2023年04月10日

《免税事業者は消費税をネコババしている》思想 〜消費税法の理論構造(種蒔き編24)

 免税事業者が「請求書に消費税を表示しておきながら消費税を納税していない」という現象をもって、「免税事業者は消費税をネコババしている」と犯罪者扱いされているところです。

 これに対して「必ずしもそうではない」という反論を繰り返し行ってきたわけですが、卑近な例をもって説明を加えます。


 私の事務所、もともと「居住用」で募集が出されていたマンションの一室を借りています。当然のことながら、「事業用」で使うことについて事前に大家さんに承諾をもらっています。

 家賃については、募集時に出されていた10万円のままで(金額は仮です)、「事業用だから。」といって消費税を上乗せされることはありませんでした(勝手な想像ですが、現状免税事業者だと思われます)。

 賃貸借契約書には、特にお願いしたわけではないのですが、
  「賃料 100,000円(うち消費税9,090円)」
と記載されていました。


 さて、このような事実関係のもとにおいて、私が大家さんに対して「インボイス発行してくれないなら消費税分払わねえぞ!」「このネコババ野郎!」みたいなことを言ったとしたら、皆さんどのように感じるでしょうか?

 どう考えても私のほうが悪者ですよね。無知な大家さんを騙して値引きを迫る悪徳税理士。
 大家さんが親切で契約書に消費税を記載してくれたことを悪用してネコババ呼ばわりするなんて、許されるはずもない。


 と、免税事業者が請求書などに消費税を表示していたからといって、それをもって不当に利益を貪っている、とは言い切れないということです。
 「免税事業者が請求書に消費税を記載している」という現象だけをみて、十把ひとからげにネコババ呼ばわりするのは間違い、ということがお分かりいただけたでしょうか。

 仮に、家賃が110,000円といかにも10%乗っかっている風の金額だったとしてもです。
 同じマンションの202号室が居住用、203号室が事業用で家賃はいずれも110,000円だったとして。事業用が110,000円だったのにあわせて居住用も便乗値上げしたのか、それとも居住用がもともと110,000円で事業用をお値段据え置きにしたのか、いずれであるのかは表面上は分かりません。

 一連の流通過程の中で、消費者だけが消費税を全額負担し、かつ、免税事業者だけがまるまる消費税を着服しているなどという想定は、およそ現実とは異なります。
 消費税のない世界から消費税のある世界に移行したとして、従前の取引価格に一切の変化がなくそっと消費税がのっかる、などということにはならないはずです。それが出来るとしたら、小売価格を強制的に税率分値上げできるような商品に限られるでしょう。

 《免税事業者は消費税をネコババしている》思想に安易に乗っかってしまった方々は、誤導によるプロパガンダに惑わされることなく、ちゃんと現実を観察してほしいところです。
posted by ウロ at 10:08| Comment(0) | 消費税法

2023年04月03日

《輸出免税を見たら脱税だと思え》思想 〜消費税法の理論構造(種蒔き編23)

 輸出免税というと、事柄の性質上還付と結びつくせいで、輸出免税自体が脱税の温床であるかのような見方をされることがあります(件の教科書も、そうと思わされる書き方になっているように感じます)。

 ということで、一応確認をしておきます。

オフィシャル村八分 〜消費税法の理論構造(種蒔き編22)


 まずは消費税法の条文から。

消費税法 第七条(輸出免税等)
1 事業者(第九条第一項本文の規定により消費税を納める義務が免除される事業者を除く。)が国内において行う課税資産の譲渡等のうち、次に掲げるものに該当するものについては、消費税を免除する。
一 本邦からの輸出として行われる資産の譲渡又は貸付け
2 前項の規定は、その課税資産の譲渡等が同項各号に掲げる資産の譲渡等に該当するものであることにつき、財務省令で定めるところにより証明がされたものでない場合には、適用しない。


 国内における資産の譲渡でも、輸出なら消費税は免除するとされています。
 念のため、輸出であっても「国内で譲渡」しているから課税対象、という前提があります。消費税法の発動条件が、消費でも譲受でもなく譲渡になっているせいで、そのままだと輸出も課税対象に入ってしまうということです。

