2024年09月27日

だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)

 判決内容を正確にトレースした「調査官解説」(ジュリスト→法曹時報)がすでに公表されている以上、私みたいな野良税理士が、今さらあれこれイジることに意味はありません。
 また、租税法学者による判例批評ですと、浅妻章如先生が、本判決の理論構造を剥き出しにする骨太な議論を展開されていて、読み応え十分でした。

民商法雑誌159巻2号(有斐閣ONLINE)

 にもかかわらず、わざわざ記事化する理由。他の記事で、本判決に触れたいときの《被引用記事》として置いておきたいからです。
 その程度の理由のため、いつものようなイジる気満々で記述している、他の《判例イジり》モノと比べて、気持ちのノリ方が圧倒的に劣ります。


 なお、上記で、調査官解説に「判決内容を正確にトレースした」と前置した理由。調査官解説が必ずしも「判決内容を正確にトレースした」ものであるとは限らないからです。
 それは決して、調査官が法廷意見に反旗を翻している、ということではなく。調査官解説が出来上がる時系列と、調査官も最高裁判事に負けず劣らずクソ忙しいことに原因があると、勝手に邪推しています。

 時系列: 調査官報告書 →合議 →法廷意見起案 →調査官解説

 すなわち、クソ忙しい調査官が、法廷意見が出されてから徐ろに調査官解説を書き始めるはずがなく。すでに作成済みの調査官報告書を手直しすることで、仕上げていくはずです。
 ここで法廷意見が、調査官報告書の枠組みに沿って結論を出してくれれば、多少の手直しで済むところ。が、その議論枠組みから外れたところで最高裁判事の意見が一致してしまうと、大幅に書き直さなければならなくなります。

 調査官にも良心はあるでしょうから、どうにか法廷意見に沿った内容に修正しようとするはず。ですが、結論だけは一致しているものの、各判事の考えが微妙にズレていてうまく整理しきれないとか(判決では最大公約数的な表現でお茶を濁すところ)、あるいは、時間切れで修正しきれないところが残ってしまうこともあるでしょう。
 そういった部分が、「判決内容を正確にトレースしていない」箇所として現れるのではないかと(あくまでも、外野の人間の邪推です)。


 「事案の概要」とかはすっ飛ばして、いきなり最高裁の判断内容です。

最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(相続税更正処分等取消請求事件)

1 本件不動産の評価額について 4(1)

【規範A】
 ・大前提(条文)
  相続税法22条:相続等により取得した財産の価額=当該財産の取得の時における時価
 ・大前提(解釈)
  時価=当該財産の客観的な交換価値
 ・小前提(事実)
  本件各鑑定評価額=当該財産の客観的な交換価値
 ・結論
  よって、本件各鑑定評価額は相続税法22条に違反しない

 教科書どおりの綺麗な法的三段論法が、鮮やかに決まってフィニッシュ!
 とはならず。

2 税法上の平等原則について 4(2)

 ・租税法上の一般原則としての平等原則=同様の状況にあるものは同様に取り扱われること
 ・課税庁が評価通達に従って画一的に評価を行っていることは公知の事実
 ・特定の者の価額についてのみ、通達を上回る価額によることは、平等原則違反
 ・課税庁の評価額が、客観的な交換価値を上回らないとしても、平等原則違反
 ・通達を上回る価額によることに「合理的な理由」があれば、平等原則に違反しない
 ・「合理的な理由」=通達による画一的な評価を行うことが、実質的な租税負担の公平に反するというべき事情がある場合

 ・通達評価額と鑑定評価額とのかい離をもっては、上記事情があるということはできない
 ・本件購入・借入れにより、相続税の負担が著しく軽減される
 ・相続税の負担を減じ又は免れさせるものであることを知り、かつ、これを期待して、あえて本件購入・借入れを企画して実行したから、租税負担の軽減をも意図してこれを行ったといえる
 ・本件購入・借入れのような行為をせず、又はすることのできない他の納税者との間に看過し難い不均衡を生じさせている
 ・よって、評価通達による画一的な評価を行うことは、実質的な租税負担の公平に反する
 ・したがって、本件各不動産の評価額を評価通達額を上回る価額によることは、平等原則に違反するということはできない

 平等原則違反かどうかを論じているため、「法的三段論法」のかたちにしにくいのですが、無理やり形を整えると次のようになります。
 形式的平等としてのTと、実質的平等としてのUを分けてみました。

ア 平等原則T(形式的平等論)

【規範B】
・大前提(解釈)
 特定の者の価額についてのみ、通達を上回る価額によることは、平等原則違反
・小前提(事実)
 本件鑑定価額は、通達評価額を上回っている
・結論
 よって、平等原則違反

イ 平等原則U(実質的平等論)

【規範C】
・大前提(解釈)
 通達を上回る価額によることに「合理的な理由」があれば、平等原則に違反しない
(通達による画一的な評価を行うことが、実質的な租税負担の公平に反する事情がある)
・小前提(事実)
 本件購入・借入れにより、相続税の負担が著しく軽減されている
 租税負担の軽減をも意図して行っている
 同様な状況にある他の納税者との間に看過し難い不均衡を生じさせている
 これら事情は、評価通達による画一的な評価を行うことが、実質的な租税負担の公平に反する事情と評価できる
・結論
 よって、平等原則に違反しない


 私が、何よりもまず指摘したいのは、大原則としての相続税法22条の解釈適用(上記1)が、「判示事項」や「裁判要旨」からまるっとハブられてしまっていることです。

 確かに、最高裁からすれば、普通に同条の解釈をして、高裁までで認定された事実をそのままあてはめただけであって。何一つ目新しい判断はしていませんけども、ということなのでしょう。
 が、法の解釈適用によりストレートに「時価=鑑定評価額」が導ける以上「総則6項」の出番なんかあるわけねえだろ、という判断、未だに課税実務には浸透していないのではないでしょうか。

