることいないこと。 〜最高裁令和5年3月6日判決(ADW事件)
これに対して、調査官解説では、本判決は「客観説」を採用していると評価しています。
が、論証パターンを作り上げる過程を見ていただければ分かるとおり、客観説に対応する《規範》は、判決文のどこにも存在しません。
理由付けのほうは、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」というマジックワードがあるせいで、「客観説」の理由付けとしても使っているかのように読めてしまうところ。ですが、実際には、あくまでも「双方対応はすべて共通対応に入れ込む」に対する理由付けとして使っているにとどまります。
調査官が言っている以上、法廷意見も「客観説」を前提としていたのかもしれません。が、判決文で明示されていない以上、受験生が勝手に「判例同旨」などとして、「客観説」を展開するのは危険でしょう。
・
もし設問が、本判決と同様にイだけを論ずれば足りるのであれば、「判例同旨」ということで本判決の規範をそのまま吐き出せば足りることになります。
が、本試験では往々にして、判決の事案そのままではなく、ひねりを入れたものが出題されることがあります。
もしそこで、用途区分の「判定方法」そのもの(ア)が問われることになったらどうすべきでしょうか。たとえば、居住禁止区域なのに、居住用賃貸目的で購入したらどうかとか(実際の試験はきちんと現実味のある事例になるとは思います)。
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
ここはあらかじめ用意してきた論証パターンを使うのではなく。受験生各自の「自由試技」が試されている場だと思います。
出題者側がそのように誘っているわけで。せっかくのお誘いにもかかわらず、他の受験生も書いているような「テンプレ論証」を吐き出すのでは、点数が伸びないでしょう。
そうはいっても、完全オリジナルの珍説を編み出せと言っているのでなく。法解釈のオーソドックスなお作法にしたがって解釈論を展開しているかぎり、悪い点数はつかないということです。
最高裁判決の存在しない箇所となるので、きっちりとした「理由付け」が必要となります。
最悪、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」という理由付けで客観説に依拠してしまうのも、試験対策としてはありかもしれません。調査官解説の理解とも整合しますし。
実際のところ、近時の最高裁における租税判決も、マジックワードに依拠しがちな雰囲気があり(一部除く)。受験生だけが非難されるいわれはないでしょう。
私には、刑事訴訟法の答案を「真実発見と適正手続の調和」というマジックワードでお茶を濁している、G答案と同じように思えてしまうのですが。
とはいえ、諸悪の根源は、「EUでは〜」というだけで、日本の現行消費税法の果たしている機能をあるがままに説明できる理論立てを構築することを怠ってきた、消費税法学者にあるのであって。ごくごく小さな領域でしか法理判決を出せないという、みっともない有様を披露させられた最高裁様も、ある意味被害者でしょう。
他方で、受験生的には、最高裁様ご自身が「消費税法」の偏差値を下げにきてくださっているわけで。ありがたく、他の科目に力を入れたらよろしいのではないでしょうか。
・
試験本番で知らない論点が出てしまったときの緊急措置として、「趣旨解釈から規範をでっちあげろ!」と言われることがあります。
が、消費税法においては、
・「税負担の累積防止」といっておきながら、累積そのものを排除しない。
・「消費者の消費に課税する」といっておきながら、消費以上の税負担が発生する。
というように、言ってることとやってることが食い違う場面が発生することが、制度上組み込まれています。
そのため、「仕入税額控除の趣旨は税負担の累積防止にある。本件では税負担が累積しているから税額控除すべきである。」というような(正統派の)論証を展開した場合、往々にして何かしらの控除否定制度に抵触してしまう可能性があります。
その場合、端的にいって間違った解釈であり、大幅に減点されかねません。
また、本判決の「実質的理由付け」の説得力が弱いと感じてしまう理由。
上記正統派の論証のように、仕入税額控除の制度趣旨は「税負担の累積防止」だというならば、そのあとにくるのは「累積してるから控除する/累積してないから控除しない」という帰結になるはずです。
ところが、本判決では、この制度趣旨とは整合しない、「課税売上割合/準ずる割合」で割り切るという話が出てきてしまっています。割合で割り切る以上、どこまでいっても累積そのものを排除することとは符合しません。
割合で割り切ることを正当化する理由も、「課税の明確性の確保」などといった大味なものであり。累積しているのに排除しなくてよいことを正当化するには、いかにも根拠薄弱でしょう。
このように、消費税法は、素朴な趣旨解釈を展開するにはトラップだらけの税制度だということであり。そもそも、司法試験の出題科目としては相応しくない、のかもしれません。
◯
以上、ひとつの論証パターンを作り上げるだけでも、正確な判例理解が必要なことをご理解していただけたかと思います。
とはいえ、受験生が自力ですべての論証パターンを磨き上げていくのは、厳しいものがあるでしょう。
そこで、(ここで自校の宣伝(論証パターン作り方講座)が挿入される。◯月◯日までは◯%割引するとか)。
・
なお、本来ならば、今回の「論証パターンの作り方講座」を前編として、設問にあわせて論証パターンを使いこなす「論証パターンの使い方講座」を後編として展開すべきなのでしょう。
が、どう考えてもおふざけがすぎるので、後編を展開するのは、消費税法が司法試験の科目として正式採用されたらにいたします(不能の停止条件)。
皆様の今後の消費税法学習が充実したものとなることを祈りながら、本記事を終わらせていただきます。
2024年11月25日
「論証パターン」の作り方 〜最高裁令和5年3月6日判決(ADW事件)を素材に。
posted by ウロ at 08:57| Comment(0)
| 判例イジり
2024年11月18日
複層的審査基準論 〜最高裁令和4年4月19日判決(財産評価)
本判決が示した3つの規範の関係について、未だにしっくりくる説明に出会えない。ので、自分なりに整理をしてみます。
だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)
【本判決の判断枠組み】
・規範A: 相続税法22条によって評価
・規範B: 通達各則によって評価 (平等原則T)
・規範C: 相続税法22条によって評価 (平等原則U)
最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(相続税更正処分等取消請求事件)
◯
よくある解説モノだと、租税法律主義よりも租税平等主義を優先した、とか、平等原則Tよりも平等原則Uを優先した、というように、「あれかこれか」という枠組みにハメて整理をしようとするものが目につきます。
が、本判決に書かれていることを正確に読み取るならば、3つの規範を順番にあてはめていった、という理解のほうが適合的だと思われます。
・
すなわち、まず、「租税法律主義」の観点から、相続税法22条における「時価」の意味を確定させます。が、「時価」というものの性質上、点ではなく一定の幅があることになります。
そうすると、「租税法律主義」の観点からだけでは、その幅の中に収まっていさえすれば、課税処分はすべて適法ということになってしまいます。
・
そこで次に、「平等原則」の観点から、その幅の中に収まってさえいればいくらでもよいのか、についてのチェックを行います。
「平等原則」によるチェックの仕方として、まず、「納税者全体」との比較で、課税処分に問題がないかをチェックします(平等原則T)。
通常は、通達各則による評価が行われていることから、本件でも通達各則による評価をすべきということになります。
※本記事で「納税者」というのは、結果として税額なしとなった人も含む、相続財産を相続した全ての人を指します。
・
次に、もう一段階掘り下げて「平等原則」によるチェックを行います(平等原則U)。
ここでは、納税者全体ではなく、「同様の状況にある納税者」との比較で平等かどうかを判定します。
図式的にいえば、「平等原則T」が、AグループからZグループまでの納税者グループ全体との比較、「平等原則U」が、Aグループの中で、本件納税者がA5だとしたら、その両隣のA4・A6との比較、というイメージです。
同じ平等原則でも、Tが「粗い物差し」で、Uが「細い物差し」で判定を行うということです。
◯
このように、本判決は、一つの事例に対して、3つの基準を重ねがけしていると構成することができます。
それも、漫然と重ねがけをしているわけではなく。大きな枠組みから徐々に目盛りを細かくしていっていると。
・
これとの比較で対照的なのが、憲法学で論じられている「違憲審査基準論」。
華々しくあれこれと議論が展開されているものの。「1事例に1基準」という枠組み自体は、皆さん一致されています。
異なる尺度の基準を重ねて用いることで問題点を絞り込んでいく、という手法は採用されていません。
他方で、本論点においては、1事例に複数の審査基準を重ねがけをしています。財産評価における時価というものが幅のある概念であるため、複数の観点から絞り込みをする必要があるわけです。
そういうわけで、憲法学上の「違憲審査基準論」が、3つの規範の関係性を整理するのに何か役に立つかと思ったのものの。残念ながら活用することはできませんでした。
◯
「平等原則は租税法律主義に由来する」みたいな評価をされている文章もありましたが。
上記のとおり、財産評価における時価は、法律の規律のみでは一定の幅を持たざるをえません。そのため、「租税法律主義」だけからは、『枠内に収まっているかぎりすべて適法』という大味な結論しか導き出せません。
そうすると、「租税法律主義」の規律からは、課税庁はその枠内で自由に課税処分ができることになってしまいます。
これを統制する規律が「平等原則」ということになります。租税法律主義だけでは課税処分を統制しきれないところ、平等原則によって限定をかけているという位置づけとなります。
あえて、何らのつながりを持たせたいのであれば、『法の支配』の観点から
1 課税処分は法律に基づいていなければならない (租税法律主義)
2 課税処分は平等に執行されなければならない (租税平等主義)
と、それぞれ2つの主義が導かれた、という説明になるかと思います。
なお、このような位置づけは、財産評価における時価のような、幅のある概念だからいえることであって。法律から一義的な帰結が導ける場合であれば、わざわざ平等原則を持ち出す必要はなく。租税法律主義一本で統制が可能です(この先に、「違法だが平等扱いすべき」の事例群がある)。
◯
まあ、「平等原則は租税法律主義に由来する」と勘違いしてしまう原因は、最高裁の書きぶりにあるのだと思います。
すなわち、「租税法上の平等原則」と言われてしまうと、あたかも法律レベルでの平等原則を問題としているかのように思ってしまうところ、です。
が、法律レベルでの平等原則というのは、たとえば「寡婦控除」が男性に適用されないでよいのかとか、法内容そのものの平等を問題とする場合に出てくるものです。
他方で、本論点では、法内容そのものではなく。「課税庁は法執行をするにあたって平等に処理すべき」ということを問題としています。課税処分レベル、あるいは法執行レベルでの平等原則が問題となっているということです。
・法内容レベルの平等(租税法上の平等原則)
・法執行レベルの平等(???上の平等原則)
もちろん、法執行レベルの平等も「租税法上の平等原則」と呼ぶことが、間違いということではないのでしょう。が、極めて誤導的な表現ではあると思います。
しかも、本判決を下しているのは、近時の最高裁における「通達は法律じゃねえって言ってんだろ!」傾向をリードしている「第三小法廷」ということもあって。
解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決
なるべくデカい物言いをしたい、というお気持ちは分からないではないものの。このあたりの言葉遣いには、気を使って欲しかったところです。
◯
「平等原則」については、《誰と比較するか》という問題があって。
本判決は、まずは納税者全体と比較し、次に、同じような状況にある納税者と比較する、という手法を採用しています。
先日の記事では、憲法学が「主観的権利」としての平等原則ばかり論じているせいで、「客観的法原則」としての平等原則の内実が不明と記述しました。
【憲法(学)上の平等権と、租税法上の平等原則】
平等権と、課税公平主義のあいだ 〜最高裁令和4年4月19日判決における「平等原則」とは?
本論点においても、「1事例に1基準」という憲法学上の縛りのせいで、平等原則TとUの関係性を理解するのに役立つ議論が、見いだせませんでした。
◯
以上整理したことは、3つの規範の関係性につき「このように位置づけたら分かりやすいのでは」というものにとどまります。
実務的には、そんな整理はどうでもよくって。
本当に論じなければならないことは、平等原則Uにおいて、「同じような状況の納税者」をどうやってピックアップするか、そして、どこまでの有意差が出たら平等原則U違反と判断されるのか、という点です。
が、こういった問題については、本ブログにおいて表立って論ずるタイプの論点ではないので、各自ご研鑽いただければと思います。
だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)
【本判決の判断枠組み】
・規範A: 相続税法22条によって評価
・規範B: 通達各則によって評価 (平等原則T)
・規範C: 相続税法22条によって評価 (平等原則U)
最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(相続税更正処分等取消請求事件)
◯
よくある解説モノだと、租税法律主義よりも租税平等主義を優先した、とか、平等原則Tよりも平等原則Uを優先した、というように、「あれかこれか」という枠組みにハメて整理をしようとするものが目につきます。
が、本判決に書かれていることを正確に読み取るならば、3つの規範を順番にあてはめていった、という理解のほうが適合的だと思われます。
・
すなわち、まず、「租税法律主義」の観点から、相続税法22条における「時価」の意味を確定させます。が、「時価」というものの性質上、点ではなく一定の幅があることになります。
そうすると、「租税法律主義」の観点からだけでは、その幅の中に収まっていさえすれば、課税処分はすべて適法ということになってしまいます。
・
そこで次に、「平等原則」の観点から、その幅の中に収まってさえいればいくらでもよいのか、についてのチェックを行います。
「平等原則」によるチェックの仕方として、まず、「納税者全体」との比較で、課税処分に問題がないかをチェックします(平等原則T)。
通常は、通達各則による評価が行われていることから、本件でも通達各則による評価をすべきということになります。
※本記事で「納税者」というのは、結果として税額なしとなった人も含む、相続財産を相続した全ての人を指します。
・
次に、もう一段階掘り下げて「平等原則」によるチェックを行います(平等原則U)。
ここでは、納税者全体ではなく、「同様の状況にある納税者」との比較で平等かどうかを判定します。
図式的にいえば、「平等原則T」が、AグループからZグループまでの納税者グループ全体との比較、「平等原則U」が、Aグループの中で、本件納税者がA5だとしたら、その両隣のA4・A6との比較、というイメージです。
同じ平等原則でも、Tが「粗い物差し」で、Uが「細い物差し」で判定を行うということです。
◯
このように、本判決は、一つの事例に対して、3つの基準を重ねがけしていると構成することができます。
それも、漫然と重ねがけをしているわけではなく。大きな枠組みから徐々に目盛りを細かくしていっていると。
・
これとの比較で対照的なのが、憲法学で論じられている「違憲審査基準論」。
華々しくあれこれと議論が展開されているものの。「1事例に1基準」という枠組み自体は、皆さん一致されています。
異なる尺度の基準を重ねて用いることで問題点を絞り込んでいく、という手法は採用されていません。
他方で、本論点においては、1事例に複数の審査基準を重ねがけをしています。財産評価における時価というものが幅のある概念であるため、複数の観点から絞り込みをする必要があるわけです。
そういうわけで、憲法学上の「違憲審査基準論」が、3つの規範の関係性を整理するのに何か役に立つかと思ったのものの。残念ながら活用することはできませんでした。
◯
「平等原則は租税法律主義に由来する」みたいな評価をされている文章もありましたが。
上記のとおり、財産評価における時価は、法律の規律のみでは一定の幅を持たざるをえません。そのため、「租税法律主義」だけからは、『枠内に収まっているかぎりすべて適法』という大味な結論しか導き出せません。
そうすると、「租税法律主義」の規律からは、課税庁はその枠内で自由に課税処分ができることになってしまいます。
これを統制する規律が「平等原則」ということになります。租税法律主義だけでは課税処分を統制しきれないところ、平等原則によって限定をかけているという位置づけとなります。
あえて、何らのつながりを持たせたいのであれば、『法の支配』の観点から
1 課税処分は法律に基づいていなければならない (租税法律主義)
2 課税処分は平等に執行されなければならない (租税平等主義)
と、それぞれ2つの主義が導かれた、という説明になるかと思います。
なお、このような位置づけは、財産評価における時価のような、幅のある概念だからいえることであって。法律から一義的な帰結が導ける場合であれば、わざわざ平等原則を持ち出す必要はなく。租税法律主義一本で統制が可能です(この先に、「違法だが平等扱いすべき」の事例群がある)。
◯
まあ、「平等原則は租税法律主義に由来する」と勘違いしてしまう原因は、最高裁の書きぶりにあるのだと思います。
すなわち、「租税法上の平等原則」と言われてしまうと、あたかも法律レベルでの平等原則を問題としているかのように思ってしまうところ、です。
が、法律レベルでの平等原則というのは、たとえば「寡婦控除」が男性に適用されないでよいのかとか、法内容そのものの平等を問題とする場合に出てくるものです。
他方で、本論点では、法内容そのものではなく。「課税庁は法執行をするにあたって平等に処理すべき」ということを問題としています。課税処分レベル、あるいは法執行レベルでの平等原則が問題となっているということです。
・法内容レベルの平等(租税法上の平等原則)
・法執行レベルの平等(???上の平等原則)
もちろん、法執行レベルの平等も「租税法上の平等原則」と呼ぶことが、間違いということではないのでしょう。が、極めて誤導的な表現ではあると思います。
しかも、本判決を下しているのは、近時の最高裁における「通達は法律じゃねえって言ってんだろ!」傾向をリードしている「第三小法廷」ということもあって。
解釈の解釈の介錯 〜最高裁令和2年3月24日判決
なるべくデカい物言いをしたい、というお気持ちは分からないではないものの。このあたりの言葉遣いには、気を使って欲しかったところです。
◯
「平等原則」については、《誰と比較するか》という問題があって。
本判決は、まずは納税者全体と比較し、次に、同じような状況にある納税者と比較する、という手法を採用しています。
先日の記事では、憲法学が「主観的権利」としての平等原則ばかり論じているせいで、「客観的法原則」としての平等原則の内実が不明と記述しました。
【憲法(学)上の平等権と、租税法上の平等原則】
平等権と、課税公平主義のあいだ 〜最高裁令和4年4月19日判決における「平等原則」とは?
