2023年07月17日

倉重公太朗,白石紘一「実務詳解 職業安定法」(弘文堂2023)

※以下は「実務書を《読みもの》として読む」という、イカれた趣味の持ち主によるヤジ・ガヤの類となりますので、ノーマルの実務家の方は気にせず本書をご購入いただいて大丈夫です。


 はしがきにいきなり「職安法で実務に使える良い本がない」と書かれているのですが。



 倉重公太朗,白石紘一「実務詳解 職業安定法」(弘文堂2023)

 現行で出ている職安法の本って、下記書籍くらいしかないのであって。



 労働新聞社「職業安定法の実務解説 改訂第7版」(労働新聞社2023)

 要するに、同書を実質名指しで「実務で使えない」とディスっているという理解でよいでしょうか。本書の中の【文献】にも出てきませんし。


 下記の◯×は、本書に対する私の評価一覧。
 共著ゆえ、章(節)ごとに大きく評価が分かれる結果となりました。

 もちろん、こんなものは私が勝手に本書に期待したこととのギャップを表したものにすぎず。一般的な評価とは異なります。

  序 章 職安法の過去・現在・未来
   第1節 職安法規制はなぜ始まり、何を防ぎたかったのか ◯
   第2節 職業キャリア形成の現状とこれから ―
  第1章 令和4年改正職安法の全体像 ×
  第2章 雇用仲介サービスの全体像 ―
  第3章 職業紹介 ×
  第4章 募集情報等提供 ×
  第5章 労働者供給 ×
  第6章 労働者の募集 ◎
  第6章補論 企業グループの募集採用をめぐる問題 ◎
  第7章 個人情報の取扱い ×
  第8章 職安法違反における行政の対応 ×
  終 章 雇用仲介規制とこれからの職安法 ◎


 ということで、以下個別に記述します。


 序 章 職安法の過去・現在・未来
  第1節 職安法規制はなぜ始まり、何を防ぎたかったのか ◯


 いわゆる「史」の部分。流れるような記述でとてもわかりやすかったです。


 序 章 職安法の過去・現在・未来
  第2節 職業キャリア形成の現状とこれから ―
 第2章 雇用仲介サービスの全体像 ―

 「―」というのは、無評価という意味です。

 確かに、キャリア形成・人材サービスに関する現状を知るという意味では非常に有益な記述でした。
 なのに、なぜ無評価なのかというと。

 他章において、これら現状認識を前提とした解釈論が展開されるということもなく。なのに、あえて法律実務書たる本書にねじ込む必要があったのか疑問に思った、という意味合いからです。


 第1章 令和4年改正職安法の全体像 ×
 
 コピペなはずなのに、P52の3号の図が間違っているのはなぜなのか、というのはさておき。
 取り急ぎ単年度の改正法だけ知りたい人にとっては、よくまとまっているなあ、というところだと思います。

 が、「使える実務書」を志向するのであれば、この箇所に配置すべきなのは、単なる単年度の改正内容のご紹介ではなく。
 職業安定法の法的性質や規律の仕方の特徴、指針・要領を含めた全体の構成、あるいは人材サービスに関する規制全体の中における職業安定法の位置づけなどを論ずるべきではないでしょうか(職業安定法総論または労働市場法総論)。

 私の勝手なイメージだと、第1章がそのままだとして、序章第2節や第2章あたりがそっくりそのまま《総論》に置き換わってくれると、「法律書」としてしっくりきます。

 という意味合いで×としました。
 内容自体がいいとか悪いではなく。そもそも、単年度の改正内容のご紹介にいいも悪いもありません。

 また、まとめて最後に述べますが、本章にも「シン・職安法」というフレーズが出てきます。が、このことについての何かしらの理論的考察が展開されるということもなく。淡々と、令和4年改正の内容が説明されています。


 第3章 職業紹介 ×
 第4章 募集情報等提供 ×
 第5章 労働者供給 ×
 第6章 労働者の募集 ◎
 第6章補論 企業グループの募集採用をめぐる問題 ◎


 各行為類型の規律内容を解説する箇所です。総論をすっ飛ばしていきなり行為類型の解説に入るのは、やはり法律書として落ち着かない(個人の感想です)。

 「3・4・5」と「6・6補論」とでぱっくり評価が分かれる結果となりました(以下、それぞれを前者/後者といいます)。


 前者は、もっぱら運営(厚生労働省)の情報をベースとして記述が構成されています。に対して、後者では運営の情報を前提としつつも、疑問点がある場合はきちんと指摘がされています。

 デフォルメして表すと、

前者が、
 ◯◯は△△しなければならない(法◯条)。
 また、◯◯は□□しなければならない(要領◯)。
と法の規律と単なる要項の記述を並列的に扱っているのに対し、

後者では、
 ◯◯は△△しなければならない(法◯条)。
 また、厚生労働省は、◯◯は□□しなければならないとの見解を示しているが(要領◯)、××の点で疑問がある。
と、要項はあくまでも運営の解釈にすぎないことを明記しつつ、疑問点をしっかり指摘しています。

 勝手な推測ですが、前者から条文・指針・要領などの記述を排除していったら、地の文がほとんど残らないんじゃないですかね。


 条文をそのまま引用しているのではなく、その内容を解説をしているはずの箇所で、次のような記述をみると、ものすごい損した気持ちになります。

P.143 (第3章)
 職業紹介事業者は、職安法32条の16第3項(法33条4項、38条の2第7項および33条の3第2項において準用する場合を含む。本章第16節2参照)の規定による情報の提供を行うにあたり、その紹介により就職した者のうち期間の定めのない労働契約を締結した者(以下、本項において「無期雇用就職者」という)が職安則24条の8第3項2号(令25条1項、25条の2第6項および25条の3第2項において準用する場合を除く)に規定する者に該当するかどうかを確認するため、当該無期雇用就職者に係る雇用主に対し、必要な調査を行わなければならない(職交指針第6-11(1))。


 「職安則24条の8第3項2号(令25条1項、25条の2第6項および25条の3第2項において準用する場合を除く)に規定する」などという記述を地の文にそのまま貼り付けるなんて、正気とは思えません。

 これに対して第6章。
 法42条の2では法20条を準用するとしているのですが、準用して読み替えた後の記述に置き換えてくれています(P.318)。同じ書籍の中でこんなに親切具合が違うとか、高低差ありすぎでしょう。

 なお、本書がサイレント「使えない」呼ばわりしている『実務解説』の記述。

 職業紹介事業者は、(1)の情報の提供を行うに当たり、無期雇用就職者が(1)のロに掲げる者に該当するかどうかを確認するため、当該無期雇用就職者に係る雇用主に対し、必要な調査を行わなければなりません(様式例第6号参照)。

 法条の部分を(1)、(1)ロとして括りだすことで、だいぶすっきりした記述になっています。


 職業紹介/募集情報等提供の区分(第3章)、労働者供給/労働者派遣/請負/出向などの区分(第5章)なんて、花形の論点だと思うのですが。
 残念ながら、要領中心の記述にとどまってしまっています。要領記載の労働者供給の2類型とか、未だにしっくりこない。

 これに対して第6章だと。
 「固定残業代」につき、要領だと金額・時間・超過精算すべて明記しなさいとあるが、固定残業代の有効要件以上のものを要求している、といった指摘がされています。
 あるいは、要領だと「愛読書」を聞くのは職業差別につながるから避けろと書いてあるが、必ずしもそうではない、といった指摘もされています。

 運営の情報をそのまま並べている記述と、きちんと疑問点を指摘している記述とで、どちらが「使える実務書」といえるでしょうか。
 その認識は個々の執筆者ごとにお任せしたので、前者と後者とで執筆内容が大きく異なってしまったということでしょうか。


 さて。第6章補論。

 なぜか2段組の細かい文字に圧縮されてしまっていて、一見コラム的な軽いものかと思いきや。
 その内容は、企業グループで採用活動する場合にどうすれば「委託募集」にあたらないようにできるか、といった非常に実践的なものとなっています。職安法違反の場合の民事的効力にまで触れているなど、非常に周到な内容になっています。

 にも関わらず、これを「補論」扱いにして、しかも文字を圧縮しているというあたりから、本書の方向性を推して知るべきだったのでしょうか。


 第7章 個人情報の取扱い ×

 個人情報保護法の規律と、職業安定法(というか指針とQA)の規律が平行的に記述されていて、それぞれの内容はよくわかるのですが。

 「実務で使える」ようにするためには、2つの規律を別々に走らせておくのではなく、統合したかたちで運用できるのが望ましいわけです。
 企業会計/会社法会計/税法会計と3つの会計があるからといって、3つの会計を別々に処理なんかしていられない、というのと同じことです。大きな会社なら企業会計ベースで処理して申告時のみ申告調整、小さな会社ならはじめから税法会計ベースで処理して申告調整を(ほとんど)しない、とか。

