2023年05月15日

免税事業者Requiem(第1曲) 〜消費税法の理論構造(種蒔き編27)

 インボイス制度導入の踏み台とされ、やがて滅びゆく定めの免税事業者。
 はなむけ代わりに、消費税法上どのように規定されているかを確認しておきます。

インボイス行為無価値論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編26)


 前提となる原則のほうから(条文は大幅に省略いれてます)。

第四条(課税の対象)
1 国内において事業者が行つた資産の譲渡等には、この法律により、消費税を課する。
第五条(納税義務者)
1 事業者は、国内において行つた課税資産の譲渡等につき、この法律により、消費税を納める義務がある。
第二条(定義)
1 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
 三 個人事業者 事業を行う個人をいう。
 四 事業者 個人事業者及び法人をいう。
 九 課税資産の譲渡等 資産の譲渡等のうち、第六条第一項の規定により消費税を課さないこととされるもの以外のものをいう。
第六条(非課税)
1 国内において行われる資産の譲渡等のうち、別表第一に掲げるものには、消費税を課さない。


 ・事業者が資産の譲渡をしたら消費税を課する(4条)。
 ・別表第一の資産の譲渡には消費税を課さない(6条)。
 ・事業者は課税資産の譲渡について消費税を納める義務がある(5条)。

 一旦、課税対象となるもの(4条)/ならないもの(6条)をあげておいてから、誰が納税するかは別途定める(5条)、という二段構えの構造になっています。
 課税される対象(課税客体)と納税すべき人(納税主体)を区別して規定しているということです(主客二元構造)。


 次に、いわゆる「免税事業者」についての規定。

第九条(小規模事業者に係る納税義務の免除)
1 事業者のうち、その課税期間に係る基準期間における課税売上高が千万円以下である者については、第五条第一項の規定にかかわらず、その課税期間中に国内において行つた課税資産の譲渡等につき、消費税を納める義務を免除する。ただし、この法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
2 前項に規定する基準期間における課税売上高とは、次の各号に掲げる事業者の区分に応じ当該各号に定める金額をいう。
一 個人事業者及び基準期間が一年である法人 基準期間中に国内において行つた課税資産の譲渡等の対価の額(第二十八条第一項に規定する対価の額をいう。)の合計額から、イに掲げる金額からロに掲げる金額を控除した金額の合計額を控除した残額


 ・基準期間の課税売上高が1000万円以下の事業者は、消費税を納める義務を免除する。

 5条に対応する例外規定となっています。免税事業者であっても4条の適用は受けたまま、ということです。
 この書きぶりからすると、免税事業者であろうがなかろうが、事業者が行う課税資産の譲渡は4条により消費税の課税対象となるが、免税事業者であれば、9条によって5条の納税が免除される、と理解することができます。

 4条:資産の譲渡は課税対象
 5条:譲渡した事業者に納税義務あり ←9条:免税事業者は納税義務免除


 このあたりで出てくるおなじみの論点が、免税事業者の基準期間の課税売上高は、「税抜」に引き直して判定するのかどうか、というものです。

 実務的には、税抜としないでそのまま判定するということで、結論自体はもはや動かしようがないです。
 問題は、この結論をどのように説明するかという点で、消費税法の構造に対する理解が問われます。


 9条2項1号で引用されている28条1項の「課税資産の譲渡等の対価の額」は次の通りです。

第二十八条(課税標準)
1 課税資産の譲渡等に係る消費税の課税標準は、課税資産の譲渡等の対価の額(対価として収受し、又は収受すべき一切の金銭又は金銭以外の物若しくは権利その他経済的な利益の額とし、課税資産の譲渡等につき課されるべき消費税額及び当該消費税額を課税標準として課されるべき地方消費税額に相当する額を含まないものとする。)とする。


 課税事業者であれば、括弧書きの「含まないものとする」規定により、税抜で判定することになります。
 他方で、免税事業者の場合、ここでいう「課されるべき消費税額」をどう読むかが問題です(地方税は省略)。以下、譲渡対価の額として「110000」を想定しながら記述します。

 この点、上記の《主客二元構造》を前提として、そこに「本体(100000)とは別に消費税(10000)がそっと乗っかっているだけ」という通俗的な見方をあてはめると、