本論点においても、「1事例に1基準」という憲法学上の縛りのせいで、平等原則TとUの関係性を理解するのに役立つ議論が、見いだせませんでした。
◯
以上整理したことは、3つの規範の関係性につき「このように位置づけたら分かりやすいのでは」というものにとどまります。
実務的には、そんな整理はどうでもよくって。
本当に論じなければならないことは、平等原則Uにおいて、「同じような状況の納税者」をどうやってピックアップするか、そして、どこまでの有意差が出たら平等原則U違反と判断されるのか、という点です。
が、こういった問題については、本ブログにおいて表立って論ずるタイプの論点ではないので、各自ご研鑽いただければと思います。
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| 判例イジり
2024年11月11日
判例が、言っていることいないこと。 〜最高裁令和5年3月6日判決(ADW事件)
判例の射程について、「主論/傍論」とか「結論命題/理由付け命題」のような枠組みで既定しようとする見解があるものの。
判例の機能的考察(タイトル倒れ)
現実に最高裁がいうところの「当裁判所の判例とするところである/でない」と自称するものは、そのような硬直的な枠組みとは違って。かなり融通無碍なところがあるように思われます。
そうはいっても、私のような人間が、現実に最高裁が思い描いているであろう《判例理論》を理路整然と説明できるはずもなく(最高裁を、単数形で書くこと自体が不適切ですが)。
そういったことは、どなたか、天才学者が優れた理論を開発してくれることをお待ちしているところであり。我々にできることは、次々と現れる個別の判決が、何を判断し、かつ、何を判断しなかったか、を愚直に分析していくことなのでしょう。
ということで、本判決が分析の素材としてちょうどよいと思ったので。以下、上記のような観点から整理をしていきます。
最高裁令和5年3月6日判決
◯
判決引用と意訳については、前回の記事をそのまま流用します。
《税負担の累積防止》なる税務ミームについて 〜最高裁令和5年3月6日判決(ADW事件)
消費税法は、生産、流通等の各段階で二重、三重に税が課されて税負担が累積することを防止し、経済に対する中立性を確保するため(税制改革法10条2項)、課税期間中に行った課税仕入れに係る消費税額を当該課税期間の課税標準額に対する消費税額から控除するものとしている(消費税法30条1項1号)。
⇒
・仕入税額控除制度の趣旨は「税負担の累積防止」にある(制度趣旨)。
もっとも、同法は、所定の場合において当該課税期間中に行った課税仕入れにつき用途区分が明らかにされていないときは、課税仕入れに係る消費税額に、課税売上割合、すなわち、課税期間中の所定の売上げの総額に占める課税資産の譲渡等に係る売上げの割合を乗じて計算する方法により控除対象仕入税額を計算するものとし(同条2項2号)、また、帳簿及び請求書等の保存がない場合には原則として当該課税仕入れに係る消費税額の控除を認めないものとする(同条7項)など、課税の明確性の確保や適正な徴税の実現といった他の目的との調和を図るため、税負担の累積が生じても課税仕入れに係る消費税額の全部又は一部が控除されない場合があることを予定しているものということができる。
⇒
・用途区分が明らかでない場合は「課税売上割合」で控除額を計算する(割り切り)。
・帳簿・請求書等の保存がない場合は控除できない(唐突!!)。
・法律上、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」のために、累積防止が犠牲になることも予定されている(過剰課税の容認)。
【過剰課税容認系判決】
みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)
最高裁令和6年7月18日・第一小法廷判決(外国子会社合算税制) 雑感
そして、個別対応方式により控除対象仕入税額を計算する場合において、税負担の累積が生ずる課税資産の譲渡等と累積が生じないその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れにつき一律に課税売上割合を用いることは、課税の明確性の確保の観点から一般に合理的といえるのであり、課税売上割合を用いることが当該事業者の事業の状況に照らして合理的といえない場合には、課税売上割合に準ずる割合を適切に用いることにより個別に是正を図ることが予定されていると解されることにも鑑みれば、課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れは、当該事業に関する事情等を問うことなく、共通対応課税仕入れに該当すると解するのが消費税法の趣旨に沿うものというべきである。
⇒
・課税売上割合による割り切りは、「課税の明確性の確保」の観点から一般に合理的(必要性)。
・合理的といえない場合は「準ずる割合」を適切に用いればよい(許容性)。
・法が「課税売上割合/準ずる割合」という座組みを採用しているのは、双方に対応する場合は個別事情を考慮しないですべて共通対応に入れ込むという趣旨(趣旨解釈)。
このように解することは、課税仕入れを課税資産の譲渡等「にのみ」要するもの(課税対応課税仕入れ)、その他の資産の譲渡等「にのみ」要するもの(非課税対応課税仕入れ)及び両者「に共通して」要するもの(共通対応課税仕入れ)に区分する同条2項1号の文理に照らしても自然であるということができる。
⇒
・条文の書きぶりからも、「課100%/非100%」以外は個別事情を考慮しないですべて「共通」に入れ込む、と読むのが自然(文理解釈自然派)。
そうすると、課税対応課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て共通対応課税仕入れに該当すると解するのが相当である。
⇒
よって、ちょっとでも「その他」要素が混ざり込んだら共通仕入と扱う。
◯
「主論/傍論」「結論命題/理由付け命題」といった枠組みで判例かどうかを区別する見解からすると、上記引用部分は「判例」には該当しない、となるのでしょうか(正直、私にはこれら区分がよくわかっていない)。
が、判決文のうちどの部分が判例か、という問題については、本記事では触れません。あくまでも、本判決が判断したこととしなかったことをあるがままに理解することが、本記事のテーマとなります。
◯
では、本判決が何を言っているかというと。
下記イメージ図を御覧ください(あくまでもイメージとして)。
本判決が判断したことは「オレンジの矢印ルートはないよ」ということに尽きます。
課税要素100%だけが「課税対応」、非課税要素100%だけが「非課税対応」、それ以外の、たとえば課税要素99%/非課税要素1%というような場合であっても、すべて「共通対応」に入れ込むと。
肝心の、対応関係をどうやって判定するかについては、何も判断を示していません。
・
私のような普通の人からすると、本件のような問題が生じた場合、「用途区分における対応関係はどのように判定すべきか?」という1つの論点しかないと思ってしまいます。
が、本判決は、当該論点につき、
ア 対応関係は、どのような事実を拾い上げて、どのように判定すべきか。
という本体部分から、
イ アの結果、双方に対応すると判定された場合、課税/非課税の比重を考慮するか。
というサブ論点を括りだし、イだけについて命題を導出しております(比重は考慮しない)。
とてつもなく小賢しい遣り口だなあと、思うのですが(褒め言葉)。アについては、命題をかかげることを回避しているいうことです。
上記引用部分の後ろにでてくる「2」の箇所で、あてはめを展開しているものの。
そこでは、いかなる命題に基づいているかも不明なまま、ただただ事実を陳列して「双方に対応する」と認定されて、そこからイの命題を使って「ゆえに共通対応」と判断されています。
おそらくですが「対応関係」については、「対応」の国語辞書的な意味合いだけから判定しているのではないでしょうか。
2 前記事実関係等によれば、本件各課税仕入れは上告人が転売目的で本件各建物を購入したものであるが、本件各建物はその購入時から全部又は一部が住宅として賃貸されており、上告人は、転売までの間、その賃料を収受したというのである。そうすると、上告人の事業において、本件各課税仕入れは、課税資産の譲渡等である本件各建物の転売のみならず、その他の資産の譲渡等である本件各建物の住宅としての賃貸にも対応するものであるということができる。
よって、本件各課税仕入れは、その上告人の事業における位置付けや上告人の意図等にかかわらず、共通対応課税仕入れに該当するというべきである。
アが「事例判決」どまりで、イだけが「法理判決」にまで及んでいるいう、歪な構造になっています。
◯
藤谷論文(ジュリスト2024年10月号)のタイトルなどもそうなのですが。本判決が「用途区分の判定方法」につき判断を示したものであるかのように、喧伝されることがあります。
が、本判決は、用途区分の判定方法のうち、肝心要のアについては規範命題を示すことを回避し、イの部分だけを切り出して判示したにすぎません。イメージ図でいうと、上段の矢印については、ただ当該事案における結論を示しただけということです。
「用途区分の判定方法につき判断を示した」というには、過大評価に過ぎます。
【判決ご紹介タイトルは、正確に】
だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)
・
この点に関して、調査官解説(法曹時報76巻5号)では、本判決は、用途区分の判断基準につき(主観説、限定客観説ではなく)「客観説」を採用した、と評価しているのですが。
が、本判決があてはめのところで展開しているのは、現実に居住用賃貸がされている以上、それ以外の事情によって非課税対応が否定されることはない、ということであって。判断要素としておよそ主観は排除するという見解を採用している、とまではいえないのではないでしょうか。
本件ではともかく。あらゆる場面で、主観を完全に排除して用途区分を判定することは、現実的ではないわけで。
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
まあ、判決文のベースはご自身で起案されているはずなので、私の読み方がなんか間違っているだけでしょうかね。
◯
本判決が、重要なアにつき何らの規範命題も示さないまま、イだけを判断したことに対し、批判的な方もおられるかもしれません。
が、最高裁が規範を示さないことの一番の原因は、学説側が十分な議論を尽くしていないからだと、私は邪推しています。
これとの対比でいうと、「仕入税額控除の趣旨は《税負担の累積防止》にある」ということは、何のためらいもなく記述されており。
「にのみ」という文言解釈にプラスして、「課税売上割合/準ずる割合」という座組みを持ち出しさえすれば、「課100%or非100%以外はすべて共通」という帰結を導くことは可能なのにもかかわらず。わざわざ、制度趣旨を持ち出してきているわけです。
これは、《税負担の累積防止》のほうは、誰もが疑いもなく受け入れているおかげで、安心して判決文に盛り込めた、ということなのでしょう。
他方で、用途区分についてどのような事情を考慮してどのように判定するかについては、地に足のついた議論が展開されているようには思えません。
それゆえ、イの部分だけを括りだして判断を示しつつ、アの判定方法本体については規範命題化するのを先送りして、あくまでもひとつの「事例判決」として結論を出したのではないでしょうか。
なお、この手の「地に足のついた議論が展開されていない」場面、税法上の論点においてはあちこちに点在しています。
【生活に通常必要な/必要でない】
「生活に通常必要な動産」で「生活に通常必要でない動産」
サラリーマンマイカー訴訟 〜生活に通常必要でも必要でなくもない資産
伊藤滋夫ほか「要件事実で構成する所得税法」(中央経済社2019)
◯
以上、本判決が判断したことは、「対応関係の判断にあたって重みを考慮しない」ということまでであって。「対応関係をどのような事情からどのように判断するか」という肝心の部分については、「事例判決」どまりで規範命題を示していない、ということになります。
そういう観点から、運営作成の「判示事項・裁判要旨」を読んでみると、かなりポイントをおさえた記述になっているなあと、あらためて感心します(余計なことが書いていない)。
判示事項
消費税法(平成27年法律第9号による改正前のもの及び同改正後のもの)30条2項1号にいう「課税資産の譲渡等にのみ要する」課税仕入れと「課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等に共通して要する」課税仕入れとの区別
裁判要旨
消費税法(平成27年法律第9号による改正前のもの及び同改正後のもの)30条2項1号にいう「課税資産の譲渡等にのみ要する」課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て同号にいう「課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等に共通して要する」課税仕入れに該当する
にもかかわらず、調査官解説が、(課税庁に対する民間の業界誌のごとく)別働隊として「客観説」を拡散しようとしているのだとしたら、あまり感心しない。
【通達行政どころか業界誌行政】
法廷意見をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決における多数意見vs補足意見
「反制定法的解釈について」 〜問d(フリマアプリ等により商品を仕入れた場合の仕入税額控除)
そうはいっても、課税庁・審判所・地裁・高裁レベルでは、調査官解説を素直に《文言解釈》して、無理やりにでも客観のみで結論を導いたことにするのでしょう。
判例の機能的考察(タイトル倒れ)
現実に最高裁がいうところの「当裁判所の判例とするところである/でない」と自称するものは、そのような硬直的な枠組みとは違って。かなり融通無碍なところがあるように思われます。
そうはいっても、私のような人間が、現実に最高裁が思い描いているであろう《判例理論》を理路整然と説明できるはずもなく(最高裁を、単数形で書くこと自体が不適切ですが)。
そういったことは、どなたか、天才学者が優れた理論を開発してくれることをお待ちしているところであり。我々にできることは、次々と現れる個別の判決が、何を判断し、かつ、何を判断しなかったか、を愚直に分析していくことなのでしょう。
ということで、本判決が分析の素材としてちょうどよいと思ったので。以下、上記のような観点から整理をしていきます。
最高裁令和5年3月6日判決
◯
判決引用と意訳については、前回の記事をそのまま流用します。
《税負担の累積防止》なる税務ミームについて 〜最高裁令和5年3月6日判決(ADW事件)
消費税法は、生産、流通等の各段階で二重、三重に税が課されて税負担が累積することを防止し、経済に対する中立性を確保するため(税制改革法10条2項)、課税期間中に行った課税仕入れに係る消費税額を当該課税期間の課税標準額に対する消費税額から控除するものとしている(消費税法30条1項1号)。
⇒
・仕入税額控除制度の趣旨は「税負担の累積防止」にある(制度趣旨)。
もっとも、同法は、所定の場合において当該課税期間中に行った課税仕入れにつき用途区分が明らかにされていないときは、課税仕入れに係る消費税額に、課税売上割合、すなわち、課税期間中の所定の売上げの総額に占める課税資産の譲渡等に係る売上げの割合を乗じて計算する方法により控除対象仕入税額を計算するものとし(同条2項2号)、また、帳簿及び請求書等の保存がない場合には原則として当該課税仕入れに係る消費税額の控除を認めないものとする(同条7項)など、課税の明確性の確保や適正な徴税の実現といった他の目的との調和を図るため、税負担の累積が生じても課税仕入れに係る消費税額の全部又は一部が控除されない場合があることを予定しているものということができる。
⇒
・用途区分が明らかでない場合は「課税売上割合」で控除額を計算する(割り切り)。
・帳簿・請求書等の保存がない場合は控除できない(唐突!!)。
・法律上、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」のために、累積防止が犠牲になることも予定されている(過剰課税の容認)。
【過剰課税容認系判決】
みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)
最高裁令和6年7月18日・第一小法廷判決(外国子会社合算税制) 雑感
そして、個別対応方式により控除対象仕入税額を計算する場合において、税負担の累積が生ずる課税資産の譲渡等と累積が生じないその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れにつき一律に課税売上割合を用いることは、課税の明確性の確保の観点から一般に合理的といえるのであり、課税売上割合を用いることが当該事業者の事業の状況に照らして合理的といえない場合には、課税売上割合に準ずる割合を適切に用いることにより個別に是正を図ることが予定されていると解されることにも鑑みれば、課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れは、当該事業に関する事情等を問うことなく、共通対応課税仕入れに該当すると解するのが消費税法の趣旨に沿うものというべきである。
⇒
・課税売上割合による割り切りは、「課税の明確性の確保」の観点から一般に合理的(必要性)。
・合理的といえない場合は「準ずる割合」を適切に用いればよい(許容性)。
・法が「課税売上割合/準ずる割合」という座組みを採用しているのは、双方に対応する場合は個別事情を考慮しないですべて共通対応に入れ込むという趣旨(趣旨解釈)。
このように解することは、課税仕入れを課税資産の譲渡等「にのみ」要するもの(課税対応課税仕入れ)、その他の資産の譲渡等「にのみ」要するもの(非課税対応課税仕入れ)及び両者「に共通して」要するもの(共通対応課税仕入れ)に区分する同条2項1号の文理に照らしても自然であるということができる。
⇒
・条文の書きぶりからも、「課100%/非100%」以外は個別事情を考慮しないですべて「共通」に入れ込む、と読むのが自然(文理解釈自然派)。
そうすると、課税対応課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て共通対応課税仕入れに該当すると解するのが相当である。
⇒
よって、ちょっとでも「その他」要素が混ざり込んだら共通仕入と扱う。
◯
「主論/傍論」「結論命題/理由付け命題」といった枠組みで判例かどうかを区別する見解からすると、上記引用部分は「判例」には該当しない、となるのでしょうか(正直、私にはこれら区分がよくわかっていない)。
が、判決文のうちどの部分が判例か、という問題については、本記事では触れません。あくまでも、本判決が判断したこととしなかったことをあるがままに理解することが、本記事のテーマとなります。
◯
では、本判決が何を言っているかというと。
下記イメージ図を御覧ください(あくまでもイメージとして)。
本判決が判断したことは「オレンジの矢印ルートはないよ」ということに尽きます。
課税要素100%だけが「課税対応」、非課税要素100%だけが「非課税対応」、それ以外の、たとえば課税要素99%/非課税要素1%というような場合であっても、すべて「共通対応」に入れ込むと。
肝心の、対応関係をどうやって判定するかについては、何も判断を示していません。
・
私のような普通の人からすると、本件のような問題が生じた場合、「用途区分における対応関係はどのように判定すべきか?」という1つの論点しかないと思ってしまいます。
が、本判決は、当該論点につき、
ア 対応関係は、どのような事実を拾い上げて、どのように判定すべきか。
という本体部分から、
イ アの結果、双方に対応すると判定された場合、課税/非課税の比重を考慮するか。
というサブ論点を括りだし、イだけについて命題を導出しております(比重は考慮しない)。
とてつもなく小賢しい遣り口だなあと、思うのですが(褒め言葉)。アについては、命題をかかげることを回避しているいうことです。
上記引用部分の後ろにでてくる「2」の箇所で、あてはめを展開しているものの。
そこでは、いかなる命題に基づいているかも不明なまま、ただただ事実を陳列して「双方に対応する」と認定されて、そこからイの命題を使って「ゆえに共通対応」と判断されています。
おそらくですが「対応関係」については、「対応」の国語辞書的な意味合いだけから判定しているのではないでしょうか。
2 前記事実関係等によれば、本件各課税仕入れは上告人が転売目的で本件各建物を購入したものであるが、本件各建物はその購入時から全部又は一部が住宅として賃貸されており、上告人は、転売までの間、その賃料を収受したというのである。そうすると、上告人の事業において、本件各課税仕入れは、課税資産の譲渡等である本件各建物の転売のみならず、その他の資産の譲渡等である本件各建物の住宅としての賃貸にも対応するものであるということができる。
よって、本件各課税仕入れは、その上告人の事業における位置付けや上告人の意図等にかかわらず、共通対応課税仕入れに該当するというべきである。
アが「事例判決」どまりで、イだけが「法理判決」にまで及んでいるいう、歪な構造になっています。
◯
藤谷論文(ジュリスト2024年10月号)のタイトルなどもそうなのですが。本判決が「用途区分の判定方法」につき判断を示したものであるかのように、喧伝されることがあります。
が、本判決は、用途区分の判定方法のうち、肝心要のアについては規範命題を示すことを回避し、イの部分だけを切り出して判示したにすぎません。イメージ図でいうと、上段の矢印については、ただ当該事案における結論を示しただけということです。
「用途区分の判定方法につき判断を示した」というには、過大評価に過ぎます。
【判決ご紹介タイトルは、正確に】
だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)
・
この点に関して、調査官解説(法曹時報76巻5号)では、本判決は、用途区分の判断基準につき(主観説、限定客観説ではなく)「客観説」を採用した、と評価しているのですが。
が、本判決があてはめのところで展開しているのは、現実に居住用賃貸がされている以上、それ以外の事情によって非課税対応が否定されることはない、ということであって。判断要素としておよそ主観は排除するという見解を採用している、とまではいえないのではないでしょうか。
本件ではともかく。あらゆる場面で、主観を完全に排除して用途区分を判定することは、現実的ではないわけで。
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
まあ、判決文のベースはご自身で起案されているはずなので、私の読み方がなんか間違っているだけでしょうかね。
◯
本判決が、重要なアにつき何らの規範命題も示さないまま、イだけを判断したことに対し、批判的な方もおられるかもしれません。
が、最高裁が規範を示さないことの一番の原因は、学説側が十分な議論を尽くしていないからだと、私は邪推しています。
これとの対比でいうと、「仕入税額控除の趣旨は《税負担の累積防止》にある」ということは、何のためらいもなく記述されており。
「にのみ」という文言解釈にプラスして、「課税売上割合/準ずる割合」という座組みを持ち出しさえすれば、「課100%or非100%以外はすべて共通」という帰結を導くことは可能なのにもかかわらず。わざわざ、制度趣旨を持ち出してきているわけです。
これは、《税負担の累積防止》のほうは、誰もが疑いもなく受け入れているおかげで、安心して判決文に盛り込めた、ということなのでしょう。
他方で、用途区分についてどのような事情を考慮してどのように判定するかについては、地に足のついた議論が展開されているようには思えません。
それゆえ、イの部分だけを括りだして判断を示しつつ、アの判定方法本体については規範命題化するのを先送りして、あくまでもひとつの「事例判決」として結論を出したのではないでしょうか。
なお、この手の「地に足のついた議論が展開されていない」場面、税法上の論点においてはあちこちに点在しています。
【生活に通常必要な/必要でない】
「生活に通常必要な動産」で「生活に通常必要でない動産」
サラリーマンマイカー訴訟 〜生活に通常必要でも必要でなくもない資産
伊藤滋夫ほか「要件事実で構成する所得税法」(中央経済社2019)
◯
以上、本判決が判断したことは、「対応関係の判断にあたって重みを考慮しない」ということまでであって。「対応関係をどのような事情からどのように判断するか」という肝心の部分については、「事例判決」どまりで規範命題を示していない、ということになります。
そういう観点から、運営作成の「判示事項・裁判要旨」を読んでみると、かなりポイントをおさえた記述になっているなあと、あらためて感心します(余計なことが書いていない)。
判示事項
消費税法(平成27年法律第9号による改正前のもの及び同改正後のもの)30条2項1号にいう「課税資産の譲渡等にのみ要する」課税仕入れと「課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等に共通して要する」課税仕入れとの区別