 「足して1」にはできないとしても、2倍までの労力をかけずに、両法の規律を同時に満たせるような運用方法を提示してほしいところ。
 個人情報保護法:一般法/職業安定法:特別法という関係にあると思うのですが、せめて、一般法と特別法の規律を溶け込ませてひとつの規律として記述ができないものかどうか。


 また、法律上は同じ規律であっても、それぞれの立場によって実際に要求される内容は異なってくるはずです。単純な話、自社募集の場合と委託募集の場合でも、個人情報の取扱い方に微妙な違いが出てくると思います。
 このあたりの具体的な書き分けをしておいて欲しいところです。

 本来なら、第7章で情報保護・総論を展開してから第3〜6章で各論を展開すべきものなんでしょうけども。実際には、第3〜6章では「詳しくは第7章で」とあり、他方で第7章ではどの類型にでも当てはまるような形で記述されています。


 「リクナビ事件」については、同章でご紹介がされています。
 個人的に、本件は結局のところ職業安定法何条に違反していたのか疑問があったのですが、同章では「(法51条の2への違反と思われる)」という当て推量しか書かれていませんでした。
 これが51条の間違いなのかどうか知りませんが、具体的なあてはめもなく単なる法条摘示がされているだけなので、何がどう違反していたのかがはっきりしません。

 第3章〜第5章からも感じたことですが。
 法に違反して違法なのか、単に要領に違反しているだけで望ましくないレベルどまりなのか。これが大きく違うということに、あまり意識が向いていないように感じてしまいました。
 これがお役所内部の資料であれば、法令も通達等の内部文書も同格扱いされるのは分かるのですが。


 第8章 職安法違反における行政の対応 ×

 職業安定法の、行政法としての基本的な性質とか、本書で盛んに引用されている指針・要領の位置づけなど、基礎理論にあたる部分をすっ飛ばして、運営側の対応手法の解説だけされてもなあ、という印象。
 どこまでいっても、総論不在が響いてくる。

 指導・助言に従わなかったら罰則の適用対象にもなる、みたいなことが書かれているのですが(P405)、指導・助言に従わなかっただけでは罰則の対象にはならないはずです。
 指導・助言の対象が法違反行為であってはじめて改善命令→罰則に流れていくのであって(法違反行為がダイレクトに罰則につながるものもあり)。「望ましくない」レベルで実施した指導・助言に従わなかったからといって、罰則が適用されることにはなりません。

 このあたりも、法違反/要領違反の違いがあまり意識されていないことから、単なる指導・助言違反も罰すべき、みたいな考えが出てきてしまうのでは、と感じてしまいます。


 終 章 雇用仲介規制とこれからの職安法 ◎

 「終章」などと位置づけられているので、あまり期待せずに読んだのですが。
 とても鋭い分析が展開されており、むしろここから本書を組み立てるべきだったのでは、と思わされました。

 たとえば、募集情報等提供事業につき、6つの要素を抽出して類型ごとの理論的分析をしたり。あるいは、「介在度」という概念を使って、職業紹介/募集情報等提供の区分をしたり。
 本来であれば、こういった理論的分析を、本書の全面にわたって展開すべきものでしょう。というか、終章とかいって端っこに押し込められているの、非常にもったいない。

 本書における終章や第6章補論の窓際的な扱い、私にはよく理解できません。

 ちなみに、本章執筆の今野浩一郎先生といえば、下記書籍もとてもよいものでした。



 今野浩一郎「同一労働同一賃金を活かす人事管理」(日本経済新聞出版2021)


 特に、同じく行為類型を記述している第3章〜第6章補論のクオリティの違いをみて、ふと思ったことですが。

 職業安定法について、どのような立場の人間が読むかを捨象して記述するのは、もはや無理があるのではないでしょうか。
 自社募集する企業にとって、職業紹介事業の許可申請の手数料がいくらかなんて、どうでもいいことですし。他方で、これから許可申請する企業が本書だけで許可申請できるようにはならないでしょうし。
 『逐条解説』モノの場合は別として、特定の立場に特化した形で構成しないと、誰にとっても中途半端ということになりかねない。


 とはいえ、こんなニッチな分野の実務書、対象読者を絞ってしまったら部数がでなくなってしまうのでしょう。それゆえ、どうしても「職業安定法に関わるすべての人に」みたいな感じで、幅広に設定せざるをえないのかもしれません。

 『内定辞退率を勝手に予測されて企業に提供された求職者のための・職業安定法』なんて本、まあ売れませんよね。

 本書は、第6章・第6章補論が実践的な、充実した記述であることからすると、自社(グループ含む)で募集をする企業にとっては非常に有益と思われます。


 ところで、本書にそこかしこにでてくるフレーズ。

 市場における情報流通をめぐる諸問題の解決を目指す法システム―情報法とでもいうべきもの―の一環たる、「シン・職安法」

 このような認識が、本書の個別具体的な解釈論に活かされているとか、情報法学の知見を活かした記述になっているとか、そういうことは特になく。

【それぞれ、法学プロパーからすると独特な立ち位置ですが】


 林紘一郎「情報法のリーガル・マインド」(勁草書房2017)
 小向太郎「情報法入門 第6版」(NTT出版2022)

 私も、本書がこんなフレーズを謳っていなければ、なにか特別な期待を持つことはなく。そして勝手に裏切られた気持ちになることもなく。普通の職安法解説書として流していたはずですし、こんなブログ記事を書く羽目にもならなかったはずです。

 ここでもやはり、総論不在ゆえ、「総論で議論を敷衍してから各論で具体的に展開する」ということが出来ていないのではないか、というのが私の邪推。
 中小企業の社長がいきなり、『うちのCredoは今日から「顧客に寄り添う」になったから!』とだけいって、具体的にどうするかはお前たちで考えろ、とぶん投げる的な。

 フレーズが一人歩きしている(や、歩いてすらいない?)のが現状なので、第2版では正面から議論を展開してくれることを期待しています。

 が、カタカナで「シン・」とかいうの、いつまで通用するんですかね。
 とある古い民法入門書で、わかりやすく記述するためにでしょうが「オープンリール」という単語が出てきたのですが、私にはなんのことやら分かりませんでした。

 ので、第2版が出版されるころには、もはや「シン・」なんて通用しなくなっているかもしれません。


 一応、擁護的なことを書いておくと。

 いわゆる「労働法コンメンタール」シリーズの主要領域うち、雇用保険法と職業安定法は古いまま放置されています(どうせ品切れで買えないかクレイジープライスでしょうから、貼りません)。




六訂新版 労働組合法 労働関係調整法 (労務行政2015)
令和3年版 労働基準法 上巻 (労務行政2022)
令和3年版 労働基準法 下巻 (労務行政2022)
八訂新版 労働者災害補償保険法 (労務行政2022)
改訂2版 労働者派遣法 (労務行政2021)
改訂2版 労働安全衛生法(労務行政2021)
改訂14版 労働保険徴収法(労務行政2018)

 それゆえ、同シリーズの役割である「ひたすらお役所の見解を網羅する」ポジションの本が存在しない状態になっています。ので、本書がその役割も兼ねざるをえず、運営の情報をペースとした記述が中心となってしまった、という擁護はできるかもしれません。

 ということで、いつかコンメンタールが出版されましたら、本書はその役割から開放されて、より突っ込んだ内容に生まれ変わることを期待しております。

 なお、さすがの私でも、同シリーズに対して「運営の情報しか載ってねえじゃんか!」などとクレームをつけることはおよそありません。むしろ、「シン・職安法」などの余事記載を含まずに、純然たる運営の情報を得られる、というのが同シリーズの最大のメリットなわけです。

 そして、同書で運営側の手の内を理解した上で、ではどう対応するかを記述するのが、在野の法律実務書の役割となります。


 次のような書籍が今度でるらしく。



山本龍彦,大島義則「人事データ保護法入門」(勁草書房2023)

 本書が謳っておきながらも不足している、《情報法》としての側面を補うような内容になっていると期待してもよろしいでしょうか。ただ、法学書でタイトルに『入門』て入っている書籍には警戒的にならざるを得ません。

 というのも、法学書で『入門』とタイトルが入っている書籍、
  1 正しい意味での初学者向けの入門書
  2 単なるセドチン(制度陳列)系の言い訳として
  3 ガチ勢が読むほどのレベルじゃありませんよ、という後ろ向きの趣旨
などなど(あくまで一例)、実際に読んで見るまでどういう意味合いで使っているかが分からないからです。出版社の宣伝文句は当然として、「まえがき」に書いてある自己規定も当てにならず、中身を読むまでは判断ができないものです。

 ということで、同書も中身がわかるまでは様子見です。

 というか、本記事は「シン・職安法」などというフレーズに飛びついて予約購入してしまった自分への戒め文でもあります。宣伝文句に警戒的だったはずなのに、今度こそはと飛びついてしまったわけです。

