2022年09月05日

年休権は《更新》されない?(その2)

 前回、「年休権は更新されない」という定説に対する疑問を呈しました。

年休権は《更新》されない?(その1)

 が、巷の解説モノでは、未だに昭和24年の通達の引き写しレベルの説明しかされていないのがほとんど。
 そのうち裁判所に持ち込まれて、よくあるテンプレを漫然と流用していた会社にとってあまりよろしくない結論が出ることになったらどうするのか。


 現行の規定を一旦脇において《制度論》として考えた場合、年休権は賃金請求権などとは違った特殊な権利だということで、「更新なしで期間経過により当然消滅」という設計とすることもありうるでしょう(除斥期間構成)。
 というか、これまで援用すら要せずに当然消滅扱いでもつつがなくやり過ごせてきたのは、除斥期間的な理解のほうが時効構成よりも年休権の性質にマッチするものだったからではないでしょうか。

 が、出発点として、労働基準法115条の「その他の請求権」に該当すると解釈してしまった以上、時効構成とセットになっている民法上のルールも、当然排除とするわけにはいかないはずです。

 もしかすると、昭和24年通達は、解釈レベルで民法の更新(中断)ルールの適用を排除するための、実務における知恵だったと評価できるかもしれません(労働者側からみれば悪知恵)。
 そして、新設された「年次有給休暇管理簿」についても、その記載事項が「(取得)日数」どまりになっているのは、使用者側が「承認」回避をするための逃げ道を作ってくれていたのかもしれない。

 だというのに、漫然と「残日数」や「繰越日数」が記載されたテンプレを利用するのは、いかがなものか(もちろん労働者にとっては攻めどころ)。

 ということを踏まえて、「承認避け」目的で「管理簿」にそれら項目を記載しなかったとして、労働者側から残日数の確認申請があった場合はどう対応すべきか。
 素直に回答すれば、そのまま「承認」になりそうです。じゃあってことで回答拒否したとしたら、権利行使を妨害したとして時効援用権の「濫用」と評価されるかもしれません。

 どっちにしろ、確認されたら詰みそう。


 このように、現状の実務運用がいつひっくり返されてもおかしくない不安定な状態にあるというならば、《立法論》として除斥期間化することも検討すべきでしょう。

 が、労働者不利益が可視化・固定化されるだけの改正、実現の望みは薄そうです。結論自体は、現状の実務運用と変わるわけではないのですが。


 ただ《解釈論》レベルでも、抜け道がないわけではありません。

 というのも、更新規定は労基法に直接書き込まれているのではなく、労基法115条をハブとして民法から流れ込む形になっています。
 そこで、民法の更新規定を「任意規定」と解釈し、就業規則などで更新を排除する旨明記すれば、更新されない年休権の出来上がり、ということになります。

 が、民法だからといってすべて任意規定というわけでもなく、また、労基法に取り込まれることで強行規定化するという解釈も成り立ちうるので、すんなり排除できるとは限りません。

 とはいえ、今の運用を解釈論の範囲内で正当化しようとするならば、このルートに乗っかるしかないんじゃないですかね。
 ではあるのですが、残日数が明確に分かっているにもかかわらず、それでも「時効」で消滅するというの、やはり違和感が残ります。やはり、当然消滅の特殊な権利として正面から法改正してもらうのが望ましい。


 余談ですが、「不利益」繋がりでいうと、年休の「一斉付与」ということで、基準日を設けて本来の付与日から前倒しで付与することが行われています。

 前倒しであるかぎり労働者に不利益にならない、ということで許容されているところです。が、今回問題にした時効消滅という観点からすると、早く付与してもらえればいいというものでもない。
 付与期間が前倒しされれば、その分時効の起算日も前倒しとなります。時効という側面からみれば労働者にとって不利益になっているということです。

 個々の労働者にとって、早く付与してもらえるのがいいのか、遅くまで使えるのがいいのか、人それぞれであって一律に有利不利と割り切れるものではない。ので、早く付与してあげたんだから早く消滅しても問題ない、と評価できるとはかぎらない。
 法律の規定より労働者を不利益に扱ってはいけない、というのであれば、たとえば付与日を前倒ししたとしても、消滅時効の起算日は法定の付与日から2年とするのが筋でしょう。