 ・免税事業者であっても4条により課税対象となる。
 ・課税対象である以上、消費税10000をのっける必要がある。
 ・が、もらった消費税は9条で納付しなくてよくなる。

と理解することになるかと思います。
 で、免税事業者であっても本体とは別に消費税をもらうことになっているため、これを除いて判定しなければならない、と考えることになるでしょう。

 このような見解、インボイス導入にあたって「免税事業者は消費税をネコババしている!」と叫び散らしていたことと整合しており、その当否はともかく主張としては一貫しているといえるでしょう。

  免税事業者は、本体とは別に消費税をもらっているので、
 →もらった消費税を納付しないのはネコババだ!
 →もらった消費税は除いて判定すべきだ!

 ところが、免税事業者をネコババ呼ばわりしていた人たちも、ここでは「税抜にしない」という結論を取るものと思われます。もしそうだとしたら、免税事業者をネコババ呼ばわりしておきながら、消費税はもらっていないと扱うことになり、どう考えても矛盾します。

  免税事業者は、本体とは別に消費税をもらっているので、
 →もらった消費税を納付しないのはネコババだ!
 →もらった消費税は消費税じゃないから除かないで判定すべきだ!(???)

 どのように整合性をとるつもりなのでしょうか。


 私が思うに、条文上の消費税法の構造をみてみると、売上課税ルールは本体と消費税を「一体」として扱っているように理解できます。インボイス制度における仕入控除ルールが本体と消費税を「別物」と扱っているのとは違って。
 同じ取引なのに、売上側からみると「一体」、仕入側からみると「別物」とかどう考えても不自然で、これまでの記事でも散々批判してきたところです。が、現実の制度がそうなっているんだから仕方ない。

 その点はさておき、売上側からみた本体・消費税の関係は、《ゴムまり理論》のごとく、消費税があればその分本体が縮小する・消費税がなければ本体はそのまま、というイメージになります(《ゴムまり理論》を註釈なしで記述するのは気が引けますが、あえて説明すまい)。

 これを、本体と消費税は別々に存在すると考えるから、おかしなことになるわけです。というか、存在するのは対価の額110000と消費税10000だけで、本体はただの差額概念と捉えておいたほうがよいかもしれません。
 ただし、これは売上側からみた場合であって、仕入側からみると税抜本体が突如実体を持つことになります。
           売上側  仕入側
  対価の額 110000 実在   合計
  内消費税  10000 実在   実在
  税抜本体 100000 差額   実在

 このような見方からすれば、

  課税事業者:
  対価の額110000が課税対象となり、そこから消費税10000を算出する
  免税事業者:
  対価の額110000が課税対象となるが、納税義務が免除されるから消費税は算出されない

と理解することができます。
 課税資産の譲渡をすれば等しく課税対象とはなるものの、免税事業者の場合には「課されるべき消費税額」が算出されない、ゆえに税抜にしないでそのまま判定する、という結論を導くことができます。「免税事業者は転嫁することを予定していない」云々といった、消費税法に記述されていない空理空論を持ち出す必要はありません。


 インボイス推進派の皆さんですら、本当は「免税事業者は消費税をネコババしていなかった」と思っていたのだとしたら、とんでもない冤罪で滅ぼされようとしていることになります。気づかないままの犯行だとしても、それはそれで恐ろしいですが。

 が、すでに制度が出来上がってしまったわけで、せめて献花ぐらいは捧げてしかるべきではないでしょうか。
posted by ウロ at 10:10| Comment(0) | 消費税法

2023年05月08日

インボイス行為無価値論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編26)

 また随分とエキセントリックなタイトル、と思われるでしょうが。

 ここまで散々弄り倒してきたインボイス制度。
 弄りつつも、どこかですでに出会ったことがあるかのような懐かしさを感じていました。

 それがどうも、刑法学における「行為無価値論」に似ているのではないか、と思うに至りました。
 突拍子ないこと言ってやがる、と思われるでしょうが、今回はその点を敷衍してみます。