 もちろん、上記評価一覧のとおり、とても良かった箇所もあったわけで。本書からの学びの一つは、「共著は一部執筆者だけで判断してはいけない。」ということです。
 ネット上でも「試し読み」が提供されていることがありますが、本当に一部分だけ。なので、共著の場合には正当な購入可否の判断ができません。

 なかには、共著にもかかわらず悪い方向で記述レベルが統一されている、という書籍もあったりますが。

「新 実務家のための税務相談(民法編) 第2版」(有斐閣2020)

 極めてレアケースでしょうよ。
posted by ウロ at 10:07| Comment(0) | 労働法

2023年07月03日

森戸英幸「プレップ労働法 第7版」(弘文堂2023)

 (絶え間なく続く(everlasting)おふざけ文章に耐えられるならば)最良の労働法の入門書だと思います。



 森戸英幸「プレップ労働法 第7版」(弘文堂2023)

 たとえば、自分が中2の頃に戻ったと想像してみてください。
 友人の多串くん(仮名)から「録音したから聞いてみて」と言われて渡された『ルッキン多串のオールナイトニッポン!!』と書かれたカセットテープ(録音媒体は各自の時代ごとに置き換えてください)を、微笑ましい気持ちで聞いてあげられるかどうか。なお、CMも多串くんが作っています。

 「うん、耐えられそう」というなら、ぜひ本書を読んでみてください。


 どの程度のおふざけなのかをご紹介するのに、どこを切り取るか悩ましいのですが。
 たとえば、以下の記述(P.293)。

 ●訂正しお詫び申し上げます
 労組法18条の地域的一般的拘束力につき、第6版までは「ほとんど使われないのでこの際無視する」と記載しておりましたが、最近この規定が発動され、家電量販店の年間所定休日に関する労働協約が茨城県で拡張適用されました(中労委令和3・8・4「労働協約の地域的拡張適用に関する決定を求める申立て」に係る決議、厚生労働大臣決定令和3・9・22)。軽率な表現を渋々お詫びするとともに、皆様のご意見・ご指摘を表面上は真撃に受け止め、今後このようなことがなきよう努めるフリをします。


 通常の教科書であれば、決議・決定を内容を紹介するはずのところ、こういう書きぶりになっています。
 というか、第6版を読んでいた人が第7版も読んでいる前提でお詫びしてますよね。
 けども、普通の労働法入門者が、第6版に続き第7版も読むってことはないんじゃないですかね。毎版読むとしたら、森戸先生大好きっ子か、おじさんのおはしゃぎ大好きっ子か、あるいは我々のような入門書ソムリエくらいしかいないんじゃないですか(最後の奴の嫌な野郎感が際立つ)。


 上記のようなおふざけが極まった記述がある一方、次のような記述も。
 高プロについての説明(P.221)。

 「高度にプロフェッショナルだぜ!」「時間に囚われないクリエイティブな仕事だぜ!」といえる特定の業務に従事し、相当高い給料をもらっている労働者については、本人の同意、労使委員会の決議及びその行政官庁への届出、健康確保措置の実施があれば、労働時間、休憩、休日及び深夜の割増質金に関する規制が適用されない(労基41条の2)。

 これ、私が勝手に中略したとかではなく。
 途中までは頑張って噛み砕いて説明してくれていたのに、急に《専門用語の悪魔》に脳を乗っ取られたみたいな感じになっています。前半/後半で完全に別人。
 森戸先生をもってしても、高プロを完全に噛み砕ききれていない。

 話はややズレますが、先日書いた一般向けの電帳法・インボイス本の紹介記事の中で。

小島孝子「電帳法とインボイス制度のきほん(令和5年度税制改正大綱対応版)」(税務研究会出版局2023)

 制度が複雑になりすぎて、入門書ライターの方が一般向けに噛み砕いて説明するのはもはや無理があるのでは、という話をしました。
 労働法領域についても、クラシカル、レガシーな制度ならばともかく、当代の複雑怪奇な制度を入門書レベルで説明するには限界があるのだろうな、という気がしています。


 本書は(抵抗感のないかぎり)極めて理解しやすい言葉で書かれているわけですが、そのせいで、たとえば学部試験などでそのまま吐き出すことはできません。
 この点で、ちょうど相性がよさそうだな、と思ったのが下記ドリル。



 渡辺悠人「アガルートの司法試験・予備試験 総合講義1問1答 労働法 第2版」(サンクチュアリ出版2021)

 用語の正確な定義などについて、一問一答形式でトレーニングできるようになっています。ので、頭の中で理解していることを、そのままよそ行き用の言葉に置き換えることができると思います。
 最初にガチガチの定義から入るよりも、しっかり自分の頭で理解してからのほうが、難しい言い回しも覚えやすくなるのではないでしょうか。

 ちなみに、1問1答をやってみて思ったのが、本書のカバー領域が意外にも広いなあということです。

【プレップシリーズ】
米倉明「プレップ民法(第5版)」(弘文堂2018)


  以下は本書の評価とは直接関わらない余談。
 賃金の直接払の原則に関する記述(P.195)。

 賃金債権が差し押えられた場合には、使用者が債権者や国税徴収職員に直接支払いをしてもよいと解釈されている(「お上」が絡むと明文がなくてもよいということ?)。ただし国税徴収法や民事執行法は「給料」「賃金」「退職手当」等については一定の差押え限度額を定めている(民執152条、国税徴76条)。全額差し押さえられて全然もらえないということはないわけだ。

「明文がない」とかそんなわけあるか、と一瞬思ったのですが。
 以下、一般債権者を前提とします(なお、上記で「税務署」とかではなくきちんと「国税徴収職員」と書いてあるのはさすが)。

民事執行法 第百五十二条(差押禁止債権)
1 次に掲げる債権については、その支払期に受けるべき給付の四分の三に相当する部分(その額が標準的な世帯の必要生計費を勘案して政令で定める額を超えるときは、政令で定める額に相当する部分)は、差し押さえてはならない。
二 給料、賃金、俸給、退職年金及び賞与並びにこれらの性質を有する給与に係る債権


 まず、民事執行法152条では、3/4が差押禁止とは書いてあるものの、1/4を差し押さえてよいとは書いていません。これに関しては「143条で100%差し押さえできるが152条で3/4は制限される」と捉えればよいだけなので、大した問題ではありません。

同法 第百四十三条(債権執行の開始)
 金銭の支払又は船舶若しくは動産の引渡しを目的とする債権(動産執行の目的となる有価証券が発行されている債権を除く。以下この節において「債権」という。)に対する強制執行(第百六十七条の二第二項に規定する少額訴訟債権執行を除く。以下この節において「債権執行」という。)は、執行裁判所の差押命令により開始する。


 問題は、なぜ給与を一般債権者に直接払いしてよいかです。同法155条には一般債権者に「取立権」が付与されることが書かれているものの、これが当然に労基法24条の直接払の原則に優越するわけではありません。

同法 第百五十五条(差押債権者の金銭債権の取立て)
1 金銭債権を差し押さえた債権者は、債務者に対して差押命令が送達された日から一週間を経過したときは、その債権を取り立てることができる。ただし、差押債権者の債権及び執行費用の額を超えて支払を受けることができない。


 バッティングする両条が並列的に存在しているという状態にすぎず、ここに優劣をつけたいならば、何らかの解釈を加える必要があります。

 そこで、同法155条の規定は労基法24条1項の2つ目の「別段の定め」ということで、「賃金控除」として扱うことはできるでしょうか。賃金控除できるというのは、全額払の例外というだけではなく、直接払の例外でもあるんだと。

労働基準法 第二十四条(賃金の支払)
1 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。


 こう解釈できるならば、「明文がない」というのは言い過ぎでしょう。というか、上記記述では明文もなしに、どういう条文操作をもって「解釈されている」と想定しているのでしょうか。


 しかしまあ、「自力執行の禁止」を謳っておきながら、債権取立ての場面では一旦私人間で直接やり取りさせるというのは、面白い制度設計ですよね。そこですんなり解決できなければ、結局裁判所(取立訴訟)に戻ってくるし。

 供託がもっとカジュアルに利用できるようになるならば、供託を強制するという制度でもよいような気がしますが。
posted by ウロ at 10:14| Comment(0) | 労働法

2023年06月26日

三六協定と特別条項のあいだ 〜rosso e blu

 労働基準法って、単なる私法ではなく、民事+刑事+行政のスクラム法なわけです。労働契約法が民事単騎なのとは圧が違う。
 ゆえに、解釈の余地がありすぎる緩めの法制では、危うくて困るはずです。