 せっかく一斉付与を採用したというのに、個別評価なんてしていられない、というのであれば、繰越期間を一律後倒しにすることになるでしょうか。
 そこまでしないとしても、使用者には法定の付与義務以上に、労働者の権利行使を促進する施策を実施することが要求されることになるはずです。
posted by ウロ at 11:47| Comment(0) | 労働法

2022年08月29日

年休権は《更新》されない?(その1)

 年休権は、労働基準法115条の「その他の請求権」に該当し付与日から「2年」で時効消滅する、というのが定説となっています。

労働基準法 第百十五条(時効)
 この法律の規定による賃金の請求権はこれを行使することができる時から五年間、この法律の規定による災害補償その他の請求権(賃金の請求権を除く。)はこれを行使することができる時から二年間行わない場合においては、時効によつて消滅する。


 他方、民法152条では、債務者(使用者)の「承認」があった場合には、時効期間がリスタートすることになっています。

民法 第百五十二条(承認による時効の更新)
1 時効は、権利の承認があったときは、その時から新たにその進行を始める。


【時効の更新について】
時効の中断・停止から時効の完成猶予・更新へ

 実務上は、当たり前のように2年で当然消滅と扱っているわけですが、「承認」が生ずる余地がないのかどうか。

※なお、そもそも労働者に対して時効の「援用」の意思表示なんてしてないじゃん、という問題もありますが、援用の法的性質なども絡むので、さしあたり考慮外としておきます。

民法 第百四十五条(時効の援用)
 時効は、当事者(消滅時効にあっては、保証人、物上保証人、第三取得者その他権利の消滅について正当な利益を有する者を含む。)が援用しなければ、裁判所がこれによって裁判をすることができない。



 この点につき、通達(S24.9.21基収第3000号)では、勤怠簿・年次有給休暇取得簿に「取得日数」が書かれているだけでは、「残日数」に対する「承認」に該当しないとされています。

 が、これは昭和24年(!)の通達です。

 時代を超えて、平成30年の施行規則改正により「年次有給休暇管理簿」の作成・保存が義務付けられました。
 このことが結論に影響するかどうか。

労働基準法施行規則 第二十四条の七
 使用者は、法第三十九条第五項から第七項までの規定により有給休暇を与えたときは、時季、日数及び基準日(第一基準日及び第二基準日を含む。)を労働者ごとに明らかにした書類(第五十五条の二及び第五十六条第三項において「年次有給休暇管理簿」という。)を作成し、当該有給休暇を与えた期間中及び当該期間の満了後五年間保存しなければならない。

※ただし、当分の間「5年間」→「3年間」とされている(施行規則72条)。


 ここでいう「日数」は、「法第三十九条第五項から第七項までの規定により」与えたときとあることからすると「取得日数」のことを指しているのでしょう。
 そうすると、未だ上記通達の射程内にあるようにも思えます。

 が、年休権の「権利性」というのものが、当時とは比べ物にはならないほど強化されています。労働者としての権利としても当然ですが、計画年休や、使用者側の付与義務としても規定されることになりました。
 のに、昭和24年とおなじノリで年休権をカジュアルに扱ってもよいのかどうか。


 確かに、施行規則どおり「取得日数」だけしか書かなければ、「残日数」まで承認したとは評価しがたいのかもしれない。ですが、少なくとも「法定日数−取得日数」は残っていることは明らかなわけで、残日数が明記されていないからといって、日数が特定できないということでもないです。
 通常の金銭債権のように、『本日1万円返済しました』という書面だけでは残債務があといくらあるのか分からない、というのとは事情が異なります。

 また仮に、施行規則の要求を超えて「残日数」までしっかり記載していた場合には、通達の射程は直接及ばないわけで、この場合は「承認」と評価されてもおかしくはないです。


 また、よくあるテンプレだと「前年度繰越日数」を記載する欄があります。
 「前年度以前」となっていないことからすると、2年で当然消滅することを前提としているのでしょう。が、この欄に日数を記入してしまうと、前年度分も「承認」していることになってしまうのではないでしょうか(残日数に合算していれば同じでしょうが)。