 念のためお断り(予防線)。

 ここでいう「行為無価値論」というのは、あくまでも、私が受験生だった時代の《受験界通説》としての「(二元的)行為無価値論」を指します。特定の刑法学者の見解を指すものではありません。
 もちろん、受験界通説の出所には、どなたかの刑法学説があるのでしょう。が、必ずしも当該学者の見解がそのまま反映されているとは限りませんので、こういう留保をつけておきます。

 で、ここでいう「行為無価値論」がどのような主張をしていたかというと(デフォルメ入っています)。

A
『結果無価値論によれば、結果無価値(法益侵害)があるだけで違法性が肯定されてしまうが、それでは犯罪の成立範囲があまりにも広がってしまう。そこで、違法性を肯定するためには(結果無価値だけでなく)行為無価値(行為の相当性など)があることも要求すべきである。』

 行為無価値論にもいろんな側面がありますが、今回ネタにしたいのは上記のような主張をしていたことに関してです。
 上記記述それ自体は、大変ごもっともな内容かと思います。問題は、このような主張をしておきながら、実際には行為無価値を次のように機能させている点です。

B
(構成要件該当性が肯定されたあと)『違法性が阻却されるためには、結果無価値が無くなるだけではなく行為無価値が無くならなければならない。』

(「阻却」「無価値」「無く」といった否定語の重ねがけ、意味が取りにくいかと思いますがご容赦ください。)
 このような理屈により、たとえば偶然防衛では「防衛の意思」がなく行為無価値は失われないから正当防衛は成立せず違法性は阻却されない、といった主張が展開されていました。

 防衛の意思の要否といった個々の論点の当否はさておき。AとBとで「形式論理」レベルで矛盾が生じてしまっています。

【A/Bの帰結】
 ア 結果無価値あり+行為無価値あり ⇒違法性あり/あり
 イ 結果無価値なし+行為無価値なし ⇒違法性なし/なし
 ウ 結果無価値あり+行為無価値なし ⇒違法性なし/なし?
 エ 結果無価値なし+行為無価値あり ⇒違法性なし/あり!

 アイのように、どちらもあり、どちらもなしなら結論は分かれません。
 他方で、ウエのように、片方だけありの場合が問題となります。
 この点、ウは、ABいずれからも違法性なし(阻却される)となるかと思われます。が、エは完全に結論が分かれることになります。Bによれば、結果無価値がなくても行為無価値さえあれば違法性が阻却されず犯罪が成立するんだと。

 表向き(A)は犯罪の成立範囲を限定するために行為無価値を考慮するといっておきながら、実際(B)には犯罪の成立範囲を拡大するために行為無価値を機能させている、ということになっています。
 同じ法分野でも、結論の妥当性が重視される分野ならともかく。比較的論理が重視される刑法学ですら、こういう主張がまかり通っているのが、私にはさっぱり理解できませんでした。

 行為無価値論×結果無価値論の対立軸には、客観/主観、事前/事後、など様々なものがあり、受験生レベルでも(それっぽい)議論がなされることがありました。が、私には、形式論理レベルで成立していない、という一点だけで、行為無価値論を避けることとなってしまいました。

 誤解のなきように。
 決してBの主張それ自体がおかしい、ということをいっているのではなく。そうではなく、Bの立場をとるのであれば、最初からB前提で理論構成をすべきであって。それと矛盾するAなどを表に立たせるべきではない、ということです。


 余談ですが、受験界通説としての行為無価値論の主張は全く理解できなかったものの、さりとて結果無価値論では判例から離れてしまう。ということで、受験対策としては「違法性の本質」みたいな大上段の議論は避けつつ、以下の本(当時は書研)を使って割り切りで学習を進めました。



裁判所職員総合研修所「刑法総論講義案 (四訂版) 」(司法協会2016)


 さて、翻ってインボイス。
 これまでの一連の記事で分かったインボイス推進派の皆さんの主張の内実。

A もらった消費税と払った消費税は一致させるべき!
B 仕入先がもらった消費税を納税していても、仕入先からインボイスをもらえなければ仕入元は控除できない(損税)。