 ので、これも独立の判示事項として正面から取り上げてくれればよかったのに、と思いました。


 本記事のタイトルを「だから巡ってないってば!」としたの。
 よくある判決ご紹介記事だと、『相続税評価に係る総則6項の適用を巡る事件』みたいなタイトルが付けられがち。なんですが、本判決の判断枠組みによるならば、裁判所においては、総則6項を巡って争われることはない、ということを含意してのことです。

【本判決の判断枠組み】
 ・原則:相続税法22条によって評価
 ・例外:通達各則によって評価 (平等原則T)
 ・例外の例外:相続税法22条によって評価 (平等原則U)

 もちろん、下級審レベルでは、当事者の争い方に引っ張られて最高裁の判断枠組みどおりに判断しない、ということはありうるわけですが(ていうか、租税事件てそんなのが結構ありませんか(超偏見))。

 なお、用語についての注意。
 総則6項による評価も「通達評価額」と表現してよいはずですが。どうも各則による評価だけを「通達評価額」というのが慣例のようなので、本記事でもそれに従います。


 そうすると、総則6項は「いらない子」扱いで削除しちゃっていいのかといえば、そういうことではなく。

 最高裁判決が出たとて。課税の現場レベルで、最高裁判決の提示した規範を適切に運用できるかといえば、おそらく無理があって(下級審ですら微妙なわけで)。現場で、各則評価によらずに時価チャレンジをするためには、やはり総則6項を経由することになるはずです。
 もちろん、やることは同じですが。通達各則を無視してダイレクトに判例をあてはめるのか、それとも、あくまでも通達を使って評価するのか、現場の人間にとって、やりやすさが全く違うはずです。

 いける:  判例→総則6項→課税処分
 いけない: 判例→課税処分

 ので、行政内部における各則評価によらないための根拠規範として、総則6項は残しておく必要があるでしょう(行政組織法上のアポリア(上級機関と司法のどちらに従うか問題)は、さしあたり無視します)。

藤田宙靖「行政組織法 第2版」(有斐閣2022) Amazon


 問題なのは、「行政領域」で通用する規範と、「司法領域」で通用する規範を同一視してしまうところにあります。

 総則6項は、行政領域にかぎって各則評価に従わない評価をしたい場合に利用されるものであり。司法領域においては、本判決が実践したとおり、「租税法律主義」に従って財産評価をするならば、およそ出番がないものになります。
 通達各則だけが、「形式的平等」の中でかろうじて生かされている状態。

 行政領域で存在していたものが司法領域では消失する、俗に言う「税務シュレディンガーの◯◯」状態といえるでしょうか。

【税務シュレディンガーの◯◯】
パラドキシカル同居 〜或いは税務シュレディンガーの○○


 《平等原則T(形式的平等論)》については、下記判決で敗れ去った宇賀反対意見の「原則必要説」と同じ雰囲気を感じます。
 総合較量なんかするまでもなく、通達によらないというだけで当然に(形式的)平等原則違反なんだと。

最高裁令和6年5月7日・第三小法廷判決 速感
《通達みてえな判決》 〜「判例」としての最高裁令和6年5月7日判決
規範がない。あんなの飾りです。 〜最高裁令和6年5月7日判決の法的構造
法廷意見をHACKしよう!! 〜最高裁令和6年5月7日判決の多数意見vs補足意見

 「財産評価」では通用した《原理論》が、「事前手続」では通用しなかった(というかガン無視された)という様が見て取れるかと思います。
 同じ小法廷で2年程度の間隔であっても、これほどノリの違う判断が出されるのであって。『近時の最高裁における租税判例の傾向は云々』みたいな一般論、お気軽に展開できるものではない。
 宇賀判事だけが、いい意味で予測可能性の高いクリアな立場を保持されておられて。他の判事の傾向はさっぱり予測できない。

 なお、最高裁が、通達評価額相続税法22条の時価の枠内に収まっていると捉えているのかがはっきりしません。
 「合法性の原則」からすれば収まっていなければならないはずですが、平等原則Tによって「合法性の原則」を破ってもよいと考えている、と理解することもできます。
 本記事では、論述の都合から、さしあたり「通達評価額≠相続税法22条の時価」という前提で話をすすめることにしています。


 《平等原則U(実質的平等論)》については、実際に争われているとおり、「合理的な理由」の有無をどうやって判断していくかが問題となっていきます。

 最高裁自身が示したのは、
・鑑定評価額⇔通達評価額のかい離そのものは問題としない
・納税者と、それと似たような状況にある人の納税額を比較する
・税額の乖離が、被相続人らの行為・意図によって生じているかどうか
という程度。

 「何と何を比べるか」については明らかとなりましたが。どの程度の差異が生じれば、実質的な租税負担の公平に反することになるかは、はっきりしません。

 ・財産甲の、鑑定評価額⇔通達評価額 ←比べない
 ・納税者Aの税額⇔納税者A'の税額 ←比べる

 ちなみに、「あえて」実行したというレトリックのせいで、「悪しき意図」があることが納税者不利に作用した、みたいな読み方をする人もいそうですが。
 これは、税額減少とは別の意図で実行した(のに結果的に税額減少した)場合を除外するためにこういう表現をしただけ、と読めばよいのでしょう(『故意は構成要件を拡張しない』)。


 「税額」の減少に着目するという点は、「行為計算否認規定」(法人税法132条〜132条の3)にノリが似ているといえるでしょうか。

 そうすると、個別規定もなしに納税者による評価を否認するのはおかしい、と思う人がでてくるかもしれません。
 が、上述したとおり、相続税法22条に基づく評価が「大原則」なのであり。通達評価額はその「例外」、そして税額乖離が実質的公平に反する場合に「例外の例外」として原則に戻ってくる、というだけの話です。
 財産評価の場面において、通達評価額は「租税法律主義」からすると異物としての位置づけになります。

 規範A:相続税法22条 →租税法律主義
 規範B:通達各則 →平等原則T(形式的平等)
 規範C:相続税法22条 →平等原則U(実質的平等)