 もしこれが「承認」にあたるとすると、無限ループに陥っていつまでも年休権が消滅しない事態になるような気がします。
 ちょっと考えてみましょう。

 以下、丸数字は年度、数字は日数で、一切取得しなかったとします(あくまで仮想例)。

  ア @管理簿:付与10 残10
  イ A管理簿:繰越10(@) 付与10 残20

 そして、第3年度に繰り越す際に10(@)は消滅する、というのが一般的な扱いです。

  ウ B管理簿:繰越10(A) 付与10 残20

(※ちなみに、繰越欄に記載しないことをもって時効の「援用」だというのであれば(別途何かしらの通知は必要?)、その裏返しで繰越欄に記載することは「承認」ということになるのではないでしょうか。)

 が、もしA管理簿に@の繰越分も記載していることが「承認」にあたるとすると、10(@)はまだ消滅していないことになります。
 そうすると、第3年度の管理簿は次のように記載しなければなりません。

 エ B管理簿:繰越20(@+A) 付与10 残30

 これが第4年度以降も続くので、リセットボタンを連打されていることになり、いつまでも時効が進行しないことになります。

 では、承認により消滅していないにもかかわらず、従前の理解に従って@の繰越分を記載しなかった場合はどうか。

 ウ B管理簿:繰越10(A) 付与10 残20

 この場合、イをもって10(@)の承認は終わっているので、時効期間の進行が再スタートすることになります。
 この承認が終わるのがいつの時点かですが、
 ・イの当初作成時(10(A)の付与時) +1年
 ・イの期間満了時 +2年
 ・イの期間満了後3年の保存期間経過時 +5年
のいずれかとなるでしょうか。

 いずれだとしても、従前の理解による
 ・アの当初作成時(10(@)の付与時)
よりは後にずれることになります。


 一旦ここで区切って、次週に続けます。

年休権は《更新》されない?(その2)
posted by ウロ at 09:57| Comment(0) | 労働法

2022年08月22日

自分のドグマは自分で見えない。 〜「原始的不能のドグマ」再訪

 『他人の見解をドグマ呼ばわりする人、自分もドグマを抱えていることを見落としがち。』

小林秀之「破産から新民法がみえる」(日本評論社 2018)


 潮見佳男先生の「契約各論」の体系書が出ましたので、気になるところをふんわり眺めていたんです。



潮見佳男「新契約各論I」「新契約各論II」(信山社2021)

 そうしたところ、例によってひっかかる記述が(I巻199頁)。

(引用ここから)
 マンションの販売業者であるAが,「マンションの北側ベランダから富士山を眺望でき,当社の調査によれば,マンションの敷地の北にある空き地には視界を遮るような建物は建たない」との触れ込みで,分譲マンションの一室(甲)をBに売ったところ,3年後に隣地に高層マンションが建設されたため,Bの居室から富士山を眺めることができなくなったとする。
 このような場合には,@一方で,くA・B間の売買契約において,『マンションの北側ベランダから富士山を眺望することができるマンションを引き渡すこと』が売主Aの債務の内容を成している〉という点に着目したならば,売買目的物(マンション)の品質面での契約不適合を理由とする売主Aの債務不履行責任(民法562条以下)が問題となりうる(もちろん,売主Aの負担した債務の内容が何であったのかをA・B間の売買契約に即して確定する必要がある)。
 他方で,AAとBは,くマンションの北側ベランダから富士山を眺望でき,マンションの敷地の北にある空き地には視界を遮るような建物は建たない〉との事実認識を基礎とし,この認識を合意の内容に取り込んだ(=法律行為の内容とした)という点に着目したならば,法律行為の内容とされた事実認識に誤りがあった(「法律行為の基礎とした事情」についての認識が真実に反していた)ところ(民法95条1項2号にいう行為基礎事情の錯誤),その認識が「表示」されていたとの観点から,Bは,この行為基礎事情の錯誤が民法95条1項柱書の定める重要性要件を充たしたならば,表意者の意思表示は取消しの対象となるその意思表示に錯誤があったことを理由に,意思表示を取り消すことができるのではないかということが問題となりうる。
 この例のように,売買目的物の「品質面での契約不適合」を理由とする債務不履行責任による処理(@)が問題となる局面では,「法律行為(売買契約)の基礎とした事情」についての認識の誤り(行為基礎事情の錯誤)を理由とする取消しによる処理(A)もまた,問題となりうる。そこで両者の適用関係が問題となる。
 債権法改正前の民法のもとでは,この問題をめぐって,錯誤優先説,瑕疵担保責任優先説,選択可能性説が主張されていた。