 ちなみに、括弧書きに書かれている「免税事業者」の条文。

消費税法 第九条(小規模事業者に係る納税義務の免除)
1 事業者のうち、その課税期間に係る基準期間における課税売上高が千万円以下である者については、第五条第一項の規定にかかわらず、その課税期間中に国内において行つた課税資産の譲渡等及び特定課税仕入れにつき、消費税を納める義務を免除する。ただし、この法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。


 輸出免税は「消費税を免除する」、免税事業者は「消費税を納める義務を免除する」と書きぶりが異なります。この書きぶりの違いがどういうところに表れるか、なんとなく思うところはありますが、そのうちネタにするかもしれません。


 話は戻って。
 簡単な事例で輸出免税のあてはめをしておきましょう。

 対比としての国内事案から。

【事例1】(国内販売)
 A(課税事業者・国内)
  Bに88000で売った。
 B(課税事業者・国内)
  Aから88000で仕入れてCに110000で売った。
 C(消費者・国内)
  Bから110000で買った。


 Aは8000を消費税として納税します。
 Bは2000(10000-8000)を消費税として納税します。

 結果、消費者Cの負担した10000が国に流れてくることになります。

 では、輸出の場合はどうなるか。

【事例2】(輸出販売)
 D(課税事業者・国内)
  Eに88000で売った。
 E(課税事業者・国内)
  Dから88000で仕入れてFに100000で売った(輸出)。
 F(消費者・海外
  Eから100000で買った。


 Dは8000を消費税として納税します。
 Eは8000(0-8000)を消費税として還付してもらえます。

 結果、国の消費税収入は0(8000-8000)ということになります。


 この結果に対して、一部界隈では次のようなことが言われることがあります。

 「Eが還付を受けられるのは、不当な輸出業者優遇だ!」
 「Eが消費税分安く販売できるのは、不当な輸出業者優遇だ!」
 「要するに、輸出販売できるような大企業優遇だ!」

 が、これは消費税法が「仕向地主義」をとっていることの帰結であって、それ自体は何ら不当なものではありません。

 Eは10000で販売しているものの、Fのほうでは輸入する際に「輸入消費税」を負担しているはずです。現地国との税率差次第ですが、必ずしもEが競争上有利とは限りません。
 仮に税率が同じだったとして。Eが還付を受けられなければ、国内・海外双方で消費税が発生することとなり、逆に競争上不利となってしまいます。


 このように、輸出免税制度自体は、何ら不当なものではありません。

 件の教科書でも、輸出の前段階に密輸入、無申告、架空取引などをかませる事例があげられています。だというのに、輸出免税制度のもとで還付を受けることが悪であるかのような、誤導的な記述となっています。

佐藤英明,西山由美「スタンダード消費税法」(弘文堂2022)

 ムゲンエステート事件・エーディーワークス事件に対する評価の点でもそうですが、とにかく《還付が悪》だといいたいらしい。「課のみ仕入」で処理するのが不当だというのであれば、用途区分制度のどこに反しているのかを指摘すればいいのに、そういったことは言わず。「仕入税額控除は請求権だから仕入時に用途が固定される」とかいう、悪しき概念法学のごとく、請求権概念の悪用だけで事足れりとしてしまっている。

虚弱判決(その1) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 一部業者の無茶な脱税スキームと、一部界隈の単なる誤解と、一部学者先生の《還付は悪》思想の悪魔合体により、輸出免税についてもおかしな制度(過小課税から過大課税へ)が出来上がらないだろうか、と心配でならない。《さよなら仕向地主義》なんて記事を書くようなことにならないよう、祈っておきます。
posted by ウロ at 10:35| Comment(0) | 消費税法

2023年03月27日

虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 前回は「正当な理由」についてで、今回は「用途区分」について。

テンプレ判決 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
虚弱判決(その1) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)


 結論自体は「共通仕入」という既定路線どおりで、何の驚きもないのですが。
 問題は、その結論に至るまでの過程。


 まず、仕入税額控除の趣旨を「税負担の累積防止」だと説明していることに対して。

 すぐに思いつく反例が、不課税売上対応仕入でも「共通仕入」として一部控除ができるという点です。

不課税売上げにのみ要する課税仕入れの税額控除(国税庁)