 表向きの美しい主張(A)と実際のインボイスの機能(B)のコントラストが、上記行為無価値論のA/Bとそっくり。

 こういう主張を課税庁なり処罰庁なりが言い出すのは、自己の利害に従っただけなので、理解はできます(処罰庁なんて言葉ありませんが、課税庁になぞらえた言葉として使っています)。
 が、頭のいい学者先生までもが、これに倣うのが全く理解できません。
 インボイス導入を推進するのはいいとして。導入根拠まで課税庁の言い分をなぞるのではなく、損税を正当化できるような理論的な根拠をしっかり示してほしい。

 私のような学の浅い人間ですら分かるような矛盾に、頭のいい学者先生が気づいていないはずないですよね。
 もし、分かっていて確信犯的にインボイス推進を展開しているのだとしたら、非常にたちが悪い。
posted by ウロ at 09:12| Comment(0) | 消費税法

2023年05月01日

大島 眞一「完全講義 民事裁判実務の基礎 上巻(第3版) 」(民事法研究会2019)

 以前、あまりにも奇妙な「要件事実論の展開」を見せられたっきりでそのままにしてしまったので、理解を正常に戻すために本書を読むことにしました(リロード)。

【奇妙な要件事実論】
伊藤滋夫編「租税訴訟における要件事実論の展開」(青林書院2016)
伊藤滋夫ほか「要件事実で構成する所得税法」(中央経済社2019)



大島 眞一「完全講義 民事裁判実務の基礎 上巻(第3版) 」(民事法研究会2019)

 同著者で、似たような紛らわしい書名のものがあれこれありますが、「要件事実論」だけでよければ本書になるようです。


 「要件事実論」でどれか一冊、ということであれば本書がよさそうです。
 司法研修所(民裁教官室)の『公式』本の行間を、しっかり埋めてくれています。



 司法研修所「紛争類型別の要件事実」(法曹会2023)
 司法研修所「新問題研究 要件事実」(法曹会2023)

 かといって、『公式』べったりの記述ではなく。一応の前提としつつも、疑問があるところはきちんと指摘されれています。
 『公式』って、実務寄りかと思いきや、かなり理屈先行なところもあります。そのあたりを実務的な観点から調整している感じです。

 ボリュームたっぷりですが、それは説明が丁寧なせいなので、読んでいてそれほど負担には感じないです。
 

 「プロローグ(+イラスト)」に、上滑り気味な事例が載っているのですが、この事例が「要件事実論」本体に活かされていません。でてくるのは、第1部(基本構造・訴訟物)の中でちょろっと。
 本論である第2部(要件事実)の事例では、プロローグの妙ちきりんな人物は出てこず。普通に原告X・被告Y・第三者A・甲土地・乙土地といった、いつもどおりな事例となっています。

 ので、プロローグは削っていいと思います。
 仮に、古本で買ったら切り取られていたとしても、大して支障はない。おかげでお安く手に入るならば(商品状態:可)お得でしょう。目次・本文間の「夾雑物」が無くなってアクセスがスムースになりますし。

 ちなみに、この手法の成功例は下記書籍。舞台設定・登場人物を固定して、会社の発展にあわせて各項目を解説していくというもの。

大垣尚司「金融から学ぶ会社法入門」(勁草書房2017)

 対して本書は、最初の数ページを進んだところで、プロローグのことがすっかり忘れ去られてしまっている。
 真面目な裁判官がユーモアあふれる事例を思いついたということで、ウケ狙いで最初にねじ込んでみたものの、ふざけきれずに元の真面目に戻っていく様。と捉えると、最初の悪ノリ感がなし崩しで消えゆく本書の構成が、納得できます。

 あと現役法曹のポエムみたいなものがジャミング的に度々差し込まれてくるのですが、本文の要件事実論とは全く関係のない内容となっているので、これもなくていいと思います。
 個々の記述の中身がどうこう、というのでなく。「要件事実論」を集中して学習する際の妨げになる、ということです。
 《Coffee Break》するなら自分のタイミングでするのであって、他人にそのタイミングを指図される謂れはない。


 と、イチャモンをつけましたが、本文の内容自体はとてもよいものです。

 記述の仕方が、まず実体法上の要件を提示した上で、それを要件事実として請求原因・抗弁以下に分配していく、という基本的なお作法に則った所作になっています。

 また、評価と事実は区別すべき、要件事実の中に評価を混ぜ込んではいけないということも、具体例をまじえてしっかり書かれていました。

 例の「要件事実で構成する」が、いかに要件事実で構成されていないかが浮き彫りに。
 あやふやだった私の要件事実理解が、本書を教師+例の本を反面教師とすることで深まったので、そのかぎりでは収穫があったといえなくもない(アクティブ・ラーニング)。