裁判要旨
消費税法(平成27年法律第9号による改正前のもの及び同改正後のもの)30条2項1号にいう「課税資産の譲渡等にのみ要する」課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て同号にいう「課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等に共通して要する」課税仕入れに該当する
にもかかわらず、調査官解説が、(課税庁に対する民間の業界誌のごとく)別働隊として「客観説」を拡散しようとしているのだとしたら、あまり感心しない。
【通達行政どころか業界誌行政】
法廷意見をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決における多数意見vs補足意見
「反制定法的解釈について」 〜問d(フリマアプリ等により商品を仕入れた場合の仕入税額控除)
そうはいっても、課税庁・審判所・地裁・高裁レベルでは、調査官解説を素直に《文言解釈》して、無理やりにでも客観のみで結論を導いたことにするのでしょう。
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| 判例イジり
2024年11月04日
《税負担の累積防止》なる税務ミームについて 〜最高裁令和5年3月6日判決(ADW事件)
ジュリスト掲載の藤谷論文を読んでみて。
私自身が、本判決のどこに引っかかっているのか分かった気がしたので、以下整理してみます。
藤谷武史「課税仕入れの用途区分の判定方法 エー・ディー・ワークス事件 最一小判令和5・3・6」ジュリスト2024年10月号(1602号)
なお、あくまでも「藤谷論文の鋭い分析眼にアテられて」というだけであって。藤谷論文に直接書かれていることからは、だいぶ離れたものとなります(私の問題関心が盛大にズレている)。
・
以下、「税区分」については、文脈にあわせて以下の略語を用います。
【課税仕入れ】
・課税売上対応 ⇒課のみ仕入、課のみ、課対
・非課税売上対応 ⇒非のみ仕入、非のみ、非対
・共通して対応 ⇒共通仕入、共通、共通対応
また、数値例として、以下の事例におけるBの課税負担を念頭において検討します(AB取引、BC取引は「対応関係あり」とします)。
A 課税事業者
↓ 88(課税)
B 課税事業者
↓ 110(課税) or100(非課税)
C 消費者
非課税売上は「居住用賃貸」を想定します(Bは家主)。
そして、不正確ながら、取引が課税となる場合は「BはCから消費税をお預かりした/BはAに消費税をお預けした。」と表現することにします。
【課のみ事例】の帰結
売上課税 10 お預かりしたので課税される
仕入控除 8 お預けしたので控除する
税抜損益 20(=100-80)
【非のみ事例】の帰結
売上課税 0 お預かりしていないので課税されない
仕入控除 0 お預けしたのに控除できない
税抜損益 12(=100-88)
◯
まずは、本判決を引用しながら、私なりの意訳を足していきます(理由第2 1)。
最高裁令和5年3月6日判決
消費税法は、生産、流通等の各段階で二重、三重に税が課されて税負担が累積することを防止し、経済に対する中立性を確保するため(税制改革法10条2項)、課税期間中に行った課税仕入れに係る消費税額を当該課税期間の課税標準額に対する消費税額から控除するものとしている(消費税法30条1項1号)。
⇒
・仕入税額控除制度の趣旨は「税負担の累積防止」にある(制度趣旨)。
もっとも、同法は、所定の場合において当該課税期間中に行った課税仕入れにつき用途区分が明らかにされていないときは、課税仕入れに係る消費税額に、課税売上割合、すなわち、課税期間中の所定の売上げの総額に占める課税資産の譲渡等に係る売上げの割合を乗じて計算する方法により控除対象仕入税額を計算するものとし(同条2項2号)、また、帳簿及び請求書等の保存がない場合には原則として当該課税仕入れに係る消費税額の控除を認めないものとする(同条7項)など、課税の明確性の確保や適正な徴税の実現といった他の目的との調和を図るため、税負担の累積が生じても課税仕入れに係る消費税額の全部又は一部が控除されない場合があることを予定しているものということができる。
⇒
・用途区分が明らかでない場合は「課税売上割合」で控除額を計算する(割り切り)。
・帳簿・請求書等の保存がない場合は控除できない(唐突!!)。
・法律上、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」のために、累積防止が犠牲になることも予定されている(過剰課税の容認)。
【過剰課税容認系判決】
みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)
最高裁令和6年7月18日・第一小法廷判決(外国子会社合算税制) 雑感
そして、個別対応方式により控除対象仕入税額を計算する場合において、税負担の累積が生ずる課税資産の譲渡等と累積が生じないその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れにつき一律に課税売上割合を用いることは、課税の明確性の確保の観点から一般に合理的といえるのであり、課税売上割合を用いることが当該事業者の事業の状況に照らして合理的といえない場合には、課税売上割合に準ずる割合を適切に用いることにより個別に是正を図ることが予定されていると解されることにも鑑みれば、課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れは、当該事業に関する事情等を問うことなく、共通対応課税仕入れに該当すると解するのが消費税法の趣旨に沿うものというべきである。
⇒
・課税売上割合による割り切りは、「課税の明確性の確保」の観点から一般に合理的(必要性)。
・合理的といえない場合は「準ずる割合」を適切に用いればよい(許容性)。
・法が「課税売上割合/準ずる割合」という座組みを採用しているのは、双方に対応する場合は個別事情を考慮しないですべて共通対応に入れ込むという趣旨(趣旨解釈)。
このように解することは、課税仕入れを課税資産の譲渡等「にのみ」要するもの(課税対応課税仕入れ)、その他の資産の譲渡等「にのみ」要するもの(非課税対応課税仕入れ)及び両者「に共通して」要するもの(共通対応課税仕入れ)に区分する同条2項1号の文理に照らしても自然であるということができる。
⇒
・条文の書きぶりからも、「課100%/非100%」以外は個別事情を考慮しないですべて「共通」に入れ込む、と読むのが自然(文理解釈自然派)。
そうすると、課税対応課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て共通対応課税仕入れに該当すると解するのが相当である。
⇒
よって、ちょっとでも「その他」要素が混ざり込んだら共通仕入と扱う。
◯
これだけの道具立てで「対応関係」のあてはめをしていることの無茶っぷりについては、以前の記事で、少し検討したところをご参照いただくとして。
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
今回イジりたいのはそこではありません。
問題としたいのは、「非対は控除不可」となることについての根拠が、何も示されていないという点です(上記記事でも触れていますが、少し角度を変えます)。
◯
判決理由では、仕入税額控除の制度趣旨から論述をスタートさせています。
が、消費税が『税額転嫁と仕入税額控除の両輪により駆動する仕組みの税』だというならば、売上課税の規律と切り離して、仕入税額控除単体の制度趣旨を論ずるのはおかしいのではないでしょうか。
【両輪駆動テーゼ】
免税事業者Requiem(第3曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編29)
そこで、まずは【課のみ事例】を想定しながら、順序立てて仕入税額控除の制度趣旨を説明してみます。
【課のみ事例】
1 消費税法の目的
消費者の消費に課税したい。
2 課税売上
Cの消費に直接課税できないから、Bの譲渡に課税する(10)。
3 仕入税額控除
Bが10を納税するのに加えて、8も払いっぱなしとなるのは過剰課税となってしまう。
そこで、納税額から8を控除する。
この場合、10と8という自然数が2つ出てくることから、仕入税額控除の趣旨として《税負担の累積防止》というレトリックがすんなり当てはまるように感じられます。
では、これが【非のみ事例】だとどうなるでしょうか。
【非のみ事例】
1 消費税法の目的
消費者の消費に課税したい。
2 非課税売上
居住用の家賃に消費税を課税するのはCが可哀想。そこで、非課税とする。
3 仕入税額控除
Bは消費者ではないのに、8が払いっぱなしとなるのは過剰課税となる。
そこで、納税額から8を控除する(!?)。
インボイス導入の錦の御旗として、「消費税は、消費者に税転嫁が予定されている間接税である。ゆえに、益税ネコババ野郎は撲滅すべき!」(ネコババテーゼ)ということが盛んに掲げられていました。この御旗を前提とするならば、(逆に)消費者の消費以外のところで税負担が生ずるのはおかしいことになります。
【ネコババテーゼ】
表面 事業者が、消費者からお預かりした消費税を納付しないのはネコババ
裏面 お国が、事業者がお預けした消費税を還付しないのはネコババ
よって、消費税法の目的をストレートに実現しようとするかぎり、【非のみ事例】でも、Bは8を控除できるとすべきことになるはずです。
ところが、現行法は「非対は控除不可」とされています。「消費者の消費に課税する」(消費課税テーゼ)という消費税法の本来の目的からは、およそ導出できない制度となっているわけです。
にもかかわらず、仕入税額控除の制度趣旨を《税負担の累積防止》と説明することで、本来の目的にそぐわないという点をスルーして、「非対は控除不可」が当然であるかのように勘違いさせることに成功しています。
【税負担の累積テーゼ】
課対 累積しているから控除する
非対 累積していないから控除しない
(※もし、脳内で「残酷な天使のテーゼ」のリズムでリフレインしてしまったら、申し訳ありません。)
・
もちろん、現行法が「用途区分」制度を採用している以上、現行法における仕入税額控除の説明として《税負担の累積防止》と表現することが、間違いということではありません。
が、それは結果としてそうなっているというだけで。
消費税法の目的が「消費者の消費に課税する」だというならば、「なぜ消費者ではないBに税負担を生じさせるのか」について、その実質的な理由付けが必要ではないでしょうか。
《消費課税テーゼ》からすれば、【課のみ事例】で、Bが18(10+8)支払うことが過剰課税なのは当然として。【非のみ事例】で8支払うことだって、Bが消費者ではない以上、過剰課税にかわりはありません。
・
Bの損益に着目するならば、【課のみ事例】でも【非のみ事例】でも全く同じ状況にあることが分かります。
【課のみ事例】
控除可 20(100-80)
控除不可 12(100-88)
【非のみ事例】
控除可 20(100-80)
控除不可 12(100-88)
だというのに、【課のみ事例】では、10と8という自然数が2つ出てくるおかげで「累積している」といえるのに対し。【非のみ事例】では0と8というように、自然数が1つしか出てこないせいで「累積していない」ことになってしまいます。
これら事例を分かつ理由は、ただ単に「累積」というレトリックが当てはまるかどうかだけであって。Bの損益状況を無視したもので、なんら実質的な根拠に基づくものではありません。
【課のみ事例】 累積していて過剰課税 ⇒ゆえに控除する
【非のみ事例】 累積していないが過剰課税 ⇒なのに控除しない
いずれも「消費者の消費」以外に課税が生じているというのに、【税負担の累積テーゼ】を間にかますだけで、結論を真逆に持っていくことができてしまっている。
・
だというのに、以下の記述もそうですが、【税負担の累積テーゼ】は正しいという前提で、議論が進められてしまっています。
調査官解説(法曹時報76巻5号)P.1444
(注12) 課税仕入れが課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等の双力に対応する場合、課税資産の譲渡等については税負担の累積が生ずる一方、その他の資産の譲渡等については税負担の累積が生じないから、当該課税仕入れが課税対応課税仕入れに区分されて仕入税額全額が控除されるとすれば累積は完全に排除される(税負担の累積が生じていない部分も控除されるので、排除としてはむしろ過剰となる。) のに対し、共通対応課税仕人れに区分されると、仕入税額に課税売上割合を乗じた額のみが控除されるため、税負担の累積が完全には排除されない場合があり得ることになる。
藤谷論文 P.152
法は、事業として行われる財や役務の譲渡(課税資産の譲渡等)に課税する一方で、仕入れに含まれる消費税額を、事業者が負担する消費税額から控除することにより多段階課税に伴う税負担の累積を排除する、付加価値税の仕組みを採用する。しかし、事業者が仕入れた財や役務の全てを課税資産の譲渡等に用いるとは限らない。事業者が国外または事業外で譲渡等を行う場合は「不課税取引」(法4条1項参照)となるし、「非課税取引」(法6条1項・別表第二)に該当する場合にも消費税は課されない。本件で言えば、マンション底地の譲渡や住宅の貸付けは非課税取引である。となると、前段階で消費税が課された仕入れであっても、「課税資産の譲渡等」以外の取引に用いられた部分については、税負担の累積が生じないので仕入税額控除の対象とすべきではない、というのが現行法の考え方である。
しかしながら、消費者でないBに税負担が生じることの根拠が不明なままでは、その先、用途区分をどのように判定するのかの方法も、明確にできないのではないでしょうか。
実際のところ、本判決が「対応関係」について述べているのは、「双方対応している場合は、それ以上個別事情を考慮しない」というだけで。肝心の「対応」をどうやって判定するのかが明示されていません。
・
本判決が「趣旨解釈」を採用していると評価されることがありますが。
それはあくまでも、消費税法の本来の目的を無視して、仕入税額控除を《税負担の累積防止》と決め打ちしたところからスタートしているのであり。ではなぜ、「累積している場合にしか控除しないのか」については触れるところではありません。
それゆえ、「対応関係」をどのように判定するかについても、消費税法の本来の目的に即した、踏み込んだ判断ができないままでいるのではないでしょうか。
◯
では、本判決がかかげている「課税の明確性の確保」は理由付けとして使えるかというと。
これは「非対は控除不可」という結論が決まったあとに、どうやって「課対/非対/共通」を区分するか、という段階で出てくるものです。【税負担の累積テーゼ】が正しいことを前提に、「課のみ/非のみ」と言い切れないものはすべて「共通」に割り振る、という割り切りを正当化するため、「課税の明確性の確保」を持ち出しているにすぎません。
もし「非対は控除すべき」ということであれば、そもそも用途区分という制度が設けられていること自体がおかしいということになります。
・
また、「適正な徴税の実現」のほうは、何ら脈絡なくでてきた「帳簿及び請求書等」保存要件を正当化するための理由付けにすぎません。
累積防止が犠牲になる一例としてねじ込まれたものであって。「非対は控除不可」とするのが適正かを論じている場面で、控除不可が適正であることを前提とした理由付けを用いることはできません。
ゆえに、これらマジックワードは、【税負担の累積テーゼ】を根拠付ける理由としては使えません。
・
なお、本判決が、累積の《排除》とはいわずに、累積の《防止》という表現に留めている理由。
「非対は控除不可」が根拠薄弱ゆえ、用途区分の判定段階において「課税の明確性の確保」をなんとしても優先させたくて、排除⇒防止と表現を弱めたのではないか、という邪推が働きます(レトリック流判例批評)。それでも不安なのか、「帳簿及び請求書等」保存要件なんていう、無関係の制度まで持ち出したりしていますし。
累積の排除(強め) > 明確性
累積の防止(弱め) < 明確性+帳簿・請求書等保存要件
フリチョフ・ハフト「レトリック流法律学習法」(木鐸社1993) Amazon
フリチョフ・ハフト「法律家のレトリック」(木鐸社1992) Amazon
フリチョフ・ハフト「レトリック流交渉術」(木鐸社1993) Amazon
例によって、『仕入税額控除は権利だ!』とかいう件の教科書の主張(権利テーゼ)は、ここでも何の役にも立っていない。
【権利テーゼの正規ルート】
累積の排除+控除は権利 > 明確性+帳簿・請求書等保存要件
佐藤英明,西山由美「スタンダード消費税法」(弘文堂2022)
ただ単に、用途区分は取得時に固定される、という「時点」の話に使われているだけ。しかも、納税者不利な帰結にもっていっている。
〈還付をみたら泥棒と思え〉思想 〜消費税法の理論構造(種蒔き編2)
◯
以上述べたことは、インボイス推進派の方々が強調されていた《ネコババテーゼ》が正しいとして制度全体を理解するならばこうなるはず、ということにすぎません。
消費税は消費者の消費に課税する ⇒ならば、非対も控除すべきはず
《ネコババテーゼ》からすれば、仕入税額控除の趣旨は「消費者の消費以外の税負担を排除する」となるはずで。なぜ、仕入税額控除の趣旨を説明する段階になると、消費税法の目的をすっかり忘れてしまって、「累積している場合だけ控除する」と思考が歪んでしまうのか。
【ネコババテーゼの正規ルート】(課のみ事例、非のみ事例とも共通)
1 消費税法の目的
消費者の消費に課税する。
3 仕入税額控除
Bが消費者ではないのに、8を払いっぱなしになるのは過剰課税になってしまう。
そこで、納税額から8を控除する。
《ネコババテーゼ》の正規ルートは、売上が課税か非課税かどうかにかかわらず、Bが事業者であるかぎり、払った消費税は控除できることになるはずです。
・
他方で、消費税法が採用している各制度をあるがままに理解し、現実にどのように機能しているかを分析するならば、「用途区分」制度も矛盾なく説明することができます。現行制度をみないまま、《ネコババテーゼ》のような空論を先にぶち上げてしまうから、場当たり的な説明をせざるを得ないはめに陥るだけの話です。
この点については、一連の連載記事のあちこちで触れていますが、本記事を踏まえて、いつか整理するかもしれません(モチベ低め)。
◯
なお、タイトルにある「税務ミーム」というの。
《税負担の累積防止》と唱えるだけで、本来論ずるべき「なぜ消費者でないBに税負担を発生させるのか」を、どういうわけか、本論点を議論しようとする全ての人がスキップして先に進んでしまう様子を指して、そのように表現したものです(誤用という批判は甘んじて受け入れます。「ぜーむみーむ」といいたかっただけなので)。
・
やたらと「テーゼ」を乱発しているのは、もちろんおちょくり目的です。適宜これを「ドグマ」に言い換えてもらっても、大丈夫です。
ドキッ!?ドグマだらけの民法改正
自分のドグマは自分で見えない。 〜「原始的不能のドグマ」再訪
私自身が、本判決のどこに引っかかっているのか分かった気がしたので、以下整理してみます。
藤谷武史「課税仕入れの用途区分の判定方法 エー・ディー・ワークス事件 最一小判令和5・3・6」ジュリスト2024年10月号(1602号)
なお、あくまでも「藤谷論文の鋭い分析眼にアテられて」というだけであって。藤谷論文に直接書かれていることからは、だいぶ離れたものとなります(私の問題関心が盛大にズレている)。
・
以下、「税区分」については、文脈にあわせて以下の略語を用います。
【課税仕入れ】
・課税売上対応 ⇒課のみ仕入、課のみ、課対
・非課税売上対応 ⇒非のみ仕入、非のみ、非対
・共通して対応 ⇒共通仕入、共通、共通対応
また、数値例として、以下の事例におけるBの課税負担を念頭において検討します(AB取引、BC取引は「対応関係あり」とします)。
A 課税事業者
↓ 88(課税)
B 課税事業者
↓ 110(課税) or100(非課税)
C 消費者
非課税売上は「居住用賃貸」を想定します(Bは家主)。
そして、不正確ながら、取引が課税となる場合は「BはCから消費税をお預かりした/BはAに消費税をお預けした。」と表現することにします。
【課のみ事例】の帰結
売上課税 10 お預かりしたので課税される
仕入控除 8 お預けしたので控除する
税抜損益 20(=100-80)
【非のみ事例】の帰結
売上課税 0 お預かりしていないので課税されない
仕入控除 0 お預けしたのに控除できない
税抜損益 12(=100-88)
◯
まずは、本判決を引用しながら、私なりの意訳を足していきます(理由第2 1)。
最高裁令和5年3月6日判決
消費税法は、生産、流通等の各段階で二重、三重に税が課されて税負担が累積することを防止し、経済に対する中立性を確保するため(税制改革法10条2項)、課税期間中に行った課税仕入れに係る消費税額を当該課税期間の課税標準額に対する消費税額から控除するものとしている(消費税法30条1項1号)。
⇒
・仕入税額控除制度の趣旨は「税負担の累積防止」にある(制度趣旨)。
もっとも、同法は、所定の場合において当該課税期間中に行った課税仕入れにつき用途区分が明らかにされていないときは、課税仕入れに係る消費税額に、課税売上割合、すなわち、課税期間中の所定の売上げの総額に占める課税資産の譲渡等に係る売上げの割合を乗じて計算する方法により控除対象仕入税額を計算するものとし(同条2項2号)、また、帳簿及び請求書等の保存がない場合には原則として当該課税仕入れに係る消費税額の控除を認めないものとする(同条7項)など、課税の明確性の確保や適正な徴税の実現といった他の目的との調和を図るため、税負担の累積が生じても課税仕入れに係る消費税額の全部又は一部が控除されない場合があることを予定しているものということができる。
⇒
・用途区分が明らかでない場合は「課税売上割合」で控除額を計算する(割り切り)。
・帳簿・請求書等の保存がない場合は控除できない(唐突!!)。
・法律上、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」のために、累積防止が犠牲になることも予定されている(過剰課税の容認)。
【過剰課税容認系判決】
みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)
最高裁令和6年7月18日・第一小法廷判決(外国子会社合算税制) 雑感
そして、個別対応方式により控除対象仕入税額を計算する場合において、税負担の累積が生ずる課税資産の譲渡等と累積が生じないその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れにつき一律に課税売上割合を用いることは、課税の明確性の確保の観点から一般に合理的といえるのであり、課税売上割合を用いることが当該事業者の事業の状況に照らして合理的といえない場合には、課税売上割合に準ずる割合を適切に用いることにより個別に是正を図ることが予定されていると解されることにも鑑みれば、課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等の双方に対応する課税仕入れは、当該事業に関する事情等を問うことなく、共通対応課税仕入れに該当すると解するのが消費税法の趣旨に沿うものというべきである。
⇒
・課税売上割合による割り切りは、「課税の明確性の確保」の観点から一般に合理的(必要性)。
・合理的といえない場合は「準ずる割合」を適切に用いればよい(許容性)。
・法が「課税売上割合/準ずる割合」という座組みを採用しているのは、双方に対応する場合は個別事情を考慮しないですべて共通対応に入れ込むという趣旨(趣旨解釈)。
このように解することは、課税仕入れを課税資産の譲渡等「にのみ」要するもの(課税対応課税仕入れ)、その他の資産の譲渡等「にのみ」要するもの(非課税対応課税仕入れ)及び両者「に共通して」要するもの(共通対応課税仕入れ)に区分する同条2項1号の文理に照らしても自然であるということができる。
⇒
・条文の書きぶりからも、「課100%/非100%」以外は個別事情を考慮しないですべて「共通」に入れ込む、と読むのが自然(文理解釈自然派)。
そうすると、課税対応課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て共通対応課税仕入れに該当すると解するのが相当である。
⇒
よって、ちょっとでも「その他」要素が混ざり込んだら共通仕入と扱う。
◯
これだけの道具立てで「対応関係」のあてはめをしていることの無茶っぷりについては、以前の記事で、少し検討したところをご参照いただくとして。
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
今回イジりたいのはそこではありません。
問題としたいのは、「非対は控除不可」となることについての根拠が、何も示されていないという点です(上記記事でも触れていますが、少し角度を変えます)。
◯
判決理由では、仕入税額控除の制度趣旨から論述をスタートさせています。
が、消費税が『税額転嫁と仕入税額控除の両輪により駆動する仕組みの税』だというならば、売上課税の規律と切り離して、仕入税額控除単体の制度趣旨を論ずるのはおかしいのではないでしょうか。