 当たり前ですが、不課税売上の場合には「税負担の累積」は存在しないわけで。のに、一部控除ができるわけです。ので、仕入税額控除を「税負担の累積防止」だけで説明するのは無理がある。
 どうせ何かの受け売りなんでしょうけども、当該事案以外のところに目配せが効いていない状態になっています。

 そもそも、消費税法においては、売上課税ルールと仕入控除ルールとがセットになって機能するものです。なので、仕入控除ルールだけを取り分けて趣旨を語ることに意味はない(はずなんですが、インボイス制度導入によって、両ルールの分断がますます加速しているのが現実)。

 民法とか刑法のようなおなじみの分野では、こんな粗忽な判示は生まれないはずです。が、税法分野の・消費税法の・用途区分に関する論点なんて、初めて知ったという判事もいたでしょうから、まあそうなるよねと。
 消費税法を一通り勉強したことがあれば、迂闊にも「仕入税額控除は税負担の累積防止」と言い切ったりはしないはずで。あくまでも邪推ですが、調査官からレクチャー受けてそのまま採用しただけ、とでも言わないと、このような判示をしたことの理由が説明できないのではないでしょうか。
 薄味の法廷意見であるにもかかわらず、誰一人「個別意見」を付けないという点からしても、自分で何かを考えて判断したわけではないということが透けて見える。

 「税負担の累積防止」というマジックワードが独り歩きして、仕入税額控除をガンガン否認しまくる実務運用が広まらないか、不安がのこります。法廷意見が薄味なのは仕方ないとして、補足意見なりできちんと意味内容を充填しておくべきものだと思います(が、無理解な補足意見が独り歩きすることもあるので、何とも)。


 本件事案のかぎりで「税負担の累積防止」という趣旨を受け入れるとして。

 ではなぜ、消費者でもない居住用賃貸建物の貸主(以下単に「貸主」といいます。)が、最終的な税負担を負うことになるのか。本判決では、何ら実質的な根拠が示されていません。
 「累積していないから」というのは単なる形式論です。本来消費者が負担すべきとされている消費税を、なにゆえ事業者である貸主が負担すべきことになるのでしょうか。
 話はズレますが、「二重課税は許されない」という考えをとるからといって、そこから「二重課税でなければ課税してよい」という結論は出て来ないでしょう。課税してよいことの積極的な根拠が必要になるはずです。

 私自身も、一連の記事において、非のみ仕入が税額控除を否定されることにつき、「負担者が消費者から一段階繰り上がる」と説明しました。が、これはあくまでも非のみ仕入の「機能」を説明しただけであって。なぜ貸主が負担すべきかについては、その根拠は見当たらないということで、逐一疑問を呈してきました。

 判示の中に出てくるのは、共通仕入の税額控除額を課税売上割合か準ずる割合で決めることや帳簿・請求書がなければ税額控除できないことの理由づけとして、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」と言っているだけです。
 その手前にあるはずの、非のみ仕入が税額控除を否定されることの根拠については、何も触れられていません。

 1 課のみは控除できるが非のみは控除できない →???
 2 課のみでも帳簿、請求書がなければ控除できない →適正な徴税の実現
 3 共通する場合は割合でわりきる →課税の明確性の確保

 ここの根拠がはっきりしないままで、下記の「対応している/していない」なんて、本来なら判断しようがないはずなんですけども。


 なお、「課税の明確性の確保」「適正な徴税の実現」などというの、いかにもマジックワード然とした物言い。刑事訴訟法の試験問題を「人権保障と真実発見の調和」だけで乗り切ろうとするくらいの愚行。
 現実に課税仕入を行っていたことが明らかでも、調査時に請求書を提示しなければ税額控除できない(保存要件を満たさない)なんて制度、明確や適正よりも「課税のしやすさ」を極限まで優先した結果でしょうよ。

 さらにいえば、売上課税ルールが実質重視で課税されているというのに、仕入控除ルールが形式重視で制限されている部分だけをみて「適正」だとか「明確」だとかいうの、詭弁のように私には感じます。前述したとおり、どうもこの判決、消費税法全体を見ずに、仕入税額控除制度だけしかみないで判示をしているっぽいんですよね。

【こんな刑法理論は嫌だ】
 構成要件該当性:実質重視で判断。
 違法性阻却:形式重視で限定。
→どのような場合に違法性阻却されるかが明確だから「刑罰法規の明確性」に適っている!