 最高裁が、イキリちらして、『租税法上の一般原則としての平等原則』などと大口叩いているせいで勘違いしてしまいがちですが。少なくともこの場面では、平等原則はあくまでも租税法律主義に対するサブルールにすぎません(他の場面でどうかは保留)。


 今後、他の記事において本記事を引用する場面としては、(総則6項の位置づけとして書いたとおり)「行政向けの規範と司法向けの規範は異なる」ということを主張したいときに利用することになると思います。

 通達に「外部拘束力」はないとはいえ。お役所が通達に従って行動せざるをえない以上、納税者も現場レベルではそこに合わせて上手にお付き合いしていく所作(現場でのマナー)が必要となります(あくまでマナーなので、やるときはやる)。
 他方で、裁判レベルでは、形式的平等のかぎりで通達の存在を主張し、あとは法律論で勝負すると。

 という感じで、場面ごとに規範の切り替えをしていくことを意識する必要があるのでしょう。

【労務における行政と司法】
最高裁令和6年7月4日第一小法廷判決(労災・メリット制)における「行政/司法」と「実体法/手続法」の交錯
posted by ウロ at 11:05| Comment(0) | 判例イジり

2024年09月23日

使途不明金と使途秘匿金 〜だから違うっつんてんだろ!!

 各種解説書のたぐいで、横並びで説明されがちなこの二人。
 税制上は全くの別レベルのものだというのに。いまいち理解がされていない(上田晋也氏「加藤あいと阿藤快くらい違うよ!」)。

 先日イジった書籍も、(税理士を法律ド素人扱いしているくせに)どうも正確に理解していないっぽい書きぶりでしたよね。

眞鍋淳也「税務調査は弁護士に相談しなさい」(ディスカバー2024)

 ということで、条文レベルでの整理をしておきます。
 なお、国税庁の「指示」により、使途秘匿金課税については慎重に対応することとされています。が、以下はあくまでも条文に書かれているかぎりでの整理にとどまります。


 余談ですが、本論点のほかに、税法世界でその位置付けが正確に理解されていないものの代表例が、総則6項。
 最高裁判決により釘を刺されたはずなのに、議論枠組みを頑なに変えない、一定の勢力が存在する。

だから巡ってないってば! 〜最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(財産評価)


 (遺憾ながら)いきなり通達から。

法人税基本通達9−7−20(費途不明の交際費等)
 法人が交際費、機密費、接待費等の名義をもって支出した金銭でその費途が明らかでないものは、損金の額に算入しない。


 通達が勝手に「損金不算入規定」を新設するのおかしくない?というのはごもっともな疑問。

 説明の仕方としてはいくつかありますが。ここでは、次のとおり理解しておきます。
・「費途」が不明な場合、「費用性」が認められないことを明記した(法22条3項2号の解釈として)。
・「交際費等」に限定しているのは、「物を買う」場合のように、対価として見合いのものが入ってこない場合だから。

法人税法 第二十二条
3 内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の損金の額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、次に掲げる額とする。
一 当該事業年度の収益に係る売上原価、完成工事原価その他これらに準ずる原価の額
二 前号に掲げるもののほか、当該事業年度の販売費、一般管理費その他の費用(償却費以外の費用で当該事業年度終了の日までに債務の確定しないものを除く。)の額
三 当該事業年度の損失の額で資本等取引以外の取引に係るもの


 ということで、「費途不明金」なる概念は、費用性が認められない(と国税庁が考える)支出のうちの一部を、グループ化しただけの概念であって。法律上の制度ではないということです。

 素直に「費用として認められない」といえばいいところを、「費途不明金に該当するから費用として認められない」とかいうの、どうにも回りくどく感じられ。講学上の概念としても使うべきではない、と個人的には思います(櫻井和寿氏のことを「Bank Bandのボーカルの人」というみたいなもの、という例が思い浮かびましたが、なんか違う気がする)。

【卑近な例】
吉田利宏「実務家のための労働法令読みこなし術」(労務行政2013)

 なお、「使途不明金」という書き方をされることもあります(タイトルはあえてこちら)。が、これだと、法令はおろか通達にすらとっかかりのない用語となってしまいます。
 また、「使途秘匿金」と同レベルの制度だと誤解される元凶のひとつではないかとも思います。
 ので、「使途不明金」という用語は使いません。

 と、気に入らないと思いつつ、以下では「使途秘匿金」と対比するものとして「費途不明金」という用語を用います。


 で、「使途秘匿金」について。4、6、7、8項は省略します。

租税特別措置法 第六十二条
1 法人(公共法人を除く。以下この項において同じ。)は、その使途秘匿金の支出について法人税を納める義務があるものとし、法人が平成六年四月一日以後に使途秘匿金の支出をした場合には、当該法人に対して課する各事業年度の所得に対する法人税の額は、法人税法第六十六条第一項から第三項まで及び第六項、第六十九条第十九項(同条第二十三項又は第二十四項において準用する場合を含む。)並びに第百四十三条第一項及び第二項の規定、第四十二条の四第八項第六号ロ及び第七号(これらの規定を同条第十八項において準用する場合を含む。)、第四十二条の十四第一項及び第四項、第六十二条の三第一項及び第九項、第六十三条第一項、第六十七条の二第一項並びに第六十八条第一項の規定その他法人税に関する法令の規定にかかわらず、これらの規定により計算した法人税の額に、当該使途秘匿金の支出の額に百分の四十の割合を乗じて計算した金額を加算した金額とする。

2 前項に規定する使途秘匿金の支出とは、法人がした金銭の支出(贈与、供与その他これらに類する目的のためにする金銭以外の資産の引渡しを含む。以下この条において同じ。)のうち、相当の理由がなく、その相手方の氏名又は名称及び住所又は所在地並びにその事由(以下この条において「相手方の氏名等」という。)を当該法人の帳簿書類に記載していないもの(資産の譲受けその他の取引の対価の支払としてされたもの(当該支出に係る金銭又は金銭以外の資産が当該取引の対価として相当であると認められるものに限る。)であることが明らかなものを除く。)をいう。