 特に「労働時間法制」みたいものは、数字でガチガチになっているのかと思いきや。
 「時間外労働」に関する労働基準法36条で気になるところが。

労働基準法 第三十六条(時間外及び休日の労働)
@ 使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、厚生労働省令で定めるところによりこれを行政官庁に届け出た場合においては、第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間(以下この条において「労働時間」という。)又は前条の休日(以下この条において「休日」という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。

A 前項の協定においては、次に掲げる事項を定めるものとする。
一 この条の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させることができることとされる労働者の範囲
二 対象期間(この条の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる期間をいい、一年間に限るものとする。第四号及び第六項第三号において同じ。)
三 労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる場合
四 対象期間における一日、一箇月及び一年のそれぞれの期間について労働時間を延長して労働させることができる時間又は労働させることができる休日の日数
五 労働時間の延長及び休日の労働を適正なものとするために必要な事項として厚生労働省令で定める事項

B 前項第四号の労働時間を延長して労働させることができる時間は、当該事業場の業務量、時間外労働の動向その他の事情を考慮して通常予見される時間外労働の範囲内において、限度時間を超えない時間に限る。

C 前項の限度時間は、一箇月について四十五時間及び一年について三百六十時間(略)とする。

D 第一項の協定においては、第二項各号に掲げるもののほか、当該事業場における通常予見することのできない業務量の大幅な増加等に伴い臨時的に第三項の限度時間を超えて労働させる必要がある場合において、一箇月について労働時間を延長して労働させ、及び休日において労働させることができる時間(第二項第四号に関して協定した時間を含め百時間未満の範囲内に限る。)並びに一年について労働時間を延長して労働させることができる時間(同号に関して協定した時間を含め七百二十時間を超えない範囲内に限る。)を定めることができる。この場合において、第一項の協定に、併せて第二項第二号の対象期間において労働時間を延長して労働させる時間が一箇月について四十五時間(第三十二条の四第一項第二号の対象期間として三箇月を超える期間を定めて同条の規定により労働させる場合にあつては、一箇月について四十二時間)を超えることができる月数(一年について六箇月以内に限る。)を定めなければならない。(6項以下略)


【お約束事項】
・「休日労働」については検討対象外とし、時間外労働については「月当たり労働時間」のみ記述します。
・5項の定めを「特別条項」といい、特別条項以外の定めを「三六協定」と表現することにします。

時間外労働の上限規制(厚生労働省)


 まず、三六協定の届出により法定労働時間を超えて労働させることができることになっています(1項)。
 延長できるのは、通常予見の範囲内で限度時間(月45時間)までです(3項・4項)。

 ここまでが原則で、5項では、通常予見の範囲外の事由により臨時的に労働させる必要がある場合は、限度時間を超えて労働させる旨定めることができるとされています。これがいわゆる「特別条項」といわれるものです。


 さて、これらのどこに《あいだ》があるのかというと。

 月45時間までは、通常予見できる事由を理由に時間外労働が許容されるわけですよね。
 そして、月45時間を超えたら、通常予見できない事由を理由とする場合にかぎり時間外労働が許容されると。
 では、通常予見できない事由を理由として、月45時間以内の時間外労働をさせることができるのかどうか。

あいだ.png


 これは、門外漢の条文イジり屋の単なる難癖などではなく。具体的な状況としては、次のような場合が考えられます。

 「当初は三六協定で月30時間と定めていた。その後、突発的な事情によりプラス月10時間ほど時間外労働をさせる必要が生じた。この場合に、時間外労働をさせることができるのかどうか。」

 普通に考えれば、まだ月45時間いってないんだから当然できる、と、思うじゃん。
 ところが、通常予見の範囲内でないことから、3項には該当しません。他方で、限度時間(月45時間)を超えていないことから、5項にも該当しません。
 結論は、どちらでもいけません、、、なことはないはずです。

 「できるだけ短く」の精神に従って、当初の協定を月30時間に抑えたせいで、その後、突発的な事情が生じても、そこから上が一切使えなくなるとか、どう考えても変です。
 が、法が「限度時間内+予見内」と「限度時間超+予見外」のマッチングだけで規律してしまっている以上、「限度時間内+予見外」パターンはどこにも行き場がないことになります。


 以上は、条文をバカ正直に読むとこうなる、という話です。3項と5項が、必要事由について「予見」を軸にして対になるかのように記述したのが隙間が空いた原因でしょう。

 3項の事由に予見外の場合も含むように書いてくれれば、この隙間は埋まります。

あいだ2.png


 もしこれを解釈論として導こうと思ったら、つぎのようになるでしょうか(A説)。

・5項は、月45時間から上にいくには特別の事情がなければならないとする規定である。
・これを反対解釈するならば、月45時間までは特別の事情があってもなくてもよいということができる。
・ゆえに、3項の文言には反するが、予見外の場合も三六協定が可能と解することができる。

 かなりの苦し紛れですが、法の不備を穴埋めするには、これくらいの無理を推して参る必要があるでしょう。

 制度設計としては、もうひとパターンあって。
 予見できない場合は月45時間以内でも特別条項でいくと。スタート時点で月30時間と決めた以上、事後的に追加できるのは特別の事情がある場合に限られると。

あいだ3.png


 「制度設計として」とことわったのは、5項に「限度時間を超えて」とある以上は、月45時間以内で特別条項を使うのは文言上無理があると思ってのことです。

 解釈論の範疇でどうにかしようと思ったら、一応、次のような解釈が展開できるでしょうか(B説)。

・5項には「3項の限度時間を超えて」とあるのであって、「4項の」ではない。
・4項の限度時間の範囲内において、2項4号で延長時間を定めることにより、この延長時間(たとえば月30時間)が、当該会社にとって「3項の」限度時間になる。
・ゆえに、予見外の事由でこの延長時間を超えたい場合は特別条項でいくことになる。
・他方で、予見内の事由であれば、月45時間までの残りを三六協定でいくことで3項の限度時間を広げる。とはいえ、当初の三六協定に含めていなかったわけで、あとから追加する事由で予見内といえる場合は、ほとんどないのではないか。

 3項の限度時間と4項の限度時間を別意に解するという、なかなかのアクロバティック解釈。ですが、3項の限度時間を「所定限度時間」、4項の限度時間を「法定限度時間」と名付けることで、あたかも実在する概念であるかのように観念することができるようになるでしょうか。
 念のため、思考訓練としてやっているだけで、真面目にこのような解釈が通用するとは、さすがに思いません。


 A説は、月45時間の枠までは事後的な追加も広く認める見解といえます。他方で、B説は、月45時間を使い切っていなくても、一度設定した以上は特別の事情がないかぎり事後的な追加を事実上認めない見解といえます。A説を「時間優先説」、B説を「事情優先説」ということができるかもしれません。
 どちらが妥当かについては、もはや立法論・政策論のレベルの問題であって、解釈論で決めることはできないと思います。どちらも条文の文言ガン無視ですし(反制定法解釈)。

 ではありますが、いずれの説もポリシーは極めて明確です。
 これに対して、現行法の書きぶりは、三六協定の上に特別条項をそっと乗っけてみた、という感じで、全体としてどう機能させるつもりなのかがはっきりしない。
 どういう立法過程だったのかは把握していませんが、労使間の妥協でこんな規定になってしまったんでしょうか。
 

 ここから先は実務運用の話になるはずなので、ド素人が口出しするべきことではないのでしょう。
 このような問題があるはずなのに、粛々と実務運用がなされているということは、私が盛大な思い違いをしているだけかもしれませんし。

 ところで、「様式第9号の2」をみてみると、
  ・限度時間を超える回数
  ・限度時間を超えた場合の割増賃金率
は書くことになっているのに、
  ・限度時間を超える時間
を書くことにはなっていません。
 「時間」については「様式第9号」と同じく、「法定労働時間」からの超過時間を書けばよいことになっています(所定労働時間は任意)。

 このことにより、実務上も現行法の「そっと乗っけてみた」感が忠実に再現されていることになります。
 特別条項により延長しようとする労働時間が、限度時間内なのか超なのかを特定しないでもよいため、「予見できない事由によって限度時間内の延長が認められるか」という問題意識が顕在化しないで済んでいます。

 確かに、5項をよくよく読んでみると、限度時間を超える「時間」を書けとは書いていないんですよね。ので、書式で勝手に条文を捻じ曲げているわけではないです。

 「予見できない事由/限度時間内」はこれで乗り切れるとして、では「予見できる事由」による延長を事後的に追加することはできるのでしょうか。
 たとえば、起算日以降に新規で継続的な業務が生じ、今後継続的に時間外労働が必要になったような場合です。事後に生じた事由ではあるものの、臨時的・突発的なものではなく今後継続的に生じる業務です。継続的な業務なので、年6回までといった縛りがかかっては困る。