 「用途区分」をどのように判断するか、についての本判決の記述は次の通り。

A 「課税対応課税仕入れとは、当該事業者の事業において課税資産の譲渡等にのみ対応する課税仕入れをいい、課税資産の譲渡等のみならずその他の資産の譲渡等にも対応する課税仕入れは、全て共通対応課税仕入れに該当すると解するのが相当である。

B 2 前記事実関係等によれば、本件各課税仕入れは上告人が転売目的で本件各建物を購入したものであるが、本件各建物はその購入時から全部又は一部が住宅として賃貸されており、上告人は、転売までの間、その賃料を収受したというのである。そうすると、上告人の事業において、本件各課税仕入れは、課税資産の譲渡等である本件各建物の転売のみならず、その他の資産の譲渡等である本件各建物の住宅としての賃貸にも対応するものであるということができる。

C よって、本件各課税仕入れは、その上告人の事業における位置付けや上告人の意図等にかかわらず、共通対応課税仕入れに該当するというべきである。」


 ”ABC”は私が挿入しました。下線は原文どおりです。
 注意深い方ならこの記述の違和感にお気づきかと思います。AとBの間に論旨の《スキマ》があるという点です。

 税法に馴染みがないといまいち分かりにくいかもしれませんので、法学をお勉強されたことがある方になじみのある「刑法学」の議論でなぞらえてみます。「因果関係」についての近時の議論のところです。

 [刑法上の「因果関係」について、かつて複数の学説が争われていた。が、近時では、多くの学者がこぞって「危険の現実化」という抽象的な規範に乗っかった上で、どのような要素を拾ってどのように判断するかという「下位基準」の開発競争に明け暮れている。]

【下位基準開発競争】
橋爪隆「刑法総論の悩みどころ」(有斐閣2020)

 上記A→Bというのは、A「危険の現実化」という抽象的な規範を掲げた後、Bいきなり生の事実を列挙して「ゆえに因果関係がある」と言っているようなものです。Aでいう「対応」というのを、いったいどのように判断すべきなのかの「下位基準」が全く示されていません。

 「要件事実論」の道具立てでいうと、「規範的要件」である権利の濫用の判断について、あれやこれやの事実を列挙してからおもむろに、「だから権利を濫用している」と結論を出しているようなものです。
 いったいいかなる事実があれば「対応している/していない」といえるのかが、はっきり示されていません。

 最高裁が「下位基準」を示していないのは、上述したとおり、消費税法全体の中における仕入税額控除の位置づけがみえていないからなんでしょう。だから、「下位基準」を開陳することで他の事案にも使われてしまうことに対して、及び腰となっているのでしょう。

 Aにわざわざ下線を引いて「大事なこと言ってやった」感出してますけど、「対応」しているかどうかで判断するなんてこと、会計ソフトに「税区分」を入力したことがある人なら、誰でもわかっていることですよ。
 問題は、その「対応」をどう判断するかであって。

課税方式別税区分・税計算区分一覧(弥生会計)


 仕方がないので、Bのあてはめから逆算して、第一小法廷の考える「下位基準」が透けて見えるか確認してみましょう(以下、売上を省略して単に課税、非課税といいます。あと土地の存在を無視します。浮遊城?)。

 これについては、用途区分における「主要事実」は何なのか、という観点から分析するのがよさそうです。「対応」というのは抽象的な「要件事実」であって、それに該当する具体的な事実を「主要事実」だと位置づけるのがよいのではないかと。