3 税務署長は、法人がした金銭の支出のうちにその相手方の氏名等を当該法人の帳簿書類に記載していないものがある場合においても、その記載をしていないことが相手方の氏名等を秘匿するためでないと認めるときは、その金銭の支出を第一項に規定する使途秘匿金の支出に含めないことができる。

5 法人が金銭の支出の相手方の氏名等をその帳簿書類に記載しているかどうかの判定の時期その他第一項の規定の適用に関し必要な事項は、政令で定める。

9 第一項の規定は、法人がした金銭の支出について同項の規定の適用がある場合において、その相手方の氏名等に関して、国税通則法第七十四条の二(第一項第二号に係る部分に限る。)の規定による質問、検査又は提示若しくは提出の要求をすることを妨げるものではない。


 これを簡単にまとめると次のとおり。

1項
 使途秘匿金の支出額に40%課税する
2項
 使途秘匿金の支出とは
 ア 金銭の支出+金銭以外の資産の引渡し
 イ 相手方の氏名名称、住所所在地、その事由を帳簿書類に記載していない
 ウ 記載していないことに相当の理由がない
 エ 取引の対価(金額相当)の支払は除外
3項
 税務署長が、記載していないことが秘匿するためでないと認めるときは秘匿金課税しない
5項
 記載の判定時期は事業年度終了日(令38条1項)
9項
 秘匿金課税をする場合でも、重ねて質問検査権を行使してもよい


 こんなピーキーな制度を「費途不明金」と横並びにできる税法感覚、よく理解できません。

 使途秘匿金の特徴は以下のとおり。

・「支出額」にダイレクトに課税する。損金不算入⇒課税所得UP経由で課税するのとは、わけが違う(赤字でも課税)。
 未だに措置法に置かれっぱなしで本法に編入されないの、ダテじゃない。

・「未記載」がメインの要件となっている。費用性のような実質判定ではなく、形式判定によるということ。系統でいうと、消費税法における「仕入税額控除」に近い。

・「使途」秘匿金というが、記載の対象は使い道だけでなく。氏名住所の記載も要求されている。

・事業年度が終了するまでに記載していなければアウト。事後的に明らかにしたところで挽回できない(優良帳簿なら完全に詰みか)。

・「相当な理由」は、記載しなかったことに対するもの。
 たとえば「いろんな人にビール券配った」など、相手方を特定しようがない場合などが想定されている。それ以上に、「刑事責任を追及されるおそれがある」とか「今後取引が打ち切られてしまう」などの理由が該当するかは、今のところはっきりしない(おそらく消極)。

・「秘匿するためでないこと」が要件のひとつになっているが、「相当な理由」とは違って、ストレートに実体要件として記述されていない。税務署長の判断に委ねられてしまっている(裁判所による裁量統制はあるでしょうが)。

・「使途秘匿金課税を受け入れます」と白旗あげても、質問検査権の追及から逃げられるわけではない。
 ましてや、例の著書がいうみたいに「納税者には立証責任ないから、秘匿したまま税務署が立証するのを待っていればよい」などという対応で、安穏としていられるわけがない。
 むしろ、そんな対応、質問調査権の「必要性・相当性」を爆上げさせるだけで。どぎつい調査権行使を呼び込むだけなんじゃないですかね。


 このように、使途秘匿金を費途不明金と地続きで記述するには、あまりにノリが違うわけです。
 使途秘匿金から放たれる禍々しいオーラを感じ取れるなら、とても費途不明金を隣に置いておけるものではないことに、気づくはずです。

 使途秘匿金の置き場所で、私が一番しっくりきたのは、「図解 法人税」での配置。

 馬場光徳「図解 法人税(令和6年版)」(大蔵財務協会2024)

 (よくある教科書類で対応するものでいうと)「第4章 費用の税務」の中に配置されがちなところを。「第15章 税額計算、申告、納付」の中で、留保金課税との並びで、使途秘匿金課税が解説されています。

 他方で、置き場としてダメなものの代表として、「金子租税法」。

 金子宏「租税法 第24版」(弘文堂2021) Amazon

 「法人所得の意義と計算」⇒「損金の額の計算」⇒「使途秘匿金(使途不明金)」と、損金ルールの中で記述されてしまっています。

 あらためて。
 「金子租税法」は、壮大な金子租税法学を仰ぎ見るためと、関連判決・論文を網羅的に拾い上げるためのエンサイクロペディアとして利用するものであって。
 現行税制をあるがままに理解するためには、必ずしも適合的でないところがある、ということは意識しておくべきだなあと。


 費途不明金のほうは、他の課税要件と同様「実質重視」の判定をします。ところが、使途秘匿金については、帳簿未記載という「形式要件」が前面に出てきます。

 この点、私の肌感覚として、「消費税法の仕入税額控除が、適格者からの課税仕入であることが明らかであっても、インボイス無しor帳簿記載なしという形式のみで控除が否定されるの、理不尽すぎる」と思うのに対して。「使途秘匿金」については、そこまでの理不尽さは感じません。

 この感覚の違いが何に基づくものなのか、さしあたりよく分かりません。


 「課税要件事実論」の信奉者の方々は、ぜひとも費途不明金と使途秘匿金の、それぞれの要件事実を展開してみてください。

【課税要件事実論の展開】
伊藤滋夫ほか「要件事実で構成する所得税法」(中央経済社2019)
伊藤滋夫編「租税訴訟における要件事実論の展開」(青林書院2016)

 そこらの《税務お役立ち記事》だと、あたかも「a+b」の関係にあるかのような記述になっているのですが。全く別物であることがお分かりになるかと思います。
(誤導的な書き方をしていますが、書き出しから「費途不明金の要件事実」とかやりだしたら、その時点でアウトですからね。)
posted by ウロ at 09:00| Comment(0) | 法人税法