 当初の三六協定(20時間)と特別条項(25時間)であわせて月45時間を届出ずみだとして、特別条項分を押しのけて25時間を三六協定で追加できるのかどうか。

 このことの答えを出すには、やはり上記A説・B説のような制度構造論を明確にすることが、避けて通れないのではないでしょうか。


 最近「注釈労働基準法・労働契約法」というコンメンタールが出たのですが。



「注釈労働基準法・労働契約法 第1巻: 総論・労働基準法(1) (有斐閣コンメンタール) 」(有斐閣2023)

 流し読みした程度ですが、残念ながら全体的に踏み込みが浅く「かゆいところに手が届く」内容にはなっていない印象を受けました。
 当然、上記のような疑問に応えるようなものでもなく。

 そのうちあらためて記事にします。
posted by ウロ at 10:02| Comment(0) | 労働法

2023年06月12日

萩原京二、岡崎教行「個人契約型社員制度と就業規則・契約書作成の実務」(日本法令2023)

 実務書の中には、一方の極に「条文引き写し系」や「運営見解垂れ流し系」のものがありつつ。
 他方で、著者の深い経験を踏まえた、実務で使いこなすための知恵(wisdom)がふんだんに盛り込まれたものもあったりします。

 それなりの購入歴を積んである程度鼻が利くようになったとはいえ、まだまだハズレを掴まされることもあり。まだまだ精進が足りません。


 私も紛いなりにも実務家なので、学術書よりも圧倒的に実務書のほうを読んでいるわけですが。
 本ブログでは、学術書のほうがネタになりやすい、ということで、学術書の記事のほうが多くなっています。

 が、《実務書類型論》の確立をしたいなあ、となんとなく思っていて。上記のような系統分類です。
 今後は、少しづつ実務書の記事も増やしていきたいところです。


 で、本書はというと。



萩原京二、岡崎教行「個人契約型社員制度と就業規則・契約書作成の実務」(日本法令2023)

 従前は集団的・画一的となっていた労働条件に対して、多様な働き方を実現するために、もと個別的な労働条件の設定を推進していきましょう、というかなりチャレンジングな内容となっています。

 単なる法律・制度の解説だけではこういう内容にはならないのであって。
 労働基準法を中心とした画一的・強行的なルールや、就業規則などによる集団的なルールがある中で、どこまで個別的な条件設定が可能になるのか、考えてみる良いきっかけとなりました。

 ということで、本書は当たりのほうでした。よかったね。
 系統名としては《制度活用系》とか《実務経験盛込型》とかにあたるでしょうか(名称はまだ煮詰まっていません)。


 まだ全然妄想段階ですが。

・個別の労働条件ごとに処遇を紐付けることで「均等・均衡待遇」ルールも同時に実現できるかも。

・さらに「人事評価制度」や「人材育成制度」も、個別の労働条件ごとに紐付けることが可能か。
 紐づけさえきちんと初期設定しておけば、一気通貫のパーソナル制度が出来上がるかも。

・完全パーソナルにもっていくには、それ用のシステム導入が必要ではないか。さすがに手作業で個別管理は大変でしょうし。
 逆にいうと、今までは適合するシステムがなかったせいで集団管理せざるをえなかったところ、適合するシステムさえあれば個別管理も実現可能になるか。

 現状だと、たとえば勤怠管理システムでも、個人ごとに設定できる項目と会社・事業所単位でしか設定できない項目があったりするので、どこまでパーソナルな運用ができるか。

 以上、本書を一読した段階でのただの妄想ですが、もう少し考えてみます。


 なお、以下は全くの別件です。

 上記では、勤怠管理・給与計算、人事評価・人材育成など含めて、諸々をひとつのクラウドシステムの中で完結できれば効率的だよなあ、と妄想していました。
 が、当該システムが落ちたら何も業務ができなくなる、というのはさすがに脆弱すぎる、ので、効率と分散のバランスをとることも重要だなあと、近時の《エムケイ事変》をみて、あらためて感じるところです。

 我が税理士事務所は、お客様がクラウドシステムを利用されることについてはオススメも拒絶もどちらもせずに、完全お任せ状態ではあります。お客様にとっての「向いている/向いてない」は言いますけども。

 わざわざマネーフォワード会計+給与の検定2級をとってロゴまでもらったので、こういう所に貼って「クラウド得意!」とかアピールすればいいのでしょうが。いまさら言うのは、なんか一昔前の「コンピュータ会計やってます」に近しい匂いがして抵抗感があるんですよね。
 単に使うのがお上手、というだけで、システムに関する知識は何もないわけですし。

 それはさておき、お客様がクラウドシステムを利用している場合でも、会計データにかぎっては事務所利用のオンプレミス型の会計ソフトでバックアップを取ってあります。
 ので、最悪当該クラウドシステムが落ちてしまっても、どうにかなるようにはしています。そもそも、会計データ自体、仕訳データ(CSV)さえあればどうにでもなりますし。

 そして、税務申告ソフトはゴリゴリのオンプレミス。さすがにここをクラウドでやろうとは、まだまだ思えない。
 e-Tax・eLTAXが落ちたら何かしらの救済はあるでしょうが、民間のクラウドシステムが落ちたところでそう簡単には救済してくれないでしょうし。
posted by ウロ at 11:19| Comment(0) | 労働法

2022年09月12日

適用除外☆Gradation 〜育児介護休業法編

 結果、適用が受けられない場合であっても、法律上は書きぶりが違うものがあるよ、というお話し。タイトルからは何のことやら分からないと思いますが。

 この手の話、条文の読み方的な本にも、個別の法律の解説書にも書かれていないことが多く、隙間に落ち込むタイプのもの。なので、例によって本ブログの格好のネタとなります。

 今回は「育児介護休業法」を素材とします。


 たとえば「短時間勤務制度」の対象者について、お役所作成の手引には次のように記述されています。

育児・介護休業法のあらまし(令和4年3月作成) 

107頁
15 事業主が講ずべき措置(所定労働時間の短縮等)
 \−5 所定労働時間の短縮措置(短時間勤務制度)
○ 短時間勤務制度の対象となる労働者は、次のすべてに該当する労働者です。
 @ 1日の所定労働時間が6時間以下でないこと
 A 日々雇用される者でないこと
 B 短時間勤務制度が適用される期間に現に育児休業(産後パパ育休含む)をしていないこと
  ※産後パパ育休に関しては、令和4年10月1日適用。
 C 労使協定により適用除外とされた以下の労働者でないこと
  ア その事業主に継続して雇用された期間が1年に満たない労働者
  イ 1週間の所定労働日数が2日以下の労働者
  ウ 業務の性質又は業務の実施体制に照らして、短時間勤務制度を講ずることが困難と認められる業務に従事する労働者(指針第2の9の(3))


 「条文裏返し」っぷりが気になるものの、今回は触れません。

【条文裏返し問題】
社会保険適用拡大について(2022年10月〜) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克

 ここで触れたい問題は、@からCまでが並列に記述されてしまっていることについてです。

 条文上は、次のような構造になっています。

・日々雇用される者(A)
 育介法上の「労働者」から除かれている(法2条1号)。
・短時間勤務制度が適用される期間に現に育児休業をしていない者(B)
 「育児休業をしていないもの」に該当しない(法23条1項本文)。
・1日の所定労働時間が6時間以下の者(@)
 短時間勤務制度の「労働者」から除かれている(法23条1項本文)。
・労使協定により適用除外とされた労働者(C)
 労使協定により措置を講じないものとして定めることができる(法23条1項但書)。

 また、本体である「育児休業」の対象者についての、お役所の手引の記述は次のとおりです。

15頁
U−1 育児休業制度
 U−1−1 育児休業の対象となる労働者
○ この法律の「育児休業」をすることができるのは、原則として1歳に満たない子を養育する男女労働者です。
○ 日々雇い入れられる者は除かれます。
○ 期間を定めて雇用される者は、申出時点において、次のいずれにも該当すれば育児休業をすることができます。
 @ 同一の事業主に引き続き1年以上雇用されていること
 A 子が1歳6か月に達する日までに、労働契約(更新される場合には、更新後の契約)の期間が満了することが明らかでないこと
○ 労使協定で定められた一定の労働者も育児休業をすることはできません。
<令和4年4月1日変更点>
 期間を定めて雇用される者の@の要件が撤廃されます。
○ 期間を定めて雇用される者は、申出時点において、子が1歳6か月に達する日までに、労働契約(更新される場合には、更新後の契約)の期間が満了することが明らかでない場合は、育児休業をすることができます。


 こちらも条文構造を整理すると次のとおり(2022年4月改正施行後を前提とします)。

・日々雇用される者
 そもそも育介法上の「労働者」から除かれている(法2条1号)。
・子が1歳6か月に達する日までに労働契約の期間が満了することが明らかな者(A)
 申出をすることができる者から除かれている(法5条1項)。
・労使協定で定められた一定の労働者
 労使協定に定めることで申出を拒むことができる(法6条1項、2項)。