 まず、「要件事実」レベルでは
  課税に対応 →課のみ仕入
  非課税に対応 →非のみ仕入
  両方に対応 →共通仕入
で、どちらとも証明できない場合も共通仕入、と整理できるでしょうか(「課税仕入」であることが大前提です)。

 「主要事実」のほうはどうかというと。
 Bで掲げられている事実をみてみると、次の通りとなっています。

  ・課税に対応する事実:転売目的で購入した。
  ・非課税に対応する事実:居住用で貸して賃料もらっている。

 や、ヘンですよね。
 というのも、課税側は、購入時の買主の主観をあげているのに対して、非課税側は購入以降の客観があげられています。
 主要事実は、転売目的/賃貸目的といった仕入時の「主観」なのか、それとも転売した/賃貸したという仕入後の「客観」なのか。それとも、節操なくごちゃ混ぜに考慮するのか。この判示からは読み取れません。


 用途区分の判断時期については、(「仕入税額控除は請求権」という空論によるまでもなく)「仕入時」に判定するのが原則となっています。
 この点、居住者無し状態で購入した場合を想定すると、建物を購入したという客観的な事実だけでは、居住用/事業用いずれかは決められないはずです。天然果実でもあるまいし、自動的に誰かが住み着いて勝手に家賃を払ってくるわけでもない(や、天然果実でもちゃんと育てる必要がありますね)。
 そうすると、納税者がどういうつもりで購入したのかという「主観」によって判断せざるをえないでしょう。

 Cでは、「上告人の事業における位置付けや上告人の意図等にかかわらず」などと、購入者の主観を排除するかのような書きぶりになっています。
 が、ここでいう「意図等にかかわらず」というのは、およそ意図を考慮しないということではなく。転売が主で賃貸が従といった意図の「重み」を考慮しないということを言いたいのでしょう。有るか無しかだけで判断すると。
 本当は貸したくないと思っていたとしても、実際に居住者がいる以上は賃貸の意図は否定できないと。心臓めがけてナイフを突き立てておいて、殺すつもりはありませんでした、という言い訳が通用しないのと同じ理屈でしょう。
 が、だからといって、客観的事実のみだけでダイレクトに「故意がある」とは判断できないはずです。あくまでも、それら客観的事実から「殺すつもりがあった」という主観的事実を認定する必要があります(責任帰属に主観的事実は不要という立場ならば別ですが)。

 意図の重みについては、「課税売上割合」なり「準ずる割合」で考慮するのが消費税法の建付けなんだと(ただし、「準ずる割合」なんてそんな使い勝手の良い制度でもないのに、重みを考慮しないことの正当化根拠に使われることに対しては、実務家的に違和感が残ります)。

 本判決、「対応する/しない」についての判断と、対応する場合に「重み」をつけるかどうかということを、区別せずにごちゃ混ぜに書こうとするから、分かりにくくなっているのでしょう。ただ、前者だけを取り出して記述しようとすると、何ら実質的な根拠が示されていないことが可視化されてしまうので、紛らせて書くというのが大人の知恵なのかもしれません(もちろん、最高裁判決でやることではない)。


 これらのことからすると、用途区分における主要事実は、事業者の仕入時の「意図・目的」とすべきではないでしょうか。ただし、その意図・目的は有るか無しかだけであって、重みは考慮しないんだと。
 購入後に転売した/賃貸したという事後の事実は、あくまでも仕入時にどのような目的だったかを推認するための「間接事実」として位置づけるべきではないでしょうか。

 ただしこれは、私が思う、本判決のAとBのスキマを整合的に埋めるためにはこのように理解すべきでは、という限りのものです。かなりの大きさのスキマであって、このような読み方が唯一の正解だとはとても思っていません。

 本判決から直接読み取れる「下位基準」としては、「意図に重みをつけない」という点だけです。肝心の「対応」をどのように判断するかについては、依然として《判例》がない状態だと言っていいと思います。
 民事法領域では司法研修所を巣窟とした精緻な要件事実論が展開されているくせに、税法領域ではかなりお寒い状況、という一例。

伊藤滋夫ほか「要件事実で構成する所得税法」(中央経済社2019)