【両輪駆動テーゼ】
免税事業者Requiem(第3曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編29)
そこで、まずは【課のみ事例】を想定しながら、順序立てて仕入税額控除の制度趣旨を説明してみます。
【課のみ事例】
1 消費税法の目的
消費者の消費に課税したい。
2 課税売上
Cの消費に直接課税できないから、Bの譲渡に課税する(10)。
3 仕入税額控除
Bが10を納税するのに加えて、8も払いっぱなしとなるのは過剰課税となってしまう。
そこで、納税額から8を控除する。
この場合、10と8という自然数が2つ出てくることから、仕入税額控除の趣旨として《税負担の累積防止》というレトリックがすんなり当てはまるように感じられます。
では、これが【非のみ事例】だとどうなるでしょうか。
【非のみ事例】
1 消費税法の目的
消費者の消費に課税したい。
2 非課税売上
居住用の家賃に消費税を課税するのはCが可哀想。そこで、非課税とする。
3 仕入税額控除
Bは消費者ではないのに、8が払いっぱなしとなるのは過剰課税となる。
そこで、納税額から8を控除する(!?)。
インボイス導入の錦の御旗として、「消費税は、消費者に税転嫁が予定されている間接税である。ゆえに、益税ネコババ野郎は撲滅すべき!」(ネコババテーゼ)ということが盛んに掲げられていました。この御旗を前提とするならば、(逆に)消費者の消費以外のところで税負担が生ずるのはおかしいことになります。
【ネコババテーゼ】
表面 事業者が、消費者からお預かりした消費税を納付しないのはネコババ
裏面 お国が、事業者がお預けした消費税を還付しないのはネコババ
よって、消費税法の目的をストレートに実現しようとするかぎり、【非のみ事例】でも、Bは8を控除できるとすべきことになるはずです。
ところが、現行法は「非対は控除不可」とされています。「消費者の消費に課税する」(消費課税テーゼ)という消費税法の本来の目的からは、およそ導出できない制度となっているわけです。
にもかかわらず、仕入税額控除の制度趣旨を《税負担の累積防止》と説明することで、本来の目的にそぐわないという点をスルーして、「非対は控除不可」が当然であるかのように勘違いさせることに成功しています。
【税負担の累積テーゼ】
課対 累積しているから控除する
非対 累積していないから控除しない
(※もし、脳内で「残酷な天使のテーゼ」のリズムでリフレインしてしまったら、申し訳ありません。)
・
もちろん、現行法が「用途区分」制度を採用している以上、現行法における仕入税額控除の説明として《税負担の累積防止》と表現することが、間違いということではありません。
が、それは結果としてそうなっているというだけで。
消費税法の目的が「消費者の消費に課税する」だというならば、「なぜ消費者ではないBに税負担を生じさせるのか」について、その実質的な理由付けが必要ではないでしょうか。
《消費課税テーゼ》からすれば、【課のみ事例】で、Bが18(10+8)支払うことが過剰課税なのは当然として。【非のみ事例】で8支払うことだって、Bが消費者ではない以上、過剰課税にかわりはありません。
・
Bの損益に着目するならば、【課のみ事例】でも【非のみ事例】でも全く同じ状況にあることが分かります。
【課のみ事例】
控除可 20(100-80)
控除不可 12(100-88)
【非のみ事例】
控除可 20(100-80)
控除不可 12(100-88)
だというのに、【課のみ事例】では、10と8という自然数が2つ出てくるおかげで「累積している」といえるのに対し。【非のみ事例】では0と8というように、自然数が1つしか出てこないせいで「累積していない」ことになってしまいます。
これら事例を分かつ理由は、ただ単に「累積」というレトリックが当てはまるかどうかだけであって。Bの損益状況を無視したもので、なんら実質的な根拠に基づくものではありません。
【課のみ事例】 累積していて過剰課税 ⇒ゆえに控除する
【非のみ事例】 累積していないが過剰課税 ⇒なのに控除しない
いずれも「消費者の消費」以外に課税が生じているというのに、【税負担の累積テーゼ】を間にかますだけで、結論を真逆に持っていくことができてしまっている。
・
だというのに、以下の記述もそうですが、【税負担の累積テーゼ】は正しいという前提で、議論が進められてしまっています。
調査官解説(法曹時報76巻5号)P.1444
(注12) 課税仕入れが課税資産の譲渡等とその他の資産の譲渡等の双力に対応する場合、課税資産の譲渡等については税負担の累積が生ずる一方、その他の資産の譲渡等については税負担の累積が生じないから、当該課税仕入れが課税対応課税仕入れに区分されて仕入税額全額が控除されるとすれば累積は完全に排除される(税負担の累積が生じていない部分も控除されるので、排除としてはむしろ過剰となる。) のに対し、共通対応課税仕人れに区分されると、仕入税額に課税売上割合を乗じた額のみが控除されるため、税負担の累積が完全には排除されない場合があり得ることになる。
藤谷論文 P.152
法は、事業として行われる財や役務の譲渡(課税資産の譲渡等)に課税する一方で、仕入れに含まれる消費税額を、事業者が負担する消費税額から控除することにより多段階課税に伴う税負担の累積を排除する、付加価値税の仕組みを採用する。しかし、事業者が仕入れた財や役務の全てを課税資産の譲渡等に用いるとは限らない。事業者が国外または事業外で譲渡等を行う場合は「不課税取引」(法4条1項参照)となるし、「非課税取引」(法6条1項・別表第二)に該当する場合にも消費税は課されない。本件で言えば、マンション底地の譲渡や住宅の貸付けは非課税取引である。となると、前段階で消費税が課された仕入れであっても、「課税資産の譲渡等」以外の取引に用いられた部分については、税負担の累積が生じないので仕入税額控除の対象とすべきではない、というのが現行法の考え方である。
しかしながら、消費者でないBに税負担が生じることの根拠が不明なままでは、その先、用途区分をどのように判定するのかの方法も、明確にできないのではないでしょうか。
実際のところ、本判決が「対応関係」について述べているのは、「双方対応している場合は、それ以上個別事情を考慮しない」というだけで。肝心の「対応」をどうやって判定するのかが明示されていません。
・
本判決が「趣旨解釈」を採用していると評価されることがありますが。
それはあくまでも、消費税法の本来の目的を無視して、仕入税額控除を《税負担の累積防止》と決め打ちしたところからスタートしているのであり。ではなぜ、「累積している場合にしか控除しないのか」については触れるところではありません。
それゆえ、「対応関係」をどのように判定するかについても、消費税法の本来の目的に即した、踏み込んだ判断ができないままでいるのではないでしょうか。
◯
では、本判決がかかげている「課税の明確性の確保」は理由付けとして使えるかというと。
これは「非対は控除不可」という結論が決まったあとに、どうやって「課対/非対/共通」を区分するか、という段階で出てくるものです。【税負担の累積テーゼ】が正しいことを前提に、「課のみ/非のみ」と言い切れないものはすべて「共通」に割り振る、という割り切りを正当化するため、「課税の明確性の確保」を持ち出しているにすぎません。
もし「非対は控除すべき」ということであれば、そもそも用途区分という制度が設けられていること自体がおかしいということになります。
・
また、「適正な徴税の実現」のほうは、何ら脈絡なくでてきた「帳簿及び請求書等」保存要件を正当化するための理由付けにすぎません。
累積防止が犠牲になる一例としてねじ込まれたものであって。「非対は控除不可」とするのが適正かを論じている場面で、控除不可が適正であることを前提とした理由付けを用いることはできません。
ゆえに、これらマジックワードは、【税負担の累積テーゼ】を根拠付ける理由としては使えません。
・
なお、本判決が、累積の《排除》とはいわずに、累積の《防止》という表現に留めている理由。
「非対は控除不可」が根拠薄弱ゆえ、用途区分の判定段階において「課税の明確性の確保」をなんとしても優先させたくて、排除⇒防止と表現を弱めたのではないか、という邪推が働きます(レトリック流判例批評)。それでも不安なのか、「帳簿及び請求書等」保存要件なんていう、無関係の制度まで持ち出したりしていますし。
累積の排除(強め) > 明確性
累積の防止(弱め) < 明確性+帳簿・請求書等保存要件
フリチョフ・ハフト「レトリック流法律学習法」(木鐸社1993) Amazon
フリチョフ・ハフト「法律家のレトリック」(木鐸社1992) Amazon
フリチョフ・ハフト「レトリック流交渉術」(木鐸社1993) Amazon
例によって、『仕入税額控除は権利だ!』とかいう件の教科書の主張(権利テーゼ)は、ここでも何の役にも立っていない。
【権利テーゼの正規ルート】
累積の排除+控除は権利 > 明確性+帳簿・請求書等保存要件
佐藤英明,西山由美「スタンダード消費税法」(弘文堂2022)
ただ単に、用途区分は取得時に固定される、という「時点」の話に使われているだけ。しかも、納税者不利な帰結にもっていっている。
〈還付をみたら泥棒と思え〉思想 〜消費税法の理論構造(種蒔き編2)
◯
以上述べたことは、インボイス推進派の方々が強調されていた《ネコババテーゼ》が正しいとして制度全体を理解するならばこうなるはず、ということにすぎません。
消費税は消費者の消費に課税する ⇒ならば、非対も控除すべきはず
《ネコババテーゼ》からすれば、仕入税額控除の趣旨は「消費者の消費以外の税負担を排除する」となるはずで。なぜ、仕入税額控除の趣旨を説明する段階になると、消費税法の目的をすっかり忘れてしまって、「累積している場合だけ控除する」と思考が歪んでしまうのか。
【ネコババテーゼの正規ルート】(課のみ事例、非のみ事例とも共通)
1 消費税法の目的
消費者の消費に課税する。
3 仕入税額控除
Bが消費者ではないのに、8を払いっぱなしになるのは過剰課税になってしまう。
そこで、納税額から8を控除する。
《ネコババテーゼ》の正規ルートは、売上が課税か非課税かどうかにかかわらず、Bが事業者であるかぎり、払った消費税は控除できることになるはずです。
・
他方で、消費税法が採用している各制度をあるがままに理解し、現実にどのように機能しているかを分析するならば、「用途区分」制度も矛盾なく説明することができます。現行制度をみないまま、《ネコババテーゼ》のような空論を先にぶち上げてしまうから、場当たり的な説明をせざるを得ないはめに陥るだけの話です。
この点については、一連の連載記事のあちこちで触れていますが、本記事を踏まえて、いつか整理するかもしれません(モチベ低め)。
◯
なお、タイトルにある「税務ミーム」というの。
《税負担の累積防止》と唱えるだけで、本来論ずるべき「なぜ消費者でないBに税負担を発生させるのか」を、どういうわけか、本論点を議論しようとする全ての人がスキップして先に進んでしまう様子を指して、そのように表現したものです(誤用という批判は甘んじて受け入れます。「ぜーむみーむ」といいたかっただけなので)。
・
やたらと「テーゼ」を乱発しているのは、もちろんおちょくり目的です。適宜これを「ドグマ」に言い換えてもらっても、大丈夫です。
ドキッ!?ドグマだらけの民法改正
自分のドグマは自分で見えない。 〜「原始的不能のドグマ」再訪
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| 判例イジり
2024年10月14日
平等権と、課税公平主義のあいだ 〜最高裁令和4年4月19日判決における「平等原則」とは?
最高裁令和4年4月19日判決のいうところの『租税法上の一般原則としての平等原則』を深堀りできないかと思いまして。
だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)
『租税法上の一般原則としての平等原則は、租税法の適用に関し、同様の状況にあるものは同様に取り扱われることを要求するものと解される。』
以下は、憲法教科書の「法の下の平等」の箇所を斜め読みしてみたものの、結果としてあまり参考にならなかった、という失敗談です。
◯
その要因を端的にいえば、憲法教科書が「平等」に関して論じていることの大部分が、私人の『主観的権利としての平等』(平等権)に集中してしまっていることにあります。
以下、用語を次のように使い分けます。
・平等権 主観的権利としての平等
・平等原則 客観的法原則としての平等
なぜ「平等権」に議論が集中してしまうかというと。
毎度のことながら、学説の議論が集中するのは「裁判例」周りばかりであり。そしてその裁判例は、訴訟法の都合上、基本的に「主観訴訟」です。
そうすると、裁判で平等というものが現れるのは、「平等権」としての側面ばかりになってしまいます。結果、学者の議論も「平等権」中心になってしまうと(「統治機構」の領域が周回遅れみたいになるのも、同様の事情でしょうか)。
【主観訴訟における平等の現れ】
・原告は、国家に不平等に扱われることで不利益を受けている。
・そこで、平等に扱われる権利があると主張して、不利益の回復を訴える。
⇒不平等:原告に不利益
平等:原告に利益
◯
ところが、本判決で問題となったように、国家から平等扱いされることが、必ずしも私人にとって「利益」になるとは限りません。
すなわち、
「鑑定評価額>通達評価額」という事案においては、
・平等原則T(通達評価額) 納税者に有利 ア
・平等原則U(鑑定評価額) 納税者に不利 イ
となるのであり、逆に、
「通達評価額>鑑定評価額」という事案においては
・平等原則T(通達評価額) 納税者に不利 ウ
・平等原則U(鑑定評価額) 納税者に有利 エ
となります。
事案により、そしてどちらの平等原則が適用されるかにより、有利/不利が入れ替わってしまいます(以下、「有利/不利」を「不課税/課税」と表現することがあります)。
憲法学説における平等権まわりの議論を租税訴訟に持ち込もうとしても、直接役に立つのは「不平等:課税/平等:不課税」(ア、エ)の事案に限られることになります。他方で、「不平等:不課税/平等:課税」(イ、ウ)の事案で、課税庁側が平等扱いを志向する局面については、この局面を表す言葉すら存在しないのではないでしょうか。
後者を無理やり《権利構成》するならば、「国家の課税権侵害を回復するために平等権違反を主張する」とでも表現し、平等権まわりの議論を応用していく(裏表ひっくり返す?)ことになるでしょうか(もちろん、現行憲法の座組みからは出てこない、無理やりな表現です)。
◯
憲法学説がこのような状態だというのに。
租税法の教科書が、どれもこれも「課税公平主義は憲法14条に由来する」などと呑気に記述しているのは、違和感しかないです。憲法学説が展開している「平等権」中心の憲法14条解釈では、「課税公平主義」で論ずるべき領域の「半分」しかカバーできていないはずです。
・A1が課税されないなら、A2も課税すべきでない(平等に不課税) 《平等権》
・A1が課税されるなら、A2も課税すべき(平等に課税) 《???》
・
私個人としては、憲法14条は、もっぱら客観的法原則としての「平等原則」として理解すればよく。わざわざ「平等権」などと権利構成する必要はないと考えています。
そもそも、憲法の条文では、他の自由権条項とは異なり「権利」とも「自由」とも記述されていないのであって。
日本国憲法 第十四条
1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
国家に向けられた義務として「私人にとって有利/不利いずれであるかにかかわらず等しく扱え」と言っているだけだと理解すれば十分なのではないでしょうか。
で、国の平等原則違反により、私人が何某かの不利益を被ったというならば、それを根拠に主観訴訟を提起すればよいだけです。
× 平等権侵害
◯ 平等原則違反+利益侵害
民事訴訟法上の「上告理由」にしても、憲法違反とあるだけで。憲法上の権利侵害であることまで求められていませんし。
民事訴訟法 第三百十二条(上告の理由)
1 上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があることを理由とするときに、することができる。
憲法14条はもっぱら客観的法原則としての「平等原則」を採用している、と理解してはじめて、「課税公平主義は憲法14条に由来している」といえるはずです。
△平等権 ⇒課税公平主義
◯平等原則 ⇒課税公平主義
「平等」とか「公平」というワードが出てきたからといって、なんでもかんでも憲法を持ち出せばよいというものではない、というのが現実。
◯
以上、本判決のいう「平等原則」は、
・平等に課税とする
・平等に不課税とする
の両方向に機能するものであって。
憲法学説が夢中になっている「平等に不課税とする」側の議論だけでは、その中身を詰めきれない。あるいは、憲法学説側から攻めていくのは遠回りっぽい、と感じました。
ので、また別の方向から攻めていって、少なくとも補助線でも引けないか、検討を進めてみます。
だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)
『租税法上の一般原則としての平等原則は、租税法の適用に関し、同様の状況にあるものは同様に取り扱われることを要求するものと解される。』
以下は、憲法教科書の「法の下の平等」の箇所を斜め読みしてみたものの、結果としてあまり参考にならなかった、という失敗談です。
◯
その要因を端的にいえば、憲法教科書が「平等」に関して論じていることの大部分が、私人の『主観的権利としての平等』(平等権)に集中してしまっていることにあります。
以下、用語を次のように使い分けます。
・平等権 主観的権利としての平等
・平等原則 客観的法原則としての平等
なぜ「平等権」に議論が集中してしまうかというと。
毎度のことながら、学説の議論が集中するのは「裁判例」周りばかりであり。そしてその裁判例は、訴訟法の都合上、基本的に「主観訴訟」です。
そうすると、裁判で平等というものが現れるのは、「平等権」としての側面ばかりになってしまいます。結果、学者の議論も「平等権」中心になってしまうと(「統治機構」の領域が周回遅れみたいになるのも、同様の事情でしょうか)。
【主観訴訟における平等の現れ】
・原告は、国家に不平等に扱われることで不利益を受けている。
・そこで、平等に扱われる権利があると主張して、不利益の回復を訴える。
⇒不平等:原告に不利益
平等:原告に利益
◯
ところが、本判決で問題となったように、国家から平等扱いされることが、必ずしも私人にとって「利益」になるとは限りません。
すなわち、
「鑑定評価額>通達評価額」という事案においては、
・平等原則T(通達評価額) 納税者に有利 ア
・平等原則U(鑑定評価額) 納税者に不利 イ
となるのであり、逆に、
「通達評価額>鑑定評価額」という事案においては
・平等原則T(通達評価額) 納税者に不利 ウ
・平等原則U(鑑定評価額) 納税者に有利 エ
となります。
事案により、そしてどちらの平等原則が適用されるかにより、有利/不利が入れ替わってしまいます(以下、「有利/不利」を「不課税/課税」と表現することがあります)。
憲法学説における平等権まわりの議論を租税訴訟に持ち込もうとしても、直接役に立つのは「不平等:課税/平等:不課税」(ア、エ)の事案に限られることになります。他方で、「不平等:不課税/平等:課税」(イ、ウ)の事案で、課税庁側が平等扱いを志向する局面については、この局面を表す言葉すら存在しないのではないでしょうか。
後者を無理やり《権利構成》するならば、「国家の課税権侵害を回復するために平等権違反を主張する」とでも表現し、平等権まわりの議論を応用していく(裏表ひっくり返す?)ことになるでしょうか(もちろん、現行憲法の座組みからは出てこない、無理やりな表現です)。
◯
憲法学説がこのような状態だというのに。
租税法の教科書が、どれもこれも「課税公平主義は憲法14条に由来する」などと呑気に記述しているのは、違和感しかないです。憲法学説が展開している「平等権」中心の憲法14条解釈では、「課税公平主義」で論ずるべき領域の「半分」しかカバーできていないはずです。
・A1が課税されないなら、A2も課税すべきでない(平等に不課税) 《平等権》
・A1が課税されるなら、A2も課税すべき(平等に課税) 《???》
・
私個人としては、憲法14条は、もっぱら客観的法原則としての「平等原則」として理解すればよく。わざわざ「平等権」などと権利構成する必要はないと考えています。
そもそも、憲法の条文では、他の自由権条項とは異なり「権利」とも「自由」とも記述されていないのであって。
日本国憲法 第十四条
1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
国家に向けられた義務として「私人にとって有利/不利いずれであるかにかかわらず等しく扱え」と言っているだけだと理解すれば十分なのではないでしょうか。
で、国の平等原則違反により、私人が何某かの不利益を被ったというならば、それを根拠に主観訴訟を提起すればよいだけです。
× 平等権侵害
◯ 平等原則違反+利益侵害
民事訴訟法上の「上告理由」にしても、憲法違反とあるだけで。憲法上の権利侵害であることまで求められていませんし。
民事訴訟法 第三百十二条(上告の理由)
1 上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があることを理由とするときに、することができる。
憲法14条はもっぱら客観的法原則としての「平等原則」を採用している、と理解してはじめて、「課税公平主義は憲法14条に由来している」といえるはずです。
△平等権 ⇒課税公平主義
◯平等原則 ⇒課税公平主義
「平等」とか「公平」というワードが出てきたからといって、なんでもかんでも憲法を持ち出せばよいというものではない、というのが現実。
◯
以上、本判決のいう「平等原則」は、
・平等に課税とする
・平等に不課税とする
の両方向に機能するものであって。
憲法学説が夢中になっている「平等に不課税とする」側の議論だけでは、その中身を詰めきれない。あるいは、憲法学説側から攻めていくのは遠回りっぽい、と感じました。
ので、また別の方向から攻めていって、少なくとも補助線でも引けないか、検討を進めてみます。
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| 判例イジり
2024年09月27日
だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)
判決内容を正確にトレースした「調査官解説」(ジュリスト→法曹時報)がすでに公表されている以上、私みたいな野良税理士が、今さらあれこれイジることに意味はありません。
また、租税法学者による判例批評ですと、浅妻章如先生が、本判決の理論構造を剥き出しにする骨太な議論を展開されていて、読み応え十分でした。
民商法雑誌159巻2号(有斐閣ONLINE)
にもかかわらず、わざわざ記事化する理由。他の記事で、本判決に触れたいときの《被引用記事》として置いておきたいからです。
その程度の理由のため、いつものようなイジる気満々で記述している、他の《判例イジり》モノと比べて、気持ちのノリ方が圧倒的に劣ります。
・
なお、上記で、調査官解説に「判決内容を正確にトレースした」と前置した理由。調査官解説が必ずしも「判決内容を正確にトレースした」ものであるとは限らないからです。
それは決して、調査官が法廷意見に反旗を翻している、ということではなく。調査官解説が出来上がる時系列と、調査官も最高裁判事に負けず劣らずクソ忙しいことに原因があると、勝手に邪推しています。
時系列: 調査官報告書 →合議 →法廷意見起案 →調査官解説
すなわち、クソ忙しい調査官が、法廷意見が出されてから徐ろに調査官解説を書き始めるはずがなく。すでに作成済みの調査官報告書を手直しすることで、仕上げていくはずです。
ここで法廷意見が、調査官報告書の枠組みに沿って結論を出してくれれば、多少の手直しで済むところ。が、その議論枠組みから外れたところで最高裁判事の意見が一致してしまうと、大幅に書き直さなければならなくなります。
調査官にも良心はあるでしょうから、どうにか法廷意見に沿った内容に修正しようとするはず。ですが、結論だけは一致しているものの、各判事の考えが微妙にズレていてうまく整理しきれないとか(判決では最大公約数的な表現でお茶を濁すところ)、あるいは、時間切れで修正しきれないところが残ってしまうこともあるでしょう。
そういった部分が、「判決内容を正確にトレースしていない」箇所として現れるのではないかと(あくまでも、外野の人間の邪推です)。
◯
「事案の概要」とかはすっ飛ばして、いきなり最高裁の判断内容です。
最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(相続税更正処分等取消請求事件)
1 本件不動産の評価額について 4(1)
【規範A】
・大前提(条文)
相続税法22条:相続等により取得した財産の価額=当該財産の取得の時における時価
・大前提(解釈)
時価=当該財産の客観的な交換価値
・小前提(事実)
本件各鑑定評価額=当該財産の客観的な交換価値
・結論
よって、本件各鑑定評価額は相続税法22条に違反しない
教科書どおりの綺麗な法的三段論法が、鮮やかに決まってフィニッシュ!