2024年09月16日

『租税法教科書における《帰属所得》の説明は、なぜしっくりこないのか?』

 こんな疑問抱いているの、私だけなんですかね。
 言わんとすることは分かるけども、どうにも腑に落ちない状態。

所得税法における「総論・各論問題」について

 いくつかの教科書を読んでいるうちに、どうも要因が分かった気がするので、以下整理してみます。
 ただし、あくまでも「帰属所得の説明が分かりにくい要因が分かった」であって。「帰属所得が分かった!」ではありません。

 なお本記事、もともとは、とある租税法教科書の書評記事の中で展開しようとしていたものでした。が、あまりにも当該教科書の内容からはかけ離れてしまったため、独立して記事化することにしました。
 当該教科書の書評記事は、中身がほとんど無くなってしまったので、しばらく寝かせることになりそうです。


 以下、箇条書きで。

・まず、おなじみサイモンズの定式として《所得=純資産の増加+消費》がご紹介される。

・右辺に《消費》とあるが、消費そのものに課税するという趣旨ではなく。資産の減少をもたらす消費を足し戻した状態の、純資産の増加に課税するものである。例えていうなら、生前贈与を相続財産に足し戻して課税するみたいなもの。
 なので、「消費型所得概念」を(も)採用しているのではなく。あくまでも、「取得型所得概念(純資産増加説)」の枠組みの中にとどまるものである。ひとつの税目で消費型と取得型を併用するなんて、さすがにご都合主義すぎるでしょうよ。

・ところが、《帰属所得》を論ずる段階になると、「帰属所得は消費だから本来課税すべきもの」と、消費であるという、ただそれだけの理由で課税してよいような書きぶりに変貌する。
 純資産増加説からすれば、資産の減少をもたらす消費(α)だけが課税すべきものであるのに、無限定にすべての消費(+β)に課税してよいかのような論述にすり替わる。

 純資産増加説: 所得=純資産の増加 +消費α
 帰属所得:   消費(α+β)なので課税すべき

・では、大多数の教科書が、ウブな学習者向けに《叙述トリック》をかましているのかというと、そういうことではなく。
 帰属所得においては「効用が生ずると同時にそれを消費している」というプロセスを経由しているにもかかわらず。前半を省略して、単に「消費している」としか記述しないせいで、すり替えているとの誤解が生じてしまっている。

 × 消費したから課税する。
 ◯ 効用が生じたから課税する。消費によるマイナスは足し戻す。

・そもそも、「消費」などという日常用語っぽいものだというのに、厳密な定義(あるいは内包と外延)を記述してくれていない。
 たとえば、帰属所得の例として「帰属家賃」は必ずでてくるが、「帰属地代」だとどうなるのか。消費税法上は「土地は消費されない。」とかいう理由で非課税扱いだが、所得税(法)の世界では、土地も「消費」できるということでよいのか。

・消費の直前に効用が生じているということで、《定式》上の説明はできるものの。
 外部からの収入という確固たる純資産の増加が生じるものと比較して、消費する直前にいきなり生ずるだけの効用が、課税に値するものなのかどうか、その論証が別途必要ではないか。
 「消費だから本来課税すべきだが、便宜的に課税していない」とか、「消費している以上、課税すべき効用が先行しているはず」というのは、ただの結論先取りであり。帰属所得における効用それ自体が課税に値するものかを、先に論じる必要があるはず。

・持ち家と賃貸を比較して、「持ち家が帰属所得の分だけ有利だから、帰属所得に課税すべき。」といったことが言われるが(厳密には「賃借」ですが慣用に合わせます)。両者の違いは「持っているかどうか」にあるのであって。その違いに即した形で課税するのが本来の姿ではないか。
 ただ、「人脈が太くておいしい思いをしている」みたいな場合にも課税するというのなら、やはり、帰属所得のような概念を作りだして課税するのが、一番の近道か。というか、そんな場合にも無理やり課税できるようにするための、極めて技巧的な概念ではないか、とも思う。

・賃貸との「公平」の観点から持ち家にも課税すべき、というが。そんな限局された場面での部分最適だけを実現したところで、帰属所得のコンセプトにはそぐわないはず。
 帰属所得に課税することの機能をあるがままに表現するならば、「持っている人を持っていない人に合わせる」というものであり。最終的には全員の「持っているモノ」が均等になるまで課税され続けることになる。資産を目減りさせないためには、「利用しない」ことが重要となる。
 この点で、「包括的所得概念からは、帰属所得に課税するのが当然。」などという言明、憲法の「財産権の保障」との関係で、かなり危うい主張ではないか(相続税との二重課税も視野に入ってくる)。

・《課税単位》を説明する箇所では、「独身/夫婦(片稼ぎ)/夫婦(共稼ぎ)」を素材として、夫婦の所得を合算するかしないかが論じられている。
 が、帰属所得が「所得」だというならば、「片稼ぎ」という概念は存在しえないのではないか。また、帰属所得は本来課税すべきだというならば、帰属所得の存在を無視して課税上の「公平」を論ずることはできないのではないか。


 以上、バラバラと述べたことから、次のような見立てをしました。

 すなわち、「帰属所得」なる概念は、「持っている人と持っていない人」の格差の是正を、所得課税の中で実現するために生み出された概念にすぎないのではないか。
 にもかかわらず、「帰属所得」がなにか自然界に実在しているものであるかのように説明していることから、私のような普通の人間には理解しにくくなっているのではないか。フィクションならフィクションだとして説明してくれないと、勘の悪い私のような人間が、すんなり理解できるはずもない。

【みんな大好きフィクション論】
来栖三郎「法とフィクション」(東京大学出版会1999)

 そしてまた、「帰属所得」が実存するかのように主張するのならば、全領域において常にそのとおり振る舞ってほしいわけです。が、実際には、論点ごとに帰属所得を持ち出したり引っ込めたり。ご都合主義って感じで一貫した記述となっていない。
 『私、見えないモノが見えるの。』という設定でいきたいのならば、すべての場面でそのとおりやってくれなければ。付き合わされるこちらが大変でしょうよ。

 「設定を設定として守る」という基本的なお作法が、周りの理解を得るためには重要、とまとめることができるでしょうか。


 なお、以上は、あくまでも《教科書》レベルの記述を素材とするものにとどまり。《学術論文》レベルにまで手を出せば、厳密な論証が展開されていることが分かるのでしょう。

 が、学者先生の教科書を《梯子読み》している時点で、税理士としてはかなりの傾奇者であり(旧司法試験でいう《基本書ヴェテ》みたいなポジション)。さらに学術論文まで読めというのは、さすがに及ばない。
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2024年09月14日

眞鍋淳也「税務調査は弁護士に相談しなさい」(ディスカバー2024)

 「税理士に故郷の村でも滅ぼされましたか?」と思わされるくらい、税理士に対するルサンチマンがアツい!