 このように、どうやって適用から外れるのかについて、条文上はそれぞれ書き分けがされています。
 特に、労使協定による定めについて、育児休業では「拒むことができる」、短時間勤務制度では「措置を講じない」という違いがあります。
 法6条2項には、会社が拒否したら育児休業できないなんてことがわざわざ明記されています。その前の同条1項但書だけでも足りると思うんですけども。短時間勤務制度のほうには、当然のことながらそんな規定はありません。


 結果、適用されないならいちいち区別する必要ないじゃん、と思うかもしれません。
 が、私の意識にあるのは下記記事に関することです。

いろんな産休と育休 〜法間インターフェイス論

 この記事では、健康保険法上の育児休業の定義が育介法からの借りものだ、ということを述べました。
 そうすると、社保免除などの適用が受けられるかどうかは、育介法上の「育児休業」に該当するかどうかに従うことになります。
 会社が育介法をはみ出して独自の育休制度を設けたとしても、当該休業は社保免除等の適用対象とはなりません。

 たとえば、「子が1歳6か月に達する日までに労働契約の期間が満了することが明らかな者」を休業させた場合、育介法上の育児休業には該当しないので、社保免除など健保法上の優遇を受けることはできない、ということになります。

 では、労使協定で入社1年未満の者の申出を拒むことができると定めていながら、その者からの申出を拒まずに休業を与えた場合はどうなるでしょうか。
 法6条2項に「拒否したら休業できない」と書いてあることからすると、「拒否しなければ休業できる」と反対解釈することができるはずです。もしかするとこの規定、この反対解釈を導けるようにするために設けたものなのでしょうか。
 このように解釈できるのならば、拒まずに休業させた場合も育介法上の育児休業に該当することになるので、健保法上の優遇を受けられることになります。

 なお、人によって拒んだり拒まなかったり、といった運用をするならば、それはそれで別の問題になるとは思いますが。


 というように、どうやって除外されるかによって効果に違いが生じるのならば、社内の規程・労使協定についても、これら条文構造を正確に再現しておくのが望ましいと思います。
 ところが、お役所のものを始めとした一般的な規程例・労使協定例では、きちんと意識されていないものが多い印象。たとえば、短時間勤務制度に関して、条文とは異なり「申出を拒むことができる」という書き方になっているなど。

 もちろん、企業が独自の規定を設けることそれ自体は構わないことです。が、それが意識的にそうしているのではなく、単にお役所の標準書式をコピペしているだけだということであれば問題だと思います。
 というか、なぜお役所の標準書式の段階で、わざわざ条文構造と異なる文言に改変することにしたのか、謎ではあります。

○育児介護休業法

第二条(定義)
 この法律(第一号に掲げる用語にあっては、第九条の三並びに第六十一条第三十三項及び第三十六項を除く。)において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 育児休業 労働者(日々雇用される者を除く。以下この条、次章から第八章まで、第二十一条から第二十四条まで、第二十五条第一項、第二十五条の二第一項及び第三項、第二十六条、第二十八条、第二十九条並びに第十一章において同じ。)が、次章に定めるところにより、その子(民法(明治二十九年法律第八十九号)第八百十七条の二第一項の規定により労働者が当該労働者との間における同項に規定する特別養子縁組の成立について家庭裁判所に請求した者(当該請求に係る家事審判事件が裁判所に係属している場合に限る。)であって、当該労働者が現に監護するもの、児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号)第二十七条第一項第三号の規定により同法第六条の四第二号に規定する養子縁組里親である労働者に委託されている児童及びその他これらに準ずる者として厚生労働省令で定める者に、厚生労働省令で定めるところにより委託されている者を含む。第四号及び第六十一条第三項(同条第六項において準用する場合を含む。)を除き、以下同じ。)を養育するためにする休業をいう。

第五条(育児休業の申出)
1 労働者は、その養育する一歳に満たない子について、その事業主に申し出ることにより、育児休業をすることができる。ただし、期間を定めて雇用される者にあっては、その養育する子が一歳六か月に達する日までに、その労働契約(労働契約が更新される場合にあっては、更新後のもの。第三項及び第十一条第一項において同じ。)が満了することが明らかでない者に限り、当該申出をすることができる。

第六条(育児休業申出があった場合における事業主の義務等)
1 事業主は、労働者からの育児休業申出があったときは、当該育児休業申出を拒むことができない。ただし、当該事業主と当該労働者が雇用される事業所の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、その事業所の労働者の過半数で組織する労働組合がないときはその労働者の過半数を代表する者との書面による協定で、次に掲げる労働者のうち育児休業をすることができないものとして定められた労働者に該当する労働者からの育児休業申出があった場合は、この限りでない。
一 当該事業主に引き続き雇用された期間が一年に満たない労働者
二 前号に掲げるもののほか、育児休業をすることができないこととすることについて合理的な理由があると認められる労働者として厚生労働省令で定めるもの
2 前項ただし書の場合において、事業主にその育児休業申出を拒まれた労働者は、前条第一項、第三項及び第四項の規定にかかわらず、育児休業をすることができない。

第二十三条(所定労働時間の短縮措置等)
1 事業主は、その雇用する労働者のうち、その三歳に満たない子を養育する労働者であって育児休業をしていないもの(一日の所定労働時間が短い労働者として厚生労働省令で定めるものを除く。)に関して、厚生労働省令で定めるところにより、労働者の申出に基づき所定労働時間を短縮することにより当該労働者が就業しつつ当該子を養育することを容易にするための措置(以下この条及び第二十四条第一項第三号において「育児のための所定労働時間の短縮措置」という。)を講じなければならない。ただし、当該事業主と当該労働者が雇用される事業所の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、その事業所の労働者の過半数で組織する労働組合がないときはその労働者の過半数を代表する者との書面による協定で、次に掲げる労働者のうち育児のための所定労働時間の短縮措置を講じないものとして定められた労働者に該当する労働者については、この限りでない。
一 当該事業主に引き続き雇用された期間が一年に満たない労働者
二 前号に掲げるもののほか、育児のための所定労働時間の短縮措置を講じないこととすることについて合理的な理由があると認められる労働者として厚生労働省令で定めるもの
三 前二号に掲げるもののほか、業務の性質又は業務の実施体制に照らして、育児のための所定労働時間の短縮措置を講ずることが困難と認められる業務に従事する労働者

○育児介護休業法施行規則

第七十二条(法第二十三条第一項本文の所定労働時間が短い労働者として厚生労働省令で定めるもの)
 法第二十三条第一項本文の所定労働時間が短い労働者として厚生労働省令で定めるものは、一日の所定労働時間が六時間以下の労働者とする。
第七十三条(法第二十三条第一項第二号の厚生労働省令で定めるもの)
 法第二十三条第一項第二号の厚生労働省令で定めるものは、一週間の所定労働日数が二日以下の労働者とする。
posted by ウロ at 11:08| Comment(0) | 労働法

2022年09月05日

年休権は《更新》されない?(その2)

 前回、「年休権は更新されない」という定説に対する疑問を呈しました。

年休権は《更新》されない?(その1)

 が、巷の解説モノでは、未だに昭和24年の通達の引き写しレベルの説明しかされていないのがほとんど。
 そのうち裁判所に持ち込まれて、よくあるテンプレを漫然と流用していた会社にとってあまりよろしくない結論が出ることになったらどうするのか。


 現行の規定を一旦脇において《制度論》として考えた場合、年休権は賃金請求権などとは違った特殊な権利だということで、「更新なしで期間経過により当然消滅」という設計とすることもありうるでしょう(除斥期間構成)。
 というか、これまで援用すら要せずに当然消滅扱いでもつつがなくやり過ごせてきたのは、除斥期間的な理解のほうが時効構成よりも年休権の性質にマッチするものだったからではないでしょうか。

 が、出発点として、労働基準法115条の「その他の請求権」に該当すると解釈してしまった以上、時効構成とセットになっている民法上のルールも、当然排除とするわけにはいかないはずです。

 もしかすると、昭和24年通達は、解釈レベルで民法の更新(中断)ルールの適用を排除するための、実務における知恵だったと評価できるかもしれません(労働者側からみれば悪知恵)。
 そして、新設された「年次有給休暇管理簿」についても、その記載事項が「(取得)日数」どまりになっているのは、使用者側が「承認」回避をするための逃げ道を作ってくれていたのかもしれない。

 だというのに、漫然と「残日数」や「繰越日数」が記載されたテンプレを利用するのは、いかがなものか(もちろん労働者にとっては攻めどころ)。

 ということを踏まえて、「承認避け」目的で「管理簿」にそれら項目を記載しなかったとして、労働者側から残日数の確認申請があった場合はどう対応すべきか。
 素直に回答すれば、そのまま「承認」になりそうです。じゃあってことで回答拒否したとしたら、権利行使を妨害したとして時効援用権の「濫用」と評価されるかもしれません。