アクティブ・ラーニング(カテゴリ)


 なお、本書の「訴訟物」の説明はあんまりしっくりきません。

 たとえば、賃貸借契約終了に基づく明渡請求権につき、終了原因ごとに訴訟物が別にならないことの理由として、次のような記述が書かれています(337頁)。

(2)終了原因との関係
 賃貸借契約の終了原因と訴訟物のとらえ方については考え方の分かれるところであり、賃貸借契約の終了原因ごとに訴訟物がすべて異なるとの見解(多元説)もある。
 しかし、賃貸借契約の終了に基づく目的物返還請求権は、賃貸借契約に基づく賃借人の義務の1つであり、個々の終了原因ごとに賃借人の返還義務が発生するわけではない。
 したがって、1個の賃貸借契約に基づく目的物返還請求である限り、賃貸借契約の終了原因にかかわらず、訴訟物は常に1個であり、個々の終了原因は原告の攻撃防御方法にすぎないと考えられる(一元説)。
 以上より、賃貸借契約の終了に基づく不動産明渡請求権の訴訟物は、「賃貸借契約の終了に基づく目的物返還請求権としての建物明渡請求権」となる。


 これ、私にはただ結論が書いてあるようにしか読めません。

 旧訴訟物理論を採用するならば、実体法の請求権ごとに訴訟物の個数が決まることになります。では、実体法の請求権がいくつか、ということが問題になるわけですが、この記述では終了原因が別でも請求権はひとつだ、と書かれています。
 が、そう解する根拠がない。終了原因ごとに賃借人の義務が別になる、と考えることも可能なわけで、なぜそう考えないのかの理由も書かれていません。

 訴訟法 訴訟物の個数は請求権ごと(旧訴訟物理論)
 実体法 請求権はいくつ?

 みんな大好き「三段論法」で表現すると次のとおり。

 ・訴訟物は請求権ごとに数える(旧訴訟物理論の採用)。
 ・終了原因ごとに請求権は分かれない。
 ・ゆえに訴訟物は終了原因に関わらず一つである。

 いかにも正しそう。ですが、これは次の三段論法と同じノリです。

 ・遠足におやつを持ってきてはいけない。
 ・バナナはおやつである。
 ・ゆえに遠足にバナナは持ってきてはいけない。

 バナナがおやつに包摂されることが論証されていないのに、先走って小前提に組み込んでしまっていることが問題なわけです。

 訴訟法レベルでは、実体法の請求権ごとに個数を数えることに決着したとして、実体法レベルでの請求権の個数は、実体法の解釈により導かなければなりません。
 が、実体法側からすれば、終了原因ごとに請求権が分かれるかなんてどうでもよいことでしょう。債務不履行と不法行為とで請求権が一つか二つかということは喧々諤々議論されているというのに、本論点に関しては華々しい議論が展開されることもなく。実体法レベルでは特に実益がないからでしょうかね。

 訴訟法の側で「実体法にあわせる」と言ってしまったせいで、急遽「請求権の個数」を数えなければならなくなったという、もっぱら訴訟法の都合にすぎません。そして、実体法で十分な議論がされていないのをいいことに、大した根拠も示さずに訴訟法の側で勝手に個数を決め打ちしてしまうという。

 新訴訟物理論が訴訟法レベルで正面から解決しようとした「紛争の一回的解決」のようなものを、「請求権は一つ」ということで、こっそり実体法レベルで解決ずみにしようとしているのではないでしょうか。

 このような振る舞い、私法の側で何の受け入れ準備もされていないのに、税法上の概念を「私法準拠」で解釈しようとする「借用概念」と通ずるものがあります。税法のことなど考えずに解釈された民法解釈論上の「住所」概念を、勝手に税法解釈に流用されても困ると思うのですが。