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【税理士に向けられた怨嗟の数々】
・納税者の利益を守ってくれるかと言えば、残念ながらそうではないのが実情
・法律の専門家ではないため、税務署の要求が法律を遵守したものかどうかを判断できず、要求にそのまま従ってしまう
・法律的な知識に乏しく、先を見据えたアドバイスができない
・税理士が税務署側の立場についていることがある
・一部の税理士においては税務署職員に頭が上がらない
・保身を考えて、納税者の意図とは異なる方向、すなわち税務調査官に言われるままの金額を支払うように促す
・国税庁から「指導監督を受ける立場」であり、国税庁の考える「適正な納税」を、納税者に指導することが義務化されている
・自然と冷静さや客観性を欠き、ロジカルなやり取りができなくなる
・他でもない「国家権力」である国税局の職員が間違ったことなど言うわけはない、というのが一般的な考え方
・言わないでよいことを言ってしまう
・元国税調査官が顧問税理士であるという場合に、税務調査が厳しくなる
・第三者として客観的に見ることができない
・防御一辺倒になりがち
・納税者を守るということに手が回らない
・税理士も文書を出せるのですが、あまりしないようです。理由はわかりませんが、「税務署にそんなことをしていいのか」という気持ちがあるように思われます。
・税理士は国や税務署に怪しいと言われると「もう難しいですね」と、言われた通りに修正申告してしまうことが多い
・税理士は申告が仕事です。税務署が申告の代理を税理士にさせている、つまり国の作業を税理士に託している
・顧問税理士は税務調査には立ち会わないほうがいい
・顧問税理士だけが調査に立ち会うのは避けるべき

 著者のまわりにばかり、やたらとデキの悪い税理士が集結している様を想像すると、微笑ましくも思えます。が、下記のものなど、税理士制度そのものまで貶めようとするのは、認識として相当歪みきっていますよね。

・国税庁から「指導監督を受ける立場」であり、国税庁の考える「適正な納税」を、納税者に指導することが義務化されている
・税理士は申告が仕事です。税務署が申告の代理を税理士にさせている、つまり国の作業を税理士に託している


 他方で、弁護士に対する評価(ごく一部)。

・数々の刑事事件において、一見すると不利な状況を覆した経験があるからこそ、税務調査における不利な状況でも、どのような手段が適切なのかということについて、冷静に判断することができる
・弁護士は刑事事件で検察官の尋問に対して意義を出すことに慣れています。再尋問をすることによって正しい答えを導き出すこともできます
・法律を扱う弁護士というのは、あらゆるシチュエーションを考えることが商売のようなものなので、極端に言えば1つの事象について、未来にどうなるかということを無限に考えることもできます


 刑事の否認事件で無罪を勝ち取った弁護士なんて、そんな多くいるわけでもないでしょうに。「逆転裁判」の世界観ですか。
 
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 弁護士の上層と税理士の下層を比較して、「だから税理士はダメなんだ」という、いわゆる《上澄み/澱み論法》が展開されています。海外出羽守(カイガイデワノカミ)の皆さんがよくやっていらっしゃるやつです。

 「税理士が教えてくれない◯◯」みたいな、節税ライターの方が書いた与太本だったら相手にしなくてもよいのでしょうが。実績のあるであろう弁護士先生に、「税理士は調査に立ち会うべきではない」とまで言い切られてしまっていて。

 《税務調査に強い税理士》を謳っている皆様、きちんと反論されたほうがよろしいのではないでしょうか。

 「事実とは異なる」と太字にしたうえで書きますが、弁護士に対する評価として、
・タイムチャージ制だと、交渉を長引かせがち。
・追加報酬がもらえるから、交渉で終わらせずに訴訟に持ち込ませたがりがち。
・日弁連、単位会の会長経験者に頭が上がらない。
・裁判官に嫌われたくないから、裁判官の言いなりになりがち。
みたいなことを他士業の人間が言い出したら、弁護士側からボロクソに反論されるはずで。

 そのレベルの与太話を、本書では税理士に向けてぶっ放しているわけです(ここに、旧司法試験/新司法試験、予備試験/法科大学院間で能力差があるかのような物言いを入れ込んでもよいでしょうか)。

 《税理士は、国税庁が考えたとおりの「適正な納税」に従って、国の代理で申告作業するだけの奴ら》とか言われちゃっているわけで。「官報vs院免vs国税OB」などと、内輪でイチャコラやっている場合ではない。


 数々の罵詈雑言に対するプロテストは、《税務調査に強い税理士》の皆様にお任せするとして。

 私がやりたいことは《揚げ足取り》です。細かいツッコミは色々あるのですが、一箇所だけ(P100〜)。
 以下、太字が原文からの引用です(「使徒」の誤記は原文ママ。ユダ(イスカリオテ)の受け取った「イエス暴露金」(マタイ書第26章、マルコ書第14章、ルカ書第22章参照)の反対概念か)。

 交際費として計上したものが税務署から認められず、使途秘匿金ではないかと指摘されたという案件です。
 その会社は大学の先生にかなり高価なブランド品を渡していたそうです。ところが税務署から、〇〇大学のxx先生だというふうに明らかにしないと交際費と認めないと言われたとのことでした。ブランド品の領収書を交際費として計上したことに対して、誰に渡したかまで教えろという要求があったわけです。これは簡単には教えることができません。
 なぜなら、収賄・贈賄という話になりかねないからです。