とはならず。
2 税法上の平等原則について 4(2)
・租税法上の一般原則としての平等原則=同様の状況にあるものは同様に取り扱われること
・課税庁が評価通達に従って画一的に評価を行っていることは公知の事実
・特定の者の価額についてのみ、通達を上回る価額によることは、平等原則違反
・課税庁の評価額が、客観的な交換価値を上回らないとしても、平等原則違反
・通達を上回る価額によることに「合理的な理由」があれば、平等原則に違反しない
・「合理的な理由」=通達による画一的な評価を行うことが、実質的な租税負担の公平に反するというべき事情がある場合
・通達評価額と鑑定評価額とのかい離をもっては、上記事情があるということはできない
・本件購入・借入れにより、相続税の負担が著しく軽減される
・相続税の負担を減じ又は免れさせるものであることを知り、かつ、これを期待して、あえて本件購入・借入れを企画して実行したから、租税負担の軽減をも意図してこれを行ったといえる
・本件購入・借入れのような行為をせず、又はすることのできない他の納税者との間に看過し難い不均衡を生じさせている
・よって、評価通達による画一的な評価を行うことは、実質的な租税負担の公平に反する
・したがって、本件各不動産の評価額を評価通達額を上回る価額によることは、平等原則に違反するということはできない
平等原則違反かどうかを論じているため、「法的三段論法」のかたちにしにくいのですが、無理やり形を整えると次のようになります。
形式的平等としてのTと、実質的平等としてのUを分けてみました。
ア 平等原則T(形式的平等論)
【規範B】
・大前提(解釈)
特定の者の価額についてのみ、通達を上回る価額によることは、平等原則違反
・小前提(事実)
本件鑑定価額は、通達評価額を上回っている
・結論
よって、平等原則違反
イ 平等原則U(実質的平等論)
【規範C】
・大前提(解釈)
通達を上回る価額によることに「合理的な理由」があれば、平等原則に違反しない
(通達による画一的な評価を行うことが、実質的な租税負担の公平に反する事情がある)
・小前提(事実)
本件購入・借入れにより、相続税の負担が著しく軽減されている
租税負担の軽減をも意図して行っている
同様な状況にある他の納税者との間に看過し難い不均衡を生じさせている
これら事情は、評価通達による画一的な評価を行うことが、実質的な租税負担の公平に反する事情と評価できる
・結論
よって、平等原則に違反しない
◯
私が、何よりもまず指摘したいのは、大原則としての相続税法22条の解釈適用(上記1)が、「判示事項」や「裁判要旨」からまるっとハブられてしまっていることです。
確かに、最高裁からすれば、普通に同条の解釈をして、高裁までで認定された事実をそのままあてはめただけであって。何一つ目新しい判断はしていませんけども、ということなのでしょう。
が、法の解釈適用によりストレートに「時価=鑑定評価額」が導ける以上「総則6項」の出番なんかあるわけねえだろ、という判断、未だに課税実務には浸透していないのではないでしょうか。
ので、これも独立の判示事項として正面から取り上げてくれればよかったのに、と思いました。
・
本記事のタイトルを「だから巡ってないってば!」としたの。
よくある判決ご紹介記事だと、『相続税評価に係る総則6項の適用を巡る事件』みたいなタイトルが付けられがち。なんですが、本判決の判断枠組みによるならば、裁判所においては、総則6項を巡って争われることはない、ということを含意してのことです。
【本判決の判断枠組み】
・原則:相続税法22条によって評価
・例外:通達各則によって評価 (平等原則T)
・例外の例外:相続税法22条によって評価 (平等原則U)
もちろん、下級審レベルでは、当事者の争い方に引っ張られて最高裁の判断枠組みどおりに判断しない、ということはありうるわけですが(ていうか、租税事件てそんなのが結構ありませんか(超偏見))。
なお、用語についての注意。
総則6項による評価も「通達評価額」と表現してよいはずですが。どうも各則による評価だけを「通達評価額」というのが慣例のようなので、本記事でもそれに従います。
◯
そうすると、総則6項は「いらない子」扱いで削除しちゃっていいのかといえば、そういうことではなく。
最高裁判決が出たとて。課税の現場レベルで、最高裁判決の提示した規範を適切に運用できるかといえば、おそらく無理があって(下級審ですら微妙なわけで)。現場で、各則評価によらずに時価チャレンジをするためには、やはり総則6項を経由することになるはずです。
もちろん、やることは同じですが。通達各則を無視してダイレクトに判例をあてはめるのか、それとも、あくまでも通達を使って評価するのか、現場の人間にとって、やりやすさが全く違うはずです。
いける: 判例→総則6項→課税処分
いけない: 判例→課税処分
ので、行政内部における各則評価によらないための根拠規範として、総則6項は残しておく必要があるでしょう(行政組織法上のアポリア(上級機関と司法のどちらに従うか問題)は、さしあたり無視します)。
藤田宙靖「行政組織法 第2版」(有斐閣2022) Amazon
・
問題なのは、「行政領域」で通用する規範と、「司法領域」で通用する規範を同一視してしまうところにあります。
総則6項は、行政領域にかぎって各則評価に従わない評価をしたい場合に利用されるものであり。司法領域においては、本判決が実践したとおり、「租税法律主義」に従って財産評価をするならば、およそ出番がないものになります。
通達各則だけが、「形式的平等」の中でかろうじて生かされている状態。
行政領域で存在していたものが司法領域では消失する、俗に言う「税務シュレディンガーの◯◯」状態といえるでしょうか。
【税務シュレディンガーの◯◯】
パラドキシカル同居 〜或いは税務シュレディンガーの○○
◯
《平等原則T(形式的平等論)》については、下記判決で敗れ去った宇賀反対意見の「原則必要説」と同じ雰囲気を感じます。
総合較量なんかするまでもなく、通達によらないというだけで当然に(形式的)平等原則違反なんだと。
最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
法廷意見をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決の多数意見vs補足意見
「財産評価」では通用した《原理論》が、「事前手続」では通用しなかった(というかガン無視された)という様が見て取れるかと思います。
同じ小法廷で2年程度の間隔であっても、これほどノリの違う判断が出されるのであって。『近時の最高裁における租税判例の傾向は云々』みたいな一般論、お気軽に展開できるものではない。
宇賀判事だけが、いい意味で予測可能性の高いクリアな立場を保持されておられて。他の判事の傾向はさっぱり予測できない。
なお、最高裁が、通達評価額も相続税法22条の時価の枠内に収まっていると捉えているのかがはっきりしません。
「合法性の原則」からすれば収まっていなければならないはずですが、平等原則Tによって「合法性の原則」を破ってもよいと考えている、と理解することもできます。
本記事では、論述の都合から、さしあたり「通達評価額≠相続税法22条の時価」という前提で話をすすめることにしています。
◯
《平等原則U(実質的平等論)》については、実際に争われているとおり、「合理的な理由」の有無をどうやって判断していくかが問題となっていきます。
最高裁自身が示したのは、
・鑑定評価額⇔通達評価額のかい離そのものは問題としない
・納税者と、それと似たような状況にある人の納税額を比較する
・税額の乖離が、被相続人らの行為・意図によって生じているかどうか
という程度。
「何と何を比べるか」については明らかとなりましたが。どの程度の差異が生じれば、実質的な租税負担の公平に反することになるかは、はっきりしません。
・財産甲の、鑑定評価額⇔通達評価額 ←比べない
・納税者Aの税額⇔納税者A'の税額 ←比べる
ちなみに、「あえて」実行したというレトリックのせいで、「悪しき意図」があることが納税者不利に作用した、みたいな読み方をする人もいそうですが。
これは、税額減少とは別の意図で実行した(のに結果的に税額減少した)場合を除外するためにこういう表現をしただけ、と読めばよいのでしょう(『故意は構成要件を拡張しない』)。
・
「税額」の減少に着目するという点は、「行為計算否認規定」(法人税法132条〜132条の3)にノリが似ているといえるでしょうか。
そうすると、個別規定もなしに納税者による評価を否認するのはおかしい、と思う人がでてくるかもしれません。
が、上述したとおり、相続税法22条に基づく評価が「大原則」なのであり。通達評価額はその「例外」、そして税額乖離が実質的公平に反する場合に「例外の例外」として原則に戻ってくる、というだけの話です。
財産評価の場面において、通達評価額は「租税法律主義」からすると異物としての位置づけになります。
規範A:相続税法22条 →租税法律主義
規範B:通達各則 →平等原則T(形式的平等)
規範C:相続税法22条 →平等原則U(実質的平等)
最高裁が、イキリちらして、『租税法上の一般原則としての平等原則』などと大口叩いているせいで勘違いしてしまいがちですが。少なくともこの場面では、平等原則はあくまでも租税法律主義に対するサブルールにすぎません(他の場面でどうかは保留)。
◯
今後、他の記事において本記事を引用する場面としては、(総則6項の位置づけとして書いたとおり)「行政向けの規範と司法向けの規範は異なる」ということを主張したいときに利用することになると思います。
通達に「外部拘束力」はないとはいえ。お役所が通達に従って行動せざるをえない以上、納税者も現場レベルではそこに合わせて上手にお付き合いしていく所作(現場でのマナー)が必要となります(あくまでマナーなので、やるときはやる)。
他方で、裁判レベルでは、形式的平等のかぎりで通達の存在を主張し、あとは法律論で勝負すると。
という感じで、場面ごとに規範の切り替えをしていくことを意識する必要があるのでしょう。
【労務における行政と司法】
最高裁令和6年7月4日第一小法廷判決(労災・メリット制)における「行政/司法」と「実体法/手続法」の交錯
また、租税法学者による判例批評ですと、浅妻章如先生が、本判決の理論構造を剥き出しにする骨太な議論を展開されていて、読み応え十分でした。
民商法雑誌159巻2号(有斐閣ONLINE)
にもかかわらず、わざわざ記事化する理由。他の記事で、本判決に触れたいときの《被引用記事》として置いておきたいからです。
その程度の理由のため、いつものようなイジる気満々で記述している、他の《判例イジり》モノと比べて、気持ちのノリ方が圧倒的に劣ります。
・
なお、上記で、調査官解説に「判決内容を正確にトレースした」と前置した理由。調査官解説が必ずしも「判決内容を正確にトレースした」ものであるとは限らないからです。
それは決して、調査官が法廷意見に反旗を翻している、ということではなく。調査官解説が出来上がる時系列と、調査官も最高裁判事に負けず劣らずクソ忙しいことに原因があると、勝手に邪推しています。
時系列: 調査官報告書 →合議 →法廷意見起案 →調査官解説
すなわち、クソ忙しい調査官が、法廷意見が出されてから徐ろに調査官解説を書き始めるはずがなく。すでに作成済みの調査官報告書を手直しすることで、仕上げていくはずです。
ここで法廷意見が、調査官報告書の枠組みに沿って結論を出してくれれば、多少の手直しで済むところ。が、その議論枠組みから外れたところで最高裁判事の意見が一致してしまうと、大幅に書き直さなければならなくなります。
調査官にも良心はあるでしょうから、どうにか法廷意見に沿った内容に修正しようとするはず。ですが、結論だけは一致しているものの、各判事の考えが微妙にズレていてうまく整理しきれないとか(判決では最大公約数的な表現でお茶を濁すところ)、あるいは、時間切れで修正しきれないところが残ってしまうこともあるでしょう。
そういった部分が、「判決内容を正確にトレースしていない」箇所として現れるのではないかと(あくまでも、外野の人間の邪推です)。
◯
「事案の概要」とかはすっ飛ばして、いきなり最高裁の判断内容です。
最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(相続税更正処分等取消請求事件)
1 本件不動産の評価額について 4(1)
【規範A】
・大前提(条文)
相続税法22条:相続等により取得した財産の価額=当該財産の取得の時における時価
・大前提(解釈)
時価=当該財産の客観的な交換価値
・小前提(事実)
本件各鑑定評価額=当該財産の客観的な交換価値
・結論
よって、本件各鑑定評価額は相続税法22条に違反しない
教科書どおりの綺麗な法的三段論法が、鮮やかに決まってフィニッシュ!