(引用ここまで)

 錯誤主張、できるってよ。

 この記述自体が、何かおかしいわけではありません。
 が、これと、以前に引用した《不能じゃないと思った⇒錯誤不可》テーゼとは整合するのでしょうか(新債権総論T巻84頁)。

(引用ここから)
 契約に基づく債務の履行が原始的に不能であるものの、当該契約が有効とされる場合には、給付が契約締結時に可能であることに関する錯誤が「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものである」(民法95条1項柱書)ことを理由に、意思表示を取り消すこともできない。「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なもの」とは、旧法95条が「法律行為の要素」と述べていたものに対応する表現であって、その意味としては、表意者がその真意と異なることを知っていたとすれば表意者はその意思表示をせず、かつ、通常人であってもその意思表示をしなかったであろうことを指すものであるところ、原始的不能であるものの当該契約が有効とされる場合は、給付が契約締結時点で可能か不能かは「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要」とみることはできないからである。
 もとより、契約に基づく債務の履行が不能であったことが無効事由・取消事由に該当するときは、このことを理由として契約が無効となったり、取り消されたりすることが妨げられるものではない。

(引用ここまで)

ドキッ!?ドグマだらけの民法改正
潮見佳男「新債権総論1(法律学の森)」「新債権総論2(法律学の森)」(信山社 2017)


 マンション事例については、隣地マンションの建設時点でのバリエーションがありえます。

  1 契約締結前に建設済み
  2 契約締結後、引渡前に建設完了
  3 引渡後に建設完了

 もちろん、マンション建設自体、予定から建設完了まで幅のあるものです。が、改正後は、いつ時点云々は契約解釈のための一要素にすぎず、原始的/後発的かどうかでガラッと結論がかわるものではありません。
 ので、記述としては建設完了時と一時点に単純化して表現しておきます。

 同じように、かつての原始的不能の事例であげられていた「契約締結時には別荘が全焼していた」という別荘事例も、全焼時点でのバリエーションがありえます。

  1 契約締結前に全焼
  2 契約締結後、引渡前に全焼
  3 引渡後に全焼

 こう並べると、別荘事例1が原始的不能だというならば、マンション事例1も原始的不能なんじゃないのかと。
 マンション事例1が原始的不能でないというのだとしたら、まさしく《特定物のドグマ》そのものよ。マンションそのものを引き渡しているから不能じゃない、などといった理由付けをせざるをえないわけで。

 そして、両事例の1〜3は時点が違うだけの「不能」グループとしてひとつに括れるのではないかと。「不能」というと紛らわしいなら「契約不実現」でもいいです。
 要するに、マンション事例における「隣地マンション建設」と別荘事例における「全焼」とは、契約の効力にとって同じ事由なんじゃないかということです。


 上記2つの引用の直接的な記述は、マンション事例3⇒錯誤、別荘事例1⇒錯誤不可、と契約不実現の時点が違うものを想定しています。
 が、もし両事例とも同じ「不能」といえるのならば、何の違いによって、3が錯誤で1が錯誤でないといえるのでしょうか。改正法は、原始的/後発的の違いによるカテゴリカルな区別は廃棄したはずです。そして、そのことをもって「旧ドグマ潰してやったぜ」とイキリちらしていたはずです。

 もし、契約締結時に「建設/全焼」であることが当事者にとって「重要」でないといえるのだとしたら、それが契約締結以降に生じた場合であっても、同じく「重要」でないことになるのではないでしょうか。

 ・契約締結時に建設されていないこと/全焼していないこと
 ・契約締結後に建設されないこと/全焼しないこと

 むしろ、契約締結から時間が経過するに従い、リスクは売主から買主に移っていくものではないのかと。
 契約締結時点で別荘が現存していることが重要だとした場合でも、引渡後に出火しないことまではカバーしないのが通常でしょう。隣地マンションの建設についても、不建設が契約の前提となっていたとしても、一定の年限があるはずで「エターナル眺望保証」はありえない。