 「贈賄」に該当するなら損金不算入ですよね(法人税法55条6項)。これを確認するために、調査官には質問検査権(国税通則法74条の2)がありますし、不答弁には罰則(同法128条2号)があります。
(なお、調査官が贈賄罪の構成要件該当性を判断できるのか、という疑問はあるものの、法人税法に刑法がビルドインされている以上、判断せざるをえないのでしょう)。

 しかし、使徒秘匿金とは、次の要件を満たすものです。
 @支出先の氏名または名称がわからない
 A住所または所在地がわからない
 B支出した理由がわからない


 使途秘匿金は「わかる/わからない」で判定するのではなく。「記載されている/されていない」で判定します(租税特別措置法62条2項)。「相当の理由」も、記載しないことに対するものです。
 それゆえ、厳密に言えば、交際費該当性と使途秘匿金該当性はそれぞれ別々に判定する必要があります。なのに、本書の一連の記述は、これがまぜこぜになってしまっています。ので、以下でも、本書の記載に沿った形で記述することとします。

 この案件の場合、@は明かすことができなくてもABは明かすことができるので使徒秘匿金とは言えません。

 A住所・所在地も明かせないのでは(あそこの大学でこの会社に関係のある研究をしている教授といえば・・)。そもそも、事後的に明かしたところで、使途秘匿金該当性には影響しないのが、法律上の建前。
 もちろん、運用上は各種事情を考慮して、穴埋め的に判断してくれることになっています。が、「高額なブランド品」の領収書だけがあって、「誰に渡したかは教えられるわけないだろ。ビジネス知らんのか。」という対応では厳しいんじゃないですかね。

 まあ、「ゴネればどうにかなる」という領域も、あるにはあるのでしょう。が、それは「法律の専門家」としてのお仕事ではなく、ゴネ屋さん(綺麗にいうと「交渉の専門家」)としてのお仕事です。

 依頼者側としては贈り物をすることで仕事が得られるわけですから、誰に渡したかを明かして関係が壊れてしまっては意味がありません。したがって、それを知らせることはできないというのはおかしな話ではありません。それについて立証せよと要求するのは無理というものです。自分たちで「交際費ではない」という立証ができないからといって、こちらに立証させるのは変な理屈です。
 しかし、税務署はこういうことをよくやります。納税者に立証を求めて、それは言えないとなると、言えないのなら課税だというのです。これにはしっかり反論しなければいけません。まず、税理士が納得してしまってはいけません。「そうか、教えられないなら経費として認められないのか」という話ではないのです。
 交際費は一般的に得意先から仕事を取るために使われる費用です。相手の名前を公表することによって仕事がなくなるという本末転倒の結果になるのでできません、と反論するのは正当です。「公表できないから経費として認められないなどとどこに書いてあるんですか、税務署さんが立証してください」と言えばよいのです。


 租税特別措置法61条の4によれば、「その得意先、仕入先その他事業に関係のある者等に対する」ものであることが要求されています。もちろん、同条の「交際費等」は損金不算入となるものを括りだしたものではあります。
 が、「費用性」(法人税法22条3項2号)を判定するには、「誰に渡したか」も当然に重要な判断要素となります。

 これが、「お花屋さんから「生花1万円」を購入した」みたいな事例であれば、誰かに送ったかははっきりしなくても、まあ贈り物ってことでいいか、と判断されることはあるでしょう。
 また、実際の裁判例の中にも、相手方が明らかであることは必須ではないと判断したものもあります(東京地判昭和51年7月20日。ただし、結論自体は課税処分是認)。
 が、「業務に関係のある誰かには間違いなく渡っている」程度の事実すら明らかにできない(そしてその原因は納税者の非協力による)事案では、「費用性なし」と判断されてもおかしくはないでしょう。

 「課税要件事実論」や「立証責任論」における《原則論》のみに胡座をかいていると、足元を掬われかねない。「誰」だけはどうしても明かせないというならば、納税者側としては、それ以外の事情を積極的に明らかにすることで、費用性の証明に協力していくべきではないでしょうか。
 本書では、頻繁に《疑わしきは被告人の利益に》《疑わしきは納税者の利益に》というスローガンを持ち出しているのですが。刑事裁判においては、残念ながら、必ずしもこのスローガンが額面通りに適用されているわけではないのが、現実ですよね。

 というか、調査官から「収賄・贈賄にあたりかねないので言えないというならば、捜査機関と協力できないかを検討します」とか言われたらどうするんでしょうか(また、「青色承認の取消し」も射程内です)。
 最初っから白旗あげて、「役員貸付金または認定賞与で勘弁してくだせえ。どうしてもというなら使途秘匿金課税も受け入れるので、これ以上突っ込まないで。」と懇願する、「法律に疎い」クラシカルな税理士の対応も、現場判断としては、そう筋の悪いものではないのかもしれない。


 以上、《人を呪わば穴二つ》という具合に、税理士をボロクソに貶しまくっている本書の中にこういう記述があると、まあツッコミたくなるよなあと。
 が、《税務調査に強い税理士》を自称しているわけでもないのに、こんな記事を書くだけ消耗するだけな気がしますけども。


 ちなみに。

 「弁護士/税理士」という職種のみをもって、税務調査につき何か有意差があるかといえば。
 「訴訟に対する抵抗感がない」ということに尽きるのではないでしょうか(あくまでも、「職種のみで比較するならば」の観点からにとどまります)。

 税理士にしても調査官にしても、「訴訟」に移行するとなると、それなりの抵抗感があるでしょう。ので、お互いに、それなりのところでおさめがち。
 に対して、弁護士にとっては、「いざとなったら訴訟やればいいし」という気持ちで調査対応ができるので、強気に出られる面があるのかもしれません。