とはならず。
2 税法上の平等原則について 4(2)
・租税法上の一般原則としての平等原則=同様の状況にあるものは同様に取り扱われること
・課税庁が評価通達に従って画一的に評価を行っていることは公知の事実
・特定の者の価額についてのみ、通達を上回る価額によることは、平等原則違反
・課税庁の評価額が、客観的な交換価値を上回らないとしても、平等原則違反
・通達を上回る価額によることに「合理的な理由」があれば、平等原則に違反しない
・「合理的な理由」=通達による画一的な評価を行うことが、実質的な租税負担の公平に反するというべき事情がある場合
・通達評価額と鑑定評価額とのかい離をもっては、上記事情があるということはできない
・本件購入・借入れにより、相続税の負担が著しく軽減される
・相続税の負担を減じ又は免れさせるものであることを知り、かつ、これを期待して、あえて本件購入・借入れを企画して実行したから、租税負担の軽減をも意図してこれを行ったといえる
・本件購入・借入れのような行為をせず、又はすることのできない他の納税者との間に看過し難い不均衡を生じさせている
・よって、評価通達による画一的な評価を行うことは、実質的な租税負担の公平に反する
・したがって、本件各不動産の評価額を評価通達額を上回る価額によることは、平等原則に違反するということはできない
平等原則違反かどうかを論じているため、「法的三段論法」のかたちにしにくいのですが、無理やり形を整えると次のようになります。
形式的平等としてのTと、実質的平等としてのUを分けてみました。
ア 平等原則T(形式的平等論)
【規範B】
・大前提(解釈)
特定の者の価額についてのみ、通達を上回る価額によることは、平等原則違反
・小前提(事実)
本件鑑定価額は、通達評価額を上回っている
・結論
よって、平等原則違反
イ 平等原則U(実質的平等論)
【規範C】
・大前提(解釈)
通達を上回る価額によることに「合理的な理由」があれば、平等原則に違反しない
(通達による画一的な評価を行うことが、実質的な租税負担の公平に反する事情がある)
・小前提(事実)
本件購入・借入れにより、相続税の負担が著しく軽減されている
租税負担の軽減をも意図して行っている
同様な状況にある他の納税者との間に看過し難い不均衡を生じさせている
これら事情は、評価通達による画一的な評価を行うことが、実質的な租税負担の公平に反する事情と評価できる
・結論
よって、平等原則に違反しない
◯
私が、何よりもまず指摘したいのは、大原則としての相続税法22条の解釈適用(上記1)が、「判示事項」や「裁判要旨」からまるっとハブられてしまっていることです。
確かに、最高裁からすれば、普通に同条の解釈をして、高裁までで認定された事実をそのままあてはめただけであって。何一つ目新しい判断はしていませんけども、ということなのでしょう。
が、法の解釈適用によりストレートに「時価=鑑定評価額」が導ける以上「総則6項」の出番なんかあるわけねえだろ、という判断、未だに課税実務には浸透していないのではないでしょうか。
ので、これも独立の判示事項として正面から取り上げてくれればよかったのに、と思いました。
・
本記事のタイトルを「だから巡ってないってば!」としたの。
よくある判決ご紹介記事だと、『相続税評価に係る総則6項の適用を巡る事件』みたいなタイトルが付けられがち。なんですが、本判決の判断枠組みによるならば、裁判所においては、総則6項を巡って争われることはない、ということを含意してのことです。
【本判決の判断枠組み】
・原則:相続税法22条によって評価
・例外:通達各則によって評価 (平等原則T)
・例外の例外:相続税法22条によって評価 (平等原則U)
もちろん、下級審レベルでは、当事者の争い方に引っ張られて最高裁の判断枠組みどおりに判断しない、ということはありうるわけですが(ていうか、租税事件てそんなのが結構ありませんか(超偏見))。
なお、用語についての注意。
総則6項による評価も「通達評価額」と表現してよいはずですが。どうも各則による評価だけを「通達評価額」というのが慣例のようなので、本記事でもそれに従います。
◯
そうすると、総則6項は「いらない子」扱いで削除しちゃっていいのかといえば、そういうことではなく。
最高裁判決が出たとて。課税の現場レベルで、最高裁判決の提示した規範を適切に運用できるかといえば、おそらく無理があって(下級審ですら微妙なわけで)。現場で、各則評価によらずに時価チャレンジをするためには、やはり総則6項を経由することになるはずです。
もちろん、やることは同じですが。通達各則を無視してダイレクトに判例をあてはめるのか、それとも、あくまでも通達を使って評価するのか、現場の人間にとって、やりやすさが全く違うはずです。
いける: 判例→総則6項→課税処分
いけない: 判例→課税処分
ので、行政内部における各則評価によらないための根拠規範として、総則6項は残しておく必要があるでしょう(行政組織法上のアポリア(上級機関と司法のどちらに従うか問題)は、さしあたり無視します)。
藤田宙靖「行政組織法 第2版」(有斐閣2022) Amazon
・
問題なのは、「行政領域」で通用する規範と、「司法領域」で通用する規範を同一視してしまうところにあります。
総則6項は、行政領域にかぎって各則評価に従わない評価をしたい場合に利用されるものであり。司法領域においては、本判決が実践したとおり、「租税法律主義」に従って財産評価をするならば、およそ出番がないものになります。
通達各則だけが、「形式的平等」の中でかろうじて生かされている状態。
行政領域で存在していたものが司法領域では消失する、俗に言う「税務シュレディンガーの◯◯」状態といえるでしょうか。
【税務シュレディンガーの◯◯】
パラドキシカル同居 〜或いは税務シュレディンガーの○○
◯
《平等原則T(形式的平等論)》については、下記判決で敗れ去った宇賀反対意見の「原則必要説」と同じ雰囲気を感じます。
総合較量なんかするまでもなく、通達によらないというだけで当然に(形式的)平等原則違反なんだと。
最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
法廷意見をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決の多数意見vs補足意見
「財産評価」では通用した《原理論》が、「事前手続」では通用しなかった(というかガン無視された)という様が見て取れるかと思います。
同じ小法廷で2年程度の間隔であっても、これほどノリの違う判断が出されるのであって。『近時の最高裁における租税判例の傾向は云々』みたいな一般論、お気軽に展開できるものではない。
宇賀判事だけが、いい意味で予測可能性の高いクリアな立場を保持されておられて。他の判事の傾向はさっぱり予測できない。
なお、最高裁が、通達評価額も相続税法22条の時価の枠内に収まっていると捉えているのかがはっきりしません。
「合法性の原則」からすれば収まっていなければならないはずですが、平等原則Tによって「合法性の原則」を破ってもよいと考えている、と理解することもできます。
本記事では、論述の都合から、さしあたり「通達評価額≠相続税法22条の時価」という前提で話をすすめることにしています。
◯
《平等原則U(実質的平等論)》については、実際に争われているとおり、「合理的な理由」の有無をどうやって判断していくかが問題となっていきます。
最高裁自身が示したのは、
・鑑定評価額⇔通達評価額のかい離そのものは問題としない
・納税者と、それと似たような状況にある人の納税額を比較する
・税額の乖離が、被相続人らの行為・意図によって生じているかどうか
という程度。
「何と何を比べるか」については明らかとなりましたが。どの程度の差異が生じれば、実質的な租税負担の公平に反することになるかは、はっきりしません。
・財産甲の、鑑定評価額⇔通達評価額 ←比べない
・納税者Aの税額⇔納税者A'の税額 ←比べる
ちなみに、「あえて」実行したというレトリックのせいで、「悪しき意図」があることが納税者不利に作用した、みたいな読み方をする人もいそうですが。
これは、税額減少とは別の意図で実行した(のに結果的に税額減少した)場合を除外するためにこういう表現をしただけ、と読めばよいのでしょう(『故意は構成要件を拡張しない』)。
・
「税額」の減少に着目するという点は、「行為計算否認規定」(法人税法132条〜132条の3)にノリが似ているといえるでしょうか。
そうすると、個別規定もなしに納税者による評価を否認するのはおかしい、と思う人がでてくるかもしれません。
が、上述したとおり、相続税法22条に基づく評価が「大原則」なのであり。通達評価額はその「例外」、そして税額乖離が実質的公平に反する場合に「例外の例外」として原則に戻ってくる、というだけの話です。
財産評価の場面において、通達評価額は「租税法律主義」からすると異物としての位置づけになります。
規範A:相続税法22条 →租税法律主義
規範B:通達各則 →平等原則T(形式的平等)
規範C:相続税法22条 →平等原則U(実質的平等)
最高裁が、イキリちらして、『租税法上の一般原則としての平等原則』などと大口叩いているせいで勘違いしてしまいがちですが。少なくともこの場面では、平等原則はあくまでも租税法律主義に対するサブルールにすぎません(他の場面でどうかは保留)。
◯
今後、他の記事において本記事を引用する場面としては、(総則6項の位置づけとして書いたとおり)「行政向けの規範と司法向けの規範は異なる」ということを主張したいときに利用することになると思います。
通達に「外部拘束力」はないとはいえ。お役所が通達に従って行動せざるをえない以上、納税者も現場レベルではそこに合わせて上手にお付き合いしていく所作(現場でのマナー)が必要となります(あくまでマナーなので、やるときはやる)。
他方で、裁判レベルでは、形式的平等のかぎりで通達の存在を主張し、あとは法律論で勝負すると。
という感じで、場面ごとに規範の切り替えをしていくことを意識する必要があるのでしょう。
【労務における行政と司法】
最高裁令和6年7月4日第一小法廷判決(労災・メリット制)における「行政/司法」と「実体法/手続法」の交錯
posted by ウロ at 11:05| Comment(0)
| 判例イジり
2024年07月19日
最高裁令和6年7月18日・第一小法廷判決(外国子会社合算税制) 雑感
結論は「まあ、そうですよね。」くらいの感想なんですが。判決で展開されている、解釈の中身がしっくりこない。
最高裁令和6年7月18日・第一小法廷判決
以下は違和感をそのまま吐き出しただけのものです。
◯
最高裁の解釈は次のとおり(ABCは私が挿入)。
ちなみに、現行法だと施行令39条の14の3第28項第5号に対応します。
A 施行令39条の117第8項5号は、措置法68条の90第1項の規定の適用が除外される場合の要件の一つである非関連者基準を、主として保険業を行う特定外国子会社等について具体化するものである。そして、本件括弧書きは、特定外国子会社等が関連者との間の保険取引に関連者以外の者を介在させた場合の収入保険料の取扱いを明確にし、上記の者を形式的に介在させることによって非関連者基準を充足させ、同項の適用が除外されることとなるのを防ぐ趣旨に出たものと解される。
B このような本件括弧書きの趣旨に加えて、通常、保険に加入する者は、保険金の支払を受けることによって経済的不利益の保障、填補を受けることを目的として、保険料を負担して保険契約を締結するものと考えられることを踏まえると、本件括弧書きは、特定外国子会社等が保険者として再保険取引を行うに際し、当該再保険取引が関連者以外の者の資産又は損害賠償責任に係る経済的不利益を担保しようとするものである場合に限り、当該特定外国子会社等が当該再保険取引から得る収入保険料は関連者以外の者から収入するものとして扱うこととしたものと解される。
C したがって、本件括弧書きにいう「関連者以外の者が有する資産又は関連者以外の者が負う損害賠償責任を保険の目的とする保険」とは、関連者以外の者の資産又は損害賠償責任に係る経済的不利益を担保する保険をいうものと解すべきである。
◯
近時の最高裁の税法解釈の傾向について、「文理解釈が重視されている」みたいな評価がされることがあります。
が、本判決は上記の通り、
A 本規定の趣旨は、形式的に非関連者をかます遣り口を排除するためだよ
B 通常、保険に加入するのは経済的不利益を担保するためだよ
C ので、非関連者の保険かどうかは、誰の経済的不利益を担保するものかで判定するよ
という解釈を展開しており。
「まずは文理解釈から入る」という基本お作法がガン無視されています。や、「まずは」どころかどこにも文理解釈が出てこない。
◯
ここで私が想定しているのが、「ホステス報酬源泉徴収事件」の最高裁判決
最高裁判所平成22年3月2日・第三小法廷判決
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
まずは文理解釈から入って趣旨解釈でフォローをする、という基本フォーマットがきれいに展開されています。
なぜ、本判決では、この型によらなかったのか。
変な独自性なんて発揮してもらわずとも。型に忠実に解釈を展開してもらえれば、それで十分なはずで。
原審の、「資産・損害賠償責任は例示だよ!」なんていうアクロバティック趣旨解釈にアテられて、逆方向に全力疾走しようとでもしたのでしょうか。
◯
私個人の見立てでは、「文理どおりで取りたい結論が導けるなら文理解釈を重視する。文理どおりでは取りたい結論が出せない場合は、文理解釈を軽く扱って趣旨解釈等に走る」というのが、裁判所の態度ではないかと思っていました。
が、本件に関しては、文理解釈だけでも取りたい結論を導くことはできたはずです。すなわち、
・「(関連者以外の者が負う)損害賠償責任を保険の目的とする保険」というのは、明らかに損害保険のうち「賠償責任保険」を指している。
・とすると、「(関連者以外の者が有する)資産を保険の目的とする保険」のほうは、損害保険のうち資産を被保険利益とする保険だといえる。
・本件保険はこれらに該当しないから、非関連者基準を満たさない。
で終わらせることができます。
で、これだけだと説得力が弱いと思うなら、平成22年最高裁判決のように、趣旨からも同じ結論だよ、とそっと添えればいいだけです。
のに、あえて文理解釈をすっとばす、本判決の謎。
◯
本判決Cでは、施行令の「保険の目的とする」を「経済的不利益を担保する」に言い換えています。
私は保険法ド素人なので、よく分かっていないのですが。
本件のような保険って、誰かの「経済的不利益」を担保するようなものではないですよね。顧客が亡くなったからといって、クレジット債権がいきなり焦げ付くわけでもないですし。
Bで想定されている保険の典型例は、資産が壊れたとか、損害賠償責任を負ったとか、何かしらマイナス(経済的不利益)が生じて、それを埋めるために保険金をもらう、というものでしょう(損害保険そのもの)。
が、本件契約はそういうものではない。
ところが、本判決のあてはめを見る限り、最高裁は、本契約は「経済的不利益を担保する」ものではあるが、それが「関連者の」経済的不利益を担保するものだからだめ、と理解しているように思えます。
もしかすると、顧客が亡くなると回収が「ほんのり面倒になる」程度のものを「経済的不利益」と捉えているのかもしれません。が、そこまで希薄なものを「経済的不利益」だといえるならば、顧客の側にもその程度の「経済的不利益」なら生じているともいえそうです。
また、本判決のあてはめでは、「NRFMの資産の経済的不利益を担保するもの」だから非関連者基準を満たさない、といっているのですが。
上記のとおり「経済的不利益」というものが極めて希薄なものでよいのならば。ひとつの保険が、NRFMにとっても顧客にとっても「経済的不利益を担保するもの」に該当する可能性もあるはずです。
とすると、「顧客の資産の経済的不利益を担保するもの」ではない、というところまで言わないと足りないのではないでしょうか。
◯
本来、本判決が展開しなければならなかったこと。
「保険の目的」を「経済的不利益の担保」に言い換えること、などではなく。原審における「資産・損害賠償責任は例示だ」というアクロバティック趣旨解釈を、正面から叩き潰すことではなかったのではないでしょうか。
あまたある保険の中で、あえて「資産・損害賠償責任」を保険の目的とするものだけを取り上げている以上、文言上は「限定列挙」と理解せざるをえないわけで。
あとは趣旨解釈からも、「資産・損害賠償責任」だけに限定したことを正当化できればよいはずです。
のに、この点については何の論証もしていない。
上記の通り、最高裁が想定しているであろう「経済的不利益」では、大した縛りにならないのであって。むしろ、こちらを固めておくほうが重要だったのではないでしょうか。
・
ただ、CFC税制の制度趣旨から辿っていっても、「資産・損害賠償責任」に限定したことを正当化するの、難しくないでしょうか。「非関連者の」のほうが重要であって、何を保険の目的とするかのほうを限定する意味って、どの程度あるのでしょうか。
保険の種類を限定しすぎで、《過剰課税》が生じているという評価もありうるわけで。
もしそうだすると、「みずほCFC事件最高裁判決」のごとく、「課税要件の明確性」やら「課税執行面における安定性」といった《制度外在的》な理由付けを持ち込んで、どうにか正当化するしかないでしょうか。
みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)
なお、本件についても、「委任立法」の問題として論ずることもできたはずですが。そういう議論は展開されておらず。
あちらは第二小法廷、こちらは第一小法廷と裁判体が違うといえど、どちらも広い意味では「趣旨解釈」を展開していると括ることができるわけで。
が、その論理展開は全然違うし、私個人としても、それぞれ別の意味で違和感があります。
その違和感の違いを正面から整理したいところですが。その心の余裕が、現状無い。
◯
以上、「保険(法)」に関する知識がふんわりしたまま書いていますので、正確性はまったく保証できません。
最高裁令和6年7月18日・第一小法廷判決
以下は違和感をそのまま吐き出しただけのものです。
◯
最高裁の解釈は次のとおり(ABCは私が挿入)。
ちなみに、現行法だと施行令39条の14の3第28項第5号に対応します。
A 施行令39条の117第8項5号は、措置法68条の90第1項の規定の適用が除外される場合の要件の一つである非関連者基準を、主として保険業を行う特定外国子会社等について具体化するものである。そして、本件括弧書きは、特定外国子会社等が関連者との間の保険取引に関連者以外の者を介在させた場合の収入保険料の取扱いを明確にし、上記の者を形式的に介在させることによって非関連者基準を充足させ、同項の適用が除外されることとなるのを防ぐ趣旨に出たものと解される。
B このような本件括弧書きの趣旨に加えて、通常、保険に加入する者は、保険金の支払を受けることによって経済的不利益の保障、填補を受けることを目的として、保険料を負担して保険契約を締結するものと考えられることを踏まえると、本件括弧書きは、特定外国子会社等が保険者として再保険取引を行うに際し、当該再保険取引が関連者以外の者の資産又は損害賠償責任に係る経済的不利益を担保しようとするものである場合に限り、当該特定外国子会社等が当該再保険取引から得る収入保険料は関連者以外の者から収入するものとして扱うこととしたものと解される。
C したがって、本件括弧書きにいう「関連者以外の者が有する資産又は関連者以外の者が負う損害賠償責任を保険の目的とする保険」とは、関連者以外の者の資産又は損害賠償責任に係る経済的不利益を担保する保険をいうものと解すべきである。
◯
近時の最高裁の税法解釈の傾向について、「文理解釈が重視されている」みたいな評価がされることがあります。
が、本判決は上記の通り、
A 本規定の趣旨は、形式的に非関連者をかます遣り口を排除するためだよ
B 通常、保険に加入するのは経済的不利益を担保するためだよ
C ので、非関連者の保険かどうかは、誰の経済的不利益を担保するものかで判定するよ
という解釈を展開しており。
「まずは文理解釈から入る」という基本お作法がガン無視されています。や、「まずは」どころかどこにも文理解釈が出てこない。
◯
ここで私が想定しているのが、「ホステス報酬源泉徴収事件」の最高裁判決
最高裁判所平成22年3月2日・第三小法廷判決
フローチャートを作ろう(その6) 〜判例法
まずは文理解釈から入って趣旨解釈でフォローをする、という基本フォーマットがきれいに展開されています。
なぜ、本判決では、この型によらなかったのか。
変な独自性なんて発揮してもらわずとも。型に忠実に解釈を展開してもらえれば、それで十分なはずで。
原審の、「資産・損害賠償責任は例示だよ!」なんていうアクロバティック趣旨解釈にアテられて、逆方向に全力疾走しようとでもしたのでしょうか。
◯
私個人の見立てでは、「文理どおりで取りたい結論が導けるなら文理解釈を重視する。文理どおりでは取りたい結論が出せない場合は、文理解釈を軽く扱って趣旨解釈等に走る」というのが、裁判所の態度ではないかと思っていました。
が、本件に関しては、文理解釈だけでも取りたい結論を導くことはできたはずです。すなわち、
・「(関連者以外の者が負う)損害賠償責任を保険の目的とする保険」というのは、明らかに損害保険のうち「賠償責任保険」を指している。
・とすると、「(関連者以外の者が有する)資産を保険の目的とする保険」のほうは、損害保険のうち資産を被保険利益とする保険だといえる。
・本件保険はこれらに該当しないから、非関連者基準を満たさない。
で終わらせることができます。
で、これだけだと説得力が弱いと思うなら、平成22年最高裁判決のように、趣旨からも同じ結論だよ、とそっと添えればいいだけです。
のに、あえて文理解釈をすっとばす、本判決の謎。
◯
本判決Cでは、施行令の「保険の目的とする」を「経済的不利益を担保する」に言い換えています。
私は保険法ド素人なので、よく分かっていないのですが。
本件のような保険って、誰かの「経済的不利益」を担保するようなものではないですよね。顧客が亡くなったからといって、クレジット債権がいきなり焦げ付くわけでもないですし。
Bで想定されている保険の典型例は、資産が壊れたとか、損害賠償責任を負ったとか、何かしらマイナス(経済的不利益)が生じて、それを埋めるために保険金をもらう、というものでしょう(損害保険そのもの)。
が、本件契約はそういうものではない。
ところが、本判決のあてはめを見る限り、最高裁は、本契約は「経済的不利益を担保する」ものではあるが、それが「関連者の」経済的不利益を担保するものだからだめ、と理解しているように思えます。
もしかすると、顧客が亡くなると回収が「ほんのり面倒になる」程度のものを「経済的不利益」と捉えているのかもしれません。が、そこまで希薄なものを「経済的不利益」だといえるならば、顧客の側にもその程度の「経済的不利益」なら生じているともいえそうです。
また、本判決のあてはめでは、「NRFMの資産の経済的不利益を担保するもの」だから非関連者基準を満たさない、といっているのですが。
上記のとおり「経済的不利益」というものが極めて希薄なものでよいのならば。ひとつの保険が、NRFMにとっても顧客にとっても「経済的不利益を担保するもの」に該当する可能性もあるはずです。
とすると、「顧客の資産の経済的不利益を担保するもの」ではない、というところまで言わないと足りないのではないでしょうか。
◯
本来、本判決が展開しなければならなかったこと。
「保険の目的」を「経済的不利益の担保」に言い換えること、などではなく。原審における「資産・損害賠償責任は例示だ」というアクロバティック趣旨解釈を、正面から叩き潰すことではなかったのではないでしょうか。
あまたある保険の中で、あえて「資産・損害賠償責任」を保険の目的とするものだけを取り上げている以上、文言上は「限定列挙」と理解せざるをえないわけで。
あとは趣旨解釈からも、「資産・損害賠償責任」だけに限定したことを正当化できればよいはずです。
のに、この点については何の論証もしていない。
上記の通り、最高裁が想定しているであろう「経済的不利益」では、大した縛りにならないのであって。むしろ、こちらを固めておくほうが重要だったのではないでしょうか。
・
ただ、CFC税制の制度趣旨から辿っていっても、「資産・損害賠償責任」に限定したことを正当化するの、難しくないでしょうか。「非関連者の」のほうが重要であって、何を保険の目的とするかのほうを限定する意味って、どの程度あるのでしょうか。