 ので、かつての《原始的不能のドグマ》が契約無効とまで主張していたのは言い過ぎだとしても、後発的不能と比べて売主側にリスクを寄せていたのは、方向性としては間違っていなかったといえます。
 他方で、3が錯誤で1が錯誤でないというのは、リスクの分担が逆転しているわけで、どういう理由がつけられるのでしょうか。

 旧ドグマ 原始的不能: ⇒契約無効
      後発的不能: ⇒債務不履行・危険負担

 新ドグマ 原始的不能: ⇒錯誤不可
      後発的不能: ⇒錯誤可


 412条の2第2項の解釈として、《ここに直接書いてあることは「原始的不能でも損害賠償できる」ということだけだが、実は、原始的不能の場合のみ意思表示ルールを排除するという内容が隠れている》とでも読み込めばよいのか。
 なかなかのアクロバティック解釈。ですし、2つ目の引用の記述では、錯誤以外の無効事由・取消事由がありうることは排除されていません。同条の解釈で錯誤の場合だけを排除するのは無理がある。
 なぜ原始的不能だけ除け者にされるのかの実質的な根拠も示されていませんし。

 そうすると、95条の「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なもの」の解釈として読み込むしかないのでしょう。が、以前述べたとおり「契約締結時に履行が可能か不能かなんて契約当事者にとって重要でない」などという、いかにも非常識な理由付けをしなければならなくなります。と同時に、「契約締結後の不能は重要である」ともいわなければなりません。

 なかなかの狭き門。

 同条の「表意者が法律行為の基礎とした事情」の解釈でコントロールするにしても同じことです。
 別荘が契約締結時に現存しているかどうかは法律行為の基礎とならないが、引渡後に隣地にマンションが建たないことは法律行為の基礎となる、などというだけでは《僕がそうするべきだと思った》以上の理由になっていない。単なるご都合解釈。
 その物を引き渡せば履行になる、という《特定物のドグマ》のある意味逆バージョン。その物を引き渡せるかどうかはおよそ法律行為の基礎にならないのに、それ以外の事情は法律行為の基礎になるといっているわけで。


 この原始的不能を錯誤から排除しようとする所作、不能の問題を債務不履行に一本化したいのでは、と以前邪推しました。
 が、請求権競合問題について、潮見先生は「選択可能性説」を採用しています(規範調整とかおよそありえないわー、ぐらいのノリで書いている気がする)。
 そうすると、マンション事例のような場合においては一本化を志向していないということになります。

 ますます別荘事例でのみ錯誤を排除することとの違いが分からない。

 《原始的不能のドグマ》を徹底的に毛嫌いしていることと、原始的不能「だけ」を錯誤「だけ」から追い出そうとしている、というところまではわかりました。
 一体ここまでの見解を主張させようとする因子は何であるのか。なにがしかの《ドグマ》(新・原始的不能のドグマ)が背後に存在しているのでは、と思わずにはいられない。

 旧・原始的不能のドグマ:原始的不能なら契約無効 
 新・原始的不能のドグマ:原始的不能の思い違いは錯誤にならない

 旧・特定物のドグマ:その物を引き渡せば債務不履行にならない
 新・特定物のドグマ:その物を引き渡せば原始的不能にならない


 以上、散々なことを書いたものの、自分自身が何らかのドグマに囚われていないとは言い切れない。

○民法

第九十五条(錯誤)
1 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第一項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
4 第一項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

第四百十二条の二(履行不能)
1 債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは、債権者は、その債務の履行を請求することができない。
2 契約に基づく債務の履行がその契約の成立の時に不能であったことは、第四百十五条の規定によりその履行の不能によって生じた損害の賠償を請求することを妨げない。
posted by ウロ at 16:51| Comment(0) | 民法

2022年08月15日

松尾剛行「AI・HRテック対応 人事労務情報管理の法律実務」(弘文堂2019)



松尾剛行「AI・HRテック対応 人事労務情報管理の法律実務」(弘文堂2019)

 タイトルに「AI・HRテック」とか入っているので、今どきのミーハーなAIモノかと思いきや、そうではなく。
 むしろ、安直にシステムを導入することに対しては警戒的だったりします。


 税務の領域だと、ほとんどの「クラウド」「DX」喧伝本は、新しいものを導入しさえすればうまくいく、と光の部分を強調したものばかりです。確かに、税務の限りではうまくいくことのほうが大部分なのかもしれません。