 どっちにしろ、確認されたら詰みそう。


 このように、現状の実務運用がいつひっくり返されてもおかしくない不安定な状態にあるというならば、《立法論》として除斥期間化することも検討すべきでしょう。

 が、労働者不利益が可視化・固定化されるだけの改正、実現の望みは薄そうです。結論自体は、現状の実務運用と変わるわけではないのですが。


 ただ《解釈論》レベルでも、抜け道がないわけではありません。

 というのも、更新規定は労基法に直接書き込まれているのではなく、労基法115条をハブとして民法から流れ込む形になっています。
 そこで、民法の更新規定を「任意規定」と解釈し、就業規則などで更新を排除する旨明記すれば、更新されない年休権の出来上がり、ということになります。

 が、民法だからといってすべて任意規定というわけでもなく、また、労基法に取り込まれることで強行規定化するという解釈も成り立ちうるので、すんなり排除できるとは限りません。

 とはいえ、今の運用を解釈論の範囲内で正当化しようとするならば、このルートに乗っかるしかないんじゃないですかね。
 ではあるのですが、残日数が明確に分かっているにもかかわらず、それでも「時効」で消滅するというの、やはり違和感が残ります。やはり、当然消滅の特殊な権利として正面から法改正してもらうのが望ましい。


 余談ですが、「不利益」繋がりでいうと、年休の「一斉付与」ということで、基準日を設けて本来の付与日から前倒しで付与することが行われています。

 前倒しであるかぎり労働者に不利益にならない、ということで許容されているところです。が、今回問題にした時効消滅という観点からすると、早く付与してもらえればいいというものでもない。
 付与期間が前倒しされれば、その分時効の起算日も前倒しとなります。時効という側面からみれば労働者にとって不利益になっているということです。

 個々の労働者にとって、早く付与してもらえるのがいいのか、遅くまで使えるのがいいのか、人それぞれであって一律に有利不利と割り切れるものではない。ので、早く付与してあげたんだから早く消滅しても問題ない、と評価できるとはかぎらない。
 法律の規定より労働者を不利益に扱ってはいけない、というのであれば、たとえば付与日を前倒ししたとしても、消滅時効の起算日は法定の付与日から2年とするのが筋でしょう。

 せっかく一斉付与を採用したというのに、個別評価なんてしていられない、というのであれば、繰越期間を一律後倒しにすることになるでしょうか。
 そこまでしないとしても、使用者には法定の付与義務以上に、労働者の権利行使を促進する施策を実施することが要求されることになるはずです。
posted by ウロ at 11:47| Comment(0) | 労働法

2022年08月29日

年休権は《更新》されない?(その1)

 年休権は、労働基準法115条の「その他の請求権」に該当し付与日から「2年」で時効消滅する、というのが定説となっています。

労働基準法 第百十五条(時効)
 この法律の規定による賃金の請求権はこれを行使することができる時から五年間、この法律の規定による災害補償その他の請求権(賃金の請求権を除く。)はこれを行使することができる時から二年間行わない場合においては、時効によつて消滅する。


 他方、民法152条では、債務者(使用者)の「承認」があった場合には、時効期間がリスタートすることになっています。

民法 第百五十二条(承認による時効の更新)
1 時効は、権利の承認があったときは、その時から新たにその進行を始める。


【時効の更新について】
時効の中断・停止から時効の完成猶予・更新へ

 実務上は、当たり前のように2年で当然消滅と扱っているわけですが、「承認」が生ずる余地がないのかどうか。

※なお、そもそも労働者に対して時効の「援用」の意思表示なんてしてないじゃん、という問題もありますが、援用の法的性質なども絡むので、さしあたり考慮外としておきます。

民法 第百四十五条(時効の援用)
 時効は、当事者(消滅時効にあっては、保証人、物上保証人、第三取得者その他権利の消滅について正当な利益を有する者を含む。)が援用しなければ、裁判所がこれによって裁判をすることができない。



 この点につき、通達(S24.9.21基収第3000号)では、勤怠簿・年次有給休暇取得簿に「取得日数」が書かれているだけでは、「残日数」に対する「承認」に該当しないとされています。

 が、これは昭和24年(!)の通達です。

 時代を超えて、平成30年の施行規則改正により「年次有給休暇管理簿」の作成・保存が義務付けられました。
 このことが結論に影響するかどうか。

労働基準法施行規則 第二十四条の七
 使用者は、法第三十九条第五項から第七項までの規定により有給休暇を与えたときは、時季、日数及び基準日(第一基準日及び第二基準日を含む。)を労働者ごとに明らかにした書類(第五十五条の二及び第五十六条第三項において「年次有給休暇管理簿」という。)を作成し、当該有給休暇を与えた期間中及び当該期間の満了後五年間保存しなければならない。

※ただし、当分の間「5年間」→「3年間」とされている(施行規則72条)。


 ここでいう「日数」は、「法第三十九条第五項から第七項までの規定により」与えたときとあることからすると「取得日数」のことを指しているのでしょう。
 そうすると、未だ上記通達の射程内にあるようにも思えます。

 が、年休権の「権利性」というのものが、当時とは比べ物にはならないほど強化されています。労働者としての権利としても当然ですが、計画年休や、使用者側の付与義務としても規定されることになりました。
 のに、昭和24年とおなじノリで年休権をカジュアルに扱ってもよいのかどうか。


 確かに、施行規則どおり「取得日数」だけしか書かなければ、「残日数」まで承認したとは評価しがたいのかもしれない。ですが、少なくとも「法定日数−取得日数」は残っていることは明らかなわけで、残日数が明記されていないからといって、日数が特定できないということでもないです。
 通常の金銭債権のように、『本日1万円返済しました』という書面だけでは残債務があといくらあるのか分からない、というのとは事情が異なります。

 また仮に、施行規則の要求を超えて「残日数」までしっかり記載していた場合には、通達の射程は直接及ばないわけで、この場合は「承認」と評価されてもおかしくはないです。


 また、よくあるテンプレだと「前年度繰越日数」を記載する欄があります。
 「前年度以前」となっていないことからすると、2年で当然消滅することを前提としているのでしょう。が、この欄に日数を記入してしまうと、前年度分も「承認」していることになってしまうのではないでしょうか(残日数に合算していれば同じでしょうが)。

 もしこれが「承認」にあたるとすると、無限ループに陥っていつまでも年休権が消滅しない事態になるような気がします。
 ちょっと考えてみましょう。

 以下、丸数字は年度、数字は日数で、一切取得しなかったとします(あくまで仮想例)。

  ア @管理簿:付与10 残10
  イ A管理簿:繰越10(@) 付与10 残20

 そして、第3年度に繰り越す際に10(@)は消滅する、というのが一般的な扱いです。

  ウ B管理簿:繰越10(A) 付与10 残20

(※ちなみに、繰越欄に記載しないことをもって時効の「援用」だというのであれば(別途何かしらの通知は必要?)、その裏返しで繰越欄に記載することは「承認」ということになるのではないでしょうか。)

 が、もしA管理簿に@の繰越分も記載していることが「承認」にあたるとすると、10(@)はまだ消滅していないことになります。
 そうすると、第3年度の管理簿は次のように記載しなければなりません。

 エ B管理簿:繰越20(@+A) 付与10 残30

 これが第4年度以降も続くので、リセットボタンを連打されていることになり、いつまでも時効が進行しないことになります。

 では、承認により消滅していないにもかかわらず、従前の理解に従って@の繰越分を記載しなかった場合はどうか。

 ウ B管理簿:繰越10(A) 付与10 残20

 この場合、イをもって10(@)の承認は終わっているので、時効期間の進行が再スタートすることになります。
 この承認が終わるのがいつの時点かですが、
 ・イの当初作成時(10(A)の付与時) +1年
 ・イの期間満了時 +2年
 ・イの期間満了後3年の保存期間経過時 +5年
のいずれかとなるでしょうか。

 いずれだとしても、従前の理解による
 ・アの当初作成時(10(@)の付与時)
よりは後にずれることになります。


 一旦ここで区切って、次週に続けます。

年休権は《更新》されない?(その2)
posted by ウロ at 09:57| Comment(0) | 労働法

2022年08月15日

松尾剛行「AI・HRテック対応 人事労務情報管理の法律実務」(弘文堂2019)



松尾剛行「AI・HRテック対応 人事労務情報管理の法律実務」(弘文堂2019)

 タイトルに「AI・HRテック」とか入っているので、今どきのミーハーなAIモノかと思いきや、そうではなく。
 むしろ、安直にシステムを導入することに対しては警戒的だったりします。


 税務の領域だと、ほとんどの「クラウド」「DX」喧伝本は、新しいものを導入しさえすればうまくいく、と光の部分を強調したものばかりです。確かに、税務の限りではうまくいくことのほうが大部分なのかもしれません。