保険の種類を限定しすぎで、《過剰課税》が生じているという評価もありうるわけで。
もしそうだすると、「みずほCFC事件最高裁判決」のごとく、「課税要件の明確性」やら「課税執行面における安定性」といった《制度外在的》な理由付けを持ち込んで、どうにか正当化するしかないでしょうか。
みずほCFC事件判決 〜最高裁令和5年11月6日判決 (雑感)
なお、本件についても、「委任立法」の問題として論ずることもできたはずですが。そういう議論は展開されておらず。
あちらは第二小法廷、こちらは第一小法廷と裁判体が違うといえど、どちらも広い意味では「趣旨解釈」を展開していると括ることができるわけで。
が、その論理展開は全然違うし、私個人としても、それぞれ別の意味で違和感があります。
その違和感の違いを正面から整理したいところですが。その心の余裕が、現状無い。
◯
以上、「保険(法)」に関する知識がふんわりしたまま書いていますので、正確性はまったく保証できません。
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| 判例イジり
2024年07月08日
最高裁令和6年7月4日第一小法廷判決(労災・メリット制)における「行政/司法」と「実体法/手続法」の交錯
結論だけみると、労働者に寄り添った感が出ていますが。どうにもそれだけではない感じがするんですよね。
最高裁令和6年7月4日・第一小法廷判決 雑感(労災・メリット制)
ということで、違和感の出どころを探ってみます。
◯
私の理解するかぎりでの、保険給付/不支給処分と保険料認定処分の法的構造は次の通り。
・矢印は、影響を及ぼすことを表しています。
・事業主/労働者は、判決については「原告」、行政処分については「名宛人」を表しています。
・あり/なしは、支給要件のあり/なしを表しています。
・厳密には、審査請求、再審査請求も考慮しないといけないのですが、「行政」レベルにまとめて含まれているとして扱います。
@A
ここは、取消判決の拘束力により、当然の帰結です。
B
本判決にて、影響がないと判断されました。その結果、事業主は保険給付処分に対する取消訴訟を提起することはできません(原告適格なし)。
C
平成13年決定によると、ここは影響があると判断されています。具体的にどこまでの効力かは明記されていませんが、「法律上」の利害関係があるとされている以上、なにかしら法的な効力があるのでしょう。
D
問題はここです。
本判決は「事業主は保険料認定処分を争えや」といったわけですが、では、事業主が保険料認定処分の取消判決を得た場合に、保険料認定処分の効力が(増額分だけ)失われるのは当然として(@)。保険給付処分にも影響があるのでしょうか。
◯
本判決が言っているのは、メリット制の判定対象となる「保険給付の額」は、客観的に支給要件を満たすものだけだ、というものです(B)。
徴収法の条文には「保険給付の額」とあるにもかかわらず。現実に支給された金額全てではなく、客観的な支給要件を満たしたものだけがメリット制の判定対象なのだという限定解釈をかましています。
文言解釈からはかなり無理のある、このような大胆な限定解釈。さすがに下級審でとばすのは難しいでしょうよ。
本判決のこの解釈、
ア 保険給付処分は保険料認定処分に影響を及ぼさない、という行政処分間の効力を問題としているのか
それとも、
イ 保険給付処分における「支給要件あり」という実体判断は、保険料認定処分における実体判断に影響を及ぼさない、という実体判断レベルの問題を論じているのか
はっきりわかりませんが。
いずれにしても、従前の《違法性の承継》という枠組みだと、射程が狭すぎてうまくハマらないでしょう。
というのも、影響を及ぼすのは「違法」な場合だけとはかぎらず、また、処分間だけでなく、処分の前提となった「実体判断」レベルでも、承継が問題となりうるからです。
本判決のロジックによれば、保険給付処分の効力はそのままで、保険料認定処分で支給要件なしと判断することができます。
このロジックならば、保険給付処分の《公定力》《排他的管轄》に抵触しないですみます。これは《公定力》の例外を認めるものではなく、そもそも実体法レベルの解釈によって、《公定力》の対象外とするものといえます。
・
本判決のような解釈からすると、保険給付処分では「支給要件あり」とされていたものが、保険料認定処分の段階では「支給要件なし」と判断される可能性がありうることになります。
仮に、両処分の名宛人が同一人物であれば、《禁反言》などを理由に、「あり→なし」に変更するのを制御できるのかもしれません。が、両処分の名宛人は別人であり、そのような制約をかけることは難しいでしょう。
では、この《不整合》を解消する権限/義務が行政にあるのかどうか、保険給付処分を事後的に「職権取消し」できる/すべきかどうか。
上記図でいうと、Bの矢印の逆向きがどうなるのか、ということです。
労働者救済を強調するならば、「影響なし」とすべきなのでしょうが。保険給付処分における実体判断が、あくまでも早期救済のかぎりで、というならば、保険料認定処分の段階での判断を優先する、という解釈もありうるわけで。
あるいは、間をとって、遡及はしないが将来の支給は認めないとか。
最高裁の、近時の《理論的整合性》を軽く見るノリからすると、労働者救済推しで行っちゃいそうな気もしますが、どうなるでしょうか。
◯
では、Dの影響があるかどうかについては、どのように考えればよいのでしょうか。
上述のとおり、本判決が扱っているのは、《実体法》レベルにおいて、保険給付処分での判断は保険料認定処分には影響がないというにとどまり(B)。保険料認定処分の取消判決が保険給付処分に対する拘束力を有するか、という《訴訟法》レベルの問題は触れていません。
行政処分の相互関係という徴収法内部の問題と、司法が行政に口出しをする場面における問題とは、同列には扱えません。
この点については、やはり平成13年決定の存在を無視できません。
平成13年決定ではCの影響を認めているため、保険給付/不支給と保険料認定とが、どのレベルにおいても全く無関係、と解釈することはできません。
保険不支給処分の取消判決で「支給要件あり」と判断されてしまうと、保険料認定処分でも「支給要件あり」と判断しなければならなくなる(C)、というならば、保険料認定処分の取消判決で「支給要件なし」と判断されてしまうと、保険給付処分も「支給要件なし」として、取消なり撤回をしなければならなくなる(D)、という帰結になるはずです。
もし「Cは認めるがDは認めない」という結論を導きたいのであれば、《訴訟法》レベルでそれ専用の道具立てを用意しなければならないでしょう。
たとえば、平成13年決定は、「補助参加の利益」レベルでの影響を認めたにすぎず、取消判決の拘束力が及ぶとまではいっていないとか何とか。
この先に、保険料認定処分の取消訴訟に「労働者」が補助参加(あるいは訴訟参加)できるか、という論点があります。
もし「保険料認定→保険給付」の方向には、およそいかなる意味でも何の影響もない、ということであれば、補助参加する必要もなく、労働者はご安心して給付受け続けてください、ということになります。
そもそも「補助参加の利益」という概念自体、未だによく分からないもので。なぜ平成13年決定の事案では認められたのかも、しっくりきていない。
とはいえ、決定としてまだ残っている以上、ガン無視するわけにはいかず、整合性をもった解釈を施す必要はあるでしょう。
◯
で、最初に書いた違和感の正体。
おそらくですが、本判決が「事業主は保険料認定処分を争えや」とだけしか言わず。もし事業主が保険料認定処分の取消判決を得てしまった場合、保険給付処分がどうなるのか、について何も触れていないからだと思います。
平成13年決定とあわせてみるかぎり、司法と行政の《上下関係》を、改めて確認しただけのようにも読めますし。
もちろん、「当該事案の解決に必要なかぎりで判断を示す」というのは建前としてあるわけですが。そんなもの、傍論なり個別意見(補足意見・意見)なりで、ご指導いただければいいことでしょう。
「傍論・個別意見は判例ではない」とか言ったって、どうせ我々実務家は、おもいっきりそれらに従って行動せざるをえないのであって。
ということで、労働者・事業主どちらの立場に立ったとしても、さしあたり第1ラウンドが終わっただけの話で。
保険料認定処分をめぐる第2ラウンド、及び保険料認定処分の取消判決が出た場合の第3ラウンドが控えており。「労働者勝ったね、よかったね。」とか言っている場合ではない。
◯
おもいっきり専門外がゆえ。私個人が何かしらの定見をもっているわけではないのですが。
どのような見解をとるにしても、実体法レベルの解釈と訴訟法レベルの解釈とは、混同しないように論じてもらえればと。
ちなみに、これらを区別しないまま、正義っ子気取りで判決しているのが「武富士事件」に関する最高裁判決(のうち特に須藤補足意見)、というのが私の見立て(とばっちり)。
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)
最高裁令和6年7月4日・第一小法廷判決 雑感(労災・メリット制)
ということで、違和感の出どころを探ってみます。
◯
私の理解するかぎりでの、保険給付/不支給処分と保険料認定処分の法的構造は次の通り。
・矢印は、影響を及ぼすことを表しています。
・事業主/労働者は、判決については「原告」、行政処分については「名宛人」を表しています。
・あり/なしは、支給要件のあり/なしを表しています。
・厳密には、審査請求、再審査請求も考慮しないといけないのですが、「行政」レベルにまとめて含まれているとして扱います。
@A
ここは、取消判決の拘束力により、当然の帰結です。
B
本判決にて、影響がないと判断されました。その結果、事業主は保険給付処分に対する取消訴訟を提起することはできません(原告適格なし)。
C
平成13年決定によると、ここは影響があると判断されています。具体的にどこまでの効力かは明記されていませんが、「法律上」の利害関係があるとされている以上、なにかしら法的な効力があるのでしょう。
D
問題はここです。
本判決は「事業主は保険料認定処分を争えや」といったわけですが、では、事業主が保険料認定処分の取消判決を得た場合に、保険料認定処分の効力が(増額分だけ)失われるのは当然として(@)。保険給付処分にも影響があるのでしょうか。
◯
本判決が言っているのは、メリット制の判定対象となる「保険給付の額」は、客観的に支給要件を満たすものだけだ、というものです(B)。
徴収法の条文には「保険給付の額」とあるにもかかわらず。現実に支給された金額全てではなく、客観的な支給要件を満たしたものだけがメリット制の判定対象なのだという限定解釈をかましています。
文言解釈からはかなり無理のある、このような大胆な限定解釈。さすがに下級審でとばすのは難しいでしょうよ。
本判決のこの解釈、
ア 保険給付処分は保険料認定処分に影響を及ぼさない、という行政処分間の効力を問題としているのか
それとも、
イ 保険給付処分における「支給要件あり」という実体判断は、保険料認定処分における実体判断に影響を及ぼさない、という実体判断レベルの問題を論じているのか
はっきりわかりませんが。
いずれにしても、従前の《違法性の承継》という枠組みだと、射程が狭すぎてうまくハマらないでしょう。
というのも、影響を及ぼすのは「違法」な場合だけとはかぎらず、また、処分間だけでなく、処分の前提となった「実体判断」レベルでも、承継が問題となりうるからです。
本判決のロジックによれば、保険給付処分の効力はそのままで、保険料認定処分で支給要件なしと判断することができます。
このロジックならば、保険給付処分の《公定力》《排他的管轄》に抵触しないですみます。これは《公定力》の例外を認めるものではなく、そもそも実体法レベルの解釈によって、《公定力》の対象外とするものといえます。
・
本判決のような解釈からすると、保険給付処分では「支給要件あり」とされていたものが、保険料認定処分の段階では「支給要件なし」と判断される可能性がありうることになります。
仮に、両処分の名宛人が同一人物であれば、《禁反言》などを理由に、「あり→なし」に変更するのを制御できるのかもしれません。が、両処分の名宛人は別人であり、そのような制約をかけることは難しいでしょう。
では、この《不整合》を解消する権限/義務が行政にあるのかどうか、保険給付処分を事後的に「職権取消し」できる/すべきかどうか。
上記図でいうと、Bの矢印の逆向きがどうなるのか、ということです。
労働者救済を強調するならば、「影響なし」とすべきなのでしょうが。保険給付処分における実体判断が、あくまでも早期救済のかぎりで、というならば、保険料認定処分の段階での判断を優先する、という解釈もありうるわけで。
あるいは、間をとって、遡及はしないが将来の支給は認めないとか。
最高裁の、近時の《理論的整合性》を軽く見るノリからすると、労働者救済推しで行っちゃいそうな気もしますが、どうなるでしょうか。
◯
では、Dの影響があるかどうかについては、どのように考えればよいのでしょうか。
上述のとおり、本判決が扱っているのは、《実体法》レベルにおいて、保険給付処分での判断は保険料認定処分には影響がないというにとどまり(B)。保険料認定処分の取消判決が保険給付処分に対する拘束力を有するか、という《訴訟法》レベルの問題は触れていません。
行政処分の相互関係という徴収法内部の問題と、司法が行政に口出しをする場面における問題とは、同列には扱えません。
この点については、やはり平成13年決定の存在を無視できません。
平成13年決定ではCの影響を認めているため、保険給付/不支給と保険料認定とが、どのレベルにおいても全く無関係、と解釈することはできません。
保険不支給処分の取消判決で「支給要件あり」と判断されてしまうと、保険料認定処分でも「支給要件あり」と判断しなければならなくなる(C)、というならば、保険料認定処分の取消判決で「支給要件なし」と判断されてしまうと、保険給付処分も「支給要件なし」として、取消なり撤回をしなければならなくなる(D)、という帰結になるはずです。
もし「Cは認めるがDは認めない」という結論を導きたいのであれば、《訴訟法》レベルでそれ専用の道具立てを用意しなければならないでしょう。
たとえば、平成13年決定は、「補助参加の利益」レベルでの影響を認めたにすぎず、取消判決の拘束力が及ぶとまではいっていないとか何とか。
この先に、保険料認定処分の取消訴訟に「労働者」が補助参加(あるいは訴訟参加)できるか、という論点があります。
もし「保険料認定→保険給付」の方向には、およそいかなる意味でも何の影響もない、ということであれば、補助参加する必要もなく、労働者はご安心して給付受け続けてください、ということになります。
そもそも「補助参加の利益」という概念自体、未だによく分からないもので。なぜ平成13年決定の事案では認められたのかも、しっくりきていない。
とはいえ、決定としてまだ残っている以上、ガン無視するわけにはいかず、整合性をもった解釈を施す必要はあるでしょう。
◯
で、最初に書いた違和感の正体。
おそらくですが、本判決が「事業主は保険料認定処分を争えや」とだけしか言わず。もし事業主が保険料認定処分の取消判決を得てしまった場合、保険給付処分がどうなるのか、について何も触れていないからだと思います。
平成13年決定とあわせてみるかぎり、司法と行政の《上下関係》を、改めて確認しただけのようにも読めますし。
もちろん、「当該事案の解決に必要なかぎりで判断を示す」というのは建前としてあるわけですが。そんなもの、傍論なり個別意見(補足意見・意見)なりで、ご指導いただければいいことでしょう。
「傍論・個別意見は判例ではない」とか言ったって、どうせ我々実務家は、おもいっきりそれらに従って行動せざるをえないのであって。
ということで、労働者・事業主どちらの立場に立ったとしても、さしあたり第1ラウンドが終わっただけの話で。
保険料認定処分をめぐる第2ラウンド、及び保険料認定処分の取消判決が出た場合の第3ラウンドが控えており。「労働者勝ったね、よかったね。」とか言っている場合ではない。
◯
おもいっきり専門外がゆえ。私個人が何かしらの定見をもっているわけではないのですが。
どのような見解をとるにしても、実体法レベルの解釈と訴訟法レベルの解釈とは、混同しないように論じてもらえればと。
ちなみに、これらを区別しないまま、正義っ子気取りで判決しているのが「武富士事件」に関する最高裁判決(のうち特に須藤補足意見)、というのが私の見立て(とばっちり)。
非居住者に支払う著作権の使用料と源泉徴収の要否について(その12)
posted by ウロ at 09:17| Comment(0)
| 判例イジり
2024年07月05日
最高裁令和6年7月4日・第一小法廷判決 雑感(労災・メリット制)
こういう理屈のたて方をみると、いい意味でも悪い意味でも、最高裁判事(and最高裁調査官)ってものすごい頭いいんだなあ、と思わされます(偉そう)。
療養補償給付支給処分(不支給決定の変更決定)の取消、休業補償給付支給処分の取消請求事件
令和6年7月4日最高裁判所第一小法廷判決
中身については思いっきり専門外なので、深堀りはせずざっくり感想だけ。
あくまでも、「租税訴訟」にも参考になるかな、という興味本位のみで触れています。
【判断の内容(意訳)】
事業主が、労働者に対する保険支給処分を争うことはできない。
保険支給処分は、労働者に対する早期救済のためのものであって、その効力は、事業主に対する保険料決定に関する法律関係にまでは及ばない。
保険料に不服があるなら、ダイレクトに事業主に対する保険料認定処分を争えばよい。
ここで、保険給付が支給要件を満たしていなかったことを争うことができる。
・
私のような単純脳では、「保険給付処分があるままでは保険料認定処分争えないんじゃない?」とか短絡視してしまうところ。
そうではなく、早期救済用に設計された行政処分があるだけだったら、別の行政処分には影響しないぞと。
それはそれでいいとして。以下のような疑問があります。
【疑問】
1 保険料認定処分を争う中で保険給付が支給要件を満たさないことが明らかになった場合、遡って保険給付処分は違法だったことになるのか?
⇒
判決は、「保険給付処分→保険料認定処分」のことしか判断しておらず、「保険料認定処分(の取消訴訟の認容判決)→保険給付処分」にまでは触れていないわけです。
2 保険不支給処分に対して労働者が取消訴訟を提起した場合、事業主は国側に補助参加できるか?
⇒
これはできるとされています。
保険不支給処分の取消訴訟が認容されて支給処分がされたら、保険料決定処分に影響してしまうからだと。
平成12(行フ)3 補助参加申出の却下決定に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件
平成13年2月22日最高裁判所第一小法廷決定
・保険支給処分に対する取消訴訟 ←事業主は提起できない
・保険不支給処分に対する取消訴訟 ←事業主は国側に補助参加できる
これを整合的に説明するならば、単なる行政処分レベルで「給付する」と判断されても保険料認定処分には及ばないが、不支給処分の取消訴訟が認容された場合には及んでしまう、ということになるでしょうか。
このことからすると、保険料認定処分の取消訴訟で「支給要件なし」として認容された場合には、保険給付処分にも影響が及ぶことにならないでしょうか。
保険給付処分と保険料認定処分とが、行政処分レベルで併存しているかぎりでは、どちらにも影響がないものの。どちらかの処分に裁判所の判断が出てしまうと、他方の処分にも取消訴訟の判決の効力が及ぶことになるからです。
もしそうだとすると、保険給付処分を受けた労働者は、事業主が提起した保険料認定処分の取消訴訟に、国側で補助参加する利益があることになりそうです。
・保険料認定処分に対する取消訴訟 ←労働者は国側に補助参加できる(?)
◯
本判決をもって、「保険給付/不支給決定と保険料認定とは相互に無関係」との判断を示したものと理解する人がいるかもしれません。
が、平成13年決定を変更すると明示していない以上、同決定との整合性を保たなければなりません。
そうすると、
・行政処分レベルでは、相互に影響しない。
ア 保険給付処分→保険料認定処分 ⇒及ばない(本判決)
イ 保険料認定処分→保険給付処分 ⇒及ばない(?)
・取消判決が出たら、認定事実を共通とする他の行政処分・取消訴訟には影響を及ぼす。
ウ 保険不支給処分に対する取消判決→保険料認定処分 ⇒及ぶ(平成13年決定)
エ 保険料認定処分に対する取消判決→保険給付処分 ⇒及ぶ(?)
と理解すべきではないでしょうか。
◯
以上、単なる素人の浅読みにすぎません。
あらためて、「取消訴訟の判決の効力」というものをよくよく勉強しておかなければ、と思いました。
最高裁令和6年7月4日第一小法廷判決(労災・メリット制)における「行政/司法」と「実体法/手続法」の交錯
療養補償給付支給処分(不支給決定の変更決定)の取消、休業補償給付支給処分の取消請求事件
令和6年7月4日最高裁判所第一小法廷判決
中身については思いっきり専門外なので、深堀りはせずざっくり感想だけ。
あくまでも、「租税訴訟」にも参考になるかな、という興味本位のみで触れています。
【判断の内容(意訳)】
事業主が、労働者に対する保険支給処分を争うことはできない。
保険支給処分は、労働者に対する早期救済のためのものであって、その効力は、事業主に対する保険料決定に関する法律関係にまでは及ばない。
保険料に不服があるなら、ダイレクトに事業主に対する保険料認定処分を争えばよい。
ここで、保険給付が支給要件を満たしていなかったことを争うことができる。
・
私のような単純脳では、「保険給付処分があるままでは保険料認定処分争えないんじゃない?」とか短絡視してしまうところ。
そうではなく、早期救済用に設計された行政処分があるだけだったら、別の行政処分には影響しないぞと。
それはそれでいいとして。以下のような疑問があります。
【疑問】
1 保険料認定処分を争う中で保険給付が支給要件を満たさないことが明らかになった場合、遡って保険給付処分は違法だったことになるのか?
⇒
判決は、「保険給付処分→保険料認定処分」のことしか判断しておらず、「保険料認定処分(の取消訴訟の認容判決)→保険給付処分」にまでは触れていないわけです。
2 保険不支給処分に対して労働者が取消訴訟を提起した場合、事業主は国側に補助参加できるか?
⇒
これはできるとされています。
保険不支給処分の取消訴訟が認容されて支給処分がされたら、保険料決定処分に影響してしまうからだと。
平成12(行フ)3 補助参加申出の却下決定に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件
平成13年2月22日最高裁判所第一小法廷決定
・保険支給処分に対する取消訴訟 ←事業主は提起できない
・保険不支給処分に対する取消訴訟 ←事業主は国側に補助参加できる
これを整合的に説明するならば、単なる行政処分レベルで「給付する」と判断されても保険料認定処分には及ばないが、不支給処分の取消訴訟が認容された場合には及んでしまう、ということになるでしょうか。
このことからすると、保険料認定処分の取消訴訟で「支給要件なし」として認容された場合には、保険給付処分にも影響が及ぶことにならないでしょうか。
保険給付処分と保険料認定処分とが、行政処分レベルで併存しているかぎりでは、どちらにも影響がないものの。どちらかの処分に裁判所の判断が出てしまうと、他方の処分にも取消訴訟の判決の効力が及ぶことになるからです。
もしそうだとすると、保険給付処分を受けた労働者は、事業主が提起した保険料認定処分の取消訴訟に、国側で補助参加する利益があることになりそうです。
・保険料認定処分に対する取消訴訟 ←労働者は国側に補助参加できる(?)
◯
本判決をもって、「保険給付/不支給決定と保険料認定とは相互に無関係」との判断を示したものと理解する人がいるかもしれません。
が、平成13年決定を変更すると明示していない以上、同決定との整合性を保たなければなりません。
そうすると、
・行政処分レベルでは、相互に影響しない。
ア 保険給付処分→保険料認定処分 ⇒及ばない(本判決)
イ 保険料認定処分→保険給付処分 ⇒及ばない(?)
・取消判決が出たら、認定事実を共通とする他の行政処分・取消訴訟には影響を及ぼす。
ウ 保険不支給処分に対する取消判決→保険料認定処分 ⇒及ぶ(平成13年決定)
エ 保険料認定処分に対する取消判決→保険給付処分 ⇒及ぶ(?)