 が、労務の観点からすると、その際にヒト(労働者)がどうなるのか、という問題が避けて通れません。

・新しいシステムについていけない人に対する教育はどこまでやるべきなのか。
・今まで残業代をあてにしていた人に対する補償は必要なのか。
・新しいシステムを導入したことで仕事がなくなった人を配置転換・雇止め・整理解雇してよいのかどうか。

などなど。
 「人件費減って生産性上がったぜ、やったね!」と、数字だけでは済まない問題が、労務の世界には存在します。

 本書を読みさえすればそれらがすべて解決できる、などといった万能薬が記述されているわけではありません。が、問題解決にあたっての指針には充分なりうるかと思います。


 また本書では、従前の労働法学上の論点を『情報』という観点から再検討されています。「労働情報法」「情報労働法」の基本書、と位置づけてもよいかもしれません。

 もちろん、あらゆる論点を網羅しているわけではありません。が、本書を読めば〈視点〉の獲得ができますので、各自の基本書・体系書に戻っていただいて、自分なりに再検討してみるとよいと思います。
posted by ウロ at 11:35| Comment(0) | 労働法

2022年08月08日

さよなら小規模宅地等の特例の趣旨探訪

 「家なき子特例の趣旨は出戻り保護だ」に対する疑問から始まって、利用区分ごとに各特例の趣旨が何なのか探ってきました。

 が、結局のところよくわからない、というのが最終的な結論です。
 ので、実務家としては各要件を正確に理解することに努めることとし、《趣旨から考える》とかいって、現実の要件から導かれないような趣旨を勝手に祭り上げて、正確な要件理解を阻害しないようにすることとします。

 ということで、ここまでのまとめにかえて、各要件を縦方向で対比してみようと思います。

小規模まとめ.png

 この表は、対比用に並べたものなので、正確性は若干犠牲にはなっていますのでご留意ください。
 また、二世帯住宅や老人ホームの扱いは「居住」のサブルール扱いということで、省略します。


 もっとも特徴的なのが、表の右端が「申告期限」で終わっているということです。「申告期限」以降の継続は求められていません。

 表の中でもいくつか「継続」という言葉を使っていますが、これはあくまでも申告期限までの継続という意味にとどまります。
 巷で言われるとおりに、真面目に「居住・事業の継続」というものを保護するつもりがあるのであれば、申告期限以降の居住・事業の継続も要件になっているはずです。
 設備投資を促進したいなら設備投資してくれれば優遇するし、雇用を増やしたいなら雇用を増やしてくれれば優遇すると、同語反復な物言いですが、優遇税制というものは本来そういうものです。

 ところが、本特例は申告期限後の継続を要求していないわけで、居住・事業の継続の保護を目的としているとは言い難い。
 申告期限までの継続を要求しているものの、こんな中途半端なタイミングまで継続させることにどんな意味があるでしょうか。これは、申告期限までの継続それ自体をしてほしいのではなく、それ以外の何かを判定するための指標として流用しているのではないでしょうか。

 たとえば、事業用@であれば、被相続人の事業が決して特例狙いの仮初めモノではないことを証明するものとして、相続前は3年超or一定規模以上の事業を要求し、相続後は申告期限までの継続を要求すると。
 こういう説明ならば、なぜ申告期限までなどという中途半端なタイミングまでの継続にとどめているのか、一応理解は可能です。


 おおむね、相続前(左側)は被相続人の領域、相続後(右側)は相続人の領域と区分できます。
 左側にでてくる「生計一親族」と「同族会社」は、被相続人と一体のものとして理解すればよいかと。というか、被相続人と一体として評価できるからこそ、被相続人と同列に保護されているのでしょう。

 この区分を領域侵犯しているのが「家なき親族」。相続後は保有継続だけで居住継続が要求されていない一方で、相続前はあれやこれやの条件が課せられています。

 このうちの「×家屋所有」と「×過去所有」。表に収めるために言葉を省略していますが、次のような要件です。

 ア 相続前の3年間に「自分、配偶者、三親等内の親族、特別の関係がある法人」の持ち家に住んでいない
 イ 相続開始時に住んでいる家を過去所有したことがない

 表作成の都合上「〜相続開始時」の欄に収めていますが、これら要件を「行為規範」として捉えるならば、相当広範囲に機能していることが分かります。

【行為規範としての税法】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その1)