 主観/客観をこのように位置づけるとして、次のような仮想例ではどうでしょうか。

  ア 居住用賃貸目的で購入したが、当該地域は《居住禁止区域》だった。
  イ 事業用賃貸目的で購入したが、当該地域は《事業禁止区域》だった。

 いかにも仮想例って感じですが。
 アは、居住用で貸せない以上非課税対応となり得ないのか、それとも本人が居住用賃貸目的である以上、非課税対応となるのか。イはこれの逆です。

 「違法所得」についても課税されるということから敷衍すると、法の規律は無視して本人の目的で判断すべきといえそうです。ではありますが、少なくとも、主観と客観を無節操に列挙している第一小法廷の判示からは、何らのヒントも見いだせない。


 ただし、主観と客観の位置付けをこのように理解することと、「居住用賃貸建物」の仕入税額控除を全面否定した令和2年改正との整合性は微妙です。

消費税法改正のお知らせ(令和2年4月)(国税庁)

 ここでいう「居住用賃貸建物」に該当するかどうかについては、建物の構造など客観重視での判断となっています。しかも、購入時に「居住用以外」であることが明らかなもの以外は「居住用」扱いされることになっています。

消費税法基本通達 第7節 居住用賃貸建物(国税庁)

 上述したとおり、「対応」関係を客観だけで判断するのは無理があるのであって。こちらは用途区分が出てくる前の、あくまでも「居住用賃貸建物」向けの過剰な規制だと理解すべきではないでしょうか。
 実際、「居住用以外」であることが明らかなもの以外はすべて「居住用」扱いと勾配を設けているのは、客観重視で判定するとどちらかが不明な場合が大量発生してしまう、ということに対する手当なのでしょうし。
 不明な場合は課税拡大側へ、というかなり悪辣な制度。真偽不明という「立証」レベルで解決すべき問題を、「実体法」レベルで封じてしまうという手口。ますます、貸主が税負担を負わされることの根拠が分からなくなってきます。


 以上、当記事では本判決のことをあえて「判例」とは呼んでいません。その理由は上述したとおり、射程範囲が広がることを過度に恐れた、あまりにも虚弱な内容の判決だからです。令和2年改正のおかげで実際に使われれる場面は極限まで減っているでしょうし。
 後続の判決に何某かの影響があるとしたら、「意図の重みをダイレクトに考慮しない」という点ぐらいでしょうか。その余の箇所はあまりにも薄味すぎて、どうにも使いでがない。

 あとは、上記Cの「意図等にかかわらず」や令和2年改正の客観重視を過大解釈して、「用途区分は主観無視でいく」みたいな課税庁の見解や下級審判決が出ないことを祈るのみです。
 ということで、担当調査官におかれましては、この薄味な判決をきちんとフォローした解説を希望いたします。が、下手するとこの判決、『民集』に載らない可能性もありますよね。
posted by ウロ at 11:44| Comment(0) | 消費税法

2023年03月20日

虚弱判決(その1) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 例の判決ら。初見で所感を述べましたが、通読しても印象は変わらず。

テンプレ判決 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 大は小を兼ねるということで、以下、ADW事件判決を念頭において記述します。


 順番は前後しますが「正当な理由」のほうから。

 こちらについては裁判官の胸先三寸でどうとでも判断できてしまいますので、《法解釈論》として指摘するべき点は何もありません。
 が、最高裁のくせに、自分のところの判決をずいぶん軽く見ているんだなあという印象を受けました。

 第一小法廷が、「正当な理由」があるとは認められない理由としてあげているものは、次の通り。

1 共通扱いとするのが文理等に照らして「自然」
2 税務当局は共通に見解転換ずみだし、そもそも課のみと言ったのは公式見解じゃねえし
3 事業者の目的に着目して課のみとした裁判例等が「あったともうかがわれない」

 しかしながら、実務家としては、たとえこれらの事情があったとしても、最高裁の判決があるまでは、確定した見解として扱うことはできません。
 というのも、

 1に対して。
 単なる「自然」程度では、最高裁がそのような解釈をとるかは不確実。どう考えてもそうとしか読めない、というレベルまで行ってくれないと、文理を頼りにすることはできない。とりたい結論に応じて文理を重視したり実質を重視したり、まるで安定性がないのが現実なので。