 要件事実の説明は、実体法の解釈から説き起こした丁寧な説明が展開されているのに対して、なぜか訴訟物の説明はいかにも『公式』準拠っぽい書きぶり。要件事実論が丁寧に展開されているからこそ、余計に目立つ。
 まあ、旧訴訟物理論を前提とする限り、訴訟物の個数云々に関する記述は、本体の要件事実論の理解には影響しないので、要件事実論の学習上はあまり気にしないでいいと思いますが。


 なお、私自身は『訴訟物』概念そのものの有用性を疑っています。そんな概念実定法上存在しないわけで。

 ここで詳述するつもりはありませんが、たとえば既判力の客観的範囲につき、条文上は「主文に包含するもの」とされているのであって「訴訟物に生ずる」などとはされていません。これをなぜ、わざわざ訴訟物に読み替える必要があるのか。

民事訴訟法 第百十四条 (既判力の範囲)
1 確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する。


 訴訟物概念が持ち出されるその他の箇所も個別の要件ごとに検討すべきものであって、訴訟物概念でむりやりひとつにまとめるものではない、というのが私見。
 とはいえ、今のところは「そう思う」レベルのものにすぎず、本格展開するほど煮詰まった考えではありません。

 こういうスタンス、「借用概念」「包括的所得概念」「権利確定主義」など、中二階的な説明理論を持ち出してなにかと統一的に説明しようとすることへの反感とも通ずるところがあるかもしれません。
posted by ウロ at 11:10| Comment(0) | 民事訴訟法

2023年04月24日

黒田有志弥ほか「社会保障法(有斐閣ストゥディア)」(有斐閣2019)

 インボイス記事を書きつつ、本書初版(2019)の書評も書いていたのですが、インボイスネタが終わらないうちに第2版(2023)が出てしまいました。インボイス記事、あと数回は続く感じです。

 下記からも察していただけるかと思いますが、第2版(2023)を買うつもりはないので、初版(2019)の書評のまま供養させていただきます。


 「有斐閣ストゥディア」というシリーズ、私にとっては2冊目もハズレとなりました。

多田望ほか「国際私法 (有斐閣ストゥディア)」 (有斐閣2021)



黒田 有志弥 社会保障法 (有斐閣ストゥディア)第2版 (有斐閣2023)

 念のため、シリーズものでも基本的には著者次第で内容は変わりますので、同じシリーズだからといってレベルが一律ということにはならないです。


 「社会保障に関する一連の制度を概観する」というかぎりでは、文章は柔らかめで、図表やイラストも随所に挿入されているので理解しやすいですし、薄い本ながら求職者支援制度や生活困窮者自立支援制度といったものまで広くカバーしているので、よい概説書だとは思います。

 何がハズレかというと。

 「はじめに」のところで、社会保障制度を「法学的に考える」「法学的アプローチを用いて勉強します」などと書かれているのに、実際の記述は「法学的」云々といったものはほんのりで、ほとんどの記述は単なる制度概観で終わってしまっているところです(私はこのようなタイプの書籍を《制度陳列系》、略して《セドチン》と分類しています)。

 別枠で「考えてみよう」みたいな投げかけはあるものの、考えるためのヒントなりが本文中にはないので、独学者にはおよそ考えようがない。他分野のように学習教材が充実しているわけでもないくせに。
 本書は大学の授業のお供として使うものであって、「社会保障法の独学者」なんて珍奇な存在、想定利用者に含まれていない、ということでしょうか。

 が、セドチン止まりであれば、運営発行の手引・リーフレットを始めとして、わかりやすい競合がいくらでもあります。
 わざわざこのような教科書を読もうとするのは、「社会保障法」とタイトルに「法」が入っていることから、社会保障制度につき法学的な分析が展開されていることを期待しているからです。

 上述のような「はじめに」の記述から期待を膨らませて読んだものの、残念ながらセドチン止まりだった、ということです。

 以下、読みながら残念感を受けた箇所のうち、代表的なものをいくつか。

○14頁,46頁
 社会保障「法」の教科書になっているか、私が真っ先に確認するのが健康保険・厚生年金の被保険者の範囲に関する記述です。

 以前記事にもしましたが、短時間労働者につき、条文の書きぶりと運営を始めとする一般的な説明の仕方とで、表現が裏表になってしまっているのが現状です。

社会保険適用拡大について(2022年10月〜) 〜規範論的アプローチと類型論的アプローチの相克

 もちろん、一般向けの解説ということならば、わかりやすさえすれば、どっちから説明しようが構わないわけです。
 が、「法学的」云々を標榜するならば、ちゃんと条文どおりの正確な記述をすべきだと思います。条文における表裏は、原則/例外を表していたり、あるいは主張立証責任の指標となったり、などなど大変重要なものであって。お気軽にひっくり返していいものではないはずです。