 が、労務の観点からすると、その際にヒト(労働者)がどうなるのか、という問題が避けて通れません。

・新しいシステムについていけない人に対する教育はどこまでやるべきなのか。
・今まで残業代をあてにしていた人に対する補償は必要なのか。
・新しいシステムを導入したことで仕事がなくなった人を配置転換・雇止め・整理解雇してよいのかどうか。

などなど。
 「人件費減って生産性上がったぜ、やったね!」と、数字だけでは済まない問題が、労務の世界には存在します。

 本書を読みさえすればそれらがすべて解決できる、などといった万能薬が記述されているわけではありません。が、問題解決にあたっての指針には充分なりうるかと思います。


 また本書では、従前の労働法学上の論点を『情報』という観点から再検討されています。「労働情報法」「情報労働法」の基本書、と位置づけてもよいかもしれません。

 もちろん、あらゆる論点を網羅しているわけではありません。が、本書を読めば〈視点〉の獲得ができますので、各自の基本書・体系書に戻っていただいて、自分なりに再検討してみるとよいと思います。
posted by ウロ at 11:35| Comment(0) | 労働法

2022年03月21日

リーガルマインド事業場外労働のみなし労働時間制

 制度自体は皆さんご存知、ということで特に論点らしい論点もないのでしょうが。

 労働基準法の条文を読む練習ということで。


労働基準法 第三十八条の二(事業場外労働)
1 労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。ただし、当該業務を遂行するためには通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合においては、当該業務に関しては、厚生労働省令で定めるところにより、当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみなす。
2 前項ただし書の場合において、当該業務に関し、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定があるときは、その協定で定める時間を同項ただし書の当該業務の遂行に通常必要とされる時間とする。
3 使用者は、厚生労働省令で定めるところにより、前項の協定を行政官庁に届け出なければならない。


○1項本文

【事例1】
 ・所定労働時間7時間 /法定労働時間8時間

 労働時間を算定し難いときは、
  全部外勤:外勤 →7時間とみなす
  一部外勤:外勤+内勤 →あわせて7時間とみなす

 「全部又は一部」とあることから、全部外勤の場合に外勤7時間とみなすだけでなく、一部外勤の場合に外勤+内勤で7時間とみなすことになります。

○1項但書

【事例2】
 ・所定労働時間7時間 /法定労働時間8時間 /通常必要時間8時間(外勤)

 所定労働時間を超えることが必要なときは、
  外勤 →8時間(通常必要時間)とみなす

 この場合、みなされるのは「当該業務」(=外勤)だけで、内勤は対象になっていません。1項本文のように外勤+内勤あわせてみなされるわけではありません。

 それゆえ、内勤については別途、「実労働時間」を把握する必要があります。

  全部外勤:外勤8時間(みなし労働時間)
  一部外勤:外勤8時間(みなし労働時間)+内勤○時間(実労働時間)

○2項、3項

 「当該業務」(=外勤)とあるので、協定で定めることができるのは外勤のみとなります。
 そして「前項の協定」とあるので、届出書に記載するのも「外勤」のみです。

 1項但書とは別に2項の労使協定があるのは、通常必要時間を決め打ちすることで安定的な運用ができるようにしよう、ということなのでしょう。労働者側の同意もあるならば正統性・妥当性も担保できるでしょうと。

 届出書の提出範囲については、施行規則に規定があります。

労働基準法施行規則 第二十四条の二
1 法第三十八条の二第一項の規定は、法第四章の労働時間に関する規定の適用に係る労働時間の算定について適用する。
2 法第三十八条の二第二項の協定(労働協約による場合を除き、労使委員会の決議及び労働時間等設定改善委員会の決議を含む。)には、有効期間の定めをするものとする。
3 法第三十八条の二第三項の規定による届出は、様式第十二号により、所轄労働基準監督署長にしなければならない。ただし、同条第二項の協定で定める時間が法第三十二条又は第四十条に規定する労働時間以下である場合には、当該協定を届け出ることを要しない。
4 使用者は、法第三十八条の二第二項の協定の内容を法第三十六条第一項の規定による届出(労使委員会の決議の届出及び労働時間等設定改善委員会の決議の届出を除く。)に付記して所轄労働基準監督署長に届け出ることによつて、前項の届出に代えることができる。


○規3項

 法定労働時間(法32条)を超えなければ提出不要とありますが、「協定で定める時間」とあることから外勤のみで判定することになります。

【事例3】
 ・外勤協定時間9時間 →提出必要
 ・外勤協定時間8時間+内勤時間2時間 →提出不要

 もちろん、あわせて法定外の時間外労働が生じれば、別途36協定の締結・提出が必要となります。


 このように、1項本文とそれ以降のみなしの対象がずれていることから、次のような疑問が生じます。

 たとえば、内勤時間に合わせて外勤時間を調整するような運用をしている場合はどうなるのでしょうか。内勤がなければ1日中外勤だが、内勤があればその分外勤を減らすといったような場合です。
 もちろん、外勤時間の把握はできない前提なので、あくまでも目安としての時間です。

 これが所定労働時間内に収まっていれば、内訳がどうであろうと所定労働時間とみなされるだけですみます。

【事例4】
 所定労働時間内に収まる
 ・外勤7時間
 ・内勤1時間+外勤6時間
 ・内勤4時間+外勤3時間
 →いずれも7時間とみなす(外勤の時間は目安であって実労働時間ではない)

 では、所定労働時間を超える運用をしている場合はどうでしょうか。

【事例5】
 ・外勤8時間
 ・内勤1時間+外勤7時間
 ・内勤4時間+外勤4時間

 常に超えるなら、その所定労働時間なんなの、というのはさておき。
 内勤時間に応じて、みなされる外勤の通常必要時間も可変するということになるでしょうか。

 また、労使協定をするならば、内勤時間に応じた外勤時間の書き分けが必要ということでしょうか。そして、書き分けた協定書のうち、外勤のみで法定労働時間を超える部分だけを提出するんだと。

 以上はあくまで条文を読んだ限りで思いついた疑問にすぎません。
 実務的にはつつがなく運用がなされているところなのでしょう。
posted by ウロ at 12:15| Comment(0) | 労働法

2022年03月14日

水町勇一郎「集団の再生」(有斐閣2005)

 一体いつ・どこで・なぜ購入したのか、自分でもまるで記憶のない書籍というものが、いくつかありまして。



水町勇一郎「集団の再生 アメリカ労働法制の歴史と理論」(有斐閣2005)

 本書についても、おそらく労働法について特に関心があったわけでもない時期に購入しているはずです。
 教科書・体系書ならともかく、よくもまあ研究書にまで手を出していたなあと。

 しかも、サブタイトルを見る限り、私の好みでない「おける論文」ぽいですし。
 
法学研究書考 〜部門別損益分析論

 なお、「おける論文」それ自体が悪いということではなく。
 私のようなド素人が読みものとして嗜むには「つまんない」というだけの話です。

 おそらくメインタイトルだけをみて「なんか格好良さそう」という印象だけで購入したのではないでしょうか。

 残念ながら、現時点では「まともな」値段では購入できなくなっています。
 やはり感じ入るものがあったら、「出版即購入積読」仕草をとっておくべきなのでしょう。
 
【クレイジープライス集】
金子宏・中里実「租税法と民法」(有斐閣2018)

 本来であれば、「感じ入る」なんてスピリチュアルな理由ではなく、ちゃんと中身を確認してから購入したいところ。
 が、ゴリゴリの研究書が一般的なリアル書店に入荷されることなんておよそなく、ネット上でも試し読みができるものはほとんどない。

 http://yuhikaku.co.jp/books/detail/4641143536

 ということでやはり、出版社のサイトの数少ない情報から「感じ取る」しかない。


 さて、ここまで前置きを書いておきながら、中身の評価は例によって致しません。
 偉そうに評価できるほどのモノが、私には備わっていませんので。

 ただ一言だけ。

 標準的な書籍では、「アメリカ労働法は解雇自由!」みたいな一面的な理解がされがち。
 ですが、歴史を辿っていくと、「自由」一辺倒ではなく、そのときどきの政治・経済状況により「集団」の側からの挑戦を受け続けてきた、ということが、本書を読むと分かります。

 「おける論文」とともに「史モノ」も苦手は私ですが、本書は特に苦痛なく読めました。
 水町先生の歴史の書き方が非常にうまい、ということかもしれません(偉そうに)。

 日本法への示唆が薄いのはいつものことですが、ここは他著を読め、ということでしょうか。
 最近になって体系書を出版されたところですし。



 水町勇一郎「詳解 労働法 第2版」(東京大学出版会2021)

 そして教科書でも、歴史の記述がしっかりされていますし。



 水町勇一郎「労働法 第9版」(有斐閣2022)
posted by ウロ at 11:11| Comment(0) | 労働法