 2に対して。
 税務当局の見解なんか、当然あてにならない。「裁判所は税務当局の見解を鵜呑みにしちゃいがちだぞ」という自白なのかもしれませんが、それを正面から宣言したらだめでしょうよ。

 3に対して。
 下級審の裁判例等にしても、当然あてにならない。最高裁判決が出るまでは、そういう参考判決がある、程度の認識です。
 なお、本論とは関係ありませんが、「あったともうかがわれない」って言い回し、何なんですかね。無いなら「無い」と言い切ればいいじゃないですか。なぜに「うかがい」止まりなのか。

 と、本判決が出るまでのこの論点に関する実務家の認識は、「最高裁は、お馴染みの《課税当局阿り型》なら共通と判断するだろうけど、《納税者寄り添い気分》を発揮して課のみと判断するかもしれない」という感じであったはずです。調査段階では確実に否認されるとして、その後、どこまで争うかを納税者に決めてもらう、という方針だったものと思われます。
 税理士なり弁護士が「課税当局は共通扱いだし、課のみと判断した下級審判決は無いし。」ということを理由に「課のみで突っ走ってもどうせ負けるよ。」などというアドバイスをしていたとしたら、とても適切な判断だったとは思えません。

 今回の最高裁の結論は、お馴染みの課税当局の主張を丸呑みした判決となったわけですが、あくまでも結果論にすぎません。税法に造詣の深い判事が属する小法廷にかかっていたとしたら、違った判断が出ていた可能性だってあったわけです。

 というのに、最高裁の理由付けによると、自分のところの判決が出されていない段階でも、共通扱いとすることが絶対正義・唯一の正解であったかのような物言いになっています。上記1〜3の事情が揃っていれば、もはや共通前提で行動すべきであり、課のみで処理するのは《反税行為》として評価する、ということですか。

 「まだ最高裁がある!」なんていうのはただの夢物語なんだと、最高裁自身が認めてしまってるわけですが、それでいいのか第一小法廷。


 なお、私個人としては《解釈の幅》という概念を導入することで、ファーストペンギンは救済すべきだと考えています。

【解釈の幅】
税法・民法における行為規範と裁判規範(その7)

 このような考え、(私には珍しく)最高裁様の「権威」を尊重するものであって、自尊心がくすぐられるもののはずなんですけども。
 残念ながら、上記のような自虐的な判断をしている最高裁が採用することは、およそ望めないでしょうね。


 ちなみに、争いの型としては、本件のように、初めから訴訟前提で「課のみ」で申告・納税から入る場合のほかに、安全をとって「共通」で申告・納税してから更正の請求というルートもありえます。
 本件で後者をとらなかった事情は分かりません。が、例の「仕入税額控除は請求権だ!」という空論の人からしたら、前者のルートであっても加算税を課すべきではない、と主張するのが自然でしょう。
 が、件の教科書では、本件を脱税から始まる一連の「スキーム」の一つとして紹介してしまっています。請求権構成というものが、ここでは何の役にも立っていない。

〈還付をみたら泥棒と思え〉思想 〜消費税法の理論構造(種蒔き編2)


 ここで区切って、次回は「用途区分」について。

虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
posted by ウロ at 10:37| Comment(0) | 消費税法

2023年03月13日

オフィシャル村八分 〜消費税法の理論構造(種蒔き編22)

 前回は、話の流れの都合上、インボイス後から記述しました。が、今回は時系列に沿って記述し直しておきます。

無限課税変 〜消費税法の理論構造(種蒔き編21)

【事例17】(インボイス前)
 E(課税事業者):
  Dに44000で売った。
 D(課税事業者):
  Eから44000で仕入れてAに66000で売った。
 A(免税事業者):
  Dから66000で仕入れてBに88000で売った。
 B(課税事業者):
  Aから88000で仕入れて消費者に110000で売った。
 C(消費者):
  Bから110000で買った。