と理解すべきではないでしょうか。
◯
以上、単なる素人の浅読みにすぎません。
あらためて、「取消訴訟の判決の効力」というものをよくよく勉強しておかなければ、と思いました。
最高裁令和6年7月4日第一小法廷判決(労災・メリット制)における「行政/司法」と「実体法/手続法」の交錯
posted by ウロ at 14:05| Comment(0)
| 判例イジり
2024年06月24日
大法廷判決をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決における《面従腹背》システム
過去4回も、だらだらと記事を書き連ねてきたのは、本判決の多数意見/補足意見の座組みの気持ち悪さのせいです。どれだけ書いても、どうにもすっきりしない。
最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
法廷意見をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決の多数意見vs補足意見
【ひとりでは解けないパズル】
・多数意見は《照らす式》にしたがっており、《総合較量》を明示していない。
・だというのに、大法廷判決の「趣旨に徴して明らか」とか、大法廷判決に従ったふりをしている。
・補足意見も、多数意見は大法廷判決の「総合較量に基づいて」いるとか、うそぶいている。
・補足意見では、多数意見の《総合較量》の中身を明らかにしないまま、独自の考慮要素を勝手に追加している。
・しかも、「事情の変化」のほうは、多数意見も「念頭に置いた」とか、勝手に多数意見を代弁している。
小法廷ごときでは、どんなに古いものであっても大法廷判決を勝手に「判例変更」することはできないはず。なんですが、大法廷判決が要求している《総合較量》を明示していない以上、大法廷判決に素直に従っているとはいいがたい。
そこで、本判決を、大法廷判決に反していないものと理解しつつ、多数意見/補足意見の座組みの気持ち悪さを解きほぐせる筋道がないものかどうか。
以下では、この点にチャレンジしてみます。
最高裁令和6年5月7日第三小法廷判決
法人税法127条1項の規定による青色申告の承認の取消処分については、その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし、その相手方に事前に防御の機会が与えられなかったからといって、憲法31条の法意に反するものとはいえない。このことは、最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁の趣旨に徴して明らかである。本件処分に所論の違憲はなく、論旨は、採用することができない。
渡辺補足意見
多数意見が言及する平成4年大法廷判決は、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である旨判示している。多数意見は、このような枠組みの下での総合較量に基づいており、特定の考慮要素のみに基づくものではないが、私において特に明確にしておきたい2点を補足することとする。
最高裁平成4年7月1日大法廷判決(成田新法事件)
A 憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。
B しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。
C 本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり当該工作物の三態様における使用であり、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全という国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からその確保が極めて強く要請されているものであって、高度かつ緊急の必要性を有するものであることなどを総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものということはできない。また、本法三条一項一、二号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりである。
◯
ここで取っ掛かりになりそうなのが、補足意見でかかげられている追加要素の中身。
まず、「審査請求手続が充実している」という点について。
「何の根拠もなしに適当なこと吹かしてやがんな、こいつ」というのは別として。この理由付けは、本件で問題となった「青色申告の承認の取消処分」だけでなく、国税不服審判所の審査請求手続を経由する全ての処分に使いまわしができるものです。
また、もうひとつの「事情の変化」云々についても。
こちらについては、国税絡みの処分どころか、行政手続法で適用除外とされている全ての処分に、そのまま使いまわしすることができます。
なんか、やたらと射程の広い追加要素を開陳しているわけです。
本件事案: 青色申告の承認の取消処分
拡張パック1:審判所の審査請求を経由する全ての処分
拡張パック2:行政手続法で適用除外されている全ての処分
・
《総合較量》なんだから、まあそんなことも考慮するんだろうな、と一瞬思ったのですが。
あらためて大法廷判決を読んでみると、大法廷判決はそんなこと言っていない。
大法廷判決の掲げている考慮要素は次のとおりです。
【大法廷判決の考慮要素】
・行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度
・行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等
大法廷判決では、あくまでも、当該行政処分のプラスとマイナスを比較することとしています。で、実際にCでそれら要素を較量しています。
ところが、上記追加要素は、当該行政処分だけに関わるものではない、薄ぼんやりした要素であり。これらのうちのどれにもあたらない。「等」に含まれているなんていうのだとしたら、牽強付会すぎる。
・
なぜ、これら追加要素をかかげるのが、多数意見ではなく補足意見なのか。
その理由は、大法廷判決が掲げていない考慮要素を、小法廷判決ごときが勝手に追加することはできないからでしょう。
一人の判事が勝手に追加しただけであって、多数意見はあくまでも大法廷判決様の枠内で判断したのですよと。
では、大法廷判決が掲げていない考慮要素を、しかもむやみやたらと射程の広い考慮要素を、補足意見とはいえわざわざ追加することとしたのか。
これは、下級審の裁判官に対して、一定の《メッセージ》を送っているものと思われます。
・
その《メッセージ》の中身ですが、以下のようなものではないでしょうか。すなわち、「事前手続きがないのは違憲!」だとか大騒ぎする納税者がやってきた場合に、
・事前手続が必要かどうかは全部最高裁で判断するから、お前らごときが大法廷きどりで《総合較量》なんかせんでよい。《照らす式》で軽くあしらってよし。
・国税絡みの処分なら「審査請求手続充実してる」って言っとけ。
・それ以外の処分も「事情の変化」云々を使ってどうぞ。
という感じかと。
納税者にとっても、下級審レベルの憲法解釈でモタモタするくらいなら、最高裁で一気にかたをつけてくれたほうが、効率的なのかもしれません。「憲法解釈すんのに三審制が必要か」というのは、議論としてあるわけだし。
もちろん、補足意見には、多数意見のような「判例」としての効力はないはずです。が、実務家、特に下級審の裁判官に対しては、補足意見とはいえ絶大な感染力があります(テックジャパン事件・櫻井補足意見が起こした乱痴気騒ぎを想起せよ)。
しかも、古の大法廷判決の多数意見なんかより、直近の小法廷判決の補足意見のほうが強力だというのが、悲しいかな現実。
◯
ということで、多数意見/補足意見の座組みの気持ち悪さの正体。
多数意見はいかにも大法廷判決に従った風を装っているのに対して。補足意見は下級審に向けて大法廷判決に従うなと暗にメッセージを送っているあたり。
この、上にはヘコヘコ、下にはいばり散らす感じの「二枚舌」仕草を、多数意見と補足意見とが手をとりあってやっている感じが、気持ち悪いのかなあと。
【最高裁・面従腹背システム】
大法廷判決
↑ 総合較量やってまっせ! (面従)
本判決/多数意見 《照らす式》
本判決/補足意見 《追加要素》
↓ お前らは総合較量すんな! (腹背)
下級審
【税法に潜む二枚舌】
ヤバイ同居 〜続・家なき子特例の平成30年改正
「生活に通常必要な動産」で「生活に通常必要でない動産」
「譲渡−インボイス=???」 〜消費税法の理論構造(種蒔き編7)
現行法の枠組みの中で、憲法訴訟を効果的にまわしていくための知恵として、合理的な遣り口なのかもしれません。が、外野からすれば、どうしたって「キマイラ感」が強くて気持ち悪い。
【税法に潜むキマイラ】
「合計所得金額」に退職所得は含まれるし含まれない。〜令和4年度税制改正大綱を素材に
例による×読替規定の鬼コンボ(その1) 〜地方税法の「合計所得金額」
例による×読替規定の鬼コンボ(その2) 〜地方税法の「合計所得金額」
・
前回は、「補足意見が多数意見をHACKしているのでは」という見立てをしました。が、そうではなく。多数意見と補足意見が握り合って、大法廷判決をHACKしているのではないかというのが、今回の見立て。
大法廷判決をかいくぐって、下級審に指揮命令をするための遣り口なんじゃないかと。
まあ、我々納税者は、裁判所内部のタテの関係なんか、知ったこっちゃないわけで。本判決(の補足意見)に臆することなく、他の行政処分でも「事前手続必要チャレンジ」をかましていったらよろしいのではないでしょうか(櫻井補足意見に対するビビリ散らしの教訓)。
どれかしらは、大法廷判決流の《総合較量》をしてくれるかもよ(ただし、違憲判断が出るとまでは言っていない)。
・
多数意見・補足意見がこんなことをやっているというのに。宇賀反対意見は、高裁判決を仮想敵に仕立て上げて叩きまくっているだけ。
同級生にはハブられているので、近所の低学年の子たちを集めて、無双している感じのアレ。
大法廷判決には何らの論証も無しに立ち向かっているくせに。多数意見+補足意見の「面従腹背」にはダンマリ。どう考えても逆だと思うのですが。
大法廷判決 ←論証なしに反逆
本判決(多数意見・補足意見) ←ダンマリ
高裁判決 ←ボロクソ
古の大法廷判決に逆らうのは怖くないが、身近な同僚を批判するのは、躊躇いがあるとでもいうのか。正面から、多数意見+補足意見を批判尽くして欲しかったところです。
まあ、早々に合議からハブられていて、反対意見執筆にあたって多数意見・補足意見を事前に見せてもらえなかった、というイジメが発生していたというのならば、致し方ない。というか、そう思わないと不自然なくらい、多数意見・補足意見が反対意見内に出てこない。宇賀反対意見が叩き潰さなければならないのは、仮想の高裁判決ではなく、眼の前の多数意見・補足意見だというのに。
ということで、宇賀反対意見に対するむやみな言いがかりは保留しておきます。
◯
以上、こんなものは、私なりの「レトリック流」判決読みこなし術(または激しい妄想)であり。一般に通用するものとは思えません。
【あくまで参考】
フリチョフ・ハフト「レトリック流法律学習法」(木鐸社1993) Amazon
フリチョフ・ハフト「法律家のレトリック」(木鐸社1992) Amazon
フリチョフ・ハフト「レトリック流交渉術」(木鐸社1993) Amazon
が、本判決における多数意見/補足意見の座組みのキモさを整合的に説明するには、こういったアクロバティックな読み方によらないと、無理ですよね。
・
いずれにしても、あらためて、「最高裁判例」というものについて、勉強しなおしが必要だなと感じました。
池田眞朗ほか「判例学習のAtoZ」(有斐閣2010)Amazon
藤田宙靖「最高裁回想録 学者判事の七年半」(有斐閣2012)Amazon
藤田宙靖「裁判と法律学 「最高裁回想録」補遺」(有斐閣2016)Amazon
奥田昌道「紛争解決と規範創造」(有斐閣2009)Amazon
とはいえ、上記の藤田先生にしても奥田先生にしても、(自分は学者出身だけど)「一般法理を提示するよりも、当該事案の適切な解決を志向していた」とお書きになっていた記憶(違っていたら失礼)。本判決における「事案ガン無視」の姿勢とは、様相がまるで異なるように思います。
「最高裁は常に当該事案の適切な解決を第一とすべし」と考えること自体が、むしろ学者チックなドグマなのかもしれません。「射程を広げたければ広くいう、狭めたければ狭くいう」というのが、いいかどうかは別として、より実務家仕草として相応しいのでしょう。
最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
法廷意見をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決の多数意見vs補足意見
【ひとりでは解けないパズル】
・多数意見は《照らす式》にしたがっており、《総合較量》を明示していない。
・だというのに、大法廷判決の「趣旨に徴して明らか」とか、大法廷判決に従ったふりをしている。
・補足意見も、多数意見は大法廷判決の「総合較量に基づいて」いるとか、うそぶいている。
・補足意見では、多数意見の《総合較量》の中身を明らかにしないまま、独自の考慮要素を勝手に追加している。
・しかも、「事情の変化」のほうは、多数意見も「念頭に置いた」とか、勝手に多数意見を代弁している。
小法廷ごときでは、どんなに古いものであっても大法廷判決を勝手に「判例変更」することはできないはず。なんですが、大法廷判決が要求している《総合較量》を明示していない以上、大法廷判決に素直に従っているとはいいがたい。
そこで、本判決を、大法廷判決に反していないものと理解しつつ、多数意見/補足意見の座組みの気持ち悪さを解きほぐせる筋道がないものかどうか。
以下では、この点にチャレンジしてみます。
最高裁令和6年5月7日第三小法廷判決
法人税法127条1項の規定による青色申告の承認の取消処分については、その処分により制限を受ける権利利益の内容、性質等に照らし、その相手方に事前に防御の機会が与えられなかったからといって、憲法31条の法意に反するものとはいえない。このことは、最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁の趣旨に徴して明らかである。本件処分に所論の違憲はなく、論旨は、採用することができない。
渡辺補足意見
多数意見が言及する平成4年大法廷判決は、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である旨判示している。多数意見は、このような枠組みの下での総合較量に基づいており、特定の考慮要素のみに基づくものではないが、私において特に明確にしておきたい2点を補足することとする。
最高裁平成4年7月1日大法廷判決(成田新法事件)
A 憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。
B しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。
C 本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり当該工作物の三態様における使用であり、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全という国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からその確保が極めて強く要請されているものであって、高度かつ緊急の必要性を有するものであることなどを総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものということはできない。また、本法三条一項一、二号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりである。
◯
ここで取っ掛かりになりそうなのが、補足意見でかかげられている追加要素の中身。
まず、「審査請求手続が充実している」という点について。
「何の根拠もなしに適当なこと吹かしてやがんな、こいつ」というのは別として。この理由付けは、本件で問題となった「青色申告の承認の取消処分」だけでなく、国税不服審判所の審査請求手続を経由する全ての処分に使いまわしができるものです。
また、もうひとつの「事情の変化」云々についても。
こちらについては、国税絡みの処分どころか、行政手続法で適用除外とされている全ての処分に、そのまま使いまわしすることができます。
なんか、やたらと射程の広い追加要素を開陳しているわけです。
本件事案: 青色申告の承認の取消処分
拡張パック1:審判所の審査請求を経由する全ての処分
拡張パック2:行政手続法で適用除外されている全ての処分
・
《総合較量》なんだから、まあそんなことも考慮するんだろうな、と一瞬思ったのですが。
あらためて大法廷判決を読んでみると、大法廷判決はそんなこと言っていない。
大法廷判決の掲げている考慮要素は次のとおりです。
【大法廷判決の考慮要素】
・行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度
・行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等
大法廷判決では、あくまでも、当該行政処分のプラスとマイナスを比較することとしています。で、実際にCでそれら要素を較量しています。
ところが、上記追加要素は、当該行政処分だけに関わるものではない、薄ぼんやりした要素であり。これらのうちのどれにもあたらない。「等」に含まれているなんていうのだとしたら、牽強付会すぎる。
・
なぜ、これら追加要素をかかげるのが、多数意見ではなく補足意見なのか。
その理由は、大法廷判決が掲げていない考慮要素を、小法廷判決ごときが勝手に追加することはできないからでしょう。
一人の判事が勝手に追加しただけであって、多数意見はあくまでも大法廷判決様の枠内で判断したのですよと。
では、大法廷判決が掲げていない考慮要素を、しかもむやみやたらと射程の広い考慮要素を、補足意見とはいえわざわざ追加することとしたのか。
これは、下級審の裁判官に対して、一定の《メッセージ》を送っているものと思われます。
・
その《メッセージ》の中身ですが、以下のようなものではないでしょうか。すなわち、「事前手続きがないのは違憲!」だとか大騒ぎする納税者がやってきた場合に、
・事前手続が必要かどうかは全部最高裁で判断するから、お前らごときが大法廷きどりで《総合較量》なんかせんでよい。《照らす式》で軽くあしらってよし。
・国税絡みの処分なら「審査請求手続充実してる」って言っとけ。
・それ以外の処分も「事情の変化」云々を使ってどうぞ。
という感じかと。
納税者にとっても、下級審レベルの憲法解釈でモタモタするくらいなら、最高裁で一気にかたをつけてくれたほうが、効率的なのかもしれません。「憲法解釈すんのに三審制が必要か」というのは、議論としてあるわけだし。
もちろん、補足意見には、多数意見のような「判例」としての効力はないはずです。が、実務家、特に下級審の裁判官に対しては、補足意見とはいえ絶大な感染力があります(テックジャパン事件・櫻井補足意見が起こした乱痴気騒ぎを想起せよ)。
しかも、古の大法廷判決の多数意見なんかより、直近の小法廷判決の補足意見のほうが強力だというのが、悲しいかな現実。
◯
ということで、多数意見/補足意見の座組みの気持ち悪さの正体。
多数意見はいかにも大法廷判決に従った風を装っているのに対して。補足意見は下級審に向けて大法廷判決に従うなと暗にメッセージを送っているあたり。
この、上にはヘコヘコ、下にはいばり散らす感じの「二枚舌」仕草を、多数意見と補足意見とが手をとりあってやっている感じが、気持ち悪いのかなあと。
【最高裁・面従腹背システム】
大法廷判決
↑ 総合較量やってまっせ! (面従)
本判決/多数意見 《照らす式》
本判決/補足意見 《追加要素》
↓ お前らは総合較量すんな! (腹背)
下級審
【税法に潜む二枚舌】
ヤバイ同居 〜続・家なき子特例の平成30年改正
「生活に通常必要な動産」で「生活に通常必要でない動産」
「譲渡−インボイス=???」 〜消費税法の理論構造(種蒔き編7)
現行法の枠組みの中で、憲法訴訟を効果的にまわしていくための知恵として、合理的な遣り口なのかもしれません。が、外野からすれば、どうしたって「キマイラ感」が強くて気持ち悪い。
【税法に潜むキマイラ】
「合計所得金額」に退職所得は含まれるし含まれない。〜令和4年度税制改正大綱を素材に
例による×読替規定の鬼コンボ(その1) 〜地方税法の「合計所得金額」
例による×読替規定の鬼コンボ(その2) 〜地方税法の「合計所得金額」
・
前回は、「補足意見が多数意見をHACKしているのでは」という見立てをしました。が、そうではなく。多数意見と補足意見が握り合って、大法廷判決をHACKしているのではないかというのが、今回の見立て。
大法廷判決をかいくぐって、下級審に指揮命令をするための遣り口なんじゃないかと。
まあ、我々納税者は、裁判所内部のタテの関係なんか、知ったこっちゃないわけで。本判決(の補足意見)に臆することなく、他の行政処分でも「事前手続必要チャレンジ」をかましていったらよろしいのではないでしょうか(櫻井補足意見に対するビビリ散らしの教訓)。
どれかしらは、大法廷判決流の《総合較量》をしてくれるかもよ(ただし、違憲判断が出るとまでは言っていない)。
・
多数意見・補足意見がこんなことをやっているというのに。宇賀反対意見は、高裁判決を仮想敵に仕立て上げて叩きまくっているだけ。
同級生にはハブられているので、近所の低学年の子たちを集めて、無双している感じのアレ。
大法廷判決には何らの論証も無しに立ち向かっているくせに。多数意見+補足意見の「面従腹背」にはダンマリ。どう考えても逆だと思うのですが。
大法廷判決 ←論証なしに反逆
本判決(多数意見・補足意見) ←ダンマリ
高裁判決 ←ボロクソ
古の大法廷判決に逆らうのは怖くないが、身近な同僚を批判するのは、躊躇いがあるとでもいうのか。正面から、多数意見+補足意見を批判尽くして欲しかったところです。
まあ、早々に合議からハブられていて、反対意見執筆にあたって多数意見・補足意見を事前に見せてもらえなかった、というイジメが発生していたというのならば、致し方ない。というか、そう思わないと不自然なくらい、多数意見・補足意見が反対意見内に出てこない。宇賀反対意見が叩き潰さなければならないのは、仮想の高裁判決ではなく、眼の前の多数意見・補足意見だというのに。
ということで、宇賀反対意見に対するむやみな言いがかりは保留しておきます。
◯
以上、こんなものは、私なりの「レトリック流」判決読みこなし術(または激しい妄想)であり。一般に通用するものとは思えません。
【あくまで参考】
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フリチョフ・ハフト「法律家のレトリック」(木鐸社1992) Amazon
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が、本判決における多数意見/補足意見の座組みのキモさを整合的に説明するには、こういったアクロバティックな読み方によらないと、無理ですよね。
・
いずれにしても、あらためて、「最高裁判例」というものについて、勉強しなおしが必要だなと感じました。
池田眞朗ほか「判例学習のAtoZ」(有斐閣2010)Amazon
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奥田昌道「紛争解決と規範創造」(有斐閣2009)Amazon
とはいえ、上記の藤田先生にしても奥田先生にしても、(自分は学者出身だけど)「一般法理を提示するよりも、当該事案の適切な解決を志向していた」とお書きになっていた記憶(違っていたら失礼)。本判決における「事案ガン無視」の姿勢とは、様相がまるで異なるように思います。
「最高裁は常に当該事案の適切な解決を第一とすべし」と考えること自体が、むしろ学者チックなドグマなのかもしれません。「射程を広げたければ広くいう、狭めたければ狭くいう」というのが、いいかどうかは別として、より実務家仕草として相応しいのでしょう。
posted by ウロ at 09:45| Comment(0)
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