 というのも、いつ相続が開始するかは事前には分からないわけです。仮に未来を「予知」できる能力があったとしても、その未来は変わってしまう可能性もあるわけですし。

【オカルティック通則法(「予知」と税法)】
加算税をめぐる国送法と国税通則法の交錯(平成29年9月1日裁決)

 子が、将来親の自宅につき居住用Dの適用を受けられるようにしたい、と考えたとして、上記要件アイはどのように機能するかというと。

 ア「いつ親が亡くなるか分からないのだから、自分や関係者所有の家屋に住むのは止めておこう」
 イ「いつ親が亡くなるか分からないのだから、自分が過去所有していた家屋に住むのは止めておこう」

 アはイと違い「3年限定」となっているので、一見射程範囲が狭そうに思えます。が、「行為規範」の観点からすれば無意味な限定です。
 というのも、いつ亡くなるかが分からない以上、「亡くなってからさかのぼって3年」とか言われても、およそ期間が限定されていることにはなりません。

 「人はいつか必ず死ぬ」として、事前にいつ死ぬかが決まっていない以上、不確定であることに変わりはありません。「相続後3年」と「相続前3年」は、言葉の上では一文字違いですが、「行為規範(事前規範)」の観点からは全く性質の異なるものです。

 もしかするとですが、「見込み」に法的安定性があるとか言っちゃう例の教科書ならば、「期間を限定しているという意味で、法的安定性を重視した結果として評価できる」とか言い出しかねない。

【「見込み」には法的安定性がある?】
中里実ほか「租税法概説 第4版」(有斐閣2021)

 なお、上記の表、事後規範としての要件整理にとどまっているため、行為規範としての広大無辺さを表現できておりません。


 「行為規範」という観点からすると、事業用・貸付用の「3年縛り」にも同様の問題があります。

 事業用でいうと、「事業開始してから3年経てばいい」とか言われても、これから事業を始めようとする時点では、自分があと3年生きるのかどうか知らないわけです。
 そうすると、これから事業を始める人が、自分が亡くなったら相続人に事業用を適用を受けてもらいたいと思ったならば、常に一定規模以上の設備投資をし、かつ無事3年間生き延びられるまでの間、15%を下回らないようにキープし続けなければなりません。

 貸付用はさらに俗悪です。
 事業用の場合は「3年以内に死ぬかも」という運命に対して、自分でたくさん設備投資をすれば抗うことができました。他方で、貸付用の場合は、自分の力ではどうにもできません。
 先代から多数の貸付物件を引き継いできた場合はそのまま維持するだけでいいのに対して、これから貸付事業を始めようとする人は、自分で沢山貸付物件を買っただけではどうにもならず、なんとか3年生き延びることを天に祈るしかない。

 貸付用の3年縛りは《格差拡大税制》だと評価しましたが、行為規範という観点からみると、その俗悪さがさらに引き立ちます。


 「生計一親族」供用の場合は、生計一親族がそのまま継続することを要求しています(事業用A、貸付用A、居住用D)。

 この例外が、同族用と居住用C。

 居住用Cでは、取得者を生計一親族に限定することなく「配偶者」でもよいとされています。これは、本特例が相続人である生計一親族の居住継続を保護するものではなく、(生計一親族と一体として評価される)被相続人の生前の利用を保護しようとするものだからでしょう。
 そして、被相続人に対する保護について、配偶者は要保護性が高いから無条件でそのまま享受ができると。

 同族用では、生計一親族の事業は相続開始時までで打ち切りOKとなっています。前回述べたとおり、同族用にとって、この要件は文字通りの供用要件ではなく、被相続人側の受益要件にすぎないからでしょう。


 各要件の検討を経て、暫定的な私の見立て。

 本特例は取得者側の何らかの利益を保護しようとするものではなく、被相続人の生前の活動によって相続人に迷惑がかからないようにするためのもの、だと捉えています(《立つ鳥跡を濁さず税制》)。

 取得者側が保護されているようにみえますが、あくまでも被相続人の活動の自由を保障したことの付随的効果にすぎないと。
posted by ウロ at 17:49| Comment(0) | 相続税法