 本書は、残念ながら運営作成リーフレット引き写し感満載。条文をひっくり返した側から記述してしまっています。
 特に、「日雇い」や「2ヶ月以内有期」についてはちゃんと適用除外の側から書かれているにも関わらず、短時間労働者についてはわざわざ条文をひっくり返すところなんて、運営そのまま。
 そこには何のポリシーも感じられません。

 なお、健康保険と厚生年金とで、被保険者の範囲がズレているところがあるわけですが、そういう違いの説明も特にありません。

○ 14頁
 会社役員が健康保険の被保険者となることにつき、お馴染みの通達と高裁判決をコピペしているだけです。
 「使用される者」という文言と明らかに矛盾していることや労働保険との整合性などいったことについての検討がなされていません。

 なお、ここでは「健康保険」の被保険者となることだけが記述されているのですが、「厚生年金」の被保険者となることについては本書には書かれていません。結論は「含まれる」で同じだとしても、それぞれ制度目的が違う以上、その理由付けも違っていてしかるべきでしょう。


 たとえば、役員が「妊娠・出産・育児」をした場合に、どのような制度の適用を受けられるか、ということを調べようと思っても、本書からは何もわかりません。

 上述のとおり、本書では健康保険の被保険者となることは書かれているので、健康保険料の免除は受けられると思うかもしれません。が、正解は、「産前産後期間」は免除されるが「育休期間」は免除されない、となります。

 これは、産前産後の社保免除は労基法上の産前産後休業に限られないのに対し、育休の社保免除は育介法上の育児休業に限られるからです。
 セドチン系の本では、こういった視点がどうしても出てこない。

○ 194頁
 保険料の期間制限につき、本書では「おわりに」のところで、条数引用もなく2年とか5年とか書かれているだけです。

 が、保険料についていえば、
  ・賦課権か徴収権かで違うものがある
  ・そもそも賦課権が観念されないものがある
  ・保険料と保険税で違う
と、各法ごとに違いがあります。
 こういった制度間比較というものも、セドチン系では出てきません。

 また、保険金の期間制限については、
「年金の支分権については時効の規定がありませんが、国が保険者なので、会計法30条によって5年で消滅すると考えられています。」
といった記述がなされています。

 ここも、「法学的」云々ということであれば、厚生年金保険法・国民年金法といった個別法(特別法)に規定がないから「一般法」である会計法が適用される、と表現すべきですよね。なぜにいきなり会計法が出てくるのか、初学者には分かりにくい。いかにも説明不足。


 以上、「多数執筆者による薄い教科書に、平面的な知識を得る以上の役割を求めるのは無理がある」という経験則が積み重なる結果となりました。
 上記の各言いがかりにしても、「だって文字数制限されているんだからしょうがないじゃないか」ということなんでしょう。大学で講義を受けながらのガイドして使う分には充分な内容だとは思いますし。

 が、だとしたら「法学的」云々などと標榜しないでほしい。
 「本書は講義での補足を前提とするテキストなので、お前みたいな独学者には本書の価値は分からんよ」とでもちゃんと言っておいてくれれば、私としても、ここまでイジりの対象とすることはなかったと思います。

 租税法の教科書について、理想の教科書探しが終わっていないというのに、社会保障法についても旅に出ないとならないようです。

税法思考が身につく、理想の教科書を求めて 〜終わりなき旅

 ちなみに、私の中での「法学としての社会保障法」の最高峰が岩村先生の下記書籍。



岩村正彦「社会保障法T」(弘文堂2001)

 総論しかないし古いし、ということではあるのですが、逆に総論しかないことで古さが気にならない、ということでもあります。
posted by ウロ at 10:00| Comment(0) | 社会保障法