・納税額
 E 4000
 D 2000(6000-4000)
 A 0
 B 2000(10000-8000)
 計 8000

 【事例17】では、課税事業者が
  ア 消費者に売ったら(B→C) 10000
  イ 免税事業者に売ったら(D→A) 6000
  エ 免税事業者から買ったら(A→B) △8000
消費税が発生することになっています。

 インボイス推進派の皆さんは、エだけをみて「A(免税事業者)が8000を着服している!」とAを泥棒扱いしていたわけです。で、そのままの勢いでインボイス制度が出来上がってしまいました。

 が、イがあるおかげで、実際の税収ロスは2000だけです。また、不足分2000を一体誰が着服しているかは、上記各取引における「適正価格」というものが分からなければ、犯人を突き止めることは不可能なはずです。

 にもかかわらず、「Aが消費税8000を受け取っているにもかかわらず納税していない」という表層的な現象だけを捉えて、Aが8000を着服していることにされてしまったわけです。


 これがインボイス後、国の税収が10000に回復したかというと、まさかのオーバーキル!

【事例16】(インボイス後)
 E(非適格・課税事業者):
  Dに44000で売った。
 D(非適格・課税事業者):
  Eから44000で仕入れてAに66000で売った。
 A(非適格・免税事業者):
  Dから66000で仕入れてBに88000で売った。
 B(適格・課税事業者):
  Aから88000で仕入れて消費者に110000で売った。
 C(消費者):
  Bから110000で買った。


・納税額
 E 4000
 D 6000(6000-0)
 A 0
 B 10000(10000-0)
 計 20000

 【事例16】では、課税事業者が
  ア 消費者に売ったら(B→C) 10000
  イ 免税事業者に売ったら(D→A) 6000
  ウ 非適格である課税事業者に売ったら(E→D) 4000
消費税が発生することになっています。

 「益税絶許!」としてエを撲滅するところまではいいとして。イはそのままキープ、さらにウを爆誕させることにより、税回収率200%の遙か高みへ到達することに。


 インボイス導入の目的は「消費者の負担した消費税が全て国に流れてくるようにしよう」というものだったはずです。が、実際に出来上がった制度の機能をみると、それ以上の税までもを巻き上げています(ネコババ容認税制からカツアゲ税制へ)。

 インボイス推進派の皆さんは、お役所のプロパガンダにノセられて、
   国家財政+課税事業者+消費者 VS 免税事業者
という対立構造だと思って、推進活動を行っていたのかもしれません。
 が、インボイス後は思いっきり過大課税が生じることとなったわけで、「国家VS民間」という形で対抗すべきだったのではないでしょうか。


 ではあるのですが、非常にたちが悪いのが「登録しさえすればイウは無くなる」という制度設計になっているところです。そのせいで「イウという余計な税を発生させているのは登録しない事業者が原因だ!」と、非適格事業者を悪者に仕立て上げることが可能となっています。

 いわば、インボイス制度の中に、適格者・消費者が非適格者を排除しようとする誘因が組み込まれているということです。要するに《オフィシャル村八分》

 おそらくですが、インボイス制度がこのような理不尽な制度であることを裁判所で主張したとしても、裁判所的には「登録するかは任意だし、登録しさえすれば余計な税負担は生じないんだから」とかいうことで、特に問題視はしないよう思います。
 インボイス制度なんていう、お国の税制の根幹に関わるものについて、裁判所が納税者阿り系の判決を出すことは、とても期待できない。


 そもそもですが、【事例17】で誰が益税を着服しているかが特定できないのと同様、【事例16】で誰が損税を蒙っているのかも、特定できなかったりします。
 そのため、インボイス制度がどれだけ理不尽な制度だとしても、誰も自分の損害を主張することはできないのではないでしょうか。もちろん、訴え提起自体は誰でもできるわけですが、原告適格なり損害論なりで主張が撥ねられるのでは、ということです。

 もしもですが、日本版インボイス制度を設計した人が、誰にも訴えようがないことを見越しつつ、あえて過大課税となるように設計したのだとしたら、悪魔的な発想の持ち主だと思います(《立案の悪魔》)。
posted by ウロ at 09:59| Comment(0) | 消費税法