 弁護士から、「弁護士は誰もが否認事件でガンガン無罪判決を勝ち取っている」みたいなことを言われたとしたら、外野としては「そうなんだ〜」と思ってしまいます。また、《疑わしきは被告人の利益に》《疑わしきは納税者の利益に》が憲法上の大原則、なんて言われたら、ウブな調査官なら額面どおりに受け取ってくれるかもしれません。
 ので、実際に訴訟に手慣れているかどうか、というよりも。調査官に対して「カジュアルに訴訟提起してきそう」と思わせられることが、弁護士という職種の強みかと。

 逆にいうと、職種だけで比較するかぎり、そういう姿勢の違いにとどまるのであり。調査対応において、「弁護士一般が有能で税理士一般が無能」などという能力差が、あるはずもない(と信じてよいですよね)。

 もちろん、個人ごとの能力差があることは、また別のお話し。
posted by ウロ at 12:48| Comment(0) | 税務

2024年09月09日

所得税法における「総論・各論問題」について

 先日の記事では、「誰」という観点から、所得控除の規律を整理しました。

『所得控除を受けられる奴は誰だ!』(その1)
『所得控除を受けられる奴は誰だ!』(その2)

 今回は、「なぜ、このような整理をしたか」のバックボーンについてのご説明です。


 法学分野では、学術的な区分として、「総論/各論」という分け方がされることがあります。

 が、(私程度の人間でも読めるような)一般的な教科書レベルの記述を見ていると、総論として論じられているにもかかわらず、各論のごく一部しか念頭に置かれていないように思えるところがあります。
 たとえば、「刑法総論」において、特定の犯罪類型にしか当てはまらない議論をしているとか。

【総論各論問題】
井田良「講義刑法学・総論 第2版」(有斐閣2018)
井田良「講義刑法学・各論 第2版」(有斐閣2020)
関俊彦「商法総論総則」(有斐閣2006)

 「税法学」においても、その気があって。


 たとえば「消費税法」。

 総論では「消費者の消費に課税する」といっておきながら。各論では、なんの躊躇もなく「用途区分」「控除対象外消費税」という、消費者の消費以外に税負担が生じる制度について記述がされています。

 消費以外に税負担が生じることにつき、何かしらの《言い訳》が展開されるのかと思いきや。控除できないことを当然の前提として、「課のみ」で処理した事案(ムゲンエステート事件、エーディーワークス事件)を『脱税・節税スキーム』呼ばわりしていたりして。

〈還付をみたら泥棒と思え〉思想 〜消費税法の理論構造(種蒔き編2)
虚弱判決(その1) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)
虚弱判決(その2) 〜ムゲン・ADW事件判決(最判令和5年3月6日)

 やたらと「益税絶許」を強調するくせに、「損税」に対してはダンマリ。
 「消費に課税」という、総論における最重要の制度理念が、各論では(損税方向のみ)ガン無視されてしまっているわけです。


 こういったノリ、「所得税法」についても同様で。

 「誰が所得控除を受けられるか」という問題は、総論でいう《課税単位》の問題に相当します。
 というのも、「納税者本人の所得をマイナスするのに、誰の事情まで取り込まれるか」を把握することは、現行所得税法が採用している課税単位の輪郭を理解することにつながるからです。

 ところが、総論での《課税単位》の記述は、「独身/夫婦(片稼ぎ)/夫婦(共稼ぎ)」を素材として、夫婦の所得を足すのか足さないのか、に関する《政策論(空中戦)》がメインとなっています。しかもそこでは、夫の所得と妻の所得は、それぞれ個人単位で確定ずみであることが前提となっています。
 で、現行所得税法に対する評価としては、基本は個人単位だけど家族単位を考慮している箇所もあるよ、と紹介されて終わってしまいます。

 では、各論における「所得控除」に関する記述はどうかというと。ほんのりとしか触れられていません。
 このような総論/各論の記述バランスでは、現行所得税法が実際に採用している課税単位につき、あるがままに理解することができないのではないでしょうか。

 貧弱な個別規定しか存在しない古の時代ならともかく。すでに充実した個別規定が存在するのであるから、総論から《デカい理論》を降ろしていくのではなく。
 個別規定から積み上げていって、現行制度を正確にトレースした理論を作っていくべきではないかと思います。


 なお、上記で「片稼ぎ/共稼ぎ」と記述しましたが。あくまでも、一般的な教科書の記述に倣っただけで。

 一般的な教科書において、「所得とはなんぞや」に関する箇所では、「包括的所得概念」採用⇒本来であれば帰属所得はすべて課税、という論述を展開しておきながら。課税単位に関する箇所では「片稼ぎ」という用語を用いるの、どう考えても矛盾しているでしょうよ。
 帰属所得も当然所得だというならば、「片稼ぎ」という夫婦は概念上存在しえないはずです。

 帰属所得実在論者ならば、帰属所得の存在を無視して、課税上「平等」だとか「不平等」だとかを論ずることはできません。無視できるというならば、その所得はもはや《包括的》ではあり得ない。
 また、《政策論(空中戦)》の中の記述でもあり。「収入」課税を前提とする現行所得税法の説明だ、という言い訳も通用しないでしょうし。

 結局のところ、「帰属所得は本来課税」論者の方々は、決して家事に価値を見出しているのではなく。
 単に課税ベースの拡大に都合がいいからそう言っているだけなんだろ、と罵られても文句はいえないのではないでしょうか。


 以上、「総論で言ったことを各論でも貫けよ」精神が原動力となっている、というお話しです。
 そして、そのバックボーンには、常に『前田手形法理論』があります。

前田庸「手形法・小切手法入門」(有斐閣 1983)

 かといって、私みたいなものが大理論を展開できるはずもなく。
 ということで、地道に現行法の規律を整理するだけのことはやっておこう、と思ったわけです。

 学者先生には、安易な「原則・例外モデル」に依存することなく。現行法の規律を、あるがままに説明できる理論を開発してくれることを、強く望みます。

さよなら「権利確定主義」(その1) 〜事業所得と給与所得
posted by ウロ at 09:00| Comment(0) | 所得税法