2023年04月17日

課税作法論 〜消費税法の理論構造(種蒔き編25)

 租税法学に新しいジャンルが誕生しました。
 というほどのものではなく、課税するにもやり方ってもんがあるでしょう、というお話。


 たとえば、次のような税制、皆様どのように評価されるでしょうか。

ア 全事業者に、売上高の5%分の「償却資産税」を課税する。
イ 自社が保有している償却資産につき、指定された方法で申告した場合にかぎり、当該資産に対応する「償却資産税」を減額する。
ウ 結果として、当該方法で申告をしなかった事業者は、資産を一切保有していなかったとしても、売上高の5%分の「償却資産税」が課税されるということになる。

 「一定規模の稼ぎがあればそれなりの固定資産をもっているはずだ、余計な課税をされたくなければきちんと申告しろ」という制度設計になっています。また随分とぶっ飛んだ税制だな、と思われたかもしれません(さしあたり"償却資産税BEYOND"と呼ぶことにします)。

 が、次のような税制ならどうでしょうか。

ア 全事業者に、売上高の10%分の「付加価値税」を課税する。
イ 適格事業者の発行したインボイスのある課税仕入をした場合にかぎり、当該インボイス記載の付加価値税分の減額をする。
ウ 結果として、インボイスをもらえなかった事業者は、課税仕入をしていたとしても、売上高の10%分の「付加価値税」がそのまま課税されるということになる。

 要するに、インボイス制度のもとにおける消費税法そのものです("消費税INVOICE")。


 「償却資産税BEYOND」も、事業者がきちんと申告するかぎりは、保有している資産以上の課税負担が生じることにはなりません。そうではあるのですが、たとえば過去の航空写真などから、当該場所に何らの資産が存在しないことが明らかだったとしても、指定された方法で申告しないかぎりは、減額することはできません。
 結果として、実体として存在しないことが明らかな資産に課税されてしまうということです。

 現行の償却資産税が、事業者が申告しないかぎり資産の存在を把握できず、どうにか現地調査をしてその一端がつかめる程度、という現状が問題だというのは、そのとおりなのだと思います。だからといって、問答無用で課税しておいてから、資産がないことを申告してくれたら減額する、という遣り口が、支持されるとはとても思えません。
 償却資産税は、資産を保有していることに担税力を見いだして課税しているはずです。資産を保有しないことが明らかならば、課税されるべきではないでしょう(なお、固定資産税が登記基準なのは、誰に帰属しているかはともかく実在はあるから、ということで正当化できるでしょうか)。


 のはずなんですが、「消費税INVOICE」のほうは、なぜかそのような方向からの批判を受けることがありません。非適格である課税事業者Bがきちんと消費税を納税しているにもかかわらず、Bから仕入をしたAが仕入税額控除の適用を受けられないという状態、「償却資産税BEYOND」と同じだと思うのですが。
 もちろん、事業者全員が適格事業者になれば解決することではあります。が、だからといって、非適格者が事業取引に参加しなくなるまでは過大課税をし続けてもいい、などということにはならないでしょう。

 Bが消費税を納税しているかなんて、課税庁は容易に把握できるのであって。にもかかわらず、「インボイスがないから」という理由だけでA側の控除が否定されるという理不尽さ。要するに、「消費税INVOICE」というのは、付加価値という中身のあるものとは異なる、別の何かに課税している、ということになるのでしょう。
 

 「固定資産税BEYOND」がおかしいと感じるにもかかわらず、「消費税INVOICE」をおかしいと感じないのならば、ご自身の《税法感覚》を疑ったほうがいいと思います。

 ということで、「とりあえずで課税対象にしておくけど、申告したときだけ減免してあげる」という遣り口、決して許されるべきではないと思うのです。が、「租税法律主義」を始めとする、租税法の一般原則として唱えられているあれやこれや、こういった問題に対しては全くの無力です。
 「益税撲滅」という大義名分の下で合意形成ができてしまえば、実際の中身が「損税拡大税制」になってしまっても、最早対抗するすべがない。



中里実,藤谷武史「租税法律主義の総合的検討」(有斐閣2021)

 《課税作法論》という新分野の登場が期待されるところです。
posted by ウロ at 09:38| Comment(0) | 消費税法